『火龍(キ201)』徹底解説:大日本帝国が夢見た“日本版Me262”は最強たり得たか

『火龍(キ201)』徹底解説:大日本帝国が夢見た“日本版Me262”は最強たり得たか

火龍(キ201)徹底解説――大日本帝国陸軍が夢見た”日本版Me262″は最強たり得たか

1945年8月、終戦の日。

群馬県の中島飛行機太田製作所には、未完成の機体があった。胴体は三角断面、翼下にはジェットエンジン用のナセルが突き出す――そのシルエットは、遠い欧州で連合軍を震え上がらせたメッサーシュミット Me262に瓜二つだった。

その機体の名は「火龍(かりゅう)」。正式にはキ201。

日本軍が計画した”純粋なジェット戦闘機”としては、最初で最後の機体だ。海軍の橘花が特攻を前提とした攻撃機だったのに対し、火龍はあくまでも「戦う」ために設計された。B-29を30mm機関砲4門で撃ち落とし、連合軍艦艇を襲撃する。大日本帝国陸軍がジェット時代に託した最後の希望だった。

しかし、火龍は一度も空を飛ぶことなく終戦を迎えた。

「もし完成していたら」「もし1944年に配備されていたら」――そんな問いが、80年経った今も私たちの胸に残る。悔しい。本当に悔しい。でも、だからこそ語りたい。設計図の中に込められた技術者たちの執念と、ジェット時代の扉を開けようとした瞬間を。

この記事では、火龍とは何だったのかを、開発背景からスペック、橘花やMe262との比較、そしてプラモデル情報まで徹底解説する。

目次

第1章 火龍とは?――3分で押さえるキ201の正体

ひとことで言うと

  • 区分:大日本帝国陸軍のジェット戦闘襲撃機
  • 開発:中島飛行機が担当
  • 型式番号:キ201
  • 通称:火龍(かりゅう)
  • 目的:B-29の迎撃(防空戦闘機)+連合軍艦艇・地上部隊への襲撃(戦闘爆撃機)
  • 特徴:日本軍が計画した”純粋なジェット戦闘機”として唯一の存在
  • 時期:設計段階で終戦。1945年12月に試作1号機完成予定だった
  • 結果:実機は未完成。飛行試験は行われていない

火龍の「位置づけ」が独特な理由

日本のジェット機といえば、海軍の橘花を思い浮かべる人が多いだろう。橘花は1945年8月7日に初飛行を果たした、日本初のジェット機として歴史に名を刻む。

しかし橘花の任務は、当初から「特殊攻撃」――つまり体当たり攻撃を想定した機体だった。機関砲は第一次試作機では搭載せず、武装は爆弾のみ。敵艦への反跳爆撃を行い、そのまま突入する「片道切符」の思想が根底にあった。

対して火龍は違う。

火龍は最初から「戦闘機」として設計された。30mm機関砲と20mm機関砲、計4門の火力でB-29を撃墜し、爆弾やタ弾で艦艇を襲撃して「帰還する」ことを前提としていた。編集部の言い方を借りれば、火龍は「日本版Me262」を目指した本格的なジェット戦闘機だったのだ。

これは日本軍のジェット機計画において、極めて異質な存在だった。

キーワードで見る火龍の「強み」

  • ジェット推進による高速性能:最高速度852km/h(計画値)
  • 重武装:20mm×2+30mm×2の計4門を機首に集中配置
  • 高高度性能:実用上昇限度12,000m(B-29の巡航高度帯に到達可能)
  • 多用途性:防空迎撃と対艦・対地襲撃の二刀流

なぜ「火龍」なのか?

