『火龍(キ201)』徹底解説:大日本帝国が夢見た“日本版Me262”は最強たり得たか
――終戦間際、B-29の編隊が夜空を埋める。その向こう側に、日本軍が切り札として構想した双発ジェットがいた。名は火龍(かりゅう)。もし完成していたら歴史は変わっていたのか?本記事は、史料に基づき“神話”を削りながら、編集部の“もしも”も交えつつ、史料ベースで一気に読み解きます。
第1章 火龍(キ201)とは?──3行で要点
- 陸軍のジェット戦闘襲撃機計画。コードはキ201、通称火龍。試作機は未完成のまま終戦、製造数は0。
- 発想の芯はB-29迎撃+対地・対艦の**“戦闘襲撃機”コンセプトで、ドイツのMe 262**に強く影響。
- 計画は1944年末に陸軍が中島飛行機へ指示、1945年12月に初号試作・1946年3月に18機の先行量産というが計画があったが、図面段階で終わってしまった。
火龍の基礎情報(“日本の戦闘機”史の中での位置づけ)
- 設計・担当:中島飛行機(設計主務:渋谷巌とされる)。用途は防空戦闘機と襲撃機の二刀流。日本海軍が進めた**橘花(きっか)**よりも一回り大きく、Me 262により近い配置(翼下双発)だったとされます。
- 想定武装:30mm機関砲×2+20mm機関砲×2、加えて500kg級〜800kg級爆弾1発の搭載構想。対爆撃機の一撃離脱+限定的な対艦・対地攻撃を狙う設計思想です。
- 想定性能(史料により数値が揺れることに注意):
- 全長約11.5m、翼幅約13.7m、乗員1。
- 最高速度は812〜852km/h程度の計画値が流布。
- 航続距離は約980km前後の想定が多い。
- エンジンはNe-130またはNe-230と記述する資料が混在(いずれも軸流式ターボジェットの計画)。
これらは**実測ではなく“計画値”**で、出典により差異があります。
編集部コメント:「最強」かどうかを語る前に、まず“未完成機”である事実と資料値にブレがあることを前提にするのがフェア。数字は**「想定」**として読みましょう。
似て非なる「兄弟」:海軍の橘花と混同しないために
実機が現存しない火龍は、ときに海軍の橘花と混同されがち。橘花は1945年8月7日に初飛行した日本初の純国産ジェットで、現在はスミソニアン(Udvar-Hazy)に実機が展示されています。一方で火龍は完成前に終戦のため、実機の展示はありません。ウィキペディア+1
編集部コメント:「展示はどこ?」という検索が多いのですが、火龍の“現物展示”は存在しないのが正解。関連として橘花を見に行くのはアリです!
第2章 開発の背景──「本土決戦」をにらんだ二系統のジェット計画
2-1 B-29が“日常”になった1945年、日本軍の切迫感
1945年春、東京・名古屋・大阪・神戸など大都市はB-29の焼夷弾攻撃に晒され、本土防空の“質”を一変させました。3月9〜10日の東京大空襲(ミーティングハウス作戦)だけでも、低高度・大編隊・焼夷集中という新戦術で壊滅的被害――日本の迎撃側にとっては、「一撃で確実に落とせる迎撃火力」と「高速での離脱性能」が急務になります。これがジェット戦闘機(=日本の戦闘機の次の一手)に期待が集まった第一の理由でした。nationalww2museum.org
編集部コメント:ここで欲しかったのは“伝説の最強機”ではなく、「本当に出撃できる迎撃機」。太平洋戦争末期の空は、それほど現実的でした。
2-2 陸海“別建て”で動いた:陸軍=火龍、海軍=橘花
日本軍のジェット開発は大日本帝国陸軍と海軍で別ライン。陸軍は中島飛行機に「キ201 火龍」を指示、海軍は「J9Y 橘花(きっか)」を進めました。橘花は日本初のターボジェット実機として1945年8月7日に初飛行、任務は**対艦・対地攻撃(攻撃機)**寄り。対して火龍は、**B-29迎撃を主眼にしつつ襲撃任務も兼ねる“戦闘襲撃機”**として構想されます。airandspace.si.edu+1
編集部コメント:二重投資になりがちな陸海“別建て”は、末期の日本の資材・人員の分散という負の側面も。最強を目指すより、現実的な稼働率が欲しかったのが実情でしょう。
2-3 ドイツからの刺激:Me 262とBMW 003 → Ne-20
日本のジェット開発は、同盟国ドイツのMe 262に強く触発されました。海軍系ではBMW 003の知見に影響を受けてNe-20が成立し、これが橘花の初飛行を支えます。文書・人材交流(いわゆる**「遣独潜水艦(ヤナギ作戦)」等)を含む技術連携はあったものの、戦局悪化で伝達は断片的。結果として“ドイツ流の型”を学びつつも、日本は日本で苦心して再構築**していきました。airandspace.si.edu+2airandspace.si.edu+2
編集部コメント:「コピー」か「独自」か、の二分法は雑。実態は“影響+現地最適化”。この文脈で火龍とは何かを見ると、評価が落ち着きます。
2-4 最大の壁は材料と工業力:エンジン寿命・生産インフラ
日本側の悩みは高温に耐える耐熱合金の確保と加工技術。Ne-20級でさえタービン寿命が短時間にとどまりがちで、整備サイクルが短い=稼働率が上がらないという根源的課題を抱えていました。資材・燃料・工場の被害も重なり、**“作れても、安定運用できるか”**が常に付きまといます。airandspace.si.edu
