2026年10月、那覇市のホテルで女性が亡くなり、普天間所属の海兵隊員が強盗殺人の疑いで逮捕された。事件を受けて、9月に自民党などの推薦で当選したばかりの古謝玄太沖縄県知事が、日米地位協定の見直しを求めた。辺野古移設を容認する、政府と協調路線の知事が、である。
「日米地位協定は不平等だ」という言い方は、ニュースでもSNSでも当たり前のように使われている。比較の相手としてよく出てくるのがドイツとイタリアだ。「ドイツやイタリアでは米軍に国内法が適用されるのに、日本は違う」と。
ここで少し意地の悪いことを書く。ドイツの協定を調べてみると、米兵が起こした事件の刑事裁判は、原則として米軍側に任せる仕組みになっている。裁判権に限って言えば、ドイツは日本より「米軍寄り」なのだ。
じゃあ、日本の何が不平等なのか。私は大日本帝国の歴史が好きで、明治の「不平等条約」改正の話もよく読む。だからこそ「不平等」という言葉を雑に使いたくない。この記事では、日米地位協定の中身をざっと押さえたうえで、ドイツ、イタリア、ついでに韓国と比べ、どこが本当に違うのかを整理していく。政府側の反論もちゃんと載せる。
日米地位協定とは|3分でわかる基本
日米地位協定は、在日米軍が日本でどんな権利を持ち、どんなルールで活動するかを決めた協定だ。1960年1月、改定された日米安全保障条約と一緒に結ばれ、同年6月に発効した。前身は1952年の日米行政協定になる。
条文は全28条。基地(協定上は「施設及び区域」)の提供、基地の管理、出入国、税金、刑事裁判権、損害賠償、経費の分担などが書かれている。
ポイントは3つある。
1つ目は、1960年の発効から一度も本文が改定されていないこと。問題が起きるたびに、政府は「運用改善」で対応してきた。2015年の環境補足協定、2017年の軍属補足協定と、本文の外側に取り決めを足していく形だ。
2つ目は、協定本文だけを読んでも全体がわからないこと。合意議事録や、日米の官僚と軍人でつくる日米合同委員会の合意が大量にあり、その議事録は原則として公開されていない。政府自身が国会の答弁書で、協定は合意議事録なども含んだ「大きな法的枠組み」だと説明している。
3つ目は、日本政府の基本的な立場だ。一般国際法上、駐留を認められた外国軍隊の公務執行には、特別な取り決めがない限り受け入れ国の法令は適用されない。日本政府はそういう考え方をとっている。ここがドイツやイタリアとの比較で必ず問題になる。
地位協定はどう生まれたか|占領の終わりと同時に始まった

地位協定の歴史をさかのぼると、出発点は占領の終わりにある。
1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効して日本は独立を回復した。同じ日に旧日米安保条約と、米軍の地位を決める日米行政協定も発効している。占領軍は、その日から「駐留軍」に名前を変えて日本に残った。
当初の行政協定では、米軍人や軍属が日本で起こした事件の裁判権は、原則として米側にあった。これが変わったのが1953年だ。NATO地位協定の発効に合わせて行政協定第17条が改正され、公務外の事件は日本が裁くという、NATO並みの形になった。
ただ、その裏で米国は手を打っていた。米国務省の外交文書集には、日本にできる限り広い範囲で裁判権を放棄させる取り決めを結ぶよう、駐日大使に指示した記録が残っている。1953年の日米合同委員会で、日本側の代表が「特に重要な事案以外は第一次裁判権を行使するつもりはない」という趣旨の発言をしていたことも、のちに非公開の議事録から分かっている。
1960年、岸信介内閣のもとで安保条約が改定されると、行政協定は「地位協定」と名前を変えた。とはいえ第17条をはじめ、骨格の多くはそのまま引き継がれた。地位協定を「占領の延長」と批判する人がいるのは、この生まれ方のせいでもある。
「不平等」と言われる主な論点
よく挙がる論点を表にまとめた。
表は横にスクロールして読めます。
| 論点 | 協定・運用の中身 | 何が問題とされるのか |
|---|---|---|
