リー・エンフィールドNo.4 Mk.I完全解説|「世界最速のボルトアクション」が大英帝国を支えた60年


目次

はじめに:この記事で分かること

「機関銃だ!イギリス軍は機関銃を大量に持っている!」

1914年、モンスの戦いでドイツ軍兵士が叫んだこの言葉は、実は間違いだった。彼らを薙ぎ倒していたのは機関銃ではなく、ボルトアクションライフルを構えたイギリス歩兵たちの一斉射撃だったのだ。

その銃こそがリー・エンフィールド。大英帝国が誇った「世界最速のボルトアクション」である。

本記事では、第二次世界大戦でイギリス軍の主力となったNo.4 Mk.Iを中心に、その設計思想、実戦での活躍、そして現代でこの名銃を手にする方法まで徹底解説する。読み終わる頃には、あなたもきっと「この銃を撃ってみたい」と思うはずだ。


リー・エンフィールドとはどんな銃か

リー・エンフィールドは、イギリスで開発されたボルトアクションライフルだ。1895年の採用から1957年の退役まで、実に60年以上にわたりイギリス軍の制式小銃として君臨した。

名前の由来は、設計者のジェームズ・パリス・リーと、王立小火器工廠があったエンフィールドの地名を組み合わせたもの。総生産数は1700万丁を超え、大英帝国およびコモンウェルス諸国の軍隊・警察で広く使用された。

驚くべきことに、この銃は現在も「現役」だ。インドやバングラデシュの警察では今でもリー・エンフィールドが使われており、モシン・ナガンに次いで世界で2番目に長く軍で使用されているボルトアクションライフルとなっている。


No.4 Mk.Iの基本スペック

No.4 Mk.Iは、第二次世界大戦中にイギリス軍の主力小銃として活躍したリー・エンフィールドの発展型だ。基本スペックを確認しよう。

制式名称:Rifle No.4 Mk.I 口径:.303ブリティッシュ(7.7mm×56R) 装弾数:10発(着脱式弾倉) 全長:約1,130mm 銃身長:640mm 重量:約4.1kg(弾薬除く) 作動方式:ボルトアクション 有効射程:約550m 最大射程:約2,743m 発射速度:熟練兵で毎分20~30発

同時代のドイツ軍Kar98k(5発)や日本軍三八式歩兵銃(5発)と比較して、装弾数が2倍の10発というのは圧倒的なアドバンテージだった。戦場の一瞬の差が生死を分ける場面で、この差は決定的な意味を持つ。

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SMIEからNo.4へ:進化の系譜

リー・エンフィールドの歴史は、1888年に制式採用されたリー・メトフォード小銃にまで遡る。当時は黒色火薬を使用していたが、無煙火薬の登場により銃身の摩耗問題が発生。これを解決するために開発されたのが、1895年採用のリー・エンフィールドMLE(Magazine Lee-Enfield)だった。

その後、1907年にSMLE Mk.III(Short Magazine Lee-Enfield)が登場。第一次世界大戦で大活躍したこの銃は、「史上最高のボルトアクション戦闘用ライフル」と評価されることもある名銃だ。

しかし、SMIEには問題もあった。精密な加工が必要で、大量生産には向いていなかったのだ。1930年代後半、再び大戦の影が忍び寄る中、イギリス軍は生産性を向上させた新型ライフルを必要としていた。

そこで生まれたのがNo.4 Mk.Iだ。1939年に採用され、1941年から本格的な量産が開始された。

主な改良点は以下の通り。

銃口部分のフロントバンドを簡略化し、銃身が銃床から突き出す形に変更。これにより加工が容易になった。

照門(リアサイト)を従来のU字型からアパーチャサイト(ピープサイト)に変更。300ヤード用の固定照門と、200~1,300ヤードまで調整可能なラダー式照門を採用し、素人でも素早く正確な照準が可能になった。

レシーバー(機関部)の形状を変更し、量産向きの設計に。ただし、ベテラン兵士からは「SMIEの美しい仕上げが失われた」と嘆く声も上がったという。

結果として、No.4 Mk.Iは前身のSMIEより生産コストが低く、それでいて精度と信頼性を維持した優れたライフルとなった。第二次世界大戦中にイギリス、カナダ、アメリカの工場で約420万丁以上が生産されている。


「世界最速のボルトアクション」の秘密

リー・エンフィールドが「世界最速のボルトアクション」と呼ばれる理由は、その独自の設計にある。

まず「コック・オン・クローズ」機構。多くのボルトアクションライフル(モーゼル系など)はボルトを開く時に撃針をコック(装填状態に)するが、リー・エンフィールドはボルトを閉じる時にコックする。これにより、ボルトを開く動作が軽くなり、サイクルタイムが短縮される。

