幼女戦記を見ていると、ずっと引っかかることがある。
帝国は強い。ターニャの部隊は戦場でほとんど負けない。参謀本部の将軍たちは有能で、作戦は鮮やかだ。それなのに、帝国の状況はちっとも良くならない。勝てば勝つほど、敵が増え、戦争が長引き、国がすり減っていく。
2期の公式のイントロダクションには、どの国も「すべてを終わらせるための圧倒的勝利。」を求めているのに、それが本当は何を意味するのか、誰も分かっていない、という趣旨の一文がある。私は、この一文に幼女戦記という作品のいちばん大事な問いが詰まっていると思う。
この記事は、この特集の看板コラムだ。帝国がなぜ勝っても苦しいのかを、「戦場の勝利」と「戦争の勝利」の違いから考えてみる。比べる相手は、戦場では勝ち続けたのに戦争に負けたハンニバルとナポレオン、そして反対に、勝ったところで戦争を終わらせた日露戦争の日本だ。
ネタバレは2期の公式あらすじの範囲までにとどめ、物語の結末には触れない。
- 戦争の勝ち負けには、戦術・作戦・戦略という段階がある。帝国は戦術と作戦では勝ち続けているが、戦略、つまり戦争をどう終わらせるかで行き詰まっている
- 強い国が勝ち続けると、周りの国は手を組んで対抗する。帝国の敵が増えていくのは、ナポレオンのフランスや第一次大戦のドイツと同じ構図だ
- 戦場で勝ち続けて戦争に負けた例として、ハンニバルとナポレオンがいる
- 反対に、日露戦争の日本は、勝ったところで仲介を受け入れて戦争を終わらせた。ただしその時、国内では「もっと取れたはずだ」と暴動が起きている。2期の帝都の空気とよく似ている
- 帝国が終われない理由は、戦争の目的があいまいなまま、勝つたびに求めるものが大きくなっていくことにある
「勝利」には段階がある
まず、勝つということを分けて考えてみる。軍事の世界では、戦いをだいたい三つの段階で考える。

ターニャは戦術の達人だ。2期6話でソルディム528陣地を守り抜いたのは、戦術の勝利にあたる。ゼートゥーアとルーデルドルフは作戦の名手だ。1期のライン戦線で共和国軍を包囲した回転ドアは、作戦の勝利の見本のようなものだ。ところが、そのいちばん上、戦争をどう終わらせるかという戦略の段階で、帝国は答えを持っていない。
プロイセンの軍人クラウゼヴィッツは、戦争は政治の延長だと言った。戦争は、それ自体が目的ではなく、政治の目的をかなえるための手段にすぎない。だとすれば、戦場でいくら勝っても、政治の目的がはっきりしていなければ、その勝利をどこに使えばいいのか分からない。帝国の苦しさは、ここから始まっている。
勝つたびに、敵が増える
帝国の戦争の歩みを振り返ると、はっきりした型がある。この特集の『幼女戦記の国とモデル一覧』で整理したとおり、北の協商連合を押し返すと西の共和国が攻めてくる。共和国を倒すと、海の向こうの連合王国が本気になる。西を固めると、東の連邦が動く。そして合州国は、中立のまま物資と義勇兵を送り込む。

