富嶽とは|日本の超重爆撃機計画・性能案・実現しなかった理由

格納庫の設計台に置かれた富嶽の三面図と六発大型機の模型
格納庫の設計台に置かれた富嶽の三面図と六発大型機の模型
図面と模型の段階で終わった六発超重爆撃機「富嶽」計画

富嶽は、米本土攻撃を想定した日本の六発超大型爆撃機計画である。機体も発動機も完成せず、実戦には一度も出ていない。

富嶽を「もし完成していれば戦局を逆転した夢の爆撃機」と見るだけでは、計画の本質を外す。重要なのは、全幅65m、5,000馬力級発動機6基、航続1万6,000kmという構想値そのものより、それを試作・量産し、燃料と乗員をそろえて反復運用できたかである。

富嶽 爆撃機の要点

本稿は、1943年の中島知久平による「必勝戦策」、1944年の官民合同計画、発動機ハ54の設計記録を分離して読む。数値が違う資料を平均して「富嶽の性能」にせず、どの段階の案かを明示する。

> SWELL装飾指示:結論ボックス 富嶽は完成兵器ではなく、構想・基本設計・部品製作の途中で中止された計画である。性能値はすべて計画値であり、飛行実測値ではない。

目次

富嶽とは|完成しなかった六発超重爆撃機

富嶽とは|完成しなかった六発超重爆撃機

富嶽は、中島飛行機の創業者・中島知久平が主導した「Z飛行機」構想を起点とし、のちに陸海軍と軍需省を含む計画へ移った超大型長距離機である。狙いは、日本から太平洋を越えて米国の航空機生産拠点などを攻撃できる機体を造ることだった。

防衛研究所の史料公開ニュースは、同所所蔵の「極秘 必勝戦策(Z飛行機富嶽)計画書)」を、中島知久平が1943年に作成した米本土攻撃構想を主軸とする計画書と紹介する。群馬県立図書館のデジタル資料案内でも原資料を閲覧でき、Z機の三面図や運用構想が確認できる。

ただし、原資料に描かれた機体と、陸海軍の要求調整後に設計された機体を同一の完成図と考えてはならない。日本機械学会誌に掲載された、当時の「ハ54計画要領書」と設計主任の回想を基礎にした水谷総太郎「超大形爆撃機『富嶽』のエンジン」は、設計が進むたび多くの構想が提案され、計画が変更されたと明記する。

したがって「富嶽の最高速度は680km/hだった」という書き方は不正確である。正しくは「必勝戦策系の代表構想に680km/hという目標値が置かれた」であり、実機による証明はない。

この論点を広く比較するなら、「第二次世界大戦・日本の戦闘機一覧|旧日本軍の全機体を海軍・陸軍・試作機まで完全網羅【保存版】」もあわせて確認したい。

Z飛行機から必勝戦策、合同計画、中止までの段階図
民間構想から合同試作へ移り、サイパン喪失後に中止された富嶽の段階

Z飛行機から富嶽へ|民間構想と国家計画を分ける

Z飛行機から富嶽へ|民間構想と国家計画を分ける

出発点は、陸海軍が最初から統一要求を出した正式試作機ではない。中島知久平が米国の航空工業力と長距離爆撃機の登場を警戒し、自社内で超大型機の検討を進めたことにある。1943年にまとめた「必勝戦策」は、Z飛行機だけでなく、戦争をどう継続するかという政治・軍事提言を含む文書だった。

国際基督教大学の研究紀要に収録された「中島飛行機三鷹研究所―その稼働期―」は、必勝戦策に爆撃機・掃射機・雷撃機・輸送機としての使用法と生産計画が記されたと整理する。また1944年初めに陸軍省・海軍省・軍需省の共同計画として採用され、試製富嶽委員会が置かれた経緯を追っている。

ここで計画の性格が変わる。知久平の「何を実現したいか」という戦略構想から、軍側の「どの発動機を使い、どの寸法と性能なら試作できるか」という技術調整へ移ったのである。陸軍、海軍、軍需省、研究機関、メーカーにはそれぞれ既存計画と資材配分があり、要求をそろえるほど機体案は揺れた。

Z飛行機」「必勝戦策の巨人機」「富嶽」を完全な同義語として扱うと、この変化が消える。本稿では、Z飛行機を初期構想、富嶽を官民合同化後も含む計画名として用いる。ただし史料自身の呼称が重なる場合は、その文脈を優先する。

