二式複座戦闘機「屠龍」とは|B-29迎撃・斜め銃・性能を完全解説

飛行する二式複座戦闘機屠龍
飛行する二式複座戦闘機屠龍
双発エンジンと複座胴体を備えた二式複座戦闘機屠龍の機体形状

二式複座戦闘機「屠龍」は、川崎航空機が開発した大日本帝国陸軍の双発・複座戦闘機である。試作名称はキ45改、連合軍側のコードネームは「Nick」だった。

もともとは広大な中国大陸や太平洋上空で単発戦闘機を支援する長距離戦闘機として計画されたが、運動性や速度の面で単発戦闘機に及ばず、当初想定された任務では決定的な成功を収められなかった。

ところが、強力な37mm機関砲や上向きに装備した斜め銃、双発機ならではの航続力と安定性を生かし、対地攻撃、対艦攻撃、爆撃機迎撃、夜間戦闘へと用途を広げていく。戦争末期には日本本土へ飛来するB-29迎撃の主力機の一つとなった。

屠龍は、最初からB-29を狩る槍として生まれたのではない。使い道を失いかけた長距離戦闘機が、夜空で槍の向きを九十度変えたとき、ようやく設計の余白が戦力になったのである。

本記事では、二式複座戦闘機「屠龍」の開発経緯、性能、武装、斜め銃の仕組み、B-29迎撃での戦い、各型の違い、強みと弱点を詳しく解説する。

屠龍を単なる「B-29迎撃機」としてではなく、日本陸軍戦闘機の系譜、双発重戦闘機の限界、夜間防空の条件から読み解きます。

この記事の結論
目次

二式複座戦闘機「屠龍」とは

最初に結論

二式複座戦闘機は、大日本帝国陸軍が採用した双発戦闘機である。

正式名称の「二式」は皇紀2602年、すなわち1942年に制式採用されたことを示す。「複座」は操縦者と後席搭乗員の2名で運用すること、「戦闘機」は敵航空機との戦闘を主任務とすることを意味している。

愛称の「屠龍」は、文字どおり「龍を屠る」という勇ましい名称だ。大型爆撃機を龍に見立て、それを討ち取る重武装戦闘機という印象によく合っている。ただし、この愛称が広く使われるようになった時期や、部隊内での呼称には幅があった。実戦部隊では「二式複戦」「二式双戦」「キ45改」などとも呼ばれている。

開発と製造を担当したのは川崎航空機で、主任設計者は土井武夫だった。土井は後に三式戦闘機「飛燕」や五式戦闘機にも関わった日本航空技術史上の重要人物である。

屠龍の特徴を簡潔にまとめると、次のようになる。

双発エンジンによる長い航続距離

操縦者と後席搭乗員による複座構成

20mm・37mm級機関砲を搭載できる重武装

防弾装備や防火対策を考慮した比較的頑丈な機体

対地・対艦・爆撃機迎撃・夜間戦闘に対応する多用途性

胴体上部から斜め上方へ射撃する斜め銃

米国立航空宇宙博物館は、屠龍を日本陸軍で実戦投入された唯一の本格的夜間戦闘機と位置づけている。また、約1,700機が生産され、そのうち夜間戦闘型とされるキ45改丙は477機だったとしている。

日本陸軍機の位置づけは、第二次世界大戦の大日本帝国航空戦力日本の戦闘機一覧を起点に読むと整理しやすくなります。

なぜ日本陸軍は双発戦闘機を求めたのか

出発点を押さえる

遠距離戦闘機という要求が、屠龍の航続力と重武装を生みました。

1930年代後半、欧州各国では双発・複座の重戦闘機が相次いで開発されていた。

ドイツのメッサーシュミットBf110、フランスのポテーズ630系列、オランダのフォッカーG.Iなどが代表例である。双発戦闘機には、単発戦闘機より多くの燃料と武装を搭載でき、遠距離を飛行しながら爆撃機を護衛できるという期待が寄せられていた。

日本陸軍も中国大陸での戦闘を通じて、航続距離の長い戦闘機を必要としていた。

中国大陸は飛行場間の距離が長く、爆撃機が奥地へ向かうほど単発戦闘機による護衛が難しくなる。そこで陸軍は、双発エンジンと大容量の燃料を備え、長時間にわたって爆撃機に随伴できる「遠距離戦闘機」を構想した。

1937年、陸軍は川崎、中島、三菱に双発複座戦闘機の試作を指示した。中島と三菱が他の開発へ注力したため、計画は川崎を中心に進められることになる。

要求されたのは、最高速度540km/h、常用高度2,000~5,000m、5時間以上の滞空能力を備えた複座戦闘機だった。数字だけを見れば意欲的だが、当時の日本には高速双発戦闘機を完成させるための経験が十分に蓄積されていなかった。

