
映画『オデュッセイア』を観に行く前に、ひとつ整理しておきたいことがある。『イリアス』と『オデュッセイア』はどちらが先で、どこがつながっていて、木馬とアキレウスはどちらに出てくるのか。ホメロスの二大叙事詩と呼ばれるこの二作は、名前だけは誰でも知っているのに、範囲を正確に言える人は意外に少ない。
結論を先に置く。『イリアス』はトロイア戦争10年目の、たった51日間の記録だ。木馬も、アキレウスの死も、都市の陥落も出てこない。『オデュッセイア』は戦争が終わって10年目の、およそ40日間の物語で、有名な航海の冒険はすべて主人公の回想として語られる。二作とも、20年に及ぶ大事件のごく一部を切り取っているにすぎない。
その「ごく一部」がなぜこの範囲だったのか。軍事の目で読むと、『イリアス』は会戦の記録で、『オデュッセイア』は復員の記録だ。時系列バーを横に置きながら、二作の範囲と接続を確認していく。
基本データで比較する

図の根拠:図版の参考資料/図版:軍研ノート編集部
| 項目 | イリアス | オデュッセイア |
|---|---|---|
| 主人公 | アキレウス | オデュッセウス |
| 舞台 | トロイア城外の戦場 | 地中海、イタケ島 |
| 描く期間 | 戦争10年目の約51日間 | 戦後10年目の約40日間(回想で10年分を補う) |
| 全体構成 | 24歌、約1万5700行 | 24歌、約1万2100行 |
| 始まり | アキレウスとアガメムノンの口論 | 神々の会議、イタケの求婚者たち |
| 終わり | ヘクトルの葬儀 | 求婚者殺しと和解 |
| 主題 | 怒り、名誉、死 | 帰還、策略、家 |
| 戦闘の型 | 陸戦、戦車、一騎打ち、包囲 | 海、欺瞞、少数による奇襲 |
| 木馬 | 出てこない | 回想として登場 |
| 成立時期 | 紀元前8世紀ごろ | 同じか、やや後 |
| 代表的な映画化 | 『トロイ』(2004年) | 『オデュッセイア』(2026年) |
同じ作者、同じ長さ、同じ24歌構成。それなのに中身は、戦争の詩と戦後の詩というほど違う。
時系列バーで見る:20年の事件と二作の守備範囲
トロイア戦争にまつわる伝承は、全体として20年以上に及ぶ一続きの物語だ。時系列に並べると次のようになる。
| 順 | 出来事 | どの作品が描くか |
|---|---|---|
| 1 | パリスの審判、ヘレネの略奪 | 叙事詩環『キュプリア』(散逸) |
| 2 | ギリシャ連合軍の出征、9年間の戦い | 『キュプリア』(散逸) |
| 3 | 戦争10年目、アキレウスの怒りからヘクトルの死まで | イリアス |
| 4 | アキレウスの死、アイアスの自殺 | 『アイティオピス』『小イリアス』(散逸) |
| 5 | 木馬、トロイア陥落 | 『小イリアス』『イリオス陥落』(散逸)、ウェルギリウス『アエネイス』 |
| 6 | ギリシャ諸将の帰還、アガメムノンの暗殺 | 『帰還』(散逸) |
| 7 | オデュッセウスの10年の放浪 | オデュッセイアの回想部分(第9〜12歌) |
| 8 | 戦後10年目、テレマコスの旅と父の帰還 | オデュッセイア |
| 9 | オデュッセウスの晩年 | 『テレゴネイア』(散逸) |
二作の主な筋と、回想・後代の伝承をたどります。
番号を選ぶと、本文の出来事と作品名を表示します。前後の伝承を含む出来事順の図で、各場面の時間幅は縮尺にしていません。
時系列バーで色を塗ると、ホメロスの二作の主筋は3と8にあり、7の放浪は『オデュッセイア』の回想に収まる。木馬や陥落、諸将の帰還も作中の回想や歌に顔を出すが、前後を含むまとまった筋は、失われた叙事詩群の断片と後世の『アエネイス』を重ねると見えてくる。私たちが知っている「トロイア戦争の物語」は、ホメロスの二作だけで完結しているわけではないのだ。
