アメリカの銃の運命を作ったコルト社のリボルバーを全て紹介、解説!

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現代の装備や兵器の解説
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この記事ではコルト社で生産されたリボルバー系拳銃の特徴や歴史、それぞれの銃について解説している。

この記事を読めばコルト社のリボルバーについて完璧になれるぞ!

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コルト社のリボルバーの概要

現在のコルト社は主にAR-15系ライフルに注力し拳銃はほとんど作らないが、1836年に設立された際の目的はリボルバーを生産、販売することだったんだ。連射可能な現代的なリボルバーを最初に生産しただけでなく、様々な高品質のリボルバーを生産して現代的なリボルバーの元祖となった事でコルト社の名前は世界中に轟いた。

かつてはリボルバーの歴史とはコルトの歴史でありコルトの歴史とはリボルバーの歴史と言っても過言ではなかった。

しかし、今はコルトのポリシーと様々な内外的事情のためにコルトはリボルバーどころか拳銃をはじめとする民生用の銃はほとんど作っていないし、今日の米国産リボルバーの大手と言えばS&W社スターム・ルガー社だといえる。

コルトが現在生産している民生用拳銃はシングルアクションアーミー(コルトSAA)とコルトガバメント(M1911)だけであり、S&W社が着実に新製品を出しているのと比べると、まさに屈辱的だろうな。

コルト社製リボルバーの特徴

コルトのリボルバーは、サードパーティの製品に比べてやや保守的なデザインを持っている。

創業者サミュエルコルトがシングルアクションに比べてダブルアクションの信頼性が低下するとダブルアクションリボルバーを製品化することを拒否してダブルアクションへの移行が非常に遅かった。総フレームの剛性を重視するため、同じ口径のサードパーティ製のリボルバーよりやや大きなフレームを使用している。

このように、保守的な設計を固守した理由は様々な理由が挙げられるが、コルト社は最初から軍納銃の製作を主な目的としていた企業という点が強い。

信頼性を多少犠牲にしても最新の設計と技術を導入して人気を集めている方が有利な民需用銃とは異なり、軍納銃の第1徳目は信頼性である。軍隊は利便性や性能が若干不十分であっても信頼性が高い銃を好む。そのためコルトのリボルバー製品は上述したように、やや保守的な設計を持っているのだ。それに、後述のコルトパターソンの失敗も影響しているだろうな。

これから代表的なコルトリボルバーを時代別に見ていくぞ!

1830年〜1860年代のコルト社製リボルバー

この時代は本格的なガンマンの時代だ。西部劇とかでよく見かけるやつだな。

西部開拓と南北戦争のために銃の需要が急増しており、より速く、より強い火力を浴びせることができる新たな兵器の開発に様々な試みが行われた。需要を満たすために多くの人々がさまざまなアイデアやアプローチを試みて銃を活発に開発していた時期である。

まだこの頃のほとんどの銃は火薬と弾丸を別々に装填する旧式の機構であり、一発撃った後リロードをしなければならない場合がほとんどだった。多くの人が一度装填して、複数の弾を発射することができる銃を夢見ていたが、船員として働いていたこともあるサミュエルコルトは、船舶のロープを巻き取る装置の機構を見て回転式弾倉(シリンダー)構造に着目して、銃を制作し始めることとなったと言われている。

コルト・パターソン

Samuel Colt (American, Hartford, Connecticut 1814–1862) Colt Paterson Percussion Revolver, No. 5, Holster Model, serial no. 528, ca. 1838–40 American, Paterson, New Jersey, Steel, engraved and inlaid with silver; ivory; L. 16 3/4 in. (42.55 cm); L. of barrel, 12 in. (30.48 cm); Cal., .40 in. (10.2 mm) The Metropolitan Museum of Art, New York, Gift of John E. Parsons, 1955 (55.206.1) http://www.metmuseum.org/Collections/search-the-collections/24835

