2026年3月19日未明、イラン中部の聖地コム。まだ夜が明けきらない刑務所の中庭に、群衆が集められた。
そこで公開処刑されたのは、19歳のレスリング選手サレフ・モハンマディ。2024年にロシア・クラスノヤルスクで開催されたサイティエフ国際杯で銅メダルを獲得し、イラン代表として国際舞台に立った青年だった。
僕はこのニュースを見たとき、正直言葉を失った。19歳だよ。日本なら大学1年生か2年生。まだこれからいくらでも未来があったはずの若者が、体制への抗議に参加したという理由で、絞首刑に処された。しかも公開で。
この記事では、イラン・イスラム共和国が建国以来繰り返してきた「アスリート処刑」の歴史を振り返る。レスリング選手、ボクサー、そしてオリンピアン──体制に反抗した才能ある若者たちが、どのような最期を迎えたのか。そして今、なぜこの問題が改めて世界の注目を集めているのか。
サレフ・モハンマディ──19歳で絞首刑に処されたレスリングの星(2026年)
事件の背景:2026年1月の大規模抗議デモ
2026年1月、イラン全土で大規模な反政府デモが発生した。経済の低迷、物価高騰、そして宗教警察による市民生活への介入に対する怒りが爆発したのだ。
デモは複数の都市に拡大し、治安部隊との衝突で死傷者が出る事態に発展した。イラン当局は数千人を拘束し、その中にはスポーツ選手も含まれていた。
サレフ・モハンマディとは何者だったのか
サレフ・モハンマディは、イランのフリースタイルレスリング選手だった。2024年9月、ロシア・クラスノヤルスクで開催されたサイティエフ国際杯で銅メダルを獲得。イラン代表チームの一員として国際大会に出場した経歴を持つ、将来を嘱望された若きアスリートだった。
2025年12月18日に逮捕され、2人の警察官殺害に関与したとして「モハーレベ(神への敵対)」の罪で起訴された。
裁判なき死刑
国際人権団体アムネスティ・インターナショナルによれば、モハンマディに対する裁判は「公正な裁判と呼べるものではなかった」という。十分な弁護を受ける権利を剥奪され、拷問によって自白を強要された。目撃者も物的証拠も監視カメラ映像もなく、家族は彼が事件現場にいなかったと証言していた。
それでも、2026年3月19日早朝、サレフ・モハンマディはサイード・ダヴーディ、メフディ・ガセミとともにコム中央刑務所で公開絞首刑に処された。1月の抗議デモに関連する初めての死刑執行だった。
世界の反応
アメリカ政府は処刑を「野蛮な行為」と非難し、イランに対してすべてのデモ関連死刑囚の処刑停止を要求した。IOC(国際オリンピック委員会)の関係者や世界各国のオリンピアンたちも声を上げ、イラン体制を強く批判した。
だが、テヘランは一切の批判を無視した。むしろ、公開処刑という形式を選ぶことで、国民に対して「反抗すれば同じ運命が待っている」という明確なメッセージを送ったのだ。
ナビド・アフカリ──世界が救えなかったレスリング王者(2020年)

2018年の反政府デモと逮捕
サレフ・モハンマディの処刑を語る上で、避けて通れない先例がある。ナビド・アフカリ事件だ。
ナビド・アフカリは、イランのグレコローマンスタイルのレスリング選手だった。国内大会で複数のメダルを獲得し、その実力は広く認められていた。
2018年8月、イラン南部シーラーズで経済問題や政治的抑圧に抗議するデモが発生。ナビドは兄弟のヴァヒドとハビブとともにデモに参加した後、逮捕された。
拷問と強制自白
当局はナビドに対し、デモ中に水道局の警備員ホセイン・トルクマンを刺殺したという容疑をかけた。「故殺」罪に加え、「神への敵対」「最高指導者への侮辱」といった罪状が重ねられた。
しかし、ナビド自身は一貫して無実を主張していた。刑務所から密かに持ち出された音声テープの中で、彼はこう証言している──自白は拷問によって強要されたものだ、と。
アムネスティ・インターナショナルは、ナビドが強制失踪、拷問、弁護士へのアクセス拒否など、重大な人権侵害を受けたと報告している。さらにイラン国営テレビは、拷問によって引き出された「自白」映像を放送するという行為にまで及んだ。
世界的な助命嘆願運動
ナビドの事件は国際的な注目を集めた。当時のアメリカ大統領ドナルド・トランプ、IOC会長トーマス・バッハ、UFC代表ダナ・ホワイトらが相次いでイラン政府に助命を求めた。世界中のアスリートやスポーツ団体がSNSで「#NavidAfkari」のハッシュタグとともに処刑停止を訴えた。
