戦艦ビスマルクとは|性能・フッド撃沈・追撃戦と最期を完全解説

北大西洋を航行するビスマルク
北大西洋を航行するビスマルク
荒れた北大西洋を進むビスマルクの船体、主砲塔、艦橋、測距儀の配置
この記事の結論

ビスマルクを欧州戦線の中で理解するなら、第二次世界大戦の欧州戦線と、海上輸送をめぐるUボートの戦いを先に確認すると、単艦の性能表だけでは見えない背景が分かります。

目次

戦艦ビスマルクとは

最初に押さえる結論

ビスマルクは、ドイツ海軍が1930年代後半に建造した大型戦艦である。艦名はドイツ帝国初代宰相オットー・フォン・ビスマルクに由来する。

1936年7月1日、ハンブルクのブローム・ウント・フォス造船所で起工した。1939年2月14日に進水し、1940年8月24日に就役している。同型艦は2隻で、1番艦がビスマルク、2番艦がティルピッツだ。

建造当時、ドイツはイギリスとの海軍協定に基づき、戦艦の基準排水量を3万5,000トン以内に収める建前を取っていた。実際のビスマルクは4万トンを超え、満載時には約5万トンに達した。全長は約250.5メートル、最大幅36メートル。完成時のヨーロッパでは最大級の戦艦だった。

ビスマルクに与えられた役割は、敵戦艦との決戦だけではない。北大西洋へ進出し、イギリス本土を支える輸送船団を攻撃する通商破壊も想定されていた。

ここが大和型戦艦との大きな違いだ。太平洋で艦隊決戦を待つ大和に対し、ビスマルクは広い大西洋を走り回り、護衛戦艦では対抗できない火力と速度で船団を崩すことを期待された。

ビスマルクは強い艦だった。しかし、強い艦隊にはなれなかった。

欧州戦線の全体像から位置づけるなら、第二次世界大戦の欧州戦線も先に確認すると、ビスマルクが大西洋で担った役割をつかみやすくなります。

ビスマルクの基本性能

性能表の読み方
項目内容
艦種戦艦
艦級ビスマルク級戦艦
全長約250.5m
基準排水量約4万1,700トン
満載排水量約5万トン
最大速力約30ノット
主砲38cm連装砲4基8門
副砲15cm連装砲6基12門
乗員作戦時約2,200人

主要諸元は資料や搭載状態によって差がある。一般的な数値を整理すると次のようになる。

最大速力は公試で30ノットを超えた。大型戦艦としては十分に高速であり、古いイギリス戦艦の多くを振り切れる。通商破壊艦として考えれば、この速力は主砲と同じほど重要だった。

船体は幅が広く、復原性と砲撃時の安定性に配慮されていた。荒れた北大西洋で行動する以上、速いだけでは足りない。波を受けながら照準を維持し、敵を捕捉し続ける能力が求められた。

弱点もあった。

船体中央部に装甲と兵装を集中させた結果、艦尾の操舵装置は致命的な急所になった。公試の段階で、舵を失った際に左右の推進器の回転差だけで進路を制御するのが難しいことも判明していた。1941年5月、この特性が最悪の形で表面化する。

大和型との数値比較は、戦艦大和の46センチ砲と最期もあわせて読むと、口径・装甲・運用思想の違いが整理できます。

ビスマルクの主砲塔
連装砲塔に収められた38センチ砲と重装甲の砲塔基部

38センチ主砲の威力

口径だけでなく射撃システムを見る
項目内容
砲型式38cm SK C/34
門数8門
砲塔連装4基
砲弾重量約800kg
最大射程約35.6km
主な強み測距・射撃指揮・高初速の組み合わせ

ビスマルクの主兵装は、38センチSK C/34艦砲8門である。連装砲塔4基に収められ、艦首側にアントン、ブルーノ、艦尾側にツェーザー、ドーラと呼ばれる砲塔を配置していた。

砲弾重量は約800キログラム、初速は毎秒約820メートル。最大仰角での射程は約35.6キロメートルに達した。装填状態や射撃条件が整えば、1門あたり毎分2発前後を撃てる。

砲塔を4基に分けた配置には利点がある。1基を失っても残る砲門が多く、前方と後方の双方に4門を向けられる。敵から離脱しながら艦尾の主砲で撃つ場面にも対応しやすい。

代償は重量だ。

三連装砲塔や四連装砲塔に比べ、連装砲塔4基は砲塔、バーベット、弾薬庫を置く範囲が長くなる。防御する区画も広がり、船体重量が増える。ビスマルクが排水量の割に8門しか持たないと評される理由の一つである。