私見では、富嶽を理解する第一歩は三面図を見ることではなく、誰が、いつ、何のために引いた線かを確かめることである。同じ全幅65mでも、政策提言の図と製作図では証拠としての重みが違う。

富嶽の性能案|確定値ではなく「目標値の層」で読む

富嶽の性能案|確定値ではなく「目標値の層」で読む

代表的な構想値は、全幅65m、全長45m、主翼面積350平方m、全備重量160t、5,000馬力級発動機6基、合計3万馬力、速力680km/h、航続1万6,000kmである。これらは前掲の日本機械学会誌が「要目を抜粋」して示した値で、同稿自体が計画変更を断っている。

項目代表構想値史料上の扱い読む際の注意
全幅65m必勝戦策系の代表案製造済み翼の実測ではない
全長45m同上官民調整後の案と同一とは限らない
主翼面積350平方m同上翼面荷重は重量条件で変わる
全備重量160t同上燃料・爆弾・防御装備の内訳が必要
発動機5,000馬力×6ハ54を前提とする目標発動機は完成・耐久試験に至らず
最大速力680km/h計画値高度、重量、出力持続条件が不明
航続距離16,000km計画値予備燃料、風、迂回、爆弾搭載条件が必要
爆弾搭載20t級とされる案構想資料にみられる値最大搭載と長距離任務を同時達成した値とは限らない

航空機の性能表では、最大速度、最大搭載量、最大航続距離が別々の条件で測られる。最大量の爆弾を積めば燃料を減らす必要があり、最大航続を狙えば速度や搭載量を抑える。富嶽の場合は実機試験がないため、この相互関係を飛行データで補正できない。

よって「20tの爆弾を積み、680km/hで1万6,000km飛べた」と三つの最大値を一つの任務へ結合するのは誤りである。三つは同時保証された性能ではなく、計画の野心を示す別々の頂点と読むべきだ。

> SWELL装飾指示:比較表 「代表構想値」「確認段階」「未確定条件」を色分けし、すべてに「計画値」の注記を付ける。

富嶽の複数性能案を重ねて示す六発機の三面比較
一つの確定図ではなく、目的と要求の変化に応じて揺れた富嶽の性能案

5,000馬力発動機ハ54|富嶽最大の技術的関門

5,000馬力発動機ハ54|富嶽最大の技術的関門

富嶽の成立を左右したのが、陸海軍共通名称「ハ54」、中島社内呼称「BZ」の発動機である。前掲の日本機械学会誌によれば、空冷4列星形36気筒、排気量約96.4L、乾燥重量2,450kg、3速過給機を備え、目標出力は5,000馬力だった。

考え方は、次期発動機BH、のちのハ44系を前後に組み合わせ、二つの18気筒系統から一つの36気筒発動機を作るものだった。単純に「2,500馬力を二つ足せば5,000馬力」にはならない。共通の減速装置で巨大なプロペラを回し、後列まで冷却し、振動とねじりを抑え、燃料を均等に送り、高空でも出力を維持する必要がある。

しかも富嶽はこれを6基使う。一基の計画出力が得られても、6基が同時に安定し、離陸から長時間巡航、攻撃、帰投まで動く確率は別問題である。整備側には216気筒、6組の過給・点火・燃料系統を点検する負担が生じる。

水谷論文が示す日程では、1945年2月までの耐久試験合格、同年5月の富嶽1号機初飛行が目標だった。しかし中止時点で設計と部品図がそろい、クランク軸やクランクケース素材の入荷、一部荒削りが始まった段階だった。完成発動機の台上耐久データも、機体搭載試験もない。

私見では、富嶽の「実現可能性」を問うとき、最初に見るべき数字は680km/hではなく、5,000馬力を何時間、何台、同じ品質で維持できたかである。その数字は得られる前に計画が終わった。

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二つの18気筒系統を前後に組み合わせたハ54発動機の構造図
36気筒・5000馬力を目標に、冷却と減速機の難題を抱えたハ54

米本土まで飛べたのか|航続1万6,000kmの余裕を検証する

米本土まで飛べたのか|航続1万6,000kmの余裕を検証する

富嶽の核心は「富嶽 アメリカ 爆撃」という検索意図にある。日本本土から米西海岸までの直線距離は、出発地と目標によるが片道およそ8,000km前後である。往復なら代表構想値の1万6,000kmをほぼ使い切る。

