2025年12月5日、アニメーション映画『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』が全国公開となった。
1万人の日本兵のうち、生き残ったのはわずか34人。太平洋戦争でも屈指の激戦地でありながら「忘れられた戦い」と呼ばれてきたペリリュー島の戦いが、なぜ今、アニメーション映画として蘇るのか。
終戦から80年という節目の年に、この作品が世に送り出される意味を、戦史オタクとして、そして一人の日本人として考えてみたい。
「終戦80年」という時間の重み

2025年は、1945年8月15日の終戦から数えてちょうど80年目にあたる。
80年。これがどういう時間なのか、冷静に考えてみてほしい。
終戦時に20歳だった青年は、今や100歳を超えている。戦場の最前線で銃を握り、仲間の死を目の当たりにした世代は、もうほとんどこの世にいない。総務省の人口推計によれば、戦後生まれの人口はすでに全体の84%を超え、戦前生まれは急速に減少の一途をたどっている。
厚生労働省が所管する昭和館では、戦争体験者の高齢化に伴い「次世代の語り部」という取り組みを始めている。戦後生まれの人々が、当時の手記や証言映像を学び、戦争を体験していないにもかかわらず「語り部」として活動するのだ。
これは何を意味するか。
私たちは今、戦争の「体験」を直接聞ける最後の世代なのだ。あと数年もすれば、戦場を知る人間は文字通りゼロになる。その時、私たちの手元に何が残るのか。教科書の記述か。博物館のガラスケースに並ぶ遺品か。それとも——映像作品という形で残された「記憶」か。
映画『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』が終戦80年に公開される理由は、まさにここにある。
戦争体験者がいなくなる時代に、何を残すのか
「残された時間は少ない」
大分県宇佐市に住む88歳の被爆者、奥城和海さんはそう語る。70歳から語り部活動を始め、130回以上にわたって小学校の平和授業で自身の体験を伝えてきた。しかし近年、そうした依頼も減ってきているという。
「いなくなる、もうまもなく。今、生きている存在、貴重な一人の存在を今出さねばいけない。それを伝えるのが我々の使命。被爆をした人の生の声はもう聞けなくなる」
沖縄戦を研究してきた元沖縄国際大学の吉浜忍教授は指摘する。
「戦争体験者が減少して、あと数年たったらゼロになる。それに代わるものとして、戦争遺跡があると思う」
そして、もう一つ。映画やアニメーションという「物語」がある。
『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』の原作者であり、映画の共同脚本も手がけた武田一義は、東京国際映画祭のシンポジウムでこう語った。
「原作だけでなく、この作品にはベースとなる史実——80年前の戦争があります。そこで生きた人々がいます」
武田は「虚構と事実」の狭間で、どこまでフィクションを交え、どこまで史実に忠実であるべきかを徹底的に考え抜いた。その結論が、主人公・田丸均が担う「功績係」という役割だった。
功績係とは、戦死した仲間の最期を遺族向けに記録する係のことだ。自分もいつ死ぬかわからない極限状態の中で、ついさっきまで言葉を交わしていた仲間の最期を書き記す。時には、愛する人を待つ家族のために、残酷な現実を美しく仕立て直すことすらある。
これは「記憶を残す」という行為そのものだ。そして今、私たちが直面している問題——戦争の記憶をどう次世代に継承するか——と、驚くほど重なっている。
功績係についてより詳しく知りたい方は、当ブログの別記事「『ペリリュー』にも登場する「功績係」とは?戦時中の記録係の役割と実在の記録」で深く掘り下げている。ぜひ合わせて読んでほしい。
ペリリュー島で今も続く「帰還」への取り組み
2025年5月、福岡資麿厚生労働大臣がペリリュー島を訪問し、パラオ政府と遺骨収集の加速について合意した。
厚生労働省によれば、ペリリュー島では日本人戦没者約1万200人のうち、約2400人の遺骨が未収容のまま残されている。2024年12月には、米軍資料に基づいて発見された集団埋葬地から新たに11柱の遺骨が収容された。この集団埋葬地には、米軍の記録によれば1086人が埋葬されているという。
さらに、島南西部に埋没していた戦車からも遺骨が発見された。80年もの間、南国の土の中で祖国への帰還を待ち続けていた英霊たちが、ようやく日本の土を踏もうとしている。
厚労省は2025年度、遺骨収集事業の予算を倍増させた。終戦80年という節目に合わせた象徴的な動きだが、逆に言えば、80年もの間、彼らを島に残したままだったということでもある。
しかし、嘆いてばかりもいられない。遺骨収集が進む今こそ、彼らがどのように戦い、何を守ろうとしたのかを、私たちは知っておくべきだ。