| 身柄の拘束 | 米側が先に容疑者を確保すると、日本側が起訴するまで米側が拘束する(第17条) | 日本の警察が逮捕状を取っても身柄を移せない |
| 公務中の事件 | 公務中の事件・事故は米側に第一次裁判権 | 事故の捜査や処罰が米側任せになる |
| 国内法の適用 | 政府は外国軍隊の公務執行には原則不適用の立場 | 航空法や環境法令などで規制がかけにくい |
| 基地の管理権 | 米軍が基地を管理し、日本側の立ち入りは米側の同意が前提(第3条) | 環境汚染の調査ができない |
| 空の管理 | 首都圏西部に米軍が管制する横田空域がある | 民間機が遠回りや急上昇を強いられる |
| 出入国・検疫 | 米軍人は旅券・査証に関する日本の法令の適用外(第9条) | 感染症対策の「穴」になった |
| 原状回復 | 基地を返すとき、米側に元に戻す義務がない(第4条) | 汚染の除去費用を日本側が背負う |
| 意思決定 | 運用を決める日米合同委員会の議事録は原則非公開 | 何が決まっているのか国民が確かめられない |
いくつか具体例を挙げておく。
身柄の問題|30年で要請はわずか6件

1995年、沖縄で米兵3人が小学生の少女を暴行した事件で、米軍は地位協定を理由に容疑者の引き渡しを拒んだ。これを受けて日米は、殺人や強姦などの凶悪犯罪については、日本側が起訴前の引き渡しを求めれば米側が「好意的な考慮を払う」という運用改善で合意した。
運用改善はその後も重ねられている。2004年には、殺人や強姦以外でも日本側が重大な関心を持つ犯罪なら起訴前の引き渡しを排除しないことが確認され、その代わりに米軍の代表者が日本側の取り調べに同席できるようになった。2011年には、公務中に事故を起こした軍属を、条件付きで日本側が裁けるようにする合意も結ばれている。
ただし、決めるのは米側だ。共同通信の集計では、この合意から30年間で日本側が起訴前の引き渡しを要請したのはわずか6件。そのうち1件は米側に断られ、2008年を最後に一度も要請していない。
ちなみに2026年10月の那覇の事件では、日本の警察が基地の外で容疑者を見つけて逮捕したので、この壁は関係していない。事件の経緯と過去の事例は「米兵が日本人に起こした事件一覧」にまとめてある。
公務中の事故|沖縄国際大学ヘリ墜落
2004年8月、宜野湾市の沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落した。米軍は現場を封鎖し、沖縄県警は機体を調べることも乗員から話を聴くこともできなかった。県警は氏名不詳のまま乗員を書類送検したが、不起訴に終わっている。
当時防衛庁長官だった石破茂氏は、のちに首相として臨んだ2024年10月の党首討論でこの事故に触れ、「こんなのは主権独立国家ではない」と語った。
基地への立ち入り|PFASの調査ができない

沖縄では、嘉手納基地や普天間飛行場の周辺の河川や浄水場から、有機フッ素化合物(PFAS)が高い濃度で見つかっている。汚染源を調べるため、県は2016年以降4回にわたって基地内への立ち入り調査を申請したが、米側はいずれも認めなかった。県は申請書を作り直し、5度目の申請に踏み切っている。
2015年の環境補足協定で、汚染事故が実際に起きた場合などに立ち入りの手続きは定められた。それでも、立ち入れるかどうかは結局米側の同意次第だ。2020年に普天間から泡消火剤が大量に流出した際は、補足協定にもとづく初の立ち入りが実現したものの、県が求めた土壌の採取は認められなかった。
空の問題|横田空域

技術ファン的に一番わかりやすいのがこれだ。東京の西には、新潟から静岡まで1都8県にまたがり、高いところでは高度約7,000メートルに達する、米軍が管制する空域がある。いわゆる横田空域だ。
民間機がこの空域を飛ぶには米軍の管制を受ける必要があるため、羽田を出る便の多くは空域を避けるルートをとる。西へ向かう便が離陸直後に急上昇するのも、着陸機が南に回り込むのも、この空域が理由のひとつだ。1992年と2008年に一部が返還されたが、全体の返還には至っていない。
検疫の問題|2021年のオミクロン
