
ホメロスは地図を描かなかった。だからこそ、オデュッセウスがどこを旅したのかという問いは2000年以上にわたって人類を悩ませ続けている。古代の地理学者エラトステネスは、オデュッセウスの航路を突き止めたければ、まず風を詰めた革袋を縫った靴屋を探し出すことだと皮肉った。神話の地理を実在の海に当てはめる試みは、紀元前3世紀の時点ですでに「無駄な遊び」扱いされていたわけだ。
それでも人は地図を描きたがる。9月11日に日本公開されるノーラン版『オデュッセイア』の主要ロケ地がシチリア周辺に選ばれたのも、2000年来の「比定合戦」の延長線上にある。この記事では、原作の第9歌から第12歌でオデュッセウス自身が語る回想の順番に沿って、寄港地を一つずつたどる。そして軍事ブログらしく、各寄港地で「何隻失い、何人死んだか」を数えていく。この旅は冒険譚であると同時に、12隻・約600人と見積もる艦隊が1人になるまでの損耗記録でもあるからだ。
なお、航路そのものの正解を決めるつもりはない。私の関心は「どの順番で、どんな判断ミスがあって、部隊がどう溶けていったか」にある。地図は本文の航海図とあわせて読んでほしい。
まず航海の基本データ:12隻・約600人・所要10年

図の根拠:図版の参考資料/図版:軍研ノート編集部
『イリアス』第2歌の軍船目録によれば、オデュッセウスは12隻の船を率いてトロイアに参陣した。帰路の総員数は原作では明記されていない。ここでは1隻50人と仮定し、およそ600人規模の艦隊として読む。以下の概算人数も、この仮定に基づくものだ。これが故郷イタケに着いたときには、オデュッセウスただ1人になっている。損耗率はほぼ100パーセント。近代の軍隊であれば全滅どころか、部隊としての存在が抹消される数字である。
もう一つ押さえておきたいのが時間配分だ。帰還に10年かかったと言われるが、実際に海の上で冒険していた期間は最初の1年強にすぎない。魔女キルケーのもとで1年、そして女神カリュプソーの島で7年。10年のうち8年は、航海ではなく足止めなのだ。オデュッセウスの旅は「10年の航海」ではなく、「約2年の航海と8年の抑留」と表現したほうが実態に近い。
寄港地一覧:順番・出来事・比定地・損耗
回想順に整理した一覧が以下だ。比定地の欄は、19世紀以降で最も広く流布している西地中海説を基本にしている。
| 順 | 寄港地 | 原作での出来事 | 代表的な比定地 | 損耗 |
|---|---|---|---|---|
| 1 | トロイア | 出港 | トルコ北西部ヒサルルック | 0 |
| 2 | イスマロス(キコネス人の町) | 略奪、反撃を受けて撤退 | トラキア沿岸(ギリシャ北東部) | 各船6人、計72人 |
| 3 | マレア岬沖 | 嵐で9日間漂流、以後は神話の海へ | ペロポネソス半島南端 | 0 |
| 4 | ロートパゴイの国 | 蓮の実を食べた部下が帰郷を忘れる | チュニジアのジェルバ島、リビア沿岸 | 0(強制収容で回避) |
| 5 | キュクロプスの島 | ポリュペモスの洞窟に閉じ込められる | シチリア島東岸、エトナ山麓 | 6人 |
| 6 | アイオロスの島 | 風の革袋を得るが部下が開けて逆戻り | エオリエ諸島(リパリ、ストロンボリ) | 0 |
| 7 | ライストリュゴネス人の港 | 巨人の襲撃で艦隊壊滅 | コルシカ島ボニファシオ、イタリア・フォルミア | 11隻喪失、約500人 |
| 8 | アイアイエ島(キルケーの館) | 部下が豚に変えられる、1年滞在 | イタリア・ラツィオ州のチルチェオ山 | 1人(出発前夜の転落事故) |
| 9 | 冥府の入口 | 予言者テイレシアスに会う | ナポリ近郊アヴェルヌス湖、クマエ | 0 |
| 10 | セイレーンの岩礁 | 帆柱に体を縛って歌を聞く | アマルフィ沖リ・ガッリ諸島 | 0 |
| 11 | スキュラとカリュブディス | 怪物に6人さらわれる | メッシーナ海峡 | 6人 |