2-5 **火龍(キ201)**の「青写真」:紙上では理想的、現実は厳しい
陸軍が中島へ発注したのは1944年末。設計は1945年前半に進められ、“1945年12月に試作1号機完成、1946年3月に18機の先行量産”という工程表まで描かれました。ところが実機の製作着手前に終戦。火龍は**未完成(製造0)**のまま歴史に残ります。ウィキペディア
編集部コメント:スケジュール感は野心的すぎたと言わざるを得ません。B-29迎撃に間に合わせるには、エンジン・合金・工場の“三重苦”を同時に解く必要がありました。
2-6 要約:火龍が生まれた“必然”と、実戦投入が遠かった“必然”
- 背景:太平洋戦争末期のB-29迎撃ニーズ急伸。nationalww2museum.org
- 組織:陸海二系統でジェット戦闘機/攻撃機を同時開発。橘花は飛んだが、火龍は図面止まり。airandspace.si.edu+1
- 技術:Me 262やBMW 003の影響は大、ただし断片情報を日本流に再構成。airandspace.si.edu+1
- 制約:耐熱合金不足・生産インフラ被害で稼働率の目処が立ちにくい。airandspace.si.edu
編集部コメント:「最強」という言葉は魅力的。でも歴史は工学と供給網で動きます。火龍の価値は、“日本軍が何を解決しようとしたか”を映す設計思想そのものにありました。
第3章 設計と想定性能──“日本版Me 262”はどこまで近づいたか
3-1 レイアウトの骨格:Me 262直系の双発・翼下懸吊
火龍(キ201)は、低翼・単座、翼下パイロンにジェットエンジンを吊る双発という、ドイツのMe 262とほぼ同じレイアウト。設計主務は渋谷巌で、陸軍が1944年末に中島へ発注、図面は1945年6月ごろに基本設計完了とされます。英語版資料では「Me 262より8%以上大きい」という注記もあり、単なる縮小コピーではない“日本サイズ”の最適化が見て取れます。ウィキペディア
編集部コメント:「最強のジェット戦闘機を急造」というより、B-29迎撃に必要な“高速で刺して離脱”を、日本の工業条件でどう実現するか――その答えがこの外形に宿っています。
3-2 エンジン:Ne-130 / Ne-230という“0.9tf級”候補
史料ではNe-130搭載案がもっとも一般的で、推力約908kgf ×2(約8.9kN×2)の**“0.9tf級ツイン”が前提。別資料ではNe-230**(同じく約0.9tf級)も候補に挙がります。いずれも軸流式ターボジェットで、当時の日本が抱えた耐熱合金不足やタービン寿命の制約は、このクラスのエンジンでも大きな壁でした。ウィキペディア+1
用語ミニ解説:軸流式…空気をエンジン軸に沿って段階的に圧縮し燃焼させる方式。構造は洗練される一方、高温材料や精密加工が要。
3-3 計画値で読む主要諸元(想定)
- 機種用途:特殊防空戦闘機/戦闘襲撃機(=迎撃と対地・対艦の両立を志向)
- 乗員:1 全長:11.50 m 翼幅:13.70 m 翼面積:25.00 m²
- 全備重量:7,000 kg
- 最高速度:~852 km/h 実用上昇限度:~12,000 m 航続距離:~980 km
- 武装(想定):30mm(ホ155-II)×2+20mm(ホ5)×2、500~800kg爆弾×1
※いずれも**実測ではなく“計画値”**で、資料により若干のブレがあります。ウィキペディア
編集部コメント:数字は魅力的ですが、ここは冷静に。“図面上の到達目標”であり、試験実績ゼロであることを忘れないのがフェアです。
3-4 Me 262と「似て非なる」比較
Me 262Aの実績値は最高速度約900km/h/航続約1,050km/上昇率約20m/s。火龍の計画値はこれに概ね近いレンジを狙っていましたが、下記のような差が見えます。ウィキペディア+1
- 翼面積・重量から計算される翼面荷重は、火龍(約280kg/m²)のほうがやや軽い(=低速域の操縦性や離着陸で有利になりうる)。
- 一方、推力約0.9tf級×2を前提とする推力重量比は約0.26(全備7,000kgで概算)。Me 262の公称0.28と比べるとわずかに弱い。ウィキペディア+1
用語ミニ解説:
翼面荷重=機体重量÷翼面積。小さいほど低速時の粘りが期待できる。
推力重量比=総推力÷機体重量。大きいほど加速や上昇に有利。
編集部コメント:計算上は“紙一重の勝負”。ただしエンジンの寿命・整備性まで含めた運用の現実で、Me 262に並べたかは大いに疑問――これが編集部の見立てです。
3-5 兵装思想:迎撃一撃+限定的な襲撃
30mm×2+20mm×2は、B-29の硬い的に対する一撃離脱を意識した火力パッケージ。さらに500~800kg爆弾を“オプション”として抱えることで、防空戦闘機と襲撃機を両立させる狙いでした。現場目線では、兵装バリエーションが多いほど整備は煩雑になりがちで、末期の補給事情では運用負荷も無視できません。ウィキペディア
3-6 “性能”をどう評価するか(結論めいた途中まとめ)
- 外形・任務はMe 262直系だが、日本の工業条件に合わせ少し大柄で翼面荷重はやや軽め。ウィキペディア+1
- 紙上の速度・上昇・航続はMe 262の土俵に乗る数字。ただし推力重量比は僅差で劣位、かつエンジンの信頼性が最大の懸念。ウィキペディア
