やあ、同士達よ。
PMN(民間軍事ネットワーク)WHITE ORDER へようこそ。
今日はお前達が大好きな拳銃の一つ、M1911の歴史について解説しよう。日本ではコルト・ガバメントという通称の方が有名だろうか。
この拳銃は名前の通り、1911年に開発された。にも関わらず、現在でも多くのガンマニア達に愛され、使われている。その秘密はM1911の歴史に隠されているんだ。
コルトガバメントと呼ばれるようになった訳も、これを読めば分かるようになるぞ。
是非最後まで読んでくれ。
目次だぜ
M1911について
長い歴史を経て、M1911は間違いなく現代の銃器界の中でも最も影響力のあるハンドガンの一つだろう。もちろん、俺も愛用してる。お前たちもそうだよな?
この、アメリカの銃器設計家であるジョン・ブラウニングによって設計されコルト社によって開発されたM1911は、20世紀に通用させるためのアメリカ軍の要求を全て満たした素晴らしい拳銃だったんだ。
M1911はなぜ開発されたのか
M1911の歴史は100年以上も前に始まったんだ。
19世紀が終わりに近づいた頃、米比戦争が起きたのは知ってるか?
この米比戦争については今度説明するが、文字通りアメリカとフィリピンの戦争だ。
その最中アメリカ軍は、スペインの植民地であったフィリピンの先住民族、モロ族のゲリラと交戦した。
しかしその時アメリカ軍は、正式装備に採用されていたM1892リボルバーの威力の小ささを思い知ることになったんだ。なんとモロ族の戦士たちは、M1892の打ち出す.38ロングコルト弾を一発食らったくらいじゃ死ぬどころか攻撃を続けたんだ。槍や剣を手にしてだぞ?
お前達にもそんな精神力を持って欲しいもんだ。実行はしなくていいけどな。
なぜこのときライフルではなく拳銃を使ったのかは、米比戦争の説明で話そう。
当然アメリカ軍はこの反省から、一発で敵を戦闘不能にするため.45口径弾を採用することを考え、同時にリボルバーよりも早い連射が可能となる自動拳銃の開発を求めるようになった。
その要望に応えるために様々な銃火器メーカーから拳銃のサンプルが提出されたんだが、その中で異彩を放っていたのがコルト社の拳銃、M1905だった。
軍からの「1発でも、敵の動きを止められるだけの威力がほしい」という要望に基づき、1905年にジョン・ブラウニングが考案した、.45ACP(.45Auto Colt Pistol)という大口径弾を使用するM1905。
そんなコルト社の拳銃をさらに有名にしたのが、1910年に行われた耐久性を試すテストだ。そのテストでは1つの拳銃で2日間にわたり6000回も射撃テストを行った。その最中どこのメーカーの拳銃も非常に熱くなったので、水に入れて冷却するというテストも行われた。それによってほとんどの拳銃が不具合を起こし、テストを中断せざるを得なかったが、コルト社の拳銃だけは最後までテストを行うことができたんだ。
これには、軍の奴らも驚いたらしい。自分で水に浸けといてふざけんなって感じだけどな(笑)
そうして5年以上に渡りアメリカ軍との協議やテストを重ねて改良を続けたコルト社の拳銃は、1911年にM1905からM1911と名前を変え、同じ年にアメリカ軍の正式装備となったんだ。
アメリカ海軍とアメリカ海兵隊は1913年にM1911を正式装備に採用した。
ちなみに、アメリカ海軍と海兵隊の違いくらい、同士のお前達なら分かるよな?
