大日本帝国海軍・最強艦ランキングTOP15|戦艦・空母・巡洋艦を総合比較

大和型戦艦を先頭に空母・巡洋艦・駆逐艦・潜水艦が航行する帝国海軍艦艇の比較ビジュアル

大日本帝国海軍で最強の艦はどれか。この問いに「大和」と即答する人は多いが、私はそう単純には言えないと思っている。大和は主砲を敵艦に向けて撃った海戦が一度しかなく、瑞鶴は真珠湾からレイテまで空母決戦のほぼすべてに出撃して生き延び続けた。46cm砲9門と、常用72機の航空隊と、10門の20.3cm砲と61cm魚雷を、同じ土俵で比べるにはどうすればいいのか。

この記事では、戦艦・空母・巡洋艦・駆逐艦・潜水艦を艦種横断で並べ、攻撃力・防御と生存性・設計の先進性・実戦実績の4軸で採点してTOP15を決める。採点は私の独自基準であり、異論は当然あるだろう。だからこそ、各艦の点数の根拠を全部書く。読み終えたときに、自分なりの順位を組み直せる材料が揃っていれば、この記事の目的は果たせている。

なお、帝国海軍の戦艦と空母の全艦名簿は日本の戦艦と空母一覧、世界の戦艦との比較は第二次世界大戦の戦艦一覧、各国空母の比較は第二次世界大戦の空母ランキングにまとめてある。この記事は帝国海軍の艦だけを、艦種を越えて比べる。

この記事の読み方
目次

採点基準|4軸40点満点で艦種を越えて比べる

戦艦・空母・巡洋艦・駆逐艦・潜水艦を並べた艦種横断比較ビジュアル
攻撃力、防御と生存性、設計の先進性、実戦実績の4軸で、役割の異なる艦艇を比較する。
40点満点の4軸
配点見ているもの
攻撃力10主砲・魚雷・搭載機による打撃力。射程と投射量、そして当時の相手に対して有効だったか
防御と生存性10装甲、ダメージコントロール、そして実際に何発耐えたか。設計上の弱点は減点
設計の先進性10同時代の他国艦と比べて何を先取りしていたか。後世に影響を与えたか
実戦実績10主要海戦への参加回数、与えた戦果、任務を果たしたか。不運や無為は減点

戦艦は攻撃力と防御で点を稼ぎ、空母は攻撃力と実績で点を稼ぐ。この配点は「艦種ごとの本来の役割をどれだけ果たしたか」を見るための設計で、艦種間の有利不利は残る。それでも、艦種を越えて比べるという行為自体が、帝国海軍が最後まで答えを出せなかった「戦艦か空母か」という問いを追体験することになる。

大日本帝国海軍・最強艦ランキングTOP15一覧

順位表で混同しない点
順位艦名艦種攻撃防御先進性実績合計
1大和戦艦10108533
2瑞鶴空母8681032
3翔鶴空母868931
4長門戦艦987630
5武蔵戦艦1097329
6赤城空母758828
7金剛戦艦(巡洋戦艦)756927
8高雄型重巡洋艦767626
9大鳳装甲空母789125
10飛龍空母647724
11利根型重巡洋艦559423
12妙高型重巡洋艦755522
13秋月型駆逐艦548421
14雪風駆逐艦3341020
15伊400型潜水艦439319

第1位:戦艦「大和」|33点──主砲を一度しか撃てなかった史上最大の戦艦

46cm三連装砲を備えて航行する大和型戦艦を表現した歴史ビジュアル
大和は攻撃力と防御で頂点に立つ一方、実戦で主砲を生かす機会をほとんど得られなかった。
大和が首位になった理由

1941年12月16日、真珠湾攻撃の8日後に竣工した大和は、基準排水量約64,000トン、満載で約72,800トン、46cm45口径砲を三連装3基9門搭載する史上最大の戦艦である。舷側装甲410mm、主砲塔前面650mm。攻撃力と防御は文句なく満点をつける。46cm砲の最大射程は約42kmで、当時の米戦艦の16インチ砲を射程でも貫徹力でも上回った。

先進性も高い。球状艦首(バルバス・バウ)による造波抵抗の低減、主砲塔集中配置による装甲区画の短縮、艦内の冷房完備。設計としては1930年代末の到達点だった。8点にとどめたのは、その到達点が「戦艦の時代の終わり」に達成されたものだったからだ。