言い換えれば、ホメロスは物語の全体を語る気がなかった。20年の事件から、戦争の頂点と戦後の頂点だけを選んで切り出した。この選び方そのものが、二作の性格を決めている。
『イリアス』は何を描いて何を描かないか

図の根拠:図版の参考資料/図版:軍研ノート編集部
51日間の内訳
『イリアス』は「怒りを歌え、女神よ」という一行で始まる。アキレウスがアガメムノンに戦利品の女を奪われて激怒し、戦線を離脱するところが出発点だ。以後の展開はおおむね次の通りである。
アキレウスの離脱でギリシャ軍が押され、ヘクトル率いるトロイア軍が船陣まで迫る。アキレウスの親友パトロクロスが彼の鎧を借りて出撃し、ヘクトルに討たれる。アキレウスが怒りの対象をヘクトルに変えて戦場に戻り、一騎打ちで討ち取り、遺体を戦車で引き回す。最後にトロイア王プリアモスが敵陣まで忍んで息子の遺体を返してくれと頼み、アキレウスが応じて、ヘクトルの葬儀で詩は終わる。
戦闘そのものは第2歌から第22歌まで延々と続き、両軍の武将が名乗りを上げて槍を投げ合い、戦車で駆け、盾で受け、倒れる。死者の描写は執拗なまでに具体的で、どこに槍が刺さり、どう倒れたかが一人ずつ記される。軍事文学として読むなら、『イリアス』は青銅器時代の陸戦を描いた世界最古の会戦記録だ。
描かれない三つの大事件
意外なのは、この詩が戦争の結末を描かないことだ。アキレウスの死は予告されるだけで実際には起きない。木馬は一度も出てこない。トロイアの陥落もない。詩は都市がまだ立っている状態で、敵将の葬儀とともに幕を閉じる。
ホメロスがなぜここで終えたのかは、古来議論の的だ。私の読み方はこうである。『イリアス』の主題は戦争の勝敗ではなく、怒りに駆られた最強の戦士が、敵の父親の涙を見て人間に戻るまでの過程だ。都市が落ちるかどうかは、この詩にとって本質ではない。会戦の記録でありながら、詩人の関心は勝利に向いていない。
青銅器時代の戦闘がどんなものだったかは、装備と戦術の面から以下で解説している。
『オデュッセイア』は何を描いて何を描かないか

図の根拠:図版の参考資料/図版:軍研ノート編集部
40日間と、その中に畳み込まれた10年
『オデュッセイア』の構成は『イリアス』よりも複雑だ。四つの部分に分かれる。
第1歌から第4歌は、主人公が一度も登場しない。イタケの王宮で母ペネロペに群がる求婚者たちと、父の消息を求めて旅に出る息子テレマコスが描かれる。テレマコスはピュロスの老王ネストルと、スパルタのメネラオスとヘレネを訪ね、父の噂を聞く。『イリアス』の登場人物たちが戦後どうなったかは、ここで語られる。
第5歌から第8歌で、ようやくオデュッセウスが登場する。女神カリュプソーの島に7年間留め置かれていた彼は、筏で脱出し、嵐で筏を失ってパイアケス人の国に泳ぎ着く。
第9歌から第12歌は、パイアケス人の宮廷でオデュッセウスが自分の10年を語る回想だ。キュクロプス、セイレーン、スキュラとカリュブディス、冥府。誰もが知る冒険は、すべてこの4歌に収まっている。全24歌のうち6分の1にすぎない。
第13歌から第24歌は、イタケに帰り着いたオデュッセウスが乞食に変装して王宮に潜入し、息子と合流し、求婚者を皆殺しにして妻と再会するまでを描く。分量としてはこの帰還後の部分が全体の半分を占める。
描かれないのは、戦争そのもの
『オデュッセイア』にはトロイアの戦闘場面がほとんどない。木馬でさえ、メネラオスの回想と吟遊詩人の歌の中で断片的に語られるだけだ。戦争は終わった前提で始まり、詩の関心は「戦争から帰ってきた男が、家をどう取り戻すか」に集中している。
軍事の目で見れば、これは復員の記録だ。10年戦った兵士が家に帰るまでにさらに10年かかり、帰ってみれば妻には求婚者が群がり、息子は父の顔を知らない。そして最後に、帰還兵にしかできない徹底した暴力で家を取り戻す。会戦を歌った詩人が、次に戦後を歌った。この順番自体が、戦争の全体像を語っている。