| 12 | トリナキエ島 | 太陽神の牛を食べ、嵐で残り全員死亡 | シチリア島 | 最後の1隻と乗員全員 |
| 13 | オギュギエ島(カリュプソー) | 7年間の抑留、筏で脱出 | マルタのゴゾ島、あるいはジブラルタル近辺 | 0 |
| 14 | スケリエ(パイアケス人の国) | 嵐で筏を失い泳ぎ着く、身の上を語る | コルフ島 | 0 |
| 15 | イタケ | 帰還 | イオニア海イタキ島 | 生存者1人 |
15の寄港地をたどる
寄港地を選ぶと、出来事と損耗を確認できます。原作の結末まで触れます。
数字を眺めるだけで気づくことがある。艦隊の9割以上は、たった一つの港で失われている。ライストリュゴネス人の港だ。あの場面をどう読むかが、この航海を軍事的に理解する鍵になる。
第1区間:史実の海(トロイア→イスマロス→マレア岬)
出港直後の行動は、青銅器時代の軍隊として極めて標準的だ。オデュッセウスはトラキアのイスマロスを襲い、町を焼き、財貨と女を奪う。帰路の略奪は英雄の悪行ではなく、給料と補給を現地調達する当時の常識だった。問題はその後で、勝利に酔って浜辺で宴を続けたせいで、内陸から集まったキコネス人の反撃を受けて各船6人ずつを失う。
撤退のタイミングを誤って追撃を食らう。戦場でこれほどありふれた失敗はない。オデュッセウスは撤収を命じたのに部下が従わなかったと語っており、ここに艦隊の規律の緩さがすでに顔を出している。
そしてマレア岬。ペロポネソス半島の南端にあるこの岬は、現代でも風と潮が悪いことで知られる難所で、古代の船乗りには「マレアを回るときは故郷を忘れろ」という言い回しがあった。オデュッセウスはここで北風に捕まり、9日間流される。マレア岬は実在の地理と神話の地理の境界線であり、ここから先の寄港地はどれも比定が割れる。地図で言えば、この岬までは実線、ここから先は点線で描くべき区間だ。
マレア岬の北にあるラコニアはスパルタの本拠地でもある。スパルタ兵の実像は以下の記事で検証している。
第2区間:神話の海へ(ロートパゴイ→キュクロプス→アイオロス→ライストリュゴネス)

図の根拠:図版の参考資料/図版:軍研ノート編集部
9日間の漂流は、単純計算で数百海里に相当する。開放型ガレーが帆走で流されたなら、北アフリカ沿岸に達してもおかしくない距離であり、だからこそ伝統的にロートパゴイの国はチュニジアのジェルバ島に置かれてきた。蓮の実を食べて帰郷の意志を失った部下を、オデュッセウスは泣き叫ぶまま船に縛り付けて連れ戻す。帰還兵の士気管理としては乱暴だが、これしかなかったのだろう。
キュクロプスの島は古代からシチリア島東岸に比定されてきた。エトナ山を一つ目の巨人と結びつける発想は自然で、カターニア近くのアーチ・トレッツァには「キュクロプスの岩」と呼ばれる岩礁群がいまも残る。ノーランの映画がロケ地に選んだファヴィニャーナ島は、シチリア西岸沖のエガディ諸島にあり、古代名アイグーサは「ヤギの島」を意味する。原作でキュクロプスの島の手前に出てくるヤギだらけの無人島のモデルと言われる場所だ。
ここで注目したいのは、オデュッセウスが上陸に用いた兵力である。艦隊全体は無人島に残し、自分の船1隻だけで対岸へ渡り、さらに洞窟へ向かったのは自分を含めて13人。偵察分遣隊として妥当な規模だが、指揮官自らが乗り込む点が彼らしい。結果として6人を食われ、脱出後に自分の名前を叫んで名乗ってしまう失態でポセイドンの怒りを買う。情報将校としては最悪の秘匿違反であり、この一言が残り9年の遅延を生んだ。
アイオロスの島はエオリエ諸島、とりわけ火山島ストロンボリに比定されることが多い。風の神が住む島として、噴煙を上げる火山ほどふさわしい場所はない。ここで得た「西風以外の風を詰めた革袋」のおかげで艦隊はイタケが見えるところまで戻る。だがオデュッセウスが眠った隙に、袋に財宝が入っていると疑った部下が口を開け、全艦隊が元の場所まで吹き戻される。指揮官が寝ている間に部下が命令違反をする。艦隊の規律はもう限界だった。
