1945年8月3日、福岡・板付飛行場。
真夏の陽炎が揺れる滑走路に、見慣れない戦闘機が佇んでいた。機首の前に小さな前翼、胴体の後ろで回る巨大なプロペラ――まるで未来から来たような姿。これが震電だ。
試験飛行を終えたテストパイロット・鶴野正敬中尉は驚きの声を漏らした。
しかし、それから12日後、日本は終戦を迎える。震電が本当に「最強」だったのかを証明する時間は、もう残されていなかった。
僕たち編集部は、震電という機体を「未完の最強戦闘機」という言葉で語ることに、ずっと違和感を覚えてきた。最強という評価には、実戦での証明が必要だ。だが震電には、それがない。試験飛行は合計わずか43分。脚を上げることすら許されなかった。
では、震電とは何だったのか。
この記事では、第二次世界大戦・太平洋戦争末期に大日本帝国海軍が生み出した局地戦闘機・震電(J7W1)と、その発展型として構想されたジェット機・震電改(J7W2)について、設計思想、性能、実戦との距離、そして映画『ゴジラ』やゲーム『艦これ』で増幅された伝説まで、すべてを解き明かしていく。
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第1章 震電(J7W1)とは何か――43分間が遺した”設計思想の勝利”

1-1 基本スペックと開発背景
震電は、1945年8月3日に初飛行を果たした日本海軍の局地戦闘機だ。正式名称はJ7W1。開発は九州飛行機が担当した。
基本データを整理しておこう。
全長: 約9.76m
全幅: 約11.11m
エンジン: 誉(ハ43)空冷星型18気筒、公称出力約2,130馬力
最高速度: 計画値約750km/h(高度9,000m付近)
武装: 30mm機関砲×4門(機首集中配置)
初飛行: 1945年8月3日、板付飛行場
試験飛行回数: 数回、合計約43分
実戦投入: なし(終戦により中止)
この数字だけを見ても、震電の異質さは伝わりにくい。本当の特徴は、形にある。
1-2 前翼(カナード)+後方プロペラ(プッシャー)という”逆転の発想”

震電を一目見て気づくのは、通常の戦闘機とは真逆の構成だ。
主翼の前に小さな翼(前翼=カナード)がある
プロペラが機体の後ろにあり、後方から推す(プッシャー式)
機首には巨大な30mm機関砲が4門も詰まっている
なぜこんな形なのか。
答えは、B-29迎撃という任務に全てを最適化したからだ。
1944年以降、米軍の重爆撃機B-29が本土上空に現れた。高度9,000〜10,000m、速度は時速500km超。既存の零戦や雷電では追いつくだけで精一杯、しかも一撃で落とすには火力が足りない。
そこで海軍が出した要求は、こうだ。
高度1万メートルまで素早く上がれること
B-29を一撃で撃墜できる重火力を持つこと
照準がしやすく、命中率が高いこと
この三つを同時に満たすため、設計チームは常識を捨てた。
機首にプロペラがあると、視界が悪く、機関砲も散らばる。ならば、プロペラを後ろへ。機首を空けて、30mm砲を4門並べる。これで視界も良く、弾が一点に集まる。
前が軽くなると機体が不安定になる。ならば、前に小さな翼(カナード)を付けて、姿勢を制御する。高い迎角(機首上げ)も取りやすくなり、上昇性能も稼げる。
理屈は完璧だった。問題は、時間だ。
1-3 MXY6滑空試験機――”飛ぶかどうか”を確かめた前段階
こんな奇抜な形が本当に飛ぶのか。海軍も不安だった。
そこで、まず小型の滑空試験機MXY6を作って前翼配置の挙動を確認した。エンジンなし、あるいは小出力エンジンを載せた簡易機で、カナード機特有の失速特性や操縦感覚を地道に検証したのだ。
結果は良好。前翼機は安定して飛べる。ゴーサイン。
