かつて連合艦隊旗艦として号令を発した戦艦長門は、いまやビキニ環礁の静かな海底で“上下逆さ”に眠っています。深度およそ52m、プロペラが空を向く独特のシルエットは、大日本帝国の誇りと核実験の現実が一枚の写真のように重なる場所そのもの。資料館の展示でも、SNSに流れるダイバーの写真でも、長門はいつも「物語」をまとっています。
第1章 長門とは何者か:長門型の設計思想と“ビッグ7”の衝撃
要点先取り
- 長門型(長門・陸奥)は、日本初の16インチ級(41cm)主砲を備えた日本の戦艦で、1920年に就役。のちに“ビッグ7”の一角として世界的に名を馳せました。
- 連合艦隊旗艦として日米開戦直前まで中心的役割を担い、1941年12月2日には長門から暗号電「ニイタカヤマノボレ1208」が発信されています(真珠湾攻撃部隊への開戦指示)。
- 戦後はクロスロード作戦の標的艦となり、核実験後にビキニ環礁で沈没。これが“長門の最後”です。
1-1 「ビッグ7」に名を連ねた最初の“見える抑止力”
1920年代、各国はワシントン海軍軍縮条約の制限枠の中で“最大火力”を追求していました。ビッグ7とは、条約期以前・直後に16インチ(406mm級)主砲を備えた7隻(長門/陸奥、ネルソン/ロドニー、コロラド級3隻)を指す通称。日本の長門型はその先駆で、当時の“見える抑止力”の象徴でもありました。
編集部コメント:
「ビッグ7」は厳密な公式名称ではないものの、16インチ砲搭載=主砲火力で上限いっぱいを狙う各国の“心理”を映す便利なラベルです。カタログスペックの比較に終始しがちな話題ですが、外交(抑止)と技術の密結合という視点で見ると、長門の存在価値がクリアになります。
1-2 長門型の“骨格”:41cm主砲と装甲思想
長門型の核心は45口径41cm主砲×8門(連装4基)。1930年代の近代化改装で仰角+43°まで引き上げ、射程を延伸しています。主砲そのものは国産大口径の完成形で、同種砲は陸奥や沿岸砲にも転用されました。装甲配置は、重要区画に厚い装甲を集中させる**“オール・オア・ナッシング”**的思想を取り入れ、条約下の重量枠で防御効率を最大化しています。
用語ミニ解説
口径×口数:主砲の太さと本数。41cm×8門は当時世界トップ水準の一つ。
仰角:砲身の上げ下げ角度。仰角が大きいほど射程が伸びやすい。
オール・オア・ナッシング:非中枢部の装甲を大胆に削り、弾薬庫・機関部など“核”を徹底防御する設計思想。
編集部コメント:
スペック表は強烈ですが、速度・航続・防空など“総合力”で見ると、航空主兵の時代が到来した第二次世界大戦では「紙上最強」と現実運用にギャップが生まれます。ここが、太平洋戦争期の長門を読み解く最大のコツです。
1-3 旗艦としての“声”:Niitakayama Nobore 1208
1941年12月2日、長門(連合艦隊旗艦)から発した「ニイタカヤマノボレ1208」は、日本軍の全力動員を可視化した“短い言葉”でした。文面自体はシンプルでも、その背後には「秘匿名号で一斉起動」という運用設計があり、実はこれこそが長門の“性能”の一部です——通信戦・指揮統制のプラットフォーム。
1-4 “最後”へ向かう伏線:標的艦としての長門
敗戦後、長門はクロスロード作戦でAble(空中)/Baker(水中)の二発の核実験に曝露。Bakerののち被放射化と浸水が進み、7月29~30日未明に転覆沈没。このエピソードが、今日「引き上げない理由」をめぐる議論に直結します(世界遺産としての保存、環境・コスト面)。
編集部コメント:
長門は“撃ち合いの英雄”というより、技術・戦略・記憶が絡み合う「地点」になりました。次章以降は、主砲や改装のディテール、活躍の実像、沈没と現在、そしてプラモデルや図面の活用まで、実用目線で深掘りします。
第2章 主砲・性能をやさしく深掘り(ミニ用語解説つき)
一言でいうと:長門は「41cm(16インチ)×8門」というカタログ火力に全振りしつつ、1930年代の近代化改装で仰角43°・射程約3.79万mへアップデート。対空火力や水中防御(バルジ)も底上げされましたが、船体の重量増で最高速は約25ノットまで低下しました。
