イギリスの人々は、この艦を「マイティ・フッド(偉大なるフッド)」と呼んだ。
巡洋戦艦フッドは、1920年に完成してから約20年間、世界最大の軍艦だった。全長262m、8門の38cm砲、そして30ノットを超える速さ。世界一周の航海で各地の港を訪れ、大英帝国の海軍力そのものを象徴する存在だった。
ところが、その最期はあまりにもあっけなかった。1941年5月、ドイツの戦艦ビスマルクとの砲撃戦のさなか、フッドは大爆発を起こし、わずか数分で沈んだ。乗員1,418人のうち、生き残ったのは3人だけだった。
フッドというと、どうしても「ビスマルクに沈められた艦」として語られがちだ。でも、この艦には、生まれる前の設計の変更から、20年にわたる艦歴、そして「忙しすぎて改装されなかった」という皮肉な運命まで、フッド自身の物語がある。この記事では、ビスマルクの相手役としてではなく、フッドそのものの設計と艦歴を見ていく。
- フッドは、第一次世界大戦中に起工された英国海軍の巡洋戦艦で、ユトランド沖海戦の教訓から建造途中で装甲を大幅に増やした
- 完成した1920年から約20年間、世界最大の軍艦であり、英国海軍の顔として世界中を巡った
- 1939年に予定されていた大改装は、戦争の始まりで実現せず、旧式化した弱点を抱えたまま戦うことになった
- 1941年5月24日、デンマーク海峡でビスマルクとの砲撃戦中に爆沈。沈没の原因は今も完全には決着していない
巡洋戦艦フッドとは|基本情報

写真・素材:Photographer: Allan C. Green 1878 – 1954 Restoration: Adam Cuerden Please credit both/Wikimedia Commons(Public domain)
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 艦級 | アドミラル級巡洋戦艦(4隻計画のうち完成はフッド1隻のみ) |
| 建造 | ジョン・ブラウン社(スコットランド・クライドバンク) |
| 起工 | 1916年9月1日 |
| 進水 | 1918年8月22日 |
| 就役 | 1920年5月15日 |
| 排水量 | 基準約42,670英トン、満載約46,680英トン |
| 全長/幅 | 262.3m/31.8m |
| 機関 | ヤーロー式ボイラー24基、設計出力14万4,000馬力 |
| 速力 | 設計31ノット、公試で32.07ノット |
| 主砲 | 38.1cm(15インチ)連装砲4基8門 |
| 装甲 | 舷側の主装甲帯305mm(外側に12度傾斜) |
| 乗員 | 約1,400人 |
| 最期 | 1941年5月24日、デンマーク海峡で戦没 |
巡洋戦艦とは何か|速さと引き換えにしたもの
フッドを理解するには、まず「巡洋戦艦」という艦種を知っておく必要がある。
巡洋戦艦は、20世紀のはじめにイギリス海軍が生み出した軍艦だ。戦艦と同じくらいの大きな砲を積みながら、装甲を薄くして軽くし、そのぶん巡洋艦並みの速さを手に入れる。敵の巡洋艦を追いかけて仕留め、強い戦艦からは速さで逃げられる。そういう考え方の艦だった。
ところが、この考え方は1916年のユトランド沖海戦で大きくつまずく。ドイツ艦隊との砲撃戦で、イギリスの巡洋戦艦3隻が、敵の砲弾を受けて弾薬庫が爆発し、次々に沈んだのだ。速さのために薄くした装甲が、戦艦どうしの撃ち合いの中では命取りになった。ユトランド沖海戦の全体像はユトランド沖海戦の解説にまとめている。
設計|建造途中で「巡洋戦艦の弱点」を埋めようとした

写真・素材:US military/Wikimedia Commons(Public domain)
起工の直後にユトランドの衝撃
フッドが起工されたのは1916年9月。ユトランド沖海戦のわずか3か月後だった。もともとフッドは、従来の巡洋戦艦の流れをくむ設計で計画されていたが、海戦の結果を受けて、建造の途中で設計を大きく見直すことになる。
