空母赤城とは|性能・三段甲板・加賀との違い・ミッドウェーの最後を解説

空母赤城の旗艦・性能・ミッドウェーでの最後を解説するアイキャッチ画像
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空母赤城は、南雲機動部隊の旗艦として太平洋戦争初期を象徴した日本海軍の大型空母である。

空母赤城とは、日本海軍が天城型巡洋戦艦の船体を改装して建造した大型航空母艦であり、真珠湾攻撃では南雲機動部隊の旗艦を務めた艦である。

赤城は、単なる有名空母ではない。戦艦・巡洋戦艦中心の海軍から、空母と艦載機が戦局を左右する時代へ移る過渡期を、その姿そのもので示した艦だった。三段飛行甲板から単一の長大な飛行甲板へ改装され、第一航空艦隊の旗艦となり、最後はミッドウェー海戦で炎上・自沈に至った。赤城は、日本海軍の空母運用が頂点に達した瞬間と、その限界が露呈した瞬間を同時に背負った艦である。

この記事の結論
目次

空母赤城とは何か

赤城は、日本海軍の航空母艦である。名前は群馬県の赤城山に由来する。当初は空母ではなく、天城型巡洋戦艦の2番艦として1920年に呉で起工した。しかしワシントン海軍軍縮条約によって主力艦建造が制限され、未完成の赤城と天城は空母へ改装されることになった。

ところが1923年の関東大震災で天城の船体が損傷し、空母への改装が難しくなった。そこで代わりに選ばれたのが、未完成の戦艦加賀である。赤城と加賀がともに「改装空母」として並び立つ背景には、この軍縮条約と震災という二つの大きな出来事がある。

項目内容読み解きポイント
艦名赤城赤城山に由来する艦名
当初計画天城型巡洋戦艦2番艦本来は高速主力艦として建造される予定だった
完成時の艦種航空母艦軍縮条約を背景に空母へ改装
完成1927年3月初期は三段飛行甲板を持つ実験的空母だった
近代化1938年8月完了単一長大飛行甲板へ改装
主な作戦真珠湾攻撃、ラバウル攻略支援、ダーウィン空襲、インド洋作戦、ミッドウェー海戦太平洋戦争初期の機動部隊を象徴
最後1942年6月、ミッドウェー海戦で沈没第一航空艦隊の中核喪失を象徴する

赤城を理解するうえで重要なのは、「空母として最初から理想設計された艦ではない」という点だ。赤城は巡洋戦艦の大きな船体を活かして空母化された。だからこそ船体は大きく、速力も高く、搭載力も大きかった。一方で、排煙、格納庫、飛行甲板、艦橋位置などには、改装空母ならではの試行錯誤が残った。

赤城の性能|大型改装空母として何がすごかったのか

赤城の最大の強みは、巡洋戦艦由来の大型船体と高速性能を活かした航空運用能力にあった。1938年の近代化で三段飛行甲板を廃し、全長に近い長大な飛行甲板を持つ空母へ変わった。CombinedFleetの記録では、近代化後の飛行甲板長は249.17m、航空機搭載能力は常用66機・補用25機の計91機へ増えたとされる。

ただし、この数字だけを見て「赤城は万能だった」と考えるのは危うい。空母の強さは、搭載機数だけでは決まらない。発艦と着艦のさばき、格納庫内の防火、航空燃料の扱い、弾薬庫、索敵、艦隊全体の指揮通信がそろって初めて、航空母艦は戦力になる。赤城の強みは、艦そのものの性能だけでなく、南雲機動部隊という航空戦システムの中核にいたことにある。

