伊400型潜水艦とは|晴嵐を搭載した世界最大級の潜水空母を解説

海上に浮上し艦首に晴嵐を準備した伊400型潜水艦
海上に浮上し艦首に晴嵐を準備した伊400型潜水艦
約6万キロの航続力と晴嵐3機を一隻へ統合した伊400型

伊400型は、約6万キロの航続力と晴嵐3機の格納・射出能力を一隻へ組み込んだ、日本海軍最大の航空機搭載潜水艦である。

だが「潜水空母」という夢の兵器ではない。世界規模の航続力と航空能力を詰め込んだ結果、船体だけでなく、艦と航空隊を支える運用全体まで巨大化した潜水艦だった。

伊400 潜水艦の要点
目次

伊400型潜水艦とは|先に要点

伊400型潜水艦とは|先に要点

伊400型は、日本海軍が遠隔地への航空攻撃を想定して建造した大型の潜水艦である。艦上の円筒形格納筒に特殊攻撃機「晴嵐」M6A1を3機収め、艦首側の航空設備から送り出す構想だった。通常の潜水艦に航空隊の輸送・整備・発進という別体系を結びつけた点が最大の特徴である。

米海軍歴史遺産司令部(NHHC)の伊400型解説は、全長400フィート(約122メートル)、水中排水量6,600米トン級、乗員144人、艦首魚雷発射管8門、晴嵐3機を備えたと記す。スミソニアン国立航空宇宙博物館の晴嵐所蔵機ページでは、水中排水量5,970メートルトン、航続距離約60,000キロ、浮上速力18.7ノットとされる。5,970メートルトンは約6,580米ショートトンなので、排水量の二つの表記は概ね同じ規模を別単位で示す。

計画上は多数建造する構想だったが、完成した伊400型は伊400、伊401、伊402の3隻だけである。しかも伊402は航空機搭載艦ではなく潜水艦タンカーとして完成した。晴嵐を積む航空潜水艦として就役したのは伊400と伊401の2隻だった。両艦は1945年夏にウルシー攻撃へ向かったが、終戦により実施せず降伏し、米国の調査後に1946年ハワイ沖で沈められた。

私は伊400型を「海中へ沈む小型空母」と呼ぶより、一本の潜水艦に長距離航海と航空隊支援を同居させた遠征システムと見るべきだと考える。大きさの理由は船体の誇示ではなく、遠くへ3機を運び、航空行動を成立させるための組織と物資を抱えた結果だからである。

> SWELL装飾指示:要点ボックス 「約122m」「晴嵐3機」「約6万km」「航空潜水艦として就役2隻」を4分割カードで表示する。

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なぜ伊400型を造ったのか|潜水艦の秘匿性と航空機の到達力

なぜ伊400型を造ったのか|潜水艦の秘匿性と航空機の到達力

日本海軍は伊400型以前から、潜水艦へ小型水上偵察機を搭載していた。潜水艦は敵の哨戒線を避けて接近し、航空機は潜望鏡より広い範囲を偵察できる。1942年には伊25から発進した零式小型水上偵察機が米オレゴン州へ焼夷弾を投下しており、「潜水艦で航空機を遠方へ運ぶ」という考え自体には実施経験があった。

伊400型で拡大されたのは、機体数、搭載量、行動半径である。NHHCによれば、連合艦隊司令長官だった山本五十六は、米国の西岸だけでなく東岸にも到達し得る航空潜水艦を構想した。当初建造案は18隻だったが、山本の戦死後に9隻、さらに5隻へ縮小された。戦局悪化、資材不足、造船優先順位の変化により、実際の完成は3隻にとどまる。

発想の狙いは、通常の空母や基地航空隊では届きにくい遠隔地へ、潜水艦で少数の航空機を運ぶことにあった。地球規模の航続力は、この特殊な航空戦力を既存基地から遠く離れた海域へ移すための前提だった。

だが、潜水艦と航空機では必要な環境が異なる。前者は水中での行動を基本とし、後者は海面上での人員・整備・飛行支援を必要とする。伊400型は両者の矛盾を消したのではなく、一隻の運用計画へ併存させたのである。

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潜水艦の長距離航海と航空隊支援を対比する概念図
潜水艦と航空機の能力を結ぶほど、両方の支援条件も一隻へ集まった