2-1 長門の「顔」—45口径41cm主砲×8門
- 砲そのもの:日本初の本格国産・大口径「45口径41cm 三年式」。当初の仰角は+35°、改装後は**−3°〜+43°まで可動。AP(徹甲弾)九一式 1,020kg、初速約780m/s**。対空用の三式弾も運用。
- 射程の実力:近代化で砲塔一式を換装し**仰角43°**化→最大射程 約37,900m(約41,448yd)に。紙上スペックだけでなく、火薬や装薬、照準・測距といった射撃管制の総合性能が命中を左右します。
編集部コメント:
「ビッグ7」の称号は、主砲口径が抑止力の“見せ札”だった時代の記憶装置。長門の41cm砲は、のちの大和型46cmにスポットライトを奪われがちですが、国産大口径の完成度という観点では、実戦投入数・整備性・弾種の運用幅すべてで“日本の戦艦アーキテクチャ”を形づくった存在です。
2-2 二次・対空火力と改装のポイント
- 副砲(対水上):建造時は14cm/50単装×20門(舷側カスemate)。のちに一部撤去・仰角増で射界・射程を最適化。
- 高角砲(対空):1930年代に12.7cm(八九式)連装×4基=計8門を中核に、後年は**25mm(九六式)**を多数追加——ただし人力装填や照準機構の限界から“数の割に効かない”問題も抱えました。
- 上部構造:パゴダマスト化で測距儀や射撃指揮装置を高所集中し、遠距離射撃の“目”を強化。
編集部コメント:
対空面は「改装で盛ったが、技術思想の差で追いつき切れず」。特に25mmは“数”を積んでも安定台座・照準器・弾倉容量の弱点が足を引っ張りました。スペック表では見えない“運用のつらさ”は、太平洋戦争後半の日本戦艦に共通する宿痾です。
2-3 装甲・水中防御:オール・オア・ナッシングの現実解
- 帯装甲(ベルト):水線部は305mmを基線に、上部229mm、下辺で100mmにテーパー。司令塔369mm、砲塔は初期面305mm→改装後面最大460mmまで強化。
- 水平防御:主甲板69mm(高張力鋼3層)+下甲板の多層化。
- 水中防御:大型バルジ(全高約13.5m・最大深さ約2.84m)を追加し、油槽+空間+抗圧管という多層構造で爆圧・破片を減衰。
編集部コメント:
“当たらなければどうということはない”は艦の理想論。長門は装甲配置の合理化で“致命部位を守る”ことに徹しましたが、航空主兵が確立した1940年代には「上から・遠くから」来る脅威に水平防御の限界が露わになります。ここは“戦艦という兵器の時代性”を理解する要点です。
2-4 推進・スピード:盛れば盛るほど遅くなる
- 機関:建造時はギホンタービン×4/缶21基(設計80,000shp)で設計26.5ノット、公試では26.7ノットを記録。
- 改装後:缶を重油専焼10基へ置換し効率化する一方、装甲・装備の重量増で実速は約25ノットへ。公試データは24.98ノット/82,300shp。航続・安定性は改善したが、機動は一段鈍重に。
編集部コメント:
“重くなる→速くない→空母に追随しにくい”。日本軍が「日本の戦艦」を再定義できなかったことの象徴がここ。図面上の“筋トレ”(装甲増・兵装増)は、艦隊戦術の主役が空母へ移った時代には逆風になりました。
ミニ用語解説(サクッと3行で)
- 口径×口数:砲身の太さと本数。41cm×8門は当時の世界最上位クラス。
- 仰角:砲身の上げ下げ角度。+43°化で射程3.79万m前後へ。
- バルジ:舷側外側の“出っ張り”。爆圧分散・被雷対策・復原性の三役。
- パゴダマスト:日本戦艦に特徴的な塔状艦橋。測距・管制を高所に集約。
- オール・オア・ナッシング:弾薬庫・機関部など“急所”だけを徹底的に守る装甲思想。
第3章 年表で読む「活躍」:旗艦期から太平洋戦争、そして終戦へ
ざっくり結論:戦艦 長門は“撃ち合いの主役”というより、連合艦隊旗艦としての指揮・象徴の役割と、戦局後半は温存→沿岸防空→最後は標的艦という“時代の移り変わり”を体現した艦です。撃沈されず日本の戦艦で唯一「終戦時も浮いていた」ことが、その証明でもあります。