だが、すべては無駄だった。
秘密裏の処刑

2020年9月12日未明、ナビド・アフカリはシーラーズの刑務所で秘密裏に絞首刑に処された。27歳だった。
家族への通知は処刑後に行われ、遺体の埋葬は夜間に厳重な警備の下で行われた。出席が許されたのは、ごく近い親族のみだった。
さらに衝撃的なことに、イラン当局はその後、服役中のナビドの弟ヴァヒドに対し、「自白に応じなければお前も処刑する」と脅迫していたことが明らかになっている。
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フーシャング・モンタゼロルゾフール──銃殺されたオリンピアン(1981年)
体制転換の犠牲者
イランにおけるアスリート処刑の歴史は、1979年のイスラム革命直後にまで遡る。
フーシャング・モンタゼロルゾフールは、1976年モントリオールオリンピックと1977年ユニバーシアードにイラン代表として出場したレスリングのチャンピオンだった。
1981年、彼はイラン人民モジャーヘディーン・ハルク(PMOI/MEK)のメンバーであるとして逮捕された。そして29人の政治犯とともに、銃殺刑に処された。
革命後のイランでは、1980年代を通じて、PMOIへの所属(実際のものであれ、捏造されたものであれ)が政治犯を処刑するための主要な法的根拠として使われた。1988年の大虐殺では、数万人の政治犯が組織的に処刑されたとされている。
つまり、イラン・イスラム共和国は建国初期から、体制に反抗するアスリートを容赦なく処刑してきたのだ。フーシャングの事例は、その最も初期の、そして最も象徴的な例といえる。
拘束中のボクサー、モハンマド・マフシャリ──次の犠牲者か
2026年3月現在、もうひとりのアスリートの運命が世界の注目を集めている。
ボクサーのモハンマド・マフシャリは、2024年のアジアユース・U23選手権で銅メダルを獲得した実力者だ。1月の抗議デモとの関連で拘束されており、現在も獄中にいるとされる。
サレフ・モハンマディの処刑を受け、人権団体や国際スポーツ界はマフシャリに対しても同様の処刑が行われるのではないかと強い懸念を示している。
イランIntl(イラン・インターナショナル)の報道によれば、デモに関連して拘束されているアスリートは他にも複数存在する可能性がある。彼らの名前すら、まだ明らかになっていないかもしれない。
2022年マフサ・アミニ事件──アスリートたちの反乱
ヒジャブを巡る死
2022年9月、22歳のクルド系女性マフサ・アミニが、ヒジャブの着用が不適切だとして宗教警察に拘束された後、拘留中に死亡した。この事件をきっかけに、イラン全土で「女性、命、自由」をスローガンとする大規模な抗議運動が巻き起こった。
この運動では、多くのイラン人アスリートが体制への反抗を表明した。
ハンドボール選手のサッジャード・エステキ、女子ラグビーのキャプテン、フェレシュテ・サラニ、フェンシングのモジュタバ・アベディニ・シューマスティ、テコンドーのマフサ・サデギらが相次いでイラン代表チームを離脱。オリンピックレスリング選手のラスール・ハデムも抗議運動への支持を表明した。
デモ参加者への処刑
マフサ・アミニ抗議運動に関連する最初の処刑は2022年12月8日に行われた。23歳のモフセン・シェカリが「モハーレベ(神への敵対)」の罪で絞首刑に処された。道路を封鎖し、警察官を刃物で負傷させたという容疑だった。
その後も処刑は続き、多くの若者が命を奪われた。2026年1月のデモとそれに続くサレフ・モハンマディの処刑は、このマフサ・アミニ以降の弾圧の延長線上にある。
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なぜイランはアスリートを処刑するのか──体制維持の恐怖政治
ここまで見てきたように、イラン・イスラム共和国によるアスリート処刑は、孤立した事件ではない。1981年のフーシャング・モンタゼロルゾフールから2026年のサレフ・モハンマディまで、40年以上にわたって繰り返されてきた「パターン」だ。
アスリートが狙われる理由
なぜ、アスリートが特に標的にされるのか。いくつかの理由が考えられる。
まず、アスリートは若い世代の象徴だ。とりわけレスリングはイランの「国技」ともいえるスポーツであり、国内での人気は絶大。そのレスリング選手が体制に反旗を翻したとなれば、国民への影響は計り知れない。
