モシン・ナガン狙撃銃とは、帝政ロシア発祥のボルトアクション小銃M91/30にPU・PE・PEMいずれかの照準眼鏡を装着した仕様で、狙撃型だけでも少なくとも18万5千丁以上が生産されたとされる。
前回、Kar98k狙撃型の完全解説記事でドイツ軍狙撃銃の実態を掘り下げたので、今回はその対戦相手にあたるソ連軍側の主力狙撃銃を同じ切り口で解説していく。面白いのは、この2丁が驚くほど対照的な思想で作られている点だ。Kar98k狙撃型が「量産数のわずか0.9%」という希少品だったのに対し、モシン・ナガンの狙撃型は前線に行き渡らせることを前提に、桁違いの数が作られている。同じ「照準眼鏡付きボルトアクションライフル」でも、ここまで設計思想が変わるのかと僕自身、調べていて驚いた一丁だ。
- M91/30を土台にしたモシン・ナガン狙撃型の基本がわかる
- PE、PEM、PUスコープの違いと採用時期を整理できる
- Kar98k狙撃型と比べた量産思想の違いを理解できる
- ザイツェフ、シモ・ヘイヘ、日本との接点、SVDへの系譜、エアガン情報まで確認できる

モシン・ナガンの基本情報

- モシン・ナガン狙撃銃は、M91/30に光学照準器を組み合わせた精密射撃用仕様である
- 7.62×54mmR弾は、SVDドラグノフやPK系機関銃にもつながる長寿弾薬である
- 狙撃型だけでも少なくとも18万丁規模とされ、数の面でKar98k狙撃型と大きく異なる
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 制式名称 | 三線式小銃(ロシア語表記のローマ字転写:Vintovka Mosina)/M91/30 |
| 開発 | セルゲイ・モシン大尉(帝政ロシア軍)+レオン・ナガン(ベルギー) |
| 制式採用 | 1891年(M91)、1930年に近代化改修版M91/30へ |
| 生産期間 | 1891年〜1965年頃(東側各国での派生生産含む) |
| 生産数(推定) | 3,700万丁以上(ボルトアクション軍用小銃としては史上最多クラス) |
| 口径 | 7.62mm(7.62×54mmR弾) |
| 装弾数 | 5発(内蔵弾倉) |
| 全長 | 約1,232mm |
| 銃身長 | 約730mm |
| 重量 | 約4kg |
| 作動方式 | ボルトアクション |
| 運用組織 | 帝政ロシア軍、ソ連赤軍 ほか多数の東側諸国 |
使用弾薬の7.62×54mmR弾は100年以上経った今でも現役で、ソ連〜ロシアの後継狙撃銃であるSVDドラグノフの解説記事や各種機関銃にそのまま使われ続けている。
なぜモシン・ナガンに狙撃型が生まれたのか
- 1891年に帝政ロシアで制式化され、1930年にM91/30として近代化された
- 1930年代の赤軍は、光学照準器と精密射撃用装備の整備に力を入れた
- ドイツのツァイス系技術との関係が、独ソ双方の照準器史をつなぐ見どころになる
帝政ロシアからソ連へ——1891年の原点
モシン・ナガンは、帝政ロシア軍のセルゲイ・モシン大尉の設計案と、ベルギーの銃器設計者レオン・ナガンの改良案を統合する形で1891年に制式化された。日露戦争や第一次世界大戦ではロシア軍の主力小銃として使われ、ロシア革命後の内戦では赤軍と反革命勢力の双方が同じモシン・ナガンを双方に使われるという皮肉な状況も生まれている。
1930年代、赤軍が狙撃銃に本腰を入れた理由
1930年、銃身短縮や照準器の改良を施した近代化改修版M91/30が登場する。これがのちに第二次世界大戦の標準型になる銃だ。同じ1930年代、ソ連赤軍は精密射撃用装備に強い関心を持ち始め、1937年頃からM91/30の狙撃銃型を制式に登場させている。興味深いのは、精密射撃用スコープの開発にあたってソ連がドイツのカール・ツァイス社製の工場設備を購入し、自国での光学機器製造体制を整えた点だ。奇しくもドイツ側のZF39も同じツァイスの技術系譜にあり、独ソ両軍の狙撃照準器は、ルーツをたどると同じ光学メーカーに行き着くことになる。
3世代のスコープを比較する

- PE型は初期の本格的な軍用照準器で、比較的大型だった
- PEM型はPE型を簡略化し、量産性を高めた改良版にあたる