- 兵装は対重爆撃機特化+限定的な対地。日本軍の“最強”像というより、太平洋戦争末期の防空ニーズに忠実なチューニング。ウィキペディア
編集部コメント:大日本帝国の“切り札”としての活躍は、残念ながら想像の域。だからこそ、日本の戦闘機史では**「なぜ完成できなかったか」**を語る材料として価値がある、と私たちは考えます。
第4章 ミッション設計──防空戦闘機+襲撃機という“二刀流”の難しさ
4-1 要件定義:まずB-29迎撃、ついで対地・対艦の襲撃
火龍(キ201)は、防空戦闘機としてのB-29迎撃を主眼に、状況次第で襲撃(対地・対艦攻撃)も担う「戦闘襲撃機」構想でした。海軍の橘花が爆装寄りの攻撃機として設計が進んだのに対し、火龍は30mm×2+20mm×2の重火力で重爆に“刺して離脱”することを優先する設計思想でした。ウィキペディア
編集部コメント:**“最強”の称号を狙うより、“一撃で確実に落とす”**ことが至上命題。機関砲4門という火力配分はその価値観の表れです。
4-2 作戦環境:本土空襲の常態化と早期警戒
1945年の東京大空襲(3月9–10日:ミーティングハウス作戦)以降、焼夷弾による大編隊低高度侵入が常態化。迎撃側には短時間で上空を押さえ、一撃離脱に必要な速度を確保することが求められました。日本側も早期警戒用レーダーを整備していたものの、設置数や探知能力に限界があり、完全なGCI(地上管制迎撃)システムを回し切る環境にはありませんでした。ウィキペディア+1
編集部コメント:“時間との勝負”。上がるのが遅ければB-29はすでに投弾済み――この現実がジェット戦闘機への期待を押し上げます。
4-3 離陸・着陸の制約:ジェットは長い滑走路と整備インフラを要す
同時代機のMe 262運用記録からも、ジェットは長く平滑な滑走路と厳しい整備を必要とすることが分かります。滑走路が未舗装・損傷状態だと運用が著しく制限され、離発着時は弱い低速性能を突かれて攻撃されやすいという致命的な弱点もありました。末期の日本本土では、爆撃で滑走路がしばしば損傷し、ジェット運用のハードルは高かったと言えます。Royal Air Force+1
編集部コメント:紙の上の“性能”と基地運用の現実は別問題。**“飛ばし続けられるか”**が二刀流ミッションの前提条件でした。
4-4 燃料・エンジンのボトルネック:稼働率が最大の敵
日本初の量産ターボジェットNe-20ですら少数生産で、橘花の初飛行(1945年8月7日)に使われた段階。耐熱合金や燃料の逼迫は深刻で、稼働率の確保が最大の課題でした。火龍が想定したNe-130/Ne-230級のエンジンであっても、量産・寿命・整備の見通しは不透明だったと考えるのが妥当です。ウィキペディア+1
編集部コメント:“最強”かどうかを決めるのは、実はエンジンの持ちと燃料の線表。ここが崩れると、どんな“性能”も机上の空論になります。
4-5 二刀流ゆえのトレードオフ:兵装・航続・基地の“最適点”
- 兵装:30mm+20mmの迎撃用火力は重く、爆装(500–800kg級)まで抱えると航続・上昇が圧迫されます。迎撃仕様と襲撃仕様で重量配分とサイト調整を切り替える運用が必要。ウィキペディア
- 航続・滞空:一撃離脱に徹するなら航続は最小限でも成立。ただし**CAP(待機警戒)**を増やすなら燃料消費が跳ね上がる。
- 基地配置:都市近傍の長大滑走路は爆撃の格好の標的。滑走路修復と分散配置(誘導路・オートバーン的転用)の回復力が鍵。Me 262の経験則は、日本側にも当てはまる課題を示唆します。zenoswarbirdvideos.com
4-6 もし火龍部隊が編成されていたら(仮想シナリオ)
- 早期警戒→スクランブル:レーダー警報と音響哨・監視網で早期発見→短距離・高加速の上昇でB-29の進入高度へ。ウィキペディア
- 高空での一撃離脱:30mm主体で射撃時間を短く集中、速度優位を保ったまま離脱。
- 地上襲撃への切替(必要時):爆撃後の退避航路や沿岸輸送線に対する限定的な襲撃。ただし爆装時は離陸距離・上昇性能にペナルティ。
- 脆弱な地上サイクル:着陸~整備~再出撃は滑走路の健全度と予備エンジンに依存。基地が一度叩かれると部隊稼働が急低下。Me 262同様の“滑走路脆弱性”がボトルネックに。Royal Air Force
編集部コメント:活躍の絵は描けます。ただし二刀流を本当に回すには、滑走路・燃料・レーダー・整備員という“地上の最強”が必要――ここが戦局末期の日本にとって、もっとも遠い条件でした。
4-7 中間まとめ:火龍ミッションの解像度
- 火龍の任務要件は一貫してB-29迎撃が主、襲撃は従。ウィキペディア
- 本土空襲の常態化の下、短時間での上昇・一撃離脱が戦術の核。ウィキペディア
- 滑走路要件と**稼働率(燃料・エンジン寿命)**が“最強”実現の壁。Me 262の教訓とも符合。
第5章 「最強」神話を検証──量産計画の青写真と技術的ハードル
5-1 工程表(青写真):1945年12月 試作1号機/1946年3月 先行量産18機
