BAR(M1918)とは?ウォーキングファイアからボニー&クライドまで、米軍分隊火力を支えた自動小銃

M1918A2 BARを展示した記事アイキャッチ

BAR(M1918)とは、伝説的銃器設計者ジョン・M・ブローニングが1917年に設計し、翌1918年に採用されたアメリカの自動小銃で、米軍歩兵分隊に持ち運び可能な自動火力を定着させた代表的な一丁だ。軽機関銃や自動小銃はBAR以前にも存在するため『世界的な始祖』と断定するより、米軍分隊自動火力の原点と捉えるのが正確だ。なお、現在ブローニング社が販売する狩猟用セミオートライフル「BAR」は名前が同じだけの完全な別設計なので、まずはそこを押さえておいてほしい。

これまでM1ガーランド・トンプソンとアメリカの名銃を扱ってきたが、今回も同じジョン・ブローニングという天才の手による一丁だ。M1911拳銃も含めれば、彼一人でアメリカ軍の主要火器を何丁も手掛けていたことになる。

この記事でわかること
M1918A2 BARを展示した記事アイキャッチ
BARは、第一次世界大戦末期から朝鮮戦争まで米軍歩兵分隊の自動火力を支えた。
目次

BAR(M1918)の基本情報

BARの基本像
項目内容
正式名称Rifle, Caliber .30, Automatic, Browning, M1918
開発ジョン・M・ブローニング
設計1917年
制式採用1918年
口径7.62mm(.30-06スプリングフィールド弾)
装弾数20発(箱型弾倉)
重量約7.3〜8.6kg(型式により異なる)
作動方式ガス圧作動式、オープンボルト
運用組織米陸軍・海兵隊ほか、戦後は多数の同盟国・自衛隊

開発の背景——フランス製機関銃への不満から

1917年のジョン・ブローニングとBAR開発を表す展示
ジョン・M・ブローニングは、歩兵が携行できる自動火器としてBARを設計した。

1917年4月、アメリカが第一次世界大戦に参戦した時点で、自軍の火器は決して十分ではなかった。特に深刻だったのが携行可能な自動火器の不足で、米軍はフランス製ショーシャを使用した。フランス軍の8mm型まで一律に欠陥銃とするのは適切でないが、米軍向け.30-06型は弾薬と設計の相性もあり信頼性に大きな問題を抱えた。この状況を打開すべく、ジョン・ブローニングは新型自動火器の開発を進める。1917年2月27日、ワシントンD.C.で軍高官・議員・外国要人ら300人を前に実弾デモンストレーションを行い、大きな喝采を浴びたという。当初は「ブローニング・マシン・ライフル(BMR)」と呼ばれていたが、同時に採用されたM1917重機関銃との混同を避けるため、正式には「M1918」の名称が与えられた。

量産にはコルトだけでなくウィンチェスター、マルリン・ロックウェルも加わった。設計を量産図面へ落とし込み、治具と工程を整える作業には時間を要し、前線へ十分な数が届いたのは1918年後半だった。

ウォーキングファイアという夢と現実

BARのウォーキングファイア用装備を再現した展示
ウォーキングファイアは大胆な構想だったが、BARの役割は次第に分隊自動火器へ移った。
ウォーキングファイアの現実

BARの開発コンセプトは「ウォーキングファイア(歩行射撃)」と呼ばれる、当時としては野心的な発想だった。塹壕から飛び出した歩兵が、ストラップで肩から下げたBARを腰だめに構え、前進しながら連続射撃で敵の頭を押さえつつ突撃するという戦術だ。射手・装填手・弾薬手の3人一組で運用され、合計960発(弾倉48個)もの弾薬を携行した。射手用のベルトにはBAR用弾倉8個とM1911拳銃用弾倉2個を収め、腰だめ射撃時に銃床を固定するための金属製カップまで備えられていたという、当時としては非常に作り込まれた運用構想だった。

ウォーキングファイアは当時の攻撃戦術に沿った構想だったが、精度、射手の疲労、20発弾倉という条件から万能ではなかった。原型M1918には二脚がなく、二脚を備えたM1918A1・A2が登場するのは戦間期以降だ。BARは次第に、歩兵分隊へ機動可能な自動火力を提供する分隊自動火器として運用されるようになった。

性能・特徴・弱点

BARと20発箱型弾倉を示す博物館展示
オープンボルト、20発箱型弾倉、交換できない銃身はBARの強みと限界を同時に示す。
BARの構造的な限界

BARはガス圧作動式で、ボルトを開いた状態から撃発するオープンボルト方式を採用する。安全・セミオート・フルオートを選択できるセレクターを備え(後継型では変更)、使用弾薬はM1ガーランドやM1903スプリングフィールドと同じ.30-06スプリングフィールド弾だ。20発の箱型弾倉を採用しており、一時期は対空射撃用に40発弾倉も用意されたが、1927年には使用されなくなっている。