この慎重さは、終戦間際の日本としては異例だった。物資も時間もない中で、ちゃんと段階を踏んだ。それだけ、震電への期待が大きかったということだ。
1-4 1945年8月3日、板付での初飛行――そして12日後の終戦
運命の日がやってくる。
1945年8月3日、福岡県の板付飛行場。テストパイロット・鶴野正敬中尉が震電に乗り込んだ。
離陸。
機体は滑走路を駆け、ふわりと浮いた。脚は上げない。安全マージンを最大限に取った慎重な試験だ。飛行場周辺を数周して着陸。所要時間、約10数分。
「飛んだ」
それが、すべてだった。
その後、8月6日と9日にも短時間の試験飛行が記録されている。合計で約43分。脚を上げての高速試験、高高度試験、武装試験――すべては、これからだった。
だが、8月15日。終戦。
震電の開発は、そこで止まった。
第2章 設計の核心――カナード×プッシャーが生んだ”光と影”

2-1 機首集中火力という”正義”
震電の最大の強みは、機首に30mm機関砲4門を一直線に並べたことだ。
従来の戦闘機は、翼の中に機銃を分散配置していた。左右の翼から撃つと、弾道が交差する地点(収束点)でしか威力が集まらない。しかも翼は振動するし、プロペラとの同期が必要で、発射タイミングに制約がある。
震電は違う。
機首に4門すべてがある。弾道はほぼ平行。照準線と銃口が一致しているから、パイロットが見たとおりに弾が飛ぶ。しかもプロペラが後ろだから、同期装置も要らない。
これは、迎撃機としては理想形だ。
B-29のような大型機は、一瞬の接触で確実に落とさなければならない。そのためには、短時間に大火力を集中させる必要がある。震電の機首砲配置は、その要求に真正面から応えた解答だった。
2-2 前方視界の良さ――”見て、狙って、当てる”

もう一つの利点が、視界だ。
通常の戦闘機では、機首の大きなプロペラ円盤とスピナー(軸カバー)が視界を遮る。特に照準時、敵機がプロペラの陰に隠れて見えなくなる瞬間がある。
震電は、機首に何もない。
正面視界が完全にクリア。敵機を最初から最後まで視認し続けられる。これは、照準精度に直結する。
高高度・高速で接近するB-29相手に、”見失わない”ことは決定的なアドバンテージだった。
2-3 高迎角と上昇性能――前翼が生む”上がり勝負”の強さ
前翼(カナード)のもう一つの役割が、高迎角の確保だ。
迎角とは、翼と気流のなす角度のこと。迎角が大きいほど揚力が増すが、やりすぎると失速する。
カナード機は、前翼が先に失速する設計にしておけば、自然と機首が下がって回復する。つまり、安全に高迎角を取れる。
これは何を意味するか。
離陸時、早い段階で機首を上げられる。つまり、短距離で浮ける。そして上昇時、迎角を大きく取ることで、グイグイ高度を稼げる。
迎撃戦は”上がり勝負”だ。敵爆撃機を発見してから、いかに早く同じ高度まで到達できるかが勝負を決める。震電は、そこに賭けた。
2-4 トレードオフ――冷却、振動、地上姿勢
だが、すべてが光だったわけではない。
冷却問題: エンジンを機体後部に押し込むと、冷却空気の取り回しが難しい。熱が胴体後端や尾翼に回り込みやすく、熱害のリスクが高まる。
延長軸の振動: エンジンからプロペラまでの軸(推進軸)が長くなると、ねじり振動や共振が発生しやすい。これは設計の難所で、初期試験でも振動チューニングが課題として残った。
地上姿勢と視界: 後部プロペラを地面から離すため、主脚が長くなる。結果、地上では強い機首上がり姿勢になり、タキシング(地上走行)時の前方視界が悪化する。長い脚は整備性や重量にも不利だ。
低速域の舵効き: プッシャー式は、プロペラ後流が主翼や尾翼を”活性化”しない。そのため、低速時の操縦応答が鈍くなりがちだ。これをカナードや翼面積で補う設計だが、万能ではない。
