語らなかった祖父の、足跡を探す
祖父はシベリアに抑留されていた。それだけは家族が知っている。だが、どこの収容所にいたのか、何年いたのか、何をさせられたのか、本人は語らなかった。遺品の中に、ロシア語の印刷された紙が一枚あるだけかもしれない。あるいは、何もないかもしれない。
調べる方法はある。
日本政府は、ロシア等から提供された抑留者の個人資料を保管している。ただし、全員分がそろっているわけではない。ソ連側が抑留者に対して行った尋問の記録、収容所の移動、帰国船の乗船名簿。本人や遺族が申請し、該当資料が確認できれば、写しや日本語の説明を受け取ることができる。帰らなかった人については、抑留中死亡者の名簿が厚生労働省のサイトで公開されており、埋葬地の地図と座標まで見られるものがある。
この記事では、抑留者の記録を家族が調べる手順を、順番に書く。何を用意し、どこに何を請求し、何が分かり、何が分からないか。特集の中で、この記事だけは「読んで行動する」ための記事である。抑留の全体像はシベリア抑留はなぜ起きたのかで書いている。
全体の流れ
| 段階 | やること | 分かること |
|---|---|---|
| 0 | 手元の手がかりを集める | 氏名、生年月日、本籍、所属部隊、帰国船、遺品 |
| 1 | 本籍地の都道府県で軍歴証明を取る | 所属部隊、入隊・除隊、抑留の有無と期間、帰国日 |
| 2 | 厚生労働省にロシア提供資料の写しを申請する | ソ連側の尋問記録(身上調査票)、収容所の移動、帰国船 |
| 3 | 帰らなかった人は、抑留中死亡者名簿を検索する | 死亡年月日、収容所、埋葬地、地図と座標 |
| 4 | 遺骨のDNA鑑定を申請する | 収集済みの遺骨との照合 |
| 5 | 資料館と民間の地図で、収容所の場所を確かめる | 収容所の位置、当時の状況、同じ収容所にいた人の手記 |
帰ってきた人なら1と2、帰らなかった人なら1から4まで。順に見ていく。
段階0|手元の手がかりを集める

申請の前に、家族が知っていることを整理する。
氏名。できれば旧字体を含めた正確な漢字と、読み。生年月日。本籍地(当時の本籍地が重要で、現在の住所ではない)。所属部隊が分かれば、部隊名か通称号。帰国した人なら、帰国した年と港。多くは舞鶴だが、函館やナホトカ経由で他の港に着いた人もいる。
遺品があれば、見ておく。抑留者が帰国時に持ち帰った書類には、ソ連側が発行した労働証明書がある。ロシア語で印刷された紙に、氏名と収容所名と労働期間が書かれていることがある。これは、収容所を特定する最大の手がかりになる。ほかに、帰国後に受け取った恩給や援護の書類、戦友会の名簿、手記があれば、すべて手がかりになる。
祖父が抑留について語らなかった理由は、シベリア抑留はなぜ起きたのかの「帰国後」の節で書いた。語らなかったことを責める必要はない。語らなかった人の記録を、国が持っている。
段階1|軍歴証明を取る

抑留者のほとんどは軍人か軍属である。軍歴の記録は、陸軍と海軍で保管先が違う。
旧陸軍の軍人・軍属の資料は、原則として終戦・戦没当時の本籍地の都道府県が保管している。ただし、高等文官・従軍文官など一部の軍属は厚生労働省の扱いとなるため、所属・身分を伝えて窓口を確認する。担当は、福祉部門や援護担当の課で、名称は都道府県によって異なる。「軍歴証明」「兵籍簿」「軍歴証明書の交付」などで検索すれば、窓口が出てくる。申請できるのは、本人と、配偶者、子、孫などの親族で、続柄を示す戸籍が必要になる。
海軍の場合、厚生労働省の社会・援護局が保管している。
軍歴証明には、入隊、所属部隊、異動、除隊の記録が書かれている。抑留者の場合、「昭和20年8月〇日 ソ連軍により抑留」「昭和〇年〇月〇日 舞鶴上陸」といった記載があることが多い。抑留の期間と、帰国の日付がここで分かる。収容所の名前までは、軍歴証明には通常書かれていない。
戦争末期に召集された兵士の記録は簡略で、根こそぎ動員で満洲で召集された人の場合、部隊名すら不明確なことがある。それでも申請する価値はある。「記録がない」という回答も、一つの情報である。
段階2|厚生労働省にロシア提供資料の写しを申請する