- PU型は軽量・低コストで、戦時中のモシン・ナガン狙撃型を代表する決定版になった
モシン・ナガン狙撃型は「スコープ付きM91/30」と一言でまとめられがちだが、PE、PEM、PUでは採用時期と作りやすさが違う。大まかには、初期のPE、量産性を高めたPEM、戦時量産で主流になったPUという流れで押さえると理解しやすい。
| 比較軸 | PE型 | PEM型 | PU型 |
|---|---|---|---|
| 性格 | 初期の本格型 | 簡略化・量産型 | 戦時量産の決定版 |
| 倍率 | 約3.87倍 | PE型に準拠 | 約3.5倍 |
| 強み | 軍用照準器として設計 | 作りやすさを改善 | 軽量・低コスト |
| 読みどころ | 初期狙撃型の象徴 | 過渡期の改良型 | 最も有名な仕様 |
| 照準器 | 倍率 | 採用時期 | 特徴 |
|---|---|---|---|
| PE型 | 3.87×30 | 1931〜1940年 | 軍が最初から狙撃用に設計。曲げたボルトハンドルを備える専用仕様が必要 |
| PEM型 | PE型に準拠 | 1936〜1940年 | PE型を簡略化し量産性を高めた改良版 |
| PU型 | 3.5×21 | 1942年秋〜 | 元はSVT-40半自動小銃用。より軽量・低コストで最量産の決定版に |
PE型——狩猟用ではなく軍が最初から設計した狙撃照準器
Kar98kのZF39が民生狩猟用スコープの転用だったのに対し、ソ連のPE型は最初から軍用の精密射撃用照準器として設計されている。ただし装着位置の関係で、装着位置の都合から、狙撃銃型では曲げたボルトハンドルを備える専用仕様が用意された。精選された銃身と合わせて、狙撃銃型は最初から通常型とは区別された特別な個体として作られていたことになる。
PEM型——量産効率を上げた簡易版
PE型のレンズ構成や機構を簡略化したのがPEM型だ。性能面で大きな差はないとされるが、量産のしやすさが優先された改良という位置づけになる。
PU型——SVT-40の"失敗"から生まれた決定版
PU型はもともとSVT-40半自動小銃向けに開発されたスコープだった。ところがSVT-40自体の信頼性に問題が発覚したことで、1942年秋からこのスコープがモシン・ナガンの狙撃銃型に転用されるようになる。PU型はPE型より軽量かつ低コストでありながら実用性はほとんど変わらないと判断され、最終的にモシン・ナガン用スコープの決定版となった。しかもマウント設計がアイアンサイトの照準線を避ける形になっており、スコープを覗きながらでも下からアイアンサイトを使える点は、オフセット装着ゆえに運用が制限されたKar98kのZF41とは対照的な設計思想だ。PU型は戦後も生産が続き、14.5mm KPV重機関銃や23mm機関砲の照準器としても転用されている。
生産数から見る"数の暴力"

- モシン・ナガン狙撃型は、少なく見積もってもKar98k狙撃型を上回る規模で語られる
- 米軍M1903A4と比べても桁が違い、ソ連の大量配備思想を象徴している
- 正確な総数には幅があるため、数字は推定値として読むのが安全である
Kar98k狙撃型が「希少な選抜品」という印象で語られるのに対し、モシン・ナガン狙撃型は数をそろえることで前線へ広く行き渡らせる考え方が目立つ。同じボルトアクション狙撃銃でも、ここにドイツとソ連の生産思想の違いがはっきり出る。
| 比較軸 | モシン・ナガン狙撃型 | Kar98k狙撃型 |
|---|---|---|
| 基本思想 | 量産・広域配備 | 選抜個体・希少仕様 |
| 代表照準器 | PE、PEM、PU | ZF39、ZF41 |
| 生産規模 | 少なくとも18万丁規模 | ZF41系で約12万丁規模 |
| 印象 | 数で戦線を支える装備 | 映画やゲームで目立つ特別仕様 |
Kar98k狙撃型との一番の違いは、この生産規模にある。
| 狙撃銃 | 推定生産数 | 全体に占める割合 |
|---|---|---|
| モシン・ナガン狙撃型(PE/PEM/PU計) | 約18万5千〜36万3千丁 | ソ連の秘密主義や衛星国での改修もあり正確な数は不明 |