問題は実績である。大和が主砲を敵艦に向けて撃ったのは、1944年10月25日のサマール沖海戦で米護衛空母群を砲撃した一度だけで、命中は確認されていない。ミッドウェーでは後方に控え、ソロモンでは「大和ホテル」と揶揄されるほど泊地に留まり、1945年4月7日の沖縄への特攻出撃で、航空機だけによって沈められた。戦艦大和の記事で「なぜ最強になれなかったか」を書いたとおり、大和が示したのは46cm砲の威力ではなく、制空権を失った戦艦がどうなるかという結論だった。

それでも私は大和を1位にする。実績5点を差し引いてなお33点で首位に立つのは、艦そのものの性能が他艦を圧倒的に引き離しているからで、それは事実として認めるべきだ。「使えなかった最強」という矛盾を体現している点で、帝国海軍という組織そのものを象徴する艦でもある。

大和を語るなら、最後の出撃を扱った映画は避けて通れない。

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第2位:空母「瑞鶴」|32点──真珠湾からレイテまで戦い抜いた幸運艦

飛行甲板に艦載機を並べて航行する翔鶴型航空母艦を表現した歴史ビジュアル
翔鶴型は速力・搭載機数・航続距離を高い水準でまとめ、帝国海軍の空母運用を支えた。
瑞鶴が1点差まで迫る理由

1941年9月25日竣工、基準排水量25,675トン、速力34.2ノット、常用72機。翔鶴型2番艦の瑞鶴は、真珠湾、珊瑚海、南太平洋、マリアナ、レイテと、帝国海軍の空母が参加した主要海戦のほぼすべてに出撃した。1942年6月のミッドウェーに参加していないのは、珊瑚海で搭載機を消耗し補充が間に合わなかったからで、この不在が結果的に瑞鶴を生き延びさせた。

実績は満点である。珊瑚海海戦で米空母レキシントン撃沈に加わり、南太平洋海戦ではホーネットを沈めた。姉の翔鶴が損傷を重ねるなか、瑞鶴は1944年6月のマリアナまで大きな損傷を受けず、「幸運艦」と呼ばれた。最期は1944年10月25日、レイテ沖海戦のエンガノ岬沖で、小沢艦隊の囮任務を果たして沈んだ。搭載機のない空母が囮として敵の空母機動部隊を引きつけるという役割は、帝国海軍の空母戦力が尽きたことを意味していた。

攻撃力8点は、開戦時の艦載機と搭乗員の質を含めた評価だ。防御6点は、翔鶴型が米エセックス級と比べて飛行甲板に装甲を持たず、ガソリン配管の防護も甘かったことによる。それでも、帝国海軍の空母のなかで「設計どおりに使われ、設計どおりの戦果を出し、最後まで任務を果たした」のは瑞鶴だけである。瑞鶴の記事で艦歴の詳細を追っている。

大和と瑞鶴の差は1点。私はこの1点を「艦としての性能」と「戦争で果たした役割」の差だと考えている。どちらを上に置くかは、読者が海軍というものに何を求めるかで変わるだろう。

第3位:空母「翔鶴」|31点──帝国海軍が初めて「理想の空母」を手にした艦

翔鶴型1番艦。1941年8月8日竣工。赤城・加賀が戦艦・巡洋戦艦からの改造、蒼龍・飛龍が条約下の制限で小型化された空母であるのに対し、翔鶴型は無条約時代に入って初めて「制約なしに設計された大型正規空母」だった。速力、搭載機数、航続距離、艦体の強度のすべてが、それまでの日本空母を上回る。

実績9点は、瑞鶴と行動を共にしながら、珊瑚海で爆弾3発、南太平洋で爆弾4〜6発と、二度にわたって大きな損傷を受けて長期修理を強いられたことによる。その損傷から立ち直って戦線に戻った点は評価すべきで、ダメージコントロールが機能した証拠でもある。ただし最期は1944年6月19日、マリアナ沖海戦で米潜水艦カヴァラの魚雷を受け、漏れたガソリンの気化爆発で沈んだ。翔鶴型の防御6点は、この最期を織り込んでいる。翔鶴の記事で瑞鶴との違いを整理した。

第4位:戦艦「長門」|30点──世界初の16インチ砲艦にして、生き残った連合艦隊旗艦

1920年11月25日竣工。41cm砲を世界で初めて搭載した戦艦で、竣工時の速力26.5ノットは当時の戦艦として世界最速級だった。米英日の16インチ砲戦艦7隻を指す「ビッグ7」の一角として、戦間期の帝国海軍の顔であり続けた。