これは地球儀上の最短線にすぎない。実際の作戦には離着陸、上昇、編隊集合、天候回避、敵防空圏の迂回、目標上空での機動、向かい風、予備飛行場への移動、着陸待機の燃料が要る。戦闘損傷や一基停止が起きれば燃費も悪化する。

したがって「航続1万6,000kmだから日本から米国を往復できる」とは断定できない。給油や片道運用、別地域への着陸を組み合わせる構想はあり得るが、それぞれ中継基地、外交条件、補給、回収の問題を持つ。地図上で線がつながっても、作戦として閉じるとは限らない。

さらに爆撃機一機の到達だけでは効果は限定される。多数機を同時に離陸させ、洋上航法で集結させ、目標を識別し、帰投機を誘導する通信・気象・救難体制が必要になる。超長距離任務は、機体より広い地上システムを要求する。

> SWELL装飾指示:注意ボックス 「航続距離=作戦半径×2」ではない。予備燃料、風、搭載量、迂回、代替飛行場を差し引く必要がある。

富嶽とB-29の違い|巨大さより「実用化の段階」が違う

富嶽とB-29の違い|巨大さより「実用化の段階」が違う

富嶽はB-29より大きく速い計画だった、と比較されやすい。米空軍国立博物館のB-29諸元は、全幅約43.1m、最大重量約60.6t、2,200馬力発動機4基、最大速度357mph(約575km/h)、航続3,700mile(約5,950km)を示す。

比較点富嶽・代表構想B-29・公的諸元決定的な差
段階設計・部品製作途中量産・実戦運用実測と運用記録の有無
全幅65m約43.1m富嶽の方が約1.5倍の計画
発動機5,000馬力×6の計画2,200馬力×4富嶽用ハ54は未完成
最大速力680km/hの計画約575km/h計画値と実測・制式値は直結不可
航続16,000kmの計画約5,950kmの公表値搭載・任務条件が異なる
与圧案の細部は固定せず与圧区画を実用化乗員疲労と高高度運用に直結
生産0機大量生産工場・治具・教育・補給を含む差

スミソニアン国立航空宇宙博物館は、B-29を第二次世界大戦で最も高度なプロペラ爆撃機とし、与圧された乗員区画、遠隔操作銃塔、高縦横比翼を説明する。B-29にもR-3350発動機の過熱や初期故障があったが、米国は試験、改修、量産、基地建設、乗員教育を並行して実戦体系へ仕上げた。

富嶽がB-29を「カタログ上で上回る」こと自体は難しくない。未完成計画は理想条件を置けるからである。公平な比較は、設計目標同士、または実用機同士で行うべきで、富嶽の計画最大値とB-29の実戦制約込みの値を同列に並べて勝敗を決めてはならない。

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日本の工業力で量産できたのか|一機ではなく生産線を考える

日本の工業力で量産できたのか|一機ではなく生産線を考える

大型機を量産するには、広い工場だけでなく、大型桁を加工する工作機械、熱処理設備、精密軸受、過給機、プロペラ、タイヤ、計器、無線機、長い治具、運搬路が要る。5,000馬力級発動機を6基使うなら、一機完成させるだけで他機種多数分の材料と加工時間を占有する。

米国戦略爆撃調査団の『The Japanese Aircraft Industry』は、1944年1月から1945年8月の調整後計画6万6,000機に対し、実引渡しは約4万機、発動機は計画10万5,000基に対し約5万6,000基だったと整理する。これは全機種合計の数字であり、富嶽だけの不足数ではない。しかし既存機の要求すら計画から大きく遅れた産業環境を示す。

同報告は、1944年以降に機体・発動機の計画と実績の差が広がり、燃料と操縦者の不足も運用を制約したとする。富嶽を優先すれば、戦闘機、偵察機、輸送機、既存爆撃機の発動機や熟練工を削る。新兵器の費用は会計上の価格だけでなく、作れなくなる別の兵器として現れる。

初期構想には短期間で数百機を整備する生産像も示された。しかし、試作発動機さえ耐久試験前の段階から数百機量産へ進むには、設計凍結、試作、破壊試験、治具製作、協力工場教育、部品互換性確立という段階が抜けている。