つまり、震電は”尖った道具”だった。
B-29迎撃という一点に全てを最適化した代わりに、汎用性や運用性には妥協があった。これを「欠陥」と呼ぶのは簡単だが、フェアじゃない。設計とは、常にトレードオフだ。
震電は、トレードオフを承知の上で、迎撃性能を選んだ。
2-5 編集部の評価――”設計思想”では最強級
僕たちの結論は、こうだ。
震電の設計思想は、間違いなく最強級だった。
B-29を一撃で落とすという目的に対して、これ以上ないほどストレートな解答だった。機首集中火力、視界、高迎角、上昇性能――すべてが理にかなっている。
ただし、”完成機としての最強”は証明されていない。
試験時間43分では、高速性能も、高高度性能も、実戦での信頼性も、何一つ確認できていない。エンジンの誉(ハ43)自体、末期の日本では公称出力を安定して出すのが難しかった。
だから、震電を語るときは、こう言うべきだ。
「設計としては最強に近い。だが、戦場で最強だったかは、永遠に不明」
これが、歴史と技術への誠実な態度だと思う。
第3章 震電改(J7W2)という”次の一手”――ジェット化構想の真実
3-1 レシプロの限界とジェットへの期待
1945年夏、日本海軍は既にレシプロエンジンの限界を感じていた。
プロペラ機は、速度が上がるほどプロペラ先端がマッハ数に近づき、効率が落ちる(圧縮性の壁)。高高度では空気が薄くてプロペラの効きも悪くなる。
一方、ジェットエンジンは高高度・高速域でこそ本領を発揮する。
だから、震電をジェット化する構想が浮上した。それが震電改(J7W2)だ。
3-2 J7W2の設計意図――何を狙ったのか
ジェット化の狙いは、明快だった。
高高度性能の向上: プロペラの圧縮性限界から解放され、1万メートル以上でも推力を維持できる。
速度の向上: 計画では最高速度800km/h超を目指したとされる。
機首火力の強化: プロペラ関連機構が消えることで、さらに大口径砲や弾数増加の余地が生まれる。
震電(J7W1)の設計思想――機首集中火力、視界、前翼による高迎角――をそのまま活かしながら、動力だけをジェットに置き換える。理屈としては、筋が通っている。
3-3 具体的な設計変更点(推定)

史料が断片的なため、確定情報は少ない。だが、技術的に必然の変更点は推測できる。
エンジン: 国産ターボジェット「ネ(Ne)」系列を想定。ネ-20(橘花に搭載)の発展型か、ネ-130/230級のエンジンが候補として挙がる。推力は約900kgf前後とされるが、これも未確定。
吸気口(インテーク): 胴体側面または翼根に、左右対称の吸気口を設ける必要がある。境界層の処理やダクト設計が新たな課題となる。
排気: 胴体尾部から直接排気。カナード機であるため、排気熱が尾翼に当たりにくいレイアウトは有利だが、材料の耐熱性は依然として壁だった。
重心と燃料配置: ジェットは燃費が悪い。航続距離を確保するには燃料タンクの配置を全面的に見直す必要がある。
武装: 機首集中の30mm×4は踏襲可能。ジェット化で空いた重量余裕を、弾数や追加装備に回せる。
3-4 どこまで進んでいたのか――史料が語る”到達点”
結論から言えば、J7W2は計画段階で終わった。
完成機の確認: なし
飛行試験の記録: なし
エンジンの実装: なし
具体的な図面: 断片的な設計図や覚書は残るが、詳細仕様は未確定
つまり、震電改(J7W2)は”構想としては実在したが、実機は存在しなかった”というのが正確な表現だ。
一部のネット記事やゲームでは、最高速度や上昇率を具体的な数字で書いているものもあるが、それらは推定値や創作の範囲内と考えるべきだ。
3-5 なぜ実現しなかったのか――エンジンと時間の壁
