はじめに――戦車エースとは何者か
1943年7月、クルスク近郊。地平線を埋め尽くすソ連軍T-34の大群を前に、たった一人の戦車長が無線に叫んだ。
「前方、敵戦車50両以上。全車、我に続け」
その日、彼のティーガーI重戦車は22両のT-34を撃破した。名をミヒャエル・ヴィットマン。後に「史上最高の戦車エース」と呼ばれる男だ。
戦車エースとは、単に多くの敵戦車を撃破した兵士のことではない。彼らは鋼鉄の棺桶の中で、極限の判断を迫られ続けた「鉄の騎士」たちだった。照準器の向こうに見えるのは、自分と同じように家族の写真を胸ポケットに入れた敵兵。引き金を引くのが一瞬遅れれば、次の瞬間には自分が炎に包まれる。
この記事では、第二次世界大戦で活躍した戦車エースたちをランキング形式で紹介する。史上最大の戦車戦・クルスクの戦いからノルマンディーの激闘まで、彼らが駆け抜けた戦場の記憶を辿っていこう。
第二次世界大戦 戦車エースランキングTOP15

第15位:西住小次郎(日本)――「軍神」と呼ばれた日本初の戦車エース
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | 大日本帝国 |
| 所属 | 陸軍戦車第1連隊 |
| 主な搭乗戦車 | 八九式中戦車 |
| 撃破記録 | 不明(戦車対戦車戦闘は少数) |
| 戦死 | 1938年5月17日(中国・徐州会戦) |
日本における「戦車エース」を語るなら、まず西住小次郎中尉の名を挙げなければならない。
1938年、日中戦争のさなか。徐州会戦で八九式中戦車を駆る西住中尉は、敵陣への単騎突入を繰り返し、歩兵部隊の突破口を切り開いた。その勇猛さは「軍神」として国内で大々的に報じられ、日本初の戦車英雄となった。
正直に言えば、西住中尉の「戦車エース」としての評価は難しい。当時の中国軍は近代的な戦車部隊をほとんど持っておらず、戦車対戦車の戦闘記録はわずかだ。しかし、彼の存在が日本陸軍の戦車運用思想に与えた影響は計り知れない。
日本軍の戦車は本当に弱かったのかという議論があるが、西住中尉の戦いぶりを見れば、装備の優劣だけでは測れない「戦車兵の魂」があったことがわかる。
彼は1938年5月17日、敵弾を受けて戦死。享年24歳。日本の戦車兵たちの精神的支柱となった人物だ。
第14位:ラファイエット・プール(アメリカ)――M4シャーマンで最も多くの敵を撃破した男
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | アメリカ合衆国 |
| 所属 | 第3機甲師団 |
| 主な搭乗戦車 | M4シャーマン |
| 撃破記録 | 戦車12両、装甲車両258両、自走砲・対戦車砲多数 |
| 戦後 | 1991年没 |
「シャーマンでティーガーに勝てるわけがない」
そう言われた時代に、ラファイエット・プール軍曹はM4シャーマンで驚異的な戦果を挙げた。
1944年6月から8月までのわずか81日間で、彼は戦車12両、装甲車両258両を撃破。これはアメリカ軍戦車兵として最高の記録だ。
プールの強みは「シャーマンの機動力を最大限に活かす戦術眼」にあった。正面からの撃ち合いではドイツ戦車に勝てないと知っていた彼は、常に側面や背後を取る機動戦を展開。時には歩兵と連携して待ち伏せを仕掛け、時には高速で敵陣を突破して混乱を誘った。
1944年9月19日、彼のシャーマンは榴弾の直撃を受けて炎上。プールは右足を失ったが、生還を果たした。
彼の戦いぶりは、装備で劣っていても戦術と技量で補えることを証明している。ノルマンディー上陸作戦以降の西部戦線で、アメリカ軍戦車兵たちがいかに戦ったかを知るうえで、プールの存在は欠かせない。
第13位:ヨハネス・ベルター(ドイツ)――III号突撃砲で139両を撃破した「隠れた名手」
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | ドイツ |
| 所属 | 第276突撃砲旅団 |
| 主な搭乗戦車 | III号突撃砲G型 |
| 撃破記録 | 139両 |
| 戦後 | 1987年没 |
