戦艦と巡洋戦艦の違い|「速さは装甲なり」は正しかったのか──金剛とフッドで見る速力と防御の取り引き、そして高速戦艦への合流

戦艦と巡洋戦艦|火力・防御・速力の違い

戦艦と巡洋戦艦。どちらも巨大な主砲を持つ大きな軍艦で、名前もよく似ている。違いを一言で言えば、戦艦は「打たれ強さ」を、巡洋戦艦は「速さ」を選んだ艦だ。同じくらいの大きな砲を積みながら、厚い装甲を取るか、速い足を取るか。その取り引きの結果が、二つの艦種を分けた。

巡洋戦艦を生んだイギリスの海軍提督フィッシャーは、「速さは装甲なり」と考えたと言われる。速ければ、敵の砲弾が届く前に有利な位置を取れる。速ければ、不利なら逃げられる。だから装甲を薄くしても構わない、という発想だ。この賭けは、1916年のユトランド沖海戦で厳しい答えを突きつけられることになる。

一方で日本は、同じ巡洋戦艦の金剛を、太平洋戦争で最もよく働いた戦艦の一隻に育て上げた。同じ艦種でも、使い方次第で評価はまったく変わる。私は、巡洋戦艦の物語は「設計の失敗」の物語ではなく、「使い方を間違えた艦」と「使い方を見つけた艦」の物語だと思っている。

この記事では、戦艦と巡洋戦艦の違いを、イギリス・ドイツ・日本の設計上の選択から整理し、最後に両者が「高速戦艦」として一つに合流していく流れまでを見ていく。金剛やフッドの生涯や、沈んだ原因の詳しい話は、それぞれの個艦記事に任せることにする。

この記事のポイント
目次

結論|同じ大砲、違う取り引き

まず、二つの艦種の違いを表にまとめる。

軍艦の設計は、大まかに「火力」「防御」「速力」の三つを、限られた船の大きさと重さの中で分け合う作業だ。三つ全部を最大にはできない。戦艦は火力と防御に重さを配り、巡洋戦艦は火力と速力に配った。どちらも、防御か速力のどちらかを我慢している。

戦艦と巡洋戦艦で重視する役割と性能の違いを示した比較図
巡洋戦艦は高い速力を求めた主力艦。具体的な設計の選択は国や艦級で異なる。 図を拡大する

巡洋戦艦はなぜ生まれたのか

ドレッドノートと、その「速い兄弟」

話は1906年にさかのぼる。この年、イギリスは戦艦ドレッドノートを完成させた。大きな主砲をそろえて積み、蒸気タービンで速く走る。それまでの戦艦を一気に旧式にしてしまった、画期的な艦だった。

戦艦ドレッドノート。1906〜1907年ごろの撮影。
戦艦ドレッドノート。1906〜1907年ごろの撮影。
資料画像/修復:Adam Cuerden/出典(Public domain)

そのすぐあと、イギリスはもう一つの新しい艦を作る。1908年に完成したインヴィンシブル級だ。ドレッドノートと同じ大きさの主砲を積みながら、装甲を巡洋艦なみに薄くし、そのぶん4ノット以上速く走れるようにした。これが巡洋戦艦の始まりだ。

巡洋艦を狩るための艦

巡洋戦艦の本来の仕事は、戦艦と撃ち合うことではなかった。速い敵の巡洋艦を追いかけて沈めること。艦隊の前に出て敵を探し、敵の主力を見つけたら味方の戦艦部隊のところへ引っ張ってくること。そして、広い海で通商路を荒らす敵の艦を狩ることだった。

巡洋艦より速く、巡洋艦より強い。巡洋艦にとっては、追いつかれたら勝てず、逃げても振り切れない相手だ。私は巡洋戦艦を「戦艦の刀を持った巡洋艦」だと思っている。刀は一流だが、鎧は軽い。相手が巡洋艦なら無敵でも、同じ刀を持った戦艦と斬り合えば、先に倒れるのは鎧の軽いほうだ。