これは偶然ではない。大陸に飛び抜けて強い国が現れると、周りの国は、その国が全部を飲み込む前に手を組んで止めようとする。国際政治で「勢力の均衡」と呼ばれる動きだ。
史実でいちばん分かりやすい例が、ナポレオンのフランスだ。ナポレオンは戦場で何度も勝ち、ヨーロッパの大半を押さえた。しかし勝つたびに、イギリス、ロシア、オーストリア、プロイセンは対仏大同盟を組み直し、最後には1815年のワーテルローの戦いで敗れる。第一次大戦のドイツも同じ立場にあった。強すぎる国は、勝つほど孤立する。
帝国の場合は、さらに条件が悪い。『幼女戦記の帝国はドイツがモデル?』で書いたように、帝国にはそもそも同盟国がいない。敵の同盟が膨らんでいくのに、こちらには並んで戦う国が一つもないのだ。
戦場で勝ち続け、戦争に負けた将軍たち
ハンニバル|勝ち方は知っていても、勝利の使い方を知らない
古代ローマと戦ったカルタゴの将軍ハンニバルは、戦術の天才だった。紀元前216年のカンナエの戦いでは、数で勝るローマ軍を包み込んで壊滅させた。その鮮やかさは、2000年以上たった今も軍学校で教えられている。くわしくはカンナエの戦いに書いた。
ところが、ローマは負けを認めなかった。大敗のあとも講和に応じず、戦い続けた。ハンニバルはイタリアで勝ち続けながら、ローマを屈服させることができない。そして最後には、本国のカルタゴを攻められ、紀元前202年のザマの戦いで敗れる。
古代ローマの歴史家リウィウスは、カンナエの勝利のあと、ハンニバルの部下がこう言ったと伝えている。「あなたは勝つことを知っているが、勝利を活かすことを知らない」。戦場の勝利が、そのまま戦争の勝利にはならない。帝国の姿は、このハンニバルに重なる。
第一次大戦と第二次大戦のドイツ
ドイツも、二つの大戦で同じ道をたどった。第一次大戦のドイツ軍は、東部戦線のタンネンベルクでロシア軍を包囲殲滅し、1918年の春にも西部戦線で大きく前進した。それでも戦争には負けた。第二次大戦でも、開戦からの数年は戦場で勝ち続けたが、戦争に勝つ方法を見つけられなかった。2期のアンドロメダ計画が、1942年のドイツの資源攻勢とよく似ていることは、『幼女戦記2期のアンドロメダ計画とは?』で書いた。
勝ったところで終わらせた国|日露戦争の日本
では、反対の例はないのか。ある。日露戦争の日本だ。
1904年から05年の日露戦争で、日本は国力で何倍も大きいロシアと戦った。1905年3月の奉天会戦、5月の日本海海戦で勝ったものの、日本の兵力も財政も、もう限界に近かった。そこで日本は、アメリカのセオドア・ルーズベルト大統領の仲介を受け入れ、同じ年の9月にポーツマス条約を結んで戦争を終わらせた。戦場で勝っているうちに、外国の仲介で手を打ったのだ。日露戦争の全体像は日本はなぜロシアに勝てたのかにまとめている。
これは、2期の帝国とちょうど反対だ。2期の4話から5話のあらすじでは、中立国イルドアの仲介で講和の機運が高まるのに、帝国は「さらに有利な条件」を求めて攻勢を重ね、和平交渉は先送りになる。日本は仲介に乗り、帝国は仲介を先送りした。
それでも国内は納得しなかった
ただし、日露戦争の話には続きがある。ポーツマス条約では、ロシアから賠償金を取ることができなかった。勝った勝ったと聞かされてきた国民は、これに激しく怒った。条約が結ばれた日、東京の日比谷で抗議の集会が暴動になり、政府は戒厳令を敷くことになる。日比谷焼打事件だ。
戦場の現実を知る政府と、勝利の報だけを聞いてきた国民。この二つのずれは、2期7話の帝都の空気によく似ている。前線から帝都に戻ったターニャは、後方がなお勝利に執着している実態に衝撃を受ける。戦争をやめるには、敵だけでなく、自分の国の期待とも折り合いをつけなければならない。日本は、その痛みを引き受けて戦争を終わらせた。
そして皮肉なことに、日本は36年後の太平洋戦争で、今度は終わらせ方の見えない戦争に踏み出していく。その話は太平洋戦争で日本はなぜ負けたのかに書いた。
ドイツにも「勝ったところで止めた」名人がいた
帝国のモデルになったドイツにも、勝利の使い方を知っていた政治家がいる。プロイセンの宰相ビスマルクだ。
1866年、プロイセンはオーストリアと戦い、ケーニヒグレーツの戦いで大勝した。勢いに乗る国王や将軍たちは、そのままウィーンへ攻め上り、オーストリアから領土を奪おうとした。それを止めたのがビスマルクだった。オーストリアを深く傷つければ、いつか復讐の戦争が来る。そう考えたビスマルクは、領土をほとんど取らない穏やかな講和で戦争を終わらせた。実際にオーストリアは、のちにドイツの同盟国になっていく。
一方で、1871年にフランスを破ったときのドイツは、アルザス=ロレーヌを奪い取った。フランスはこれを忘れず、取り戻すことが国の悲願になる。その恨みは、43年後の第一次大戦へとつながっていった。勝ったときに取りすぎると、次の戦争の種をまく。作者がヴェルサイユ条約を「停戦に過ぎなかった」と書いたのも、同じことの裏返しだ。
ここまでの例を並べると、こうなる。
| 勝ったあと | 例 | その後 |
|---|---|---|
| 止めた | 1866年のプロイセン(ビスマルク) | オーストリアはのちに同盟国に |
| 止めた | 1905年の日本(ポーツマス条約) | 国内で暴動。それでも戦争は終わった |
| 取りすぎた | 1871年のドイツ(アルザス=ロレーヌ) | フランスの復讐心が第一次大戦へ |
| 止められなかった | ハンニバル、ナポレオン、二つの大戦のドイツ | 戦場で勝ち続け、戦争に負けた |

2期までの帝国は、この表のどこに入るのか。少なくとも、勝ったところで止める道は、講和の先送りとともに遠のいていった。
なぜ帝国は終われないのか
ここまでの比べ方から、帝国が終われない理由を四つにまとめてみる。