見直しの中心は装甲だった。1916年の終わりまでに、約5,000トンもの装甲と補強が追加された。舷側の主装甲帯は、当初の約20cmから約30cmへと厚くなった。この装甲帯は、外側に12度傾けて取りつけられ、水平に飛んでくる砲弾に対して、実質的な厚みが増すように工夫されていた。
重くなった代償
装甲を増やした結果、フッドは重くなった。満載の状態では、喫水が設計より1m以上深くなり、速力もわずかに落ちた。艦尾の甲板が低くなって、波をかぶりやすい「濡れた艦」になったのも、この重さのせいだ。
残った弱点|甲板の装甲
舷側の装甲は厚くなったが、甲板の装甲は、場所によって2cm弱から7.6cmほどにとどまった。遠くから高い角度で落ちてくる砲弾には、甲板が弱かったのだ。この弱点は、フッドの生涯を通じて完全には解消されなかった。
戦艦に近い巡洋戦艦
舷側の装甲を厚くしたフッドは、それまでの巡洋戦艦よりはるかに頑丈になった。舷側の装甲の厚さは、同じ時代の戦艦にかなり近い。そのため、フッドを「実質的には高速戦艦だった」と見る人もいる。ただ、イギリス海軍は最後までフッドを巡洋戦艦として扱い、甲板の弱さという巡洋戦艦らしい弱点も残っていた。
姉妹艦は生まれなかった
フッドは、アドミラル級と呼ばれる4隻の巡洋戦艦の1番艦として計画された。しかし、第一次世界大戦が終わると、残りの3隻の建造は取りやめになった。フッドは、ただ1隻だけ完成したアドミラル級になったのだ。
艦歴|英国海軍の「顔」として

写真・素材:Unknown photographer (Wright & Logan)/Wikimedia Commons(Public domain)
1920年|世界最大の軍艦として就役
フッドは1920年5月15日に就役した。全長262mの船体は、当時の世界のどの軍艦よりも大きかった。この「世界最大の軍艦」という肩書きは、その後約20年にわたって続くことになる。
同じ1920年、日本では戦艦長門が完成している。長門は41cm砲を積む世界初の戦艦で、フッドは38cm砲を積む世界最大の軍艦。日英の海軍の誇りを背負った2隻が、同じ年に生まれたわけだ。
1923〜24年|世界一周の航海
1923年11月から約10か月をかけて、フッドは他の艦とともに世界一周の航海に出た。南アフリカ、オーストラリア、ニュージーランド、カナダなど、大英帝国の各地を回り、アメリカにも寄港した。
この航海で、フッドは各地で大歓迎を受けた。巨大で美しい姿は、大英帝国の海軍力を世界に見せつける、生きた広告塔だった。「マイティ・フッド」の名声は、この航海で世界に広まったと言っていい。
1930年代|地中海とスペイン内戦
1930年代のフッドは、本国艦隊や地中海艦隊の旗艦として活動した。1936年にスペイン内戦が始まると、地中海艦隊に移り、1937年には、封鎖を試みる反乱軍の巡洋艦をけん制しながら、イギリスの商船をスペインのビルバオ港まで護衛した。
1939年|実現しなかった大改装
ここで、フッドの運命を左右する出来事がある。いや、正確に言えば「出来事が起きなかった」ことだ。
1930年代、イギリス海軍は、第一次世界大戦の頃に作った戦艦や巡洋戦艦に、次々と大改装を施していた。機関を新しくし、甲板の装甲を強め、対空の装備を充実させる。同じ巡洋戦艦のレナウンや、戦艦のクイーン・エリザベス級の一部は、ほとんど作り直しに近い改装を受けた。
フッドにも、新しい機関や副砲、水上機を打ち出すカタパルトなどを含む大改装が計画されていた。しかし、1939年9月に第二次世界大戦が始まると、英国海軍の主力であるフッドを長期間ドックに入れることは不可能になった。大改装は実現しなかった。
その結果、フッドは、建造から20年たった機関と、甲板の弱さという古い弱点を抱えたまま、戦争に臨むことになった。1940年のはじめには、機関の不調で速力が26.5ノットまで落ちたこともあったという。いちばん大事な艦だったからこそ、いちばん大事な改装を受けられなかった。フッドの悲劇は、ここから始まっていたのかもしれない。
1940年|メルセルケビール
第二次世界大戦が始まると、フッドは北大西洋でドイツの通商破壊艦の動きを警戒する任務などについた。