| Kar98k狙撃型(ZF41マウント一体型) | 約12万6千丁 | Kar98k全体の約0.9% |
| 米軍M1903A4狙撃銃 | 約28,365〜29,964丁 | 参考:同時期の米軍狙撃銃生産数 |
モシン・ナガンの狙撃型は、最も少なく見積もった数字でもKar98kの狙撃型を上回り、米軍のM1903A4と比べれば一桁近く多い。ソ連が精密射撃要員を特別な例外ではなく、前線へ広く行き渡らせる「標準装備」として位置づけていたことが、この数字からもうかがえる。ただしPU型狙撃銃の量産は1944年後半に打ち切られ、最終ロットの組み立ては1945年初頭に完了している。例外として1947年に約1,200丁が追加生産された記録も残っており、戦後もポーランドやユーゴスラビアが手持ちのPU型狙撃銃を修理・改修して使い続けた。ハンガリーに至っては1952年から1954年にかけて、ソ連製部品を一切使わない完全新規生産のPU型狙撃銃M/52を独自に作り上げている。
弱点と特徴——精度より量を選んだ設計思想
- 精密な工作や洗練度よりも、頑丈さ・生産性・整備性を重視した
- Kar98kのような希少な選抜仕様ではなく、広く配備しやすい装備として読める
- 弱点も含めて、ソ連型の大量生産思想がわかりやすい一丁である
モシン・ナガンは決して洗練された銃ではない。ボルトを操作するとロック機構がガタガタと大きな音を立て、トリガープルは長く、安全装置の操作も面倒だ。スコープを装着するには専用のマウント基台が最初から用意された個体でなければ難しく、後付けの汎用性という点ではKar98kに劣る。
その一方で、モシン・ナガンとその弾薬は過酷な環境下でも確実に動作する頑丈さで知られ、基本整備のしやすさでも知られる。フィンランド軍では、整備訓練にまつわる逸話も残っている。精度と洗練度でKar98kに一歩譲る代わりに、圧倒的な生産数と頑丈さで前線へ広く行き渡らせる——これがモシン・ナガンという銃の本質だ。
東部戦線における運用実態

- ザイツェフの逸話はスターリングラード戦と結びついて語られる
- シモ・ヘイヘはモシン・ナガン系ライフルを使いながら、照準眼鏡を使わない逸話で知られる
- この記事では戦闘手順ではなく、人物史・装備史の文脈に絞って整理する
ヴァシリー・ザイツェフとスターリングラード
モシン・ナガン狙撃銃を語るうえで欠かせないのが、スターリングラード攻防戦で多くの確認記録を記録したヴァシリー・ザイツェフだ。彼の生涯や他の狙撃手との比較は第二次世界大戦の最強スナイパーランキングTOP10に譲るとして、ここでは技術ファン向けにひとつ豆知識を挟んでおきたい。彼の活躍を描いた2001年の映画『スターリングラード』では、1942年秋の時点ですでにPU型スコープ付きの狙撃銃を使う場面が描かれる。しかし史実ではPU型が前線に配備されたのは1943年に入ってからで、当時のザイツェフが実際に使っていたのはPE型かPEM型だったと考えられている。精密射撃要員の描写は概ね正確に再現された映画だが、こうした細部のズレを知っているとまた違った楽しみ方ができるはずだ。
シモ・ヘイヘは、実はスコープを使わなかった
もう一つ意外と知られていないのが、フィンランドの「白い死神」ことシモ・ヘイヘの逸話だ。彼が使用したのはフィンランド製のモシン・ナガン系ライフルM/28-30だが、記録的な実績の大半は照準眼鏡を使わないアイアンサイトによるものだったとされる。スコープ使用には反射や姿勢面の不利があると考えられたことが理由として語られる。狙撃銃といえばスコープ、というイメージを覆す好例だろう。
日本とモシン・ナガンの意外な因縁

- 日露戦争では、ロシア軍主力小銃として日本軍と向き合った
- 上海事変期の日本側資料にも、ソ連製照準眼鏡付き小銃への警戒が見える
- ノモンハン事件では、関東軍がモシン・ナガンを装備した赤軍と対峙した
大日本帝国のファンなら見逃せないのが、日本とこの銃の因縁の深さだ。モシン・ナガンは日露戦争(1904〜1905年)でロシア軍の主力小銃として初めて日本軍と正面から相まみえている。
