III号突撃砲とは|ドイツ軍が一番多く作った装甲車両は「戦車」ではなかった──III号戦車・IV号突撃砲との違いと発展史

III号突撃砲 記事表紙
要点

しかも面白いのは、これが「戦車」ですらないという点だ。砲塔がなく、乗っていたのは戦車兵ではなく砲兵で、指揮系統も機甲科ではなく砲兵科だった。要するに、一番活躍したドイツの「戦車」は、書類上は大砲の一種だったのである。

この記事では、III号戦車からどう派生したのか、IV号突撃砲とは何が違うのか、そしてなぜ「安い代用品」がドイツ軍の背骨になってしまったのかを、順に追っていく。III号戦車そのものの発展史は別記事にまとめてあるので、車体側の話が気になる人はIII号戦車とは|37mm・50mm砲の発展、5名乗員、StuG IIIへの継承を先に読んでもらった方が早いかもしれない。

目次

III号突撃砲を一言で言うと

米陸軍の装甲車両コレクションで保存されるIII号突撃砲G型。
米陸軍の装甲車両コレクションで保存されるIII号突撃砲G型。写真:Schierbecker/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0
III号突撃砲を一言で言うと

砲塔がないから砲は左右に十数度しか振れない。狙うときは車体ごと向きを変える。その代わり全高は2.16mしかなく、IV号戦車より50cmほど低い。地面の起伏や生け垣に隠れやすく、被弾面積も小さい。しかも砲塔がない分だけ製造コストが下がり、同じ車体の戦車より大きな砲を載せられた。

ここで大事なのは、この車両が最初から「安い戦車」として作られたわけではないことだ。歩兵に随伴して火点を潰す、という別の目的で生まれた。それが戦争の途中で対戦車兵器として化けた。この経緯を知らないと、III号突撃砲の評価はズレる。

なぜ砲塔を外したのか──1935年のマンシュタイン覚書

発端は1935年、当時まだ大佐だったエーリヒ・フォン・マンシュタインが陸軍参謀本部に出した意見書だとされている。第一次世界大戦で歩兵が塹壕から突撃するとき、機関銃巣やトーチカに阻まれて大損害を出した。それを直接照準で潰すために、歩兵と一緒に前進できる装甲化された砲、つまり「突撃砲兵」が必要だという主張だった。

ここで重要なのは、この構想が機甲科ではなく砲兵科のものだったことだ。戦車は電撃戦のために集中運用する。歩兵師団には戦車が回ってこない。だから歩兵師団には歩兵師団専用の装甲火力がいる。砲兵が管理して、砲兵が乗る。この縄張り意識が、後々まで突撃砲の運用を縛ることになる。

1936年6月、ダイムラー・ベンツにIII号戦車の車体を使った試作が命じられた。砲塔をやめて固定戦闘室に7.5cm砲を載せる。乗員を完全に装甲で覆う。要求は明快だった。試作車はいったんできたものの、量産型が完成するのは1940年に入ってからで、フランス戦にはA型がぎりぎり間に合った程度だった。

III号戦車との違い

同じ車体なのに、何がそんなに違うのか。並べると分かりやすい。

項目III号戦車(J型)III号突撃砲(G型)
砲塔あり(360度旋回)なし(固定戦闘室、左右約12度)
主砲5cm KwK 39 L/607.5cm StuK 40 L/48
乗員5名(車長・砲手・装填手・操縦手・無線手)4名(車長・砲手・装填手・操縦手)
全高約2.5m2.16m
正面装甲50mm(後に増加)80mm(50mm+30mm、後に一体80mm)
所属機甲科砲兵科
単価約10万3,000ライヒスマルク(M型)8万2,500ライヒスマルク

III号戦車は砲塔リングの直径が小さく、5cm砲までしか収まらなかった。同じ車体でも砲塔を捨てれば7.5cm、しかも長砲身が積める。装甲も戦車より厚くできる。安くて、低くて、強い砲を持っている。ただし横や後ろから来られたら車体ごと回すしかない。この「引き算の設計」がIII号突撃砲の本質だ。