伊400の大きさと性能|「世界最大級」を単位から確かめる

伊400の大きさと性能|「世界最大級」を単位から確かめる

伊400型は、1960年代に米ソの原子力弾道ミサイル潜水艦が登場するまで、世界最大の潜水艦だったとNHHCは位置づける。「世界最大級」という表現は、後世の原潜まで含む永久記録ではなく、竣工当時と通常動力潜水艦の文脈で読む必要がある。

項目伊400型史料上の注意
全長約122m(400ft)NHHC、HURL
水中排水量約5,970メートルトンスミソニアン。約6,580米ショートトン
乗員144人NHHCの標準的な整理
浮上速力18.7ktスミソニアン。米技術調査概説は19.7kt
水中速力約7kt米海軍技術調査概説
航続距離約60,000kmスミソニアン、HURLは37,500mi
条件付き航続値34,000mi/16kt米海軍技術調査概説。速度条件付き
搭載機晴嵐3機伊400・伊401の航空潜水艦仕様
魚雷発射管艦首8門21インチ、艦尾なし

米海軍技術調査団報告の案内ページは、伊400型を5,550トン、400フィート、浮上19.7ノット、水中7ノット、16ノットで34,000マイルと記す。スミソニアンと数字が少し違うのは、排水状態、単位、計画値・試験値、丸め方が異なるためと考えられる。本稿では「約6万キロ級」という規模を示し、異なる条件の最大値を一つの性能へ合成しない。

比較のため、NHHCは米海軍の第二次世界大戦型潜水艦を全長約300フィート、水中排水量約2,200トン級とする。伊400型は長さが約3分の1増しただけに見えるが、排水量はおよそ3倍である。搭載機と航空支援設備、長期航海用の物資を一隻へ加えたことが、単なる船体延長以上の大型化を招いた。

> SWELL装飾指示:性能表 メートルトンと米ショートトンを同じ行で併記し、6,600と5,970が単純な史料矛盾ではないことを注記する。

伊400型と第二次世界大戦型通常潜水艦の大きさ比較
航空機、格納筒、長期航海用物資を抱え、同時代の潜水艦より大幅に巨大化した

巨大な船体をどう成立させたか|航空設備が変えた外形

巨大な船体をどう成立させたか|航空設備が変えた外形

伊400型の外観でまず目立つのは、甲板上を前後に延びる円筒形の航空機格納筒と、その横へずれた司令塔である。潜水艦として水中を進みながら航空機を海水から守るため、航空設備は船体の付属品ではなく、艦全体の幅・重さ・配置を左右する中核になった。

NHHCが公開する1945年10月の格納筒写真は、接収後の現物がどれほど長い専用空間を航空機へ割いていたかを示す。本稿では安全上、内部配置や操作機構を再現せず、格納設備が外形と排水量を大きく変えた事実に絞る。

私はこの船体を、単なる「巨大潜水艦の珍しい姿」とは見ない。伊400型は潜水艦へ格納庫を後付けしたのではなく、航空隊を海中へ運ぶ要求が艦全体の姿を変えた船である。晴嵐3機という要求が、外形を内側から押し広げたのである。

晴嵐3機をどう載せたか|格納筒と外部航空設備

晴嵐3機をどう載せたか|格納筒と外部航空設備

晴嵐は折り畳み機構を使って格納寸法を小さくし、3機を円筒形格納筒へ収める専用設計だった。伊400型の甲板上には格納筒、艦首側の射出設備、回収用クレーンが並び、飛行甲板を持つ空母とは異なる航空運用の外形をつくった。

NHHCによると、3機を送り出す想定時間は通常条件で約30分、回収を前提としない条件で約15分とされた。二つは同じ準備内容の速度違いではなく、機体を回収できるかという条件が異なる。ここで15分だけを「標準時間」として強調するのは誤りである。

潜水空母」という通称は分かりやすいが、通常空母との違いは大きい。伊400型には航空機が着艦する飛行甲板がなく、空中の編隊を継続的に発着させられない。航空母艦を小さくしたのではなく、潜水艦へ限定的な航空発進能力を組み込んだのである。

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伊400型の円筒形格納筒と艦首側航空設備を示す外観図
航空隊を海中へ運ぶ要求が、格納筒を中心とした独特の外形を生んだ