単発機との設計思想の違いは、零戦の航続力と弱点と比べると、双発化の意味が見えやすくなります。

キ45の開発は難航した

双発化は燃料と武装を増やしますが、エンジン・脚・ナセルが増える分だけ速度には厳しい設計条件になります。

川崎が最初に開発した機体がキ45である。

1939年1月に試作1号機が完成したものの、その性能は陸軍を満足させられなかった。

初期のキ45には、英国ブリストル・マーキュリーを基礎とするハ20乙空冷星型エンジンが搭載されていた。しかし、出力不足に加えてエンジンや引込脚の不具合も発生し、最高速度は要求値へ届かなかった。

双発機はエンジンが二つあるから単純に速くなるわけではない。エンジンナセル、プロペラ、主脚、冷却構造が増えるため、正面抵抗と重量も大きくなる。出力の小さいエンジンを二基搭載しても、抵抗の増加を打ち消せなければ高速化にはつながらない。

川崎はエンジン換装、ナセル形状の変更、胴体の細型化、主翼面積の見直しなどを続けた。一時は計画そのものが停止状態となったが、土井武夫を中心とする設計陣は大幅な改修案をまとめる。

こうして生まれたのが、原型機とは事実上別物ともいえるキ45改である。

エンジンはより強力な空冷複列星型へ変更され、胴体、主翼、ナセル、武装配置が見直された。1941年に飛行した改修機は、ようやく陸軍が実用機として認められる性能へ到達する。

川崎は1942年8月に最初の量産型キ45改を引き渡し、同年秋から中国戦線の部隊で実戦投入が始まった。計画着手から実戦配備まで約5年を要しており、第二次世界大戦期の日本軍用機としては異例に長い開発期間だった。

屠龍の基本性能

性能の読み方
屠龍の双発・複座構造
前後の乗員区画、双発エンジン、燃料と武装の配置を確認できる屠龍の機体構造

二式複座戦闘機は生産時期、型式、武装、現地改修によって重量や性能が異なる。代表的なキ45改の数値はおおむね次のとおりである。

項目内容
全長約11.0m
全幅約15.0m
全高約3.7m
主翼面積約32.2平方メートル
乗員2名
自重約4,000kg
全備重量約5,300~5,500kg
エンジンハ102空冷複列星型14気筒×2
出力1基あたり約1,050~1,080馬力
最高速度約540km/h前後
航続距離約2,000km前後
実用上昇限度約10,000m
武装12.7mm機関砲、20mm機関砲、37mm機関砲、斜め銃など

最高速度約540km/hという数値は、1942年時点の双発戦闘機として極端に低いものではない。ただし、同時期の一式戦闘機「隼」や二式単座戦闘機「鍾馗」、その後登場する三式戦闘機「飛燕」などと比べると、上昇力や旋回性能では不利だった。

特に高高度では、エンジンの過給性能が十分ではない。高度8,000~10,000m付近を飛ぶB-29へ接近する場合、屠龍は重い武装と燃料を抱えながら上昇しなければならず、迎撃位置へ到達するだけでも難しかった。

一方、双発機としての安定性は高く、大口径機関砲を射撃するためのプラットフォームとしては優れていた。機体に防弾板や防火対策が盛り込まれ、燃料タンクにも被弾時の火災を抑える配慮がなされていたとされる。

米軍が戦後に現存機を試験した際には、地上での取り回し、狭い操縦席、振動、視界には厳しい評価が下された。その一方、離陸、上昇、飛行特性、着陸進入、運動性については良好から非常に良好と評価されている。私は、この評価に屠龍の本質がよく表れていると思う。操縦環境に難点はあっても、空へ上がれば大型機らしからぬ素直さを持つ機体だったのだ。

本土防空で対照的な単発迎撃機となった鍾馗(Ki-44)と読み比べると、上昇力と航続力の優先順位が分かります。

屠龍の武装はなぜ強力だったのか

大口径砲の意味
屠龍の機首武装
機首へ集中配置された12.7mm機関砲と37mm級機関砲の構成

大口径砲は、命中させる射撃機会が少ない大型爆撃機迎撃でこそ価値を持ちます。

屠龍の大きな特徴が、単発戦闘機より強力な固定武装である。

初期量産型では、機首に12.7mm機関砲2門、胴体下面に20mm機関砲1門、後席に7.92mm旋回機関銃1挺を装備する構成が代表的だった。

12.7mm機関砲は単発戦闘機にも搭載可能だが、20mmや37mm級の機関砲を複数搭載すると重量と反動が大きくなる。双発で大型の屠龍は、こうした重武装を比較的無理なく搭載できた。