陸軍は1944年末に中島飛行機へキ201 火龍を指示。設計は1945年6月に基本図完成、工程表では**「1945年12月に試作1号機」「1946年3月に18機の先行量産」が掲げられていました。実機製作は着手前のまま終戦**。さらに、試作は三鷹工場、生産は黒沢尻研究所とする案も記録されています。ウィキペディア+1
編集部コメント:紙の上のスケジュールとしては筋が通っていますが、第二次世界大戦末期の日本の工業・補給実態を踏まえると、かなり野心的です。
5-2 最大の“詰まり”はエンジン:Ne-130/Ne-230の成熟度
火龍の動力候補はNe-130(約900kgf)とNe-230(約885kgf)。同世代のNe-20ですら小数生産・短寿命で、1945年8月7日の「橘花」初飛行に辛うじて間に合わせた段階でした。Ne-130/Ne-230は“試作段階”の域を出ておらず、量産・寿命・整備性の見通しは不透明——これが工程表のクリティカルパスでした。ウィキペディア+2aeroenginesaz.com+2
編集部コメント:「最強のジェット戦闘機」かどうか以前に、“回せるエンジンがあるか”が勝負どころ。ここで日本軍(大日本帝国)はドイツ同様、耐熱合金と寿命の壁に直面します。
5-3 材料・部材の制約:高温材料と航空生産基盤の損耗
ジェット化の本丸は高温に耐える材料と加工。ドイツのJumo 004でさえ、耐熱材不足→短寿命(10–25時間級)というトレードオフが発生しました。日本側はさらにアルミ・特殊鋼の逼迫と供給の寸断に悩まされ、航空機産業は品質・保全性の低下に苦しみます。ウィキペディア+1
編集部コメント:**性能(スペック)**は図面で伸ばせても、**寿命(整備回転)**は供給網の“地力”次第。日本の戦闘機を“最強”にする要件は、エンジンと材料の地味な進歩でした。
5-4 工場への空襲:**中島・武蔵(ムサシノ)**ほか基幹拠点が連続被害
本土空襲の中心であったB-29は、1944年末から中島飛行機 武蔵野工場(東京郊外)を繰り返し攻撃。1945年2〜4月にも度重なる打撃を受け、生産・修復のキャパシティは恒常的に圧迫されました。火龍の三鷹/黒沢尻のライン構想があったとしても、周辺サプライヤーの被害は避けられません。ウィキペディア+1
編集部コメント:工程表に**“滑走路の修復時間”や“空襲下の工場稼働率”は書かれません。末期の太平洋戦争で、これは見えにくいが致命的な遅延要因**でした。
5-5 運用前提の厳しさ:滑走路要件と離着陸脆弱性
同時代のMe 262運用からも、ジェットは長く平滑な滑走路と入念な整備が不可欠。離着陸時の脆弱性は周知で、連合軍はジェット基地を執拗に狙撃しました。日本側で同等の運用基盤を確保するのは、空襲下では至難です。ウィキペディア
5-6 編集部の評価:青写真は妥当、同時並行で必要な前提条件が多すぎた
- 工程表:1945年12月・1946年3月という目標設定自体は、B-29迎撃ニーズへの即応として理解できる。ウィキペディア
- 技術成熟度:Ne-20がやっと**“飛んだ”時期に、Ne-130/Ne-230級の耐久・量産**まで同時到達は困難。ウィキペディア+1
- 産業・供給:材料逼迫と工場空襲で品質安定と生産回復力が不足。Ibiblio+1
- 基地運用:滑走路・整備・警戒管制の“地上条件”がほぼ未整備。日本軍にとって稼働率の確保が最大の敵。ウィキペディア
結論(編集部):火龍とは、“日本版Me 262”を日本の条件で再現しようとした合理的な設計。ただし活躍の前に越えるべき「産業・運用の壁」が高すぎました。
第6章 ライバル&兄弟機の文脈で読む──橘花・震電・Me 262と火龍
6-1 海軍の“実機”橘花(きっか):飛べた日本製ジェットの現実解
- 初飛行:1945年8月7日、木更津海軍航空隊でNe-20ターボジェット×2を装備した原型機が20分の初飛行に成功(2回目はRATO試験で失敗)。ウィキペディア
- 現在の展示:実機はスミソニアン・Udvar-Hazyで収蔵・展示実績あり(移設記録と特集記事が公開)。航空宇宙博物館+1
編集部コメント:橘花は“爆装寄りの攻撃機”として、日本軍の工業力と時間の制約のなかで飛ばすための最短距離を選んだ設計。火龍の“理想スペック”と対照的に、実機の整備・滑走路・燃料という運用現実が透けて見えます。
6-2 陸軍の“理想形”火龍(キ201):Me 262直系の戦闘襲撃機を紙上で追う
- ステータス:大日本帝国陸軍が1944年末に中島へ指示、1945年夏までに基本設計を完了。試作着手前に終戦で製造0。ウィキペディア
- 設計思想:Me 262に8%超“増量”した双発ジェットの防空戦闘+襲撃(戦闘襲撃機)を目指す。一次史料ベースの図面や三面図も残る。ウィキペディア
編集部コメント:**「最強」**という言葉は魅力ですが、火龍とはあくまで“届かなかった理想”。この割り切りが理解の近道です。
6-3 もう一つの兄弟分、震電(J7W1):迎撃特化の“推進式レシプロ”
- 初飛行:1945年8月3日、鶴野正敬の操縦で板付飛行場から初飛行。以後、8月6日・9日に短時間飛行し、実戦投入前に終戦。航空宇宙博物館+1
- 特徴:カナード+推進式という独創レイアウトで、B-29迎撃の上昇・火力重視。現存機は米国で収蔵。航空宇宙博物館
編集部コメント:震電は“最強”というより**「最後の一押しで間に合わなかった現実解」**。日本の戦闘機の多様な試行錯誤が見えます。