厳密に言えばパターソンはコルトのリボルバーではないんだ。パターソンを製作した会社は、サミュエル・コルトが立てた会社だが、会社名が「パテントアームズカンパニー(Patent Arms Company)」という会社だったからである。パターソンリボルバーが失敗しパテントアームズカンパニーは倒産し、サミュエルコルトがその失敗を克服して立てた会社がコルト・ファイアーアームズ(Colt Firearms)で、現代のコルト・マニュファクチュアリング・カンパニー(Colt’s Manufacturing Company)の前身である。

とにかくパターソンはサミュエル・コルトにとっての処女作であり、最初に回転式弾倉のシングルアクションを採用したモダンリボルバーだ。名称であるパターソンは当時パテントアームズカンパニーの工場があったニュージャージー州パターソンの名前を冠したものである。

1836年に設計して同年に生産された。シングルアクション5連発拳銃で、初期モデルは撃った後に掃除して火薬と弾丸を入れるために銃を半分分解しなければならなかったが、後期型は改良が加えられ分解しなくても、簡単に火薬と弾を入れることができた。

後期型はバレルの下に棒がついているだろう?これがローディングレバーと言って動画のように分解して棒で弾を押し込まなくても簡単に装填するための部品なんだ。

パターソンは、テキサス州共和国(米国ではない。当時テキサス州は、独立国家であった)の軍隊に納入した拳銃だったが、故障や破損があまりにも頻繁に発生して評価が低かった。そのためパテントアームズカンパニーは破産してしまうこととなった。

どこの銃器メーカーも最初はほとんど失敗しているな。

コルトウォーカー

Walker Colt

1846年の設計、1847年に生産された6連発シングルアクションリボルバーだ。ウォーカーコルトとも呼ぶ。
サミュエルコルトが作ったが、コルト社という会社がまだなかったので「M1847」のような正式名称はない。
当時の基準では、.44口径に(最近の基準で測定した場合.457口径)シリンダーとチャンバーが非常に大きくて、薬莢1本当たり60グレイン(3.9グラム)の火薬を装填するようになっていた。そのためウォーカーは黒色火薬を使う昔ながらの拳銃の中で最も威力が強いことで有名である。

この銃の開発経緯は実に面白いぞ。この時は会社の倒産で失意に陥っていたサミだったサミュエルコルトに回復の機会をもたらしたのは、テキサス・レンジャーだったサミュエル・ハミルトンウォーカー大尉だったんだ。彼はパターソンの劣悪な品質にもかかわらず、「リボルバー」の可能性に注目し、コルトにレンジャーの武装として1000丁の強力なリボルバーを製作するように依頼したんだ。この依頼によってサミュエルコルトはもう一度会社を設立することを決めたんだ。

テキサスレンジャーについてはこの記事を読んでくれ。

発注者の要求に応じて強力な6連発拳銃として作られたコルトウォーカーは長さ40センチ、重さ2キロの巨大な拳銃だった。さらに、レンジャーは基本的にライフル1丁+拳銃2丁+他(サーベル等)を標準装備したので、2キロの拳銃を2丁持って活動することになったわけだ。

パターソンの失敗を教訓に作られたウォーカーだったが、問題がなくはなかった。最初の問題は、その驚異的なパワーだが、火薬をあまりにも多く使用しているシリンダーが爆発することがしばしばあった。特に実戦状況で急に装填して火薬がこぼれた場合には、銃身で発生した火の粉がこぼれた火薬に広がっ他のシリンダー内の火薬まで全部燃やしてしまうことがあり、この場合は間違いなくシリンダが爆発してしまう。

第二の問題は、装填レバーが勝手に作動してしまうこと。ウォーカーは下の写真に示すように装填レバーを固定するピンが備わっているが、銃を発射してみるとその衝撃でローディングレバーが糧に押し込まれてしまう。このせいでシリンダーが上手く回らなくなってしまうのだ。

コルトウォーカーはたった1100丁だけ生産されたうえ、このようにシリンダーが爆発してしまうなどの破損が多かったので今日では超レアアイテムだ。米-メキシコの戦争に使われたこともある一本が2008年に92万ドルでオークションで落札された。