12.7mmホ103機関砲

ホ103は日本陸軍を代表する航空機用12.7mm機関砲である。

発射速度が比較的高く、7.7mm機関銃より大きな破壊力を持っていた。機首に集中配置することで、主翼に機銃を搭載する場合のような射線の収束距離を意識せず、正面へ弾丸を送り込める。

ただし、大型四発爆撃機を短時間で撃墜するには、12.7mm弾だけでは火力不足となることも多かった。

20mmホ3機関砲

胴体下面に搭載されたホ3は、対航空機だけでなく対地・対艦攻撃でも威力を発揮した。

20mm弾は12.7mm弾より炸薬量が大きく、機体構造、エンジン、燃料系統へ命中すれば重大な損傷を与えられる。一方で、機関砲本体と弾薬が重く、弾道も12.7mm機関砲とは異なるため、複数口径を同時に命中させるには経験が必要だった。

37mm機関砲

対大型爆撃機用として特に注目されたのが37mm砲である。

初期の37mm武装には、戦車砲を航空機用に転用した手動装填式のものもあった。後席搭乗員が砲弾を一発ずつ装填し、操縦者が照準して発射する方式で、発射速度は非常に遅い。

その後は、自動装填が可能なホ203機関砲を搭載する型が登場した。

37mm弾がB-17、B-24、B-29のエンジンや主翼付け根へ直撃すれば、一発でも致命傷を与え得る。反面、弾道の落下が大きく、発射速度も低いため、命中させるには目標へ接近して正確に狙う必要があった。

造形村の公式資料でも、甲型の機首にはホ103 12.7mm機関砲2門、丙型の機首にはホ203 37mm機関砲1門、胴体下面にはホ3 20mm機関砲1門を搭載する構成が紹介されている。屠龍では運用目的に応じ、機首、胴体下面、後席、胴体上部の武装が何度も変更された。

斜め銃とは

斜め銃の要点
屠龍の斜め銃による夜間迎撃
爆撃機の下方から斜め上向きの機関砲で攻撃する屠龍の夜間戦闘

斜め銃は死角を突く装備ですが、死角が完全な無防備を意味するわけではありません。

斜め銃とは、機関砲を機体の進行方向ではなく、斜め上方へ向けて固定した武装である。

通常の戦闘機は機首や主翼に前方固定銃を装備し、敵機の後方へ回り込んで射撃する。しかし、爆撃機の後方には旋回機銃や機関砲が装備されている。真後ろから接近すれば照準しやすい一方、敵の防御火力を正面から受ける危険があった。

斜め銃を装備した夜間戦闘機は、敵爆撃機の下方へ入り、同じ方向と速度で追従しながら斜め上へ射撃する。

攻撃の流れは次のようになる。

地上監視所、レーダー、探照灯などから敵爆撃機の位置情報を得る

敵編隊の下方または下方後方へ接近する

爆撃機と速度・進路を合わせる

主翼付け根、燃料タンク、エンジン付近を照準する

20mm斜め銃で短い連射を加える

敵が回避する前に下方または側方へ離脱する

大型爆撃機は機体上面や後方に比べ、真下の目標を発見しにくい。夜間であればなおさらである。斜め銃は、爆撃機から見えにくい位置へ潜り込み、防御砲火を受けにくい角度から重要部位を狙うための武装だった。

ただし、B-29の腹部が完全な死角だったわけではない。B-29は遠隔操作式の機銃塔を備え、複数の射手が照準情報を共有できた。接近を発見されれば下方の屠龍も射撃を受ける。また、斜め銃で命中させるには敵機との距離、速度差、照準角を維持しなければならない。暗闇の中で四発爆撃機の直下へ入り、衝突を避けながら射撃するには高度な操縦技術が必要だった。

現地部隊では、胴体上部の燃料タンクを外し、12.7mm機関砲を斜め上向きに装備する改修が行われた。その有効性が認められたため、川崎は20mm機関砲を斜め上向きに装備した夜間戦闘型を生産するようになった。

同じ斜め銃を使った海軍機の詳細は、月光(J1N1)の夜間戦闘機化で、屠龍との出発点の違いを確認できます。

月光の斜め銃との違い

斜め銃を装備した日本軍機としては、海軍の夜間戦闘機「月光」も有名である。

月光はもともと長距離偵察機として開発された機体であり、戦闘機としての運動性や前方火力には限界があった。しかし、安定した双発機で機内に余裕があり、斜め銃を搭載する夜間戦闘機へ改造された。

屠龍は陸軍の双発戦闘機として設計され、当初から機首や胴体下面に重武装を搭載していた。月光が偵察機から夜間戦闘機へ転身したのに対し、屠龍は重戦闘機から夜間迎撃機へ任務を変えた機体である。