攻撃力9点は、大和登場までの20年間、世界の戦艦のなかで最上位にあったことによる。防御8点は、1930年代の大改装でバルジを追加し水平装甲を強化した結果で、実際に長門は開戦から終戦まで沈まなかった。実績6点は、大和と同じく主砲を敵艦に向けたのがレイテ沖のサマール沖海戦だけだったことと、開戦時に連合艦隊旗艦として真珠湾攻撃の「ニイタカヤマノボレ」を発信した歴史的役割の両方を足し引きした結果である。

長門の最期は戦場ではない。1946年7月、ビキニ環礁の核実験で標的艦となり、2回目の水中核爆発の後4日間浮いてから沈んだ。この事実は、長門の防御が最後まで本物だったことを示している。長門の記事で戦後の経緯まで追った。

第5位:戦艦「武蔵」|29点──魚雷約20本に耐えて沈んだ、防御の証明

大和型2番艦。1942年8月5日竣工。三菱長崎造船所で建造された点が呉工廠建造の大和との違いで、艦の性能はほぼ同一である。攻撃力10点は大和と同じ。防御9点としたのは、1944年10月24日、レイテ沖海戦のシブヤン海で、魚雷約20本、爆弾約17発を受けてなお数時間浮き続けた事実による。この被弾量に耐えた戦艦は他にない。

それでも実績3点は動かせない。武蔵は主砲を敵艦に向ける機会が一度もなかった。竣工から沈没までの2年2か月、武蔵が果たした最大の役割は、大和の代わりに集中攻撃を引き受けて栗田艦隊の他の艦を守ったことだった。それは戦艦の使い方としては、あまりに高価な盾である。武蔵の記事で沈没の経緯と大和との細かな違いを整理している。

第6位:空母「赤城」|28点──南雲機動部隊の旗艦、三段甲板から生まれた大型空母

1927年3月25日竣工。もともと天城型巡洋戦艦として起工され、ワシントン条約で空母に改造された艦である。竣工時の三段式飛行甲板は失敗作だったが、1938年の大改装で全通一段甲板となり、常用66機を運用する当時世界最大級の空母に生まれ変わった。

先進性8点は、この改装で得た「大型空母を機動部隊の中核として集中運用する」という運用思想への貢献による。真珠湾攻撃で6隻の空母を一つの部隊として使った第一航空艦隊の旗艦が赤城であり、その運用思想は米海軍が戦後に採用した高速空母任務部隊の原型になった。

実績8点は、真珠湾、ラバウル、ポートダーウィン、セイロン沖と開戦から半年間の勝利のすべてに旗艦として参加したことによる。防御5点は、ミッドウェー海戦で1942年6月5日に爆弾2発で致命傷を負い、翌日自沈処分となったことを反映している。格納庫内で兵装転換中の航空機と燃料が誘爆した経緯は、赤城の記事で詳しく書いた。

第7位:戦艦「金剛」|27点──英国生まれの巡洋戦艦が、日本戦艦で最も戦った

1913年8月16日、英国ヴィッカース社で竣工した。帝国海軍最後の外国製主力艦で、以後の日本戦艦の技術的な出発点となった艦である。2度の大改装で速力30ノットを得て高速戦艦となり、太平洋戦争では金剛型4隻が帝国海軍の戦艦のなかで最も酷使された。

実績9点は、戦艦としては大和や長門を大きく上回る。1942年10月13日、金剛と榛名はガダルカナル島ヘンダーソン飛行場を36cm砲で艦砲射撃し、滑走路を一時使用不能に追い込んだ。姉妹艦の比叡と霧島は第三次ソロモン海戦で米戦艦と砲火を交えて沈んだ。金剛自身はサマール沖海戦で米護衛空母群を砲撃し、1944年11月21日、台湾海峡で米潜水艦シーライオンの魚雷を受けて沈んだ。潜水艦に沈められた唯一の日本戦艦である。

攻撃力7点と防御5点は、36cm砲8門と巡洋戦艦由来の薄い装甲が、1940年代の戦艦戦では見劣りしたことによる。それでも「速いから使われ、使われたから戦果を出した」という金剛型の戦歴は、大和型の「遅くはないが温存され、温存されたから戦果がない」という戦歴と対をなしている。金剛の記事で英国生まれの経緯から沈没までを追った。

第8位:高雄型重巡洋艦|26点──帝国海軍が到達した重巡の完成形

高雄型重巡洋艦と秋月型駆逐艦を想起させる水上艦隊の歴史ビジュアル
重巡洋艦と駆逐艦は、砲力だけでなく夜戦・防空・護衛という役割の違いまで含めて評価する。
中型艦を評価する視点

