深海の闇に潜む、音もなき守護者たち。
2026年3月、一隻の潜水艦が就役予定だ。その名は「ちょうげい」。漢字で書けば「長鯨」、巨大な鯨を意味する。
「また新しい潜水艦か」と思うかもしれない。しかし、この艦の進水は日本の海洋防衛にとって極めて重要な意味を持っている。たいげい型潜水艦5番艦として建造された「ちょうげい」は、世界で唯一の実用化されたリチウムイオン電池搭載通常動力型潜水艦なのだ。
原子力潜水艦を持たない日本が、いかにして世界最高水準の潜水艦を実現したのか。
この記事では、たいげい型潜水艦の全貌を徹底解説する。そうりゅう型からどう進化したのか、なぜリチウムイオン電池が革命的なのか、そして中国の原潜にどう対抗するのか――。すべてを明らかにしていこう。
たいげい型潜水艦とは?── 海上自衛隊が誇る最新鋭艦

基本スペック
たいげい型潜水艦は、2022年から配備が始まった海上自衛隊の最新鋭通常動力型潜水艦である。
主要諸元:
- 全長:84.0m
- 全幅:9.1m
- 深さ:10.4m
- 基準排水量:3,000トン
- 水中速力:約20ノット
- 主機:川崎12V 25/31型ディーゼル機関 2基
- 推進:リチウムイオン蓄電池によるディーゼル電気推進
- 乗員:約70名
「3,000トン」という数字に注目してほしい。これは通常動力型潜水艦としては世界最大級である。前型のそうりゅう型(2,950トン)より50トン大型化しており、艦内容積の増大により居住性や装備搭載スペースが向上している。
「鯨」の名を受け継ぐ系譜
たいげい型の艦名には、すべて「鯨」がつく。
- 1番艦「たいげい」(大鯨)
- 2番艦「はくげい」(白鯨)
- 3番艦「じんげい」(迅鯨)
- 4番艦「らいげい」(雷鯨)
- 5番艦「ちょうげい」(長鯨)
- 6番艦「そうげい」(蒼鯨)
この命名規則は、前型のそうりゅう型が「龍」、その前のおやしお型が「潮」を使っていたことからの変更である。
「たいげい」という名は、旧日本海軍の潜水母艦「大鯨」に由来する。大鯨は1924年に竣工し、太平洋戦争中に空母「龍鳳」へと改装されて終戦まで戦い抜いた幸運艦だ。その名を継ぐ新型潜水艦には、「空母を狙う」という任務が込められている。
そうりゅう型からの進化点── 何が変わったのか
リチウムイオン電池への完全移行
たいげい型最大の特徴は、リチウムイオン蓄電池を最初から搭載することを前提に設計された点である。
「え?そうりゅう型もリチウムイオン電池を積んでいたのでは?」
確かにその通り。そうりゅう型の11番艦「おうりゅう」と12番艦「とうりゅう」はリチウムイオン電池を搭載している。しかし、これらはあくまで「そうりゅう型の設計にリチウムイオン電池を後付けした」ものだった。
たいげい型は違う。最初からリチウムイオン電池の性能を最大限に発揮できるよう、艦全体が再設計されている。この違いは大きい。
スターリングエンジンAIPとの決別
そうりゅう型の1~10番艦には、スターリングエンジンによるAIP(非大気依存推進)システムが搭載されていた。これは液体酸素を使って水中でエンジンを動かし、電池を温存しながら潜航を続けられる画期的なシステムだった。
しかし、スターリングエンジンには限界があった。
出力が低く、せいぜい数ノットでしか航行できない。高速を出そうとすれば結局電池を使わざるを得ない。つまり「ゆっくりなら長く潜れるが、速度を出すと従来の潜水艦と変わらない」という状況だった。
リチウムイオン電池は、この問題を根本から解決した。
従来の鉛蓄電池と比較して、リチウムイオン電池は2倍以上のエネルギー密度を持つ。同じ容積でより多くの電力を蓄えられるため、中・高速での航続距離が大幅に延びる。さらに充電効率も高く、短時間のシュノーケル充電でより多くの電力を蓄えられる。
海上自衛隊の発表によれば「従来型潜水艦に比べ、水中の持続力や速力性能など大幅に向上した」とのこと。具体的な数値は機密だが、専門家の推測では「時速15kmなら潜航したまま2,250km航行可能」とも言われている。
世界初、日本だけの技術