私は富嶽を「日本に技術力がなかった証明」とは考えない。ハ54の部品図まで進めた設計力はあった。問題は、その高度な一品設計を、戦時下で交換可能な製品へ変える時間、材料、測定器、品質管理がなかったことである。設計室の一機と、飛行場の百機の間には、工場という最も大きな翼が必要だった。

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超大型機一機を支える発動機工場、部品輸送、飛行場整備の連鎖
富嶽の量産に必要だった工作機械、六基の発動機、輸送、基地の連鎖

飛行場・燃料・乗員|完成後にも残る運用上の壁

飛行場・燃料・乗員|完成後にも残る運用上の壁

仮に機体と発動機が完成しても、富嶽専用の運用基盤が必要になる。160t級の計画機を離着陸させる長く強い滑走路、65mの翼を収める整備場、5,000馬力発動機を外すクレーン、巨大なタイヤとブレーキ、燃料・爆弾を安全に扱う施設である。

六発機では操縦士だけでなく、航法、通信、機関監視、爆撃、防御、酸素・与圧、電源を担当する乗員の教育が要る。超長距離飛行は交代要員、睡眠、食料、排泄、寒冷、高高度低酸素への対策も持続戦闘力に含む。一度米本土へ届くことと、週単位で出撃を繰り返すことは違う。

燃料量は構想値の内訳が確定していないため、本稿では具体的な搭載量を創作しない。ただし6基合計3万馬力を長時間動かす以上、一出撃の燃料消費が大きいことは避けられない。精製、貯蔵、鉄道・船舶輸送、給油車まで含めた補給線が必要になる。

1944年夏以降、日本はサイパン喪失で本土がB-29の作戦圏へ入り、輸送船舶と燃料の不足も深刻化した。JACARの1944年6月19日年表は、マリアナ沖海戦とサイパンをめぐる戦闘によって「絶対国防圏」の一部を失った経緯を示す。富嶽用の大基地を集中整備する時間と安全な後方は急速に失われていた。

富嶽計画はなぜ中止されたのか|サイパン喪失と優先順位の転換

水谷論文に収録されたハ54設計主任の回想では、設計と部品図がそろい、一部素材の加工が始まったころサイパンが米軍の手に落ち、その後まもなく中止命令が届いた。サイパン陥落は1944年7月であり、計画が目指した1945年2月の発動機耐久試験、5月の初飛行よりはるか前だった。

中止理由を「エンジンが難しかったから」だけに縮めるのは不十分である。

  • <span class="swl-marker mark_green">ハ54</span>は完成・耐久試験前で、5,000馬力の持続性が未証明だった
  • 機体案が変化し、重量・航続・兵装の設計凍結に至っていなかった
  • 既存機の量産にも発動機、材料、熟練工の不足が生じていた
  • サイパン喪失で本土防空と即応兵器の優先度が高まった
  • 超大型機用基地、燃料、乗員をそろえる時間がなくなった

つまり技術的な難問と戦略的な時間切れが重なった。仮にハ54の試作を続けられても、機体試験、事故改修、量産移行、部隊訓練までにはさらに時間が要る。1944年夏の戦局から見れば、富嶽へ資源を集中するほど本土防空の戦闘機や既存機用発動機が減る。

> SWELL装飾指示:工程タイムライン 1943年必勝戦策、1944年初頭合同計画、同年7月サイパン陥落と中止、1945年2月予定の耐久試験、同年5月予定の初飛行を並べ、後二つは「未達」と表示する。

富嶽の実作業と未達予定を分けた1943年から1945年の工程
部品加工開始の先に予定された耐久試験と初飛行は、中止により未達となった

富嶽の実現可能性|「飛ぶ」「戦う」「量産する」を分ける

実現可能性は三段階で評価すると混乱が少ない。

第一は、試作機が離陸できた可能性である。大型機設計、金属構造、過給発動機の経験は日本にもあり、十分な時間と資材があれば、何らかの六発試作機が飛ぶ可能性まで否定する必要はない。ただし計画どおりの160t、680km/h、1万6,000kmを同時達成できたとは言えない。

第二は、爆撃任務を一度成功させる可能性である。発動機信頼性、洋上航法、気象、米側迎撃、基地復帰までの鎖の一つが切れれば失敗する。少数機の奇襲は心理的効果を持ち得ても、巨大な米航空産業の生産を継続的に止めるには反復攻撃と大規模戦力が要る。