高雄・愛宕・摩耶・鳥海の4隻。1932年に竣工し、20.3cm連装砲5基10門、61cm魚雷発射管を装備した。改装後の基準排水量は約13,400トン、速力35ノット弱。艦橋の巨大さで知られるが、それは艦隊旗艦としての司令部機能を艦に載せた結果で、愛宕は第二艦隊旗艦を長く務めた。

攻撃力7点は、砲10門と、日本重巡の真骨頂である酸素魚雷の組み合わせによる。鳥海は第一次ソロモン海戦で三川艦隊の旗艦として夜戦に突入し、米豪重巡4隻撃沈という帝国海軍最大の水上戦勝利を導いた。実績6点にとどめたのは、4隻中3隻が1944年10月のレイテ沖海戦で失われたことによる。愛宕と摩耶は10月23日にパラワン水道で米潜水艦に沈められ、鳥海は10月25日のサマール沖で沈んだ。高雄だけがシンガポールで終戦を迎えた。

先進性7点は、条約制限下で重巡に司令部機能と重雷装を詰め込んだ設計思想が、良くも悪くも日本重巡の到達点だったことによる。高雄型の記事で4隻の戦歴を追っている。

第9位:装甲空母「大鳳」|25点──最先端の防御を持ち、魚雷1本で沈んだ空母

1944年3月7日竣工。基準排水量29,300トン。飛行甲板に95mmの装甲を張った、帝国海軍初にして唯一の装甲空母である。英イラストリアス級の思想を取り入れ、急降下爆撃に耐えて発着艦を続けられる空母として設計された。閉鎖式艦首、ハリケーン・バウも日本空母では初めての採用で、先進性9点は帝国海軍の空母のなかで最高点である。

実績1点は、竣工からわずか3か月、1944年6月19日のマリアナ沖海戦で、米潜水艦アルバコアの魚雷1本を受けたのが原因だ。魚雷そのものの損傷は軽微だったが、破損したガソリンタンクから漏れた気化ガソリンが艦内に充満し、応急班が換気のため艦内の通風を全開にした結果、数時間後に大爆発を起こして沈んだ。飛行甲板を守った設計が、艦内の気密性を高め、ガソリンの逃げ場を奪ったという皮肉である。

防御8点をつけたのは、この沈没が装甲設計の失敗ではなく、燃料系統の防護と応急指揮の失敗だったからだ。大鳳の記事で沈没原因を検証している。

第10位:空母「飛龍」|24点──ミッドウェーで唯一反撃した空母

1939年7月5日竣工。基準排水量17,300トン、速力34.3ノット、常用57機。蒼龍の準同型艦だが、艦橋を左舷に置いた点が異なる。攻撃力6点、防御4点は、条約下で小型化された艦体に無理を重ねた設計の限界を示している。

実績7点は、ミッドウェー海戦の1942年6月5日午前、赤城・加賀・蒼龍が数分のうちに大破したあと、飛龍だけが2波の攻撃隊を発進させ、米空母ヨークタウンを大破させたことによる。指揮したのは第二航空戦隊司令官の山口多聞で、飛龍は同日午後に爆弾4発を受けて翌日沈んだ。南雲と山口の判断は今も論争の的だが、艦そのものの評価としては、機動部隊が壊滅した状況で任務を続行した唯一の艦であることが飛龍の価値である。飛龍の記事も参照してほしい。

第11位:利根型重巡洋艦|23点──主砲を前に集め、後ろに偵察機を積んだ異形の艦

利根・筑摩の2隻。1938年と1939年に竣工。20.3cm連装砲4基8門をすべて前部に集中させ、後部甲板を水上偵察機5〜6機の運用スペースに充てた。「砲戦より索敵」に艦の半分を割いた設計は世界に類例がなく、先進性9点は重巡としては最高である。

この設計は空母機動部隊の「目」として使うためのもので、真珠湾攻撃では利根と筑摩の偵察機が真珠湾上空を最初に飛んだ。しかし実績4点にしたのは、ミッドウェー海戦で利根4号機の発進遅れが米空母発見の遅れにつながったとされる有名な経緯による。艦の設計思想が正しくても、運用が噛み合わなければ戦果にならない。筑摩は1944年10月25日のサマール沖で沈み、利根は1945年7月の呉空襲で大破着底した。

第12位:妙高型重巡洋艦|22点──「飢えた狼」と呼ばれた条約型重巡の原点

妙高・那智・足柄・羽黒の4隻。1929年前後に竣工。ワシントン条約下で1万トンの制限内に20.3cm砲10門と魚雷発射管を収めた設計は、列強の条約型重巡のなかで最も火力に振ったもので、1937年に英国スピットヘッドの観艦式に参加した足柄は英国側から「飢えた狼」と評された。