6-4 Me 262という“参照軸”:世界初の実用ジェット戦闘機
- 実績:世界初の実戦部隊配備ジェット戦闘機。Jumo 004×2、30mm MK108×4を主武装に、遅れても連合軍爆撃機を脅威にしたのは事実。航空宇宙博物館+1
- 代表性能(A-1a):最高速度約540 mph(約869km/h)、航続約650 miles(約1,046km)。ただしエンジン寿命の短さや離着陸時の脆弱は有名。nationalmuseum.af.mil
編集部コメント:太平洋戦争末期の日本計画機を測る“物差し”はやはりMe 262。火龍はここに“日本の工業条件で届く線”を引こうとした計画でした。
6-5 4機を比較して見えること(要点抜き出し)
- 任務像
- 設計・推進
- 橘花/火龍/Me 262=ジェット戦闘機(双発)。
- 震電=レシプロ推進式(カナード)。レイアウトは異端だが迎撃ニーズは共通。航空宇宙博物館
- “最強”を阻む現実
- 日本側ジェットは耐熱合金・エンジン寿命・滑走路で苦戦。橘花は“飛行”で一歩先行、火龍は“紙上で最適化”。
- Me 262は配備できたが寿命短・離着陸弱点という“運用の壁”を証明。nationalmuseum.af.mil
編集部コメント:検索で目にする「日本軍 最強」というフレーズは、4機を並べてみると運用インフラの有無に置き換わります。性能だけでなく稼働率と整備性こそが勝負所でした。
6-6 ミニFAQ
- 橘花はどこで見られる? → Udvar-Hazy(スミソニアン)に収蔵・展示実績。
- 震電は飛んだの? → はい。1945年8月3日に初飛行、計3回の短時間飛行。航空宇宙博物館
- Me 262の武装は? → 30mm MK108×4が基本。爆装型もあり。
- 火龍は実戦投入された? → いいえ。試作前に終戦、展示も“実機”は存在しません(図面・模型のみ)。
第7章 編集部の“もしも”──仮想運用シナリオを考える(※この章は史実ではなく推測を含みます)
注意書き:ここからは史料の計画値と当時の運用実態を材料に、編集部が合理的に組んだ仮説です。実在の部隊運用を示すものではありません。
7-1 想定部隊編成と基地条件
- 部隊規模:中隊(機数12~16)×2で飛行戦隊(24~32機)規模を想定。ただしエンジン寿命と稼働率の問題から同時可動は半数以下になりやすい。
- 基地:長大かつ舗装の滑走路(2,000m級)、分散掩体壕、予備エンジンとタービンブレード在庫、高オクタン燃料と灯油系ジェット燃料の二系統補給。
- 管制:不完全でも地上レーダー+電話/無線管制(簡易GCI)。夜間はサーチライトと夜間戦闘機網の援助が前提。
編集部コメント:最強の戦闘機を回すには、最強の地上が必要。ここが“活躍”の実現可否を左右します。
7-2 昼間のB-29迎撃シナリオ(晴天・護衛戦闘機あり)
状況:本土上空にB-29 100機規模、護衛にP-51多数。
手順(仮想タイムライン)
- T-30分:探知—レーダーで接近方向と高度を把握、火龍小隊(2機×2)をスクランブル。
- T-20分:上昇—計画上昇率を頼みに迎撃高度へ一気に上がる。上がり切れない場合は前方合流→ヘッドオンを選択。
- T-10分:攻撃①(ヘッドオン)—30mm×2中心で短時間射撃、一撃離脱を徹底。
- T-08分:護衛回避—P-51が食いつく前にスラストで下降→再上昇の縦運動に逃げ、背後を取られないよう直線加速を避ける。
- T-05分:攻撃②(後方上面 4–8時方向)—2回目のアプローチ。弾薬温存が鍵。
- RTB—弾薬・燃料次第で帰投。地上では整備サイクル短縮のため、**予備エンジン“丸ごと交換”**方式を多用。
勝ち筋
- ヘッドオン+上面一撃を徹底し、P-51との旋回戦を封印。
- 小隊単位で時間差突入し、護衛の注意を分散。
負け筋
- 上昇が間に合わず、低高度でP-51に捕捉される。
- 滑走路攻撃や帰投時の着陸狙いで損失。
編集部コメント:紙上スペックが拮抗でも、交戦の選び方を誤ると一瞬で不利。**“当たって離れる”**冷徹さが生存率を決めます。
7-3 夜間のB-29迎撃シナリオ(低高度・焼夷弾投下)
状況:夜間、B-29が低~中高度で進入。
運用の肝
- 地上レーダー誘導で後方上面に回り込み、サーチライト照射の瞬間を狙って短射。
- 夜間装備(照準器の減光、排気炎対策)が未成熟のため、照準距離を短くして30mmの面制圧に寄せる。
- 帰投後整備は暗所対策で時間が伸び、回転率低下は不可避。
編集部コメント:ジェットの速度優位は夜間の**“接敵までの時間短縮”**に効きますが、視認・照準の問題は解けません。一撃を当てられるかがすべて。
7-4 対地・対艦の“襲撃”シナリオ(限定任務)
状況:沿岸輸送船団や前進飛行場への限定的ストライク。
- 爆装は500kg級×1を上限にし、低高度・高速度侵入→ピケで投下。
- 離脱は海上低空で機銃座の火線から離れる。
- デメリット:爆装で離陸距離が延び上昇が鈍るため、敵戦闘機出現時の逃げ切り性能が落ちる。
編集部コメント:火龍の“二刀流”は迎撃>襲撃の優先順位が鍵。対地に色気を出すほど対空稼働率が削られます。
7-5 訓練と人的要素(ここが一番の現実問題)
- 操縦者選抜:レシプロ→ジェット転換には高速域の機体管理と計器飛行の素養が必須。