それでも砲そのものの性能は高かった。デンマーク海峡海戦では、悪天候と高速航行の中でフッドを早期に捕捉し、数斉射で致命傷を与えている。ビスマルクの恐ろしさは、38センチという数字より、測距儀、射撃指揮装置、熟練した砲術員を組み合わせた命中能力にあった。

主砲口径は、測距・射撃指揮・弾薬・乗員と組み合わさって初めて戦果になる。

副砲と対空兵装

対空砲の数だけでは防空にならない
装備役割
15cm副砲巡洋艦・駆逐艦への対水上戦闘
10.5cm高角砲中・高高度の航空機への対空射撃
3.7cm機関砲近距離対空防御
2cm機関砲近距離の小型目標への射撃
艦載機・空母ビスマルク自身には艦隊航空の直衛がない

副砲は15センチ連装砲6基12門である。巡洋艦や駆逐艦との戦闘、接近する小型艦の排除に使われた。

対空兵装には10.5センチ高角砲、3.7センチ機関砲、2センチ機関砲を搭載していた。数だけ見れば軽武装ではない。それでも、1941年当時の艦隊防空は発展途上にあった。

特に難しかったのが、低空から複数方向に接近する雷撃機への対応だ。低速の複葉機は簡単な標的に見えるが、海面近くを飛ぶ機体を荒天の中で捕捉し、射撃諸元を合わせるのは容易ではない。

空母アーク・ロイヤルから発進したソードフィッシュ雷撃機に対し、ビスマルクは主砲や副砲まで使って激しく射撃した。それでも撃墜には結びつかなかった。防空は砲の数だけでは決まらない。レーダー、射撃指揮、見張り、戦闘機による直衛までそろって初めて機能する。

ビスマルクには戦闘機隊も空母もなかった。

装甲と防御力

沈まないことと戦えることは別

ビスマルクの舷側主装甲帯は最大約320ミリ、主砲塔正面は約360ミリに達した。装甲甲板も複数層で構成され、機関室や弾薬庫を守る中央防御区画には厚い防御が施されていた。

装甲配置は、比較的近い距離で敵戦艦と撃ち合う状況を重視している。舷側から飛び込む砲弾に対しては強く、最終戦で多数の砲弾を受けても船体中央部がすぐに折れたり、弾薬庫が大爆発したりしなかった。

英国戦艦ロドニーとキング・ジョージ5世は、ビスマルクを長時間にわたって砲撃した。上部構造物、射撃指揮所、砲塔、通信設備は破壊されたが、船体は海面に残り続けた。

この耐久性は本物だ。

とはいえ、沈まないことと戦えることは同じではない。艦橋を破壊され、射撃指揮装置を失い、砲塔が停止すれば、浮いていても軍艦としての機能は終わる。

私は各資料の被害記録を追うほど、ビスマルクの装甲は乗員を守る殻というより、破壊される時間を引き延ばす殻だったとの印象を受ける。最終戦では、その延長された時間が救援ではなく、艦内の損害拡大につながった。

装甲は沈没を遅らせても、索敵・指揮・射撃を失った艦を戦場へ戻せるとは限らない。

なぜドイツはビスマルクを建造したのか

Z計画より先に戦争が始まった

第一次世界大戦後、ドイツ海軍はヴェルサイユ条約によって厳しく制限されていた。戦艦の保有や新造は抑えられ、イギリス海軍と正面から競える規模ではなかった。

1935年の英独海軍協定により、ドイツはイギリス海軍の総トン数の35パーセントまで艦艇を保有できるようになった。これを足場として、大型戦艦の建造が進められた。

当初の仮想敵として強く意識されたのはフランス海軍である。フランスが高速戦艦ダンケルク級、続いてリシュリュー級を整備したため、ドイツ側も速度、火力、防御を兼ね備えた戦艦を必要とした。

計画はやがて「Z計画」へ発展する。戦艦、巡洋戦艦、空母、巡洋艦、Uボートをそろえ、イギリス海軍に対抗できる大艦隊を1940年代後半までに建設する構想だった。

戦争は早すぎた。

1939年9月に第二次世界大戦が始まった時点で、Z計画の艦隊はほとんど完成していない。ドイツ海軍が実戦投入できる大型水上艦は少数にとどまり、ビスマルクは単艦に近い状態で大西洋へ送り出されることになった。