一方で弱点も明確だった。機関銃としては装弾数が少なく、何より銃身を素早く交換する機構を持たないため、持続射撃で銃身が過熱しても冷却する術がなかった。小銃の延長として設計された経緯上、堅牢な作りで反動も抑えやすく高評価を得た一方、のちに各国が投入する専用軽機関銃・汎用機関銃と比べると、性能面でやや中途半端な立ち位置に置かれることにもなった。

初陣とムーズ・アルゴンヌ攻勢

BARの初実戦は1918年9月で、戦争終結まで残り約2カ月という遅い登場だった。米陸軍の公刊資料は、最後の2カ月に約5,000丁が使用されたとしている。ジョン・ブローニングの息子ヴァルはフランスで試験と部隊教育を担当し、BARはムーズ・アルゴンヌ攻勢などで実戦経験を得た。大戦全体を変えるほどの配備数ではなかったが、携行可能な自動火力の将来性を示すには十分だった。

禁酒法時代とボニー&クライド

禁酒法時代のBARと法執行史を表す資料展示
クライド・バロウ一味は州兵武器庫から盗んだBARで警察を上回る火力を得た。
ボニー&クライドとBAR

トンプソンの完全解説記事でも触れた通り、この時代のアメリカでは民間人によるフルオート火器の入手が比較的容易だった。BARもまた、その火力の高さから裏社会に目をつけられている。1930年代に一世を風靡した銀行強盗コンビ、ボニー・パーカーとクライド・バロウのうちクライドは、銃身とストックを短縮しピストルグリップを取り付けた改造BARを好んで使用したと伝えられる。警察側もより強力な長銃を用意する必要に迫られた。1934年の待ち伏せでは複数種類の小銃・自動火器が使われたとされるが、『コルト・モニターだけが2人を倒した』と特定するのは正確でない。Texas Ranger Museumは、クライド一味が州兵武器庫から盗んだ複数のBARを保有していたことを確認している。同じ時代、同じような裏社会との因縁を持つ銃が2丁も生まれていたことになる。

バリエーションの広がり

M1918・M1918A1・M1918A2を比較する展示
A1で二脚と可動式床尾板、A2で二段階フルオートと後部モノポッドが加わった。
型式採用・登場主な特徴
M19181918年二脚なし、セミ/フル
M1918A11937年二脚と可動式床尾板
M1918A21940年低速/高速フルオート、後部モノポッド
M19221922年騎兵向け、重銃身と二脚

1937年には既存M1918の一部へ二脚と可動式床尾板を加えたM1918A1が登場した。後部モノポッドが追加されるのはM1918A2である。1940年にはM1918A2が制式採用され、これが第二次世界大戦・朝鮮戦争を通じてアメリカ軍分隊支援火器の標準となる。興味深いのは、それまで選択可能だったセミオート射撃機能がA2で廃止され、毎分300〜450発の低速と500〜650発の高速という2段階のフルオート射撃のみになった点だ。据え置き射撃と突撃支援の両方に対応させるための変更とされているが、初期のウォーキングファイア構想からは、はっきりと軽機関銃寄りへと舵を切った改良だったことがわかる。

世界に広がるBAR

BAR海外派生型とFN MAGへの技術系譜を示す展示
BARの長行程ガス作動とロッキング思想は、海外派生型を経て後世の機関銃設計へ影響した。

BARはアメリカだけでなく、世界各国で独自の発展を遂げている。スウェーデンは1920年にコルト製BARを700丁購入し、自国の6.5×55mm弾仕様に改修、1921年には「kg m/21」として制式採用した。1930年代にはさらに銃身交換機構などを追加した「m/37」へ発展し、スウェーデン軍の主力軽機関銃として長く運用されている。ポーランドでは1928年にFN製BARをベースにした独自改良モデルが登場し、ベルギーでもFN社がBARを7.65×53mmベルギー・マウザー弾仕様に改め、拳銃グリップと銃身交換機構、2段階発射速度切り替えを備えた「FN Mle 1930」として1930年に制式採用している。皮肉なことに、この改良は本家アメリカ軍のM1918A2よりも先行していた。中華民国軍でもBAR系の自動小銃が使われたが、米国製M1918、FN系、7.92×57mm仕様など供給源と型式が複数あるため、すべてを同じ改造型として扱わない方がよい。

FN MAGへの遺伝子

BARの技術的な遺産として見逃せないのが、ベルギーのFN社が開発した傑作汎用機関銃FN MAGへの影響だ。FN MAGはBAR系の長行程ガス作動とロッキング思想を発展させ、交換銃身とベルト給弾機構を組み合わせた汎用機関銃として完成した。単純にBARを上下反転しただけではないが、作動機構の系譜にブローニング設計の影響を見て取れる。ジョン・ブローニングが第一次世界大戦向けに設計した機構が、姿を変えながら現代の機関銃にまでその血筋を残していることになる。