理由は二つ。
エンジンの未成熟: 同時代のネ-20ですら、1945年8月7日に初めて橘花を飛ばしたばかり。しかも寿命は短く、量産体制も整っていない。ネ-130/230級はさらに試作段階で、実用化の見通しは立っていなかった。
時間切れ: 1945年8月15日、終戦。すべてが止まった。
もし戦争があと1年続いていたら、J7W2は飛んだかもしれない。だが、それでも量産や実戦投入には、さらに時間が必要だっただろう。
日本の工業力、資材の逼迫、空襲による工場被害――すべてが逆風だった。
3-6 編集部の結論――”次の一手”としての合理性はあった
震電改(J7W2)は、技術的には筋の通った構想だった。
レシプロの限界を超え、B-29迎撃の”天井”を破る。震電(J7W1)の設計思想を活かしながら、ジェット化で性能を一段引き上げる。発想として、間違っていない。
ただし、実現には時間と資源が足りなかった。
「もし」を語るのは簡単だ。だが、「もし」は歴史を変えない。
僕たちにできるのは、震電改という”届かなかった理想”を、技術史の文脈で正しく記録することだけだ。
第4章 実戦との距離――43分が遺したもの、遺せなかったもの
4-1 飛行試験内容の実態――何ができて、何ができなかったか

震電(J7W1)の試験飛行は、合計約43分。回数にして数回。
確認できたこと:
機体は飛ぶ: 前翼+プッシャーというレイアウトは、基本的に飛行可能だった。
離陸性能: 高迎角を取りやすく、比較的短距離で浮ける手応えがあった。
基本的な操縦応答: ピッチ(機首の上下)、ロール(横転)、ヨー(方向転換)の操作は可能。
確認できなかったこと:
脚上げ時の高速性能: 安全マージンを取って、脚は出しっぱなし。計画値の750km/hには到達していない。
高高度性能: 高度9,000〜10,000mでの飛行試験は未実施。
武装試験: 30mm砲の発射試験なし。反動や振動の影響も不明。
戦闘機動: 急旋回、急降下、高G機動など、実戦を想定した動きは未確認。
信頼性: エンジンや機体構造の耐久性、整備性は評価できていない。
つまり、震電は”飛ぶことは確認できたが、戦える機体かどうかは不明”という段階で止まった。
4-2 B-29迎撃という任務は果たせたか――シミュレーションの限界
仮に、震電が実戦配備されていたとしよう。
高度1万メートルを飛ぶB-29に対して、震電は追いつけただろうか。一撃で落とせただろうか。
理論上は、可能性がある。
計画値の上昇性能と高高度性能が実現すれば、B-29の巡航高度に到達できる。30mm×4の火力なら、一撃で致命傷を与えられる。機首集中配置で命中率も高い。
だが、現実はもっと複雑だ。
燃料事情: 末期の日本では、高オクタン燃料の確保すら困難だった。エンジンが公称出力を出せない可能性が高い。
整備と稼働率: 振動や冷却の問題が解決していない状態で、どれだけ稼働率を維持できたか。
パイロットの練度: 1945年時点で、熟練パイロットはほとんど残っていない。新しいレイアウトの機体を、訓練不足のパイロットが使いこなせたか。
そして何より、数だ。
仮に震電が100機配備されたとしても、米軍は毎日数百機のB-29を送り込んでくる。物量の前では、個々の機体性能はかき消される。
4-3 他機との比較――雷電、紫電改、疾風、P-51H
震電を、同時代の日本機・米軍機と比べてみよう。
vs 雷電(J2M): 同じ局地迎撃機。雷電は実戦実績があり、B-24を複数撃墜している。ただし高高度性能では震電の方が理論上有利。
vs 紫電改(N1K2-J): 343空が使用し、B-29迎撃でも戦果を上げた。汎用性では紫電改が上。専用性では震電。