なお、III号戦車の側は1943年にはもう戦車としての限界を迎えていて、生産ラインはそのまま突撃砲に切り替わっていった。III号戦車が突撃砲に「継承された」というより、突撃砲に食われた、と言った方が実態に近い。

発展史──短砲身の「歩兵支援砲」から長砲身の「戦車狩り」へ

幅広の冬季履帯を備える保存車両。
幅広の冬季履帯を備える保存車両。写真:Boevaya mashina/Wikimedia Commons/CC BY-SA 4.0

III号突撃砲の型式はAからGまである。大きく分けると、短砲身の前期(A〜E)と長砲身の後期(F、F/8、G)で、車両の性格そのものが変わる。

A〜E型:7.5cm短砲身、歩兵のための火点潰し

初期型は7.5cm StuK 37 L/24を積んでいた。IV号戦車の初期型と同じ短砲身の砲で、榴弾で機関銃巣やトーチカを叩くのが仕事だ。対戦車能力はおまけ程度で、それで良かった。1940年のフランス戦、1941年のバルカン戦、バルバロッサ作戦の序盤まで、突撃砲は文字どおり歩兵の隣にいて、歩兵が困ったものを撃つ車両だった。

この時期の突撃砲にはまだ機銃すら車体に固定されていなかった。歩兵に囲まれて動くのだから自衛は歩兵に任せる、という考え方だ。

F型・F/8型:1942年、長砲身化でT-34に対抗する

事情が変わるのはバルバロッサ作戦の途中だ。T-34とKV-1が出てきて、ドイツの戦車砲が通用しない。III号戦車の5cm砲でも正面からは苦しい。ところが突撃砲は砲塔がないから、長い砲を載せる余裕がある。1942年3月、7.5cm StuK 40 L/43を積んだF型が生産に入った。夏には車体を延長したF/8型でL/48に伸びる。

発展史──短砲身の「歩兵支援砲」から長砲身の「戦

G型:1942年12月〜1945年、量産の本命

G型は1942年12月から終戦まで作られた決定版で、III号突撃砲の生産数の大半を占める。戦闘室の側面を広げ、車長用のキューポラを付け、正面装甲は80mmになった。1943年からはシュルツェン(側面の薄い増加装甲板)が標準化され、1943年後半からは鋳造の「ザウコップ(豚の頭)」型防盾が出てくる。同軸機銃が付いたのも1944年で、ここまで来てようやく歩兵なしでも自衛できる車両になった。

生産のピークは1944年で、この1年だけで4,000両を超えるG型が工場を出ている。ドイツの戦況が悪化するほど突撃砲の生産は増えた。安くて早く作れるから、失った戦車の穴を突撃砲で埋めるしかなかったのである。

StuH 42:10.5cm榴弾砲型

長砲身化で対戦車車両に寄りすぎた反動で、本来の歩兵支援用に10.5cm榴弾砲を積んだ型も作られた。これがStuH42(Sturmhaubitze 42)で、約1,300両が生産された。突撃砲大隊の中で、7.5cm砲型と10.5cm砲型を混ぜて運用するのが標準だった。

実戦──「安物」が戦車キラーになった理由

1944年のワルシャワ蜂起で撮影されたIII号突撃砲G型。
1944年のワルシャワ蜂起で撮影されたIII号突撃砲G型。写真:撮影者不詳/Wikimedia Commons/Public domain
実戦──「安物」が戦車キラーになった理由

なぜ砲塔がない車両が、砲塔のある戦車相手に勝てたのか。理由は使い方にある。突撃砲は待ち伏せる。低い車体を地形に隠し、敵戦車が接近してくるのを待ち、正面装甲80mmで撃ち合いを受けながら7.5cm長砲身で先に撃つ。こちらから突っ込む必要がない防御戦なら、砲塔の有無はほとんど問題にならない。1943年以降のドイツ軍は東部戦線でひたすら後退していたから、突撃砲の得意な戦い方と戦況がぴったり噛み合ってしまった。