性能要素赤城の特徴実戦での意味
船体巡洋戦艦由来の大型船体高速・大型空母としての余裕を生んだ
飛行甲板初期は三段、近代化後は単一長大飛行甲板大型化する艦載機運用に対応
艦橋左舷側の小型アイランド日本空母としては珍しい外観上の特徴
搭載機零戦、九九艦爆、九七艦攻を中心に運用真珠湾からミッドウェーまでの主力航空戦力
速力30ノット級の高速空母機動部隊として広い海域を高速展開できた
弱点格納庫火災・航空燃料・弾薬誘爆に弱いミッドウェーで致命傷になった

赤城の「煙突」は、見分けポイントとして非常に有名である。右舷側から下向きに排煙を流す独特の構造で、飛行甲板上の気流や着艦作業への影響を減らそうとした試行錯誤の産物だった。

三段飛行甲板と単一飛行甲板|赤城の外観が変わった理由

赤城の初期形態でよく語られるのが、三段飛行甲板である。これは、複数の飛行甲板から航空機を素早く発艦させるという発想だった。空母運用がまだ発展途上だった時代、日本海軍はどうすれば多くの艦載機を早く空へ出せるかを試行していた。

しかし、航空機は急速に大型化・高速化した。短い下段・中段甲板では、新しい艦載機を安全に運用しにくくなる。そこで1935年から大規模改装が始まり、1938年に単一の長大な飛行甲板を持つ姿へ変わった。現在多くの人がイメージする赤城は、この近代化後の姿である。

赤城の外観で見るべきポイント

この変化は、日本海軍が空母をどう理解していったかを示している。初期の赤城は、まだ戦艦時代の延長線上にある実験艦だった。近代化後の赤城は、航空機を主力兵器として運用する本格空母に近づいた。赤城の一生は、日本空母の学習過程そのものでもある。

赤城と加賀の違い|同じ改装空母でも性格は違う

赤城と加賀は、どちらも日本海軍を代表する大型改装空母である。真珠湾攻撃でもミッドウェー海戦でも並んで語られるため、混同されやすい。しかし、出自は大きく違う。赤城は巡洋戦艦由来、加賀は戦艦由来である。

この違いは、艦の性格にも表れる。赤城は高速主力艦として設計された巡洋戦艦の船体を持ち、機動部隊旗艦としての印象が強い。一方の加賀は、戦艦由来の大きな船体と搭載力が目立つ。どちらが上というより、改装空母として背負った制約と強みが異なる。

比較項目赤城加賀
出自天城型巡洋戦艦土佐型戦艦
空母化の背景軍縮条約で巡洋戦艦から改装震災で損傷した天城の代艦として改装
印象南雲機動部隊の旗艦大型船体と搭載力の空母
外観左舷アイランド、下向き煙突が目立つ大型改装空母らしい重厚な外観
最後ミッドウェーで炎上後、自沈処分ミッドウェーで爆撃を受け沈没
読み方指揮中枢として見ると理解しやすい改装空母の搭載力と脆さで見ると理解しやすい

赤城と加賀を並べて見ると、戦艦・巡洋戦艦時代の巨大船体を、航空機時代へどう転用しようとしたかが見えてくる。赤城はその中でも、「空母は艦隊の補助ではなく、艦隊そのものを動かす主役になりうる」と示した存在だった。

真珠湾攻撃と南雲機動部隊の旗艦としての赤城

赤城が最も大きく歴史に登場する場面は、1941年12月の真珠湾攻撃である。赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、瑞鶴の6空母を中核とする南雲機動部隊は、ハワイへ向けて進出し、米太平洋艦隊を奇襲した。

CombinedFleetの記録では、赤城は第一航空艦隊の旗艦として、第一航空戦隊に所属していた。1941年11月には択捉島の単冠湾へ集結し、12月7日ハワイ時間の朝、真珠湾攻撃の第一次攻撃隊が発艦した。赤城からは九七艦攻、九九艦爆、零戦が出撃し、戦艦や航空基地を攻撃した。

ここで赤城が果たした役割は、単に航空機を出したことだけではない。赤城は南雲忠一中将の旗艦であり、機動部隊の指揮中枢だった。つまり赤城は、艦載機の母艦であると同時に、日本海軍が空母機動部隊を運用するための司令塔でもあった。