ドイツ軍の兵器体系を横断して見る場合は、第二次世界大戦の最強兵器ランキングへ戻ると、戦艦だけを過大評価しにくくなります。

ライン演習作戦の目的

目的は艦隊決戦ではなく通商破壊

1941年5月、ドイツ海軍はライン演習作戦を発動した。ビスマルクと重巡洋艦プリンツ・オイゲンを北大西洋へ進出させ、イギリスの輸送船団を攻撃する作戦である。

指揮官はギュンター・リュッチェンス提督、ビスマルク艦長はエルンスト・リンデマン大佐だった。

本来は巡洋戦艦シャルンホルストやグナイゼナウも加わる構想があった。両艦は修理中で参加できず、ビスマルクとプリンツ・オイゲンだけで出撃している。

1941年5月18日から19日にかけて、両艦はゴーテンハーフェンを出発した。その後ノルウェー沿岸へ進み、デンマーク海峡を通って大西洋へ抜ける航路を取った。

隠密行動は早くも崩れる。

航行中の艦隊はスウェーデン側に目撃され、ノルウェーではイギリスの偵察機に撮影された。イギリス海軍本部はドイツ艦隊の出撃を把握し、迎撃部隊を送り出した。

第二次世界大戦の時系列を確認するなら、欧州戦線年表で1941年の大西洋と欧州の動きを並べて見ると理解しやすくなります。

デンマーク海峡海戦
1941年5月24日のデンマーク海峡で砲火を交わすビスマルクとフッド

デンマーク海峡海戦

フッド撃沈は数分で起きた
日付・艦出来事
1941年5月23日サフォークとノーフォークがドイツ艦隊を追跡
5月24日早朝フッド、プリンス・オブ・ウェールズが接近
午前6時ごろビスマルクの砲弾がフッドへ致命傷
戦闘結果フッド沈没、ビスマルクも損傷

1941年5月23日、イギリス重巡洋艦サフォークがデンマーク海峡でドイツ艦隊を発見した。ノーフォークも合流し、レーダーを使って追跡を続ける。

翌24日早朝、巡洋戦艦フッドと新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズが接近した。イギリス側の指揮官はランスロット・ホランド中将である。

午前5時52分ごろ、イギリス側が砲撃を開始した。ホランドは距離を詰めながら戦う方針を選んだ。フッドは水平防御に不安を抱えていたため、砲弾が急角度で落下する遠距離砲戦を避けたかったと考えられる。

接近中は艦首方向の主砲しか使いにくい。対するビスマルクとプリンツ・オイゲンは、横方向に近い射界を確保し、全主砲を使えた。

ドイツ側は数分遅れて応射した。射撃はすぐにフッド周辺へ集まり、プリンツ・オイゲンの砲弾によってフッドの甲板上に火災が発生した。

そして午前6時ごろ、ビスマルクの38センチ砲弾がフッドに致命傷を与えた。

巨大な火柱が立ち上がり、後部弾薬庫が爆発したとみられる。船体は折れ、フッドは数分で沈没した。1,400人を超える乗員のうち、生存者は3人だけだった。戦闘開始から十数分の出来事である。

フッドを沈めた戦果が、ビスマルクを逃がさない追撃網を生んだ。

フッドはなぜ沈んだのか

原因を一つに決めない

フッドは第一次世界大戦末期に設計された巡洋戦艦である。高速と大火力を備え、戦間期にはイギリス海軍の象徴として世界各地を訪問した。

大規模な近代化改装は延期を重ねた。水平防御や内部配置には古さが残り、第二次世界大戦では新世代戦艦を相手にする危険を抱えていた。

よくある説明は、ビスマルクの砲弾が薄い甲板装甲を貫通し、後部弾薬庫を爆発させたというものだ。大筋では弾薬庫の誘爆が沈没につながったと考えられている。

ただし、砲弾が通った正確な経路は確定していない。舷側装甲を抜いた可能性、甲板や上部区画を経由した可能性、10.2センチ高角砲弾薬庫の火災が主砲弾薬庫へ広がった可能性などが検討されてきた。

「遠距離から甲板を真上に撃ち抜いた」と単純化すると、当時の射距離や砲弾の落下角度と合わない部分が出る。フッドの最期は、老朽艦だから簡単に沈んだのではない。防御上の弱点、命中位置、弾薬庫の配置、火薬の誘爆が重なった結果だった。

