太い胴体に大きな星形エンジン、短い主翼。海軍の局地戦闘機「雷電」と、陸軍の二式単座戦闘機「鍾馗」は、どちらも零戦や隼とはまるで違う、ずんぐりした姿をしている。そしてどちらも、敵の爆撃機を迎え撃つために速さと上昇力を追い求めた機体だった。
似た役目、似た姿。それなのに、海軍と陸軍はそれぞれ別の会社に、別のエンジンで、別の機体を作らせた。どちらが速かったのか。どちらが強かったのか。そもそも、なぜ同じような迎撃機が二つも必要だったのか。
二つの機体を比べる記事はよくあるが、型式も条件もばらばらの数字を並べただけでは、本当の違いは見えてこない。この記事では、比べる型式と数字の出どころ、比べる高度をあらかじめ決めたうえで、雷電と鍾馗の違いを設計思想から整理していく。
- 比べるのは、それぞれの主力の量産型である雷電二一型と鍾馗二型。数字は同じ資料系統にそろえ、最高速度はほぼ同じ高度(5,200〜5,300m付近)の値で比べる
- 鍾馗は小さく軽い機体で、上昇力と最高速度でわずかに上回る。雷電は大きなエンジンと20mm機関砲4門で、火力と航続距離に勝る
- 鍾馗は陸軍の「重戦闘機」構想から1940年に生まれ、雷電は海軍の「局地戦闘機」として1940年に要求が出されたが、実戦に出たのは鍾馗が2年ほど早い
- どちらも、高い高度を飛ぶB-29の迎撃では苦戦した。陸海軍が別々の迎撃機を作ったことは、生産や補給の面でも重荷になった
比較の条件を先に決める
まず、この記事の比べ方のルールを示しておく。ここをあいまいにすると、比較はすぐに不公平になる。
| 条件 | この記事での決め方 |
|---|---|
| 比べる型式 | 雷電は主力量産型の二一型(J2M3)、鍾馗は主力量産型の二型(キ44-II) |
| 数字の出どころ | 両機とも同じ資料系統の諸元にそろえる。資料によって数字には差がある |
| 最高速度 | それぞれ最高速度が出る高度での値。雷電は高度5,300m、鍾馗は高度5,200mで、ほぼ同じ高さになる |
| 上昇力 | 公開されている到達高度が両機で違う(雷電は6,000m、鍾馗は5,000m)ため、そのまま示したうえで、平均の上昇の速さも参考に出す |
| 武装 | 鍾馗は二型丙の標準武装(12.7mm×4)を基本にし、二型乙の40mm砲は別に記す |
なお、雷電には高い高度での性能を上げた三三型、鍾馗には試作だけで終わった三型もあるが、ここでは比べない。実戦の主役だった型どうしで比べるのが、いちばん公平だと考えるからだ。
数字で比べる|雷電二一型と鍾馗二型

写真・素材:kitmasterbloke/Wikimedia Commons(CC BY 2.0)
速さ|ほぼ同じ高度で、鍾馗がわずかに速い
最高速度は、ほぼ同じ5,200〜5,300mの高さで、鍾馗が605km/h、雷電が587km/hと、鍾馗が20km/hほど上回る。ただしこの差は、試験の条件や機体の状態で簡単に入れ替わる程度のものだ。「どちらも600km/h前後」と考えるのが実態に近い。
上昇|鍾馗が一歩速い
上昇力は、到達高度が違うのでそのままは比べられない。そこで、到達するまでの平均の上昇の速さを計算してみると、鍾馗は毎分およそ1,170m、雷電は毎分およそ960mになる。より高い高度まで測っている雷電のほうが不利な計算ではあるが、それを差し引いても、上昇の鋭さでは鍾馗が一歩先を行っていたと見ていい。
火力と足の長さ|雷電の勝ち
一方、火力では雷電がはっきり上だ。主翼に20mm機関砲を4門並べた雷電に対し、鍾馗二型丙は12.7mm機関砲4門。頑丈な爆撃機を落とすには、一発の破壊力が大きい20mm砲が有利だった。航続距離も、雷電の約1,900kmに対して鍾馗は約1,200km。鍾馗の足の短さは、当時から欠点として指摘されていた。