第三は、戦争の帰趨を変える規模で量産・運用する可能性である。前掲USSBSが示す発動機不足と生産未達、燃料・操縦者不足を踏まえると、最も低い。大型機を数百機そろえる計画は、機体だけでなく数千基の巨大発動機、予備部品、基地、訓練、護衛・情報体系を求める。

判定対象本稿の評価根拠
何らかの試作機を飛ばす可能性は否定できない設計・部品製作は進行していた
代表構想値を同時達成証明不能完成発動機・機体・飛行試験がない
少数機で米本土へ到達条件付きで構想可能距離余裕、気象、基地、信頼性が厳しい
数百機を量産・反復運用1944年以降は極めて困難生産未達、発動機不足、燃料・時間の欠如
戦局を逆転根拠なし標的規模と米生産力に対し継続力が不足

この評価は、設計者の努力を軽視するものではない。むしろ達成段階を分けることで、図面と部品製作まで進んだ仕事を、後世の架空戦記的な万能性能から救い出せる。

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米本土爆撃構想をどう読むか|技術史と被害への敬意

必勝戦策が想定したのは、米国の航空機生産力へ打撃を与える攻撃である。工場は都市、鉄道、発電、労働者の居住地と結びつく。1940年代の爆撃精度と大規模爆撃の実態を考えれば、実施されていた場合に民間人被害を避けられたとは考えにくい。

一方、B-29による日本本土空襲では多数の市民が死亡し、生活基盤が焼失した。富嶽を語るとき、米本土を一方的に攻撃する爽快な物語にも、B-29だけを技術的成功として切り離す物語にもすべきではない。爆撃機の航続力と搭載量は、その先にいる人の被害と不可分である。

本稿が性能値を丁寧に区別する理由も、単なる模型的な正確さではない。存在しなかった戦果を膨らませると、想定された攻撃対象と被害が娯楽的に消費される。計画に携わった技術者、空襲で亡くなった市民、戦争で動員された人々への敬意として、達成したこととしなかったことを分ける必要がある。

富嶽のよくある誤解|完成・性能・戦果を混同しない

富嶽は試作機まで完成していたのか

完成していない。ハ54は設計と部品製作の途中で、機体も飛行試験へ至らなかった。「部品加工が始まった」は「試作機が完成した」と同じではない。

富嶽はB-29より高性能だったのか

代表構想値では全幅、出力、速度、航続がB-29を上回る項目がある。しかし富嶽計画値、B-29は量産・実戦機の値である。同じ証拠段階ではないため、単純な優劣は決められない。

富嶽なら米国を往復爆撃できたのか

航続1万6,000kmという目標値は、本州―米西海岸の往復直線距離に対して余裕が小さい。搭載量、風、迂回、予備燃料を含む任務計画が実証されておらず、往復可能とは断定できない。

富嶽という名称の設計図は一種類か

一種類ではない。Z飛行機の初期構想、必勝戦策の図、官民合同後の要求調整、発動機案が重なり、数値も変化した。出典と段階を付けずに「公式諸元」と呼ぶべきではない。

富嶽の完成、速度、航続、生産に関する主張と証拠段階の対照表
原計画、設計記録、実測の有無を分けることで見える富嶽の証拠段階

よくある質問

富嶽はどの会社が計画したのか

中島飛行機の中島知久平が<span class="swl-marker mark_blue">Z飛行機</span>構想を主導し、のちに陸軍・海軍・軍需省を含む合同計画へ移った。民間の発案と国家側の試作計画を段階で分ける必要がある。

富嶽のエンジンは何だったのか

5,000馬力を目標とする空冷36気筒の<span class="swl-marker mark_green">ハ54</span>である。既存系統の18気筒発動機二つをタンデムにまとめる発想だったが、完成・耐久試験前に中止された。

富嶽の最高速度は本当に680km/hか

680km/hは代表的な<span class="swl-marker mark_orange">計画値</span>で、飛行実測値ではない。高度、重量、出力持続時間も含む試験記録が存在しないため「680km/hを出した」と表現してはならない。

富嶽は何機作られたのか

完成機は0機である。初期構想には大規模生産像があったが、機体試作も発動機完成も実現しなかった。

なぜ富嶽は中止されたのか

<span class="swl-marker mark_green">ハ54</span>と機体の技術的難度、計画変更、生産資源不足、燃料・基地・乗員の運用問題に加え、1944年夏のサイパン喪失で即応する本土防空へ優先順位が移ったためである。