実戦でのM1911の活躍
初めてのM1911の活躍
このM1911が実験で最初に使われたのは、1916年のメキシコでの戦闘だ。当時メキシコは革命によって破壊されていて、その反乱軍将軍の代表的存在がはPancho Villa(パンコ・ビラ)って奴だった。
1916年3月9日の早朝、ビラと彼の部下はニューメキシコ州コロンバスの小さな町を攻撃し、略奪し、焼き払いやがった。その結果、18人の米軍兵士と一般市民が死亡したんだ。
酷い奴らだよな。テキサスでのビラ等反政府勢力による攻撃は更に続いて、米国の兵士と一般市民をどんどん殺していったんだ。目的は金だろうがな。
その攻撃に怒ったアメリカのウィルソン米国大統領は、ジョン・パーシング将軍にビラを確保するために約5,000人の米軍兵士をメキシコに派遣するよう命令した。ジョージSパットンという名の野心的な若い中尉を含め、次世代の米軍指導者たちの多くがこの作戦で最初の戦闘経験を得たんだ。
この任務では、最終的にビラを確保することに失敗したんだが、飛行機、無線電信、電動トラック輸送、M1911ピストルなどの多数の新しい軍事技術の主要な戦闘データを最初に出した戦闘になった。
そしてその翌年、何が起こったかは分かるよな?
そう、第一次世界対戦だ。
第一次世界大戦でのM1911の活躍
翌年、アメリカはヨーロッパでの第一次世界大戦に参入した。
アメリカ軍は、パーシング将軍の指揮のもと、カナダ、フランス、イギリスの部隊と協力して西部戦線にドイツ軍を押し戻した。この世界的な戦争では、100万人以上のアメリカ軍が参加してたんだ。WHITE ORDER もそんな組織力を持つ組織にしてえなあ。
第一次世界大戦の結果が知れ渡るようになると、新しい武器と時代遅れの武器との間の残酷な差をどの国も痛感することになったんだ。
西部戦線での地上戦闘の大部分は塹壕戦として実施されてたのは有名だよな?
この塹壕戦は少人数の部隊同士の襲撃と近接戦闘を余儀なくした。そこでM1911は近接戦闘で敵を制圧すのに十分すぎる能力を有していることを証明したんだ。
そしてそんな強力な拳銃はすぐにアメリカ軍人達のお気に入りになったんだ。強い武器を使ってりゃ功績もあげやすいのは、ゲームなんかでも一緒だろ?
ある伝説的な交戦の時、アルヴィン・ヨーク軍曹はM1911を使って6人のドイツ軍兵士による攻撃を阻止し、その功績で名誉勲章を獲得した。
アメリカ陸軍航空隊のフランク・ルーク中尉は、彼の優れた航空戦闘結果と、彼の戦闘機がフランスの戦場に撃墜された後のドイツ歩兵隊に対するM1911での戦果によって名誉勲章を授与されたんだ。凄いだろ?
パイロットだから大した装備もないのに、撃墜された後も拳銃一つでドイツ軍とまともに殺りあったんだからよ。
第一次世界対戦の後、様々な戦闘データを参考にして基本的なM1911への微妙な改良が行われていった。まとめてこれらの改良は1924年に完成し、M1911A1となったんだ。二つの細かい違いは今度説明するからな。
アメリカ合衆国が軍事力で世界に台頭し始めたとき、M1911、M1911A1はカリブ海、南アメリカおよび中央アメリカでの多くの小さな紛争を含む戦闘においてサイドアームとして用いられた。これらの介入は、この地域に政治的、社会的、経済的安定をもたらすために必要であると考えられ、時にはバナナウォーズと呼ばれてたんだが、それも今は関係ないから今度話そう。
この時代、M1911はアメリカ全土で法執行官のお気に入りのサイドアームとなった。M1911を用いた著名な法執行機関の中には、テキサス・レンジャー(野球チームじゃないぞ!)のメンバー、ならびに国境警備隊、およびFBIの連邦機関のエージェント達がいた。どいつもこいつも厄介なやつらだな。
そうして、政府機関に用いられることが多くなったことからコルト・ガバメントという通称が生まれたんだ。コルト社とガバメント(政府)が合体したんだな。
そしてそんなM1911の最大の見せ場が第二次世界大戦だった。
世界中で活躍するM1911
1941年12月7日、真珠湾への日本の空襲が第二次世界大戦への米国の本格的な参入をもたらしたんだ。
この真珠湾の攻撃には様々な議論がなされているが、それも今度開設しよう。
この世界大戦で、米国は戦争のために歴史上最大の数の人員を動員した。その数、1600万人を超える男女だ。
その時にはもう、M1911は陸上、海上、空中で戦っているほとんどすべてのアメリカ軍の標準装備となっていた。生産したM1911、M1911A1の数は約300万だ。
M1911型だけでこの数だぞ?