さらに興味深いのは、1937年の上海事変をめぐる当時の日本陸軍の資料だ。ソ連製の狙撃眼鏡付き小銃について、遠距離からの精密射撃能力を警戒する記述があり、上海の市街戦で日本軍に被害を与えたことも記録されている。当時中国国民政府軍に渡っていたモシン・ナガン系のライフルが、日本軍にとって既に無視できない脅威として認識されていたことがうかがえる公開資料として興味深い。
その2年後の1939年、ノモンハン事件では関東軍がモンゴル・ソ連合同軍と直接衝突し、モシン・ナガンを装備した赤軍とも本格的に交戦している。日露戦争、上海事変、そしてノモンハン事件と、日本軍は形を変えながら何度もこの銃と対峙してきたことになる。
同時代・同系統の装備と比較する
同時代の装備と比べると、モシン・ナガン狙撃型の個性は「性能の一点突破」ではなく、古い土台を改良しながら大量にそろえたことにある。Kar98k、M1903A4、リー・エンフィールド系と並べると、各国の工業力と軍事文化がよく見える。
| 装備 | 国 | 記事で見るポイント |
|---|---|---|
| モシン・ナガン狙撃型 | ソ連 | 量産性と頑丈さで広く配備された |
| Kar98k狙撃型 | ドイツ | 精度の高い個体を選ぶ希少仕様だった |
| M1903A4 | アメリカ | 生産数は比較的少なく、標準化された専用仕様として読める |
| リー・エンフィールド系 | イギリス | 高速操作と帝国圏の長期運用が特徴になる |
東部戦線でモシン・ナガンと直接向き合ったドイツ側の主力狙撃銃は「Kar98k狙撃型の完全解説記事」で詳しく解説している。同じ独ソ戦の文脈では、ドイツ軍の主力小銃だったStG44の完全解説記事や下士官・将校が携行したルガーP08の完全解説記事もあわせて読むと、両軍の装備思想の違いがより立体的に見えてくる。ソ連側の拳銃事情はトカレフTT-33の解説記事、西部戦線で戦ったイギリス軍のボルトアクションライフルはリー・エンフィールドNo.4 Mk.Iの解説記事にまとめている。
モシン・ナガンの直系の後継にあたるのが、現代の東側系精密射撃装備として知られる「SVDドラグノフ」だ。量産性と頑丈さを重視するソ連〜ロシア系狙撃銃の設計思想は、モシン・ナガンからSVDまで一貫して受け継がれている。現代の専用狙撃銃全体との比較では世界最強スナイパーライフルランキングTOP10、自衛隊が運用したM24 SWSの解説記事や米海兵隊のM40の解説記事、L96A1/AWMの解説記事、TAC-50の解説記事、M200チャイタックの解説記事もあわせて読むと、専用設計と量産転用という2つの系譜の違いがよくわかるはずだ。第二次世界大戦全体の銃器地図は第二次世界大戦の銃器ランキングTOP15や最強マシンガン・機関銃ランキング、銃の種類完全ガイドで押さえておこう。
この銃が戦った独ソ戦の全体像は独ソ戦を徹底解説した記事、開戦の経緯はバルバロッサ作戦の解説記事、ザイツェフが戦ったスターリングラードの前段にあたる激戦はモスクワの戦いの解説記事とスターリングラードの戦いの解説記事、欧州戦線全体の時系列は第二次世界大戦ヨーロッパ前線年表と欧州戦線・激戦地ランキング、ドイツ側の主力装備はドイツ最強戦車ランキングやドイツ空軍最強戦闘機ランキングでそれぞれ押さえておくと理解が深まる。
現代に息づくモシン・ナガン

- 7.62×54mmR弾は、SVDドラグノフやPKM機関銃といった後継装備にもつながる
- モシン・ナガン本体は古典的な小銃だが、弾薬と設計思想の影響は長く残った
- 歴史的な装備と現代の防衛産業は、投資判断とは分けて読む必要がある
モシン・ナガンの直系後継を考えるときは、銃そのものだけでなく弾薬の寿命にも注目したい。7.62×54mmR弾は19世紀末に生まれたにもかかわらず、SVDやPKMといった後世の装備にもつながっていく。ここが、モシン・ナガンを単なる古い小銃で終わらせない面白さだ。
| 系譜 | 見るポイント | 関連記事 |
|---|---|---|
| M91/30 | 帝政ロシア由来の小銃をソ連が近代化 | この記事 |
| PU狙撃型 | 戦時量産で代表的な狙撃仕様になった | この記事 |
| SVDドラグノフ | 分隊支援の精密射撃装備として発展 | SVD解説記事 |
| 7.62×54mmR | 弾薬の長寿性が東側装備史をつなぐ | 参考資料 |
