SASとは|世界の特殊部隊の原型となった英軍部隊の選抜・任務・装備

ウェールズの稜線を進む匿名の特殊部隊員と砂漠車両を組み合わせたSASの歴史ビジュアル

英陸軍のSAS(Special Air Service、特殊空挺部隊)は、世界中の特殊部隊が「あの部隊をモデルにした」と語る原型である。米陸軍のデルタフォースも、ドイツのGSG 9も、オーストラリアやニュージーランドのSASも、そして日本の陸上自衛隊・特殊作戦群も、組織設計のどこかにSASの影がある。

一方で、SASほど誤解されている部隊も少ない。映画や小説では「無敵の殺し屋集団」として描かれ、他方で2023年から続くアフガニスタン不法殺害調査では「統制を失った部隊」として報じられている。私はどちらの極端も取らない。1941年の砂漠で何が生まれ、それがなぜ80年以上も他国に模倣され続けたのか、選抜は何を測っているのか、どんな銃を持っているのか、そして日本の特殊作戦群にとって何が参考になるのかを、公開情報の範囲で整理する。

なお、特殊部隊同士の比較や順位付けはこの記事では扱わない。世界の部隊を横断して見たい場合は世界の特殊部隊10選世界の特殊部隊一覧へ、Tier 1という区分の意味はTier 1特殊部隊とはへ進んでほしい。この記事はSASという一つの連隊だけを掘る。

この記事で分かること
目次

SASとは何か|30秒でわかる定義

SASの基本

SASは英陸軍に属する特殊部隊で、正規部隊である第22SAS連隊(22 SAS)と、予備役の第21SAS連隊(通称アーティスツ)・第23SAS連隊で構成される。3個連隊はいずれも統合特殊部隊指令部(UKSF)の隷下にある。本部はヘレフォード近郊のクレデンヒル。モットーは「Who Dares Wins(挑む者が勝つ)」。

任務は対テロ・人質救出、直接行動(襲撃・破壊)、特殊偵察、要人警護、海外の友好国部隊の訓練など幅広い。海軍側には姉妹部隊として特殊舟艇部隊(SBS)があり、1990年代末以降は選抜課程を共同で運営している。

英国政府は伝統的に「特殊部隊についてはコメントしない」という立場を取っており、定員や配置は公式には公表されていない。公開情報で広く言われている規模は、22 SASが4個のセイバー(実働)中隊、各中隊は約60名、中隊はさらに4個小隊(トループ)に分かれ、それぞれ空挺・舟艇・機動(車両)・山岳という浸透手段の専門を持つという構成である。数字はすべて非公式値として読んでほしい。

1941年、砂漠で生まれた「小部隊で航空機を焼く」思想

北アフリカの砂漠で長距離偵察車両のそばに立つ初期SASを表現した歴史ビジュアル
最初の空挺作戦に失敗した部隊は、LRDGの車両で敵後方へ入る方式に切り替えた。
創設期の転換点

SASの起源は1941年7月、北アフリカ戦線である。第8(近衛)コマンドの中尉だったデイヴィッド・スターリングが、「落下傘降下した少人数の分遣隊が敵後方に潜入し、飛行場の航空機と補給線を破壊する」という構想を上申した。当時の英軍は大規模なコマンド襲撃で損害を重ねており、スターリングの案は「人数を減らして効果を上げる」という逆転の発想だった。

最初の実戦である1941年11月の落下傘降下は、砂嵐のなかで散り散りになり大失敗に終わった。ここで部隊が解散していれば、SASという名前は戦史の脚注で終わっていただろう。生き残ったスターリングは航空機による潜入を捨て、砂漠の長距離偵察部隊(LRDG)のトラックで飛行場近くまで運んでもらう方式に切り替える。同年12月、リビアの3つの飛行場を襲撃し、損害ゼロで約60機を破壊した。ここで「航空機で運ぶ」という部隊名の由来と、「小部隊による後方破壊」という本質が分離し、後者だけが受け継がれていく。