名前の由来について公式な記録は見当たらない。ただ、当時の日本陸軍機には「隼」「飛燕」「疾風」など風や鳥に因む名が多かった中で、「龍」という東洋的で神話的な名前を冠したのは意味深い。

火を吐いて空を翔ける龍――。ジェットエンジンの排気炎を、日本の技術者たちはそう見立てたのかもしれない。

編集部コメント:「龍」という名は、震電や烈風といった”最終兵器”的な機体にも通じる響きを持つ。未完に終わったからこそ、その名前が余計に伝説を纏うのかもしれない。

第2章 開発の背景――なぜ陸軍はジェット戦闘機を求めたのか

B-29という「天敵」の出現

1944年6月、中国成都から発進したB-29が初めて日本本土を爆撃した。11月からはマリアナ諸島を拠点とした本格的な戦略爆撃が始まる。

B-29は、それまでのあらゆる爆撃機とは次元が違った。

  • 高度:9,000~10,000mの高空を侵入
  • 速度:最高560km/h以上、巡航でも450km/h超
  • 防御:遠隔操作式銃座で全周から火を吹く

既存の疾風(Ki-84)飛燕(Ki-61)でも迎撃は可能だったが、B-29の高度に到達するには時間がかかり、速度差も小さかった。鍾馗(Ki-44)のような上昇力重視の迎撃機でさえ、B-29相手には苦戦を強いられた。

海軍の雷電(J2M)紫電改(N1K2-J)も同様だ。プロペラ機の限界が、嫌というほど突きつけられていた。

ドイツからもたらされた「希望」

そんな中、同盟国ドイツからMe262の情報がもたらされる。

1944年、遣独潜水艦作戦によって、Me262とMe163(ロケット迎撃機)の図面・資料が日本へ運ばれた。ただし、潜水艦による輸送は危険を伴い、多くの資料が途中で失われている。日本に届いたのは断片的な情報だった。

それでも、技術者たちの目は輝いた。

Me262は最高速度869km/hを叩き出し、B-17やB-24の大編隊を切り裂いていた。プロペラ機では不可能な速度域で、重爆撃機に肉薄できる――これこそが日本軍に必要な兵器だった。

海軍はMe262の技術を参考に橘花を開発。しかし橘花は、エンジン(ネ20)の推力が475kgと小さく、武装も貧弱で、あくまで「応急的な特攻機」の域を出なかった。

陸軍は違うアプローチを選んだ。

陸軍の選択:「本格的なジェット戦闘機を」

陸軍航空本部は、Me262を「フルサイズで」再現することを目指した。

当初の計画では、川崎航空機でMe262をほぼそのまま国産化する「川崎ロケット機」(仮称)が検討された。しかし、エンジンの国産化の見通しや、中島飛行機の設計能力を考慮して、最終的にキ201「火龍」として中島飛行機で開発することが決定される。

1945年1月、正式に試作発令。

火龍の設計要求は明確だった。

  1. B-29を確実に撃墜できる火力(30mm機関砲)
  2. B-29の高度に短時間で到達できる上昇性能
  3. B-29を追い越せる速度(800km/h以上)
  4. 連合軍艦艇への襲撃も可能な多用途性

海軍の橘花が「応急」なら、陸軍の火龍は「本命」。日本軍最後の希望を託された機体だった。

第3章 設計の詳細――Me262を超えようとした野心

Me262との比較:一回り大きな「日本版」

火龍の基本設計は、Me262を強く意識している。三角形の胴体断面、双発ジェットエンジンの翼下懸架方式――これらはMe262そのものだ。

しかし、単なるコピーではなかった。

項目Me262 A-1aキ201 火龍
全長10.60m11.50m
全幅12.48m13.70m
全高3.84m4.05m
主翼面積21.7㎡25.0㎡
自重3,800kg6,969kg
全備重量6,400kg約7,000kg
エンジン推力900kg×2908kg×2
最高速度869km/h852km/h
航続距離1,050km980km
武装30mm×420mm×2+30mm×2

表から分かるように、火龍はMe262より一回り大きい。

理由は複数ある。まず、日本のジェットエンジン(ネ130)はドイツのユモ004より若干推力が劣る。それを補うために主翼面積を拡大し、翼面荷重を下げて離陸性能を確保しようとした。