両機は斜め銃を用いる点では似ているが、開発の出発点が異なる。

私は、月光と屠龍を単純に「どちらが強いか」で比べるべきではないと考える。両機に共通するのは、当初の設計目的から外れた任務で価値を見いだしたことだ。日本軍の夜間防空は、専用機を十分に準備できなかったからこそ、既存の双発機に残された空間と搭載力を使うほかなかったのである。

月光の機体改造と夜間迎撃の実例は、月光の記事にまとめています。

屠龍の実戦投入

屠龍は1942年秋から中国戦線で実戦投入された。

当初は爆撃機護衛や敵戦闘機との空中戦が想定されていたが、単発戦闘機を相手に格闘戦を行うには不利だった。機体が重く、旋回半径も大きいため、軽快な敵機に低速旋回戦へ引き込まれると苦戦する。

その一方で、航続力と重武装は別の任務で役に立った。

日本軍航空隊の戦場別の運用は、大日本帝国の航空戦力解説から戦闘機・攻撃機の役割を横断して読めます。

対地攻撃

屠龍は中国大陸、東南アジア、ニューギニア方面などで対地攻撃に使用された。

機首と胴体下面に集中した機関砲は、車両、陣地、飛行場、集積所を攻撃するのに適していた。双発機であるため、片方のエンジンが損傷しても条件次第では飛行を続けられる。

ただし、低空対地攻撃では小銃、機関銃、高射機関砲から集中射撃を受ける。大型の屠龍は単発戦闘機より目立ちやすく、低速で直進する時間が長くなれば被弾の危険も増した。

対艦・船舶攻撃

南方では、連合軍の小型艦艇や輸送船に対する攻撃にも投入された。

37mm砲や20mm砲は、小型艇、上陸用舟艇、魚雷艇に対して有効だった。米国立航空宇宙博物館の解説でも、屠龍が米海軍のPTボートを含む船舶や地上目標への攻撃に多用されたことが記録されている。

一方、対艦攻撃では艦艇側の対空火器へ正面から接近することになる。大口径砲を搭載していても、屠龍そのものは装甲攻撃機ではない。戦争後半になるほど連合軍艦艇の対空火力は強化され、低空攻撃の損害は増大した。

爆撃機迎撃

屠龍が最も適性を示したのが大型爆撃機の迎撃である。

B-17やB-24のような四発爆撃機は頑丈で、7.7mm機関銃を数発命中させただけでは撃墜できない。20mmや37mm機関砲を搭載できる屠龍は、大型爆撃機に短時間で重大な損害を与えられる数少ない日本陸軍機だった。

単発戦闘機との格闘戦では重さが弱点となるが、直線飛行する大型爆撃機を攻撃する場合には、機体の安定性と重武装が長所へ変わる。

B-29迎撃で屠龍は活躍したのか

戦果と限界
B-29を迎撃する屠龍
高高度を飛ぶB-29編隊へ上昇して接近する屠龍の迎撃任務

撃墜記録は日本側と米側で差があるため、機体の存在価値と個別戦果の確定は分けて考えます。

1944年6月、米陸軍航空軍のB-29が中国方面の基地から日本本土への爆撃を開始した。

初期のB-29作戦は、高高度から軍需工場を精密爆撃する構想だった。しかし、悪天候、ジェット気流、機械的故障、航法誤差などにより、期待したほどの命中率を得られなかった。

日本側にとっても、高高度を飛ぶB-29の迎撃は困難だった。

B-29は高度9,000m前後を飛行でき、最高速度も約570km/hに達した。屠龍の最高速度はこれに近いものの、カタログ上の最高速度は最適高度で発揮される。高高度まで上昇した屠龍が、十分な速度差をつけて追尾できたわけではない。

迎撃機は爆撃機より前方で待ち受け、正面や側面から接近しなければ攻撃機会を得にくかった。発見と離陸が遅れれば、B-29の後方を追うだけで終わる。

それでも屠龍は、鍾馗、飛燕、五式戦闘機などとともに本土防空へ投入された。

米国立航空宇宙博物館によれば、1944年6月以降の日本本土空襲では屠龍を含む日本側迎撃機がB-29部隊を妨害し、ある迎撃戦では屠龍部隊が8機のB-29を撃墜したとされる。撃墜数は日本側と米側の記録で一致しない場合があるため、個々の操縦者や部隊の戦果認定は慎重に扱う必要がある。それでも、屠龍がB-29搭乗員から無視できない迎撃機と見られていたことは確かである。

迎撃対象となったB-29の与圧構造と本土空襲を先に確認すると、屠龍が高高度で苦戦した理由が理解しやすくなります。

飛行第4戦隊とB-29迎撃

屠龍によるB-29迎撃で特に知られるのが、北九州防空を担当した飛行第4戦隊である。

北九州には八幡製鉄所をはじめとする重要な工業施設が集中していた。中国方面から飛来するB-29にとって、九州北部は主要攻撃目標の一つであり、陸軍は屠龍部隊を配置して迎撃にあたらせた。