もう一つ、乗っていたのが砲兵だったことも効いている。砲兵は射撃の職人だ。距離の見積もり、弾道の読み、初弾命中率。突撃砲乗員は砲兵の中でもエリート扱いで、専用の野戦灰色の制服が支給されていた。突撃砲の部隊からは騎士鉄十字章の受章者が大量に出ている。

クルスクの戦いでも突撃砲は大量に投入された。ただしこの戦いでは急いで付けたシュルツェンの固定が甘く、動いているうちに脱落する車両が続出したという話が残っている。あの戦いの全体像はクルスクの戦いの記事に譲るが、突撃砲にとってクルスクは、防御兵器として本領を発揮する前の、最後の大攻勢だった。

突撃砲大隊はどう戦ったか──ある待ち伏せの風景

数字ばかりだと伝わらないので、1943年秋の東部戦線で突撃砲がどう戦っていたかを、典型的な場面として組み立ててみる。

夜明け前、突撃砲中隊の車長は前線の歩兵大隊長と地図を挟んで話している。敵の戦車が来るとしたらどの道か。歩兵はどこに穴を掘っているか。突撃砲は歩兵の後ろ、丘の裏側の反斜面に3両ずつ据えられる。車体の高さは2.16mだから、麦の刈り残しと土手の陰でほぼ見えなくなる。エンジンは切る。砲手は照準器の距離目盛を、前もって測っておいた道の曲がり角に合わせている。

日が昇って、T-34の列が出てくる。歩兵が対戦車銃で足を止め、そこで突撃砲が土手から鼻先だけ出す。距離800m、先頭車の側面。砲兵の初弾はまず外さない。1両目が止まると2両目が回避に入り、そこを隣の突撃砲が撃つ。3両撃破した時点で後退し、次の反斜面へ移動する。敵から見れば、どこから撃たれたのか分からないまま先頭が燃えている。

突撃砲の戦い方はこの繰り返しだった。追わない、突っ込まない、歩兵から離れない。1943年11月の再編で突撃砲大隊は「突撃砲旅団」と改称されたが、名前が大きくなっただけで中身は3個中隊、砲31両前後の大隊規模のままだった。それを歩兵師団や軍団に貼り付けて、必要な場所に動かす。歩兵からすれば、戦車が来なくても突撃砲が来てくれれば持ちこたえられた。

そして乗員は砲兵だから、戦車部隊とは別の文化を持っていた。車長は砲兵将校で、観測将校の経験がある者が多い。撃破数を競うより、歩兵の陣地を守り切ることが評価された。それでも1944年になると、一人で数十両を撃破した突撃砲車長が次々に騎士鉄十字章を受けている。防御戦は撃破数が積み上がる戦い方でもあった。

IV号突撃砲との違い──アルケット工場が爆撃された夜に生まれた弟

IV号突撃砲との違い──アルケット工場が爆撃され

なぜそんなことをしたのか。1943年11月、ベルリン近郊にあるアルケット社の工場が英空軍の爆撃で大きな被害を受けた。アルケットはIII号突撃砲の主力メーカーで、ここが止まると突撃砲の供給が途絶える。そこでIV号戦車を作っていたクルップに、手持ちのIV号車体へ突撃砲の戦闘室を載せさせた。それがIV号突撃砲で、1943年12月から終戦まで約1,100両が作られている。

項目III号突撃砲G型IV号突撃砲
ベース車体III号戦車IV号戦車
主砲7.5cm StuK 40 L/48同じ
戦闘室III号突撃砲G型ほぼ同じものを流用
操縦手席戦闘室内車体が長いため前方に張り出した操縦手室を追加
生産数約8,565両(G型)約1,100両
生産開始1942年12月(G型)1943年12月
メーカーアルケット、MIAGクルップ

つまり性能は大差ない。違いは車体と生産事情だけだ。IV号突撃砲は「III号突撃砲の生産が止まった穴を埋めるために、別の会社が別の車体で作った同じ車両」と理解しておけばいい。IV号突撃砲の細かい話、特にIV号駆逐戦車との違いはIV号突撃砲の記事で整理してある。