攻撃力7点は高雄型と同等。先進性5点は、高雄型の原型であってそれ以上ではないことによる。実績5点は、4隻すべてが開戦から終戦近くまで戦い続けた消耗戦の記録だ。羽黒は1945年5月16日、ペナン沖で英駆逐艦隊の雷撃を受けて沈んだ。帝国海軍の重巡が水上戦闘で沈められた最後の例である。足柄は同年6月、英潜水艦の雷撃で沈んだ。

第13位:秋月型駆逐艦|21点──防空駆逐艦という発想の先取り

1942年6月に1番艦秋月が竣工、終戦までに12隻が完成した。65口径10cm連装高角砲4基8門を主兵装とし、空母機動部隊の直衛として敵機を撃ち落とすことに特化した駆逐艦である。当時の駆逐艦が雷撃と砲戦を主任務としていたなかで、防空専用艦という発想を実際に量産した点で、先進性8点をつける。

攻撃力5点と防御4点は、駆逐艦としての限界だ。実績4点は、マリアナ沖・レイテ沖で空母を守り抜けなかったことと、それでも終戦まで生き残った艦が複数あることの両方を反映している。この艦の思想は、戦後の海上自衛隊が防空艦を艦隊の中核に据えた流れの源流にある。秋月型の記事で12隻の戦歴を追った。

第14位:駆逐艦「雪風」|20点──性能ではなく、生き残ったことで殿堂入り

1940年1月20日竣工。陽炎型の一隻で、砲力も雷装も同型艦と変わらない。攻撃力3点、防御3点、先進性4点は陽炎型の標準的な評価で、これだけなら圏外である。

実績10点は、雪風が参加した主要海戦の数によるものだ。スラバヤ沖、ミッドウェー、南太平洋、第三次ソロモン、ガダルカナル撤収、ビスマルク海、コロンバンガラ、マリアナ、レイテ、礼号作戦、そして坊ノ岬。大和の最後の出撃にも随伴して生還した。同型艦19隻のうち終戦時に稼働していたのは雪風だけで、戦後は賠償艦として中華民国海軍に引き渡され「丹陽」として1970年まで現役だった。性能で語れないものを、戦歴が語っている雪風の記事で戦後の運命まで追っている。

第15位:伊400型潜水艦|19点──晴嵐3機を積んだ世界最大の潜水空母

特殊攻撃機を搭載した伊400型潜水艦を表現した歴史ビジュアル
伊400型は航空機を格納して遠距離へ運ぶ構想で高い先進性を示したが、実戦投入前に終戦を迎えた。
伊400型の評価が割れる理由

伊400・伊401・伊402の3隻。1944年から1945年に竣工。水上排水量5,223トン、全長122m、特殊攻撃機「晴嵐」3機を格納筒に収め、14ノットで37,500海里、つまり地球を1周半できる航続力を持った。1960年代に原子力潜水艦が登場するまで世界最大の潜水艦であり、「潜水艦から航空機を発進させて敵の戦略目標を叩く」という構想は、戦後の弾道ミサイル潜水艦を先取りしたものと評価されることもある。先進性9点はここに由来する。

実績3点は、当初のパナマ運河攻撃も、次のウルシー環礁攻撃も実行前に終戦を迎え、一度も晴嵐を敵に向けて発進させなかったことによる。攻撃力4点、防御3点は潜水艦としての評価であり、この記事の採点軸が潜水艦に不利であることは認める。帝国海軍の潜水艦を潜水艦として評価するなら、伊400型の記事と帝国海軍の潜水艦全型一覧で扱っている。

大和 vs 瑞鶴|1位と2位を同じ表に並べる

直接比較の核心

順位表の上で1点差だった2隻を、同じ項目で直接比べておく。この2隻の比較は「戦艦と空母のどちらが太平洋戦争の主役だったか」という問いそのものである。

項目戦艦 大和空母 瑞鶴
竣工1941年12月16日1941年9月25日
基準排水量約64,000トン25,675トン
速力27ノット34.2ノット
主要打撃力46cm砲9門(射程約42km)常用72機(攻撃半径約400km)
乗員約3,300名約1,700名
主要海戦参加レイテ沖、坊ノ岬真珠湾、珊瑚海、南太平洋、マリアナ、レイテ沖
敵主力艦への戦果確認なしレキシントン、ホーネット撃沈に参加
最期1945年4月7日、航空攻撃1944年10月25日、航空攻撃