発注者であったウォーカー大尉は残念ながらコルトウォーカーピストルができたころ(1847年)に、メキシコ軍との戦いで戦死した。しかし、コルトウォーカーはサミュエルコルトが回復する機会を与えた。コルトはテキサス共和国から拳銃1000丁を製作するように渡された製作コストを持って拳銃1100丁を製造し、残した100丁を民間市場に売った。これにより、得たお金でコルトは1847年、「コルト特許銃器製作(Colt’s Patent Fire-Arms Manufacturing Company)」を設立し、再び軍納銃事業に飛び込む。

ライトノベルトリニティブラッドの主人公アベルナイトロードが主に使用される拳銃のモデルに見られる。旧式のうえアベルのガタガタ距離性格上、運良く合わせるようだが、実際に射撃がかなり良い方だあらゆるモンスターが幅を利かが世界でも光を放つ。

M1848:コルトドラグーン

Colt Model 1848 Percussion Army Revolver “Dragoon”

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モデルM1848。コルトブランドで発売された最初のリボルバーとすることができるな。名前の通り1848年に発売され、コルトウォーカーの欠点を改良して軽量化したリボルバーだ。

当然軍納用に作られており、主な顧客層になる竜騎兵から取ったドラグーンという名前も付けたが、いざ作ってみると米-メキシコの戦争が終わってしまって、戦争の特需は享受できなかった。しかし、1850〜1860年代の人気リボルバーであり、南北戦争時まで使われた。

ウォーカーの過度なパワーを少しデチューンして火薬の量を5割ほどに減らし、装填時に離脱を防ぐための留め具を有するなど、様々な改良が加えられたリボルバーだ。信頼性が向上したので、コルトドラグーンの評判は良く、米陸軍が2万丁ほどの納品を依頼し、民間人たちもたくさん買った。特にメキシコの戦争を経験した米南東の住民は、ほとんどがこの拳銃を持っていたとされている。1860年にコルトアーミーモデル1860が出るまで、米全域を支配した拳銃といっても過言ではない。

この他にも銀河鉄道999の哲郎(テツ)が使う戦士の銃、コスモドラグーンのモチーフがこのリボルバーだったりする。

M1851:コルトネイビー

↑高級ボックスに梱包されて販売されたM1851。
コルトM1851を後世の人が謳った名称がコルトネイビーだ。ウォーカーやドラグーンとは異なり、民間用リボルバーとして作られた製品で、6連発.36口径(当時の基準では0.375口径)リボルバーである。

軍用ではないので、威力も大幅に下げており、25グレイン(1.62グラム)の火薬を使用する薬莢は小さい。おかげで銃の軽量化と小型化が可能で、約1.2キログラムの総延長約35センチのコンパクトな(当時の基準で)設計で作られた。

またネイビーは、当時新しい発明だった携帯式のホルスターに収納するように作られた銃でもある。そのより前のリボルバーは主に騎兵の副武装として馬の鞍に収納して携帯するようになっていたが、拳銃がますます小さくなり、これを携帯することができるように人が腰に身に着けるホルスターが登場し、それに合わせて作ったのがコルトネイビーということだ。

余談だが、軍用ではないのにニックネームがネイビー(海軍)である理由は、M1851のシリンダーに海戦の場面が刻印されているからだという。

↑軍艦が描かれているシリンダー

M1860:コルトアーミー

コルトM1860。通称「アーミー(Army)」だ。

ドラグーンに続いて生産された.44口径6連発拳銃。文字通り米陸軍に納品するために生産され、南北戦争時に信じられないほど使われた。以前までは火薬と弾丸を別々に込める必要があったが、この銃が使われる頃に一定量の火薬を油紙に包んだ形態のペーパーカートリッジが出回り始めた。

↑銃の上に乗せられている白たばこの吸い殻のようなものが、まさに「ペーパーカートリッジ」

写真のようにバットストックをつけて撃つこともあった。しかし、発砲時の後遺症と火花が目に弾ける副作用があったためバットストックは滅んだ。代わりにコレクターたちには人気が出て今でも1万5千ドル台で取引されている。

