映画『オデュッセイア』と原作の違い|神を削って責任を残した18の変更点

映画『オデュッセイア』と原作の違いの特集表紙
映画『オデュッセイア』と原作の違いの特集表紙
古典の題材を描いた創作画(AI生成)。映画の場面写真や出土品の写真ではありません。

9月4日から始まったIMAX先行上映で、ノーランの『オデュッセイア』を観てきた。池袋のIMAXは初日と2日目が発売直後に完売し、私が取れたのは週末の朝の回だった。172分、休憩なし。席を立ったときに最初に浮かんだ感想は、「これは神話の映画ではなく、帰還兵の映画だ」というものだった。

9月7日に確認したBox Office Mojoの集計では、全世界興行収入は約15億6,400万ドル。批評家からも高い評価を得ている。ロッテン・トマトの批評家スコアは507本のレビューで93パーセント、観客スコアは97パーセント、メタクリティックは88点だった。数字だけ見れば文句のつけようがない。だが海外の観客はその裏でかなり熱心に喧嘩をしていて、私は観る前にその喧嘩をひと通り読んでから劇場に入った。神々を消したのは正解か。あの結末は裏切りか。キュクロプスの「誰でもない」はなぜ消えたのか。

この記事は特集の第7回で、原作からの変更点を表に起こし、一つずつ軍事ブログの視点で意見をつけていく。比較カードは本文中の表に対応している。前半は結末に触れない範囲で書き、後半は変更点を具体的に扱う。ネタバレを避けたい人は「ここから先は結末に触れる」の見出しで止めてほしい。

目次

まず海外の評価と、実際に観た印象

海外の批評家の評価はほぼ一致している。規模と統制、実写にこだわった画、マット・デイモンの演技、そして初のIMAXフィルム全編撮影による没入感。批評家が共通して指摘した弱点は一点だけで、寄港地を順に渡る原作の構造に由来する話の途切れ、つまりテンポだ。

観客の評価は批評家より割れている。批評家サイトの低評価レビューを読むと、不満は驚くほど一つの方向に集中している。神々が出てこない。アテナが主人公の罪悪感の装置に矮小化されている。神話を映画にしたのに、神話を削った。冒頭に「魔法があると思われていた時代」という趣旨の字幕が出た瞬間に裏切られたと書く観客もいる。ほかに、台詞が聞き取りにくい、キャストが多すぎる、鎧が安っぽいという、ノーラン作品の観客が毎回書いている苦情も並ぶ。

実際に観た私の印象を先に言っておく。テンポの指摘は当たっている。中盤、寄港地から寄港地へ移るたびに映画は一度止まり、また動き出す。ただし、それは原作の構造をそのまま引き受けた結果であって、監督の失敗というより選択だ。音響については、IMAXの音圧の中で台詞が沈む場面はあったが、日本語字幕があるぶん海外の観客ほど困らない。字幕監修に古代ギリシャ研究者が入っており、固有名詞の表記は原作の岩波文庫版と齟齬がなく安心して観られた。

そして神々の削除については、私は削った側を全面的に支持する。神が退場した『オデュッセイア』では、艦隊を失った責任も、帰還に10年かかった責任も、すべて指揮官オデュッセウス一人に帰る。軍事ブログとして、これほど読み甲斐のある改変はない。