戦車エースと聞くと、ティーガーやパンターに乗った華々しい重戦車乗りを想像するだろう。しかし、ドイツ軍の戦車撃破数の多くは、実は突撃砲によって達成されていた。
ヨハネス・ベルター軍曹は、III号突撃砲という「縁の下の力持ち」を駆って139両という驚異的な記録を残した。
突撃砲は旋回砲塔を持たない分、車高が低く、被発見率が低い。ベルターはこの特性を最大限に活かし、待ち伏せ戦術の達人となった。彼の乗るIII号突撃砲は、草むらや建物の陰に潜み、ソ連軍戦車が射程に入った瞬間、一撃必殺の75mm砲弾を叩き込んだ。
「戦車戦とは、最初に発見し、最初に命中させた者が勝つ」
ベルターの戦いぶりは、この原則を体現していた。
第12位:パウル・エッゲルト(ドイツ)――駆逐戦車で113両を撃破した東部戦線の守護者
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | ドイツ |
| 所属 | 第519重戦車駆逐大隊 |
| 主な搭乗戦車 | ヤークトパンター |
| 撃破記録 | 113両 |
| 戦後 | 詳細不明 |
1944年以降、ドイツ軍は守勢に回った。かつての電撃戦の栄光は過去のものとなり、彼らに残された選択肢は「いかに遅滞戦闘を行うか」だった。
パウル・エッゲルトは、ヤークトパンターという駆逐戦車を駆り、押し寄せるソ連軍戦車の波を食い止め続けた。88mm砲の射程を活かした長距離狙撃で、彼は113両もの敵戦車を撃破している。
ヤークトパンターは低い車体に強力な88mm砲を搭載した「待ち伏せの王者」だ。エッゲルトはこの車両の特性を完璧に理解し、敵が射程に入るまで決して発砲しなかった。一撃で仕留め、すぐに陣地変換。この繰り返しで、彼は東部戦線の崩壊を少しでも遅らせようとした。
第11位:ハインツ・クリューゲル(ドイツ)――パンターで129両を撃破した「万能戦車」の体現者
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | ドイツ |
| 所属 | 第2SS装甲師団「ダス・ライヒ」 |
| 主な搭乗戦車 | パンターG型 |
| 撃破記録 | 129両 |
| 戦後 | 詳細不明 |
パンターV型戦車は、T-34ショックへの回答として生まれた「ドイツ戦車の最高傑作」だ。傾斜装甲、高初速の75mm砲、優れた機動性を兼ね備えたこの戦車は、多くのドイツ軍戦車エースに愛用された。
ハインツ・クリューゲルは、パンターで129両という撃破記録を残している。彼の戦いぶりは「パンターの教科書」と呼ぶにふさわしいものだった。
長距離での射撃戦ではパンターの高初速砲が威力を発揮する。クリューゲルはこの特性を活かし、1,000m以上の距離から敵戦車を狙撃。接近戦になる前に敵を撃破することで、パンターの側面装甲の薄さという弱点を補った。
第10位:マルティン・シュロイフ(ドイツ)――ティーガーIIで161両を撃破した「キングタイガーの王」

| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | ドイツ |
| 所属 | 第503重戦車大隊 |
| 主な搭乗戦車 | ティーガーII(キングタイガー) |
| 撃破記録 | 161両 |
| 戦後 | 詳細不明 |
ティーガーII(キングタイガー)。この68トンの巨獣は、正面装甲185mmという「撃たれても死なない」防御力と、88mm L/71砲という「当たれば必ず殺す」火力を兼ね備えていた。
マルティン・シュロイフは、このキングタイガーを駆って161両という驚異的な記録を残した。
1944年以降の東部戦線で、キングタイガーはソ連軍にとって悪夢のような存在だった。T-34の76mm砲はおろか、IS-2の122mm砲でさえ、正面からキングタイガーを貫通することは困難だった。シュロイフはこの圧倒的な防御力を盾に、押し寄せるソ連軍戦車の群れを次々と撃破していった。
しかし、キングタイガーにも弱点があった。燃費の悪さと機械的信頼性の低さだ。シュロイフの戦いは常に「燃料が尽きる前に」「故障する前に」という時間との戦いでもあった。