真珠湾攻撃は軍事史上重要な作戦だが、多数の死傷者を出した攻撃でもある。本記事では兵器・艦艇史として赤城を解説するが、作戦を無批判に美化する意図はない。

太平洋戦争初期の赤城|快進撃の中心にいた空母

真珠湾後の赤城は、南方作戦やインド洋作戦にも参加した。ラバウル・カビエン攻略支援、ダーウィン空襲、ジャワ方面、セイロン沖の作戦など、太平洋戦争初期の日本海軍空母戦力は広い海域で攻勢を続けた。

この時期の赤城と南雲機動部隊は、世界でもっとも実戦経験を積んだ空母機動部隊の一つだった。零戦、九九艦爆、九七艦攻を組み合わせた攻撃隊は、航空優勢、急降下爆撃、雷撃を組み合わせて敵艦・基地を攻撃した。零戦の航続力と格闘性能も、機動部隊の攻勢を支える重要な要素だった。

時期赤城の主な動き意味
1920年呉で巡洋戦艦として起工本来は天城型巡洋戦艦だった
1927年三段飛行甲板の空母として完成初期空母運用の実験的存在
1938年単一飛行甲板化の近代化完了本格的な大型空母へ変貌
1941年4月第一航空艦隊の旗艦となる南雲機動部隊の中核へ
1941年12月真珠湾攻撃に参加日本空母戦力の頂点を示す
1942年6月ミッドウェー海戦で沈没機動部隊中核の喪失

しかし、この快進撃は永続しなかった。日本海軍は勝利を重ねる一方で、索敵、暗号、補給、航空機生産、搭乗員育成、防火・損害制御といった面で米海軍との差を広げられていく。その矛盾が一気に噴き出したのが、ミッドウェー海戦だった。

ミッドウェー海戦で赤城はなぜ沈没したのか

赤城の最後は、1942年6月のミッドウェー海戦で訪れた。日本海軍はミッドウェー島を攻略し、米空母部隊を誘い出して撃滅する構想だった。しかし米軍は暗号解読などにより日本側の作戦意図を把握し、空母部隊を待ち伏せに近い形で展開した。

赤城は当日朝、ミッドウェー島攻撃隊を発艦させた。その後、日本機動部隊は陸上機や米空母艦載機による攻撃を受け続ける。雷撃隊の攻撃は大きな損害を出しながらも日本空母に直撃を与えられなかったが、上空の直衛戦闘機を低空へ引きつけ、艦隊の注意を分散させた。その直後、米空母エンタープライズなどから発進したSBDドーントレス急降下爆撃機が、日本空母を襲った。

CombinedFleetの整理では、赤城は10時26分ごろ、エンタープライズ所属の急降下爆撃機の攻撃を受けた。直接命中は少数だったが、格納庫には発艦準備中の航空機、爆弾、魚雷、航空燃料が存在していた。命中弾そのものよりも、格納庫内で発生した火災と誘爆が致命傷になったのである。

段階主な状況沈没へつながった理由
早朝ミッドウェー島攻撃隊を発艦艦載機運用が始まり、甲板・格納庫が忙しくなる
午前米軍の陸上機・雷撃機が相次いで攻撃直衛戦闘機と艦隊の対応が分散する
10時台急降下爆撃を受ける格納庫内で火災・誘爆が発生
昼以降消火と機関復旧が困難になる旗艦機能を失い、艦隊から脱落
翌未明駆逐艦の魚雷で自沈処分航行不能・消火不能となり放棄された

ここで重要なのは、赤城が「装甲が薄かったから簡単に沈んだ」と見ることではない。空母は航空機、燃料、爆弾、魚雷を抱える艦であり、格納庫火災が拡大すれば急速に戦闘力を失う。赤城の沈没理由は、爆弾の命中数だけではなく、発艦準備中の格納庫に火災が広がったことにある