vs 疾風(Ki-84): 陸軍の万能機。速度、火力、航続のバランスが良い。米軍も「日本最強」と評価した。実戦実績では疾風が圧倒的に上。
vs P-51H: 米軍の高高度戦闘機。速度、上昇力、航続すべてで優秀。運用実績も豊富。震電が対等に戦えたかは疑問。
結論: 震電は”局地迎撃”という文脈ではトップ級のポテンシャルを持っていた。だが、実戦実績がない以上、他機との優劣は断定できない。
4-4 編集部の結論――”最強”は証明されなかった
震電を「日本最強の戦闘機」と呼ぶのは、正確ではない。
正しい評価は、こうだ。
「震電は、B-29迎撃に特化した設計思想において、最強級のポテンシャルを持っていた。しかし、実戦での証明はなされなかった」
これが、歴史と技術に対する誠実な結論だと思う。
第5章 展示と遺構――どこで震電に会えるのか

5-1 スミソニアン航空宇宙博物館(米国)――唯一の現存実機
世界で唯一、震電(J7W1)の実機を見られる場所がある。
アメリカ、ワシントンD.C.郊外にあるスミソニアン航空宇宙博物館・Udvar-Hazyセンターだ。
展示されているのは、前部胴体。機首から主翼付け根あたりまでの部分だ。後部やプロペラは失われているが、機首の30mm砲口、前翼(カナード)の取り付け部、そしてコックピット周辺の構造は、はっきりと確認できる。
見どころ:
機首の太さ: 30mm×4を詰め込むための容積が、実物で見るとよく分かる。
前翼の薄さ: カナードは意外と華奢だ。揚力より姿勢制御に特化した設計であることが伝わる。
三点式脚の取り付け: 前輪式(三点式)の脚配置が確認できる。これも震電の特徴の一つだ。
塗装の経年: 長い年月を経た外板の質感が、工業製品としての”素材感”を伝えている。
撮影のコツ:
朝〜午前の柔らかい光が、機体の質感を引き出す。
斜め前方から、カナード→機首→胴体のラインを一枚に収めると”震電らしさ”が出る。
機首の砲口は、低めのアングルで狙うと迫力が出る。
5-2 大刀洗平和記念館(福岡県)――映画『ゴジラ-1.0』でも活躍した実物大モデル
国内で震電の全身を見たいなら、福岡県筑前町の大刀洗平和記念館へ。
ここには、実物大モデルが展示されている。しかもこれ、ただの模型じゃない。映画『ゴジラ-1.0(マイナスワン)』の撮影で実際に使われた機体なのだ。
見どころ:
全身のプロポーション: 前翼から主翼、胴体、尾翼、そして後部プロペラまで、すべてが揃っている。設計思想が視覚で腑に落ちる。
6枚羽根の巨大プロペラ: 後方から見ると、プロペラの大きさに圧倒される。
地上姿勢の”機首上がり”: 長い脚による強い機首上がり姿勢が、実物でよく分かる。これがタキシング時の視界問題につながる。
映画とのリンク: 『ゴジラ-1.0』を見た人なら、あのシーンの機体がこれだと分かって感慨深い。
撮影のコツ:
広角で低めから撮ると、機首のふくらみとカナードの前後感が強調される。
上階・階段から俯瞰すると、胴体の”くびれ”と尾翼へのS字ラインが美しい。
プロペラ周りのディテールを寄りで撮ると、SNS映えする。
5-3 その他の関連展示
知覧特攻平和会館(鹿児島県): 震電の直接展示はないが、同時代の零戦や隼の実機があり、末期の日本戦闘機の文脈を理解できる。
呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム): 零戦の実機展示があり、海軍機の系譜を追える。
第6章 ポップカルチャーでの震電――映画、ゲーム、プラモデルが作った”伝説”
6-1 映画『ゴジラ-1.0(マイナスワン)』――未完機が象徴する”終戦直後の日本”
2023年公開の『ゴジラ-1.0』で、震電は重要な役割を担った。