何十年にもわたって製造された何百万ものブラウニングが設計した機関銃と拳銃を合わせたら、ジョン・ブラウニングによって設計された銃がアメリカの自由を守ったと言っても過言ではないな。M1911は第二次世界対戦で多大な貢献をした後も朝鮮、ベトナム、その他の紛争を含む戦争でアメリカ軍の最高の相棒であり続けたんだ。
戦後のM1911の活躍と人気
第二次世界大戦の終わりには、何百万人ものアメリカ軍人が世界中の戦闘地域から母国に戻ってきた。
そして平和が訪れ、アメリカが更に繁栄した事よって余暇がたくさん生まれたんだ。そこで急成長したのが射撃スポーツだ!
お前達も大好きだよな?
射撃のクラブや大会は、すべての市や町、大学で行われたぐらいだった。
その趣味のスポーツの中でも、M1911は根強い人気を誇っていた。
主な理由としては、軍関係者には馴染みのものであった事やM1911のカスタム性があげられる。
部品、付属品、カスタム鍛冶、トレーニングセンター、正式な競技会に基づく射撃業界全体が成長した今日でも、1911年のデザインは競技用ピストルの世界標準となってるんだぜ。
実際、殆どの自動拳銃はM1911のデザインを参考にしてる。
スポーツとしての射撃の成長と共に、個人の安全に対する意識が高まった。1980年代と1990年代に犯罪率が上がったことで、自分の身を守るために銃の所持を求める声が多数上がったんだ。
現在、北アメリカのほぼすべての州が、銃を携行するための何らかの民間免許を提供している。そして、何百万というライセンサーの多くにとって、M1911はかなりポピュラーな選択となっている。
あ、日本で銃を持っちゃダメだからな。撃ちたかったら海外行けよ!
そんなM1911がアメリカ軍の標準装備から降ろされたのは今から30年程前だ。
1985年にアメリカ軍はNATO同盟国との弾薬の相互運用性を高めることを期待して9mm弾を用いる M9ピストルを標準装備とした。
何十万人もの軍人がM1911の70年にわたる貢献を思い、涙を流したらしいぞ。お前達もそのぐらい装備を大切にするんだぞ。
しかし、悲しいかな、それによって過去の痛みを伴う教訓をもう一度味わうことになったんだ。そう、この9mm弾は、武装した敵を敵を即座に戦闘不能にするには火力不足だったんだ。この点を考慮して、アメリカ軍は再び由緒あるM1911.45 ACPに特別作戦部隊の武装を任せることになった。
だから今でも、アメリカが過激なテロリストに脅かされたとき、M1911が制圧部隊の腰についてる可能性が高いって訳だ。100年経ってもM1911の性能は認められ続け、その設計は他のすべての自動拳銃の標準となってるんだ。
M1911が拳銃の中でもっとも影響力を持っている事は疑いようがないだろ?
最後だぜ!
これで、M1911の歴史の解説はおしまいだ。
だが、これからもM1911の歴史は続いていくだろうな。
こんな凄い銃を作ってくれたジョン・ブラウニングさんには頭が上がらないぜ。
他にもM1911の詳しい性能、モデルガンなどについてや、ブラウニングさんが作った他の銃についても解説していく予定だ。
是非、このサイトの他のページもチェックしてみてくれ。何かあったらコメント宜しくな
じゃあまた会おう同士達よ!