確認できる事実と、今も議論が残る貫通経路は分けて書くべきです。

日本の戦艦も弾薬庫と防御区画が生死を分けました。戦艦武蔵の沈没理由と比べると、砲弾・魚雷・浸水の複合効果を考えやすくなります。

ビスマルクも無傷ではなかった

フッド撃沈は鮮烈だったが、ビスマルクもプリンス・オブ・ウェールズから3発の35.6センチ砲弾を受けていた。

1発は艦首付近を貫通し、海水の流入と燃料タンクの損傷を引き起こした。別の砲弾は機関区画付近に被害を与え、ボイラー室の一部を浸水させた。

致命傷ではない。

それでも通商破壊作戦を続けるには重い損害だった。燃料が海上へ漏れ、航跡には油膜が残った。艦首が沈み気味となり、速力と航続力も低下している。

プリンス・オブ・ウェールズを追撃して沈める案もあったが、リュッチェンスは作戦目的と艦の損傷を考え、追撃を打ち切った。その後、プリンツ・オイゲンを分離し、ビスマルクは修理可能なフランス沿岸を目指した。

この判断は今も議論になる。

ノルウェーへ戻れば助かった可能性がある。フランスへ向かえば、修理後に再び大西洋へ出やすい。リュッチェンスは後者を選んだが、イギリス本土と大西洋の両側から部隊を集められる海域へ踏み込む結果になった。

イギリス海軍の追撃戦

追撃戦の主役は艦隊全体
追撃要素役割
カタリナ飛行艇ビスマルクの再発見
空母ヴィクトリアス最初の雷撃で進路を圧迫
空母アーク・ロイヤルソードフィッシュを発進
キング・ジョージ5世・ロドニー最終戦で主砲攻撃
巡洋艦・駆逐艦追跡、雷撃、救助

フッド喪失の衝撃は大きかった。イギリス海軍は本国艦隊だけでなく、船団護衛中の戦艦や地中海方面の部隊まで追撃に投入した。

追撃の中心となった艦艇は次の通りである。

  • 戦艦キング・ジョージ5世
  • 戦艦ロドニー
  • 空母ヴィクトリアス
  • 空母アーク・ロイヤル
  • 巡洋戦艦レナウン
  • 重巡洋艦ノーフォーク
  • 重巡洋艦サフォーク
  • 重巡洋艦ドーセットシャー
  • 軽巡洋艦シェフィールド
  • 複数の駆逐艦

ビスマルクは5月24日夜、空母ヴィクトリアスから発進したソードフィッシュ雷撃機の攻撃を受けた。魚雷1本が命中したものの、装甲帯付近だったため大きな損害にはならなかった。

25日未明には追跡部隊を振り切ることにも成功した。ところが、リュッチェンスはまだ追跡されていると判断し、ドイツ本国へ長い無線報告を送った。この電波がイギリス側に探知され、おおよその方位を割り出す手掛かりとなった。

イギリス側では位置計算の誤りも起き、一時はビスマルクを見失っている。時間はドイツ側に味方していた。フランス沿岸のドイツ空軍圏内へ入れば、追撃は一気に難しくなる。

燃料も尽きかけていた。

大西洋の通商破壊という文脈では、ドイツUボートの記事も自然な続きです。水上艦と潜水艦で異なる戦略を比べられます。

カタリナ飛行艇がビスマルクを再発見

5月26日午前、イギリス空軍沿岸軍団のカタリナ飛行艇がビスマルクを発見した。操縦にはアメリカ海軍所属の搭乗員も参加していた。

発見地点はフランスからまだ遠かったが、ビスマルクは約1日で航空支援圏内へ到達できる位置にいた。イギリス海軍に残された時間は少ない。

追撃中のキング・ジョージ5世とロドニーだけでは、逃げるビスマルクに追いつけない可能性があった。頼みとなったのが、ジブラルタル方面から北上してきた空母アーク・ロイヤルである。

アーク・ロイヤルはソードフィッシュ雷撃機を発進させた。最初の攻撃隊は、ビスマルクを追跡していた味方の軽巡洋艦シェフィールドを誤って攻撃している。

魚雷の信管不良やシェフィールドの回避によって命中は免れた。攻撃隊は帰艦し、通常型信管を装着した魚雷へ交換した。

失敗は一度きりだった。

航空機が海上部隊を見つけて戦果へつなげる流れは、第二次世界大戦のドイツ戦闘機のような航空戦全体の理解ともつながります。

ソードフィッシュの雷撃
低空で接近するソードフィッシュ雷撃機とビスマルク艦尾へ伸びる魚雷航跡

ソードフィッシュの魚雷が運命を決めた

舵を失えば巨艦も逃げられない
段階意味
低速雷撃機の接近低空・低速でも荒天の雷撃は脅威
魚雷の命中装甲帯を貫かなくても艦尾に損害
舵の固定針路を選べず旋回を続ける
追撃の成立イギリス戦艦が翌朝に接近