変更点の全体像:何を残し、何を削り、何を足したか

ここから先は結末に触れる
項目原作(ホメロス)映画(ノーラン)種別
トロイア戦争と木馬回想として断片的に語られる回想場面として映像化。木馬作戦を主人公の「最初の過ち」として描く拡張
海の民言及なし「海の民」という襲撃者集団への言及が繰り返される追加
シノン『オデュッセイア』には登場しない求婚者アンティノオスの代わりにくじで出征した男として登場追加
キュクロプス酒で酔わせ、「誰でもない」と名乗り、羊の腹に隠れて脱出、名乗りでポセイドンの怒りを買う就寝中に襲撃、藁を背負って脱出。酒と「誰でもない」の策は削除変更
ヘレネとメネラオススパルタで平穏に暮らすメネラオスがヘレネの顔を傷つけている。ヘレネとクリュタイムネストラは双子(同一女優)変更
ヘルメスと魔法の草キルケー対策としてヘルメスが草を授けるヘルメス削除。キルケーの姉妹(鴉に変えられている)を脅して脱出削除・追加
キルケーの島の滞在1年間滞在早々に脱出短縮
冥府母、アキレウス、アガメムノン、テイレシアスら多数の霊アガメムノンとテイレシアスのみ。母とアキレウス削除。カッサンドラ削除削減
アイオロスの風の袋部下が開けて逆戻り削除削除
パイアケス人の国回想の語り手としての舞台削除削除
ネストル訪問テレマコスがピュロスでネストルを訪ねる削除。テレマコスが訪ねるのはメネラオスのみ削除
父子の再会イタケの豚飼いエウマイオスの小屋ピュロスのアテナ神殿で父が息子と合流し、暗殺計画を阻止変更
アテナ女神として父子を積極的に助けるトロイア陥落時に殺された少女の姿で現れる。女神か罪悪感の幻かは意図的に曖昧変更
カリュプソーゼウスの命令をヘルメスが伝えて解放自らの意志で島を出る変更
寝台の試験ペネロペがオリーブの木の寝台で夫を確かめる削除。代わりに出征前に贈ったアテナの金の留め具が証拠になる変更
下女12人の処刑テレマコスが絞首刑にする削除削除
父ラエルテスとの再会第24歌で描かれる削除削除
結末求婚者の遺族が報復に来てアテナが仲裁オデュッセウスとペネロペが追放されて共に出航、テレマコスが王になる変更
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映画と原作、18項目を見比べる

結末に触れる項目を含みます。未鑑賞の方はご注意ください。

結末を含む比較カードを開く(18項目)
01 トロイア戦争と木馬拡張
原作(ホメロス)

回想として断片的に語られる

映画(ノーラン)

回想場面として映像化。木馬作戦を主人公の「最初の過ち」として描く

02 海の民追加
原作(ホメロス)

言及なし

映画(ノーラン)

「海の民」という襲撃者集団への言及が繰り返される

03 シノン追加
原作(ホメロス)

『オデュッセイア』には登場しない

映画(ノーラン)

求婚者アンティノオスの代わりにくじで出征した男として登場

04 キュクロプス変更
原作(ホメロス)

酒で酔わせ、「誰でもない」と名乗り、羊の腹に隠れて脱出、名乗りでポセイドンの怒りを買う

映画(ノーラン)

就寝中に襲撃、藁を背負って脱出。酒と「誰でもない」の策は削除

05 ヘレネとメネラオス変更
原作(ホメロス)

スパルタで平穏に暮らす

映画(ノーラン)

メネラオスがヘレネの顔を傷つけている。ヘレネとクリュタイムネストラは双子(同一女優)

06 ヘルメスと魔法の草削除・追加
原作(ホメロス)

キルケー対策としてヘルメスが草を授ける

映画(ノーラン)

ヘルメス削除。キルケーの姉妹(鴉に変えられている)を脅して脱出

07 キルケーの島の滞在短縮
原作(ホメロス)

1年間滞在

映画(ノーラン)

早々に脱出

08 冥府削減
原作(ホメロス)

母、アキレウス、アガメムノン、テイレシアスら多数の霊

映画(ノーラン)

アガメムノンとテイレシアスのみ。母とアキレウス削除。カッサンドラ削除

09 アイオロスの風の袋削除
原作(ホメロス)

部下が開けて逆戻り

映画(ノーラン)

削除

10 パイアケス人の国削除
原作(ホメロス)

回想の語り手としての舞台

映画(ノーラン)

削除

11 ネストル訪問削除
原作(ホメロス)

テレマコスがピュロスでネストルを訪ねる

映画(ノーラン)

削除。テレマコスが訪ねるのはメネラオスのみ

12 父子の再会変更
原作(ホメロス)

イタケの豚飼いエウマイオスの小屋

映画(ノーラン)

ピュロスのアテナ神殿で父が息子と合流し、暗殺計画を阻止

13 アテナ変更
原作(ホメロス)

女神として父子を積極的に助ける

映画(ノーラン)

トロイア陥落時に殺された少女の姿で現れる。女神か罪悪感の幻かは意図的に曖昧

14 カリュプソー変更
原作(ホメロス)

ゼウスの命令をヘルメスが伝えて解放

映画(ノーラン)

自らの意志で島を出る

15 寝台の試験変更
原作(ホメロス)

ペネロペがオリーブの木の寝台で夫を確かめる

映画(ノーラン)

削除。代わりに出征前に贈ったアテナの金の留め具が証拠になる

16 下女12人の処刑削除
原作(ホメロス)

テレマコスが絞首刑にする

映画(ノーラン)

削除

17 父ラエルテスとの再会削除
原作(ホメロス)