一つめは、戦争の目的があいまいなことだ。帝国は、攻め込まれた側として戦争を始めた。守ることが目的だったはずが、勝ち続けるうちに、何を手に入れれば終わりなのかが見えなくなっていく。公式のイントロダクションの「圧倒的勝利」を誰も説明できないのは、そのためだ。
二つめは、勝つたびに求めるものが大きくなることだ。ここまで血を流したのだから、それに見合うものを取らなければならない。そう考え始めると、講和の条件はどんどん厳しくなり、相手は受け入れられなくなる。2期の帝国が講和の機運の中で攻勢を重ねるのは、この心理の表れに見える。
三つめは、相手も終われないことだ。勢力の均衡を守ろうとする国々にとって、帝国が勝ったまま戦争が終わるのは最悪の結末だ。だから、負けても負けても戦い続ける。カンナエのあとのローマと同じだ。
四つめは、国力だ。戦場での勝ちを積み重ねても、人と物は確実に減っていく。四方を敵に囲まれた帝国は、敵の連合より先に息切れする。資源を求めた大攻勢は、その焦りの表れだった。
作者の言葉と、合理主義者ターニャ
作者のカルロ・ゼンは、歴史ゲームの実況動画で知られる人との対談記事の中で、「戦争の終わらせ方、とても大事。」というコメントを寄せている。同じ記事では、第一次大戦を終わらせたヴェルサイユ条約について、「不幸にも、ベルサイユは停戦に過ぎなかったんだな……。」という言葉も添えている。戦争を終わらせたつもりの条約が、次の大戦の種になった。終わらせ方を誤ると、戦争は終わらない。
幼女戦記の面白さは、ここに合理主義者のターニャを置いたことだと思う。ターニャは、損得で物事を考え、無駄を嫌う。戦場では、その合理性が勝利を生む。しかも、ターニャは戦略が見えていないわけではない。1期4話で軍大学に通うターニャは、この戦争が世界を巻き込む大戦争になると見通していた。つまり、帝国の中には、先を読める人間がちゃんといる。問題は、その声が国の進む方向を決める場所まで届かないことだ。ゼートゥーアがアンドロメダ計画に反対して東部へ追いやられたのも、同じ構図に見える。
そして、国全体が「もっと勝てば報われる」と思い込んでいるとき、一人の合理主義者が戦場で正しく戦っても、国の進む方向は変えられない。ターニャがどれほど優秀でも、帝国の苦しさが消えないのは、そのためだ。
百戦百勝は、善の善なる者にあらず
古代中国の兵法書『孫子』に、こんな一節がある。
「百戦百勝は、善の善なる者に非ざるなり。戦わずして人の兵を屈するは、善の善なる者なり。」
百回戦って百回勝つのは、最善ではない。戦わずに相手を屈服させるのが最善だ、という意味だ。勝つことは大事だが、勝つことそのものが目的になったとき、戦争はどこまでも続いていく。
幼女戦記の帝国は、百戦百勝に近い国だ。だからこそ、その苦しさは、戦うことの意味をもう一度考えさせてくれる。私がこのコラムを特集の看板にしたかったのは、そのためだ。
幼女戦記をもう一度見る・考えるなら
2期はABEMAとdアニメストアが最速の配信先で、11月5日からはNetflixでの配信も始まる。配信の状況は時期によって変わるので、見る前に各サービスで確かめてほしい。戦術・作戦・戦略の段階を意識して見直すと、ターニャと参謀本部と帝都の三つの場面が、同じ戦争の別々の顔だと分かってくる。
このコラムで引いた『孫子』は、短い文章の中に、戦争を始める前に考えるべきことが詰まっている。
戦場の勝利と戦争の勝利のずれを、日本軍の失敗から学ぶなら、『失敗の本質』がいちばんの古典だ。
よくある質問
幼女戦記の帝国はなぜ勝っても苦しいの?
戦場(戦術・作戦)では勝ち続けているのに、戦争をどう終わらせるかという戦略の段階で答えがないからだ。勝つたびに周りの国が手を組み、求める条件も大きくなり、講和が遠のいていく。
帝国が戦争に勝つことはできなかったの?
この記事では物語の結末には触れない。ただ史実では、戦場で勝ち続けたハンニバルやナポレオン、二つの大戦のドイツが、最後には戦争に負けている。反対に日露戦争の日本は、勝ったところで外国の仲介を受け入れて戦争を終わらせた。
戦術・作戦・戦略の違いは?
戦術は目の前の戦闘にどう勝つか、作戦はいくつもの戦闘を組み合わせて戦線を動かすこと、戦略は何のために戦いどこで終わらせるかを決めることだ。
なぜ帝国の敵はどんどん増えるの?
飛び抜けて強い国が現れると、周りの国はその国が全部を飲み込む前に手を組んで止めようとするからだ。国際政治で「勢力の均衡」と呼ばれる動きで、ナポレオンのフランスや第一次大戦のドイツも同じ立場にあった。
まとめ|勝つことと、終わらせることは別の技術
幼女戦記の帝国は、戦場では勝ち続けている。それでも苦しいのは、戦場の勝利と戦争の勝利が別物だからだ。戦争の目的があいまいなまま、勝つたびに求めるものが大きくなり、周りの国は手を組み、国力は削られていく。
史実のハンニバルとナポレオンは、勝ち続けて負けた。日露戦争の日本は、勝ったところで終わらせ、国内の怒りという代償を払った。勝つことと、終わらせることは、まったく別の技術なのだ。
ターニャがどれほど戦場で勝っても、帝国の苦しさは消えない。そこに、この作品が描こうとしている戦争の本当の怖さがある。
この特集のほかの記事は、入口の『幼女戦記の国とモデル一覧』からたどれる。
最後まで読んでくれてありがとう。長い記事を書くときのお供は、だいたいこれだ。







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