大戦末期にはSAS旅団として英軍2個連隊、フランス2個連隊、ベルギー1個連隊を擁するまで成長し、フランス、イタリア、低地諸国、ドイツ本土で作戦した。公開されている集計では、1945年5月の終戦までにSASの損害は330名、与えた損害は敵の死傷7,733名・捕虜23,000名とされる。この数字が正しいかどうかは検証しようがないが、「少人数で敵に不釣り合いな損害を与える」という自己認識が、この部隊の設計思想の核であることは間違いない。

なお、部隊章の「翼のある短剣」は、実は当初エクスカリバーの炎の剣として考案されたもので、後に短剣と誤解されて定着した。

帝国陸軍の挺進部隊と義烈空挺隊はなぜSASにならなかったのか

私はこの部隊の誕生を読むたびに、同じ時期の日本軍を思い出す。帝国陸軍は1942年2月、パレンバンの製油所と飛行場に挺進連隊を降下させて成功を収めた。1945年5月には義烈空挺隊が沖縄の読谷飛行場に強行着陸し、米軍機を破壊している。「飛行場の航空機を少人数で焼く」という発想そのものは、日本軍にもあった。

決定的に違ったのは、作戦後の扱いである。スターリングの部隊は最初の失敗から学んで手段を変え、専属の選抜と訓練を持つ常設の連隊に成長した。帝国陸軍の空挺部隊は華々しい一撃の後に通常の歩兵として消耗され、義烈空挺隊は最初から帰還を想定しない編成だった。特殊部隊の本質は「一回の奇襲」ではなく「奇襲を再現できる組織」にある。この差が、戦後80年たっても英国だけが「原型」と呼ばれる理由だ。

戦後の解散から再建、そして「対テロ部隊」への転身

密林の小道を進む匿名の4人特殊部隊パトロール
戦後のSASはマラヤの密林戦を経て再建され、環境と任務に合わせて組織を変化させた。
任務を更新した3段階

SASは1945年10月にいったん解散される。しかし1947年に予備役の第21SAS連隊がアーティスツ・ライフルズを母体に再建され、マラヤ危機(共産ゲリラとの密林戦)で編成されたマラヤン・スカウツが1952年に正規の第22SAS連隊となった。その後ボルネオ、アデン、オマーンと、英国の帝国撤退にともなう小規模紛争を密林と砂漠で戦い続ける。

1972年のオマーン・ミルバトの戦いでは、9名のSAS隊員が現地部隊とともに約250名のゲリラの攻撃を撃退したとされ、部隊の伝説の一つになっている。

転機は1970年代の国際テロの時代だった。1972年のミュンヘン五輪事件を受けて西ドイツがGSG 9を創設したように、英国はSAS内に対テロ専門の反革命戦(CRW)部隊を置き、屋内近接戦闘(CQB)の訓練施設「キリングハウス」を整備した。ここでSASは「密林の偵察部隊」から「都市の人質救出部隊」へと第二の顔を獲得する。

現在のSASの組織|UKSFのなかでの位置づけ

地図・通信・医療装備を囲んで計画を確認する匿名の4人パトロール
4人パトロールが異なる技能を持ち寄り、小さな単位で自己完結することがSAS型組織の特徴である。
公開情報で見る組織構造

公開情報から読み取れる現在の構造を整理しておく。すべて非公式値である。

部隊性格備考
第22SAS連隊正規部隊A・B・D・Gの4個セイバー中隊。各中隊約60名、4個トループ構成
第21SAS連隊予備役1947年再建時の母体。通称アーティスツ
第23SAS連隊予備役21と併せて予備役SASを構成
Lディタッチメント予備役22 SASの退役者と志願者からなる小規模な予備要員

各セイバー中隊の4個トループはそれぞれ空挺(高高度降下を含む)、舟艇、機動(車両・砂漠)、山岳(寒冷地・登攀)の浸透手段を専門とし、隊員は所属トループの技能に加えて医療・通信・爆破・語学のいずれかの個人技能を持つとされる。4人パトロールの各員が別の個人技能を持つことで、小さな単位が自己完結する。この「4人×4技能」という設計は、デルタフォースから特殊作戦群まで多くの部隊に受け継がれている。