3-1 戦間期の長門:大日本帝国海軍の「顔」
- 1920年 就役。以後、長門型のネームシップとして各種演習・観艦式に参加。1923年 関東大震災では救援物資輸送に従事し、艦が“国民に見える存在”だった時代性を示します。
- 1925年~しばしば連合艦隊旗艦を務め、のちに山本五十六の旗艦としても機能。ここで「見える抑止力」という日本軍の外交・宣伝上の役割を担いました。
編集部コメント:
Wikipedia的な“艦歴の羅列”では見落としがちですが、長門は「技術の誇示=世論戦」に使われた日本の戦艦でもあります。後の太平洋戦争で“出番が少ない”のは、象徴資産としての重みの裏返しでした。
3-2 開戦前夜:旗艦から発せられた「合図」
- 1941年12月2日、連合艦隊旗艦 長門から**「ニイタカヤマノボレ1208」の信号。実際の真珠湾攻撃**には同行しませんが、指揮・通信のハブとしての“性能”が発揮された瞬間です。
3-3 ミッドウェー:主力は「後方にいて戦わず」
- 1942年6月 ミッドウェー海戦では、主隊(戦艦群)が空母機動部隊の約300海里後方を進み、結局米軍と交戦せず。戦艦の“遠距離砲戦”を想定した大日本帝国の作戦は、航空主兵の現実に追いつけませんでした。
3-4 前半戦の「活躍」の実像:訓練・温存が中心
- 開戦~1943年にかけて、長門は本土近海での訓練・待機が中心。トラックなどへの展開はあるものの、実戦射撃の出番は限られます。これは空母を主軸とする戦い方の確立と、燃料の制約の影響です。
3-5 マリアナ沖海戦(1944年6月):対空地獄の“受け身”
- マリアナ沖海戦では、長門を含む戦艦群も米機動部隊の航空攻撃に晒され、“防空と生存”が主務に。本格的な砲戦での活躍は実現しませんでした。
3-6 レイテ沖海戦(1944年10月):シブヤン海とサマール沖
- シブヤン海(10/24):長門は空襲で損傷(“Nagato damaged”の記録/Yamatoとともに爆弾命中とする史料も)。戦艦の“紙上スペック”が、航空集中攻撃の前に無力化されていく象徴的な一日でした。
- サマール沖(10/25):栗田“中央信隊”の一員として前進。結果的に米護衛空母群(Taffy 3)を取り逃がし、日本側の意思決定の迷走が露呈します。長門を含む戦艦群は追撃・反転を繰り返し、戦果は限定的でした。
編集部コメント:
「長門はなぜ“活躍”できなかったのか?」という問いへの答えはシンプルで、戦略の主役交代(空→海)と燃料・練度の低下。主砲と性能の伸びよりも、航空・レーダー・管制の総合力差が勝敗を決めたのです。
3-7 終盤:沿岸防空の“最後の務め”
- 1945年2月、第一戦隊の解隊に伴い、長門は横須賀鎮守府の沿岸防空艦(浮き砲台)に転用。7月18日の横須賀空襲では主要目標に指定され、小破。それでも長門は沈まず、終戦時に唯一浮いていた日本の戦艦となりました。
3-8 戦後処理:標的艦としての“最後”
- 1945年8月30日、米軍が横須賀で長門を接収。回航ののち1946年「クロスロード作戦」の標的艦に指定。Able(7/1空中)、**Baker(7/25水中)**の核実験を受け、7/29前後に転覆沈没——ここが“長門の最後”です。
ミニタイムライン(要点だけ)
- 1920 就役 → 1923 関東大震災支援 → 1925–38 旗艦期と近代化
- 1941/12/2 「ニイタカヤマノボレ1208」発信(旗艦) → 1942/6 ミッドウェー:主隊で不交戦
- 1944/6 マリアナ沖(受け身) → 1944/10 レイテ:シブヤン海で損傷、サマール沖で戦機逃す
- 1945/2–8 横須賀で沿岸防空(浮き砲台)→ 7/18 横須賀空襲で小破/終戦時も浮上
- 1946/7 太平洋戦争後、核実験標的→ビキニで沈没。
編集部コメント:
「活躍」は砲戦戦果に限られません。日本軍の作戦思想、艦の運用履歴、そして最後に至る経路までを“連続した物語”として読むことで、長門は“勝ち負け”を超えた歴史資料になります。