その後、赤城は燃え続け、南雲長官ら司令部は軽巡長良へ移った。艦長の青木泰二郎大佐は艦と運命を共にしようとしたが、最終的には退艦を命じられた。翌未明、赤城は駆逐艦の魚雷によって自沈処分され、艦尾側から沈んだとされる。

この章の直後に商品リンクを置かないのは、意図的である。ミッドウェーの赤城は模型やゲームの題材として人気がある一方、多くの乗員が命を落とした戦場の記録でもある。史実解説と収益導線は切り分け、悲劇の直後に購買を促さない運用にしている。

青木泰二郎艦長と赤城の退艦

赤城最後の艦長は青木泰二郎大佐である。赤城が炎上し、機関復旧の見込みも失われる中で、青木艦長は艦に残ろうとしたとされる。しかし指揮官の生存と証言もまた重要であり、最終的には退艦を命じられた。赤城の最後は、空母という巨大兵器の喪失だけでなく、艦長、航空隊、整備員、機関科、護衛駆逐艦まで含めた人間の判断の連続でもあった。

現在の赤城|2019年発見と2023年の映像調査

赤城は長くミッドウェー沖の深海に眠っていた。2019年、Paul Allen氏の調査チームによって、赤城の沈没船体が発見されたと発表された。CombinedFleetでも、2019年10月に赤城の船体が特定され、船体はおおむね完全で直立状態にあると整理されている。

さらに2023年には、Ocean Exploration Trustの調査船Nautilusによって、赤城、加賀、ヨークタウンの詳細な映像調査が行われた。AP通信の記事では、遠隔操作の深海探査機が水深約3マイル、約4.8kmの海底で調査を行い、赤城の公式な識別や、ミッドウェーで沈んだ空母の状態把握につながる映像が得られたと報じられている。

海底の赤城を見るときは、発見の興奮だけでなく、保存と慰霊の視点が必要である。沈没船は軍艦としての遺物であると同時に、戦場の墓標でもある。調査映像は、艦の最後を検証する貴重な資料だが、現地は観光地ではない。

艦これ・アズレンで赤城を知った人向けの見方

空母赤城は、艦これやアズールレーンを通じて知った人も多い。ゲーム内では、正規空母としての強さ、加賀との関係、旗艦級の存在感、ミッドウェーの記憶などがキャラクター表現に反映されている。

もちろん、ゲームの赤城は史実そのものではない。だが、ゲームから実艦へ入ることは良い入口である。赤城の実艦を調べると、三段甲板、左舷アイランド、下向き煙突、加賀との違い、真珠湾攻撃、ミッドウェーの炎上といった要素が、なぜキャラクターや作品内の文脈に取り込まれたのかが見えてくる。

大切なのは、キャラクターの魅力と史実の重さを混同しないことだ。赤城は魅力的な題材であると同時に、戦争の現実を背負った艦でもある。ポップカルチャーを入口に、艦艇史、航空戦、ミッドウェー海戦へ進むと、赤城という艦の見え方は一段深くなる。

空母赤城のプラモデルを選ぶポイント

赤城は艦船模型として非常に人気が高い。巨大な飛行甲板、艦載機の密度、左舷アイランド、下向き煙突など、完成後に「赤城らしさ」がはっきり出る艦だからだ。初心者なら1/700、中級者以上で置き場所と時間を確保できるなら1/350も候補になる。

作る時期を決めることも重要である。三段甲板時代の赤城は独特の外観が魅力だが、一般的にイメージされるのは真珠湾からミッドウェー期の単一飛行甲板の姿である。艦載機を並べるなら、零戦、九九艦爆、九七艦攻の配置を意識すると、南雲機動部隊の雰囲気が出る。