ユトランド沖海戦|「速さは装甲なり」が試された日

3隻の爆沈

その弱点がはっきり出たのが、1916年のユトランド沖海戦だ。第一次世界大戦で、イギリスとドイツの主力艦隊が正面からぶつかった、史上最大級の海戦だった。

スピットヘッドに停泊する巡洋戦艦インヴィンシブル。
スピットヘッドに停泊する巡洋戦艦インヴィンシブル。
Royal Museums Greenwich所蔵(撮影者不詳)/出典(Public domain)

この戦いで、イギリスの巡洋戦艦は、戦艦と変わらない撃ち合いの最前線に立たされた。そして、インデファティガブル、クイーン・メリー、インヴィンシブルの3隻が、ドイツ艦の砲弾を受けて次々に爆沈した。どの艦も、乗員のほとんどが助からなかった。

指揮をとっていたビーティー提督が「今日の我々の艦は、どこかおかしいようだ」とつぶやいたという話は、よく知られている。

装甲だけの問題ではなかった

ただ、イギリスの巡洋戦艦が沈んだ理由を、薄い装甲だけに求めるのは片手落ちだと私は思う。砲塔から弾薬庫へ火が回るのを防ぐ仕組みが甘く、撃つ速さを上げるために弾薬の扱いも危うくなっていた、という指摘も多い。装甲を削る設計と、危うい弾薬の扱いが重なったとき、一発の命中が艦の爆沈につながった。

一方、ドイツの巡洋戦艦は、同じ海戦で大きな損傷を受けながらも、多くが沈まずに帰っている。ドイツは巡洋戦艦にも比較的厚い装甲を与えていた。速さを少し我慢してでも、打たれ強さを残していたのだ。同じ「巡洋戦艦」という名札でも、イギリスとドイツでは、取り引きの比率が違った。ユトランド沖海戦の全体像はユトランド沖海戦の解説で書いている。

国ごとの選択|英・独・日の巡洋戦艦

巡洋戦艦は、国によって性格がずいぶん違った。

国 代表艦 選択の特徴
イギリス インヴィンシブル級、フッド 速さを最優先し、装甲を大きく削った。フッドは後に装甲を強めた大型艦
ドイツ ザイドリッツ、デアフリンガー 速さを少し抑え、装甲を厚めに残した。打たれ強さを重視
日本 金剛型 イギリス式の設計をもとに、主砲を大きくした。のちに装甲と機関を改めて高速戦艦へ

日本の金剛|イギリスで生まれた最後の主力艦

日本の金剛は、1911年にイギリスのヴィッカース社に注文され、1913年に完成した。日本の主力艦として、外国で造られた最後の艦だ。当時のイギリスの巡洋戦艦をもとにしながら、主砲は一回り大きい35.6cm砲を積み、イギリスの巡洋戦艦を上回る強さを持っていた。

日本は、金剛を手本にして、同じ型の比叡、榛名、霧島を国内で造った。金剛は、日本の造船技術にとって「最高の教科書」でもあった。日本の戦艦を作る技術が一気に世界の水準に追いついたのは、この金剛を通してだった。金剛の生涯は戦艦金剛の解説に詳しく書いた。

イギリスのフッド|巡洋戦艦の完成形

フッドは、ユトランド沖海戦の教訓を受けて設計を見直し、装甲を強めた大型の巡洋戦艦だ。1920年に完成し、20年もの間、世界最大の軍艦だった。速さと強さを兼ね備えた姿は、巡洋戦艦の完成形とも、事実上の高速戦艦とも言われる。ただ、その後の大改装を受けないまま第二次世界大戦を迎えることになる。フッドについては巡洋戦艦フッドの解説で書いている。

条約が名札を消した

ワシントン条約は戦艦と巡洋戦艦を区別しなかった

巡洋戦艦という艦種の行方を大きく変えたのが、1922年のワシントン海軍軍縮条約だ。この条約は、戦艦と巡洋戦艦をまとめて「主力艦」として数え、その合計の量に上限をかけた。条約の上では、戦艦か巡洋戦艦かという区別は意味を失ったのだ。