また、火龍は「戦闘襲撃機」として爆弾搭載能力も求められた。爆弾倉と燃料タンクのスペースを確保するため、胴体を延長している。

火力:20mm×2+30mm×2の混載

火龍の武装は、ホ5 20mm機関砲×2門とホ155-II 30mm機関砲×2門の計4門。

Me262が30mm MK108を4門搭載していたのに対し、火龍は20mmと30mmの混載となった。これは日本の工業力の限界を反映している。30mm砲の生産が追いつかず、一部を20mmで代用したのだ。

それでも、この火力は当時の日本機としては最強クラス。

  • ホ155-II 30mm:対重爆撃機用の大口径砲。一発で致命傷を与えられる
  • ホ5 20mm:発射速度と命中精度に優れ、補助火力として有効

機首に集中配置されており、収束性も良好。B-29のエンジンや燃料タンクを短時間で破壊することを想定していた。

エンジン:ネ130とネ230の二本柱

火龍に搭載予定だったエンジンは、2種類が並行開発されていた。

  1. ネ130(石川島飛行機製作所)
    • 推力:908kg(静止)
    • 方式:軸流式ターボジェット
    • ドイツのユモ004を参考に開発
  2. ネ230(日立製作所)
    • 推力:885kg(静止)
    • 方式:軸流式ターボジェット
    • 中島飛行機三鷹研究所で設計

どちらもMe262のユモ004(推力900kg)に匹敵する出力を目指していた。ただし、高温に耐える合金の開発や工作精度の確保は、当時の日本の工業力では極めて困難だった。

興味深いことに、2015年6月、国際基督教大学(ICU)のキャンパス内で試作品とみられるジェットエンジン部品が発見された。調査の結果、これは火龍に搭載予定だったネ230の部品である可能性が高いと判明している。70年の時を経て、幻のエンジンが姿を現したのだ。

編集部コメント:この発見は、火龍が単なる「紙の上の計画」ではなく、実際に製造が進められていたことを物語っている。あと数ヶ月あれば――そう思わずにはいられない。

空力設計:後退翼の先進性

火龍の主翼には後退角が付けられていた。これはMe262と同様で、遷音速域での空気抵抗低減を狙ったものだ。

当時、後退翼の理論はドイツが最先端を走っていた。日本の技術者たちはMe262の図面からその利点を理解し、火龍に取り入れた。零戦や疾風といった従来のプロペラ機とは根本的に異なる、ジェット時代の空力設計だった。

第4章 橘花との比較――海軍vs陸軍、二つのジェット機

思想の違い:「応急」と「本命」

海軍の橘花と陸軍の火龍は、同じMe262を参考にしながら、まったく異なる思想で設計された。

項目橘花火龍
開発主体海軍(空技廠+中島)陸軍(中島飛行機)
目的特殊攻撃(対艦体当たり)防空戦闘+襲撃
エンジンネ20(475kg×2)ネ130/ネ230(約900kg×2)
最高速度約620km/h約852km/h
武装30mm×2(二次試作以降)20mm×2+30mm×2
サイズMe262より小型Me262より大型
進捗初飛行成功(1945.8.7)設計段階で終戦

橘花は、ネ20という小型エンジン(推力475kg)を搭載するため、機体をMe262より大幅にスケールダウンした。結果、速度はジェット機としては控えめで、武装も貧弱だった。

海軍がこの選択をしたのは「間に合わせる」ためだ。ネ20は小型ゆえに開発が比較的早く進み、橘花は1945年8月7日に初飛行を達成した。終戦わずか8日前のことだ。

一方、陸軍の火龍は「本格派」を目指した。ネ130/ネ230は大出力だが開発が難航し、試作機の完成は1945年12月を予定していた。終戦がなければ、あと4ヶ月で日本初の本格ジェット戦闘機が空を飛んでいたかもしれない。

運用思想の違い

橘花は「特攻機」として設計された。爆弾を抱えて敵艦に突入し、帰還は想定していない。機関砲を装備していなかったのも、空戦をする必要がないからだ。

火龍は違う。

火龍は「帰還する」ことを前提に設計されていた。B-29を撃墜し、敵艦を襲撃し、基地に戻って再出撃する。重武装と高性能を両立させたのは、継続的な戦闘を行うためだ。

編集部コメント:この違いは、海軍と陸軍の航空思想の違いを象徴している。海軍は「一撃必殺」を好み、陸軍は「継続戦闘」を重視した。皮肉なことに、ドイツで実際に成功を収めたMe262は、まさに火龍のような「本格戦闘機」だった。陸軍の判断は、技術的には正しかったのだ。