1940年7月、フランスがドイツに降伏すると、イギリスはフランス艦隊がドイツの手に渡ることを恐れた。フッドは、地中海の西の入り口に置かれたH部隊の旗艦として、アルジェリアのメルセルケビールに停泊するフランス艦隊を砲撃した。昨日までの味方を撃つという、苦い作戦だった。
1941年5月|デンマーク海峡
1941年5月、ドイツの戦艦ビスマルクと重巡洋艦プリンツ・オイゲンが、大西洋に出撃した。フッドは、新しい戦艦プリンス・オブ・ウェールズとともに、これを迎え撃つためにアイスランドとグリーンランドの間のデンマーク海峡へ向かった。
5月24日の早朝、両軍は砲撃戦に入った。そして砲撃が始まってまもなく、フッドは大爆発を起こし、数分のうちに沈んだ。乗員1,418人のうち、生き残ったのは3人だけだった。
ビスマルク追撃戦の全体の流れや、その後のビスマルクの最期については、戦艦ビスマルクの解説で詳しく書いている。ここでは、フッドがなぜ沈んだのかという問題に絞って見ていきたい。
沈没の原因|今も続く議論
フッドはなぜ、これほど急に沈んだのか。この問いには、80年以上たった今も、完全な答えは出ていない。
二度の調査委員会
イギリス海軍は、沈没の直後に調査委員会を開き、1941年6月に報告を出した。結論は、ビスマルクの38cm砲弾がフッドの防御を貫いて、後部の弾薬庫を爆発させた、というものだった。
しかし、この調査は不十分だという批判が出て、同じ年に二度目の調査委員会が開かれた。こちらは176人もの証人から話を聞いたうえで、ほぼ同じ結論を出した。砲弾が、後部の10cm高角砲の弾薬庫か38cm主砲の弾薬庫の近くに命中し、おそらく10cm高角砲の弾薬庫が先に爆発した、というものだ。
ほかの説
それでも、異論は消えなかった。主な説には次のようなものがある。
- 魚雷の弾頭が爆発したとする説
- 砲弾が装甲帯の下の水中部分に命中したとする説
- 甲板の上で起きた火災が、弾薬庫に燃え広がったとする説
- 防御の弱い10cm高角砲の弾薬に火が回ったとする説
- 砲塔の内部で爆発が起きたとする説
2001年には、深さ約2,800mの海底でフッドの残骸が見つかった。残骸の調査から、魚雷の弾頭が原因だとする説は否定的に見られている。ただし、ほかの説については、今も歴史家の間で議論が続いている。
「甲板が薄かったから」と言い切れない理由
フッドの沈没は、よく「甲板の装甲が薄かったから」と説明される。たしかに甲板の弱さは、フッドの大きな弱点だった。しかし、砲弾がどこから、どの角度で入ったのかは、今もはっきりしていない。甲板を貫いたのか、舷側の弱い部分から入ったのか、別の場所で起きた火災が原因なのか。一つの原因に決めつけるのは、慎重であるべきだと私は思う。
確かに言えるのは、フッドが、改装を受けられないまま、建造から20年以上たった防御のままで、最新の戦艦と撃ち合ったということだ。
海底のフッドと、引き揚げられた鐘
フッドの残骸は、2002年に戦没者の墓所として保護の対象に指定された。2015年には、残骸のそばから艦の鐘が引き揚げられ、沈没から75年となる2016年5月24日、イギリスのポーツマスにある国立英国海軍博物館で公開された。
1,400人を超える乗員とともに海に眠るフッドは、今もイギリスの人々にとって特別な艦であり続けている。
日本の巡洋戦艦と比べる|金剛と赤城

写真・素材:probably US military/Wikimedia Commons(Public domain)
ここで、日本の目線からフッドを見てみたい。日本海軍にも、イギリスの流れをくむ巡洋戦艦があった。
金剛|改装で生まれ変わったイギリス生まれの巡洋戦艦
金剛は、イギリスのヴィッカース社で建造され、1913年に完成した巡洋戦艦だ。つまり、フッドと同じイギリスの巡洋戦艦の技術から生まれた艦である。
金剛は、その後二度にわたる大改装を受けた。装甲を強め、機関を新しくして、30ノットの速力を持つ「高速戦艦」に生まれ変わった。太平洋戦争では、その速さを生かして空母部隊の護衛や夜の砲撃戦で活躍している。
フッドより7年早く生まれた金剛が改装で生まれ変わり、より新しいフッドが改装を受けられないまま戦った。この対比は、とても皮肉だ。改装を受けられたかどうかが、二つの艦の運命を分けたとも言える。