ここで強調しておきたいのは、リチウムイオン電池を搭載した通常動力型潜水艦を実用化したのは、世界で日本だけという事実である。
「え、他の国はやっていないの?」
やっていない。というより、できなかった。
リチウムイオン電池は高性能だが、発火リスクという重大な問題を抱えている。スマートフォンやEVのリチウムイオン電池が発火・爆発する事故は、誰もが聞いたことがあるだろう。これを密閉された潜水艦内で使うことに、各国は二の足を踏んだ。
日本はこの問題を、GSユアサの高い技術力で解決した。厳重な安全対策を施した潜水艦用リチウムイオン電池を開発し、世界に先駆けて実用化に成功したのである。
韓国も「張保皐III」型潜水艦の後期型でリチウムイオン電池搭載を目指しているが、実用化は2027年以降の予定。日本が先行していることは明らかだ。
たいげい型の真の強さ── 静粛性と探知能力
「見つからない」ことが最大の武器
潜水艦にとって最も重要な性能は何か。速度でも火力でもない。「静粛性」である。
発見されない潜水艦こそが、最強の潜水艦なのだ。
たいげい型は、この点でも大幅な進化を遂げている。
まず、推進システムの静音化。たいげい型は密閉型の永久磁石同期モーター(PMSM)を採用している。このモーターは構造上の振動が極めて少なく、敵のソナーに捉えられにくい。
また、艦体構造も見直されている。騒音の発生源を徹底的に分析し、振動を吸収・遮断する設計が随所に施されている。
さらに、リチウムイオン電池による航続距離の延長は、静粛性にも貢献する。なぜなら、シュノーケルを使ってディーゼルエンジンで充電する頻度を減らせるからだ。ディーゼルエンジンの稼働中は、どうしても騒音が大きくなる。充電頻度が減れば、それだけ敵に発見されるリスクも減る。
「見つける」能力も世界最高水準
静粛性と並んで重要なのが、敵を探知する能力である。
たいげい型には、新型ソナーシステム「ZQQ-8」が搭載されている。前型のそうりゅう型に搭載されていた「ZQQ-7」から大幅に性能が向上しており、より遠距離から、より正確に敵を探知できる。
特筆すべきは、次世代音響システムの採用による敵探知の自動化だ。膨大なソナーデータをコンピュータが分析し、乗員の負担を軽減しながら探知精度を向上させている。
非貫通式潜望鏡── 見た目以上の革新
たいげい型からは、国産の非貫通式潜望鏡(三菱電機製)が初めて装備された。
「非貫通式」とは何か。従来の潜望鏡は、艦内から艦外の海面上まで光学的に「貫通」していた。つまり、潜望鏡を覗く位置は艦内で固定されていた。
非貫通式潜望鏡は、光学センサーで捉えた映像を電子的に艦内のモニターに映し出す。これにより、潜望鏡を覗く位置の自由度が大幅に向上した。また、艦体に大きな穴を開ける必要がなくなるため、構造強度の向上にも寄与している。
18式魚雷── 敵を逃さない最新兵装

潜水艦の主武装は魚雷である。たいげい型は、最新の「18式魚雷」を搭載している。
そうりゅう型までが搭載していた「89式魚雷」は1989年に導入されたもの。優秀な魚雷ではあったが、さすがに設計から30年以上が経過していた。
18式魚雷は、この89式魚雷を全面的に刷新したものだ。
最大の進化点は「音響画像センサー」の搭載である。従来の魚雷は音波で目標を探知していたが、これは敵が音響デコイ(おとり)やジャマーで妨害できた。18式魚雷は、目標を「音」だけでなく「形」でも識別する。これにより、おとりに騙されず、確実に本物の敵艦を追尾・命中できるようになった。
また、浅海域での探知能力も向上している。水深が浅い海域は音波が複雑に反射するため、従来の魚雷では探知が困難だった。18式魚雷はこの問題を克服し、東シナ海のような浅い海域でも威力を発揮できる。
日本のミサイル技術については、「日本が保有するミサイル全種類を完全解説!」もぜひ参照してほしい。
各艦の紹介── 「鯨」たちのプロフィール
1番艦「たいげい」(SS-513)
- 起工:2017年1月
- 進水:2020年10月14日
- 就役:2022年3月9日
- 建造:三菱重工業神戸造船所
- 建造費:約800億円
たいげい型のネームシップ。2024年3月には種別が「試験潜水艦」に変更され、新技術の試験艦としての役割を担うようになった。これに伴い、潜水艦隊隷下に第11潜水隊が新編されている。
2番艦「はくげい」(SS-514)
- 起工:2019年1月
- 進水:2021年10月14日
- 就役:2023年3月20日
- 建造:川崎重工業神戸工場
「白鯨」の名は、ハーマン・メルヴィルの名作小説を連想させる。白いマッコウクジラを意味し、海上自衛隊の艦名としては初採用。広島の呉基地に配備された。
3番艦「じんげい」(SS-515)
- 起工:2020年1月
- 進水:2022年10月12日
- 就役:2024年3月8日
- 建造:三菱重工業神戸造船所
「迅鯨」は素早い鯨を意味する。旧日本海軍の潜水母艦「迅鯨」の名を継承している。1番艦たいげいが試験潜水艦に種別変更されたことに伴い、実戦配備艦としての重要性が増している。
4番艦「らいげい」(SS-516)
- 起工:2021年4月
- 進水:2023年10月4日
- 就役:2025年3月6日
- 建造:川崎重工業神戸工場
「雷鯨」の名を持つ4番艦。この艦から新型ディーゼルエンジン「川崎12V 25/31型」が初採用された。従来型よりロングストローク化により大排気量となり、発電能力が向上している。呉基地第1潜水隊に配備。
5番艦「ちょうげい」(SS-517)
- 起工:2022年4月19日
- 進水:2024年10月4日
- 就役:2026年3月(予定)
- 建造:三菱重工業神戸造船所
- 建造費:約684億円
「長鯨」は巨大な鯨を意味する。旧日本海軍の潜水母艦「長鯨」の名を継承しており、艦名としては3代目となる。2025年12月にはロゴマークも決定し、「尾ひれを上げて元気よく泳ぐ鯨」がデザインされた。
6番艦「そうげい」(SS-518)
- 起工:2023年3月28日
- 進水:2025年10月14日
- 就役:2027年3月(予定)
- 建造:川崎重工業神戸工場
- 建造費:約736億円
「蒼鯨」は青い鯨を意味する。この艦名は旧日本海軍での使用実績がなく、完全に新しい命名となった。川崎重工神戸工場での戦後32隻目の潜水艦建造となる。
中国潜水艦との比較── 原潜に勝てるのか