- 段階訓練:双発練習機→推力変化への慣熟→高高度射撃の弾道修正。
- 整備員:タービン温度管理・シャットダウン手順の習熟が事故率を左右。
- 回転率:「操縦者・整備員・エンジン」の3要素が同時に揃う時間が短い=慢性的な出撃枠不足に陥る公算。
編集部コメント:最強はチーム戦。戦闘機単体の性能より、人と手順の熟成が勝敗を分けます。
7-6 数値の“皮算用”(あくまで概算の感覚値)
- 1 sortie あたりの期待撃破:B-29に1~2回の射撃機会が取れた場合、命中すれば大破級。ただし護衛付きでは接敵機会が半減。
- 1中隊の1波稼働:可動率50%なら6~8機出撃、B-29の被害は0~数機に分布。護衛の迎撃により消耗。
- 持続戦闘:滑走路損傷・燃料不足・エンジン交換が積み重なると2~3波で枯渇。
編集部コメント:数字は夢を見せますが、持続の壁がすぐに来る。太平洋戦争末期の日本の条件では、点の勝利はあっても線での抑止は難しい、というのが編集部の結論です。
7-7 もし“歴史が少しだけ違っていたら”
- 条件A:滑走路の複線化と分散が早期に整い、簡易GCIが密になっていたら――迎撃効率は上がる。
- 条件B:エンジン寿命が倍になっていたら――回転率が改善し、B-29側の損耗増→戦術変更を迫れたかもしれない。
- 条件C:護衛の薄い夜間重視に振れていたら――P-51の妨害が減り、火龍の速度優位を活かせた可能性。
編集部コメント:いずれも**“地上条件”の補強が前提。火龍とは、機体単体ではなく環境に強く依存**する“システム兵器”の発想で見るべき存在でした。
第8章 「展示」はどこで見られる?──実機は現存せず、“関連展示”で辿るのが正解
8-1 結論:火龍(キ201)の実機展示は存在しません
火龍は試作着手前に終戦、製造数0。したがって実機の展示は世界のどこにもありません。ここはまず明確に。ウィキペディア
編集部コメント:検索で「火龍 展示 どこ」と出ますが、正解は**“関連展示を見に行く”**です。以下のスポットが“日本の戦闘機ジェット計画”を立体的に感じられる近道。
8-2 海外で観られる“核心”の関連展示(ワシントンDC郊外)
- 中島 J9Y 橘花(Kikka)実機
場所:スティーブン・F・ウドバー=ハジー・センター(スミソニアン別館、ヴァージニア州)
日本初の純国産ターボジェット機。展示ページにも**“第二次世界大戦の航空”エリアに展示中**と明記。現物の写真・解説が充実しています。航空宇宙博物館 - Ne-20 ターボジェットエンジン
橘花用のNe-20(BMW003の影響を受けた国産ジェット)が同センターのコレクションに収蔵。日本のジェット戦闘機開発のボトルネック=耐熱合金の壁が、実物を前に理解できます。航空宇宙博物館 - 九州 J7W1 震電(機首〜前胴部)
迎撃特化の兄弟的存在。同センターに前胴部が展示・収蔵されています。日本軍末期の“別解”を、素材感ごと観察可能。航空宇宙博物館+1 - 訪問情報
センターのビジター案内は公式で最新を確認(アクセス・営業時間)。航空宇宙博物館
編集部コメント:火龍とは“日本版Me 262”の理想形。対して橘花は“飛べた現実解”。同じ床に並んだ日本機群を眺めると、紙の上の差分が**一気に“立体”**になります。
8-3 国内で“文脈”を補強するなら:岐阜・各務原
- 岐阜かかみがはら航空宇宙博物館(通称そらはく)
日本を代表する航空宇宙系ミュージアム。常設に三式戦「飛燕」など日本の戦闘機展示があり、戦中~戦後の産業・材料の変遷が大づかみできます(※火龍の実機はなし)。企画展や模型展示が組まれることもあるため、公式サイトや催事情報を確認してから訪問を。VISIT GIFU+2ウィキペディア+2
編集部コメント:国内でジェット戦闘機の“肌感”を掴むなら、戦後試験機・練習機の系譜も含めて工業史として見るのがコツ。最強より継続生産の視点が効きます。
8-4 “展示がない機体”をどう追う?——調べ方のコツ
- 館のコレクション検索で、関連キーワードを英日併記:
「Ki-201 / Karyu / 火龍」「Kikka / 橘花」「Ne-20」「J7W1 / Shinden / 震電」。各館サイトの検索バーやデジタルアーカイブを活用。航空宇宙博物館+2航空宇宙博物館+2 - 公式の解説コラム(例:スミソニアンの日本ジェット特集)は背景の把握に有用。航空宇宙博物館
- 収蔵と展示は別:パーツ(外翼など)がストレージ保管の場合もあるので、“On display”表記を必ず確認。航空宇宙博物館
8-5 見学の実務メモ
- 展示更新は動きます:機体移設や整備で配置が変わることも。訪問前に公式の開館・展示情報をチェック。航空宇宙博物館
- 撮影可否:館内は基本OKでも、フラッシュ等の制限あり。各館の案内に従いましょう。
- 模型(プラモデル)写真の参考撮りは、ディテール(脚、主翼付け根、表面仕上げ)を重点に。実機の退色や補修跡は“リアルな汚し”の教材です。
第9章 プラモデルで楽しむ火龍──キット選び・塗装案・作例のコツ
編集部コメント:実機が存在しない=自由度が高いのが“計画機”の醍醐味。とはいえ、Wikipedia的な羅列では終わらせません。選ぶべきキット、塗装の説得力、そして“IF(もしも)”表現のバランスを、編集部目線で具体化します。