この条約のせいで、建造中だった多くの巡洋戦艦が、完成する前に行き場を失った。日本では天城型巡洋戦艦の赤城が空母に作り替えられ、アメリカでも巡洋戦艦レキシントン級の2隻が空母になった。巡洋戦艦として生まれるはずだった船体が、次の時代の主役である空母に生まれ変わったのは、歴史の皮肉としか言いようがない。赤城については空母赤城の解説で触れている。

日本は巡洋戦艦という区分をやめた

日本海軍は、1931年に艦艇の区分を見直し、巡洋戦艦という区分を廃止して戦艦にまとめた。金剛型も、書類の上では戦艦になった。

そして金剛型は、1930年代の大改装で、装甲を強め、機関をすっかり新しくした。その結果、もとの巡洋戦艦のころよりむしろ速い、30ノットを超える艦に生まれ変わる。日本では「高速戦艦」と呼ばれるようになった。重さが増えたのに速くなったのは、機関の性能がこの20年で大きく進んだからだ。

戦艦が速くなった|高速戦艦への合流

戦艦の側から近づいてきた

巡洋戦艦が消えていった理由は、条約だけではない。戦艦の側が、どんどん速くなっていったのだ。

イギリスは、第一次世界大戦中にすでに、24ノットを出せるクイーン・エリザベス級戦艦を造っていた。日本の長門も26ノットを超えた。機関の進歩で、厚い装甲を持ったまま速く走れるようになると、「装甲を削ってでも速さを取る」理由は薄れていく。

第二次世界大戦のころになると、アメリカのアイオワ級戦艦は、強い装甲を持ちながら33ノットを出した。これは、かつての巡洋戦艦よりも速い。戦艦と巡洋戦艦は、別々の道を歩いてきた末に、「高速戦艦」という一つの姿に合流したのだ。

時代 戦艦の速さの目安 巡洋戦艦の速さの目安
1900年代末〜1910年代 21ノット前後 25〜28ノット前後
1920年代 24〜26ノット前後 30ノット前後
1940年代 27〜33ノット前後(高速戦艦) 区分そのものがほぼ消える

速さと防御を両立する唯一の方法

では、なぜ高速戦艦は、速さと防御を両立できたのか。答えは単純で、船を大きくしたからだ。冒頭の三角形の図で言えば、配分を工夫するのではなく、三角形そのものを大きくした。それを可能にしたのが、機関や造船の技術の進歩と、条約の制限が外れたことだった。

ちなみに日本の大和は、速さよりも砲と装甲を極限まで追い求めた戦艦で、速力は27ノットにとどめている。アメリカが速さを、日本が打たれ強さと砲の大きさを選んだのは、それぞれの海軍が思い描いた戦い方の違いでもあった。大和については戦艦大和の解説で書いている。

金剛型は「最も働いた戦艦」になった

ここで、もう一度金剛型に戻りたい。

太平洋戦争で、日本の戦艦の多くは、決戦のために温存され、思うように出番がなかった。そのなかで、金剛型の4隻は、ほとんど休みなく戦場を駆け回った。空母部隊の護衛につき、ガダルカナルの飛行場を夜に砲撃し、ソロモンの夜戦に飛び込んだ。理由ははっきりしていて、速かったからだ。30ノットで走れる戦艦は、空母と一緒に行動でき、夜の間に敵地に近づいて朝までに離れることもできた。

巡洋戦艦として生まれ、速さを選んだ金剛型は、その速さゆえに、日本で最も働いた戦艦になった。ユトランドで「速さは装甲なり」に裏切られたイギリスの巡洋戦艦とは、まるで逆の結末だ。速さそのものが悪かったのではなく、速さをどこで使うかが問われていたのだと、私は思う。

もちろん、働いたぶん、失われるのも早かった。金剛型の4隻は、いずれも戦争の中で失われている。霧島が最期を迎えた夜戦については第三次ソロモン海戦の解説で書いた。

混同しやすい艦種の整理

最後に、似た名前の艦種を整理しておく。

艦種 どんな艦か
戦艦 最大級の砲と厚い装甲を持つ艦隊の主力
巡洋戦艦 戦艦なみの砲を持ち、装甲を削って速さを取った艦
高速戦艦 戦艦の装甲を持ちながら、巡洋戦艦なみに速い艦
重巡洋艦 主砲が155mmを超える巡洋艦。戦艦よりずっと小さい
大型巡洋艦 アメリカのアラスカ級など。重巡を大きくした艦で、巡洋戦艦と似た位置づけ
大砲の大きさ、船体の大きさ、役割を別々に見る。
巡洋戦艦・高速戦艦・重巡洋艦は、語感だけで一列に並べられない。 図を拡大する