中国海軍の潜水艦戦力
日本の安全保障において、最も警戒すべきは中国の海軍力増強である。特に潜水艦戦力の拡大は著しい。
中国人民解放軍海軍の主要潜水艦:
原子力潜水艦(SSN):
- 091型(漢級):旧式だが一部現役
- 093型(商級):現在の主力、9隻程度
- 095型(隋級):開発中の最新型
通常動力型潜水艦(SS):
- 039型(宋級):12隻程度
- 039A/B型(元級):18隻以上、現在も建造中
- キロ級:ロシアから購入、12隻
原潜 vs 通常動力潜── 本当に勝てないのか
「原子力潜水艦を持たない日本は不利ではないか」
この疑問は当然だろう。確かに、原潜は通常動力潜にない優位性を持つ。
原潜の優位性:
- 理論上無限の潜航能力(乗員の食料が尽きるまで潜れる)
- 高速での長時間航行が可能
- 大型化が容易
しかし、通常動力潜にも強みがある。
通常動力潜の優位性:
- 静粛性が高い(原子炉の冷却ポンプがないため)
- 浅海域での運用に適している
- 建造・維持コストが低い
特に重要なのは静粛性だ。原潜は原子炉の冷却システムを止められないため、どうしても一定の騒音が発生する。一方、電池で航行する通常動力潜は、極めて静かに行動できる。
中国の093型原潜は、アメリカ海軍の評価では「旧式のヴィクターIII型にすら静粛性で劣る」とされている。最新の095型でも、静粛性は大幅に改善されるものの、日本のたいげい型と比較すれば依然として騒音レベルは高いと推測される。
この辺は【2025年最新】世界の潜水艦ランキング!日本の「たいげい」は何位?海自が誇る静粛性の秘密と各国潜水艦を徹底比較を呼んでもらえれば分かると思う。
日本周辺海域という地の利
もう一つ忘れてはならないのが、日本周辺海域の特性である。
東シナ海や南西諸島周辺は、水深100~200m程度の浅海域が多い。この環境は、大型の原潜にとって不利に働く。機動の制約が大きく、海底の地形に隠れることも難しい。
一方、たいげい型のような通常動力潜は、浅海域での行動を得意とする。18式魚雷の浅海域対応能力と相まって、日本周辺での戦闘においては、むしろ有利に戦えるのだ。
中国海軍の詳細については、今後「中国潜水艦完全ガイド」として詳しく解説する予定だ。
女性乗員の配置── 時代の変化
たいげい型の特徴の一つに、女性自衛官の乗艦を想定した設計がある。
従来の潜水艦は、狭い艦内に数十人の乗員が長期間生活するため、居住スペースの制約から女性の乗艦は難しかった。たいげい型では、艦内容積の増大を活かし、女性乗員最大6名のための専用居住エリアを設置している。
2024年時点で、実際に女性自衛官が潜水艦に乗艦する例も出始めている。これは自衛隊の人材活用という観点からも重要な進歩である。
将来展望── VLS搭載の可能性
垂直発射システムへの道
現在、防衛省は潜水艦への垂直発射装置(VLS)搭載を研究している。2025年度予算では、この研究費として約300億円が計上された。2025年度から2029年度まで研究試作を実施する計画だ。
VLSを搭載すれば、潜水艦は魚雷だけでなく、長射程の巡航ミサイルを発射できるようになる。これは「反撃能力」の観点から極めて重要だ。
スタンドオフミサイルについては今後別記事で詳しく解説していくが、潜水艦からこれらを発射できれば、敵に発見されることなく敵基地を攻撃する能力が得られる。
次世代潜水艦の姿
VLS搭載型の新型潜水艦が登場するのは、早くとも10番艦以降、2031年以降になると見られている。
この新型潜水艦は、たいげい型よりさらに大型化すると予想される。VLSの搭載には相当のスペースが必要であり、3,000トン級では収まらない可能性が高い。
また、将来的には無人水中航走体(UUV)との連携も視野に入る。母艦となる潜水艦から無人機を発進させ、より広範囲の偵察・攻撃を行うという構想だ。
防衛産業の底力── 三菱重工と川崎重工