5月26日夕方、15機のソードフィッシュが再び発進した。強風と低い雲、激しい波の中での攻撃だった。

ソードフィッシュは1930年代初頭の設計を引きずる複葉機で、最高速度は当時の戦闘機よりはるかに遅い。布張りの機体で、見た目も旧式だった。

その遅さが無力を意味するわけではない。低空を飛び、雷撃針路へ入れば、戦艦にとっては十分な脅威となる。ビスマルクは激しい対空砲火を浴びせたが、攻撃隊を阻止できなかった。

少なくとも2本の魚雷が命中したとされる。決定打は艦尾付近への一撃だった。爆発によって舵が左方向へ固定され、操舵機構も損傷した。

乗員は潜水作業や爆薬による舵の切り離しを試みた。推進器の回転数を左右で変えて進路を保つ方法も試されたが、荒天と船体特性に阻まれた。

ビスマルクは旋回を続けた。

リュッチェンスは本国へ操艦不能を報告し、最後まで戦う意思を伝えた。フランスへの脱出は不可能になった。

装甲帯を貫けなかった航空魚雷が、戦艦全体を止めた。魚雷は機関室を破壊したわけでも、弾薬庫を爆発させたわけでもない。進む方向を選ぶ能力を奪ったのである。

ビスマルクは「不沈の巨艦」ではない。一発の砲弾で帝国の象徴を吹き飛ばし、一発の航空魚雷で自らの運命を止められた、戦艦時代の両端を一航海で見せた艦である。

一発の魚雷は艦を沈めなくても、針路を選ぶ能力を奪えます。

最後の夜

5月26日夜から27日未明にかけ、イギリス駆逐艦隊がビスマルクへ接近した。イギリス艦コサック、マオリ、シーク、ズールーに加え、ポーランド海軍の駆逐艦ピオルンも攻撃に参加している。

駆逐艦隊は雷撃と砲撃を繰り返した。決定的な損害を与えたとは確認されていないが、ビスマルク乗員を一晩中戦闘配置に縛り付けた。

艦内では修理作業が続いていた。操舵装置の復旧はできず、艦は波に翻弄される。翌朝にはイギリス戦艦が到着すると分かっていた。

逃げ道はない。

乗員の一部には救命胴衣が配られ、機密書類の処分も進められた。それでも砲員は戦闘準備を整えた。

ビスマルクの最終戦
砲撃を受けながら海上にとどまるビスマルクと遠方のイギリス戦艦

ビスマルクの最終戦

浮いていても戦力ではない
主砲と役割
ビスマルク38cm砲8門、操艦不能のまま応戦
ロドニー40.6cm砲9門、近距離砲撃
キング・ジョージ5世35.6cm砲10門、主力砲撃
ノーフォーク・ドーセットシャー巡洋艦砲撃と魚雷攻撃

1941年5月27日午前8時47分、戦艦ロドニーが砲撃を開始した。キング・ジョージ5世も続き、ビスマルクの最後の戦闘が始まる。

ロドニーは40.6センチ砲9門、キング・ジョージ5世は35.6センチ砲10門を搭載していた。自由に針路を選べないビスマルクに対し、イギリス側は有利な距離と方位を選べた。

ビスマルクも前部主砲で応戦した。初期の斉射はロドニーの近くに落下し、なお危険な相手であることを示した。

形勢は急速に傾いた。

イギリス艦の砲弾が前部射撃指揮所を破壊し、艦橋周辺を直撃した。リュッチェンスやリンデマンを含む指揮官の多くが戦死したとみられる。

主砲塔も次々に沈黙した。砲身や旋回装置が破壊され、通信線が切断される。戦闘開始から約30分で、ビスマルクの主砲はほぼ有効な射撃を行えなくなった。

ロドニーは距離を数千メートルまで詰めた。戦艦同士の砲戦としては異例の近距離である。40.6センチ砲、15.2センチ副砲、魚雷まで使用し、ビスマルクの上部構造物を破壊した。