9-1 まずは結論:今入手しやすいのはRS Models 1/72(インジェクション)
- RS Models 1/72 Ki-201 “Karyu” 新金型(品番92274)
近年リリースのインジェクション版。クリアパーツとデカール付属で、短期間でも入手報告が多いのが魅力。hlj.com - RS Models 1/72 Ki-201 “Karyu”(品番92279)
92274のバリエーションで、**“フィクション(仮想)マーキング3種”**の新デカール構成。日本軍(日本の戦闘機)IFや捕獲機IFで遊べます。1/72 Depot - (参考)RS Models 旧レジン版
初期はレジン+バキュームキャノピーの短ランキットとして流通。工作難度は上がるものの、作例は豊富です。j-aircraft.com+2Frank Henriquez+2 - Ushi Models 1/72(レジン)
ニッチながら2022年新規ツールのレジンキットが登場。凝った表面表現に挑みたい方向け。scalemates.com - スケール違い
Anigrand 1/144ほかの小スケールも存在。机の隅で“日本軍 最強ジェットIF小隊”を並べたい人に。scalemates.com
編集部コメント:初めての火龍ならRSのインジェクション一択。短ラン特有のクセはあるものの、部品点数が適度で“楽しさ>苦行”のバランスが良好です。
9-2 キット選びの基準(迷ったらここを見る)
- 工作難度:
- 入門~中級:RS 92274/92279(インジェクション)。部品精度が安定。hlj.com+1
- 上級:レジン系(旧RS、Ushi Models)。整形・瞬着・真鍮ピン必須。j-aircraft.com+1
- デカールの“解釈幅”:
- 92279のように仮想マーキングを明記している箱は、太平洋戦争末期IFの“説明責任”を果たしやすい。1/72 Depot
- 入手性:
- 国内外ショップやマーケットプレイスに流通在庫が点在(HLJや海外通販、マーケット)。hlj.com+2Model Expo Online+2
9-3 制作の勘所(短ラン慣れしていない人向け)
- 機首オモリは多め
火龍は前脚式(トライサイクル)想定。尻もち防止に機首へ十分なウェイトを。 - 脚柱は“真鍮ピン化”
レジン版は特に脚の強度が課題。1mm真鍮線でダボ補強を。j-aircraft.com - 吸気口~ナセルの段差消し
インジェクションでもナセルの合わせ目は出やすい。パテ→#600~1000番で面出し。 - キャノピー処理
旧レジンはバキューム、インジェクションはクリアパーツ。マスキングは曲面に沿って細切り+液体マスクの併用がおすすめ。j-aircraft.com+1 - パネルラインは“控えめ”に
“ジェット=リベット地獄”にしがちですが、過剰ウェザリングはスケール感を損なう。翼根の汚れと主脚収納部に圧を集中。
編集部コメント:最強の仕上がりは、実は“やりすぎない”ところに宿ります。性能の誇張より素材感を大事に。
9-4 塗装&マーキング:説得力を出す“IF”の作り方
- 基本トーン(IJAAF想定)
上面:濃緑色(陸軍機#7相当)/下面:灰色~アルミ無塗装。主翼前縁の黄帯は末期日本軍らしさを演出。 - “配備部隊IF”の理屈
B-29迎撃=本土防空が任務軸。たとえば飛行第244戦隊系のセンタイマークを控えめに置くと“やり過ぎ”を避けられる。 - キット付属の仮想デカールを賢く使う
RS 92279には日本軍IF+捕獲機IF(RAF/USAF想定)が収録と明記。「仮想」表記を裏面に残すなど、展示時の説明もセットで。1/72 Depot+1 - ウェザリングの考え方
短期配備×低稼働率が前提なら、退色は軽め/焼けは排気周りに限定。パネルごとのクリア差し替えで新造感を出すと“計画機”らしさが立ちます。
編集部コメント:“史実マーキング風のIF”がいちばん映えます。太平洋戦争末期の日本軍の質感を借りつつ、火龍とは…という説明書きでWikipediaとの差別化が効く。
9-5 作例とレビューで学ぶ(無料の“上達チート”)
- 作例ブログ(RS 1/72):組み立て手順やディテールの寄り写真が充実。レジン版の工作ポイントも参考に。Frank Henriquez+1
- 掲示板(Britmodeller):新箱情報/レジン新規ツールなど“現場の声”が速い。買う前の判断材料に。britmodeller.com+1
- データベース(Scalemates):キット系譜・ランナー写真・市場在庫の俯瞰が便利(アクセス不安定な時は後日再確認)。scalemates.com
9-6 買い方の実務(国内外ショップ&マーケット)
- 国内通販(例:HLJ):92274の新金型扱いで商品解説あり。hlj.com
- 海外通販(例:ModelExpo / 1001hobbies):アイテム説明や在庫の動きが早い。92279の取り扱いも確認。Model Expo Online+1
- マーケットプレイス:新品/旧版レジン/デカール違いが出回る。説明文の**“プラ(インジェクション)かレジンか”**を必ずチェック。eBay+1
9-7 超ショートFAQ(模型編)
- Q. どのキットが“最強”ですか?