日本の潜水艦は、三菱重工業神戸造船所と川崎重工業神戸工場が隔年で交互に建造している。
この2社による「交互建造体制」は、複数のメリットを持つ。
- 技術の競争と向上 2つの企業が切磋琢磨することで、技術水準が向上する。
- 生産基盤の維持 1社だけに依存すると、その企業に問題が発生した場合に建造が停滞する。2社体制なら、リスクを分散できる。
- コスト競争 複数のサプライヤーが存在することで、適正なコスト管理が可能になる。
現在、三菱重工神戸造船所では7番艦が、川崎重工神戸工場では8番艦がそれぞれ建造中である。たいげい型は、おやしお型(11隻)やそうりゅう型(12隻)と同程度の数が建造される見込みだ。
日本の防衛産業については、「自衛隊を支える防衛企業」の記事もぜひ参照してほしい。
潜水艦22隻体制の意味
なぜ22隻なのか
海上自衛隊は現在、潜水艦22隻体制を維持している。この数は、2010年に従来の16隻体制から増強されたものだ。
22隻という数字には意味がある。
潜水艦は年間を通じて常に運用できるわけではない。定期整備、乗員の訓練、補給などで、実際に作戦行動できる艦は全体の一部に限られる。22隻体制であれば、常時10隻程度を第一線に展開できる計算になる。
日本の広大な海域をカバーするには、これでも十分とは言えない。専門家の中には「40隻は必要」という声もある。
潜水艦の配置
現在、日本の潜水艦は主に以下の基地に配備されている。
- 呉基地(広島県):潜水艦隊司令部所在地
- 横須賀基地(神奈川県)
特に呉基地は潜水艦運用の中核であり、たいげい型の多くもここに配備されている。南西諸島方面への展開を考えれば、この配置は理にかなっている。
海上自衛隊の艦艇については「海上自衛隊の艦艇完全ガイド」で詳しく解説している。
まとめ── 静かなる守護者たち

たいげい型が示す日本の技術力
たいげい型潜水艦は、原子力潜水艦を持たない日本が、いかにして世界最高水準の潜水艦を実現できるかを示している。
リチウムイオン電池の実用化、高度なソナーシステム、最新鋭の魚雷、静粛性への徹底したこだわり――これらすべてが、日本の技術力の結晶である。
「原潜がなければ不利」という単純な見方は、もはや通用しない。通常動力型潜水艦の可能性を極限まで追求したたいげい型は、世界の海軍関係者から注目を集めている。
「ちょうげい」が示す未来
2024年10月に進水した「ちょうげい」は、2026年3月の就役に向けて艤装工事を進めている。続く「そうげい」も2025年10月に進水し、着々と戦力化が進んでいる。
今後もたいげい型の建造は続き、将来的にはVLS搭載型の発展型も登場するだろう。日本の潜水艦技術は、まだまだ進化を続ける。
見えない力こそが抑止力
潜水艦は、その存在自体が抑止力となる。
「どこにいるか分からない」という不確実性が、敵の行動を制約する。日本周辺の海域のどこかに、たいげい型潜水艦が潜んでいるかもしれない――その可能性だけで、敵は慎重にならざるを得ない。
10式戦車が陸上自衛隊の矛であるように、たいげい型潜水艦は海上自衛隊の「見えない矛」なのだ。
深海の闘に潜む、巨大な鯨たち。
彼らは音もなく日本の海を守り続けている。
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【免責事項】 本記事の情報は2025年12月時点のものである。防衛装備品の詳細な仕様には機密情報が含まれるため、公開情報を基に執筆している。最新の情報や詳細については、防衛省の公式発表を確認されたい。

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