翼面荷重|小さな翼の鍾馗
意外かもしれないが、翼の面積あたりの重さ、つまり翼面荷重は、大きく重い雷電より、小さく軽い鍾馗のほうが高い。鍾馗は、機体の大きさに比べて翼をかなり小さくした機体だったのだ。これが、鍾馗の速さと上昇力、そして旋回の苦手さの両方につながっている。
設計思想で比べる
鍾馗|陸軍の「重戦闘機」という挑戦
鍾馗は、陸軍が描いた「重単座戦闘機」という構想から生まれた。それまでの陸軍の戦闘機は、九七式戦闘機や隼のように、小回りのきく格闘戦を得意とする「軽戦闘機」が主流だった。
ところが、敵の爆撃機を素早く捕まえて落とすには、旋回の鋭さより、速さと上昇力、急降下の速さが要る。そこで陸軍は、格闘戦の名機・隼と並行して、まったく逆の性格を持つ戦闘機を中島飛行機に作らせた。それが鍾馗だった。
中島の小山悌らは、大きな出力のエンジンに小さな主翼を組み合わせ、思い切って速さと上昇力に振った機体を作り上げた。1940年に初飛行し、1942年に二式戦闘機として採用されている。1941年には、ドイツから輸入したメッサーシュミットBf109と模擬空戦を行い、総合的な性能で上回ったとされる。
しかし、格闘戦に慣れた古参のパイロットからは評判が悪かった。旋回の性能が劣り、着陸の速度も速い。小さな翼の機体は、軽戦闘機の感覚で乗ると扱いにくかったのだ。重戦闘機という考え方そのものが、日本陸軍の中でまだ受け入れられていなかったとも言える。
雷電|海軍の「局地戦闘機」と大きすぎたエンジン
雷電は、海軍が「局地戦闘機」として求めた機体だ。局地戦闘機とは、空母から飛ぶ艦上戦闘機とは違い、陸上の基地を守るために、来襲する敵の爆撃機を迎え撃つ戦闘機のことだ。
1940年に計画要求が出され、零戦を生んだ三菱の堀越二郎が設計の中心になった。求められたのは、何より速さと上昇力、そして爆撃機を確実に落とせる強い火力だった。
ここで堀越たちは、大きな問題にぶつかる。当時の日本で十分な出力を持つエンジンは、爆撃機用に作られた直径の大きな「火星」しかなかったのだ。太いエンジンをそのまま胴体につければ、空気抵抗が大きくなる。そこで、エンジンを後ろに下げてプロペラの軸を延ばし、機首を細く絞った紡錘形の胴体にした。
この工夫は、思ったほどの効果を上げなかった。それどころか、延ばした軸が原因の振動や、曲面ガラスの風防による視界の悪さに悩まされ、開発は大幅に遅れた。雷電の主力型である二一型が実戦部隊に届き始めたのは1944年になってからで、鍾馗より2年ほど遅い。
それでも、20mm機関砲4門の重武装と、大きなエンジンが生む力強い上昇は、爆撃機の迎撃には頼もしかった。
二つの違いをひとことで言えば
鍾馗は「小さく、速く、鋭く上がる」機体。雷電は「大きく、重く、強く撃つ」機体。同じ迎撃という仕事に対して、陸軍は身軽さで、海軍は力強さで答えを出したとも言える。
上から見ると違いがよく分かる

二つの機体を上から見て同じ縮尺で重ねると、違いがはっきりする。雷電は全幅10.8m、主翼面積20平方メートル。鍾馗は全幅9.45m、主翼面積15平方メートル。鍾馗の主翼は、雷電より4分の1ほど小さい。それでいて胴体の太さはどちらも大差がない。鍾馗が「エンジンに翼をつけた」ような機体と言われるのも、上から見るとよく分かる。
外観で見分けるポイント

写真・素材:Unknown author Unknown author/Wikimedia Commons(Public domain)
写真で二機を見分けるときは、次の点を見るといい。