第4章 最後:核実験と沈没の全貌(写真で読み解く)
結論先取り:戦艦 長門は、1946年7月のクロスロード作戦でAble(空中)とBaker(水中)の二度の核実験に晒され、Bakerののちに被放射化・浸水が進行し、7月29日未明に転覆沈没。現在はビキニ環礁の潟内で**上下逆さ(天を向くスクリュー)**の姿で眠っています。
4-1 「作戦クロスロード」とは何だったのか
目的は“原子爆弾が艦隊に与える影響の実証”。1946年7月、米海軍はビキニ環礁の潟内に旧日独米の艦艇を集め、**Able(7/1)**は空中爆発、**Baker(7/25)**は水中爆発で評価しました。長門は標的艦の一隻として係留されます。
編集部コメント:
ここでの“性能”は砲や装甲ではなく、被害の出方という冷たいデータ。日本の戦艦だった長門は、第二次世界大戦/太平洋戦争の「終わり」と核の時代の「始まり」をつなぐ“試験体”になりました。
4-2 Able:長門は“かすり傷”で生き残る
7月1日 Ableは目標のUSS Nevadaから外れ、想定より効果が限定。重装甲艦は生存し、長門の被害も軽微でした。写真や当日の報告は、「上からの爆発に重装甲艦は意外に耐える」示唆を残しています。
4-3 Baker:水中核の“ベース・サージ”が致命傷に
7月25日 Bakerは水面下で爆発。巨大な柱状水柱と**放射性の水飛沫(ベース・サージ)が艦隊を包み、脱塩洗い流しでも汚染除去は困難でした。NH 96240の連続写真では、噴煙柱の左手に長門の塔型艦橋(パゴダマスト)**のシルエットが確認できます。
編集部コメント(写真の見どころ):
NH 96240は“1.5秒後”という瞬間の物理を切り取った1枚。左に長門、右にUSS Nevadaら重艦の影。水平装甲の思想では防ぎにくい“下からの衝撃と汚染”が、画像全体の白い靄となって可視化されています。
4-4 “最後(沈没)”の数日:静かに、しかし確実に
Baker後、長門は被放射化と浸水の進行で安定性を喪失。7月29日未明、転覆(ターン・タートル)して沈没——「32,000トンの日本戦艦 長門」の記録と作戦資料は、Bakerの結果として沈没した標的艦群に長門を含めています。
4-5 現在:深度と姿勢(ダイバー視点の“実測”)
長門の残骸はビキニ潟内・水深およそ52m(170ft)に静置。上下逆さのため、4枚のスクリューと2枚の舵がまず目に入る——というのがダイバーの定番体験です。深度・姿勢の実測はテクニカルダイブ事業者の公開情報でも一致します(※学術報告とあわせた“現地の一次情報”として有用)。
編集部コメント:
米海軍の資料には、長門が“真珠湾攻撃部隊の旗艦”だったことから“好かれていなかった”という表現が見られます。単なる復讐心ではなく、“象徴艦を核実験のリングに立たせる”という心理戦の側面も否定できません。
写真で読み解く長門(ギャラリー解説、収集中)
- Baker直後の噴煙と長門(左端):噴煙柱の裾にパゴダマストのシルエット。被害の起点が視覚化された歴史写真。
- 逆さのスクリューと舵:現在の**“上下逆さ”姿勢**を象徴する一枚。水中核実験の数日後に沈没した“結果”そのもの。
- ダイバーと船体:水深約52mの現場感。プロペラや砲身、倒れた**艦橋(パゴダ)**の観察がテーマになります。
- 戦後の長門(曳航途上の空撮):標的艦へと運ばれる過程。連合艦隊旗艦の“その後”を可視化。
第5章 現在:沈没地点・深度・ダイビング事情と「引き上げない理由」
要点:戦艦 長門はいまもビキニ環礁の潟内で**上下逆さ(転覆)の姿勢のまま約52m(170ft)**に静置。テクニカルダイバーの“聖地”として知られますが、世界遺産(2010年登録)という位置づけと、環境・放射線・コスト面から引き上げは現実的でない——これが現在のコンセンサスです。
5-1 “長門はいまどこにある?”——場所・深度・姿勢
- 場所:マーシャル諸島・ビキニ環礁の潟内(ラグーン)。