打撃力の欄がすべてを説明している。大和の46cm砲は約42km先まで届くが、瑞鶴の攻撃隊は約400km先の敵を叩ける。射程が10倍違えば、先に相手を見つけて先に殴れるのは空母であり、戦艦は殴られる側に回る。大和が結局「航空攻撃で沈んだ」ことと、瑞鶴が「航空攻撃で沈んだ」ことは同じ言葉だが、意味は正反対だ。大和は自分が持たない兵器で沈められ、瑞鶴は自分が持つ兵器と同じ兵器で沈められた。

それでも大和を1位にした理由をもう一度書いておく。この記事は「艦の強さ」を測る記事であり、「艦種の正しさ」を測る記事ではない。艦として見たとき、46cm砲と410mm装甲を備えた艦は世界に大和型2隻しか存在せず、その希少性と到達点は瑞鶴の戦歴と同じ重さで評価されるべきだと私は考えている。

艦種別に並べ直すとこうなる

艦種横断の表は、どうしても戦艦と空母が上位を占める。同じ艦種のなかでの順位を別に示しておく。

艦種1位2位3位備考
戦艦大和長門武蔵実績重視なら金剛が2位に上がる
空母瑞鶴翔鶴赤城設計重視なら大鳳が3位に入る
重巡洋艦高雄型利根型妙高型最上型は改装後の砲力で妙高型と並ぶ
駆逐艦秋月型雪風島風島風は性能では1位だが1隻で終わった
潜水艦伊400型潜水艦全体の順位は個別の一覧記事で扱う

戦艦の欄で武蔵が長門の下にいることに違和感を持つ読者もいるだろう。性能は武蔵が圧倒的に上である。それでも長門を上に置いたのは、20年にわたって帝国海軍の主力であり続け、戦後の核実験まで沈まなかった「使われ方の実績」を評価したからだ。武蔵は竣工から2年2か月、一度も主砲を敵に向けなかった。

順位が動く3つの論点

自分で採点し直すポイント

この順位表には、私自身が迷った点が3つある。読者が自分で採点し直すなら、この3点で結果が変わる。

大和の実績は5点で妥当か

大和はサマール沖で米護衛空母群を砲撃し、坊ノ岬で沖縄へ向かった。それを「主要海戦2回」と数えて5点とした。しかし「主砲の命中弾がない」「泊地に留まった期間が長い」ことを重く見れば3点になり、そうなると瑞鶴と翔鶴が1位・2位になる。逆に「存在するだけで米軍に対抗策を強いた」という抑止力を評価すれば6点になり、首位は動かない。私は前者の見方に理があると認めつつ、艦の性能そのものは実績と切り離して評価すべきだと考え、5点にした。

大鳳の防御8点は甘くないか

魚雷1本で沈んだ艦に防御8点は矛盾しているように見える。しかし大鳳を沈めたのは魚雷そのものではなく、その後の応急指揮の失敗である。飛行甲板装甲という設計思想は正しく、戦後の米空母がすべて装甲飛行甲板を採用したことがそれを証明している。設計を評価するか結果を評価するかで、大鳳は9位にも15位にもなる。

潜水艦と駆逐艦を同じ表に入れるべきか

伊400型と雪風は、採点軸が戦艦・空母向けに設計されているため不利を受けている。艦種横断で比べる以上これは避けられず、だからこそ13位から15位の3隻には「性能ではなく思想と戦歴」で入ってもらった。潜水艦を潜水艦として、駆逐艦を駆逐艦として評価する記事は別に用意しているので、そちらで補ってほしい。

米海軍の同世代艦と並べると、点数の意味がわかる

この順位表は帝国海軍の艦だけを比べているが、点数の基準を確かめるために、上位5隻を米海軍の同世代艦と一言ずつ並べておく。

大和と長門の相手は、米戦艦アイオワ級とサウスダコタ級である。アイオワ級は40.6cm砲9門、33ノット。砲力と装甲では大和が上回るが、速力と射撃管制レーダーではアイオワが上で、夜戦や悪天候下では大和の射程優位は相殺される。第三次ソロモン海戦で霧島がワシントンのレーダー射撃で沈められた事実は、砲の口径だけでは戦艦の強さを測れないことを示している。大和の先進性を8点に抑えた理由の一つが、この電子装備の遅れだ。