- 機首の形:雷電はプロペラが前に突き出し、機首から胴体の中ほどにかけて紡錘形に太くなる。鍾馗はエンジンのすぐ後ろが操縦席で、機首が短く詰まって見える
- 主翼の大きさ:雷電の主翼は胴体に比べて大きく、鍾馗の主翼は胴体に比べて明らかに小さい
- 機関砲の位置:雷電は主翼に20mm機関砲を4門並べる。鍾馗は機首の上と主翼に12.7mm機関砲を持つ
- 塗装と日の丸の位置:海軍機と陸軍機では、迷彩の色合いや識別の標識の描き方に違いがある
パイロットたちの評価
両機とも、乗る人によって評価が大きく分かれた機体だった。
鍾馗は、格闘戦を得意とする古参のパイロットには「曲がらない」「着陸が難しい」と嫌われた。その一方で、一撃離脱の戦い方を身につけた若い世代や、その戦い方を理解したパイロットからは、速さと上昇力を高く評価された。乗り方さえ合えば、頼もしい機体だったのだ。
雷電も、視界の悪さや着陸の難しさ、振動などで、慣れないパイロットからは敬遠されがちだった。しかし、厚木の第三〇二航空隊では、赤松貞明のような歴戦のパイロットが雷電を乗りこなし、B-29や艦上機を相手に戦った。どちらの機体も、性能を引き出すには、それに合った戦い方と経験が必要だったと言える。
B-29迎撃での二機

写真・素材:Australian armed forces/Wikimedia Commons(Public domain)
1944年の終わりから、アメリカのB-29による日本本土への空襲が本格化すると、雷電と鍾馗はともに迎撃の最前線に立った。
雷電は、厚木の第三〇二航空隊などで本土防空にあたり、海軍の迎撃部隊の中核となった。鍾馗は、東京周辺を守る陸軍の飛行第47戦隊や第70戦隊などで、B-29を迎え撃った。
しかし、両機とも大きな壁にぶつかる。B-29は、1万メートル近い高い高度を飛んでくることがあった。そこまで上がると、エンジンの出力は大きく落ちる。アメリカのB-29やP-47が持っていた排気タービン過給器を、日本は実用化できなかった。高い高度では、雷電も鍾馗も、思うように速く飛べず、ぎりぎりの状態で攻撃をかけるしかなかった。
鍾馗の部隊の中には、防弾の鋼板や武装を降ろして機体を軽くし、B-29に体当たりする特別な隊が作られたこともある。高い高度での性能の不足を、操縦者の命で埋めようとした、あまりにも悲しい戦い方だった。高い高度での戦いの難しさについては、B-29の解説やP-47サンダーボルトの解説でも触れている。
なぜ二つも必要だったのか
ここで最初の問いに戻ろう。なぜ海軍と陸軍は、同じような迎撃機をそれぞれ別に作ったのか。
答えは単純で、当時の日本には、陸海軍の航空機を一本化する仕組みがなかったからだ。海軍は海軍の基地を、陸軍は陸軍の基地を守る。それぞれが自分の要求を出し、自分の付き合いのある会社に機体を作らせた。
その結果、似た役目の機体が、別々のエンジン(火星とハ109)、別々の口径の機関砲(20mmと12.7mm)で作られた。エンジンの部品も、弾薬も、整備の手順も別々だ。ただでさえ資源と工場の能力が限られていた日本にとって、これは大きなむだだった。
もちろん、両機にはそれぞれの長所があり、どちらか一方だけで十分だったとは言い切れない。しかし、限られた力を二つに分けたことが、戦争の後半の日本の防空を苦しくした一因だったことは確かだと思う。
今の自衛隊との違い
戦後の日本は、この反省を形にした。今の日本の空を守る戦闘機は、航空自衛隊がまとめて運用している。陸と海がそれぞれ迎撃機を持つことはない。
海上自衛隊の護衛艦から飛ぶF-35Bでさえ、運用するのは航空自衛隊だ。機体の種類をそろえ、整備や補給を一本にまとめることの大切さは、雷電と鍾馗の時代の苦い経験が教えてくれている。