ラストサムライ(2003)でトム・クルーズが演じたネイサンアルグレンが劇中序盤にM1860のRichards-Mason Convertionモデルを使用する。

1870年〜1890年代のコルト社製リボルバー

19世紀のフランスで発明された金属製の弾薬(カートリッジ)の特許を持つ米国企業は、S&W社だった。金属製の弾薬は金属製のカートリッジに弾丸と火薬、プライマー(雷管)を包装したもので、その利便性と安全性は紙カートリッジとは比較できない驚くべきものだったが、この特許をS&W社が持っていたので、コルトはしばらくの間指をくわえている事しかできなかった。

しかし1872年、ついにこの特許が満了しコルトもついに金属製のカートリッジを使用したリボルバーの生産販売を開始することになる。

コルト社の最初の金属カートリッジリボルバーが名銃として有名で、今もよくゲームなんかに登場するM1873、別名「シングルアクションアーミー」ピストルである。(ウィンチェスター社のM1873ライフルと混同するなよ)
これに加え、M1860(コルトアーミー)のような旧型のリボルバーを改造して、金属カートリッジを使用できるようにするキットも発売された。

携帯と使用が簡単で信頼性の高い金属製のケーシングと、リロード速度が飛躍的に改善された後、新時代のリボルバーは軍隊の副武装(サイドアーム)に採用されて急速に普及伝播され、民間人たちもこの最新型拳銃を護身用に広く購入した。その普及度は前世代の旧式リボルバーを遥かに上回るし、この時代をリボルバーの黄金期と呼ぶこともあるんだ。

1870年代には、コルト社がいよいよダブルアクションリボルバーを製品化していく。

ダブルアクションとは、ハンマー(撃鉄)を手動で起こす必要がなく、トリガーを引くだけで弾が発射される技術である。

これが発明されたのは、1850年代であったが、創業者サミュエルコルトはダブルアクションの信頼性を疑って、シングルアクションにこだわったので、コルト社製品の中にはダブルアクションリボルバーがなかった。しかしサミュエルコルトの死後、ダブルアクションリボルバーの製品化に着手、1877年についにM1877というダブルアクションリボルバーの販売を開始する。

見ようによってはサミュエルさんは頑固爺だったわけだ。

また、1889年に登場したM1889ピストルは、最初のスイングアウトリボルバーで、リロードのためにフレームを分解したり取り外したりすることなく、シリンダーが丸ごと横に飛び出すようにすることができる便利な拳銃だった。(アンティーク品を除き今日のすべてのリボルバーはスイングアウト方式であるため、近代的なリボルバーと同じになったと思えば良い)

つまりモダンリボルバーの基礎がすべて完成した時期が、まさにこの時代なのだ!

コルトシングルアクションアーミー

金属製の筐体で囲んだカートリッジを導入した後、装飾リボルバー主宰。西部開拓時代の主役であった有名な拳銃。米軍制式武器もあった。あまりにも有名であり、世界中に根強いファンがいる。

この銃、めっちゃかっこいいよなぁ

とても人気で書くことが多いので別記事で紹介しているぞ!

現在、コルト社が生産している唯一のリボルバーでもある。

M1877:ライトニング、M1878:フロンティア

Colt Model 1877 “Lightning”、 “Thunderer”、 “Rainmaker” 

2つ名が多いな笑

Colt Model 1878 “Frontier” 

それぞれ1877、1878年度に生産。

1877年モデルは、コルト社初のダブルアクション機構搭載を試みた拳銃である。当時すでに他社はダブルアクションリボルバーを作って市販していたが、先述したサミュエルコルトの懸念により結果的に他の企業よりも遅れてダブルアクションリボルバーを生産することとなった。これにはコルトファンもおかんむり。これはその待望のダブルアクションリボルバーだった。

だがしかーし!