2021年12月、キャンプ・ハンセンで新型コロナの大規模クラスターが起き、沖縄県内で初めて確認されたオミクロン株の感染者は同基地で働く従業員だった。
日本政府は11月末から外国人の新規入国を止めていたが、米軍人は地位協定で旅券や査証に関する日本の法令の適用外にあり、本国から基地に直接入ってこられる。しかも当該部隊は、米国を出るときのPCR検査を省いていた。林外相(当時)が在日米軍司令官に遺憾の意を伝え、米側は出国前の検査を実施する方針を示した。
ドイツとの比較|国内法は適用される、でも裁判は米軍任せ
ドイツには米軍の主要な拠点が集まっている。ドイツと駐留国の関係を決めているのは、NATO加盟国の共通ルールであるNATO地位協定と、それを補う「ボン補足協定」だ。
ボン補足協定は1959年に結ばれ、1971年、1981年、1993年に改定された。とくに1993年の改定は大規模で、冷戦の終結とドイツ統一を受けたものだった(発効は1998年)。
ここで、日本との違いがはっきり出る。沖縄県の調査報告によると、ボン補足協定には次のようなことが書かれている。
- 駐留軍の基地の使用にはドイツの法令が適用される
- ドイツの警察は、公共の秩序や安全が脅かされる場合、基地の中でも任務を遂行できる
- 基地の外での演習には連邦国防相の同意が必要で、空域での訓練にもドイツ当局の承認がいる
- 自治体職員にも基地への立ち入りが認められ、事故の際はドイツ側が現場を規制する
ラムシュタイン空軍基地がある自治体の首長によると、基地内にはドイツの警察官が常駐しているという。日本の感覚からすると、かなり踏み込んでいる。
ところが、刑事裁判権になると話が逆転する。ボン補足協定の第19条で、ドイツは米兵などの事件について、自国の第一次裁判権を原則としてまとめて放棄している。ドイツの司法にとって重大な利益がある場合に限り、その放棄を撤回して自分で裁く、という仕組みだ。米上院の公聴会記録でも、ドイツの協定はすべての事件で裁判権を自動的に放棄するものとして紹介されている。
つまりドイツでは、基地の外で起きた公務外の事件でも、多くは米軍の手続きで処理される。日本は公務外の事件なら日本の裁判所で裁いていて、2006年の横須賀の強盗殺人や2016年のうるま市の事件では無期懲役の判決も出ている。もちろん日本も、先に書いた1953年の非公開の発言のように、すべてを裁いてきたわけではない。それでも、裁判権の運用に限れば、日本のほうが自分の手で裁いている場面が多い。
ドイツが日本と違うのは、基地の運用や訓練、環境といった日常の部分に自国のルールを通している点だ。1993年の大改定は、統一で主権を完全に取り戻し、冷戦が終わって交渉の立場が変わったタイミングで実現している。
イタリアとの比較|基地はイタリア軍の司令官の下、それでも裁けなかった事故
イタリアも米軍の重要な駐留国だ。NATO地位協定に加え、米国との二国間の取り決めがある。
沖縄県の調査によると、イタリアの米軍基地はイタリア軍の司令部の下に置かれ、イタリア軍の司令官が常駐している。米軍の訓練にはイタリア側の承認が必要で、軍用機の事故ではイタリアの検察が証拠品を押収した例もある。1995年にイタリアとNATOの間で結ばれた了解覚書では、駐留軍はイタリアの法律の適用を受け入れ、刑法や民法、公共の安全に関する法律を守ることとされた。
ここまで聞くと理想的に見える。だが、イタリアにも苦い記憶がある。
1998年2月、イタリア北部のスキーリゾート、カヴァレーゼで、米海兵隊の電子戦機EA-6Bプラウラーが規則に反した低空飛行でロープウェーのケーブルを切断した。ゴンドラは落下し、乗っていた20人全員が亡くなった。
この事故は公務中の出来事だったため、NATO地位協定の規定によって裁判権は米国側にあった。操縦士は米国の軍法会議にかけられたが、過失致死については無罪になった。イタリアでは反米感情が一気に高まり、米伊両国は米軍機の飛行訓練の規制強化などで合意している。