ペリリュー島の戦いの全貌については、「ペリリュー島の戦い完全ガイド|73日間の死闘と今に残る教訓」で詳しく解説している。映画を観る前に、ぜひ目を通してほしい。
上皇上皇后両陛下のペリリュー島ご訪問
2015年4月9日、当時の天皇皇后両陛下(現・上皇上皇后両陛下)はパラオ共和国ペリリュー島を訪問された。
戦後70年という節目に、両陛下は「西太平洋戦没者の碑」に献花され、海に向かって深く頭を垂れられた。そのお姿を、私は今でも鮮明に覚えている。
両陛下はお言葉の中でこう述べられた。
「先の戦争では、太平洋の各地においても激しい戦闘が行われ、数知れぬ人命が失われました。祖国を守るべく戦地に赴き、帰らぬ身となった人々のことが深く偲ばれます」
ペリリュー州では、この日を「天皇皇后両陛下ご訪問の日」として法律で州の祝日に制定している。
パラオは、第一次世界大戦後に日本の委任統治領となり、多くの日本人が移住した地だ。今でも「ダイジョウブ」「オカネ」「デンワ」といった日本語がパラオ語として使われている。青地に黄色い満月を配したパラオの国旗は、日本の日章旗を参考にしたとも言われる。
そんな親日国パラオで、日本軍は最後の一兵に至るまで戦い抜いた。島民を事前に避難させ、彼らの命を守りながら。
両陛下がペリリュー島を慰霊訪問された10年後、終戦80年の今年、『ペリリュー』が映画化される。これは偶然ではないだろう。
映画がどこまで史実を踏まえているか興味のある方は、「映画『ペリリュー』はどこまで史実?実際の「ペリリュー島の戦い」との違いと共通点を解説」をご覧いただきたい。
なぜ「アニメーション」なのか
『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』は、実写映画ではなくアニメーションとして制作された。これには明確な理由がある。
原作漫画は、三頭身のかわいらしいキャラクターで描かれている。一見すると戦争を題材にした作品とは思えないほどだ。しかし、そのデフォルメされた絵柄だからこそ、凄惨な戦場描写が読者の心に突き刺さる。
可愛らしいキャラクターが次々と死んでいく。銃弾に倒れ、飢えに苦しみ、伝染病に侵される。そのギャップが、戦争の狂気を際立たせる。
アニメーション監督の片渕須直は、『この世界の片隅に』の制作を通じて「答え合わせのできない時代」に映画をつくる難しさを語っている。資料を徹底的に調べても、当時を知る人に確認できない。だからこそ、創り手は謙虚に、しかし大胆に、物語を紡ぐしかない。
『ペリリュー』のアニメーション制作は、『ドラえもん』『クレヨンしんちゃん』で知られるシンエイ動画と、新進気鋭の冨嶽がタッグを組んでいる。国民的アニメを手がけてきたスタジオが、終戦80年記念作品に挑む。その意気込みは本物だ。
主人公・田丸均役には板垣李光人、相棒の吉敷佳助役には中村倫也がキャスティングされた。板垣はアフレコ前に実際にペリリュー島を訪れ、戦跡を巡ったという。
「そこには教科書やテレビ、ネットからは感じることのできない、まさしくここで確かに苛烈な戦いが繰り広げられており、たくさんの方々が様々な想いと共に命を落とされたのだと、強く実感しました」
80年前も、2025年の今も、そしてこれからも。命の尊さは平等であり、その尊厳は普遍的である——板垣はそう語っている。
原作漫画について知りたい方は、「原作マンガ『ペリリュー 楽園のゲルニカ』完全ガイド|巻数・外伝・読み方・映画との関係を徹底解説」をチェックしてほしい。
2025年、戦争の記憶をつなぐ映画たち
終戦80年の2025年、『ペリリュー』だけでなく、多くの戦争関連映画が公開・放送されている。
CS放送の衛星劇場では「終戦80年 映画が伝える戦争の記憶」として、6月から3ヶ月連続で戦争映画の特集放送を実施。『火垂るの墓』『母と暮せば』『父と暮せば』など、名作が改めてスクリーンに蘇る。
8月には、塚本晋也監督の『野火』4Kリマスター版が公開予定だ。大岡昇平の原作を映像化したこの作品は、フィリピン・レイテ島で飢餓と狂気に苦しむ日本兵を描いている。
キネマ旬報は「戦後80年 戦争の記憶をつなぐ映画たち」と題したムックを刊行。山田洋次、香川京子、吉永小百合、塚本晋也、片渕須直といった映画人たちが、戦争と映画について語っている。
その中で、『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』も「戦争の記憶をつなぐ2025年の映画たち」として紹介されている。
これだけの作品が同時期に世に出るのは、やはり「最後の節目」という意識があるからだろう。戦争体験者の肉声を聞ける時代が終わろうとしている今、映画という媒体で記憶を残そうという強い意志を感じる。
「忘れられた戦い」を忘れないために
ペリリュー島の戦いは、長らく「忘れられた戦い」と呼ばれてきた。