やはり彼の懸念どおり初期のダブルアクション機構は、故障が多かったし、修理も難しく忌避対象だった。さらに「最悪のダブルアクション銃」という中傷を受けることとなった。ダブルアクションが壊れてもシングルアクションで使用可能だったみたいだがな。

見た目はSAAと非常に似ている。事実SAAの内部を弄っただけなんだろうな。

1878年モデルは1877年型を少し改良し、やや大口径を使うようにしたバージョンだ。

コルト M1889

名前の通り、1889年に生産されたコルトのリボルバー。
ダブルアクションリボルバーで様々な口径のモデルがあり、(.41ロングコルト、.38ロングコルト、.38ショートコルト)、アメリカ海軍と陸軍に納品された軍納用の銃である。生産数はそれほど多くはなかった(約5000丁)。

最初に開発されたスイングアウト方式のリボルバーで、シリンダーがフレーム自体に接続されているのではなく、フレームに接続されているスイングアーム(クレーンと呼ばれる)に接続されていてシリンダーを丸ごと取り出して装填ことができる拳銃である。

以前までのコルトリボルバーは銃身の右側にあいている小さな溝を介してケーシング(薬莢)を排出し、弾を装填する方式だったので、一発ずつの装填/排莢が必要だった。しかし、それもスイングアームの導入でケーシングを一気に排出することができるようになったのだ。(リロードはまだ一発ずつ。スピードローダーというものがまだ発明されていないからである。)

この機能の搭載はとてもメリットがあったように思えるが、実際には不完全な試作品レベルのもので、使用しているとシリンダーが少しずつ回転してずれていき、シリンダーの穴と銃身が互いに一致していない状況につながるという問題が発生した。

これに比べてスミス&ウェッソン社(S&W社)が7年後に発売したS&W .32 Hand Ejectorは、スイングアウト式リボルバーでありながらこのような問題がすべて解決されただけでなく、ケーシング排出棒という新機能まで導入されてケーシングの排出が更に容易であるという利点まであった。

そのためM1889の銃自体の評価はあまり高くはなく、単にフレームの耐久性を犠牲にすることなく再装填のしやすさを大幅に向上させるスイングアウト方式を初めて導入したという点で評価がなされている銃である。

コルトM1892:ニューアーミー(New Army)

この「ニューアーミー(New Army)」という名前が付いているリボルバーは1892年に騎兵と海軍などに採用された軍納用の銃である。改良を続け1892, 1894, 1895, 1896, 1901, 1903年のモデルがある。

.38ロングコルト弾を使用するが、米比戦争では威力不足が問題になりM1911に更新された。

コルトニューサービス

Colt New Service

1898年に生産された、イギリス産.455ウェブリー弾を使う6連発ダブルアクションリボルバー。

サービスという名称がつくように軍用であり、カナダ軍、イギリス軍の正式副武装として採用された。

1900年〜1950年代のコルト製リボルバー

この時代はリボルバーの衰退期である。

なぜなら1890年代末、装填の自動化に関する研究が盛んに行われ、我らが「銃砲王」ジョン・ブロウニング(John Browning)が自動火器の礎を築き、遂に自動拳銃の時代が開かれたのだ。

コルト社も時代に遅れを取らないようにコルトM1900、M1911などの自動拳銃を披露し、銃市場の最大の顧客である軍隊がリボルバーの代わりに自動拳銃にことごとく乗り換えたために、リボルバーは大きくその人気に影を落とすこととなった。

よってこの時期の間に登場したコルトのリボルバーモデルは非常に少ない。

だがリボルバーの生産量が減少したとしても、新たに生産されたモデルだけあってそれほど使われていないわけではない。第二次世界大戦と朝鮮戦争により軍の物資が不足し、自動拳銃も不足したため、特に後方部隊や非戦闘部隊にはリボルバーを支給された。

たとえ軍隊の制式装備にはお払い箱となっても、伝統や格式を重んじる部隊や警察ではリボルバーの需要が高かった。警察の特性上、銃は射殺するより犯人を無力化したり、犯罪を阻止する事が優先であり、したがって自動拳銃の長所である大容量弾倉と高速リロードがあまり必要ではなかったという理由がある。

それだけでなく、この時期の洗練されたリボルバーは故障があまり起こらず、故障してもシングルアクションで発射可能であったり、小型化が容易であったりと様々な利点がリボルバーにはあった。

そのおかげでリボルバー市場は引き続き続いていくことができた。

M1917

米軍が使用した.45 ACPを使用するリボルバー。

第1次世界大戦中の超大ヒット商品M1911(コルトガバメント)の需要が急上昇すると、M1911の生産設備があるコルト社とレミントン社の工場をフルに回しても、需要を満たすことができなくなった。それに対する答えとして、M1911と同じ45口径弾を使うリボルバーを生産してM1911がまだ支払われていない部隊に優先普及することにし、そして誕生したのがM1911なんだ。