そしてライストリュゴネス人の港である。原作の描写を読むと、ここが軍事的に最も興味深い。港は切り立った岩に囲まれた狭い入江で、11隻はその奥に係留した。ところがオデュッセウスは、自分の船だけ港の外の岩に舫った。理由は語られないが、狭い港に全艦を入れることの危険を本能で察知したのだろう。巨人たちは高所から巨石を投げ落として港内の船を叩き潰し、乗員を魚のように突き刺して持ち帰った。逃れたのは港外にいたオデュッセウスの船1隻だけ。
これは古代版の「泊地空襲」だ。狭い泊地に密集係留した艦隊が高所からの攻撃で壊滅する構図は、真珠湾でもトラック島でも繰り返されている。艦隊を1か所に固めない、指揮官の船は逃げ道を確保する。3000年前の詩に、分散配備の教訓がそのまま書かれているのである。比定地として有名なコルシカ島ボニファシオの港は、まさに白い断崖に囲まれた細長い入江で、実際に訪れた研究者たちが原作の描写との一致に驚いた場所だ。
第3区間:キルケーと冥府(アイアイエ→冥界→アイアイエ)

図の根拠:図版の参考資料/図版:軍研ノート編集部
1隻になったオデュッセウスはアイアイエ島に着く。魔女キルケーの館で部下が豚に変えられる話は有名だが、その後1年間、彼らは島で飲み食いして過ごしている。艦隊を失った直後の休養と再編と読めば、これも兵の心理としては自然だ。
アイアイエ島はイタリア半島西岸のチルチェオ山に比定される。ローマの南、ラツィオ州の海に突き出た岬で、遠くから見ると島のように見える。地名そのものがキルケーに由来しており、ローマ人は本気でここを魔女の島だと考えていた。
キルケーの指示で向かう冥府の入口は、原作では大洋の果て、太陽の届かないキンメリオイ人の国にある。ローマの伝承はこれをナポリ近郊のアヴェルヌス湖に置き、ウェルギリウスの『アエネイス』もそこを冥界の入口とした。火山性の湖から立ち上る有毒ガスが、あの世との境界というイメージを生んだのだろう。オデュッセウスはここで予言者テイレシアスから帰還の条件を聞く。以後の航海は、この情報をどこまで守れるかの物語になる。
第4区間:セイレーン→スキュラ・カリュブディス→トリナキエ→カリュプソー

セイレーンの岩礁はアマルフィ海岸の沖に浮かぶリ・ガッリ諸島に比定される。古代名はシレヌサイ、つまりセイレーンの島々だ。オデュッセウスは部下の耳を蝋で塞ぎ、自分だけ帆柱に体を縛らせて歌を聞く。指揮官が自分の判断能力を意図的に拘束し、「何を言っても解くな」と事前に命じておく。危険な状況で自分自身を信用しない仕組みを作る発想は、現代の安全管理でいう二重の歯止めそのものだ。
スキュラとカリュブディスは、古代からメッシーナ海峡だと言われてきた。カラブリア側にはいまもスキッラという町があり、海峡の潮流の渦がカリュブディスのモデルとされる。ここで6人を怪物にさらわれる。オデュッセウスは6人失う道を選んで全滅を避けたわけで、彼自身が事前にそれを知りながら部下に伏せていた。損害を前提とした航路選択を、指揮官が一人で背負う場面である。
トリナキエ島はシチリアだ。三つの角を持つ島という意味のトリナクリアは、いまもシチリアの古名として使われる。ここで逆風に閉じ込められ、食糧が尽きた部下たちが禁じられた太陽神の牛を屠る。出港後の嵐で船は砕け、オデュッセウス以外の全員が死ぬ。補給が尽きたとき規律は必ず崩れる。マレア岬以来、この艦隊が繰り返してきた命令違反が、最後にすべてを持っていった。
漂流したオデュッセウスは、9日目にオギュギエ島へ流れ着く。女神カリュプソーの島は、原作では「海のへそ」と呼ばれる遠い場所にあり、マルタのゴゾ島に比定されるのが一般的だ。ゴゾ島の北岸には「カリュプソーの洞窟」と呼ばれる観光地がある。より遠くジブラルタル海峡付近のセウタに置く説もあり、こちらは原作の「地中海の果て」というニュアンスに忠実だ。ここで7年。旅の中で最も長く、最も何も起きない期間である。
第5区間:帰還の海(オギュギエ→スケリエ→イタケ)