次にボルトの起こし角。リー・エンフィールドのボルトハンドルの起こし角は約60度で、モーゼル系の90度より少ない。さらにボルトストロークも他のボルトアクションより約20%短い。これらの要素が組み合わさり、驚異的な速射性能を実現した。

そして10発の大容量弾倉。5発弾倉が標準的だった時代に、2倍の装弾数は圧倒的なアドバンテージだった。5発装填クリップ2本で素早くリロードできる設計も、実戦での火力維持に貢献した。

イギリス軍では「マッドミニット(Mad Minute)」と呼ばれる射撃訓練が行われていた。300ヤード先の標的に1分間で何発命中させられるかを競う訓練だ。合格ラインは15発だが、熟練兵は30発以上を命中させた。

1914年には、スノクサル軍曹教官が1分間に38発を300ヤード先の30cm幅の標的に命中させるという世界記録を樹立。この記録は現在もボルトアクションライフルの狙撃記録として残っている。

このような訓練を積んだイギリス兵たちが、モンスの戦いでドイツ軍を迎え撃った結果が、冒頭で紹介した「機関銃と勘違いされた」という逸話につながるのだ。


第二次世界大戦での活躍

No.4 Mk.Iは、第二次世界大戦のあらゆる戦場でイギリス兵の手に握られていた。

1943年以前のイギリス軍は、主にSMIE Mk.III/III*を使用していた。ノルウェー戦役、フランス戦役、北アフリカ戦線、イラク戦線、地中海戦線では、旧型のSMIEが主力だった。1940年のダンケルク撤退では約20万丁のSMIEが失われたとも言われる。

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No.4 Mk.Iが本格的に前線に届き始めたのは1943年からだ。イギリス国内の新設工場(マルトビー、ファザカレー、BSAシャーリー)で大量生産が始まり、1942年には年間60万丁の生産体制が整った。

ヨーロッパ戦線では、1943年のイタリア戦線から本格投入が始まる。1944年6月のノルマンディー上陸作戦(オーバーロード作戦)では、多くのイギリス兵がNo.4を手にしていた。

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1944年9月のアルンヘムの戦い(マーケット・ガーデン作戦)では、イギリス第1空挺師団の兵士たちがNo.4を携えて降下した。「遠すぎた橋」として知られるこの作戦で、彼らは圧倒的なドイツ軍を相手に9日間持ちこたえた。

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北アフリカ戦線では、「砂漠の狐」ロンメル率いるドイツ・アフリカ軍団と対峙した。エル・アラメインの戦いでは、イギリス第8軍の兵士たちがリー・エンフィールドを構え、枢軸軍に決定的な敗北を与えた。

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ビルマ戦線では、日本軍との激戦が繰り広げられた。密林という過酷な環境でも、リー・エンフィールドは高い信頼性を発揮した。インパール作戦、コヒマの戦いで、イギリス・インド軍の兵士たちはこの銃で日本軍の進撃を食い止めた。

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一方、オーストラリア軍やニュージーランド軍では、物資供給の関係から旧型のSMIE Mk.III*を終戦まで使い続けた部隊も多かった。太平洋の島嶼戦では、オーストラリア兵が「303」(.303口径の意)と呼んだSMIEを手に、日本軍と戦っている。

ちなみに、第二次世界大戦の緒戦で日本軍はマレー半島やビルマで大量のリー・エンフィールドを鹵獲した。これらはインド国民軍やビルマ防衛軍の装備として使用されている。敵にも味方にも使われた、ある意味で「万能」な銃だったと言えるかもしれない。


No.4(T):最高峰の狙撃仕様

第二次世界大戦を通じて、リー・エンフィールドは狙撃銃としても活躍した。中でもNo.4 Mk.I(T)は、大戦中最高の狙撃銃の一つと評価されている。

(T)は「Telescopic」の略で、望遠照準器付きを意味する。イギリス軍は、最も精度の高いNo.4を選別し、No.32 3.5倍スコープを装着して狙撃仕様に仕上げた。

選別基準は厳格だった。200ヤードで7発中7発を5インチ(約12.7cm)の円内に、400ヤードで7発中6発を10インチ(約25.4cm)の円内に命中させられる銃のみが、No.4(T)に改修される資格を得た。