舞台は1947年、終戦直後の日本。主人公は元特攻隊員で、ゴジラという怪獣と対峙する。その中で、震電が登場する。
なぜ震電だったのか。
それは、震電が象徴するものが、映画のテーマと重なるからだ。
「未完の技術」: 実戦に間に合わなかった震電は、戦争に間に合わなかった若者たちの象徴でもある。
「届かなかった希望」: もし完成していたら、もし配備されていたら――という「もし」は、戦後の日本人が抱え続けた悔しさそのものだ。
映画の中で、震電はゴジラと戦うわけではない。だが、画面に映るだけで、観客は「ああ、あの時代だ」と理解する。
それが、震電という機体が持つ”物語性”だ。
6-2 ゲーム『艦隊これくしょん -艦これ-』――震電改という”最強の艦戦”
『艦これ』をプレイしている人なら、震電改を知っているはずだ。
ゲーム内では、震電改は入手難度が高く、性能も最上位クラスの艦上戦闘機として扱われている。
ただし、史実のJ7W2(ジェット構想)とは別物だ。ゲーム内の震電改は、レシプロ系の超高性能機として描かれている。
なぜ人気なのか。
希少性: 入手が難しいからこそ、価値がある。
オーパーツ感: 史実では未完だった機体が、ゲーム内で”最強”として活躍する逆転劇。
物語性: 「もし実戦配備されていたら」というIFを、ゲームが実現している。
『艦これ』の震電改は、史実とは別の”もう一つの歴史”だ。それを楽しむのも、一つの向き合い方だと思う。
6-3 プラモデル――手で作ることで理解する”設計”

震電のプラモデルは、いくつかのメーカーから発売されている。
代表的なキット:
ハセガワ 1/72 J7W1 震電: 入門に最適。パーツ数は控えめで、組みやすい。
ハセガワ 1/48 J7W1 震電: 中級者向け。ディテールが充実し、カナードの薄さや砲口周りが映える。
造形村(ZOUKEI-MURA) SWS 1/32 J7W1: 上級者向け。内部構造まで再現できる”終着駅”。
作る際のポイント:
脚の角度: 地上姿勢の”機首上がり”をきちんと再現すると、震電らしさが出る。
砲口の開口: 30mm×4の砲口を深く開口すると、火力感が増す。
プロペラのピッチ角統一: 6枚のブレードを揃えるのは難しいが、ここで差がつく。
尾座り対策: 前輪式でも尾座りしやすい。機首にタングステン粘土などの重りを入れる。
プラモデルを作ると、設計思想が手で理解できる。カナードの位置、主翼の形、プロペラの大きさ――すべてに理由がある。それが、体感できる。
第7章 よくある誤解と正しい理解――Q&A形式で整理
Q1: 震電は”日本最強の戦闘機”だったの?
A: 設計思想としては最強級のポテンシャルがあった。ただし実戦実績がないため、”完成機としての最強”は証明されていない。
Q2: 震電改(J7W2)は実在したの?
A: 計画・検討段階としては実在した。ただし完成機の確認や飛行試験の実績はない。ネットで見かける具体的な速度や推力の数字は、推定値または創作の範囲と考えるべき。
Q3: なぜプロペラが後ろにあるの?
A: 機首に30mm砲×4を集中配置し、視界を確保するため。プロペラを後ろに下げることで、照準性と火力が劇的に向上する。
Q4: カナード(前翼)は何のため?
A: 姿勢制御と高迎角の確保。前が軽くなった機体のバランスを取り、離陸・上昇時に機首を上げやすくする。
Q5: なぜ実戦に間に合わなかったの?
A: 初飛行が1945年8月3日。そのわずか12日後に終戦を迎えたため。開発期間が足りなかった。
Q6: プラモデルのおすすめは?
A: 初心者ならハセガワ1/72、中級者なら1/48、上級者なら造形村SWS 1/32。
Q7: 映画『ゴジラ-1.0』の震電は本物?