イタリアの強みは、裁判というより「管理」にある。基地の中にイタリアの指揮官がいて、訓練に許可を出す立場にある。だから事故の後に飛行ルールを変えさせることもできた。それでも、公務中の事故を自分の国の法廷で裁くことはできなかった。
ついでに韓国|協定を2回改正した国
韓国と比べると、日本の「動かなさ」が際立つ。
米韓地位協定は1966年に結ばれた。1980年代に米兵の犯罪が相次いで改定を求める声が高まり、1991年に、韓国が刑事裁判権を自動的に放棄すると定めた条項を削除した。さらに2001年の改正では、殺人や強姦、放火、強盗、誘拐、薬物取引、飲酒運転による死亡事故など12種類の犯罪について、身柄の引き渡しを判決後から起訴時に早め、要請があれば起訴前の引き渡しも可能にした。
ただ、日本政府の見方は少し違う。外務省は、米側が身柄を確保した場合に起訴まで米側が拘束する仕組みはNATO地位協定と同じで、日本が不利なわけではないと説明している。韓国の場合も起訴時に引き渡されるのは12種類に限られ、それ以外は判決の確定後になる、とも指摘している。どちらが有利かは、何を比べるかで変わるということだ。
4か国比較表
表は横にスクロールして読めます。
| 項目 | 日本 | ドイツ | イタリア | 韓国 |
|---|---|---|---|---|
| 国内法の適用 | 公務執行には原則不適用(政府見解) | 原則適用 | 原則適用 | 国内法の不適用は例外という整理(沖縄県調査) |
| 基地の管理 | 米軍が管理、立ち入りは米側の同意が前提 | 自治体の立ち入り権を明記 | イタリア軍司令官が常駐 | — |
| 訓練への関与 | 日本側の承認の仕組みなし | 国防相の同意・当局の承認が必要 | イタリア側の承認が必要 | — |
| 公務外の刑事事件 | 日本が裁く(身柄は米側が先に確保すると起訴まで米側) | 原則として裁判権を米側に一括放棄 | NATO地位協定の枠組み | 12種の重大犯罪は起訴時に引き渡し |
| 協定の改定歴 | 1960年以来なし | 1971・1981・1993年 | 二国間取り決めを整備 | 1991・2001年 |
(韓国の基地管理・訓練の欄は、この記事では比較対象として扱っていない)
表を見るとわかるとおり、日本の弱さは「裁判権」より、基地の管理、訓練、環境、空といった平時の運用にある。
政府はなぜ改定しないのか|反論も公平に

政府の言い分も整理しておく。
政府の基本線は一貫していて、協定本文を改定するより、個別の問題に運用改善で機敏に対応するほうが合理的だ、というものだ。日本はNATO地位協定やボン補足協定の当事国ではないので、単純に比べて有利不利を論じるのは適当ではない、とも答弁している。米兵に日本の法令を尊重する義務を課す規定(第16条)は、NATOや韓国の協定にもおおむね同じものがある。
一方で、運用改善だけでは不十分な場合は「改正も視野に入れる」という答弁も2001年に出ている。改定の可能性そのものを否定しているわけではない。
改定に慎重な立場からは、こんな現実的な懸念もよく聞く。協定を開けて交渉を始めれば、米側からも要求が出てくる。米国防総省は、やむを得ない理由がない限り再交渉は避けるという姿勢を示してきた。同盟の抑止力が問われる時期に、協定の見直しで日米がもめるのは得策ではない、という考え方だ。
それでも、改定を求める声は立場を超えて広がっている。2018年には全国知事会が、航空法や環境法令などの国内法を原則として米軍にも適用することを含む提言を全会一致で採択した。石破氏は首相就任直後に「必ず実現したい」と語り、自民党も2024年の衆院選の公約に「日米地位協定のあるべき姿を目指す」と書いた。首相在任中はトーンが下がったが、2026年には前首相として超党派の議員連盟を立ち上げる動きを主導していると報じられている。
高市政権は、那覇の事件について米側に強く抗議し、綱紀粛正を求めた。地位協定そのものについてどこまで踏み込むかは、これから注目される点だ。
お金の話|第24条と「思いやり予算」
地位協定には経費の話も書かれている。第24条は、基地の提供にかかる費用を除き、在日米軍の維持にかかる経費は米側が負担すると定めている。