UKSF全体では、SASとSBSのほかに特殊偵察連隊(SRR)、そして2006年に空挺連隊第1大隊を母体として新編された特殊部隊支援群(SFSG)がある。SFSGはSASの襲撃に随伴して外周封鎖や火力支援を担う部隊で、米陸軍レンジャーがデルタを支援する関係に近い。SASが「少人数の精鋭」で居続けられるのは、周囲を固める部隊が別に存在するからでもある。

1980年イラン大使館占拠事件|17分間で世界が知った部隊

1980年のロンドンで建物外壁を降下する対テロ要員と報道陣を表現した歴史ビジュアル
イラン大使館占拠事件の生中継は、SASの対テロ部隊としての姿を世界へ広めた。
ニムロッド作戦が残したもの

1980年4月30日、ロンドンのイラン大使館が6名の武装グループに占拠された。籠城は6日間に及び、5月5日に人質1名が殺害されて遺体が外に出されたことで、政府は軍による強行突入を決断する。作戦名はニムロッド。

SASの突入隊は建物正面のバルコニーから、そして屋上から懸垂降下で同時に突入した。閃光音響手榴弾を使い、H&K MP5サブマシンガンとブローニング・ハイパワー拳銃で犯人を制圧する。作戦は約17分で終了し、犯人6名のうち5名が射殺、1名が逮捕された。人質は19名が救出されたが、突入中に1名が犯人に殺害されている。

この突入は生中継されていた。黒い戦闘服とガスマスクの隊員がバルコニーで爆薬を仕掛ける映像は、世界中の対テロ部隊の「見た目」まで規定した。そして、この事件でMP5が「対テロ部隊の銃」として決定的な地位を得たことは、MP5の記事で書いたとおりだ。日本の警察SATがMP5を採用し、1980年代にGSG 9から訓練を受けた背景にも、この映像の影響がある。

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フォークランド、湾岸、そしてナイロビ|SASが戦った場所

1982年フォークランド紛争|ペブル島襲撃と最大の損失

1982年5月14日から15日にかけて、D中隊はペブル島のアルゼンチン軍前進飛行場を襲撃し、地上のプカラ攻撃機など11機を破壊した。1941年の砂漠で生まれた「飛行場の航空機を焼く」という原点が、41年後に南大西洋で再現された作戦である。

一方、同年5月19日には部隊移動中のシーキング・ヘリコプターが墜落し、SAS隊員を中心に22名が死亡した。SASが一度の事故で失った人員としては最大で、部隊の記憶に深く刻まれている。

1991年湾岸戦争|ブラヴォー・ツー・ゼロ

湾岸戦争でSASはイラク西部の砂漠に浸透し、イスラエルへ向けて発射されるスカッド・ミサイルの発射機を捜索・破壊する任務を負った。有名になったのは8名の偵察チーム「ブラヴォー・ツー・ゼロ」である。位置が露見して逃走に転じ、3名が死亡、4名が捕虜となり、1名だけが徒歩でシリア国境まで脱出した。生還者アンディ・マクナブとクリス・ライアンの手記は世界的なベストセラーになり、SASの知名度を一段と押し上げた。日本にとっての湾岸戦争は、「小切手外交」の教訓として記憶されている戦争だが、地上では英国の8名がこういう戦いをしていた。

2000年シエラレオネ、2019年ナイロビ

2000年9月、シエラレオネで武装勢力に拘束された英軍兵士を救出したバラス作戦では、SASと空挺連隊が共同で突入し、人質全員を救出した。

2019年1月には、ケニア・ナイロビのホテル複合施設がテロリストに襲撃された際、たまたま現地にいたSAS隊員クリスチャン・クレイグヘッドが、単独で建物に入り民間人を救出した。彼の武器がL119A2カービンであることが報道写真から判明し、SASの現用装備が公に知られるきっかけになった。後述する。