飛行第4戦隊の操縦者たちは、37mm砲、20mm砲、斜め銃を用い、正面攻撃、後上方攻撃、下方からの追尾攻撃を試みた。B-29は高速かつ重武装であり、通常の後方攻撃では防御砲火を受けやすい。そこで、速度差の大きい正面攻撃や、夜間に機体下面へ潜り込む攻撃が重視された。

樫出勇は屠龍でB-29と戦った代表的な操縦者として知られる。ただし、樫出の撃墜数については、日本側の公認記録、本人の回想、米軍側の損失記録で差がある。戦時中の撃墜判定では、煙を吐いて降下した機体、編隊から離脱した機体、複数機が攻撃した同一目標をそれぞれ撃墜と数えることもあった。

重要なのは、特定の撃墜数を伝説として固定することではない。限られた上昇力と速度、乏しい地上管制、強力な防御砲火という条件下で、屠龍搭乗員が攻撃方法を工夫し続けた点にある。

本土防空の別の解答である雷電(J2M)と比較すると、屠龍の双発・複座という特徴が際立ちます。

夜間の低高度空襲は屠龍に有利だったのか

有利になった点と残った問題

1945年3月、米軍はB-29の運用方法を大きく変更した。

高高度からの昼間精密爆撃だけでなく、夜間に比較的低い高度へ進入し、都市へ大量の焼夷弾を投下する作戦を本格化させた。1945年3月9日から10日にかけての東京大空襲は、その転換を象徴する作戦である。

低高度化によって、B-29は日本側高高度迎撃機の性能限界から下りてきた。高度だけを見れば、屠龍にとって接近しやすくなった面はある。

しかし、夜間空襲には別の難しさがあった。

探照灯がB-29を捕捉できなければ、迎撃機は暗闇の中で目標を発見できない。地上レーダーで大まかな位置を把握できても、操縦者を敵機の直近まで誘導する精度は限られていた。都市火災の煙、雲、対空砲火、味方機との衝突も脅威となる。

さらに米軍は、爆撃機を密集編隊ではなく時間差をつけて進入させることがあった。日本側の夜間戦闘機は、一機を攻撃している間にも別のB-29を通過させてしまう。

終戦までには最大6個戦隊規模の屠龍夜間戦闘部隊が本土防空に投入されたとされる。しかし、航空機搭載レーダーと統合された地上管制網を持つドイツ夜間戦闘隊のような迎撃体制には到達できなかった。

筆者には、屠龍のB-29迎撃は「高性能機同士の公平な空戦」ではなく、断片的な情報を頼りに暗闇へ飛び込み、一度あるかないかの射撃機会へすべてを賭ける戦いに映る。機体の性能だけでなく、警戒網、通信、管制、燃料、整備、搭乗員の練度が結果を決めていた。

屠龍による体当たり攻撃

B-29迎撃では、武装による攻撃だけでなく体当たりも行われた。

日本陸軍は一部の防空部隊に「震天制空隊」と呼ばれる体当たり専門部隊を編成した。これは最初から操縦者の死を前提とした海軍の特攻とは若干性格が異なり、B-29の主翼や尾翼を自機の翼で切断し、可能であれば搭乗員が落下傘で脱出する構想だった。

屠龍は双発で機体が大きく、B-29へ接触させるだけの重量を持っていた。複座機であるため、体当たり任務では後席搭乗員や不要な装備を降ろし、機体を軽量化する場合もあった。

しかし、実際の体当たりは極端に危険である。

B-29は屠龍よりはるかに大きく、接触の瞬間に屠龍が破砕される可能性が高い。高速飛行中に衝突位置を調整し、機体を失った後に脱出するのは容易ではない。夜間や雲中では、接近するだけでも困難だった。

体当たり攻撃が行われた事実は、屠龍の攻撃力を称賛する材料というより、通常の迎撃手段だけではB-29を阻止できなかった日本側の苦境を示している。

屠龍の主な型式

型式は武装の変化で読む

屠龍は製造時期や武装変更、現地改修によって多くの仕様が存在する。資料によって甲・乙・丙・丁の分類と武装の対応が異なる場合があるため、細部を断定する際には注意が必要である。

型式主な武装・役割読み方
キ45改甲12.7mm・20mmを中心とする初期主力型護衛・対地・船舶攻撃
キ45改乙手動装填式37mm砲を採用大型爆撃機への一撃
キ45改丙ホ203 37mm砲と20mm砲重爆撃機・夜戦
キ45改丁20mm斜め銃を重視夜間迎撃・B-29対策