A: 撮影用の実物大モデル。現在は大刀洗平和記念館に展示されている。
Q8: 『艦これ』の震電改は史実通り?
A: ゲームのバランスや演出が優先されており、史実とは別物。それはそれで楽しむもの。
Q9: 他の日本戦闘機と比べてどうなの?
A: 局地迎撃では最強級のポテンシャル。ただし汎用性では疾風や紫電改が上。実戦実績では雷電に劣る。
Q10: どこで実物を見られる?
A: 米国のスミソニアン・Udvar-Hazyセンター(前部胴体)と、福岡県の大刀洗平和記念館(実物大モデル)。
第8章 用語ミニ解説――知っておくと理解が深まる言葉
前翼(カナード): 主翼より前に配置される小さな翼。姿勢制御と高迎角の確保に使われる。
プッシャー式(推進式): プロペラが機体後部にあり、後ろから推す形式。視界と火力配置に有利だが、冷却と振動が課題。
局地戦闘機: 特定空域の防空に特化した戦闘機。上昇力と火力を重視し、航続距離は短くてもよい。
30mm機関砲: 大口径の機関砲。一撃で重爆撃機を撃墜できる威力がある。反動が大きいため、機体剛性が必要。
収束距離: 複数の機銃の弾道が最も重なる距離。震電は機首集中配置で収束管理が容易。
延長軸(推進軸): 後部エンジンから離れたプロペラに動力を伝える長いシャフト。ねじり振動が課題。
高高度性能: 薄い空気でも推力と揚力を維持できる能力。B-29対策では必須。
上昇力/上昇率: 素早く高度を稼げる能力。迎撃では初動の上がりが勝負。
迎角: 翼と気流のなす角度。大きいほど揚力は増すが、過ぎると失速する。
B-29: 米軍の重爆撃機。高高度・高速で本土を爆撃した。震電は「これに当て切る」ための道具として設計された。
第9章 震電が遺したもの――未完だから、強い
震電は、完成しなかった。
実戦に参加しなかった。
だから、「最強だった」とは言えない。
でも、震電は何も遺さなかったわけじゃない。
設計思想の鋭さ: B-29迎撃に全振りした、妥協なき設計。カナード×プッシャー×機首集中火力という解答は、今見ても理にかなっている。
技術的挑戦: 前翼配置、延長軸、三点式脚――どれも当時の日本としては冒険だった。それでも挑んだ。
物語性: 映画、ゲーム、プラモデル。震電は、形を変えて今も語られ続けている。
そして何より、震電は”余白”を遺した。
「もし実戦配備されていたら」「もし震電改が完成していたら」――その余白に、僕たちは夢を見る。それは逃避じゃない。歴史への敬意と、技術への憧憬だ。
未完だから、強い。
証明できなかった性能の余白に、設計者の意志と時代の息吹が宿る。
震電は、その余白ごと愛される、稀有な戦闘機なのだ。
おわりに――震電を語り継ぐということ
1945年8月3日、板付飛行場。
震電が空に浮いた、あの瞬間。
テストパイロット・鶴野正敬中尉は、何を思っただろう。
「この機体なら、B-29を落とせる」
そう確信したかもしれない。
でも同時に、こうも思ったはずだ。
「時間が、足りない」
12日後、終戦。
震電の物語は、そこで止まった。
僕たち編集部は、震電を”最強の戦闘機”と呼ぶことに、ずっと違和感を覚えてきた。最強という評価には、実戦での証明が必要だ。震電には、それがない。
でも、だからこそ、震電は語り継がれるべきだと思う。
完成しなかった技術
証明されなかった性能
届かなかった希望
それらすべてが、震電という機体に刻まれている。
そして、それを知ることが、歴史を学ぶということだ。
震電は、飛んだ。
43分間だけ、空を舞った。
その43分が遺したものを、僕たちは今、受け取っている。
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