- 深度:約52m(170ft)。船体が上下逆さなので、まず巨大な4枚のスクリューが“天を向く”形で現れます。運営各社・業界メディアの実測値もほぼ一致しています。
編集部コメント:
“逆さの長門”というビジュアルは、太平洋戦争(第二次世界大戦)の象徴艦が核実験の数日後に沈んだ“結末”を、一枚の写真のように語ります。日本の戦艦の終着点として、これ以上に強いメタファーはそうありません。
5-2 ダイビング事情:誰でも潜れるわけではない
- 技術要件:平均50m級の深度で減圧潜水が前提。トライミックスなどのテクニカル認定が必須です(レクリエーショナル範囲外)。
- 催行形態:ライブアボード(船中泊)での遠征が主流。専門船が1日2本前後のテックダイブを組むのが一般的です。
- 難易度の実感:上下逆さのため姿勢感覚が狂いやすく、内部侵入は特にリスク高。現地ガイドは“見どころ=スクリュー/舵/倒壊した艦橋(パゴダ)”を外観中心に案内するケースが多いです。
編集部コメント:
“戦艦 長門に会いに行く”は、プラモデルや図面を見慣れた方にも強烈な体験。ただし日本軍の艦に潜る——というより、長門型を“学びに行く”つもりで準備と訓練を。性能の裏側にある“運用の現実”が、海中でよくわかります。
5-3 “引き上げない理由”を整理する(保存・環境・コスト・倫理)
- 世界遺産としての保存方針(in situ)
ビキニ環礁は2010年に世界遺産登録。登録理由(顕著な普遍的価値)は、核実験が残した有形の証拠の保存と提示にあります。長門もその証言の一部で、現地保存(in situ)が価値の根幹。無理な引き上げは価値の毀損となり得ます。 - 環境・放射線の配慮
近年の調査・報告でもビキニ環礁の広域に放射性物質が確認される事例があり、海底遺構の大規模攪乱は二次的な環境リスクを伴います。引き上げ作業は堆積物の巻き上げや残留物の拡散を招く恐れがあるため、慎重姿勢が基本です。 - 技術的困難とコスト
約3万2千トン級の日本の戦艦が上下逆さで約52mに沈む状況は、大型吊り上げ・切断・補強を伴う超大規模工事。海象・輸送・安全管理を含め**“桁違い”の費用・リスク**となるのは自明で、公開予算を要する公的プロジェクトとしては現実性が乏しい、というのが実務的判断です(※この項は編集部の工学的推論。トン数・深度の事実は下記参照)。 - 記憶と倫理(戦争遺構としての意義)
世界遺産の**“核の時代の証言”という文脈と、水中文化遺産の一般原則(現地保存優先)を踏まえれば、観光資源化のための引き揚げは優先順位が低い。展示物ではなく現場**として残す意味が大きい、というのが保全側の立場です。
編集部コメント(結論)
「引き上げれば見やすくなる」は正論に見えて、“核実験の場”という文脈を抜いてしまう危うさがあります。長門の“現在”は、太平洋戦争の終幕と核の時代の幕開けを同時に記録する**“場所性”**にこそ価値がある——私たちはそう考えます。
5-4 行くなら知っておきたい超要約(テックダイブ目線)
- 必須:テクニカル認定(トライミックス/減圧)。
- 形式:ライブアボードで1日2本前後、50m級前提。
- 見どころ:スクリュー/舵/倒壊した艦橋(パゴダ)/主砲。
- 注意:姿勢が逆さで迷い込みやすい。内部侵入は経験者でも慎重に。
第7章 プラモデル最新事情:スケール別の選び方&失敗しないコツ
結論から:
迷ったら1/700・フジミ「艦NEXT」で“まず一隻”を完走。次に1/700・アオシマWLでオーソドックスを押さえ、沼に入るなら1/350・ハセガワ(開戦時 or レイテ沖)+木甲板&エッチングでどうぞ。2025年10月には**ハセガワ「長門“レイテ沖海戦”」**が再販・出荷スタートしており、今が始めどきです。
7-1 まずは“作り切れる”一隻:1/700 フジミ「艦NEXT 長門」
- 特徴:多色成形・無塗装/接着剤不要のスナップキット。展示台座も新設計で安定性UP。**昭和19年(捷一号作戦)**仕様を素直に再現できます。初めての艦船に最適。
- 編集部コメント:
「作り切る快感」は正義。塗装に自信がなくても“形にできる”体験が、次のディテールアップ意欲に繋がります。YouTubeや作例ブログも豊富で、詰まりにくいのが強み。
7-2 教科書ど真ん中:1/700 アオシマ「ウォーターライン 長門」
- 特徴:1/700 WL No.123。2024年5月発売のリニューアルで共通艤装パーツが新金型に。価格も手頃(3,520円)。“日本の艦船模型の定番文法”が詰まっています。
- 編集部コメント:
「水線モデル=洋上ディスプレイ」の基本が学べます。フジミ→アオシマの流れで、手すり・ラッタル等の増設に挑むと一気に“わかってる人の長門”になります。
7-3 本命の迫力:1/350 ハセガワ「長門」——開戦時 or レイテ沖
- 開戦時(Z24):1/350・全長643mm級の大迫力。2025年4月に再出荷済、税込20,900円。素組でも満足度が高く、塗装映えが段違い。
- レイテ沖海戦(40073):2025年10月6日 出荷開始/税込24,200円。対空兵装強化状態を再現、歴史解説小冊子の改訂版や主要張線図も同梱。パーツ点数1012の作りごたえ。
- 編集部コメント:
**“どの時代の長門を飾りたいか”**で選ぶのがコツ。通信旗艦としての開戦時か、対空強化のレイテ沖か。展示テーマ(ジオラマ含む)まで見据えると、塗装・ウェザリングの当て方がブレません。
7-4 ワンランク上へ:木甲板&エッチングの“効く”組み合わせ
- 木甲板(1/350):ハセガワZ24用の純正木甲板(QG42)や、レイテ沖(40073)対応のArtwox AW10112が定番。貼るだけで甲板の“目”が生きます。
- エッチング(1/700):Flyhawk 700171など“長門専用”の総合セットが強力。レーダー枠、手摺、カタパルト、ラッタルで雰囲気が激変します。
- 金属マスト:Pit-Road × Infiniの1/700金属マスト&PEは仕上がりがシャープ。微妙に反るマスト問題が一気に解決。
- 編集部コメント:
“甲板=木/艤装=真鍮”の質感差が“写真映え”を生みます。後戻りしづらいパーツ(手摺など)ほど小ゾーン→大ゾーンの順に貼ると事故が減ります。
7-5 買う前の「型式チェック」——ここを間違えると沼る
- 年次違い:開戦時 vs 1944–45(対空強化)で武装・艤装が別物。キットと写真・図面(第6章参照)を必ず突合。“レイテ沖木甲板”を開戦時キットに流用…は合いません。
- 対応表:
- ハセガワ Z24(開戦時) → QG42木甲板など“開戦時用”を選択。
- ハセガワ 40073(レイテ沖) → Artwox AW10112など“レイテ沖”対応を選択。
- 1/700(フジミ/アオシマ) → Flyhawk/Infiniの“キット対応品番”を確認(F社用など注記あり)。
7-6 色と仕上げ:最短で“長門らしさ”を出す
- 船体色:呉海軍工廠グレー系でまとめると“長門感”が出やすい(メーカー推奨番号でOK)。
- 木甲板の色差:木甲板シートでもオイルステイン調のトーン差を足すと立体感UP。
- 金属感:主砲砲身の熱焼けや錆汚れは控えめに。対空機銃の塗り分け(銃身・脚・弾倉)で密度が跳ねます。
- 編集部コメント:
SNSの“派手ウェザリング”は映えますが、**戦時写真(NHHC/NARA)をうっすら参照して“重心は低め”**の表現が実艦っぽい。第6章の一次資料を横に置いて塗るのが勝ち筋。
7-7 失敗しない制作フロー(チェックリスト)
- 船体の反り取り:左右貼り合わせ前に熱湯→常温で矯正(1/350は特に)。
- 艦橋は“塔”ごとに完成→合体:最上段から攻めず、1階層ずつ接着&整列確認。
- 小パーツは色サフで“集合塗装”:色ぶれを防ぐ。
- 張線(リギング):伸ばしランナー/極細糸。張る前に張線図を熟読(ハセガワ40073は“主要張線図”同梱)。
- 最後に“光”を入れる:双眼鏡や射撃盤、スポンソン端部にハイライト点。写真映えが一段上がります。
編集部コメント(まとめ)