ここで一つ補足しておくと、III号突撃砲は突撃砲であって駆逐戦車ではない。ドイツ軍には別に「駆逐戦車(Jagdpanzer)」という分類があって、こちらは機甲科の所属で、最初から対戦車戦闘のために設計されている。ヤークトパンターやエレファントがそれだ。突撃砲は砲兵科の車両が結果的に戦車を狩っていたのであって、生まれは違う。ただし現場ではどちらも同じように使われたので、この区別に意味があったのは主に書類の上だけだった。

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弱点──砲塔がないことの代償

良いことばかり書いてきたが、III号突撃砲にはっきりした弱点がある。

まず、攻勢に向かない。砲塔がないから、側面から現れた敵に対応するには車体ごと回す必要がある。市街戦や森林戦のように敵がどこから出てくるか分からない場面では、これが致命的になる。

次に、長砲身化してからの重量増加だ。III号戦車の車体はもともと20トン級を想定していて、G型は23.9トンまで太った。足回りに無理がかかり、東部戦線の泥濘や冬季には故障が増えた。

そして、歩兵と離れたときの脆さがある。もともと歩兵に守られながら動く前提の車両で、後期になって同軸機銃が付いたとはいえ、近接戦闘で敵歩兵に取り付かれると弱い。1944年以降、戦車の穴埋めとして機甲師団に配られた突撃砲が、本来の使い方と違う任務で消耗していった。

つまりIII号突撃砲は「正しい戦い方をした時にだけ強い」車両だった。ドイツ軍がそれを守れたのは、防御に回っていた時期だけだ。

投資家として見るIII号突撃砲──コスト効率という視点

私はミリタリー好きであると同時に防衛関連の株も見ている人間なので、どうしてもこの車両をコストの話として読んでしまう。

III号突撃砲G型の単価は8万2,500ライヒスマルク。III号戦車M型が約10万3,000、IV号戦車F2型が約11万6,000。ティーガーIIになると1両でG型4両分に近い。つまりドイツは、砲塔を捨てただけで2〜3割安い、しかも装甲と砲は上の車両を手に入れた。1944年に4,000両以上作れたのは、この単価の低さと、製造工程が単純で分散生産に向いていたからだ。

これを現代に置き換えると、装備の「単価」と「数」のトレードオフの話になる。高性能なものを少数持つか、そこそこのものを大量に持つか。ウクライナ戦争以降、欧州の防衛産業はまさにこの問いに直面していて、ドイツのラインメタル(RHM)の株価が数年で桁違いに伸びた背景には、砲弾や装甲車両を「数」で揃え直す需要がある。突撃砲が80年前に示した答えは、今の防衛株を見るときの一つの補助線になる。

なお、防衛関連銘柄の値動きは政治情勢に大きく左右されるので、投資判断は必ず自分で情報を集めたうえで行ってほしい。この記事は特定銘柄の売買を推奨するものではない。

自衛隊の視点──陸自に突撃砲がない理由

もう一つ、私が気になっているのは日本との比較だ。

陸上自衛隊には突撃砲に相当する車両がない。戦後の一時期、60式自走106mm無反動砲という低い車体の対戦車車両があって、あれは思想的には突撃砲の親戚だったが、1990年代までに退役した。現在の陸自は16式機動戦闘車のように、砲塔付きの装輪車両で機動力を取りに行っている。

なぜか。日本の防衛は専守防衛で、しかも守る場所が島だ。突撃砲のような「待ち伏せに特化した安い車両」は理屈の上では合いそうに見えるが、島嶼防衛で必要なのは待ち伏せる前に現場へ着くことで、砲塔なしの低速な車両では役に立たない。それに陸自は戦車の数そのものを絞っていて、10式と90式で本州から戦車をほぼ引き上げた。突撃砲のように「戦車の穴を安く埋める」という発想が入り込む余地がそもそもない。日本の機甲戦力の現状は日本の戦車一覧にまとめてある。