富嶽は架空兵器なのか

純粋な創作ではない。原計画書、委員会、発動機設計、部品加工の史料がある。一方で完成・飛行していないため、実在した量産兵器のように戦果や実測性能を語ることもできない。 &gt; <strong>SWELL装飾指示:FAQ</strong> 6問をSWELL FAQブロックへ変換し、回答本文からFAQPage構造化データを出力する。

まとめ|富嶽は「設計できる」と「運用できる」の境界だった

富嶽は、中島知久平のZ飛行機構想と1943年の必勝戦策を起点に、1944年に陸海軍・軍需省を含む試作計画へ移った六発超大型爆撃機である。代表案には全幅65m、全備重量160t、5,000馬力級ハ54を6基、速力680km/h、航続1万6,000kmという目標が置かれた。

しかし数値は固定した完成諸元ではなく、計画段階で変化した。ハ54は設計と一部部品加工まで進んだものの、耐久試験前に中止され、機体も完成しなかった。したがって完成機、飛行実測、実戦戦果はいずれも存在しない。

中止は一つの欠陥で説明できない。巨大発動機、長距離機体、基地、燃料、乗員、生産治具を同時にそろえる必要がある一方、日本の航空機・発動機生産は1944年以降に計画未達を拡大し、サイパン喪失で時間も失った。

富嶽の価値は「幻の最強爆撃機」という称号ではない。高度な設計を一品で成立させることと、百機を同じ品質で作り、毎週飛ばし、帰還させることの距離を見せる点にある。富嶽はロマン兵器というより、日本の航空技術が「設計できるもの」と「量産・運用できるもの」の境界を示す計画だった。

この論点を広く比較するなら、「日本軍機の連合軍コードネーム一覧|Zero・Tony・Frankの由来」もあわせて確認したい。

参考資料・出典

  • <a href="https://www.nids.mod.go.jp/publication/nids_news/pdf/2007/nids_news1011.pdf">防衛省防衛研究所「防衛研究所ニュース 2007年10月号」史料公開ニュース</a>
  • <a href="https://www.library.pref.gunma.jp/multidatabases/multidatabase_contents/detail/1444/a448942e75ac364f9d7f5acf742c97e5?frame_id=1129">群馬県立図書館「必勝戦策」デジタルライブラリー資料案内</a>
  • <a href="https://www1.library.pref.gunma.jp/winj/archive/jpeg/1100247813/album00001.html">群馬県立図書館デジタルライブラリー「必勝戦策」原資料</a>
  • <a href="https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsmemag/85/766/85_KJ00001464268/_pdf">水谷総太郎「超大形爆撃機『富嶽』のエンジン―5000馬力への挑戦物語」日本機械学会誌</a>
  • <a href="https://icu.repo.nii.ac.jp/record/4216/files/ACS41_06%E9%AB%98%E6%A0%81.pdf">髙栁昌久「中島飛行機三鷹研究所―その稼働期―」国際基督教大学</a>
  • <a href="https://www.ibiblio.org/hyperwar/NHC/NewPDFs/USAAF/United%20States%20Strategic%20Bombing%20Survey/USSBS%20Japanese%20Aircraf%20Industry.pdf">ibiblio.org</a>
  • <a href="https://www.nationalmuseum.af.mil/Visit/Museum-Exhibits/Fact-Sheets/Display/Article/196252/boeing-b-29-superfortress/">米空軍公式</a>
  • <a href="https://airandspace.si.edu/collection-objects/boeing-b-29-superfortress-enola-gay/nasm_A19500100000">airandspace.si.edu</a>
  • <a href="https://www.jacar.go.jp/english/exhibition/shuhou-english/timeline/nenpyo19440619.html">JACAR, Timeline 19 June 1944</a>

参考資料・主な出典

防衛研究所の史料公開ニュース|資料を確認

群馬県立図書館のデジタル資料案内|資料を確認

水谷総太郎「超大形爆撃機『富嶽』のエンジン」|資料を確認

「中島飛行機三鷹研究所―その稼働期―」|資料を確認

米空軍国立博物館のB-29諸元|資料を確認

スミソニアン国立航空宇宙博物館|資料を確認

『The Japanese Aircraft Industry』|資料を確認

JACARの1944年6月19日年表|資料を確認

群馬県立図書館デジタルライブラリー「必勝戦策」原資料|資料を確認

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