A. 初挑戦ならRS 92274/92279。工作しやすさ×入手性の総合点が高い。hlj.com+1 - Q. 史実マーキングはありますか?
A. ありません。火龍は未完成の計画機。“IF(仮想)”表記のあるデカールを選ぶのが親切。1/72 Depot - Q. 展示に使える解説文は?
A. 「大日本帝国陸軍の計画ジェット戦闘襲撃機。B-29迎撃を主眼とし、第二次世界大戦末期に設計されたが実機未完成**」——の一文が便利。
編集部あとがき:“活躍”は模型の中で生まれる。だからこそ、ジェット戦闘機としての性能や運用上の制約を理解したうえで、説得力のあるIFを作ると一段深い。プラモデルは“机上の歴史研究”でもあるのです。
第10章 FAQ
Q1. 火龍とは?
A. 大日本帝国陸軍が1944年末に中島へ指示した**ジェット戦闘襲撃機(キ201)**の計画機。B-29迎撃を主目的に、限定的な対地・対艦攻撃も想定。第二次世界大戦終盤、試作未完で製造0のまま終戦。
Q2. なぜ完成しなかった?
A. エンジン(Ne-130/Ne-230想定)の成熟不足、耐熱合金や燃料の逼迫、空襲での工場・滑走路被害など供給網の崩壊が致命的。図面と工程表はあっても、稼働率の目処が立たなかったため。
Q3. 性能は?(想定値)
A. 最高速度800km/h級、実用上限約12,000m、航続約1,000km、30mm×2+20mm×2に500~800kg爆弾という“迎撃一撃+限定襲撃”型。あくまで計画値で、実測データではありません。
Q4. 「最強」だったの?
A. スペック上はMe 262級を狙った合理設計ですが、エンジン寿命・整備・滑走路という“運用の壁”を越えられず活躍は無く、神話化が独り歩き。編集部は**「最強」より「届かなかった理想」**と評価します。
Q5. 展示はどこ?
A. 火龍の実機展示は存在しません(未完成・現存なし)。関連として海軍の橘花(Udvar-Hazy)や震電の残存部位、国内では**各務原(かかみがはら)**などで日本の戦闘機史を辿るのがおすすめ。
Q6. どんな任務設計?
A. 本土防空でのB-29迎撃が中核。高速で接敵し一撃離脱、状況次第で襲撃任務を兼務する“戦闘襲撃機”。二刀流ゆえ爆装時は上昇・航続にペナルティが出る想定です。
Q7. 橘花やMe 262との違いは?
A. 橘花は国産ジェットで実機が飛行、任務は攻撃寄り。火龍は迎撃主眼の戦闘襲撃機で未完。Me 262は実用配備に成功した“参照軸”。火龍は日本の条件に最適化した“日本版Me 262”の設計思想。
Q8. プラモデルのおすすめは?
A. 初挑戦はRS Models 1/72(92274/92279)が入手性・工作難度のバランス良好。仮想マーキングが付く箱だと“太平洋戦争末期IF”の説明がしやすい。上級者はレジン系で作りごたえを。
Q9. どの塗装が“それっぽい”?
A. 上面濃緑/下面灰色~金属地+主翼前縁黄帯の日本軍末期調で“説得力”。退色は控えめ、排気周りの焼けを強調すると“新造・低稼働”なジェット戦闘機らしさが出ます。
Q10. 一番の誤解は?
A. 「最強ジェットが活躍」という物語。実際は計画機で、性能は紙上の目標値。価値は“なぜ間に合わなかったか”という工業・運用の教訓にあります。ここを押さえると情報の見極めが楽になります。
第11章 まとめ──「最強」よりも“届かなかった理想”が教えるもの
終盤の日本が描いた火龍(キ201)は、数字上はMe 262級を射程に収める“日本版ジェット戦闘機”。しかし実像は、エンジン成熟度・材料・滑走路・稼働率という“地上の現実”に阻まれた計画機でした。ここに、私たちが学べるエッセンスがあります。
11-1 火龍が残した5つの教訓(要点)
- 性能と稼働率は別物
スペック表の“最高速度”より、飛ばし続けられる仕組みが戦力を決める。 - マルチロールの罠
迎撃+襲撃の“二刀流”は魅力的でも、重量・航続・整備性のトレードオフが増える。 - 供給網は“見えない主翼”
耐熱合金・燃料・工場回復力が欠けると、どんな設計も紙上で止まる。 - 比較は“文脈ごと”
橘花・震電・Me 262と並べると、日本の工業条件に合わせた“現実解 vs. 理想”が見えてくる。 - 神話を剥がす視点が価値
「最強」という言葉に飛びつかず、目的・制約・工程を辿ると、歴史はぐっと立体的になる。
編集部コメント:火龍とは“負け戦の切り札”ではなく、本土防空の必須要件を日本の条件で解こうとした設計思想そのもの。完成しなかったからこそ、工学×運用×産業の三位一体で考える習慣をくれました。
11-2 読者への“次の一歩”
- 展示は実機のある橘花 / 震電部位で質感を掴む。
- プラモデルではIFの説明責任(仮想マーキングの注記)を添え、稼働率の低さまで想像して仕上げる。
- 記事内のFAQをブックマークし、検索で迷いやすい「性能値」「展示の有無」「最強論」を即チェック。
11-3 一文で締めるなら
「火龍は“飛べなかった最強”ではない。
“飛ばすために何が要るか”を今日の私たちに問い続ける、未完の教科書である。」