両機のその後の系譜

写真・素材:/Wikimedia Commons(Public domain)
鍾馗を作った中島飛行機は、その経験を生かして、四式戦闘機「疾風」を生み出した。疾風は、鍾馗の速さと、隼の扱いやすさを両立させようとした機体で、陸軍の「大東亜決戦機」と呼ばれた。
一方の海軍は、雷電の開発の遅れもあって、川西の紫電改にも大きな期待を寄せることになる。雷電と紫電改は、戦争の最後の年、ともに本土の空を守った。当時の日本の戦闘機の全体像は第二次世界大戦の日本の戦闘機一覧で整理している。
模型で並べて比べる
雷電と鍾馗の違いは、同じ縮尺の模型を並べると一目で分かる。どちらもハセガワから1/48のキットが出ているので、上から並べて主翼の大きさを見比べてほしい。まずは陸軍の鍾馗。
そして海軍の雷電。太い胴体と延長軸で絞った機首の形がよく分かる。
よくある質問
雷電と鍾馗はどちらが速い?
ほぼ同じ高度(5,200〜5,300m付近)の最高速度で比べると、鍾馗が605km/h、雷電が587km/hで、鍾馗がわずかに速い。ただし資料や条件によって数字は変わり、どちらも600km/h前後の機体と考えるのが実態に近い。
雷電と鍾馗はどちらが強い?
役目によって答えが変わる。上昇の鋭さと身軽さでは鍾馗、火力と航続距離では雷電が上だ。爆撃機を確実に落とすという点では、20mm機関砲4門の雷電に分がある。
雷電と鍾馗の設計思想の違いは?
鍾馗は陸軍の「重戦闘機」構想から生まれた、小さな翼で速さと上昇力に振った機体だ。雷電は海軍の「局地戦闘機」として、大きな爆撃機用エンジンと強い火力で基地を守るために作られた。
なぜ雷電は配備が遅れた?
延長したプロペラ軸による振動や、風防の視界の悪さなどの問題の解決に時間がかかったからだ。主力の二一型が部隊に届き始めたのは1944年になってからだった。
雷電と鍾馗はB-29に勝てた?
ある程度の戦果は挙げたが、B-29が高い高度を飛んでくると、両機ともエンジンの出力が落ちて苦戦した。排気タービン過給器を実用化できなかったことが大きい。
比べるときの数字はどれを信じればいい?
資料によって数字には差がある。比べるときは、型式をそろえ、同じ資料の数字を使い、測った高度を確かめることが大切だ。この記事では、主力の量産型どうしを、同じ資料系統の数字で比べている。
まとめ|同じ仕事に、陸と海が出した二つの答え
雷電と鍾馗は、どちらも爆撃機を迎え撃つために、速さと上昇力を追い求めたずんぐりした迎撃機だった。比べる条件をそろえると、鍾馗は小さく軽い機体で上昇力と最高速度にわずかに勝り、雷電は大きなエンジンと20mm機関砲4門で火力と航続距離に勝る。
鍾馗は陸軍の重戦闘機という挑戦から、雷電は海軍の局地戦闘機という要求から生まれた。同じ仕事に二つの答えを出した陸海軍の姿は、日本の航空戦力の強さと弱さの両方を映している。二つの機体の個別の詳しい解説は、雷電の解説と鍾馗の解説にまとめている。
最後まで読んでくれてありがとう。長い記事を書くときのお供は、だいたいこれだ。
出典・参考資料
表紙の写真素材:
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写真・素材:Unknown author Unknown author/Wikimedia Commons(Public domain)。背景・レイアウト・文字を編集。







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