第9位:エルンスト・バルクマン(ドイツ)――「バルクマン・コーナー」の伝説
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | ドイツ |
| 所属 | 第2SS装甲師団「ダス・ライヒ」 |
| 主な搭乗戦車 | パンターG型 |
| 撃破記録 | 80両以上 |
| 戦後 | 2009年没 |
1944年7月27日、フランス・ノルマンディー。エルンスト・バルクマン曹長のパンターは、道路の曲がり角で単独待ち伏せを行っていた。
そこに現れたのは、アメリカ軍のM4シャーマン戦車隊だった。先頭車両が曲がり角を曲がった瞬間、バルクマンは発砲。至近距離からの一撃がシャーマンを炎上させた。
驚くべきことに、バルクマンはその場を動かなかった。次のシャーマンが曲がり角を曲がってくるたびに、彼は冷静に砲撃を繰り返した。結果、この日だけで9両のシャーマンを撃破。「バルクマン・コーナー」の伝説が生まれた瞬間だ。
この戦いは、バルジの戦いでも繰り返された。バルクマンは戦争を生き延び、2009年に89歳で亡くなっている。
第8位:フランツ・シュティアワルト(ドイツ)――III号戦車からティーガーまでを乗りこなした「適応の達人」
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | ドイツ |
| 所属 | 第502重戦車大隊 |
| 主な搭乗戦車 | III号戦車、ティーガーI |
| 撃破記録 | 129両 |
| 戦後 | 1990年没 |
フランツ・シュティアワルトの戦車兵人生は、ドイツ戦車の進化とともにあった。
1941年のバルバロッサ作戦ではIII号戦車に乗り、1942年からはティーガーIに搭乗。異なる性能特性を持つ戦車を次々と乗りこなし、どの車両でも優れた戦果を挙げた。
シュティアワルトの強みは「どんな戦車でも最大限の性能を引き出す適応力」にあった。III号戦車では機動力を活かした奇襲戦法、ティーガーでは重装甲を活かした正面突破と、車両に合わせて戦術を変えた。
彼の129両という記録は、単一車種ではなく複数の戦車で達成されたものだ。これは戦車エースとしての「総合力」の高さを示している。
第7位:オットー・カリウス(ドイツ)――『ティーガー戦車隊』の著者にして150両撃破の英雄
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | ドイツ |
| 所属 | 第502重戦車大隊 |
| 主な搭乗戦車 | ティーガーI、ヤークトティーガー |
| 撃破記録 | 150両以上 |
| 戦後 | 薬剤師として活動、2015年没 |
オットー・カリウスは、戦車エースとしてだけでなく、著書『ティーガー戦車隊』(Tigers in the Mud)によって世界中のミリタリーファンに知られている。
1944年7月22日、カリウスはソ連軍の大攻勢に対して驚くべき戦いを見せた。わずか2両のティーガーで、17両のT-34とIS-2を撃破。この戦闘で彼は騎士鉄十字章を授与された。
カリウスの著書には、戦車戦の生々しい描写が満ちている。照準器の曇り、砲弾の装填音、被弾した瞬間の衝撃。彼の文章を読むと、ティーガーの車内にいるような錯覚に陥る。
戦後、カリウスは薬局を開業し、「ティーガー薬局」と名付けた。2015年に92歳で亡くなるまで、彼は戦車戦の記憶を語り続けた。彼の著書は、戦車戦を知るうえで必読の一冊だ。
第6位:クルト・クニスペル(ドイツ)――公式168両、非公式195両。「最強」候補の一人
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | ドイツ |
| 所属 | 第503重戦車大隊 |
| 主な搭乗戦車 | III号戦車、IV号戦車、ティーガーI、ティーガーII |
| 撃破記録 | 公式168両(非公式195両) |
| 戦死 | 1945年4月28日 |
「なぜクルト・クニスペルはヴィットマンほど有名ではないのか?」