航海の寄港地を順番にたどる地図と解説は、特集の第2回で扱っている。
二作をつなぐ登場人物:戦場の英雄たちの「その後」
二作の接続を最もはっきり感じられるのは、『イリアス』の英雄たちが『オデュッセイア』でどう再登場するかだ。
オデュッセウス本人は両作の主要人物である。『イリアス』では知略に富む指揮官として夜間偵察や使節を務め、『オデュッセイア』では主役になる。
アガメムノンは『イリアス』の総司令官だが、『オデュッセイア』では帰国直後に妻と愛人に殺されたことが繰り返し語られ、冥府では亡霊として登場し、オデュッセウスに「妻を信用するな」と忠告する。総司令官の帰還がこの結末だったことは、戦後という時代の性格を象徴している。
アキレウスは冥府でオデュッセウスと再会する。『イリアス』で名誉のために短い生を選んだ最強の戦士は、『オデュッセイア』では、死者の王として君臨するより貧しい農夫の下働きとして生きているほうがましだと語る。戦争の詩の主人公が、戦後の詩で自分の選択を否定する。二作を続けて読んだときに最も衝撃を受ける場面だ。
アイアスは冥府で無言のままオデュッセウスに背を向ける。アキレウスの武具をめぐる争いに負けて自殺した恨みが、死後も消えていない。メネラオスとヘレネはスパルタで平穏に暮らしているが、ヘレネが薬を酒に混ぜて悲しみを忘れさせる場面には、戦後の重さがにじむ。
『イリアス』は英雄たちの最も輝く瞬間を切り取り、『オデュッセイア』はその後の代償を記録した。二作はこうして一つの戦争の表と裏になっている。
戦場から帰ってきた兵士の現実については、以下の記事でも扱っている。
軍事的に読む二作の違い:槍の詩と弓の詩

図の根拠:図版の参考資料/図版:軍研ノート編集部
戦い方の描写にも、二作の性格の差がはっきり出ている。
『イリアス』の戦闘は正規軍同士の会戦だ。両軍が平原で向き合い、名のある武将が戦車で乗りつけ、降りて槍を投げ、盾を構えて斬り合う。勝負を決めるのは正面からの一騎打ちであり、名乗りを上げてから戦うのが作法になっている。弓は軽んじられる武器で、トロイアの王子パリスが弓で戦うことは、詩の中でたびたび嘲られる。名誉ある戦士は槍で戦う。それがこの詩の価値観だ。
ところが『オデュッセイア』の最終決戦は、弓で決まる。イタケの王宮に乞食として潜入したオデュッセウスは、求婚者たちに弓の競技を提案させ、自分だけが引ける強弓を手に取ると、扉を閉めさせた広間で一人ずつ射殺していく。名乗りもなければ一騎打ちもない。少数が閉鎖空間で奇襲をかけ、逃げ道を断って殲滅する。『イリアス』の価値観で言えば卑怯者の戦い方であり、『オデュッセイア』の価値観で言えば帰還兵の唯一の勝ち方である。
この変化は、青銅器時代の終わりに宮殿の正規軍が崩壊し、少人数の襲撃者が海を荒らす時代へ移っていった歴史と重なる。戦車と槍の会戦から、船と弓と欺瞞の襲撃へ。二作の戦闘描写の差は、詩人の好みではなく、世界の変わり方を映している。
同じ作者なのか:ホメロス問題を手短に
二作は同じホメロスの作とされてきたが、古代からすでに疑う声があった。文体、語彙、神々の描かれ方、社会の描写が二作で異なるからだ。紀元1世紀ごろの批評家ロンギノスは、『イリアス』を盛りの時期の作、『オデュッセイア』を晩年の作にたとえ、後者を沈む太陽になぞらえた。
現代の研究では、二作はともに長い口承の伝統の上に成立し、『オデュッセイア』のほうがやや新しい層を含むと考えられている。同一人物が若い頃と晩年に歌ったのか、別の詩人が『イリアス』を意識して『オデュッセイア』を作ったのかは決着していない。ただ一つ確かなのは、『オデュッセイア』が『イリアス』の内容を前提にして書かれていることだ。『イリアス』が語った場面を『オデュッセイア』はほとんど繰り返さない。両作は競合ではなく分業の関係にある。