大日本帝国と戦後の自衛隊

戦後日本へ供与されたBARを表す展示
戦後日本でも米式装備の一部としてBARが使われ、国産火器への更新まで草創期を支えた。

戦後、BARはアメリカの同盟国援助計画を通じて世界各国に供与された。日本でも警察予備隊・保安隊・陸上自衛隊の草創期に、米国供与の自動小銃としてBARが使われた。防衛研究所資料は1951年以降の装備導入に『自動銃』を記録しており、M1ガーランドの完全解説記事で扱った米式装備とともに、国産の62式機関銃・64式小銃へ更新されるまでの過渡期を支えた。冷戦下の日本の防衛体制の出発点に、M1ガーランドと並んでこの銃も確かに立ち会っていたことになる。

「BAR」という名前の混同に注意

同じBARでも別の銃

ここで一つ注意しておきたいのが、名前を巡る混乱だ。軍用M1918と狩猟用BARは、報道や資料でも混同されることがある。事件で『BAR』とだけ記載されている場合は、軍用M1918なのか、1967年発売の狩猟用セミオートBARなのかを資料ごとに確認する必要がある。この狩猟用BARは、ジョン・ブローニングの孫にあたるブルース・ブローニング技師とFN社の設計チームが1966年から開発した、M1918とは設計も部品互換性もまったく異なる別物だ。同じ「BAR」という愛称が、軍用の分隊支援火器と民生の狩猟銃という、まるで違う2丁の銃を指してしまうことがあるので、資料を読む際は注意してほしい。

同時代・同系統の兵器と比較する

同じジョン・ブローニングが手掛けたアメリカの傑作拳銃はM1911の完全解説記事、同時代のセミオート主力小銃は「M1ガーランド」、同じく裏社会との因縁を持つサブマシンガンは「トンプソン」にまとめている。ドイツ側のボルトアクション狙撃銃はKar98k狙撃型の完全解説記事、ソ連側はモシン・ナガン狙撃銃の完全解説記事PPSh-41の完全解説記事を参考にしてほしい。自衛隊が現在運用する次世代小銃は20式小銃の解説記事、第二次世界大戦全体の銃器地図は第二次世界大戦の銃器ランキングTOP15、機関銃全般との違いは最強マシンガン・機関銃ランキング、銃器全体の分類は銃の種類完全ガイドで押さえておこう。

投資の視点——今回も見送り

BARを生んだウィンチェスター社・コルト社は、その後何度も所有者が変わる複雑な企業変遷をたどっており、現在の姿は当時とは大きく異なる。アメリカの銃器産業がどのように再編を重ねてきたのか、その歴史的背景を学びたい人には、こうした入門書も参考になる。

防衛産業への投資という切り口に関心がある人は、歴史的ブランドではなく、現在も継続的に開示資料を出す上場防衛企業を軸に考えたい。たとえばドイツのラインメタル(RHM)株の解説記事を参考にしてほしい。

戦史・軍事ノンフィクションをオーディオブックでじっくり聴きたいという人には、こうしたサービスも選択肢になる。

現代でBARを"体験"する方法

日本で安全に楽しむ
BAR型エアソフトと保護具を並べた安全な趣味用展示
日本では法令に適合したエアソフトを安全ルールのもとで楽しみたい。

エアソフト市場では、海外メーカーからM1918A2の外観を再現したモデルが流通した例がある。当ブログのアフィリエイト対象にはまだ登録がないが、購入時は日本の法令に適合した国内流通品か、対象年齢、初速表示、販売店サポートを確認したい。重量のある長物なので、運搬はケースへ収納し、フィールドではゴーグルと安全規則を守ろう。

関連記事|ブローニング設計と分隊火力

参考にした主な資料

型式変遷と分隊運用は米陸軍、禁酒法時代はTexas Ranger Museum、狩猟用BARはBrowning公式を優先して確認した。

よくある質問

軍用M1918と現行のブローニングBARは同じ銃ですか?

別物である。軍用M1918は1917年設計、狩猟用BARはブルース・ブローニングとFNチームが1960年代に開発し、1967年に発売した。

ウォーキングファイアは役立ちましたか?

一定の抑圧効果を狙ったが、精度、疲労、20発弾倉の制約があった。BARは後に分隊自動火器として定着した。

M1918A1とA2の違いは?

A1は二脚と可動式床尾板を追加。A2はセミオートを廃止し、低速・高速の二段階フルオート、後部モノポッドなどを備えた。

ボニー&クライドはBARを使いましたか?

Texas Ranger Museumは、クライド一味が州兵武器庫から盗んだ複数のBARを使ったと説明している。

自衛隊は今でもBARを使っていますか?

現在は使っていない。草創期に米国供与装備として使用され、62式機関銃や64式小銃への更新に伴って退役した。

まとめ

BAR(M1918)は、フランス製機関銃への不満から生まれ、「ウォーキングファイア」という野心的な戦術構想を掲げながらも、実際には軽機関銃としての役割を担うことになった一丁だ。ジョン・ブローニングという一人の天才が、拳銃から自動小銃、重機関銃まで手掛けていたという事実、そして禁酒法時代の裏社会からFN MAGという現代の傑作機関銃への技術的遺伝まで、この銃の物語はアメリカの火器史そのものを凝縮しているように思う。

同じブローニングの傑作や同時代の兵器との比較は、上記の各解説記事もあわせて読んでほしい。

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