M1917は、コルト製造品とS&W製造品の2種類が存在する。ところが、この二つのリボルバーは使用弾とクリップのみ互換性があるがそれ以外は互換性がない、まったく別のリボルバーとすることができる。

これらはリボルバーの動作が完全に逆方向であり、さらにいくつかのパーツの名前さえ異なるんだ。簡単に区別する方法はシリンダーがスライドする向きで判別する方法で、コルトリボルバーのシリンダーはラッチ(留め金)を引いて射手基準右側に開かれ、S&Wリボルバーのシリンダーはサムピースをスライドさせて射手基準左側に開かれるんだ。

以上!いつ使うの(どうでもいい)トリビア、だぞ!

コルトオフィシャルポリス

Colt Official Police

1927年に生産された6連発の.38口径リボルバー。その名の通り警察用に生産されたが、第2次大戦中の軍でもいくつか使われた。

この時期からコルト社は本格的に警察用のリボルバーを作り始めていく。経営戦略だな(適当)。

コルトディテクティブスペシャル

Colt Detective Special 

これもやはり警察用に設計されたリボルバー。1927年に生産されたDフレームの小型銃で、ちょっとバレルが短い(可愛い)のが特徴だ。大変コンパクトで、名前の通り、刑事(Detective)が服の中に隠すのも容易だった。

残念なことに、この製品以外にもポケットに隠すほどの大きさのリボルバーは存在したが、どれも火力が弱く、耐久性も低かった。

86年に生産を中止したが、93年から95年までの2年間再び製造された。この復刻バージョンはグリップの材質をゴムに変え黄金のロゴを配置したため、これによりコルト社の鉄製リボルバーの歴史は終わった。

コルトコブラ

Colt Cobra

1950年に生産された。事実上、上記のディテクティブスペシャルと同じ製品だが材質が異なる。
ディテクティブスペシャルは鋼鉄製で、コブラはアルミニウム合金を使用して重量を減らした。

コルトエアクルーマン、コルトキャリア、コルトバイパー、コルトコマンドースペシャルなどのバリエーションが存在する。

ジョンF.ケネディを暗殺したリーハーヴェイオズワルドは、この銃で撃たれ死亡した。

ちなみにその犯人はジャックリオンルーベンシュタイン(後「ジャックレオンルビー」に改名)というナイトクラブの社長であり、彼が後日癌で死んだ病院はケネディ大統領の死亡診断が下され、オズワルドが死んだ病院(パークランド病院)なんだ。ここ面白いネタだぞ!

1987年に生産中止されたが人気作なので、2017年Shot Showでステンレスで作られたコブラが披露された。

コルトトルーパー

Colt Trooper

1953年に生産された。.357口径。Iフレーム。トルーパーって言うと軍隊っぽいが、まだ警察/民需用だぞ。

既存の.357弾と.38弾を使うリボルバーを軽量化してほしいという警察のニーズにコルトとS&W両社がライバル構図になって新製品を開発することになり、S&Wはモデル28リボルバーを出したが、コルトが出したトルーパーに敗退した。後日のヒット商品であるコルトパイソンはこのトルーパーをベースにしている。

漫画シティーハンターの海坊主がこの銃を主に使用するぞ。(なつかしー!)

1950年代〜現在のコルト社製リボルバー

ここはリボルバーの高品位化時代と言えるだろうな。高級なリボルバーが登場しだしたんだ。

米国内で一般人のの銃所持が許可されたことにより凶悪犯罪が増え、警察も最早拳。銃のみに依存することができなくなり、最終的には警察もベレッタなどの自動拳銃に乗り換えることとなってしまった。結局、最後のリボルバーの顧客は民間人だけ。リボルバー市場が大幅に縮小し、コルト社は新製品を販売するにあたり昔ながらのリボルバーとの差別化戦略を打ち出すことにした。