第5章 もし火龍が完成していたら?――”if”の考察

性能面での可能性

火龍の計画スペックを見ると、完成すれば当時の日本機としては最強クラスの性能を発揮できた可能性がある。

  • 最高速度852km/h:P-51ムスタング(最高703km/h)やP-47サンダーボルト(最高697km/h)を大きく上回る
  • 高高度性能(実用上昇限度12,000m):B-29の巡航高度帯に楽に到達
  • 重武装(20mm×2+30mm×2):一撃でB-29に致命傷

ドイツのMe262は、実戦で約735機の連合軍機を撃墜したとされる。火龍がMe262に匹敵する性能を発揮できたなら、B-29への脅威となり得ただろう。

現実的な制約

しかし、「if」には常に現実が付きまとう。

  1. エンジンの信頼性
    日本のジェットエンジンは、高温耐性や工作精度の面で課題を抱えていた。ネ20を搭載した橘花でさえ、エンジン寿命は数十時間程度と言われている。ネ130/ネ230が実用レベルに達するには、さらなる開発が必要だった。
  2. 燃料問題
    ジェットエンジンは灯油系燃料を使用するが、1945年の日本には燃料自体が枯渇しつつあった。仮に火龍が完成しても、飛ばす燃料がない可能性があった。
  3. パイロット問題
    ジェット機の操縦は、プロペラ機とは根本的に異なる。訓練されたパイロットの養成には時間がかかり、熟練パイロットが枯渇していた当時の日本で、どれだけの戦力化が可能だったかは疑問だ。
  4. 生産能力
    中島飛行機の工場は度重なる空襲で被害を受けていた。量産体制を整えることは、ほぼ不可能だったと考えられる。

編集部の結論

火龍が完成し、100機単位で配備されていたら――そのような状況は、1945年の日本の国力では実現不可能だった。

しかし、設計思想としての火龍は正しかった。B-29迎撃に必要な速度、火力、高高度性能をジェット推進で実現しようとした判断は、時代の流れを正確に捉えていた。

悔しいのは、技術者たちの努力が実を結ぶ前に終戦を迎えたことだ。あと1年――いや、あと半年早くジェット技術に着手していれば、歴史は変わっていたかもしれない。

「たられば」を語っても歴史は変わらない。でも、火龍を設計した技術者たちの執念は、戦後の日本航空産業の礎となった。中島飛行機は富士重工業(現SUBARU)として、ジェットエンジン技術は石川島播磨重工(現IHI)として、今も日本の空を支えている。

第6章 火龍の計画スペック詳細

主要諸元(計画値・ネ130装備タイプ)

項目数値
全長11.50m
全幅13.70m
全高4.05m
主翼面積25.0㎡
自重6,969kg
全備重量約7,000kg
エンジンネ130 軸流式ターボジェット×2
推力908kg×2(静止)
最高速度852km/h
航続距離980km
実用上昇限度12,000m
武装ホ5 20mm機関砲×2、ホ155-II 30mm機関砲×2
爆装爆弾またはタ弾搭載可能
乗員1名

数字の読み方

  1. 最高速度852km/hの意味
    当時の最速プロペラ戦闘機は疾風(624km/h)や五式戦(580km/h)。火龍はこれらを200km/h以上も上回る。この速度差は、プロペラ機では絶対に追いつけないことを意味する。
  2. 実用上昇限度12,000mの意味
    B-29の巡航高度は約9,000~10,000m。火龍はB-29より2,000m以上高く上がれる。これは、上空からの一撃離脱戦法が可能になることを意味する。
  3. 推力908kg×2の意味
    合計推力1,816kg。自重6,969kgに対する推力重量比は約0.26。Me262(推力重量比約0.28)とほぼ同等で、ジェット戦闘機として十分な加速性能を期待できた。