航空運用はなぜ難しかったのか|艦と航空隊を一体化する負担

航空運用はなぜ難しかったのか|艦と航空隊を一体化する負担

約30分という公表値の内側には、潜水艦乗員と航空隊が同じ限られた甲板・時間・海況を共有する負担があった。艦の航海、航空機の整備、搭乗員の訓練、気象判断、通信を一つの計画へ合わせなければ、3機を載せたという事実だけでは能力にならない。

この方式は潜水艦と航空機の長所を結ぶ一方、それぞれの支援条件も一隻へ集めた。伊400型の課題は一つの装置の性能ではなく、異なる専門集団を長距離航海の末に同時に機能させる組織的な複雑さにあった。

私見では、伊400型の真の大きさは全長122メートルだけでは測れない。一度の航空行動を成立させるため、艦内に抱え込んだ仕事の数こそが本級の大きさである。

> SWELL装飾指示:要点ボックス 長距離航海・航空整備・搭乗員訓練・気象・通信を並列表示し、具体的な操作順序は示さない。

伊400・伊401・伊402|完成3隻でも役割は同じではない

伊400・伊401・伊402|完成3隻でも役割は同じではない

伊400型は3隻完成したと一括されるが、艦歴と最終仕様を分ける必要がある。NHHCの整理は次の通りである。

完成・就役完成時の役割終戦後
伊4001944年12月30日晴嵐3機の航空潜水艦米軍接収、1946年6月4日ハワイ沖で処分
伊4011945年1月8日晴嵐3機の航空潜水艦米軍接収、1946年5月31日ハワイ沖で処分
伊4021945年7月24日航空機設備を使わない潜水艦タンカー1946年4月1日佐世保沖で処分

伊403は1943年に中止。伊404は約95パーセントまで進んだが1945年6月に工事が止まり、7月の空襲で大破した。伊405も建造中止となり、その他は起工前に取り消された。つまり「18隻構想」は完成規模を示す数字ではない。

伊402の存在は重要である。船体を完成させても、必ず航空潜水艦として使う余裕はなかった。戦争末期には燃料輸送そのものが重大問題となり、特殊攻撃能力よりタンカー用途が優先された。兵器の役割は設計時の理想だけでなく、戦局が最後に何を不足させたかで変わる。

伊400と伊401も、竣工後すぐ十分な戦力になったわけではない。艦の訓練、晴嵐隊との共同訓練、発進手順、目標研究、長距離航海準備を整えるうちに1945年夏となった。大きな技術を完成させる時間と、戦略上それを使える時間は一致しなかった。

パナマ運河攻撃計画|有名な構想は実施されなかった

パナマ運河攻撃計画|有名な構想は実施されなかった

伊400型の目的として最も知られるのがパナマ運河攻撃である。NHHCによると、伊400・伊401に加え、晴嵐2機搭載へ改装した伊13・伊14を組み合わせ、合計10機でガトゥン閘門を攻撃する構想が作られた。太平洋側から直進するのではなく、南米を回ってカリブ海側から接近する案だった。

運河の閘門を破壊すれば、米海軍の大西洋・太平洋間の移動へ影響を与えられるという狙いだった。しかし1945年には米海軍力がすでに太平洋へ大規模展開し、沖縄も失われつつあった。6月、日本海軍は運河攻撃が戦局へ及ぼす効果を小さいと判断し、目標をウルシー環礁の米空母群へ変更した。

したがって「伊400がパナマ運河を攻撃した」「晴嵐が閘門を爆撃した」という説明は誤りである。模型訓練と出撃準備は進んだが、攻撃は実施されなかった。本稿では計画の細部を広げず、伊400型の任務が遠隔地奇襲から戦局目前の艦隊攻撃へ変わった点だけを押さえる。

計画を語るとき、「成功していれば戦争が変わった」と断定するのも避けたい。攻撃隊が目標へ到達する確率、閘門へ与える損傷、修復期間、米側の迎撃、帰還可能性には未検証の要素が多い。未実施の作戦は、性能表だけで戦果を作れない。

伊400型のパナマ運河攻撃が未実施に終わったことを示す経路概念図
パナマ運河攻撃は訓練まで進んだが実施されず、目標はウルシーへ変わった

ウルシー攻撃へ変更|出撃したが戦闘には至らず

新しい目標は、西太平洋で米艦隊の前進基地となっていたウルシー環礁だった。伊13・伊14が彩雲偵察機をトラックへ運ぶ「光」作戦と、伊400・伊401の晴嵐6機が米空母群を攻撃する「嵐」作戦を組み合わせる構想である。しかし伊13は1945年7月に米軍の攻撃で沈み、偵察計画の一部が失われた。