2023年〜2026年アフガニスタン調査|原型部隊の影の部分

評価と監督を分けて考える

ここは省けない。2023年3月、英国は判事チャールズ・ハドン=ケイヴを長とする「アフガニスタン関連独立調査」を立ち上げた。対象は2010年から2013年にかけて、英特殊部隊による夜間の拘束作戦で80名が死亡した事案である。発端はBBCパノラマの調査報道で、拘束した非武装のアフガン人を射殺し、武器を遺体のそばに置いて偽装した疑いが指摘された。

調査は現在も継続中である。2026年6月には調査委員長が、それまで「UKSF1」などの符号で呼ばれていた部隊を「SAS」「SBS」と実名で報じることを認める決定を下した。同年7月に公開された証言では、部隊内で飲酒が広がっていたことや、通常の軍規から切り離された文化があったことが述べられている。

私は、この調査を「SASは実は悪い部隊だった」という話に単純化する気はない。ただ、80年にわたって政府が「特殊部隊についてはコメントしない」と言い続け、外部の目が届かなかった組織で何が起きうるかという教訓としては、日本の特殊作戦群にとっても無縁ではない。強い部隊ほど、監督の仕組みが要る

SASの選抜|合格率10%未満、年2回、約6か月

雨のウェールズ山地を単独で進む重い背嚢の選抜候補者
山岳段階は、荷重行軍そのものだけでなく、孤立した状況で判断を続けられるかを測る。
選抜を読む際の注意

SASの選抜(UKSFセレクション)は、世界で最も過酷な軍事課程と呼ばれる。公開情報では合格率は10%未満、期間は約6か月、冬季と夏季の年2回、天候にかかわらず実施される。

応募できるのは既に英軍で勤務している正規兵または予備役で、正規兵の場合は選抜修了後に39か月以上の勤務期間が残っていることと、32歳を超えていないことが条件とされる。挑戦は最大2回まで。落ちれば原隊復帰である。

以下は公開情報で一貫して語られている構成で、詳細は年により変わる。

段階場所内容
山岳(ヒルズ)段階ウェールズ、ブレコン・ビーコンズとエラン渓谷約4週間。荷重を増やしながらの単独行軍と地図読み。最終週が「テストウィーク」
密林段階ブルネイ、ベリーズ、マレーシアなど4人パトロールで数週間。密林での生存・哨戒・戦闘
継続訓練英国内火器、爆破、車両、通信、医療、近接戦闘
逃走・回避と尋問英国内逃走・回避演習の後、長時間の戦術尋問への抵抗

「ファンダンス」と「エンデュランス」

ヒルズ段階の象徴がファンダンスである。ブレコン・ビーコンズ最高峰ペン・イ・ファン(標高886m)を約24kmの行程で2回越える。荷物は約40ポンド(約18kg)のバーゲン(背嚢)に小銃と水を加えた重量で、制限時間がある。これは選抜初期の「ふるい」であり、ここで多くの候補者が脱落する。

テストウィークの最終日が「エンデュランス」、通称「ロングドラッグ」だ。約64km(40マイル)を、55ポンド(約25kg)以上のバーゲンに水・食料・小銃を加えた荷重で、20時間以内に踏破する。前日の行軍からほとんど眠らずに深夜に出発する。指導教官(DS)は励まさない。候補者は自分で時間を管理し、自分で判断し、自分で歩く。

日本の陸上自衛隊レンジャー課程も過酷だが、思想が違う。レンジャーは班行動で「集団として折れない」ことを鍛える。SASの選抜は徹底して単独で、「誰にも見られていないときに自分で決められるか」を測る。4人パトロールで数週間敵地に潜む部隊が求める資質は、後者なのである。陸自レンジャーになるにはと読み比べると、両者の設計の違いがよくわかる。