映画はどちらを映像化してきたか
2004年の『トロイ』は『イリアス』の映画化として作られたが、原作が描かない木馬と陥落まで含めて戦争全体を2時間半に収めた。結果として、原作では51日間だった戦争が数週間の出来事のように描かれ、神々は退場させられた。
2026年のノーラン版『オデュッセイア』は、報道によればトロイア陥落の場面から始まり、その後は『オデュッセイア』の帰還の物語をたどる構成とされる。メインビジュアルに木馬が置かれているのは、原作で回想として語られる場面を冒頭に持ってきたからだろう。テレマコスがトム・ホランド、ペネロペがアン・ハサウェイと配役されていることから、第1歌から第4歌の息子の旅と、第13歌以降の帰還後の部分も相応の比重で描かれるはずだ。
つまり時系列バーで言えば、『トロイ』は3から5、ノーラン版は5から8を映像化したことになる。二本を続けて観れば、ホメロスが切り取った二つの頂点と、そのあいだを埋める散逸叙事詩の範囲が、映像で一通り確認できる。
過去作を配信で見返すなら、ラインナップを事前に確認しておくといい。
どちらから読むべきか:私の推奨順
映画の前に原作を読むなら、『オデュッセイア』から入るのが正解だ。第1歌から第4歌でテレマコスと求婚者たちの状況を把握し、第9歌から第12歌で航海を追えば、映画の骨格は頭に入る。分量にして全体の3分の1で済む。
戦闘描写を求める軍事ファンには『イリアス』を薦める。ただし第2歌の軍船目録は地名と数字の羅列なので、初読なら飛ばしていい。第6歌のヘクトルとアンドロマケの別れ、第16歌のパトロクロスの死、第22歌のヘクトルの最期、第24歌のプリアモスとアキレウスの対面。この四か所を読めば、この詩がなぜ3000年読まれてきたかがわかる。
日本語訳は岩波文庫の松平千秋訳が両作とも揃っていて、注釈も充実している。通読が重い人は、耳から入る手もある。私は模型を作りながら古典を流す習慣があり、口承詩だった『イリアス』は朗読との相性がとくにいい。
よくある質問
イリアスとオデュッセイアはどちらが先の話か
『イリアス』が先で、トロイア戦争10年目の51日間を描く。『オデュッセイア』は戦争終結から10年後の物語で、途中の航海は回想として語られる。
トロイの木馬はどちらに出てくるのか
『イリアス』には出てこない。『オデュッセイア』でメネラオスの回想や吟遊詩人の歌として断片的に語られ、詳細は後代のウェルギリウス『アエネイス』第2巻に描かれている。
イリアスにアキレウスの死は描かれているのか
描かれていない。『イリアス』はヘクトルの葬儀で終わり、アキレウスの死は予告されるにとどまる。彼の死は散逸した叙事詩『アイティオピス』が扱っていた。
映画『オデュッセイア』を観る前にイリアスを読む必要はあるか
必須ではない。映画は『オデュッセイア』が原作であり、『イリアス』の内容は冒頭のトロイア陥落の背景として知っていれば十分だ。読むなら『オデュッセイア』の第1〜4歌と第9〜12歌を優先するといい。
まとめ:会戦の詩と復員の詩
『イリアス』は戦争10年目の51日間、『オデュッセイア』は戦後10年目の40日間。20年に及ぶ事件のうち、ホメロスが主筋に選んだのはこの二か所だ。あいだの航海や木馬は回想でも語られ、失われた叙事詩群と後世の詩人を重ねれば、陥落を含む全体の筋がつながる。
二作は物語の前後編ではなく、一つの戦争の表と裏だ。最も輝いた瞬間の英雄たちと、その代償を払う戦後の同じ人物たち。会戦の詩を歌った詩人が、次に復員の詩を歌ったという順番そのものが、戦争というものの全体像になっている。時系列バーで二作の守備範囲を確かめてから劇場に行けば、冒頭の木馬と、その後に続く長い帰り道の意味が、まったく違って見えるはずだ。
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