翔鶴・瑞鶴の相手はエセックス級である。エセックス級は基準27,100トン、常用90機以上、しかも1943年から1945年にかけて24隻が就役した。翔鶴型は艦としてエセックス級と互角に近いが、2隻と24隻という数の差、そして搭乗員の補充体制の差が、1944年のマリアナで空母戦力の決定的な逆転を生んだ。瑞鶴の実績10点は、その逆転までの期間に出した戦果への評価であり、逆転後の帝国海軍にはもはや評価できる空母戦がなかった。

高雄型と妙高型の相手は、条約型ではボルチモア級以前のニューオーリンズ級、無条約時代ではボルチモア級である。日本重巡は砲門数と魚雷で優位に立ち、実際に1942年のソロモンの夜戦では米重巡を次々と沈めた。しかし1943年後半以降、米側のレーダー射撃が夜戦の主導権を握ると、酸素魚雷の優位は薄れていく。高雄型の実績6点は、この前半の勝利と後半の敗北を合算した点数である。

つまり、この順位表の「先進性」と「実績」の点数の裏には、ほぼ例外なく電子装備と工業生産力の差がある。艦の強さを比べる記事でありながら、最後に浮かび上がるのは艦の外側にある要因だという結論は、帝国海軍の艦艇を語るときに避けて通れない。

惜しくも圏外|加賀・蒼龍・信濃・最上型・島風・伊勢型・扶桑型

順位表に入らなかったが、議論の対象になりうる艦を短く挙げておく。

空母加賀は赤城と並ぶ大型空母で常用72機を運用したが、速力28ノットと低く、ミッドウェーで赤城と同じ運命をたどった。赤城との差は旗艦としての歴史的役割の有無である。空母蒼龍は飛龍の原型で、ミッドウェーで反撃の機会なく沈んだ。空母信濃は大和型3番艦を改造した基準62,000トンの世界最大の空母だったが、竣工10日後の1944年11月29日、回航中に米潜水艦アーチャーフィッシュの魚雷4本で沈んだ。防水区画の工事が未完成のまま出航した結果であり、採点の対象にすらならない。

最上型重巡は15.5cm砲15門で竣工した後、20.3cm砲10門に換装した条約回避艦で、三隈をミッドウェーで、最上をスリガオ海峡で失った。駆逐艦島風は40.9ノットと五連装魚雷発射管3基15門という帝国海軍駆逐艦の極致だったが、1隻で終わり、1944年11月にオルモック湾で沈んだ。伊勢・日向の航空戦艦化と、扶桑・山城のスリガオ海峡での最期は、それぞれ個別記事で扱っている。

採点から見えること|帝国海軍は「最強の艦」を「最強に使う」ことができなかった

順位表を見直すと、上位5隻のうち3隻が戦艦、2隻が空母である。しかし実績の欄だけを見ると、瑞鶴10、翔鶴9、金剛9、赤城8に対し、大和5、武蔵3、長門6。性能で上位の戦艦ほど、実績で下位に沈む。

これは偶然ではない。帝国海軍は大和型に国家予算の相当部分を投じ、その大和型を「決戦まで温存する」方針で使った。決戦は来なかった。代わりに来たのは空母機動部隊による航空戦で、そこで戦ったのは翔鶴・瑞鶴と、燃料を食わずに速く走れる金剛型だった。帝国海軍の全海戦一覧を通して読むと、戦艦の名前は前半にほとんど出てこない。

私はこの構造を「艦の失敗」ではなく「使い方の失敗」だと考えている。大和も武蔵も設計どおりに強かった。強い艦を持つことと、強い艦を使う戦略を持つことは別の話で、帝国海軍が持っていたのは前者だけだった。戦艦ビスマルクが出撃初戦でフッドを沈め、追撃戦で沈んだドイツ海軍の使い方と比べても、その差ははっきりしている。

帝国海軍の艦を作った工廠と造船所は、いま何になっているか

大型艦を建造する昭和期の海軍工廠と造船所を表現した歴史ビジュアル
艦艇の性能を支えたのは、工廠・造船所・製鋼所を結ぶ巨大な生産基盤だった。
艦艇史から続く産業の系譜

この順位表の艦を建造したのは、呉海軍工廠(大和・長門)、三菱長崎(武蔵・高雄型の一部)、横須賀工廠(翔鶴・信濃)、川崎神戸(瑞鶴・加賀)、そして呉工廠で砲身を作った日本製鋼所室蘭である。これらは戦後、形を変えて残っている。

大和の主砲砲身を製造した日本製鋼所は、日本製鋼所(5631)の記事で書いたとおり、現在は10式戦車の砲身から原子力向け鋼材まで手がける。武蔵を建造した三菱長崎は三菱重工(7011)の一部として、いまも海上自衛隊のイージス艦やもがみ型護衛艦を建造している。呉工廠の跡地はジャパンマリンユナイテッドの呉事業所となり、川崎神戸は川崎重工(7012)として潜水艦の建造を続けている。