キング・ジョージ5世も砲撃を続けた。巡洋艦ノーフォークとドーセットシャーも加わり、火災と浸水が広がった。

ビスマルクは浮いていたが、戦闘艦としてはすでに死んでいた。

ビスマルクは撃沈されたのか、自沈したのか

撃沈と自沈を二者択一にしない

最終戦の終盤、ドイツ側では自沈命令が出された。機関室の乗員が海水弁を開き、爆薬を設置したとの生存者証言がある。

午前10時台、燃料不足が迫っていたキング・ジョージ5世とロドニーは戦場を離脱した。重巡洋艦ドーセットシャーが接近し、魚雷を発射する。

その後、ビスマルクは左舷側へ大きく傾き、転覆して沈没した。沈没時刻は午前10時39分ごろとされる。

「イギリス海軍が撃沈したのか、ドイツ乗員が自沈させたのか」という論争は現在も残る。

1989年にロバート・バラードの調査隊が水深約4,750メートルで船体を発見した。船体中央部は比較的原形を残し、装甲区画の水面下に致命的な砲弾貫通孔が少ないとの見方も示された。後の調査でも、自沈作業が沈没を早めた可能性が指摘されている。

二者択一にする必要はない。

イギリス艦隊はビスマルクの砲、艦橋、射撃指揮、通信、対空兵装を破壊し、戦闘を続けられない状態にした。ドーセットシャーの魚雷も命中している。そのうえでドイツ乗員が海水弁を開き、艦の喪失を確実にした。

自沈作業がなくても、救援のないビスマルクが帰還できた可能性はない。作戦上の撃沈者はイギリス海軍であり、沈没の最終過程にはドイツ側の自沈措置も加わった、と整理するのが実態に近い。

戦闘能力を奪った主体と、沈没を早めた措置は別々に考えられます。

救助された乗員

ビスマルクには作戦時、約2,200人が乗っていた。沈没後、数百人が海面へ脱出したとみられる。

ドーセットシャーと駆逐艦マオリが救助を開始した。海は荒れ、水温も低かった。油にまみれ、負傷した乗員をロープで引き上げる困難な作業だった。

救助中にUボート発見の警報が出たため、イギリス艦は現場を離れた。海面には多くの乗員が残された。

イギリス艦と後着したドイツ艦艇などを合わせ、生存者は約110人余りにとどまった。2,000人を超える乗員が死亡した。

フッドの沈没では、1,400人を超える乗員のうち3人しか生き残らなかった。その3日後、ビスマルクでも2,000人以上が命を失った。

艦名や性能表だけを追うと、この人数は数字になってしまう。実際の砲戦は、鋼鉄の船同士が戦う光景ではない。内部で働く人間へ、爆風、破片、炎、煙、浸水を送り込む作業だった。

ビスマルクは本当に最強戦艦だったのか

最強という言葉より運用を見る
比較軸ビスマルク大和型・アイオワ級との違い
主砲38cm砲8門大和型46cm砲9門、アイオワ級40.6cm砲9門
速力約30ノットアイオワ級は33ノット級
防御厚い舷側装甲と中央防御区画艦級ごとに装甲・水中防御が異なる
防空・情報1941年時点の設備後発艦はレーダー・艦隊防空で進歩
評価強力だが支援艦隊が不足単艦ではなく運用体系で評価

ビスマルクは強力な戦艦だった。30ノット級の速力、38センチ砲8門、厚い舷側装甲、高性能な光学測距儀を備えている。デンマーク海峡海戦でフッドを沈めた実績もある。

世界最強と断定する材料は足りない。

日本の大和型は46センチ砲9門と、より厚い装甲を備えていた。アメリカのアイオワ級は40.6センチ砲9門、33ノット級の速力、優れたレーダー射撃能力を持つ。イギリスのキング・ジョージ5世級も、艦隊防空やレーダーを含む総合的な運用体系に組み込まれていた。

ビスマルクの設計には、近距離砲戦を重視した装甲配置、連装砲塔4基による重量増、複雑な副砲体系といった特徴がある。航空攻撃への備えやレーダー運用では、戦争後半の連合国戦艦に及ばない。

最大の弱点は艦そのものより、運用環境だった。

ドイツ海軍にはビスマルクを継続的に守る空母がなく、洋上で給油や修理を支える基地網も限られていた。大型艦の数も少ない。1隻が損傷すれば、代わりを出せない。

個人的には、兵器の強さを単艦性能だけで比べるランキングほど、ビスマルクを過大評価しやすいと感じる。戦艦は単独で完結する兵器ではない。偵察機、空母、巡洋艦、駆逐艦、補給艦、基地航空隊、通信網まで含めて初めて戦力となる。