それは、一部の民間人が用いるのであれば安く大量生産型で作成するのではなく、高価な金属や新素材を使用して強度を高めて華やかにした方が良いのではないか、というものだった。コルトは、これらの点を念頭に置いて高品質のブランド(?)リボルバーの生産を開始することとなった。

しかしながら、内部のメカニズムの面での発展はほとんどなく、70年代以降にコルト社の拳銃の品質が低下し始めたこともあり、ほとんどのリボルバーユーザーがS&W側へ移る事態が起こる。最終的には需要の減少から倒産と復帰を繰り返していたコルトは、1999年にすべてのダブルアクションリボルバーの製造停止を宣言してコルトリボルバーの歴史はほぼ終わりを告げてしまう事となった。(残念!!)

コルトパイソン

1955年に初めて出てきた.357口径の拳銃。この銃にもファンが多く、書くことが多いため詳細は別記事で書くことにする。(燃え尽きた)

この記事を読んでくれ!

コルトダイヤモンドバック

Colt Diamondback 
1966年から生産された。

小型フレームを使用したパイソンの廉価版で複数のモデルがあり、使う弾も.38スペシャル弾や.22WMR弾と.22LR弾などバリエーションがある。22口径モデルは命中率が高く反動が少ないので、拳銃を初めて使う初心者が練習用にするのに非常に良いとされている。

コルトキングコブラ

Colt King Cobra

1986年から生産された。.357口径6連発。Vフレームのトルーパーをベースに作られた。上記の二つの銃よりも耐久性が強化されたリボルバーで高炭素鋼とステンレス鋼を材料として使用している。パイソンに比べて命中率は少し劣るが、寿命がはるかに長いとされている。

リボルバーが頻繁に出てくる漫画シティーハンターでは美樹(みき)がこの銃を愛用する。

コルトアナコンダ

Colt Anaconda

1990年の生産。キングコブラが耐久性に力を入れたバージョンだったらアナコンダは大口径化バージョンである。.50AE、.44 Magnumと.45コルト弾を使うように複数のモデルが設計された。

パイソンと見た目は非常に似ているが、フレームは新たに開発した「AAフレーム」を使用した。パイソンとトルーパーに使われたIフレームは悪くなかったが、.44マグナム弾の衝撃に耐えるために、より強く重いフレームが要求されたそうな。

実はこの時、.44マグナムリボルバーはすでにスターム・ルガー社とS&W社が市場を掌握した状況であったため、反応はあまり良くなかった初期のバージョンは、粗野な品質で命中率が極悪と酷評され急いで改善に乗り出すことになってしまった。当時のコルト社の勢いのなさが窺えるよなあ。

結局、1999年のコルトのリボルバー製造全面中止に伴い生産期間10年に満たずにおさらばとなった。

スコープ+迷彩。

シティーハンターでは海原 神が愛用している。

バイオハザードシリーズの登場人物バリーバートンの44口径マグナムもこの銃をモデルにしており、カスタムを経て出てきている。

コールオブデューティ:モダンウォーフェア2の.44マグナムにも登場している。ただし、ライセンスの問題なのか側面には「ALLENCONDA」と書かれている。

比較的新しい銃だけあって他のゲームや映画などにも登場することがある。

コルトリボルバーの歴史の終了

150年近い歴史の中で様々なリボルバーを開発、販売してきたコルト社。

その偉大さや歴史を感じてもらえただろうか。(普通分からねえよな)

様々な理由からその歴史に幕を閉じることになってしまったが、根強いファンは未だに世界中にいる。他社から同じモデルの物が改良されて発売されてたりもするしな。

紹介した銃の中に気に入ったものがあれば、もっと詳しく調べてみても良いだろう。

人を殺すことから縁遠い限り、お気に入りの銃なんて見た目や歴史で選ぶんで構わない。

いくら殺傷能力が高くったって、3Dプリンター製の拳銃なんかより、コルトドラグーンの方が欲しいに決まってるもんな!(押しつけ)

かなーり長くなってしまったが、読んでくれてありがとうな。

これからも様々な時代の兵器や武器、軍隊について記事を公開していく予定だ。

ミリタリーブログ「WHITE ORDER」にこれからも足を運んでくれるととても嬉しいぞ。

それじゃあ、またな