図の根拠:図版の参考資料/図版:軍研ノート編集部
カリュプソーの島を出るとき、オデュッセウスは船ではなく筏を自作する。ここで原作は、地中海の航海術についてこの物語で最も具体的な記述を残す。カリュプソーは彼に、プレイアデス星団と牛飼い座とオリオンを見張り、大熊座を常に左手に見ながら進めと教える。北の星を左に置いて進めば、船は東へ向かう。これは比喩ではなく、コンパスのない時代の実用的な天測航法の指示だ。
私はこの一節を読むたびに、海上自衛隊の幹部候補生が今も六分儀と天測を学ぶ理由を思い出す。GPSが落ちた瞬間に頼れるのは星だけであり、その技術は青銅器時代から本質的に変わっていない。オデュッセウスは17日間この方法で筏を操り、18日目にスケリエの陸影を見る。距離にすれば数百海里の単独航海であり、彼が単なる策士ではなく一級の航海者だったことを原作は静かに証言している。
スケリエはコルフ島に比定される。ポセイドンの嵐で筏を失い、2日2晩泳いで海岸にたどり着いたオデュッセウスは、パイアケス人の宮廷で身の上を語る。この回想が第9歌から第12歌であり、ここまで追ってきた寄港地はすべて、この宮廷での語りとして提示されている。つまり航海の地図は、語り手であるオデュッセウス自身の記憶の地図なのだ。
パイアケス人の船は一夜でイタケに着く。コルフ島からイタキ島までは実際に100海里ほどで、夜間の航海として無理のない距離だ。神話の海から戻ってきた最後の区間だけ、地理は再び実線になる。
三つの流派:西地中海説・イオニア海説・北方説

図の根拠:図版の参考資料/図版:軍研ノート編集部
ここまで紹介した比定地は、20世紀初頭にフランスの学者ヴィクトル・ベラールが体系化し、1960年代に英国の海軍士官出身の作家アーンル・ブラッドフォードが自らヨットで航海して検証した西地中海説に基づいている。第二次世界大戦で地中海艦隊に勤務した経験を持つブラッドフォードは、風と潮と目印の山を実際に見て回り、ホメロスの描写が船乗りの実感に驚くほど合致すると論じた。
これに挑んだのが英国の探検家ティム・セヴェリンで、1985年に青銅器時代の20櫂ガレー船の復元船で航海し、まったく別の地図を提示した。彼の説では、蓮の島はリビア、キュクロプスはクレタ島、アイオロスはクレタ北西のグラムヴサ島、ライストリュゴネス人はペロポネソス半島マニ地方のメザポス、キルケーはパクソス島、冥府はギリシャ西部のアケロン川河口にある実在の死者神託所、セイレーンとスキュラはレフカダ島周辺になる。要するに、イタケの目と鼻の先にすべての寄港地を置く説だ。船の性能と季節風を考えれば、青銅器時代の船乗りがイオニア海を出ずに迷い続けたほうが現実的だ、というのがセヴェリンの主張である。
さらに変わり種として、舞台はバルト海と北大西洋だとするイタリアの技術者フェリーチェ・ヴィンチの説がある。霧と寒さの描写がギリシャの海に合わないというのが根拠で、学界の主流には受け入れられていないが、読み物としては抜群に面白い。
私の感想を述べれば、どの説が正しいかより、三つの説がそれぞれ「船乗りの目」「復元船の実験」「気候の記述」という別の物差しで地図を引き直している事実のほうが面白い。地図とは、結局のところ描く人間の専門性を映す鏡なのだ。軍事ブロガーである私が描くなら、損耗の起きた港に赤い印を打ち、艦隊が溶けていく過程を色で示す地図になるだろう。
古代の海軍力と船の実力については、以下の記事でも整理している。
映画のロケ地は航海図のどこか
ノーラン版はどこで撮られたのか。報道によれば、撮影はイギリス、モロッコ、イタリア各地で行われ、シチリア西岸沖のファヴィニャーナ島がキュクロプス周辺の場面の主要ロケ地になったとされる。前述の通り、この島は原作の「ヤギの島」のモデルとされる場所で、エオリエ諸島での撮影も伝えられている。アイオロスの島の比定地であるエオリエ諸島で風の神の場面が撮られたのなら、監督は西地中海説の地図をかなり忠実になぞったことになる。