「長門 プラモデル」で検索する読者が求めているのは“どれを買えば後悔しないか”。本誌のおすすめ順は艦NEXT → アオシマWL → ハセガワ1/350。そして木甲板+PEで“自分の長門”に仕立てる。**レイテ沖再販(2025/10/6)**という追い風も来ています。今から始めて、写真・図面で裏取りしつつ“歴史を手でなぞる”楽しさを。
第8章 カルチャーの中の長門:「艦これ」と“ビッグ7”の記憶
要点:データの艦から“物語のキャラクター”へ。艦隊これくしょん(艦これ)では長門はサービス初期から主力格で、2017年5月22日に長門改二が実装。以後は**「長門型一斉射」という特殊攻撃**の代名詞になり、イベント攻略の“切り札”としてプレイヤー文化に深く根づきました。
8-1 “ゲームの長門”が押し上げた関心
- ローンチ時からの看板艦:艦これは2013年サービス開始。長門は初期から登場し、日本の戦艦への入口として新規層を呼び込みました。のちに**長門改二(2017/5/22)**のアップデートで再注目。
- ビッグ7の再発見:ゲーム経由で**“Big 7(ビッグ7)”**という語が広まり、長門型の歴史的位置づけ(16インチ級=主砲火力の象徴)を知るきっかけに。史実面の復習には艦種・口径を整理した解説(長門型の項)も役立ちます。
編集部コメント:
“キャラ人気→史実検索”の流れは、Wikipediaとの差別化の好機。ゲームの見せ方が史実の理解をどう助け、どこでズレるのか——ここを丁寧に橋渡しするのがメディアの仕事です。
8-2 長門改二と“胸が熱い”——特殊攻撃の存在感
- 長門改二の実装:2017年5月22日アップデート。ゲーム内の性能や装備適性が上がり、“第二の全盛期”に。
- 長門型一斉射(通称:長門タッチ):長門改二/陸奥改二が一定条件を満たすと発動する3連続砲撃の特殊攻撃。高難度海域での先制打撃として重宝され、**「一斉射かッ…胸が熱いな!」**のフレーズはコミュニティの合言葉に。発動条件・倍率などの攻略情報は各攻略サイトに蓄積されています。
編集部コメント:
“一撃の重み”という戦艦の本質を、演出と数値で体験に落とし込んだ好例。史実の長門は砲戦機会が限られましたが、ゲームは“あり得た場面”を安全にシミュレートできる装置でもあります。
8-3 カルチャーがもたらした波及効果
- 検索と二次創作:**「長門 改二 条件」「長門 一斉射」**などの語が常連化。模型・絵・同人誌まで広く循環し、プラモデルの需要喚起にも寄与。
- 史実側の受け止め:ゲームの“声”が史実像を上書きしがちなのは事実。ただ、その入口があったからこそ図面や一次写真(NHHC/NARA)に辿り着く読者も増えています。私たちはこの“往復運動”を歓迎します。
編集部コメント(結論)
艦これの長門は、“ビッグ7の物語”を21世紀の読者に接続した存在。日本軍/太平洋戦争の歴史を安全に、楽しく学ぶ導線として、そして日本の戦艦への関心を持続させる触媒として、ポジティブに評価しています。
第9章 よくある質問(FAQ)
編集部の方針:検索でよく出てくる疑問を“短く・根拠つき”で。Wikipediaの羅列では拾いづらい保存・倫理や現地事情も押さえます。
Q1. なぜ長門は記念艦にならなかったの?
A. 終戦後に米海軍が接収し、**1946年の核実験「クロスロード作戦」**の標的艦に指定されたため。**Able(7/1)**は軽傷、**Baker(7/25)**後に汚染・浸水が進み、7/29〜30未明に転覆沈没しました。記念艦化の選択肢はそもそも閉ざされていたわけです。
編集部コメント:
米側資料には“真珠湾攻撃部隊の旗艦だった長門は嫌われていた(despised)”という記述も。象徴艦を核実験に立たせる心理戦の側面は見逃せません。
Q2. 現在はどこに? 深さは?
A. ビキニ環礁ラグーンの中、水深およそ170ft=約52mで上下逆さに着底。ダイブ事業者の案内や現地記録でもこの深度・姿勢が繰り返し示されています。
Q3. どうして引き上げない(引き上げない理由)?