投資家として見ると、帝国海軍の艦艇史はそのまま日本の重工業の系譜である。どの企業がどの艦種を作り、現在の防衛需要でどこが受注しているかは造船重工株ランキングにまとめた。本記事は特定銘柄の売買を推奨するものではなく、投資判断は自身の責任で行ってほしい。ただ、大和を作った技術が10式戦車の砲身に、翔鶴を作った工廠が海自の母港に続いていることを知ったうえで防衛関連株を見ると、銘柄の見え方は変わる。口座を持っていない人は、日本株とNISAを一つのアプリで扱える証券会社を一つ持っておくと、こうした記事から企業情報へすぐ移れる。

この15隻を手元に置く|模型と書籍

立体と資料で比べる

艦船模型の世界では、この順位表の艦はほぼすべてキット化されている。とくにタミヤの1/350大和は、精密艦船模型の入門として長く定番であり、46cm砲塔のサイズを手で確かめると、この艦がどれほど桁外れだったかが立体でわかる。

大和から始めて瑞鶴、長門と揃えていくと、戦艦と空母のシルエットの違い、条約型重巡の艦橋の異様さが机の上に並ぶ。タミヤ公式ショップには帝国海軍艦艇の1/350・1/700シリーズと工具・塗料が揃っている。

艦歴を文字で追うなら、帝国海軍艦艇の全艦の航跡を一冊で追える資料が便利だ。この記事で扱った15隻の戦歴の裏付けとしても使える。

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よくある質問

大日本帝国海軍で最強の戦艦はどれか

性能では大和と武蔵が同等で、艦としての完成度では大和が上である。実戦での活躍を重視するなら金剛型で、金剛型4隻は帝国海軍の戦艦で最も多くの海戦に参加した。

大日本帝国海軍で最強の空母はどれか

翔鶴型2隻、とくに瑞鶴を挙げる。搭載機数と速力、艦体の強度のすべてで赤城・加賀を上回り、実戦でも主要海戦のほぼすべてに出撃した。装甲空母の大鳳は設計上は最先端だったが、実戦で戦果を残す前に沈んだ。

大和と瑞鶴はどちらが強いのか

艦の性能では大和、戦争で果たした役割では瑞鶴。この記事では1点差で大和を上にしたが、空母と戦艦の直接比較は「どちらの艦種が戦争を決めたか」という問いになる。太平洋戦争を決めたのは空母だった。

日本の重巡洋艦で最強はどれか

高雄型を挙げる。妙高型の火力を継承し、司令部機能と改装後の重雷装を加えた点で日本重巡の完成形である。利根型は設計思想の独創性で上回るが、砲力では劣る。

帝国海軍の艦艇はどこで見られるか

実艦はほとんど残っていない。呉市の大和ミュージアムに1/10大和の模型と大和の遺品があり、江田島の海上自衛隊第1術科学校には雪風の錨と舵が保存されている。長門はビキニ環礁の海底にあり、ダイビングの対象になっている。

まとめ|順位を組み直してほしい

TOP15から見える結論

この記事の順位は、4軸40点という一つの物差しで測った結果にすぎない。実績を重く見れば瑞鶴が1位になり、設計を重く見れば大鳳や利根型が上がり、艦種ごとに分ければまったく別の表になる。私が伝えたかったのは順位そのものではなく、帝国海軍が「最強の艦」を持ちながら「最強の使い方」を持てなかったという構造であり、その構造は艦種を越えて並べたときに初めて見えてくる。

読者自身の採点で、この表を組み直してほしい。それが、帝国海軍の艦艇を「知っている」から「考えた」に変える一番の近道だと私は思う。

あわせて読みたい

出典・参考

  • 防衛庁防衛研修所戦史室『戦史叢書』海軍関係各巻 — 各艦の戦歴・参加海戦
  • 『日本海軍艦艇の航跡』 — 各艦の竣工日・改装・最期の年月日
  • 呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)公開資料 — 大和の要目
  • 海上自衛隊第1術科学校 教育参考館 — 雪風の錨・舵の保存状況
  • 米海軍歴史遺産司令部(NHHC)「Japanese Naval Vessels」各艦記録 — 米側から見た戦闘記録・沈没状況の照合
  • 各艦の要目(排水量・速力・搭載機数)は上記資料の公称値であり、改装時期により数値が異なる場合がある
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