JACARの伊号第400潜水艦解説によれば、伊400は1945年7月23日に大湊を出港し、南方海面で終戦を迎えた。NHHCは、伊400と伊401が8月14〜15日に会合し、17日に晴嵐を発進させる予定だったとする。日本が15日に降伏受諾を表明したため、攻撃は中止された。

22日、機密装備を処分する命令を受け、両艦は魚雷を発射して捨て、晴嵐を翼を開かないまま射出して海へ沈めた。スミソニアンも、伊400が通信を受け損ねて会合点を誤り、終戦後に機体を処分した経緯を記す。伊400型は航空機を搭載して作戦海域へ向かったが、戦闘出撃を行っていない。

伊13の乗員をはじめ、この準備過程にも帰らなかった人々がいる。また攻撃が実施されれば、日米双方の搭乗員・艦艇乗員へさらに犠牲が生じたはずである。計画を「幻の大作戦」と華やかに語るだけでは、実際に失われた命と、未実施だった事実の両方を見えなくする。戦没者へ敬意を払い、準備と戦果を明確に分けたい。

この論点を広く比較するなら、「太平洋戦争の激戦地15選|死者数・餓死率・戦闘密度でたどる主要15戦」もあわせて確認したい。

終戦後に晴嵐を処分して帰投する伊400型の静かな海上場面
ウルシー攻撃は実施されず、機体と機密装備を処分して帰投した

投降と米軍接収|伊400・伊401はどう捕獲されたか

JACARによると、伊400は8月29日に日本へ帰投中の三陸沖で米駆逐艦ブルーに捕獲され、30日に横須賀へ入港、9月15日に除籍された。伊401は同じ29日、東京湾外で米潜水艦セグンドへ投降した。セグンドの米海軍公式艦歴は、米側が5人の拿捕要員を伊401へ乗せ、東京湾へ同行させた経緯を記録する。

横須賀では伊400、伊401、伊14などが米軍管理下に置かれ、艦内設備と航空格納筒が撮影・調査された。NHHCの写真群には、格納筒内部、操縦室、砲、乗員が物資を搬出する場面が残る。これらは完成時の宣伝写真ではなく、終戦直後の現物状態を伝える一次資料である。

米軍にとって注目点は、巨大さだけではなかった。長い航続力、二本の耐圧殻、航空機格納・射出設備、レーダー、吸音材など、複数技術が一隻へ統合されていた。米海軍技術調査団は日本の潜水艦と艦載機を体系的に調べ、伊400型を米潜水艦ノーチラスより大きく長航続の艦として報告した。

接収を「米国が恐れて秘密にした」と一文で済ませるのも不十分である。戦後調査は技術評価であると同時に、連合国間で接収兵器をどう扱うかという政治問題になった。次の処分は、その冷戦初期の判断と結びつく。

なぜハワイ沖へ沈められたのか|調査後の処分

米海軍は伊400、伊401、伊14、伊201、伊203を日本から真珠湾へ運び、ハワイ海域で試験・評価した。ソ連が降伏条件に基づく調査参加を求めるなか、米側は技術を渡さないため艦を処分したとNHHCとハワイ大学の海洋調査資料は説明する。

伊401は1946年5月31日に米潜水艦カベゾンの魚雷で、伊400は6月4日に米潜水艦トランペットフィッシュの魚雷で沈められた。場所は意図的に正確な記録を残さなかった。伊402は日本に残り、同年4月1日の「Operation Road’s End」で佐世保沖に沈められた。

この処分は戦闘での沈没ではない。無人に近い状態で標的として沈めたもので、伊400・伊401の乗員が艦とともに戦死したわけではない。終戦後の艦歴を戦時の最期と混同せず、「降伏→接収→技術調査→標的処分」の順に理解する必要がある。