イギリス軍の狙撃システムで特筆すべきは、銃とスコープをセットで管理したことだ。銃本体とスコープのシリアルナンバーを一致させ、常に同じ組み合わせで使用することで、最高の精度を維持した。

No.4(T)の生産数は約24,400丁。ロイヤル・スモール・アームズ・ファクトリー(エンフィールド)で約1,400丁、ホランド&ホランドで約21,600丁、カナダのロング・ブランチ工廠で約1,600丁が生産された。

この狙撃銃は、ノルマンディーからベルリンまで、あらゆる戦場でドイツ軍を震え上がらせた。また、朝鮮戦争でも使用され、戦後は7.62mm NATO弾仕様に改修されたL42A1として1990年代まで現役だった。現在、No.4(T)はコレクター市場で非常に高い人気を誇る。


スパイク・バヨネット:愛されなかった銃剣

No.4 Mk.Iには、新たに「スパイク・バヨネット」と呼ばれる銃剣が開発された。これは従来の刃のある銃剣とは異なり、先端が尖った金属の棒にソケットを一体化したものだ。

兵士たちからは「豚を突く棒(pig sticker)」とあだ名され、あまり好まれなかった。従来の刃付き銃剣のように野外でのナイフとしては使えないし、見た目も無骨だ。

それでも、製造コストの削減という点では合理的な選択だった。当初は断面が三角形の一体鍛造だったが、後には先端をドライバー状に削った丸棒に簡略化され、さらにソケットと剣部が別部品になった。

第二次世界大戦終盤には、従来の刃付き銃剣も支給されるようになり、スパイク・バヨネットと同じくらいの数が使用された。


北米生産:カナダとアメリカの貢献

No.4 Mk.Iは、イギリス国内だけでなく北米でも生産された。

カナダでは、オンタリオ州のロング・ブランチにあるSmall Arms Limitedが1941年から生産を開始。後にCanadian Arsenals Limitedに引き継がれ、戦時中から戦後にかけて生産を続けた。

アメリカでは、Savage-Stevens Firearmsがレンドリース法に基づいて生産を担当。1942年からNo.4 Mk.Iと呼ばれる簡略版を生産した。アスタリスク()付きのモデルは、ボルト解除機構が簡略化されている。

興味深いことに、第一次世界大戦中にはレミントンとウィンチェスターがリー・エンフィールドの派生型を生産していた。これは「パターン1914」と呼ばれ、アメリカ参戦後は.30-06口径に変更されてM1917エンフィールドとしてアメリカ軍にも採用された。

カナダでは特にリー・エンフィールドへの愛着が強く、カナダ・レンジャーズ(北極圏の予備役部隊)は2018年まで、実に70年以上にわたってNo.4を制式装備として使い続けた。極寒の環境でも確実に動作する信頼性が、長期間の運用を可能にしたのだ。


戦後の活躍と現代での位置づけ

第二次世界大戦後、No.4は改良されてNo.4 Mk.2として継続生産された。トリガー機構が改良され、銃床の材質がブナ材に変更されている。アイルランド軍などで広く使用された。

朝鮮戦争では、イギリス軍やオーストラリア軍がリー・エンフィールドを携えて参戦。イムジン川の戦い(グロスター連隊の英雄的防衛戦)では、リー・エンフィールドを手にしたイギリス兵が中国人民志願軍に対して果敢に抵抗し、推定1万人の敵に損害を与えた。

1957年、イギリス軍はL1A1 SLR(FN FALのイギリス版)を制式採用し、リー・エンフィールドは一線を退く。しかし、予備役や植民地警察ではその後も使用が続き、7.62mm NATO弾仕様のL42A1狙撃銃は1990年代まで現役だった。

現在もインド各州警察、バングラデシュ警察、アフガニスタンの民兵などがリー・エンフィールドを使用している。パキスタンのハイバル峠周辺では、今でもリー・エンフィールドのコピーが手作りで生産されている。100年以上前の設計が今も現役という事実が、この銃の信頼性を物語っている。

民間市場でも人気は高い。第二次世界大戦後、大量の余剰銃が放出され、狩猟用や競技用として世界中で愛用されている。「スポーター化」と呼ばれるカスタムを施し、フロントストックを切り詰めてスコープを装着した狩猟仕様も多い。

.303ブリティッシュ弾は現在も商業生産されており、中型獣の狩猟に適した威力を持つ。オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、南アフリカ、イギリス、アメリカで、リー・エンフィールドを愛用するハンターは今も少なくない。