キ45改甲

初期の主力量産型である。

代表的な武装は、機首のホ103 12.7mm機関砲2門、胴体下面のホ3 20mm機関砲1門、後席の九八式7.92mm旋回機関銃1挺だった。

爆撃機護衛、対地攻撃、船舶攻撃など幅広い任務へ投入された。機首が比較的短く、2門の12.7mm機関砲を並べて装備している点が外見上の特徴となる。

キ45改乙

対大型爆撃機用として、37mm砲を装備した型である。

初期の37mm砲は手動装填式で、後席搭乗員が一発ずつ装填しなければならなかった。命中時の威力は大きいが、連射ができず、激しく運動する空戦には向いていない。

爆撃機へ接近し、限られた射撃機会で確実に命中させることを狙った武装だった。

キ45改丙

機首にホ203 37mm機関砲を装備した型として知られる。

ホ203は自動装填機構を備え、手動装填式37mm砲より実戦的だった。胴体下面の20mm機関砲と組み合わせることで、大型爆撃機や地上目標に対して強力な火力を発揮した。

一部機体には斜め銃が装備され、夜間戦闘にも使用された。米国立航空宇宙博物館が保存する世界唯一の現存屠龍も、キ45改丙に分類されている。

キ45改丁

夜間戦闘任務を重視し、20mm斜め銃を装備した型である。

機首の37mm砲と上向きの20mm砲を組み合わせ、B-29を含む大型爆撃機の迎撃へ投入された。後方旋回機銃を廃止または変更した機体もあり、部隊や製造時期によって細部が異なる。

斜め銃を備えた丁型は、現在の模型や書籍で最もよく知られる屠龍の姿といえる。

屠龍の強み

用途を作り直せる余白

重武装を搭載できた

屠龍最大の強みは、37mm機関砲、20mm機関砲、斜め銃を組み合わせられる搭載力だった。

大型爆撃機を撃墜するには、短時間に重要部位を破壊する必要がある。大口径弾を集中させられる屠龍は、B-17、B-24、B-29の迎撃に適していた。

長い航続距離を持っていた

もともと遠距離戦闘機として計画されたため、単発迎撃機より長時間飛行できた。

敵爆撃機の来襲を待って空中待機する場合や、広い防空区域を哨戒する場合には航続力が重要となる。南方での船舶攻撃や長距離対地攻撃でも、この特性が役立った。

安定した射撃基盤だった

双発機は単発戦闘機より機体が大きく、一般に直進安定性が高い。

屠龍は旋回戦には不向きだったが、爆撃機へ照準を合わせ、大口径砲を発射する任務では安定性が長所となった。斜め銃による追尾攻撃でも、敵機と速度・進路を合わせて飛び続ける必要がある。

任務変更への余裕があった

機内容積と搭載力に余裕があり、武装や燃料タンクを変更できた。

前方武装の強化、37mm砲の搭載、斜め銃の追加、対地攻撃装備への変更など、同じ機体を複数の任務へ転用できたことは大きい。

設計時の目的を完全には達成できなかった機体が、改造の余地によって生き残る。私は屠龍を、万能機というより「用途を作り直せる機体」と評価している。

屠龍の弱点

高高度と情報の壁

単発戦闘機との格闘戦に弱かった

屠龍は大型で重く、軽量な単発戦闘機より旋回性能と加速性能で不利だった。

連合軍戦闘機に捕捉された場合、低速旋回戦へ入るのは危険である。速度を維持した一撃離脱や、僚機との連携が必要だった。

高高度性能が不足していた

B-29迎撃で最も深刻だったのが高高度性能である。

高度が上がると空気密度が低下し、エンジン出力とプロペラ効率が落ちる。過給器性能の限られた屠龍は、高高度で速度と上昇力を維持しにくかった。

迎撃高度へ到達した時点で燃料を消費し、加速する余裕が残らない場合もある。37mm砲や斜め銃が強力でも、射撃位置へ到達できなければ意味はない。

航空機搭載レーダーが普及しなかった

夜間戦闘では敵機を発見する能力が火力以上に重要となる。

日本でも航空機搭載レーダーの研究は進められたが、屠龍部隊へ十分な数と性能の装置を供給できなかった。多くの迎撃は、地上レーダー、監視哨、探照灯、都市火災、搭乗員の目視に依存した。