この問いに対する答えは複雑だ。撃破数では168両(一説には195両)とヴィットマンを上回り、ティーガーIIでの撃破記録は全戦車エース中最高とされる。しかし、彼はついに騎士鉄十字章を授与されなかった。
理由は「軍規律への不服従」だった。クニスペルは戦車兵としては超一流だったが、軍の規律には従わなかった。長髪を伸ばし、命令に反抗し、時には上官と衝突した。ナチス・ドイツの軍において、このような態度は昇進の妨げとなった。
1945年4月28日、ベルリン陥落直前。クニスペルは戦死した。終戦のわずか10日前のことだった。
彼の墓には、シンプルな碑文が刻まれている。「クルト・クニスペル 戦車曹長 1921-1945」。史上最高の戦車撃破数を持つ男の最期は、あまりにも静かだった。
第5位:ヨハネス・ビューメル(ドイツ)――IV号戦車で80両を撃破した「働き者」の達人
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | ドイツ |
| 所属 | 第12装甲師団 |
| 主な搭乗戦車 | IV号戦車 |
| 撃破記録 | 80両以上 |
| 戦後 | 詳細不明 |
ティーガーやパンターばかりが注目されるが、ドイツ軍の「主力」は最後までIV号戦車だった。
ヨハネス・ビューメルは、このIV号戦車で80両以上の撃破記録を持つ。IV号戦車は「働き者」と呼ばれ、信頼性の高さと整備のしやすさで前線の兵士たちに愛された。しかし、装甲は薄く、ティーガーやパンターのような「無敵感」はない。
ビューメルはIV号戦車の限界を知り尽くしていた。だからこそ、彼は「撃たれない戦い方」を徹底した。地形を利用し、側面を取り、一撃離脱を繰り返す。派手さはないが、確実に敵を仕留める戦い方だ。
IV号戦車での80両撃破は、ティーガーでの100両撃破に匹敵する難易度だと言えるだろう。
第4位:ハンス・ベルタ(ドイツ)――突撃砲で75両を撃破した「静かなる殺し屋」
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | ドイツ |
| 所属 | 第667突撃砲旅団 |
| 主な搭乗戦車 | III号突撃砲 |
| 撃破記録 | 75両 |
| 戦後 | 詳細不明 |
突撃砲エースの中でも、ハンス・ベルタは特筆すべき存在だ。
彼の戦い方は「狙撃手」に近かった。草むらや廃墟に潜み、敵戦車が射程に入るまでじっと待つ。そして一発。命中を確認したら、すぐに陣地変換。この繰り返しで75両を撃破した。
突撃砲は旋回砲塔を持たないため、正面以外の敵には対応できない。この弱点を補うため、ベルタは常に「退路」を確保してから待ち伏せ位置についた。撃破後の離脱経路を事前に計画し、敵の反撃を受ける前に姿を消す。
地味だが、これこそが「プロの戦車戦」だ。
第3位:ドミトリー・ラヴリネンコ(ソ連)――52両撃破で戦死した「赤軍最高のエース」

| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | ソビエト連邦 |
| 所属 | 第4戦車旅団 |
| 主な搭乗戦車 | T-34/76 |
| 撃破記録 | 52両 |
| 戦死 | 1941年12月18日 |
ソ連軍の戦車エースの中で、ドミトリー・ラヴリネンコは別格の存在だ。
1941年6月から12月までのわずか半年間で、彼は52両のドイツ軍戦車を撃破した。モスクワ防衛戦での活躍は特に目覚ましく、ドイツ軍の首都攻略を阻止する重要な役割を果たした。
ラヴリネンコの強みは「T-34の機動力を最大限に活かす戦術」にあった。T-34は当時、世界最高の中戦車と言われていたが、初期型は砲塔の人員配置に問題があり、射撃速度が遅かった。ラヴリネンコはこの弱点を補うため、常に「一撃必殺」を心がけた。
1941年12月18日、彼は迫撃砲の破片を受けて戦死。享年27歳。52両という記録は、ソ連軍戦車エースとしては最高だが、彼がもう少し長く生きていたら、どれほどの記録を残しただろうか。
第2位:ハインリッヒ・ツヴェッティ(ドイツ)――ティーガーで戦い抜いた「生き残りの達人」
| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | ドイツ |
| 所属 | 第506重戦車大隊 |
| 主な搭乗戦車 | ティーガーI |
| 撃破記録 | 137両 |
| 戦後 | 詳細不明 |
137両という記録もさることながら、ツヴェッティが凄まじいのは「最後まで生き残った」ことだ。
重戦車大隊の戦車長は、常に敵の優先目標だった。ティーガーを見つけたら、敵は全火力を集中してくる。ツヴェッティは何度も車両を撃破され、何度も脱出を強いられた。しかし、彼は最後まで戦場から生還し続けた。
「撃破されることを前提に、どう生き延びるか」
これがツヴェッティの哲学だった。車内の逃げ道を常に確認し、被弾した瞬間に脱出できる体勢を整えておく。戦車は失っても、経験豊富な戦車兵が生き残れば、次の戦車で戦える。
彼の「生存術」は、戦車戦を考えるうえで重要な視点を与えてくれる。
第1位:ミヒャエル・ヴィットマン(ドイツ)――138両撃破、史上最も有名な戦車エース

| 基本情報 | |
|---|---|
| 国籍 | ドイツ |
| 所属 | 第101SS重戦車大隊 |
| 主な搭乗戦車 | ティーガーI |
| 撃破記録 | 138両+突撃砲・対戦車砲132門 |
| 戦死 | 1944年8月8日 |
1944年6月13日、フランス・ヴィレル・ボカージュ。
イギリス第7機甲師団の縦隊が、ノルマンディーの田舎道を進んでいた。突然、先頭のクロムウェル巡航戦車が炎に包まれた。誰も敵の姿を見ていなかった。
次の瞬間、道路わきの茂みから巨大なティーガーが姿を現した。砲塔を旋回させながら前進し、次々とイギリス軍車両を撃破していく。わずか15分間で、クロムウェル戦車14両、シャーマン・ファイアフライ2両、軽戦車・装甲車多数を撃破。
この「ヴィレル・ボカージュの戦い」で名を上げたのが、ミヒャエル・ヴィットマンだ。
ヴィットマンの経歴は、東部戦線から始まった。バルバロッサ作戦、クルスクの戦いを経験し、ティーガーの特性を知り尽くしていた。彼の戦術は「重装甲を盾に、敵陣に突入し、至近距離で確実に仕留める」というものだった。
1944年8月8日、ノルマンディー。カナダ軍のシャーマン・ファイアフライとの戦闘中、ヴィットマンのティーガーは撃破された。砲塔が吹き飛び、彼は戦死した。享年30歳。
彼の138両という記録は、撃破数だけを見れば最高ではない。しかし、「ヴィレル・ボカージュの15分間」という伝説的な戦闘と、その華々しい戦いぶりから、ヴィットマンは「史上最も有名な戦車エース」として記憶されている。
ドイツ軍最強戦車ランキングでティーガーが上位に入る理由の一つは、間違いなくヴィットマンの存在だ。
戦車エースたちが乗った名戦車一覧
| 戦車名 | 主な搭乗エース | 特徴 |
|---|---|---|
| ティーガーI | ヴィットマン、カリウス | 88mm砲と重装甲の重戦車 |
| ティーガーII | クニスペル、シュロイフ | 「無敵」の防御力を持つ最強重戦車 |
| パンターV | バルクマン、クリューゲル | 機動力と火力のバランスに優れた中戦車 |
| IV号戦車 | ビューメル | 信頼性の高い「働き者」 |
| III号突撃砲 | ベルター、ベルタ | 待ち伏せ戦術に最適な低車高 |
| T-34 | ラヴリネンコ | ソ連軍の主力、機動力に優れる |
| M4シャーマン | プール | アメリカ軍の主力、数で勝負 |
各戦車の詳細については、ドイツ最強戦車ランキングTOP10や日本の戦車一覧も参考にしてほしい。
なぜドイツ軍に戦車エースが多いのか
ランキングを見て気づいた人も多いだろう。上位15人のうち、12人がドイツ軍だ。これは単なる偶然ではない。
- 記録システムの違い ドイツ軍は個人の撃破数を詳細に記録し、勲章授与の基準として使用した。一方、ソ連軍は「集団の戦果」を重視し、個人記録を残さないことが多かった。
- 戦術ドクトリンの違い ドイツ軍は「質で量を補う」思想があり、少数精鋭の戦車兵に最新鋭の重戦車を与えた。ソ連軍は「量で質を補う」思想で、大量の戦車を投入した。