特に、巡洋戦艦と重巡洋艦は、どちらも「巡洋」が名前に入るので混同されやすい。巡洋戦艦は戦艦と同じくらいの大きさの艦で、重巡洋艦はその何分の一の大きさしかない。重巡と軽巡の違いは重巡洋艦と軽巡洋艦の違いで整理している。

模型で「速さの艦」と「強さの艦」を並べる

戦艦と巡洋戦艦の違いを実感するなら、模型を並べるのがいちばんだ。まずは日本の金剛。イギリス生まれの細長い船体と、高速戦艦に生まれ変わった後の姿がよく分かる。

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イギリスの巡洋戦艦の完成形、フッドのキットもある。金剛と並べると、同じイギリスの血を引く艦が、日英でどう違う道を歩んだかが見えてくる。

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よくある質問

戦艦と巡洋戦艦の違いを一言で言うと?

戦艦は打たれ強さを、巡洋戦艦は速さを選んだ艦だ。どちらも大きな砲を積むが、巡洋戦艦は装甲を削って速く走れるようにした。

巡洋戦艦は弱かったの?

戦艦と正面から撃ち合えば、装甲が薄いぶん不利だった。ただ、本来の仕事である巡洋艦を追い払うことや偵察には強かった。弱かったというより、使う場面を間違えると脆かった、と言うほうが近い。

金剛は戦艦?巡洋戦艦?

生まれたときは巡洋戦艦だった。1931年に日本海軍が巡洋戦艦という区分をやめてからは、書類の上では戦艦になり、大改装のあとは高速戦艦と呼ばれた。

高速戦艦とは何?

戦艦なみの装甲を持ちながら、巡洋戦艦なみに速く走れる戦艦のことだ。機関の進歩と船体の大型化で、速さと防御の両立が可能になった。アメリカのアイオワ級や、改装後の金剛型が代表だ。

今も巡洋戦艦はあるの?

砲を主役にした巡洋戦艦は、第二次世界大戦のあとに姿を消した。ロシアの大型ミサイル巡洋艦が、西側で「巡洋戦艦」と呼ばれることはあるが、昔の巡洋戦艦とは別物だ。

まとめ|速さが悪かったのではなく、使い方が問われた

戦艦と巡洋戦艦は、同じ大きな砲を持ちながら、防御と速さのどちらを取るかで道を分けた艦だった。巡洋戦艦はイギリスで生まれ、巡洋艦を狩るための速い艦として期待されたが、ユトランド沖海戦で戦艦と撃ち合い、3隻が爆沈した。

一方で日本の金剛型は、改装で高速戦艦に生まれ変わり、その速さで太平洋戦争を駆け回った。やがて戦艦の側も速くなり、二つの艦種は高速戦艦という一つの姿に合流した。

「速さは装甲なり」は、正しくもあり、間違ってもいた。速さは、使う場所を選べば最大の武器になり、選び間違えれば命取りになる。次に戦艦の模型や写真を見るときは、その艦が火力・防御・速力のどれに重さを配ったのかを考えてみてほしい。第二次世界大戦の戦艦の全体像は第二次世界大戦の戦艦一覧でも整理している。

出典・参考資料

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この記事を書いた人

軍研ノート編集部のアバター 軍研ノート編集部 自衛隊・兵器 / 戦史 / サバゲー

自衛隊で6年間勤務した編集長を中心に、自衛隊時代の仲間やサバゲーを通じた知人と記事を制作。経験と公開資料をもとに、装備の仕組みや歴史、その背景にある人々の工夫を掘り下げています。「かっこいい」から、その先の理解へ。編集長のプロフィール → 運営・編集方針

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