ところが実際には、日本は1978年度から、本来は米側が負担するはずの経費の一部を払っている。いわゆる「思いやり予算」だ。1987年以降は特別協定を結んで、基地で働く日本人従業員の給与や光熱水料などを負担してきた。現在の特別協定は2022年度から2026年度までの5年間で、「同盟強靱化予算」と名前を変え、年平均で約2,110億円の規模になっている。
この特別協定は2027年3月末で期限を迎える。2027年度からの5年分について、日米の実務者協議が2026年の夏に東京で始まり、年内の合意を目指している。焦点は日本側の負担増で、攻撃を受けても基地の機能を保つ「抗堪性」の強化費用が盛り込まれる可能性がある。
地位協定の見直しを語るとき、この「お金」の交渉と切り離して考えることはできない。日本は防衛費をGDP比2%とする目標を前倒しで達成する方針をとり、令和9年度の概算要求でも増額が続いている。同盟のコストをどう分け合うかは、防衛関連企業の業績や予算の流れを追っている投資家にとっても無関係ではない。
※投資は元本割れのリスクがある。この記事は特定の銘柄や取引を勧めるものではなく、最終的な判断はご自身で行ってほしい。
帝国ファンとして考える「不平等条約」との違い
「日米地位協定は現代の不平等条約だ」という言い方を、私は半分正しくて半分違うと思っている。
幕末の1858年に結ばれた安政の五か国条約で、日本は外国人の犯罪を日本の法で裁けない領事裁判権を認めさせられた。1886年のノルマントン号事件では、紀州沖で沈んだ英国船から英国人の船員が脱出する一方、日本人の乗客は全員が亡くなった。英国の領事裁判で船長は当初無罪とされ、国内の世論は沸騰した。この怒りが条約改正運動を加速させ、陸奥宗光が1894年の日英通商航海条約で領事裁判権の撤廃にこぎつける(施行は1899年)。関税自主権の回復は、さらに小村寿太郎による1911年まで待つことになった。
1995年の少女暴行事件と、それに続く地位協定の運用改善の流れは、このノルマントン号事件から条約改正へという流れによく似ている。国民の怒りが政府を動かすという点では同じだ。
違うのは、明治の条約は武力を背景に押しつけられたものだったのに対し、日米地位協定は、日本が自分の安全保障のために結んでいる同盟の付属協定だという点だ。日本は米軍の駐留から抑止力という利益も得ている。だから「全部押しつけられた」と言い切るのは正確ではない。
もうひとつ、帝国の歴史を好きな人間として書いておかないとフェアじゃないことがある。日本自身も、1876年の日朝修好条規で朝鮮に領事裁判権を認めさせた側だった。そして現代の日本も、ソマリア沖の海賊対処で自衛隊が拠点を置くジブチとの間で、自衛隊員にはすべての刑事裁判権を日本側が行使するという取り決めを2009年に結んでいる。公務かどうかを問わず、ジブチの法で裁かれない形だ。
結局、地位協定の中身は国と国の力関係と、それを変えようとする意志で決まる。明治の日本は法典を整え、国力をつけ、40年かけて条約を改正した。「不平等だ」と嘆くだけでは何も動かない、というのが明治の教訓だと私は思う。
自衛隊ファン・同盟支持派として思うこと
私は日米同盟は必要だと考えている。台湾有事が現実の議論になり、南西諸島の防衛が問われる今、在日米軍の存在は日本の抑止力の柱だ。
だからこそ、地位協定の見直しは「反米」の文脈ではなく、同盟を長持ちさせるための整備として語るべきだと思う。基地の周辺に住む人たちが「事故が起きても調べられない」「汚染されても立ち入れない」と感じ続ける同盟は、いざというときにもろい。
ドイツやイタリアの例が示しているのは、裁判権を全部取り返すことではない。基地の運用や訓練、環境といった日常の部分に受け入れ国が関与できる仕組みを持つことだ。そこなら、同盟の抑止力を削らずに改善できる余地がある。自衛隊が豪州、英国、フィリピンなどと円滑化協定(RAA)を結び、受け入れる側と送り出す側の両方を経験するようになった今、日本はこの問題を以前よりずっと具体的に議論できる立場にあるはずだ。
よくある疑問
日米地位協定は一度も改定されていないの?