硫黄島や沖縄に比べて知名度は低い。歴史の教科書で詳しく扱われることも少ない。しかし、そこで1万人もの日本兵が命を落とし、米軍も1600人以上の死者を出した事実は変わらない。
守備の中核を担った水戸第二連隊は、その9割がペリリュー島で戦死している。茨城県の若者たちが、遠く南洋の小島で、祖国を守るために散っていったのだ。
そして今なお、千を超える日本兵の遺骨が島に眠っている。
『ペリリュー』がアニメ映画化されることで、この「忘れられた戦い」に光が当たる。若い世代が、ペリリュー島という名前を知る。そこで何があったのかを調べる。原作漫画を読む。関連書籍を手に取る。
それこそが、80年前に散った英霊たちへの最大の供養ではないだろうか。
私は戦争を美化するつもりはない。しかし、祖国を守ろうと命を賭けた先人たちへの敬意を、決して失いたくない。
彼らがいたから、今の日本がある。彼らが戦ったから、私たちは平和を享受できている。その事実を、忘れてはならない。
「記憶をつなぐ」ということ
映画『ペリリュー』の公開日である12月5日は、偶然にも本ブログ記事の公開日と重なる。
終戦80年の節目に、私たちは何を思うべきだろうか。
原作者・武田一義は、「功績係」という役職に込めた思いをこう語っている。
「記憶を残すということ、それが何を意味するのかを、この作品を通じて考えてほしい」
功績係・田丸均は、仲間の死を記録する。時に美化し、時に嘘をつき、それでも「彼らが生きた証」を残そうとする。それは今、私たちが戦争の記憶を継承しようとする姿と、驚くほど似ている。
証言は時に曖昧だ。資料は不完全だ。当時を知る人は減り続けている。それでも私たちは、不完全な断片をつなぎ合わせ、「物語」という形で記憶を紡いでいくしかない。
『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』は、その「物語」の一つだ。
80年という時間を経て、アニメーションという形で蘇る「ペリリュー島の戦い」。それを観た若い世代が、何かを感じてくれれば。調べてくれれば。語り継いでくれれば。
それが、記憶をつなぐということだ。
映画をもっと深く味わうために
映画『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』を観る前に、あるいは観た後に、より深く作品を理解するためのリソースを紹介しておこう。
原作漫画を読む
武田一義の原作漫画『ペリリュー ―楽園のゲルニカ―』は白泉社より全11巻が刊行されている。現在は『ペリリュー外伝』も不定期連載中だ。
映画は原作の前半から終盤まで凝縮して描かれているため、漫画を読むことでより多くのエピソードやキャラクターの背景を知ることができる。
関連書籍で史実を学ぶ
ペリリュー島の戦いについて詳しく知りたい方には、以下の書籍がおすすめだ。
- 井上和彦『パラオはなぜ「世界一の親日国」なのか』:2015年の両陛下のご訪問を機に書かれた一冊。ペリリュー戦の経緯と、パラオの親日感情の背景がよくわかる。
- 早坂隆『ペリリュー玉砕 南洋のサムライ・中川州男の戦い』:守備隊長・中川州男大佐に焦点を当てた戦記。文春新書から刊行されている。
VODで戦争映画を観る
U-NEXTでは、戦争映画が豊富にラインナップされている。『硫黄島からの手紙』『この世界の片隅に』『野火』など、『ペリリュー』と合わせて観たい作品が揃っている。
映画の基本情報をおさらい
映画の公開日、キャスト、スタッフなどの基本情報は、「映画『ペリリュー-楽園のゲルニカ-』ネタバレ無し完全ガイド」でまとめている。観る前の予習に最適だ。
まとめ:終戦80年に届ける「戦火の友情物語」
なぜ今、『ペリリュー』がアニメ映画化されるのか。
その答えは、「今しかないから」だ。
戦争体験者が高齢化し、語り部が減少する中、記憶を継承する方法として映画やアニメーションの役割はますます重要になっている。厚労省は遺骨収集事業の予算を倍増させ、終戦80年という節目に合わせて「帰還」を加速させようとしている。
2015年に上皇上皇后両陛下がペリリュー島を慰霊訪問されてから10年。その間、原作漫画は完結し、映画化の企画が動き出し、脚本が練り上げられてきた。
そして2025年12月5日、ついに『ペリリュー -楽園のゲルニカ-』が全国の劇場で公開される。
「終戦80年に届ける、史実に基づく戦火の友情物語」——公式サイトにはそう記されている。
1万人が戦い、34人しか生き残れなかった地獄のような戦場。そこで若者たちは何を思い、どう生きたのか。
劇場でその答えを確かめてほしい。そして、80年前の彼らに思いを馳せてほしい。
それが、私たち「記憶を受け継ぐ世代」にできる、せめてもの供養だ。

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