次に、アスリートの処刑は「見せしめ」として最大の効果を発揮する。無名の市民を処刑しても国際的な注目は集まりにくいが、メダリストの公開処刑は世界中のメディアが報じる。イラン当局はそれを分かっていて、あえてやっているのだ。「国際社会が何を言おうと、我々は断固として反体制派を許さない」──そういうメッセージを発信するために。
そして最も重要なのは、恐怖による統治だ。若くて強く、国を代表して戦ったアスリートですら容赦なく殺される。それを見た一般市民が、「自分が声を上げたらどうなるか」を考えないわけがない。
「モハーレベ」──死刑のための便利な罪状
イランの刑法には「モハーレベ(神への敵対)」という罪がある。これは死刑に直結する重罪だが、その定義は極めて曖昧で、事実上、体制にとって都合の悪い人間を処刑するための「万能の罪状」として機能している。
デモに参加した。スローガンを叫んだ。石を投げた。SNSに投稿した──これらすべてが「神への敵対」と解釈されうる。しかも、裁判は非公開で行われ、被告には十分な弁護権が保障されず、拷問による自白が「証拠」として採用される。
国際法の観点からは、これは裁判の名を借りた殺人に他ならない。
関連記事:国連が認定した「人道に対する罪」──イランの人権侵害に対する国際社会の対応と、日本にいる私たちにできること
処刑されたアスリート一覧
ここで、本記事で取り上げたイランで処刑された、または処刑の危機に直面しているアスリートを整理しておこう。
フーシャング・モンタゼロルゾフール(レスリング)は、1976年モントリオール五輪代表で、1981年にPMOI所属の容疑で銃殺刑に処された。
ナビド・アフカリ(レスリング)は、グレコローマン国内メダリストで、2020年9月12日にシーラーズで絞首刑に処された。27歳。2018年のデモ中の殺人容疑だったが、拷問による自白のみが「証拠」だった。
サレフ・モハンマディ(レスリング)は、2024年サイティエフ国際杯銅メダリストで、2026年3月19日にコムで公開絞首刑に処された。19歳。2026年1月のデモに関連する容疑だった。
モハンマド・マフシャリ(ボクシング)は、2024年アジアユース・U23選手権銅メダリストで、2026年3月現在拘束中。処刑の危険がある。
日本から見るイラン人権問題──他人事ではない理由
「遠い中東の話でしょ?」と思う人もいるかもしれない。でも、これは僕たちにとっても決して他人事じゃない。
まず、レスリングという競技を考えてほしい。日本はレスリング大国だ。オリンピックで数え切れないほどのメダルを獲得してきた。そのレスリングを愛する仲間が、体制に逆らったというだけで殺されている。レスリング界の一員として、これを看過していいのか。
次に、日本はイランと経済的なつながりがある。エネルギー安全保障の観点から、中東情勢は日本の生命線だ。イランの人権状況が悪化し、国際的な制裁が強化されれば、原油市場への影響は避けられない。
そして何より、スポーツの力を信じる者として、アスリートが政治の道具にされ、命を奪われることを黙認してはいけないと思う。
まとめ──潰された才能と、声を上げ続ける意味
19歳のサレフ・モハンマディ。27歳のナビド・アフカリ。オリンピアンのフーシャング・モンタゼロルゾフール。そして今も獄中にいるボクサーのモハンマド・マフシャリ。
彼らに共通しているのは、並外れた身体的才能を持ちながら、その力を体制に従属させることを拒んだこと。そして「自由」を求める声を上げたことだ。
イラン・イスラム共和国は、40年以上にわたってアスリートの処刑を繰り返してきた。革命直後の1980年代から2026年の今日に至るまで、そのパターンは驚くほど変わっていない。逮捕、拷問、強制自白、形式的な裁判、そして処刑──あるいは公開処刑。
国際社会の批判は、今のところイラン体制を止められていない。だが、声を上げ続けることに意味がないわけではない。ナビド・アフカリの名前は、処刑から6年が経った今も世界中で語り継がれている。サレフ・モハンマディの名前も、決して忘れられることはないだろう。
僕たちにできることは、まず「知ること」だ。そして知ったことを「伝えること」。このブログを読んでくれたあなたが、イランで何が起きているかを誰かに話してくれたら、それだけでも意味がある。
潰された才能に、せめて追悼の意を。そしてまだ生きている拘束中のアスリートたちのために、声を上げ続けよう。
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