海底の伊400|2013年発見が教えるもの

ハワイ大学のHawaii Undersea Research Laboratory(HURL)は、2013年8月にオアフ島南西沖で伊400を発見した。HURLの発見発表は水深2,300フィート超とし、発射台、甲板クレーン、魚雷発射管配置、船尾灯などから艦を同定したと説明する。一方、同機関の海洋遺産台帳は水深551メートルと記す。同一機関内で深度値が一致しないため、本稿は正確な水深を確定せず、オアフ島南西沖の深海と表現する。格納筒と司令塔は沈没時の魚雷爆発で船体から分離していた。

2005年には伊401も発見されている。ハワイ大学の2015年発表によると、2014年10月30日の再調査で伊400の離れた格納筒、司令塔、鐘を確認した。鐘は関係機関との協力・許可手続きを経て2016年3月に回収された。海底遺跡は腐食して崩れ続けるため、映像・測量記録そのものが保存活動になる。

HURLが示す最も重要な視点は、技術的な驚異だけではない。同機関は、伊400の遺跡が太平洋戦争の犠牲を想起させ、かつて敵対した日米が共同で歴史を理解することに和解の意味があると述べる。巨大兵器を称賛の対象だけにせず、戦争の選択とその後を考える文化遺産として扱っている。

私は、海底の伊400が語るのは「早すぎた未来」より、使われなかった能力の行き先だと思う。格納筒は航空機を守るため造られ、最後には船体から引き裂かれて海底に横たわる。技術の可能性と、戦争が技術へ与えた目的を分けて考えるための、静かな実物資料である。

オアフ島沖の海底に横たわる伊400の船体と調査潜水艇
2013年に再発見された船体は、技術と戦争の記憶を伝える海底文化遺産である

伊400型は成功作だったのか|技術成立と作戦効果を分ける

技術面では、伊400型は明確な到達点である。通常動力で約6万キロ級の航続力を持ち、3機を水中で保護し、洋上で組み立てて射出するシステムを実艦として完成させた。伊400・伊401は作戦航海へ出ており、単なる未成計画ではない。

一方、作戦兵器としての効果は証明されていない。パナマ運河攻撃は中止され、ウルシー攻撃も終戦で実施されず、晴嵐の戦闘発進はなかった。2隻と6機という小規模、航空行動の複雑さ、通信と偵察への依存、母艦・搭乗員・整備員の訓練負担を考えれば、反復的な航空戦力とは言いにくい。

さらに、航空攻撃のため巨大化した艦が、戦局末期には伊402のように燃料輸送へ転用された。これは設計の失敗だけではなく、戦略環境が特殊任務を支える資源を失ったことを示す。どれほど独創的な兵器でも、燃料、情報、基地、護衛、生産が枯れれば能力を戦果へ変えられない。

私の結論は、伊400型は「技術的に成立したが、作戦的には未証明」である。奇襲兵器のロマンとして過大評価するのも、戦果がないから無価値と切り捨てるのも適切でない。長航続潜水艦と航空機運用を一つへ結んだ成果、そして結ぶほど増えた複雑性を同時に見るべきだ。

この論点を広く比較するなら、「真珠湾攻撃とは|南雲機動部隊・宣戦布告問題・第三波論を解説」もあわせて確認したい。

よくある質問

伊400型は本当に世界最大の潜水艦だったのか

竣工当時は世界最大で、NHHCは1960年代の米ソ原子力弾道ミサイル潜水艦まで最大だったとする。現在の原潜を含めた史上最大ではないが、全長約122メートル、水中約5,970メートルトンは通常動力潜水艦として突出していた。

伊400型は晴嵐を何機搭載したのか

伊400と伊401は3機ずつ搭載する設計だった。伊402は同型船体ながら潜水艦タンカーとして完成し、航空機運用艦ではない。

晴嵐3機を何分で発進できたのか

通常想定は約30分。フロートを付けない条件なら約15分とされるが、その場合は水上回収できず機体を失うため、同じ条件の数字ではない。

伊400はパナマ運河を攻撃したのか

していない。計画と訓練はあったが、1945年6月に目標がウルシー環礁へ変更された。ウルシー攻撃も終戦で中止され、晴嵐は戦闘出撃しなかった。

伊400と伊401はどのように米軍へ渡ったのか

両艦は終戦後に機密装備と兵器を処分して帰投した。伊400は8月29日に米駆逐艦ブルーに捕獲され、伊401は同日、米潜水艦セグンドへ投降した。横須賀、佐世保を経て米国側が真珠湾へ運んだ。