赤城|条約で空母になった巡洋戦艦
もう一つ、フッドと同じ時代に計画された日本の巡洋戦艦がある。天城型巡洋戦艦だ。しかし、1922年のワシントン海軍軍縮条約で、各国は主力艦の建造を大きく制限された。天城型のうち、赤城は建造途中で空母に作り直され、のちに日本海軍の主力空母として真珠湾攻撃に加わることになる。
イギリスでも、フッドの後に計画されていた新しい巡洋戦艦は、この条約で取りやめになった。フッドは、条約の前に完成した最後の大型巡洋戦艦の一つとして、各国の海軍の中で特別な存在になったのだ。同じ時代の世界の戦艦の顔ぶれは第二次世界大戦の戦艦一覧で見比べられる。
模型で「大英帝国の艦」を眺める
残念ながら、フッドの模型はまだこのブログで紹介できる商品がない。代わりに、デンマーク海峡でフッドとともに戦った戦艦プリンス・オブ・ウェールズを紹介したい。この艦は、その半年後、マレー沖で日本海軍の航空隊と戦うことになる。
そして、フッドが最後に向き合った相手、戦艦ビスマルク。2隻を並べると、20年の設計の差がよく分かる。
よくある質問
フッドは戦艦なの?巡洋戦艦なの?
イギリス海軍の分類では巡洋戦艦だ。ただし、建造途中で装甲を大幅に増やしたため、舷側の装甲は同じ時代の戦艦にかなり近く、実質的には高速戦艦だったと見る人もいる。
フッドはどれくらい大きかった?
全長は262.3m、満載排水量は約4万7,000トン。1920年の完成から約20年間、世界最大の軍艦だった。
なぜフッドは改装されなかったの?
大改装は計画されていたが、1939年に第二次世界大戦が始まり、英国海軍の主力であるフッドを長期間ドックに入れることができなくなったからだ。
フッドが沈んだ原因は?
二度の調査委員会は、ビスマルクの砲弾が後部の弾薬庫付近に命中し、弾薬庫が爆発したと結論づけた。ただし、火災や砲塔内の爆発など別の説もあり、今も完全には決着していない。
フッドの生存者は何人?
乗員1,418人のうち、生き残ったのは3人だけだった。
フッドと金剛の関係は?
金剛はイギリスのヴィッカース社で建造された巡洋戦艦で、フッドと同じイギリスの巡洋戦艦の流れをくむ。金剛は二度の大改装で高速戦艦に生まれ変わったが、フッドは大改装を受けられなかった。
まとめ|「最も大切な艦」だったがゆえの運命
巡洋戦艦フッドは、ユトランド沖海戦の教訓を受けて建造途中で装甲を増やし、1920年に世界最大の軍艦として生まれた。20年にわたって英国海軍の顔として世界を巡り、大英帝国の海軍力の象徴であり続けた。
しかし、その大切さゆえに、フッドは大改装を受ける機会を逃した。古い防御のまま最新の戦艦と撃ち合い、わずか数分で沈んだ。沈没の原因は今も議論が続くが、改装で生まれ変わった金剛との対比を思うと、フッドの運命の皮肉が浮かび上がる。いちばん大切な艦だったからこそ、いちばん大切な手当てを受けられなかった。マイティ・フッドの物語は、そんな教訓を今に伝えている。空母と原子力潜水艦を軸にした今のイギリス海軍の姿は、イギリス海軍の艦艇一覧で整理している。
最後まで読んでくれてありがとう。長い記事を書くときのお供は、だいたいこれだ。
出典・参考資料
- HMS Hood Association:艦の諸元・装備
- HMS Hood Association:当時の艦内案内
- HMS Hood Association:乗員と居住環境
- HMS Hood Association:機関・推進
- HMS Hood Association:1920年の造船学会報告
- HMS Hood Association:生存者と喪失人数のFAQ
表紙の写真素材:
写真・素材:Photographer: Allan C. Green 1878 – 1954 Restoration: Adam Cuerden Please credit both/Wikimedia Commons(Public domain)。背景・レイアウト・文字を編集。







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