映画・ゲームに登場するリー・エンフィールド

リー・エンフィールドは、第二次世界大戦を描いた多くの映像作品に登場する。イギリス軍が主役の作品では、まず間違いなくこの銃を見ることができるだろう。

映画「遠すぎた橋」(1977年)では、アルンヘムの戦いに参加したイギリス空挺部隊員たちがSMIEを携えている。

映画「大脱走」(1963年)では、ドイツの捕虜収容所を舞台に、イギリス軍捕虜たちが登場。直接の戦闘シーンは少ないが、イギリス軍の装備としてリー・エンフィールドが確認できる。

映画「1917 命をかけた伝令」(2019年)では、第一次世界大戦のイギリス兵がSMIE Mk.IIIを携えている。厳密にはNo.4ではないが、リー・エンフィールドの系譜を知る上で必見の作品だ。ワンカット風の長回し撮影による没入感は圧巻。

ドラマ「バンド・オブ・ブラザーズ」(2001年)では、アメリカ空挺部隊が主役だが、イギリス軍との共同作戦シーンでリー・エンフィールドを確認できる。

ゲームでは「Call of Duty」シリーズ、「Battlefield」シリーズ、「Hell Let Loose」などで使用可能。特にHell Let Looseでは、イギリス軍陣営でNo.4 Mk.Iを使えるようになっており、そのスムーズなボルト操作と10発弾倉の使い勝手の良さを体感できる。


現代に蘇るリー・エンフィールドNo.4

ここまで読んでくれたあなたは、きっと「この銃を手にしてみたい」と思っているはずだ。

日本では実銃の所持は事実上不可能だが、エアガンという素晴らしい選択肢がある。

S&T社から発売されているLee Enfield No.4 Mk.Iエアコッキングライフルは、リアルウッドストック仕様で全長約1,128mm、重量約3,190gと、実銃に迫る存在感を持つ。実銃同様のプッシュコック式アクションを再現しており、ボルトハンドルを押し込むとコッキングピースが後退する。

東京マルイVSRタイプのチャンバーパッキンとインナーバレルを採用しているため、カスタムパーツも豊富だ。サバゲーフィールドで「世界最速のボルトアクション」の系譜を体感してほしい。

ARES社からは、より高品質なMuseum Gradeモデルも発売されている。レシーバーはSUS304ステンレス製でQPQ処理が施され、博物館展示レベルの仕上がりだ。狙撃仕様のNo.4 Mk.I(T)も再現されており、No.32スコープのレプリカが付属する。価格は張るが、コレクターアイテムとしての価値は高い。


映像作品で「本物」を見る

そして、リー・エンフィールドが実際に火を噴く姿を見たいなら、映画やドラマに勝るものはない。

「1917 命をかけた伝令」は、第一次世界大戦の西部戦線を描いた傑作だ。厳密にはNo.4ではなくSMIE Mk.IIIだが、リー・エンフィールドの系譜を知る上では最適の作品。ワンカット風の撮影による緊張感は、戦場の恐怖を追体験させてくれる。

「遠すぎた橋」は、アルンヘムの戦いを描いた戦争映画の古典。ショーン・コネリー、アンソニー・ホプキンス、ジーン・ハックマン、ローレンス・オリヴィエら豪華キャストが揃う。イギリス空挺部隊の装備や戦術を丁寧に描写している。

「大脱走」は、ドイツの捕虜収容所からの脱走劇を描いた名作。スティーブ・マックイーンのバイクシーンが有名だが、イギリス軍捕虜たちの団結と知恵も見どころだ。

イギリス軍が主役の作品は、U-NEXTやAmazon Prime Videoで多く配信されている。

まとめ:大英帝国を支えた「世界最速」

リー・エンフィールドNo.4 Mk.Iは、ボルトアクションライフルの完成形の一つだ。

10発弾倉、コック・オン・クローズ機構、短いボルトストローク。これらの要素が組み合わさり、毎分20~30発という驚異的な速射性能を実現した。モンスの戦いでドイツ軍が「機関銃」と勘違いした逸話は、この銃の性能を端的に示している。

第一次世界大戦から第二次世界大戦、そして朝鮮戦争まで。北アフリカの砂漠から、ノルマンディーの海岸、ビルマの密林、ベルリンの廃墟まで。大英帝国とコモンウェルスの兵士たちは、この銃と共に戦い続けた。

「世界最速のボルトアクション」という称号は、決して誇張ではない。そしてその血統は、現代のエアガンを通じて、私たちも体験することができる。

サバゲーフィールドで、あるいは映画のスクリーンで。100年以上の歴史を持つ名銃の系譜に、あなたも触れてみてはいかがだろうか。


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