選抜で人が死ぬという現実

この課程には死者が出る。2013年7月、猛暑のブレコン・ビーコンズで行われた行軍中に予備役の候補者3名が熱中症と多臓器不全で死亡した。2016年にも1名が死亡している。情報公開請求で明らかになった数字では、1984年以降、ブレコン・ビーコンズでの軍関係の死者は約20名にのぼり、その大半が特殊部隊選抜中とみられている。

英国では現在、退役SAS・SBS隊員が主催する市民向けの「ファンダンス・レース」まで開かれているが、本物の選抜は観光ではない。私は選抜の過酷さを賛美するだけの記事にはしたくない。ここで死んだ候補者たちがいることを踏まえたうえで、次の話に進む。

特殊作戦群志望者が今できること

日本の特殊作戦群の選抜内容は非公表だが、特殊作戦群の記事で整理したとおり、レンジャーまたは空挺の資格を持つ隊員から選抜されると言われている。つまり入口はレンジャー課程であり、その前提は自衛隊の体力検定で上位に入る体力である。

SASの選抜が教えるのは、荷重行軍という「地味で長い運動」を、誰にも見られずに継続できるかが最終的にすべてを決めるということだ。筋力より先に、脚と心肺と、それを支える栄養と睡眠の管理がある。入隊前や入隊直後の段階で体を作るなら、まずタンパク質と回復から整えるのが遠回りに見えて近道になる。

SASの装備|L119A2、グロック17、そして「見えない」銃

カービン・拳銃・無線・医療・防護装備を並べた特殊作戦装備の資料ビジュアル
SASの装備選定は国産品に限らず、任務適合性と同盟国との互換性を重視するとされる。
装備情報の読み方

英国政府が装備を公表しないため、SASの装備はほぼすべて報道写真、演習の目撃、メーカー側の公開情報から推定されている。以下は公開情報で比較的確度が高いものに絞る。

主力小銃:L119A1/L119A2(コルト・カナダC8系)

SASとSBSの標準小銃は、カナダのディーマコ社(現コルト・カナダ)製C8カービンを基にしたL119である。1990年代末から2000年代初頭にUKSFがM16やC7から更新した。5.56×45mm NATO弾、30連弾倉で、銃身長は15.7インチの標準型と10インチの近接戦闘型の2種類がある。

2013年7月、英国防省はコルト・カナダと280万ポンドの中期改修契約を結び、これがL119A2となった。最大の特徴はLMT社ライセンスの一体型(モノリシック)アッパーレシーバーで、レールとレシーバーが一体化しているため、レーザー照準器などをつけてもゼロインがずれにくい。ストックはマグプルCTR、トリガーはガイズリー製に更新され、A1の軍用標準トリガーから大幅に改善された。配備は2016年から2017年ごろとみられ、2019年のナイロビで初めて広く知られた。

英軍の一般部隊がL85A2というブルパップ小銃を使い続けるなか、特殊部隊だけがAR-15系のカービンを選んだ理由は明快で、光学機器や付属品の拡張性と、世界中の同盟国部隊との部品・弾倉の互換性である。世界の突撃銃の系譜のなかでこの選択がどこに位置するかは、世界最強の突撃銃ランキングで確かめてほしい。

L119A2そのものの日本製エアガンは流通が限られるが、同じAR-15系カービンの手触りを知るなら、東京マルイのSOPMOD M4が入門として堅い。

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拳銃:SIG P226からグロックへ

SASは長らくSIG P226(英軍名L105A1)を使ってきたが、英軍全体が2013年にグロック17をL131A1として採用したのに合わせて、UKSFもグロック系へ移行したと報じられている。特殊部隊ではより小型のグロック19の使用も目撃されており、「P226からグロックへ」という流れは米国のSEALsとも共通する。グロック17がなぜここまで各国の特殊部隊に浸透したかは、SASの選択を見ればわかる。軽く、単純で、どこでも弾倉が手に入るからだ。

サブマシンガン、狙撃銃、その他

対テロ任務ではニムロッド作戦以来のMP5が長く使われ、現在も屋内制圧では9mm弾の利点が残る。狙撃銃はアキュラシー・インターナショナル製の.338ラプア弾仕様L115A3が主力で、これはL96A1/AWMの記事で書いた系譜の現在形である。L119にはH&K製のAG-C擲弾発射器(L17A1)が装着され、近年は後継のL17A3に更新されつつある。