第24歌で描かれる

映画(ノーラン)

削除

18 結末変更
原作(ホメロス)

求婚者の遺族が報復に来てアテナが仲裁

映画(ノーラン)

オデュッセウスとペネロペが追放されて共に出航、テレマコスが王になる

各項目は本文の比較表に対応しています。選んだ項目だけを開いて比較できます。

一覧にすると、削除の多くが「神々の介入」と「終盤の後始末」に集中し、追加の多くが「戦争の記憶」と「乗員との関係」に向いていることがわかる。監督はインタビューで、原作では流されがちな乗員が一人ずつ死んでいく過程を中心に据えたと語っており、木馬を主人公の最初の過ちとして描いたとも述べている。実際に観ると、改変の方向はその言葉の通りに一貫している。

変更点をどう見るか:軍事ブログの立場から

原作のキュクロプス脱出
映画との比較に使う原作側の出来事。映画の場面を再現した図ではない。

図の根拠:図版の参考資料/図版:軍研ノート編集部

木馬を「最初の過ち」にしたことについて

木馬を語るのは、どの作品か
『イリアス』本編に木馬による陥落は描かれず、他の古典に木馬伝承が残る。

図の根拠:図版の参考資料/図版:軍研ノート編集部

特集の第4回で、私は木馬を青銅器時代最大の欺瞞作戦の傑作と書いた。映画はそれを主人公の最初の過ちとして描く。矛盾するようだが、この二つは両立する。作戦としての成功と、その夜に城内で起きたことへの罪責は、同じ一夜に同時に生まれる。トロイア陥落の回想で主人公の部下たちが少女を殺し、以後その少女の姿でアテナが現れ続ける。作戦の成功が指揮官に何を残すかを、神話の衣を借りて描いた設定だ。

守護神を罪悪感の化身に置き換えたこの改変を、海外の観客の一部は神話の破壊だと怒っている。私はむしろ逆で、これこそが原作の核心を軍事的に翻訳した結果だと思う。原作でオデュッセウスを助け続けるアテナは知恵の女神だが、帰還兵にとっての知恵とは、戦場で自分が何をしたかを忘れないことだからだ。ゼンデイヤの少女が画面の隅に立っているたびに、観客は木馬の夜を思い出させられる。神ではなく記憶が主人公を導く映画になっている。

海の民を出したことについて

映画には「海の民」という襲撃者集団への言及が繰り返し出てくる。これはホメロスにはない、考古学から持ち込まれた要素だ。紀元前12世紀前後に地中海東部を荒らし、青銅器時代の崩壊に関与したとされる集団の総称で、その正体をめぐっては、崩壊したミケーネ文明のギリシャ人自身が含まれていたという説もある。

つまり監督は、特集の第3回で述べた「トロイア戦争は勝者のいない戦争だった」という見方を、そのまま映画の骨格に採用している。終盤、ペネロペが帰還した夫に向かって、あなたたちこそ海から来た略奪者だという趣旨のことを言う。劇場でこの台詞を聞いたとき、私は思わず座り直した。青銅器時代の崩壊についての現代の学説を、一行の台詞に圧縮している。神話を削った監督が、代わりに考古学を入れた。この交換には賛成だ。

「誰でもない」を削ったことについて

ここだけは、私は原作の側に立つ。原作のキュクロプスの洞窟で、オデュッセウスは「誰でもない」と名乗って巨人を酔わせ、目を潰し、羊の腹にしがみついて脱出し、そして沖に出てから自分の本名を叫んでしまう。この一連の場面は、欺瞞、情報の秘匿、脱出、そして秘匿違反という、特殊作戦の教科書のような構造を持っている。名乗りの一言でポセイドンの怒りを買い、残り9年の遅延を生む。指揮官の自己顕示欲が部隊を滅ぼす教訓が、この場面には凝縮されていた。

映画のキュクロプスは、IMAXのスクリーンで観ると本当に恐ろしい。洞窟の暗さと巨人の質感は、この映画で最も原始的な恐怖を与える場面だ。だが、巨人が眠っているあいだに襲撃し、藁を背負って羊に紛れて脱出するという運びは、合理的である代わりに、策を練る過程と名乗りの失態を消してしまった。乗員を一人ずつ失う指揮官を描くと決めた監督が、指揮官の最大の失態を削ったのは惜しい。恐怖は増えたが、教訓は減った。