ビスマルクは強い艦だった。強い艦隊にはなれなかった。

戦艦の強さは、単艦性能だけでなく航空・補給・修理・通信を含む艦隊力で決まります。

大和型だけでなく、第二次大戦の日本艦艇の構成は日本の戦艦・空母一覧で比較できます。

ビスマルクとティルピッツ
ノルウェーのフィヨルドに停泊するビスマルク級2隻の船体と上部構造の違い

ティルピッツとの違い

姉妹艦でも戦略効果が違う
比較項目ビスマルクティルピッツ
主な活動海域北大西洋へ進出ノルウェーのフィヨルドを拠点
実戦の印象フッド撃沈と短期間の追撃戦存在自体で北極海船団を拘束
戦歴初作戦で沈没長期間生存後に航空攻撃で喪失
戦略効果実際の通商破壊を試みた現存艦隊として相手を拘束

姉妹艦ティルピッツは、ビスマルクの設計を受け継ぎながら細部が改良されていた。完成時の排水量はさらに増え、対空兵装も順次強化された。

最大の違いは戦歴である。

ビスマルクが初作戦でフッドを沈め、数日後に失われたのに対し、ティルピッツはノルウェーのフィヨルドを拠点として長期間生き残った。

ティルピッツが存在するだけで、イギリス海軍は北極海船団を守る戦艦や空母を拘束された。出撃回数が少なくても、敵に戦力配置を強いる「現存艦隊」として働いたわけだ。

一方、ビスマルクは実際に大西洋へ進出し、戦果と損失の双方を生んだ。戦艦としての派手な物語はビスマルクに集中したが、戦略的な拘束効果ではティルピッツの方が長くイギリスを悩ませている。

艦隊を動かさず存在だけで相手を拘束する「現存艦隊」の考え方は、欧州戦線の戦略記事とあわせて読むと分かりやすくなります。

ビスマルク沈没がドイツ海軍へ与えた影響

大型水上艦の時代を後退させた

ビスマルクの喪失後、ドイツ海軍による大型水上艦の大西洋通商破壊は大きく後退した。

シャルンホルストやティルピッツなどは残っていたが、ヒトラーは大型艦の損失を恐れるようになる。出撃には厳しい制限が付き、艦隊はノルウェー沿岸や港内に拘束された。

ドイツ海軍の主力はUボートへ傾いた。イギリスの海上輸送を切断する目的は変わらない。高価な戦艦で船団を襲う構想から、大量の潜水艦で広い海域を包囲する戦いへ軸足が移ったのである。

ドイツ連邦軍の軍事史研究機関も、ビスマルクの沈没をドイツ海軍の水上戦争における事実上の転換点として位置付けている。

イギリス側にとっても勝利の意味は大きかった。フッド撃沈で傷ついた威信を回復し、大型通商破壊艦が大西洋航路へ居座る事態を防いだ。

ビスマルク1隻を沈めるため、イギリス海軍は戦艦、空母、巡洋艦、駆逐艦、航空機を広い海域から集めた。裏返せば、それほどの戦力を動かさなければ止められない脅威だった。

大型水上艦からUボートへ重心が移る流れは、大西洋の狼と呼ばれたUボートで詳しく確認できます。

ビスマルクの評価が今も分かれる理由

神話と実像を分ける

ビスマルクには、強さを印象付ける条件がそろっている。

巨大な船体。 38センチ主砲。 フッド撃沈。 大西洋での追撃戦。 操舵不能となった最後の戦闘。 2,000人を超える犠牲。 海底で発見された船体。

作戦期間が短いため、評価に必要な実績は少ない。その空白へ「最強」「不沈」「悲劇の名艦」といった物語が入り込んだ。

ナチス・ドイツの宣伝も神話化を進めた。沈没後には、圧倒的な敵を相手に最後まで戦い、自ら沈んだ艦として描かれている。イギリス側でも、フッドの復讐を果たした壮大な追撃戦として語られた。

双方に物語が必要だった。

実像はもっと複雑である。ビスマルクは優秀な砲戦能力を持つ一方、単独に近い状態で作戦へ投入された。フッドを撃沈した一方、自艦も燃料系統を損傷した。厚い装甲で砲撃に耐えた一方、操舵装置の損傷には対処できなかった。

無敵ではない。凡庸でもない。その中間にあるから、今も議論が続く。

無敵ではない。凡庸でもない。その中間にあるから評価が続いています。

まとめ

戦艦ビスマルクは、38センチ砲8門、30ノット級の速力、厚い装甲を備えたドイツ海軍最大級の戦艦だった。

初の実戦作戦となったライン演習作戦では、デンマーク海峡で巡洋戦艦フッドを撃沈した。世界に衝撃を与える戦果だったが、ビスマルク自身も燃料系統と艦首を損傷し、通商破壊作戦を断念してフランスへ向かった。