装備でわかるのは、SASが「英国製にこだわらない」部隊だということだ。小銃はカナダ、拳銃はオーストリア、サブマシンガンと擲弾発射器はドイツ、狙撃銃だけが英国製。任務に最適なものを、国産か否かを問わず選ぶ。この姿勢は、装備の国産化を重視する日本とはかなり違う。

特殊作戦群との比較|日本はSASの何を取り入れ、何を取り入れていないか

単純な強弱比較ができない理由

陸上自衛隊の特殊作戦群は2004年に新編され、米デルタフォースやSASを参考に設計されたとされる。防衛省は2025年10月、特殊作戦群と中央即応連隊を束ねる特殊作戦団を令和8年度に新編すると発表しており、日本の特殊作戦部隊は指揮系統の面で拡充期に入っている。

SASと比べたときの相違点を3つだけ挙げる。

第一に、法的枠組みである。SASは英国内の対テロ事案で警察から要請を受けて出動できるが、日本では国内の人質事件は警察のSATの領域で、特殊作戦群の出番は自衛隊法上の行動類型に縛られる。2013年のアルジェリア人質事件で日本人10名が犠牲になったとき、日本には現地で救出を試みる手段が制度上存在しなかった。

第二に、装備の調達思想である。SASは前述のとおり国籍を問わず選ぶが、特殊作戦群の主力小銃は国産の20式5.56mm小銃であり、製造は豊和工業が担う。日本の場合、特殊部隊の装備選定は国内防衛産業の維持と切り離せない。

第三に、透明性である。SASは非公表を貫いた結果、外部調査で文化の問題が指摘されている。特殊作戦群も定員以外は非公表だが、防衛大臣会見で人員規模が語られ始めるなど、少しずつ公開の方向へ動いている。私は、この方向は正しいと考えている。

待遇面が気になる読者は、特殊作戦群の給料にまとめてある。

投資家の視点|SASの銃はどの会社が作り、どこに上場しているか

投資家として見ると、SASの装備は防衛産業の地図そのものである。

主力小銃L119を製造するコルト・カナダは、2021年以降チェコのコルトCZグループSE(Colt CZ Group SE)の傘下にある。同社はコルト、CZ、コルト・カナダ、セリエ・ベロ(弾薬)などを擁し、2020年からプラハ証券取引所に上場、2026年4月にはユーロネクスト・アムステルダムへの重複上場を完了した。従業員は4,500名超で、チェコ、米国、カナダ、スウェーデン、スイス、ハンガリーに生産拠点を持つ。ただし、プラハやアムステルダム上場銘柄を日本の主要ネット証券で直接売買できるかは証券会社ごとに確認が必要で、現時点では一般的な取扱対象ではない。

MP5とAG-C擲弾発射器を作るH&Kは、H&K AG(ユーロネクスト・パリ、ティッカーMLHK)として上場しており、これはG36の記事でも触れたとおり、外国の小火器メーカーのなかでは日本の証券会社から手が届く数少ない銘柄である。グロック社は非上場の同族企業で、投資対象にはならない。

日本株に目を戻すと、特殊作戦群の小銃を作る豊和工業(6455、東証スタンダード)が特殊部隊装備と直接つながる銘柄である。ただし同社の売上は工作機械や建材などが大半で、防衛部門の比率と収益性は個別に確認する必要がある。防衛関連銘柄の全体像は防衛株投資ガイド日本の防衛産業一覧、世界の主要企業は世界の防衛産業ランキングにまとめてある。

本記事は特定の銘柄の売買を推奨するものではなく、投資判断は自身の責任で行ってほしい。特殊部隊の装備が「どの会社の製品か」を知ることは、防衛産業を理解する入口になる。口座を持っていない人は、日本株と米国株、NISAを一つのアプリで扱える証券会社を一つ持っておくと、こうした記事を読んだときに企業情報をすぐ調べられる。