1960年の発効以来、本文は一度も改定されていない。これまでは運用改善や、2015年の環境補足協定、2017年の軍属補足協定のような追加の取り決めで対応してきた。
ドイツでは米兵を自国の裁判所で裁いているの?
原則として裁いていない。ボン補足協定で、ドイツは第一次裁判権を一括して放棄しており、重大な事件に限って撤回して自国で裁く仕組みだ。ドイツの協定が日本より進んでいるのは、国内法の適用や基地の立ち入り、訓練への関与といった部分になる。
地位協定を改定したら日米同盟が壊れるの?
壊れるかどうかは中身次第だ。慎重派は、交渉を始めれば米側からも要求が出て同盟が揺らぐと心配する。改定派は、ドイツや韓国が改定後も米軍の駐留を続けていることを挙げ、住民の信頼を得ることがむしろ同盟の安定につながると主張している。
日米合同委員会って何?
地位協定の運用を話し合う日米の協議機関で、日本側は外務省や防衛省などの官僚、米側は在日米軍の幹部らが出席する。協定の細かい運用ルールの多くはここで決まるが、議事録は原則として公開されていない。地位協定が「見えにくい」と言われる大きな理由のひとつだ。
2026年10月の那覇の事件と地位協定は関係あるの?
今回は日本の警察が基地の外で容疑者を逮捕し、日本側が身柄を確保しているので、起訴まで米側が拘束するという身柄の問題は起きていない。それでも知事が見直しを求めたのは、米兵の外出や飲酒のルールが米軍の内規に任され、日本側がその運用を確かめられないといった、事件を防ぐ仕組みの部分に問題があると考えているからだ。
もっと深く知りたい人へ
地位協定は、条文と合意議事録と合同委員会の合意が絡み合った、かなり厄介な分野だ。ニュースの断片だけで理解しようとすると、どうしても「不平等かどうか」の印象論になってしまう。新書を1冊読むだけで見え方がかなり変わる。移動中に耳で読むならAudibleが手軽だ。
まとめ
日米地位協定が「不平等」と言われるのは、身柄の拘束、公務中の事件、国内法の適用、基地の管理権、空、検疫、原状回復と、主権にかかわる部分で日本側の関与が弱いからだ。
ただ、ドイツやイタリアと比べると、話はそう単純ではない。ドイツは刑事裁判権をほぼ米側に任せていて、イタリアも公務中の事故は裁けなかった。両国が日本より進んでいるのは、基地の運用や訓練、環境に自国のルールを通している点だ。日本の本当の弱点は、裁判そのものより、平時の運用を自分たちで確かめる仕組みがないことにある。
1960年から一度も動いていない協定を、同盟を壊さずにどう変えるか。2027年度からの思いやり予算の交渉、超党派の議員連盟の動き、新しい沖縄県知事の要請と、2026年の秋はこの問題が動く可能性のある時期だ。動きがあれば追記していく。
参考資料
- 外務省「日米地位協定」関連資料、「在日米軍駐留経費負担に係る特別協定」概要
- 沖縄県「他国地位協定調査報告書」(欧州編・韓国編ほか)、「ボン補足協定の概要」「チェルミスにおけるロープウェー切断事故に関するイタリア国会報告書の概要」
- 衆議院・参議院の質問主意書および答弁書
- 米国上院軍事委員会「NATO地位協定第7条の運用」公聴会記録
- 琉球新報、沖縄タイムス、共同通信、時事通信、NHKの各報道







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