一方でトロイア戦争の場面はモロッコの世界遺産アイト・ベンハドゥで撮影されたと報じられており、ギリシャ南西部ペロポネソスの海岸でも撮影があったとされる。地理的には現地主義と代替ロケの折衷で、これはハリウッド大作の常だ。劇場では「この場面は地図のどこだろう」と考えながら観ると、172分が短く感じるはずだ。
観た後で過去作を見返したくなる人は、配信サービスのラインナップを確認しておくといい。『ダンケルク』は「帰ること」を主題にした点で本作の前日譚と言える。
原作を耳で聴きながら地図をたどる
寄港地を一つずつ確認しながら読むなら、原作の第9歌から第12歌だけでも通読してほしい。全24歌のうちこの4歌だけが航海の回想であり、分量としては全体の6分の1ほどにすぎない。岩波文庫の上巻で読めるので、映画の前後どちらでも間に合う。
私の場合、模型を作りながら古典や戦史を耳から流すのが習慣になっている。地図を横に置いて朗読を聴くと、寄港地の順番が自然に頭に入る。
実際にたどる:航海図の旅行ルート
西地中海説の比定地は、観光地としても一級品ばかりだ。ナポリを起点にすれば、チルチェオ山、アヴェルヌス湖、アマルフィ海岸沖のリ・ガッリ諸島、メッシーナ海峡、シチリア島東岸のキュクロプスの岩、エオリエ諸島のストロンボリまでを1週間から10日で回れる。マルタのゴゾ島を足せばカリュプソーの洞窟まで届く。
ギリシャ側は、コルフ島からイタキ島へ渡るルートが定番だ。イタキ島には「オデュッセウスの宮殿」と呼ばれる遺跡や、ヘレニズム期の奉納品が出たポリス湾の洞窟がある。セヴェリン説に興味があれば、アケロン川河口の死者神託所も足を延ばす価値がある。地中海の宿は夏場に高騰するので、映画公開後の秋から予約しておくのが賢い。
よくある質問
オデュッセウスの航海ルートは実際の地図で特定できるのか
できない。原作は地名を明かさず、古代の学者もすでに「特定は不可能」と考えていた。ただしトロイアからマレア岬までと、コルフ島からイタケまでの区間は実在の地理で説明でき、中間の寄港地については西地中海説とイオニア海説という二つの有力な地図が提案されている。
オデュッセウスはどの順番で旅をしたのか
トロイア、イスマロス、マレア岬、ロートパゴイ、キュクロプス、アイオロス、ライストリュゴネス、キルケー、冥府、キルケー、セイレーン、スキュラとカリュブディス、トリナキエ、カリュプソー、パイアケス人の国、イタケの順である。原作では第9歌から第12歌で本人が回想として語る。
帰還に10年かかったのに、なぜ航海の描写が短いのか
10年のうちキルケーの島で1年、カリュプソーの島で7年を過ごしているため、実際に海の上にいたのは2年弱にすぎない。
映画『オデュッセイア』のロケ地は原作の航路と一致しているか
報道ベースでは、シチリア西岸沖のファヴィニャーナ島やエオリエ諸島など、西地中海説の比定地と重なる場所で撮影されている。ただしトロイアの場面はモロッコ、一部はイギリスやギリシャで撮影されており、完全な現地主義ではない。
まとめ:地図に描かれるのは、艦隊が溶けていく過程

図の根拠:図版の参考資料/図版:軍研ノート編集部
オデュッセウスの航海図は、正解の地図ではなく損耗の地図として読むと軍事ファンには面白い。イスマロスで72人、キュクロプスで6人、ライストリュゴネス人の港で11隻約500人、スキュラで6人、トリナキエで最後の1隻。指揮官の秘匿違反、部下の命令違反、泊地の選定、補給切れ。約600人が1人になるまでの理由は、すべて現代の軍隊でも通用する失敗の類型だ。
そして最後に残った1人は、星を左手に見て17日間、筏を東へ操り続けた。地図の終点にあるのは神々の奇跡ではなく、一人の航海者の技術と執念である。9月11日、劇場でその航跡を確かめてほしい。
映画そのものがどこまで史実に基づくかについては、特集の第1回で整理している。帰還兵の物語として読む視点もそちらで扱った。





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