暗闇でB-29を見つけられなければ、37mm砲も斜め銃も使用できない。屠龍の限界は機体単独の性能ではなく、日本の防空システム全体の限界でもあった。

戦争末期の物資不足

燃料不足、部品不足、熟練整備員の不足も深刻だった。

機体が存在していても、十分な訓練飛行ができなければ夜間迎撃の技量は向上しない。エンジンの調整が不十分なら、双発機は本来の速度や上昇力を発揮できない。

米軍の戦闘機が護衛につくようになると、迎撃後にP-51などから攻撃される危険も増した。屠龍は大型爆撃機を攻撃できても、制空権を奪い返す機体ではなかった。

屠龍と鍾馗・雷電の違い

屠龍と同様にB-29迎撃で知られる日本軍機には、陸軍の二式単座戦闘機「鍾馗」と海軍の局地戦闘機「雷電」がある。

鍾馗と雷電はいずれも単発・単座の迎撃戦闘機で、上昇力と速度を重視していた。敵爆撃機の高度まで素早く上がり、前方固定銃で攻撃するのが基本である。

一方、屠龍は双発・複座であり、航続距離、搭載力、夜間任務への適応力に優れていた。

比較項目屠龍鍾馗雷電
所属陸軍陸軍海軍
エンジン双発単発単発
乗員2名1名1名
主な長所重武装・航続力・夜間戦闘上昇力・加速上昇力・重武装
主な弱点高高度性能・格闘戦航続距離・視界信頼性・高高度性能
斜め銃装備機あり原則なし原則なし
適した任務夜間迎撃・大型機攻撃昼間迎撃昼間迎撃

鍾馗や雷電が高速で爆撃機へ追いつく「猟犬」だとすれば、屠龍は進路上で待ち伏せし、大口径砲を撃ち込む「猟銃」に近い。

単発迎撃機の比較は鍾馗雷電の個別記事でも詳しく整理しています。

夜間迎撃の条件は、月光、昼間の上昇迎撃は鍾馗雷電と読み分けると整理できます。

屠龍は失敗作だったのか

二択で評価しない

採用時の合理性と、戦争後半に旧式化したことは同時に成立します。

屠龍を失敗作と断定するのは適切ではない。

確かに、長距離護衛戦闘機という当初の目的は十分に達成できなかった。単発戦闘機を相手にした空中戦では不利であり、開発にも長い時間を要している。

しかし、対地攻撃、対艦攻撃、爆撃機迎撃、夜間戦闘という複数の任務で実戦投入され、約1,700機が生産された。戦争末期まで部隊運用が続いた事実を考えれば、単純な失敗作ではない。

むしろ屠龍は、1930年代に各国が期待した双発重戦闘機という思想の限界と、その後の適応を示す機体である。

ドイツのBf110も昼間戦闘では単発戦闘機に苦戦したが、重武装と搭載力を生かして夜間戦闘機として活躍した。屠龍も似た道をたどった。

ただし、ドイツは地上レーダー、航空機搭載レーダー、管制所、探照灯、高射砲、夜間戦闘機を組み合わせた防空網を構築した。日本では、その統合が十分に進まなかった。

機体だけを比較すれば屠龍にも可能性はあった。しかし、兵器の性能は、それを動かす情報網や補給体制を含めて初めて戦力になる。屠龍が示した最大の教訓は、大口径砲一門より、敵を見つけて適切な位置へ誘導する一本の通信線のほうが重要な場合があるということだ。

第二次世界大戦期の機体を総合的に比べる場合は、最強戦闘機ランキングではなく、任務と戦場条件を分けて読むことが重要です。

現存する屠龍

保存展示される屠龍
航空博物館で保存される二式複座戦闘機屠龍の側面と双発機の胴体

現在、完全な形で知られる屠龍は、米国立航空宇宙博物館が所蔵するキ45改丙のみである。

この機体は終戦後、米軍が日本から持ち帰った約145機の航空機の一つだった。1945年12月に米陸軍航空軍へ引き渡され、ペンシルベニア州やオハイオ州などで整備・試験飛行が行われた。

1946年6月にスミソニアンへ移管され、長期間の保管を経て修復された。現在はバージニア州シャンティリーのスティーブン・F・ウドバー・ヘイジー・センターで展示されている。

同館の機体は、夜間飛行時の排気炎を抑えながら推力を改善する排気管を備えており、夜間戦闘型の特徴を伝える貴重な資料である。試験機や残骸ではなく、実際に飛行可能な状態で米軍が評価した機体が残された意味は大きい。

屠龍の任務変更を一覧で確認

用途が機体を作り直した
任務生かされた長所主な限界
長距離護衛航続力・複座速度・旋回性能
大型爆撃機迎撃37mm砲・安定性高高度性能・射撃機会
夜間迎撃斜め銃・双発の搭載余力目標発見・地上管制
対地・対艦攻撃20mm・37mm砲低空での対空砲火

この任務変更の流れは、日本軍航空隊の運用史と、迎撃対象になったB-29の性能を一緒に読むと立体的に見えてきます。

まとめ

屠龍の評価

二式複座戦闘機「屠龍」は、日本陸軍が長距離護衛戦闘を目的として開発した双発・複座戦闘機である。

当初期待された護衛戦闘機としては、単発戦闘機に対する運動性不足や開発の遅延に苦しんだ。しかし、双発機ならではの航続力、安定性、搭載力を生かし、対地攻撃、対艦攻撃、大型爆撃機迎撃、夜間戦闘へと任務を広げていった。