7.62×54mmR弾という設計そのものは、SVDドラグノフやPKM機関銃という形で長く使われ続けてきた。銃本体についても、老朽化した個体が世界各地で近年まで使用例が語られることもあり、130年以上前の設計が異例の長寿を保っている。
なお、ソ連〜ロシア側の防衛関連メーカーは日本の証券会社を通じた投資対象にはなりにくいのが実情だ。防衛産業への投資という切り口に関心がある人は、モシン・ナガンと同じ時代にドイツ側で使われたKar98k狙撃型の記事内で、その系譜が現在のラインメタル(RHM)に連なることを解説しているので、そちらの「Kar98k狙撃型の完全解説記事」を参照してほしい。
戦史をより深く音声で追いたいという人には、こうしたオーディオブックサービスも選択肢になる。
現代でモシン・ナガンを"体験"する方法

- 日本国内では実銃ではなく、エアガン・モデルガン・資料で楽しむのが基本である
- PUスコープ風アクセサリーは、実物考証より雰囲気を楽しむ入口として見たい
- サバゲーでは法令、フィールドルール、保護具、安全管理を最優先にしたい
エアガン市場では、モシン・ナガンを再現したガスブローバックモデルがS&Tなどのメーカーから発売されており、PUスコープを模したレプリカパーツも入手できる。ただし現時点で当ブログのアフィリエイト対象には未登録のため、興味を持った人は各エアガンショップで直接探してみてほしい。
手元でボルトアクション系エアガンの雰囲気を味わいたいなら、東京マルイのボルトアクションエアライフルが選択肢になる。
ボルトアクション系エアガンを安全に楽しみたい人はVSR-10から始めるサバゲースナイパー入門も参考にしてほしい。防衛産業と装備史のつながりをもう少し広い視野で学びたい人には、こうした入門書もおすすめだ。
よくある質問
モシン・ナガンとKar98k、狙撃銃としてどちらが優秀でしたか?
照準器の設計や量産個体ごとの精度という点ではKar98kに一定の分があったとされるが、有効射程はどちらも約800mとほぼ同水準だった。モシン・ナガンは生産数の多さと頑丈さで前線を埋め尽くし、Kar98kは希少な選抜品として運用されたという違いが大きい。
PU・PE・PEM、狙撃銃としての性能差はありますか?
性能面での差はわずかとされる。PE型・PEM型が先行し、より軽量・低コストなPU型が1942年秋以降に主流となった。量産効率を優先した置き換えという位置づけで、狙撃精度そのものが大きく向上したわけではない。
ヴァシリー・ザイツェフは本当にPU型スコープを使っていましたか?
有名な映画の影響でそう思われがちだが、1942年秋の時点ではPU型はまだ前線に配備されておらず、当時のザイツェフが使用していたのはPE型かPEM型だったと考えられている。
モシン・ナガンは今でも実銃を購入できますか?
国や地域の法規制によって大きく異なる。日本国内では実銃の所持は認められておらず、模擬銃器(エアガン・モデルガン)で楽しむのが現実的な選択肢になる。
モシン・ナガンと日本に接点はあったのですか?
あった。日露戦争でロシア軍の主力小銃として初めて対峙し、1937年の上海事変では中国側が保有するモシン・ナガン系ライフルによる精密射撃による被害が日本陸軍の資料にも記録されている。1939年のノモンハン事件では、この銃を装備したソ連赤軍と関東軍が直接交戦した。
まとめ
モシン・ナガン狙撃銃は、Kar98k狙撃型とはまったく逆の発想で作られた装備だった。希少な選抜品として運用されたKar98kに対し、モシン・ナガンは前線へ広く行き渡らせることを前提に、少なくとも18万5千丁という桁違いの数が生産されている。精度で選ぶか、数で選ぶか——同じ第二次世界大戦の東部戦線で、まったく逆の答えを出した2丁を見比べると、独ソ両軍の国力や生産体制の違いまで透けて見えてくる。
ドイツ側の視点は「Kar98k狙撃型の完全解説記事」、狙撃手という「人」に焦点を当てた記録は「第二次世界大戦の最強スナイパーランキングTOP10」で扱っているので、3本続けて読んでもらえると、東部戦線の精密射撃の歴史がより立体的に見えてくるはずだ。
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