イギリス海軍は多数の艦艇と航空機を投入して追撃した。空母アーク・ロイヤルのソードフィッシュ雷撃機が艦尾へ魚雷を命中させ、操舵装置を破壊する。進路を選べなくなったビスマルクは、1941年5月27日、ロドニーとキング・ジョージ5世を中心とする艦隊に捕捉された。

最終戦では厚い装甲が船体を海面に残した。それでも艦橋、射撃指揮装置、砲塔、通信設備を失い、戦艦としての機能は消えた。英国艦の砲撃と魚雷に加え、ドイツ乗員による自沈作業を経て、ビスマルクは北大西洋へ沈んだ。

フッドを沈めた主砲も、ビスマルクを止めた魚雷も、単体では戦争の勝敗を決めていない。勝敗を分けたのは、敵を発見し、追跡し、航空機と水上艦を集め、補給限界まで追い詰めた艦隊全体の力だった。

ビスマルクは戦艦時代の王者ではない。戦艦という兵器がどれほど強く、同時にどれほど孤独だったかを、最も劇的な形で残した艦である。

戦艦個別の比較を続けるなら、戦艦大和戦艦武蔵もあわせて読むと、単艦性能と戦略効果の違いが見えてきます。

ビスマルクの艦艇模型
ビスマルクの主砲塔、艦橋、測距儀、救命艇を確認できる艦艇模型

ビスマルクを立体で確認する

模型で確認できる構造

大和型との設計思想の違いを詳しく読む場合は、戦艦大和の解説戦艦武蔵の沈没理由も続けて確認してください。

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参考資料・主な出典

Imperial War Museums:How the Royal Navy hunted down the Bismarck

Royal Navy:80th anniversary of Swordfish strike on Bismarck

Royal Navy:HMS Hood avenged – sinking of the Bismarck

Imperial War Museums:The Battle of the Atlantic

ドイツ連邦軍軍事史社会科学センター:Mythos Bismarck

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よくある質問

ビスマルクは何級の戦艦ですか?

ビスマルク級戦艦の1番艦です。同型艦は2番艦ティルピッツで、2隻のみ建造されました。

ビスマルクの主砲は何センチですか?

38センチSK C/34艦砲を連装砲塔4基に搭載し、合計8門を備えていました。

ビスマルクはフッドを何発で沈めましたか?

数斉射のうち少なくとも1発の38センチ砲弾がフッドの弾薬庫爆発につながったと考えられています。正確な命中弾数や貫通経路には議論があります。

ビスマルクを行動不能にした航空機は何ですか?

空母アーク・ロイヤル所属のフェアリー・ソードフィッシュ雷撃機です。魚雷が艦尾付近に命中し、舵が固定されました。

ビスマルクは撃沈されたのですか、自沈したのですか?

イギリス艦隊の砲撃と魚雷で戦闘能力を失った後、ドイツ側の自沈措置が沈没を早めたと考えるのが妥当です。

ビスマルクの乗員は何人でしたか?

作戦時の乗員は約2,200人とされ、沈没後に救助されたのは約110人余りでした。資料により集計には差があります。

ビスマルクは本当に最強戦艦ですか?

強力な戦艦でしたが、世界最強と断定はできません。主砲、速力、装甲だけでなく、レーダー、航空支援、補給、修理を含む運用体系で評価する必要があります。

ビスマルクとティルピッツの違いは何ですか?

ビスマルクは大西洋へ進出して短期間で沈没し、ティルピッツはノルウェーにとどまって北極海船団向けのイギリス艦隊を長期間拘束しました。

ビスマルクの沈没地点はどこですか?

フランスのブレストから西へ約1,000km離れた北大西洋で沈没し、1989年に水深約4,750mの海底で発見されました。

戦艦ビスマルクは、38センチ砲と重装甲を備えたドイツ海軍の大型戦艦でした。デンマーク海峡でフッドを沈めた戦果は圧倒的ですが、その直後に自艦も損傷し、イギリス海軍の艦艇と航空機を広い海域から引き寄せました。

ビスマルクを止めたのは、より大きな主砲だけではありません。偵察、通信、空母、ソードフィッシュの魚雷、戦艦の砲撃、巡洋艦の魚雷、そして艦内の自沈措置が連鎖した結果です。だからこそ、この艦は「最強戦艦」の一言ではなく、戦艦が単艦で完結しないことを示す歴史的なケースとして読む価値があります。

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