風の袋とキルケーの1年を削ったことについて

同じ理由で、アイオロスの風の袋の削除も惜しい。イタケが見える海で、指揮官が眠っている隙に部下が袋を開けて全艦隊が吹き戻される場面は、艦隊の規律崩壊を示す最も鮮やかなエピソードだった。キルケーの島での1年間の滞在も、艦隊を失った直後の休養と再編と読めば軍事的に意味のある時間だった。映画は乗員との関係を中心に据えたのに、規律崩壊と休養という二つの重要な場面を落としている。

ただし、映画は乗員の不満を別の形で描いている。寄港地を渡るたびに、乗員が指揮官を見る目が変わっていく。原作が「神の罰」で片付けた乗員の死を、指揮官の判断ミスの連鎖として再構成したのなら、風の袋の削除はその構成の代償だと理解できる。上映時間172分の制約もある。それでも、寄港地を減らすなら、ここは残してほしかった。

シノンとアンティノオスをくじで結んだことについて

これは映画独自の発明で、変更点の中で最も感心した改変だ。原作で木馬作戦の偽亡命者を務めるシノンと、ペネロペに群がる求婚者の首領アンティノオスは、まったく別の物語の人物である。映画は、出征のくじを引いたアンティノオスが、シノンに自分の代わりを押しつけたという設定で二人を結んだ。

戦争に行った男と、行かずに残って王の妻に手を出す男。この対比は帰還兵の物語の中心にあるものだ。日本でも明治6年の徴兵令には代人料という制度があり、金を払えば他人を身代わりに立てられた。戦争に行く者と行かない者の分断は、青銅器時代にも明治にもあった。監督がこの分断を求婚者殺しの動機に接続したことで、あの虐殺は帰還兵の暴力であると同時に、戦争に行った者の側からの復讐にもなっている。ロバート・パティンソンのアンティノオスが、出征しなかった男の余裕と後ろめたさを同時に演じているのは見事だった。ホメロスにはない層が一枚加わっている。

神々を消したことについて

ゼウス、ポセイドン、ヘルメス、ヘリオスは台詞の中で言及されるだけで、画面には現れない。アテナだけが例外で、それも女神か幻かを判断させない。海外の観客の不満が最も集中しているのがこの点だ。

神々の描き方について

海外の低評価レビューが、神々の削除と主人公の罪悪感の強調を同じ理由で批判しているのは象徴的だ。神を消すことと、罪を残すことは、同じ改変の表と裏なのである。

結末を変えたことについて

帰還した男を、何で確かめるか
原作の傷跡と寝台の試験。映画の比較表を読むための原作側の整理。

図の根拠:図版の参考資料/図版:軍研ノート編集部

原作の結末は、求婚者を皆殺しにした後、テレマコスが求婚者に通じた下女12人を絞首刑にし、遺族が報復に押し寄せ、アテナが仲裁して終わる。映画はこれをすべて削り、オデュッセウスとペネロペが追放されて共に出航し、テレマコスがイタケの王になる形で幕を下ろす。監督は原作の結末が陰惨で女性蔑視的であるとして一部を除外したと語っている。

この改変を裏切りと見る海外の声もあるが、ホメロス的な根拠はある。原作第11歌で、予言者テイレシアスはオデュッセウスに、帰還後に櫂を担いで内陸へ旅せよと告げている。帰っても終わらない、もう一度出なければならないという予言は、原作自身が用意していたものだ。映画は冥府の霊たちが遠い地で自分たちを弔うよう頼むという設定でこれを引き取り、追放という形で実現させた。また第24歌については、古代から後代の付け足しではないかという説があり、第23歌の再会で終える読み方には学問的な先例がある。監督が切ったのは、切られても不思議のない箇所だった。

ただし寝台の試験の削除だけは惜しい。オリーブの木から削り出した動かせない寝台で妻が夫を確かめる場面は、ホメロスの全作品で最も美しい場面の一つだ。代わりに置かれた金の留め具は、機能としては同じでも、あの寝台が持っていた「家そのものに根を張っている」という意味までは運べない。アン・ハサウェイのペネロペは留め具を見た瞬間の表情だけで20年を語っていたので、演技として不足はない。不足しているのは、寝台が象徴していた家の重さだ。

装備と画づくりについて

最後に、軍事ブログとして装備の話をしておく。海外の一部レビューが鎧の質感を批判しているが、実際に観た印象では、そこまで否定的に見る必要はない。画面全体の色は徹底して抑えられ、鎧は使い込まれた革と金属で、光沢のあるハリウッド古代風からは意識的に距離を取っている。装備で時代を特定させない方向に振った作りだ。