目的選び方注意点
初めての赤城1/700で全体形を楽しむ飛行甲板デカールや艦載機の細かさに注意
存在感を重視1/350で大型空母の迫力を出す置き場所と制作時間がかなり必要
真珠湾期を作る艦載機と甲板マーキングを意識作戦美化にならない展示文脈も考えたい
ミッドウェー期を作る最終時の装備・航空隊を確認炎上表現は控えめにすると品が出る
加賀と並べる同スケールで改装空母の違いを比較船体の出自と外観差が見どころになる

赤城のプラモデルは、記事で艦歴を知ってから作ると見え方が変わる。長大な飛行甲板は単なる平面ではなく、日本海軍が空母運用を学び、艦載機を主役に変えていった痕跡である。下向き煙突や左舷アイランドも、模型では小さな部品に見えるが、実艦では航空運用をめぐる試行錯誤そのものだった。

艦船模型をまとめて探すなら、模型メーカー公式ショップやホビー系通販も相性がよい。赤城本体だけでなく、薄刃ニッパー、接着剤、塗料、ディスプレイケースまで合わせて準備すると、完成まで進めやすい。

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関連記事|赤城と日本空母をさらに読む

赤城を理解するには、加賀、ミッドウェー海戦、日本海軍空母、零戦の流れを合わせて読むと分かりやすい。

空母赤城のFAQ

空母赤城とはどんな艦ですか?

赤城は、天城型巡洋戦艦として起工し、ワシントン海軍軍縮条約後に空母へ改装された日本海軍の大型航空母艦である。真珠湾攻撃では南雲機動部隊の旗艦を務めた。

赤城と加賀の違いは何ですか?

赤城は巡洋戦艦由来、加賀は戦艦由来の改装空母である。赤城は南雲機動部隊の旗艦としての印象が強く、加賀は大型船体と搭載力で語られやすい。

赤城の三段甲板とは何ですか?

初期の赤城にあった三層の飛行甲板である。複数の甲板から航空機を素早く発艦させる発想だったが、航空機の大型化に合わなくなり、1938年の近代化で単一の長大な飛行甲板に改められた。

赤城の煙突はなぜ下向きなのですか?

飛行甲板上の排煙の影響を減らし、航空機の発着艦を妨げにくくするための工夫だった。赤城の下向き煙突は、改装空母らしい試行錯誤がよく表れた外観上の特徴である。

赤城はなぜミッドウェーで沈没したのですか?

急降下爆撃によって格納庫内で火災と誘爆が発生し、消火と復旧が困難になったためである。赤城は戦闘不能となり、最終的に駆逐艦の魚雷で自沈処分された。

赤城は現在どこにありますか?

赤城はミッドウェー沖の深海に沈んでいる。2019年に発見され、2023年には深海探査機による詳細な映像調査が行われた。一般見学できる場所ではない。

艦これ・アズレンの赤城は史実と違いますか?

ゲームではキャラクター性や演出が加えられているため、史実そのものではない。ただし、正規空母、加賀との関係、ミッドウェーの記憶、旗艦級の存在感など、史実に由来する要素も多い。

空母赤城のプラモデルは初心者にも作れますか?

1/700スケールなら初心者でも挑戦しやすい。1/350は迫力がある一方で、置き場所、塗装、艦載機制作の手間が大きいため、作業時間を確保できる人向けである。

参考資料

まとめ|赤城は空母時代の到来と限界を同時に示した艦である

空母赤城は、巡洋戦艦として生まれ、空母へ改装され、三段飛行甲板から単一長大飛行甲板へ姿を変えた艦である。真珠湾攻撃では南雲機動部隊の旗艦として、日本海軍空母戦力の頂点を象徴した。

しかし、ミッドウェー海戦では、格納庫火災と誘爆によって戦闘不能となり、第一航空艦隊の中核とともに沈んだ。赤城は弱い艦だったのではない。空母という兵器が持つ圧倒的な攻撃力と、火災に対する脆さを同時に示した艦だった。

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