性能比較表(日本のジェット/ロケット機)

機体名推進方式最高速度武装進捗
橘花ジェット約620km/h30mm×2(二次試作以降)初飛行成功
火龍ジェット約852km/h20mm×2+30mm×2設計段階
秋水ロケット約900km/h30mm×2初飛行で墜落
震電プロペラ約750km/h30mm×4初飛行成功

火龍は、日本軍が計画したジェット/ロケット機の中で、実用性と性能のバランスが最も優れていた。秋水はロケット推進で航続時間が数分しかなく、震電はプロペラ機の限界を抱えていた。火龍だけが、Me262のような「本格的なジェット戦闘機」を目指していたのだ。

第7章 開発経緯と終戦――幻に終わった18機の試作機

開発のタイムライン

  • 1944年秋:ドイツからMe262の資料が届く
  • 1944年9月頃:「川崎ロケット機」(Me262国産化)を検討
  • 1944年末:キ201「火龍」として中島飛行機で開発することが決定
  • 1945年1月:陸軍航空本部より正式に試作発令
  • 1945年中頃:設計作業が進行、ネ130/ネ230の開発と並行
  • 1945年8月15日:終戦。設計図は完成していたが、実機は未完成

18機の試作機計画

火龍の第一次試作機は18機が製作予定だった。量産は第21製造廠で行う計画で、1945年12月に試作1号機が完成する予定だったという。

しかし現実には、中島飛行機太田製作所は度重なる空襲で被害を受け、資材の調達も困難を極めていた。終戦時、火龍は設計図と一部の治具が存在するのみで、機体の組み立てはほとんど進んでいなかったとされる。

2015年の発見――70年後に現れたエンジン部品

火龍の存在を裏付ける貴重な発見があった。

2015年6月、中島飛行機三鷹研究所の跡地にあたる国際基督教大学(ICU)のキャンパス内で、ステンレス製のジェットエンジン部品が発見された。調査の結果、これは火龍に搭載予定だったネ230の部品である可能性が高いと判明した。

終戦から70年、土中に眠っていたエンジン部品が、幻の戦闘機の存在を証明したのだ。

編集部コメント:この発見は、火龍が単なる「机上の計画」ではなかったことを示している。技術者たちは本当に、ジェットエンジンと機体を作ろうとしていた。あと数ヶ月の時間があれば――その思いが、70年の時を超えて蘇る。

第8章 ゲーム・創作作品での火龍

War Thunderでの「火龍」

ゲーム「War Thunder」では、火龍が日本のジェット機ツリーに登場する。計画のみで終わった機体だが、設計データに基づいて再現されており、プレイヤーは火龍を操縦してバーチャルの空を飛ぶことができる。

ゲーム内での火龍は、初期ジェット機として優秀な性能を発揮する。高速性能と重武装を活かした一撃離脱戦法が有効で、「もし火龍が実戦配備されていたら」を体験できる貴重な機会だ。

架空戦記・if小説での火龍

火龍は「もし日本がジェット機を量産していたら」というif小説や架空戦記でもしばしば登場する。B-29を撃墜し、本土決戦を有利に運ぶ切り札として描かれることが多い。

もちろんフィクションだが、火龍の持つ「可能性」と「悔しさ」が、こうした物語を生み出す原動力になっているのだろう。

第9章 プラモデルで火龍を作る――キット情報とおすすめ

入手可能なキット

火龍は実機が未完成のため、プラモデル化は長らく難しいとされてきた。しかし近年、設計図や資料に基づいたキットが登場している。

  1. RSモデル 1/72 中島 キ-201 火龍(品番92274)
    • チェコのRSモデルによる2022年発売の新金型キット
    • デカール3種付属
    • 価格:約5,000円前後
  2. RSモデル 1/72 中島 キ-201 火龍 第68戦隊 1946年春(品番92279)
    • 上記のバリエーションキット
    • 架空の実戦配備をイメージしたデカール付き
  3. ウシモデル 1/72 日本陸軍 中島 キ201 火龍
    • レジンキット
    • 精密な3Dプリントパーツ付属
    • 価格:約7,700円
RSモデル 1/72 日本陸軍 中島 キ-201 ジェット戦闘襲撃機 火龍 第68戦隊 1964年 春 プラモデル 92279