ただし、時代考証マニアが期待するミケーネの装備、つまり猪の牙を縫い付けた兜や8の字型の大盾が行列をなす映画ではない。監督が選んだのは考証の正確さではなく、汚れと重さのリアリティである。トロイア陥落の回想で兵士たちが身につけているものは、青銅器時代の遺物というより、長い戦争の末に何でも使った男たちの寄せ集めに見える。私はそれで構わないと思う。ミケーネの出土品がどんなものだったかは、特集の第8回で整理する。

総合評価:観た後の判定

帰還譚を、指揮の場面から読む
原作の三場面を並べた整理図。軍事的な評価は本文の筆者による解釈。

図の根拠:図版の参考資料/図版:軍研ノート編集部

海外の評価を読み、実際にIMAXで観た上での判定はこうだ。

筆者の評価

神話に価値を置く人には、原作の第9歌から第12歌を先に読んでから観ることを薦める。削られたものが何かを知った上で観れば、監督が何を選んだかがよく見える。戦争の映画として観る人には、先に何も読まずに劇場へ行き、その後で原作の結末を読むことを薦める。順番を逆にすると、この映画が原作から何を引き受けたかがわかる。

上映形式について一つだけ。全編IMAXフィルムで撮られた作品なので、選べるならIMAXで観てほしい。キュクロプスの洞窟と、海の嵐と、求婚者殺しの広間は、画面の大きさがそのまま恐怖と閉塞感になる。

同じ方法論で映画と史実を照らした記事は以下にある。

劇場で観た後、監督の過去作を見返すなら配信のラインナップを確認しておくといい。『ダンケルク』は「帰ること」を、『オッペンハイマー』は「成功の罪」を扱った作品で、本作はその二本を一つに束ねたものだと海外の批評は読んでいる。観終えた今、その読みは正しいと思う。

削られた場面を確かめるには、原作を読むしかない。岩波文庫の松平千秋訳で第9歌から第12歌と、第19歌から第23歌を読めば、映画が何を切ったかは一通り追える。耳から入るなら朗読もある。

よくある質問

映画『オデュッセイア』は原作に忠実か

構造と主要な出来事は原作に沿っているが、神々の登場をほぼ削り、キュクロプスの策略、風の袋、寝台の試験、下女の処刑、父との再会などを変更または削除している。追加要素として海の民への言及、シノンとアンティノオスの関係、罪悪感の幻としてのアテナがある。

映画の結末は原作と違うのか

違う。原作は求婚者の遺族との衝突を女神が仲裁して終わるが、映画はオデュッセウスとペネロペが追放されて共に出航し、テレマコスが王になる形で終わる。監督は原作の結末の陰惨さを理由に一部を除外したと語っている。

神々は登場するのか

ゼウスやポセイドンは言及されるだけで画面には現れない。アテナのみが、トロイア陥落時に殺された少女の姿で登場し、女神なのか主人公の罪悪感の幻なのかは意図的に曖昧にされている。

観る前に原作を読むべきか

必須ではない。神話を重視する人は第9歌から第12歌を先に読むと削られた部分がわかる。戦争の映画として観たい人は先に観て、後で原作の結末を読むと改変の意図がわかる。

まとめ:神を削って、責任を残した

海外の評価は、批評家の絶賛と観客の分断という形で落ち着いている。分断の軸は一つで、神話を削ったことをどう受け止めるかだ。

私は削った側を支持する。神が退場した海で、艦隊を失った責任は指揮官に戻り、木馬の夜の記憶は殺された少女の姿で帰還兵につきまとう。原作の欺瞞と規律の教訓が減った点は惜しいが、代わりに入った海の民と追放の結末には、考古学とホメロス自身の予言という根拠がある。9月11日の全国公開を待つ人は、比較カードを頭に入れて劇場に行き、削られたものと残されたものを自分の目で確かめてほしい。

特集の他の回もあわせてどうぞ。

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この記事を書いた人

軍研ノート編集部のアバター 軍研ノート編集部 自衛隊・兵器 / 戦史 / サバゲー

自衛隊で6年間勤務した編集長を中心に、自衛隊時代の仲間やサバゲーを通じた知人と記事を制作。経験と公開資料をもとに、装備の仕組みや歴史、その背景にある人々の工夫を掘り下げています。「かっこいい」から、その先の理解へ。編集長のプロフィール → 運営・編集方針

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