特に、37mm機関砲と20mm斜め銃は屠龍を特徴づける武装である。敵爆撃機の下方へ潜り込み、見えにくい角度から主翼やエンジンを狙う戦法は、B-29へ対抗するために現場で生み出された工夫だった。

一方、屠龍だけでB-29空襲を阻止することはできなかった。

高高度性能の不足、航空機搭載レーダーの欠如、地上管制の限界、燃料と部品の不足、搭乗員練度の低下など、日本側の防空体制には機体単独では解決できない問題があった。

屠龍を評価する際、B-29撃墜数だけを見ると本質を見失う。

この機体の価値は、当初の設計目的から外れた後も、重武装攻撃機、爆撃機迎撃機、夜間戦闘機へ姿を変え、戦場が求める役割に適応した点にある。屠龍は「万能だったから生き残った機体」ではない。「不完全な設計の中に、別の任務へ転用できる余白が残されていたから戦い続けられた機体」なのである。

内部リンク先は実在確認済みのスラッグを用い、実URLを推測せずtarget_slug形式で指定している。

屠龍と同時代の機体をさらに比較するなら、日本の戦闘機一覧から飛燕・鍾馗・雷電・月光へ読み進めると、陸海軍の任務分担も追いやすくなります。

二式複座戦闘機「屠龍」に関するFAQ

屠龍の読み方は?

「とりゅう」と読む。 「龍を屠る」という意味を持つ名称であり、大型爆撃機を撃墜する重戦闘機のイメージと結びついている。

屠龍は何人乗りだった?

基本的に2人乗りである。 前席に操縦者、後席に通信、警戒、旋回機銃の操作などを担当する搭乗員が乗った。武装や任務によって後席搭乗員の役割は変化している。

屠龍の最高速度は?

型式や条件によって異なるが、約540km/h前後である。 低高度では大型双発機として良好な速度を持っていたが、高高度ではエンジン出力が低下し、B-29に対して十分な速度差を得にくかった。

屠龍はB-29を撃墜できた?

実際にB-29を撃墜している。 37mm機関砲、20mm機関砲、斜め銃、正面攻撃などが使用された。ただし、日本側の撃墜認定数と米軍側の損失記録には差があり、個人や部隊の撃墜数は慎重に見る必要がある。

斜め銃はどのように狙った?

敵爆撃機の下方へ入り、同じ方向に飛びながら斜め上へ射撃した。 操縦者は機体そのものを照準器のように動かし、敵機の主翼付け根、エンジン、燃料系統を狙った。通常の前方銃とは照準方法が異なるため、専用の訓練が必要だった。

屠龍と月光はどちらが強かった?

単純な比較は難しい。 屠龍は陸軍の重戦闘機として強力な前方武装を持ち、月光は海軍の偵察機を基礎として長い航続距離と安定性を備えていた。両機とも斜め銃を装備したが、部隊、管制、搭乗員の技量、迎撃条件による差のほうが大きい。

屠龍は特攻機だった?

本来は特攻機ではない。 ただし、B-29迎撃では一部の機体と搭乗員が体当たり任務へ投入された。体当たり後の脱出を想定する場合もあったが、極めて生還率の低い危険な攻撃だった。

屠龍はなぜ双発だった?

長い航続距離と強力な武装を得るためである。 開発当初は、爆撃機に長時間随伴する遠距離戦闘機として構想された。双発化により燃料と武装を多く搭載できた一方、重量と空気抵抗が増し、単発戦闘機との格闘戦では不利になった。

屠龍は何機生産された?

約1,700機である。 米国立航空宇宙博物館は川崎による生産数を1,700機とし、夜間戦闘型のキ45改丙を477機としている。資料によって端数に違いが見られる。

屠龍の現存機はある?

米国立航空宇宙博物館に1機が保存されている。 完全な屠龍として知られる唯一の現存機で、スティーブン・F・ウドバー・ヘイジー・センターに展示されている。

屠龍の模型を選ぶなら

屠龍の模型は、機首の37mm砲、胴体下面の20mm砲、斜め銃の有無を確認すると型式差を楽しめます。特に丁型を選ぶ場合は、月光の斜め銃と見比べながら、同じ武装でも設計の出発点が違うことを確認すると理解が深まります。

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参考資料・主な出典

National Air and Space Museum・Kawasaki Ki-45 Kai Hei Type 2 Toryu

National Air and Space Museum・Nakajima J1N1-S Gekko

National Air and Space Museum・Boeing B-29 Superfortress

Naval History and Heritage Command・Japanese Operational Aircraft

U.S. Army Center of Military History・World War II Asiatic-Pacific Theater

National Air and Space Museum・World War II Aviation

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