製作のポイント

  1. 三角断面の胴体 火龍の特徴的な三角形の胴体断面を丁寧に出すこと。合わせ目消しは入念に。
  2. 翼下のエンジンナセル Me262譲りの翼下懸架式エンジンは、火龍のシルエットを決定づける要素。パーツの合いと向きに注意。
  3. 塗装 計画機のため「公式の塗装」は存在しない。一般的には陸軍機らしい灰緑色の迷彩や、銀地肌が想定される。キットのデカール指示を参考に、自分なりの「if」を表現しよう。

編集部コメント:計画機のプラモデルは「自分だけの解釈」で仕上げられるのが魅力。「もし火龍が1946年に実戦配備されていたら」を想像しながら作る楽しみは格別だ。

第10章 よくある質問(Q&A)

Q1. 火龍と橘花、どちらが「優れて」いたの?

A1. 目的が違うので単純比較は難しい。橘花は「すぐ作れる特攻機」、火龍は「本格的な戦闘機」を目指していた。性能面では火龍が圧倒的に上だが、橘花は実際に飛んだという事実がある。

Q2. 火龍はMe262のコピー?

A2. 基本設計はMe262を参考にしているが、単なるコピーではない。日本の工業力に合わせた設計変更(機体の大型化、武装の変更など)が加えられている。「日本版Me262」と呼ぶのが適切だ。

Q3. 火龍が完成していたら、戦局は変わっていた?

A3. 個々の戦闘では脅威となり得たが、戦局を逆転させることは不可能だっただろう。燃料、パイロット、生産能力のすべてが枯渇していた1945年の日本では、たとえ火龍が完成しても大規模な運用はできなかった。

Q4. 火龍の実機は現存する?

A4. 残念ながら、実機は完成していないため現存しない。唯一の物的証拠は、2015年にICUで発見されたエンジン部品(ネ230の可能性が高い)のみ。

Q5. 「火龍」という名前の由来は?

A5. 公式な記録は見当たらない。ジェットエンジンの排気炎を「火を吐く龍」に見立てたのではないかと推測されている。

Q6. 陸軍と海軍が協力してジェット機を開発していたら?

A6. 秋水(ロケット機)では陸海軍の共同開発が実現したが、ジェット機では実現しなかった。もし協力していれば、橘花と火龍の良いところを組み合わせた機体が生まれた可能性はある。しかし当時の陸海軍の対立を考えると、実現は難しかっただろう。

第11章 まとめ――火龍が遺したもの

火龍(キ201)は、大日本帝国陸軍が設計した唯一の純粋なジェット戦闘機だった。

Me262を参考にしながらも、日本の技術力で実現可能な設計に落とし込み、B-29迎撃と艦艇襲撃の両方をこなす「戦闘襲撃機」として構想された。計画スペックは当時の日本機としては最強クラスで、完成すればP-51やP-47を圧倒する速度性能を発揮できた可能性がある。

しかし、火龍は一度も空を飛ぶことなく終戦を迎えた。

1945年12月に予定されていた試作1号機の完成は、あと4ヶ月という所で幻に終わった。設計図とエンジン部品だけが、火龍の存在を物語る証拠として残されている。

編集部として、火龍を調べて強く感じたのは「悔しさ」だ。

技術者たちはジェット時代の到来を理解し、Me262に匹敵する機体を作ろうとした。その判断は正しかった。しかし、時間がなかった。資源がなかった。何より、戦争そのものが終わってしまった。

「たられば」を語っても仕方がない。でも、火龍を設計した技術者たちの情熱は、戦後の日本航空産業に受け継がれている。中島飛行機は富士重工業(現SUBARU)となり、石川島飛行機製作所は石川島播磨重工(現IHI)となって、今も日本の空を支えている。

火龍は飛ばなかった。

でも、その設計図に込められた夢は、形を変えて生き続けている。


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