SASをもっと知るための本と映像

関連作品の読み分け

SASは元隊員の手記が異常に多い部隊である。「ブラヴォー・ツー・ゼロ」(アンディ・マクナブ)と「ザ・ワン・ザット・ゴット・アウェイ」(クリス・ライアン)は同じ作戦を別の生還者が書いたもので、内容に食い違いがあることまで含めて読む価値がある。創設期についてはベン・マッキンタイアーの「SAS ローグ・ヒーローズ」が一次資料に基づいており、BBCが同名でドラマ化した。1980年の大使館事件は英国で映画「6 Days」になっている。

長い手記は通勤中に耳で読むのが向いている。戦史本はオーディオブック化が進んでおり、SAS関連の英語原書も揃っている。

よくある質問

SASは何の略か

Special Air Serviceの略で、日本語では特殊空挺部隊と訳される。1941年の創設時に「落下傘で降下する小部隊」として構想されたことに由来する名前で、現在の任務は空挺に限らない。

SASとSBSの違いは何か

SASは陸軍、SBS(Special Boat Service)は海軍(王立海兵隊)に属する。両者は選抜課程を共同で運営し、任務も重なるが、SBSは海上・水中からの浸透を専門とする。どちらもUKSF隷下である。

SASの選抜は誰でも受けられるか

受けられない。英軍で既に勤務している正規兵または予備役が対象で、年齢や残余勤務期間の条件がある。民間から直接応募することはできない。

SASの合格率はどのくらいか

公開情報では10%未満とされる。年2回実施され、挑戦は最大2回までとされている。

オーストラリアやニュージーランドのSASは同じ部隊か

別の部隊である。豪州のSASR、NZのNZSASは英SASをモデルに各国が独自に創設した部隊で、部隊章とモットーを共有するが指揮系統は別である。

日本の特殊作戦群はSASと同じレベルか

比較できる公開情報がない。組織設計はデルタフォースやSASを参考にしたとされるが、実戦経験や法的な運用範囲が大きく異なるため、単純な強弱比較は意味を持たない。

まとめ|「奇襲を再現できる組織」こそSASの発明

SASを理解する要点

SASの発明は、砂漠で航空機を焼いたことそのものではない。失敗から手段を変え、選抜と訓練を制度化し、密林から都市の人質救出まで任務を更新し続ける「奇襲を再現できる組織」を作ったことにある。帝国陸軍の挺進連隊にも、義烈空挺隊にも、一撃の勇気はあった。組織として続かなかったことが、日本の特殊部隊史の空白である。

その原型は今、アフガニスタン調査という形で、外部の監督なしに強い組織が抱える危険も示している。日本の特殊作戦団がSASから学ぶべきは、選抜の過酷さや装備の選び方だけではなく、80年かけて英国が支払っている代償のほうかもしれない。

あわせて読みたい

出典・参考

  • UK Parliament, Hansard「Special Forces: Independent Oversight」(2020年9月21日)— 英政府の特殊部隊非コメント方針
  • Independent Inquiry relating to Afghanistan 公式サイト(iia.independent-inquiry.uk)— 調査の付託事項と公開証言(2023年〜)
  • AOAV「The SAS can now be named in a war crime inquiry」(2026年6月)— 実名報道解除の決定
  • Forgotten Weapons「L119A2: The New British SOF Rifle」(2022年1月)— L119A2の仕様
  • Elite UK Forces「SAS Weapons: C8 Carbine」— L119A1/A2の契約額と諸元
  • Colt CZ Group SE プレスリリース(2026年6月30日)— 上場状況・生産拠点
  • Daily Mirror(2021年1月27日、情報公開請求記事)— ブレコン・ビーコンズでの死者数
  • Wikipedia「History of the Special Air Service」「List of SAS operations」— 創設期の経緯と大戦の損害集計(二次資料として参照)
  • 防衛省「防衛大臣記者会見」(令和7年10月10日)— 特殊作戦団の新編
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