逆に言えば、III号突撃砲は「戦車が足りない軍隊」の兵器だった。数を揃える必要に迫られた国が、設計を引き算して作った。ドイツが1944年に4,000両の突撃砲を作らなければならなかったこと自体が、あの国の追い詰められ方を物語っている。

戦後──フィンランドで、シリアで、1970年代まで走った

フィンランドの突撃砲部隊。第二次世界大戦期の記録写真。
フィンランドの突撃砲部隊。第二次世界大戦期の記録写真。写真:撮影者不詳/Wikimedia Commons/Public domain

III号突撃砲は敗戦で終わらなかった。フィンランドは戦時中にドイツから59両を購入し、ソ連戦車を相手に高い交換比を記録した。フィンランド軍の突撃砲乗員はこの車両を「シュトゥルミ」と呼び、戦後も1960年代まで使い続けた。ソ連との国境を抱えた小国にとって、安くて低くて撃ち合いに強い車両は理想的だった。

さらに意外なのは中東で、シリアはソ連や東欧経由で入手したIII号突撃砲を1949年から1973年まで使っていた。1967年の六日戦争でイスラエルと対峙したゴラン高原の陣地に、突撃砲が据え付けられていたのである。1940年に生まれた車両が、ジェット機とミサイルの時代に生き残っていたことになる。ルーマニア、ブルガリア、ハンガリー、イタリア、スペインなども運用国に名を連ねている。

模型と「ガルパン」──今いちばん手に取りやすいドイツ戦車

フィンランドで保存されるPs531-44。車体側面の追加装備も見て取れる。
フィンランドで保存されるPs531-44。車体側面の追加装備も見て取れる。写真:Alan Wilson from Stilton, Peterborough, Cambs, UK/Wikimedia Commons/CC BY-SA 2.0

III号突撃砲は模型の世界でも定番で、タミヤの1/35は数十年にわたり作り続けられている。砲塔がないので組み立てが比較的簡単で、低い車体はジオラマで映える。初めてのドイツ戦車として勧められることが多いのは、値段が手頃で、塗装の練習台としてもちょうどいいからだ。

もう一つ、日本でこの車両の知名度を一気に上げたのがアニメ『ガールズ&パンツァー』だ。大洗女子学園の「カバさんチーム」が乗るのがIII号突撃砲F型で、歴女4人が乗員という設定は、砲兵科のインテリ集団だった史実の突撃砲兵とどこか重なる。あの作品から戦車に入った人がまず調べる車両の一つがこれだ。

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まとめ──引き算が生んだドイツ軍の背骨

III号突撃砲を題材に、車体の低さや履帯の表情を楽しむ模型制作。
III号突撃砲を題材に、車体の低さや履帯の表情を楽しむ模型制作。

III号突撃砲は、歩兵を助ける砲として生まれ、戦車が足りなくなった軍隊で戦車の代わりを務め、最後にはドイツ軍で最も多く作られた装甲戦闘車両になった。III号戦車から砲塔を引き算しただけの車両が、IV号戦車より数が多く、ティーガーより多くの敵戦車を撃破したと公式に主張された。

III号戦車との違いは砲塔と所属と単価、IV号突撃砲との違いは車体と生産事情。この二つの違いを押さえておけば、ドイツの装甲車両の系譜はかなり見通しが良くなる。

ドイツ戦車を一通り並べて比較したい人は、第二次世界大戦のドイツ戦車一覧と、火力・防御・機動・生産性で採点したドイツ戦車10選を合わせて読んでもらえると、突撃砲がどの位置にいるかが立体的に見えてくるはずだ。


出典・参考資料

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この記事を書いた人

軍研ノート編集部のアバター 軍研ノート編集部 自衛隊・兵器 / 戦史 / サバゲー

自衛隊で6年間勤務した編集長を中心に、自衛隊時代の仲間やサバゲーを通じた知人と記事を制作。経験と公開資料をもとに、装備の仕組みや歴史、その背景にある人々の工夫を掘り下げています。「かっこいい」から、その先の理解へ。編集長のプロフィール → 運営・編集方針

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