- 防衛戦の多さ 1943年以降、ドイツ軍は守勢に回った。待ち伏せや遅滞戦闘は、個人の撃破数を稼ぎやすい。攻撃側より防御側の方が、狙いを定める時間がある。
- 戦車性能の優位 ティーガーやパンターは、同時期の連合軍戦車に対して優位な性能を持っていた。特に1943年から1944年にかけて、この優位は顕著だった。
日本軍に戦車エースが少ない理由
「なぜ日本軍には有名な戦車エースがいないのか?」
この問いに対する答えは、太平洋戦争の性質にある。
太平洋戦争は島嶼戦が中心だった。ジャングルや珊瑚礁では、戦車対戦車の大規模戦闘が起こりにくい。ルソン島の戦いで一部戦車戦が行われたが、ヨーロッパ東部戦線のような大規模戦車戦は存在しなかった。
また、日本軍の戦車は歩兵支援が主任務であり、対戦車戦闘を想定した設計ではなかった。日本軍の戦車一覧を見ればわかるが、九七式中戦車の47mm砲でM4シャーマンを撃破するのは困難だった。
それでも、西住小次郎のように「戦車兵の魂」を見せた日本人はいた。彼らの戦いは、撃破数では測れない価値がある。
戦車エースの伝説を「体験」する方法
ここまで戦車エースたちの戦いを見てきた。彼らの勇姿を、現代の僕たちはどうやって追体験できるだろうか。
ゲームで戦車戦を体験する
War Thunderやワールド・オブ・タンクスでは、この記事で紹介した戦車のほとんどに実際に乗ることができる。ティーガーの重装甲を体感し、T-34の機動力を味わい、シャーマンの数的優位を活かした戦術を試す。
特にWar Thunderは、車両の再現度が高く、ミリタリーファンにはたまらない。ヴィットマンのように「一騎当千」の戦いを再現してみてはどうだろうか。
プラモデルで「所有する」
戦車エースたちが乗った名戦車は、プラモデルでも高い人気を誇る。特にタミヤの1/35シリーズは、ディテールの正確さと組み立てやすさで定評がある。
| おすすめキット | メーカー | 特徴 |
|---|---|---|
| ティーガーI 後期生産型 | タミヤ | ヴィットマン車両のマーキング付き |
| パンターG型 | タミヤ | バルクマン仕様の再現可能 |
| ティーガーII | タミヤ | キングタイガーの威圧感を再現 |
| T-34/76 1942年型 | タミヤ | ソ連軍エースの愛車 |
| M4A3E8 シャーマン | タミヤ | 「フューリー」仕様 |
ヴィットマン車両のマーキングが付属するキットも多いので、「あの伝説の車両」を手元に再現できる。
映画・書籍で「知る」
オットー・カリウスの著書『ティーガー戦車隊』は、戦車戦を描いた最高の一次資料だ。戦車内部の様子、戦闘の緊張感、戦友との絆が生々しく描かれている。
映画では『フューリー』(2014年)がおすすめだ。M4シャーマンでティーガーに挑む戦車兵たちの物語で、戦車戦のリアリティを追求した傑作だ。
まとめ
第二次世界大戦の戦車エースたちは、鋼鉄の棺桶の中で生と死の狭間を駆け抜けた。
ヴィットマンの「ヴィレル・ボカージュの15分間」、クニスペルの「認められなかった168両」、ラヴリネンコの「半年で52両」。彼らの戦いは、単なる数字では語りきれない物語を持っている。
しかし、彼らは同時に「人を殺す兵器」の乗り手でもあった。照準器の向こうにいたのは、敵であると同時に、誰かの息子であり、父であり、兄弟だった。戦車エースの「記録」は、裏を返せば「殺された人間の数」でもある。
僕たちがこの歴史を学ぶ意味は、単に「かっこいい」と感じることだけではない。戦争の現実を知り、平和の価値を再認識することにある。
それでも、彼らの技量と勇気には敬意を払いたい。そして、その歴史を「忘れない」ために、プラモデルや書籍、映画を通じて、彼らの記憶を手元に置いておきたいと思う。
関連記事
- ドイツ最強戦車ランキングTOP10
- パンターV型戦車完全ガイド
- ティーガーII(キングタイガー)完全解説
- IV号戦車完全ガイド
- クルスクの戦いを徹底解説
- 独ソ戦を徹底解説
- 欧州戦線・激戦地ランキングTOP15

コメント