伊400は現在どこにあるのか

1946年6月4日にハワイ沖で標的処分され、2013年にオアフ島南西沖の深海で発見された。HURLの発見発表は2,300フィート超、同機関の台帳は551メートルと深度値が異なるため、正確な数値は確定せずに読むべきである。船体は海底文化遺産として調査されている。 &gt; <strong>SWELL装飾指示:FAQ</strong> 6問をSWELL FAQブロックへ変換し、FAQPage構造化データを有効化する。

まとめ|巨大だったのは船体より運用システムである

伊400型は、全長約122メートル、水中排水量約5,970メートルトン、航続距離約6万キロ、晴嵐3機という規模を持つ航空機搭載潜水艦である。甲板上の円筒形格納筒と艦首側航空設備、回収用クレーンを一つの船体へまとめた。

完成3隻のうち、航空潜水艦として就役したのは伊400と伊401で、伊402はタンカーだった。パナマ運河攻撃はウルシー攻撃へ変更され、どちらも実施されないまま終戦を迎えた。両航空潜水艦は米軍に接収・調査され、1946年にハワイ沖へ沈められ、伊400は2013年に再発見された。

伊400型の独創性は本物である。しかし長大な航続力と航空能力を一隻へ詰めるほど、建造、訓練、整備、通信、偵察という支援条件も増えた。ゆえに本級は、奇襲兵器のロマンではなく、能力を統合すると複雑さも同じだけ統合されることを示す技術史である。船体の大きさより、その中に抱えた仕事の多さを見ると、伊400型の本当の姿が分かる。

参考資料・出典

  • <a href="https://www.jacar.go.jp/exhibition/glossary/fukuin-hikiage/column/column2.html">国立公文書館アジア歴史資料センター「伊号第400潜水艦」</a>
  • <a href="https://www.history.navy.mil/about-us/leadership/director/directors-corner/h-grams/h-gram-057/h-057-2.html">history.navy.mil</a>
  • <a href="https://www.history.navy.mil/about-us/leadership/director/directors-corner/h-grams/h-gram-033/h-033-1.html">history.navy.mil</a>
  • <a href="https://www.history.navy.mil/research/library/bibliographies-and-research-guides/research-guides/us-naval-technical-mission-to-japan-reports-in-the-navy-department-library.html">history.navy.mil</a>
  • <a href="https://www.history.navy.mil/content/history/nhhc/research/histories/ship-histories/danfs/s/segundo–ss-398-.html">history.navy.mil</a>
  • <a href="https://www.history.navy.mil/content/history/nhhc/our-collections/photography/numerical-list-of-images/nhhc-series/nh-series/SC-214000/SC-214270.html">history.navy.mil</a>
  • <a href="https://airandspace.si.edu/collection-objects/aichi-m6a1-seiran-clear-sky-storm/nasm_A19630308000">airandspace.si.edu</a>
  • <a href="https://www.soest.hawaii.edu/HURL/I-400.php">Hawaii Undersea Research Laboratory「I-400」</a>
  • <a href="https://www.soest.hawaii.edu/HURL/HURLarchive/maritime_tmp.php?category=SUB-5">soest.hawaii.edu</a>
  • <a href="https://www.hawaii.edu/news/2013/12/03/world-war-ii-aircraft-carrying-submarine-discovered-off-oahu-coast/">hawaii.edu</a>
  • <a href="https://www.hawaii.edu/news/2015/04/28/dive-discovers-missing-aircraft-hangar-of-sunken-wwii-era-japanese-submarine/">hawaii.edu</a>
  • <a href="https://www.hawaii.edu/news/2016/03/16/bronze-bell-recovered-from-world-war-ii-aircraft-carrying-submarine-off-oahu-coast/">hawaii.edu</a>

参考資料・主な出典

伊400型解説|資料を確認

晴嵐所蔵機ページ|資料を確認

米海軍技術調査団報告の案内ページ|資料を確認

1945年10月の格納筒写真|資料を確認

伊号第400潜水艦解説|資料を確認

セグンドの米海軍公式艦歴|資料を確認

HURLの発見発表|資料を確認

海洋遺産台帳|資料を確認

ハワイ大学の2015年発表|資料を確認

2016年3月に回収|資料を確認

history.navy.mil|資料を確認

hawaii.edu|資料を確認

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