A. まとめると4点です。
- 世界遺産:ビキニは2010年に世界遺産登録。**現地保存(in situ)**で“核の時代の証言”として保全する方針が基本。
- 環境・放射線:島嶼部では今も外部ガンマ線量が相対的に高い地点があり(例:Bikini島中心部で数百mrem/年)、大規模サルベージは堆積物の攪乱リスクを伴います。
- 工学・コスト:約3.2万トン級が上下逆さ・水深約52mの状況。切断・吊り上げ・輸送を含む超大規模工事で、費用対効果が見合いません(本点は技術的常識に基づく編集部の評価)。根拠データは深度・トン数。
- 倫理:水中文化遺産は現地保存優先という国際的ルールが浸透。“展示物”にするより“現場”として残す価値が重視されます。
Q4. 核実験の種類と“最後(沈没)”の時系列は?
A. Able(空中:7/1)→Baker(水中:7/25)。Baker後の汚染と浸水で7/29〜30未明に沈没。NHHCの写真番号NH 96240はBaker直後の連写で、噴煙の裾に長門の艦橋シルエットが映ります。
Q5. 終戦時、長門は本当に“唯一浮いていた日本の戦艦”なの?
A. 公式史料の要約(NHHC “H-gram”)でも**「12隻の日本戦艦のうち、終戦時に浮いていたのは長門のみ」**と整理されています。
Q6. 主砲は何cm? 射程は?
A. 45口径41cm(16.1インチ)砲を8門。近代化改装で仰角+43°となり、最大射程は約37,900m級と整理されます(運用弾・装薬に左右)。専門サイトNavWeapsに詳細。
Q7. 太平洋戦争での“砲戦の活躍”が少ないのはなぜ?
A. 航空主兵の時代に移り、戦艦は防空・象徴・指揮の役割が増えました。ミッドウェーでは主力戦艦隊が空母隊の後方で不交戦、マリアナでも受け身、レイテでは空襲損傷と戦機逸失が重なります。
編集部コメント:
カタログ上の**性能(主砲・装甲)**より、レーダー・航空・管制の総合力差が勝敗を決めた——これが長門の“物語の核心”です。
Q8. ダイビングで見られる? 条件は?
A. 可能。ただしテクニカル・ダイブ前提(減圧/トライミックス)で、ライブアボード利用が一般的。上下逆さのため姿勢感覚を崩しやすく、内部侵入は高リスクです。
Q9. 写真や図面はどこで手に入る?
A.
- 写真:米海軍NHHC(例:NH 96240ほか)やNARAの公式アーカイブが一次資料の王道。
- 図面:**東京大学「平賀譲デジタルアーカイブ」に「軍艦長門・陸奥 舵骨之図」や「長門 改正図」群がIIIFで公開。JACARには「軍艦長門 戦闘詳報」**も。
Q10. **「艦これ」**の長門と史実の差分は?
A. “長門型一斉射”などゲーム固有の演出は、16インチ級の一撃性という史実の特徴をデフォルメした表現。史実では砲戦機会そのものが少ない点に注意。一次写真・図面で“現実のシルエット”を確認しつつ楽しむのが吉です(ゲーム内実装年:2017/5/22に長門改二)。
Q11. **「日本軍/大日本帝国の戦艦」として、長門の“位置づけ”**を一言で?
A. ビッグ7の一角として抑止の看板を背負い、太平洋戦争では象徴と防空を担い、核実験で“戦艦時代の終幕”を物理的に刻印した艦。日本の戦艦の“始まりの誇り”と“最後の現実”が1隻に重なっています。
編集部コメント(補足)
「引き上げない理由」には、世界遺産の保存思想と現地の放射線事情という**“文化・科学”の二層が重なっています。長門は場所そのものがメッセージ。だからこそ、プラモデルや写真・図面**で“手元に置く”楽しみと、現地(海の底)に残す意義は、矛盾せずに両立します。
まとめ 長門が残した“距離感”—技術の誇りと、核の現実
戦艦 長門は、長門型として41cm主砲と当時最先端の性能を備えた“ビッグ7”の象徴であり、連合艦隊旗艦として大日本帝国(日本軍)の「見える抑止力」を体現しました。ところが第二次世界大戦/太平洋戦争では、戦いの主役が航空へ移ったことで砲戦の活躍は限定的に。終戦後は核実験(クロスロード)に晒され最後はビキニ環礁で沈没、いまも約52mの海底で上下逆さに眠っています。
引き上げない理由は、世界遺産としての現地保存・環境/放射線への配慮・工学的コスト・水中文化遺産の倫理という四層構造。だからこそ長門は、日本の戦艦史の誇りと、20世紀後半の現実を結ぶ“場所そのもの”として意味を持ち続けます。
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