ここが、この記事の中心である。
1991年、ゴルバチョフ大統領の来日時に、ソ連は抑留中死亡者約3万7千人分の名簿を日本に渡した。それを皮切りに、ロシア連邦政府とモンゴル政府から、様々な資料が提供されてきた。その中に、抑留者一人ひとりについてソ連側が作成した個人資料がある。
この個人資料は、遺族が申請すれば、写しを受け取ることができる。厚生労働省の「ロシア連邦政府等から提供された抑留者に関する資料について」のページに、「ロシア連邦政府等から提供された資料の写しの申請について」という案内がある。申請先は社会・援護局の援護・業務課調査資料室で、直通の電話番号も公開されている。
申請すると、何が来るのか。実際に申請した遺族の記録によれば、次のようなものが届く。
| 資料 | 内容 |
|---|---|
| ソ連側の身上調査票(尋問記録) | 収容所到着後にソ連側が作成した記録。氏名、生年、出身地、職業、階級、所属、身体的特徴など。ロシア語の原本と厚労省の翻訳 |
| 収容所の移動記録 | どの収容所から、どの病院や分所へ移されたか。翻訳担当者が地図を添えてくれることがある |
| 帰国船の乗船名簿 | いつ、どの船で、どの港に着いたか |
| 関東軍など日本側の名簿 | 日本軍側が保持していた部隊名簿の該当部分 |
| 外地引揚調査表 | 帰国時に日本側が作成した調書 |
ロシア語の記録は、厚生労働省が翻訳して届けてくれる。ある遺族は、祖父が1945年10月8日に収容所に着き、フルムリ地区の収容所から病院へ、さらに別の病院へと移動し、1948年5月20日に出発して11日後に日本に上陸したことを、この資料で初めて知った。祖父が語らなかった3年間の足跡が、ソ連側の書類と日本側の書類を突き合わせることで、初めて一本の線になった。
申請から届くまでには時間がかかる。数か月から、場合によってはそれ以上を見ておいたほうがよい。資料が「ない」という回答もありうる。ロシア側が提供した資料は全抑留者分ではなく、提供されていない人、名簿の表記が違って照合できない人がいる。
段階3|帰らなかった人|抑留中死亡者名簿を検索する
祖父が帰らなかった場合、あるいは帰った祖父の戦友の消息を調べたい場合、厚生労働省のサイトで死亡者名簿を検索できる。
「旧ソ連邦及びモンゴル抑留中死亡者名簿」として、次のものが公開されている。
| 名簿 | 内容 |
|---|---|
| 氏名50音別名簿(Excel) | ロシア側提供の名簿をカナ氏名の50音順に整理。特定済みの人は漢字氏名と出身都道府県を記載 |
| 埋葬地別名簿 | 地域ごと、収容所ごとに死亡者を整理。ハバロフスク地方、沿海地方、イルクーツク州、アルタイ地方など |
| 地図と座標 | 各地域の地図。一部は埋葬地と収容所の位置座標 |
| ロシア語の読み方の案内 | キリル文字の読み方と、カナ転写の対応表 |
検索するときに、一つ注意がある。名簿のカナ氏名は、ロシア語で記録された名前を、さらにカナに直したものである。ソ連側の担当者が日本人の名前を耳で聞き、キリル文字で書き、それを日本側がカナに戻す。二重の転写を経ているため、表記は大きく揺れる。実際の名簿には「ハイフタニ(フシフタニ)テニ(テンイ)」「ヤモサキ トイゾ」といった記載がある。「橋谷」「山崎」かもしれないし、そうでないかもしれない。姓と名が入れ替わっていることもある。
だから、検索は一度で終わらせないほうがよい。姓の最初の音、名の最初の音、似た音の組み合わせで、何度か引く。死亡年月日や収容所の地域が分かっていれば、埋葬地別名簿のほうから探すことができる。
厚生労働省は、この名簿を日本側の資料と照合して個人を特定し、特定できた人については都道府県を通じて遺族に通知している。2026年7月3日公表の氏名特定済み人数は、シベリア・モンゴルが41,227人、その他の地域が1,057人である。提供資料には重複や表記の揺れがあり、死者の概数からこれらの人数を引いて「未特定者数」を出すことはできない。
祖父の名前が名簿にないことは、祖父が死んでいないことを意味しない。資料が未提供の場合のほか、記録の欠落、表記の違い、情報不足で照合できない場合などがある。
段階4|遺骨のDNA鑑定を申請する
厚生労働省は1991年以降、ロシア各地の旧収容所跡や埋葬地で遺骨収集を行ってきた。収集された遺骨の一部は、DNA鑑定によって個人を特定し、遺族に返還されている。
遺族は、収集済みの遺骨との照合のためのDNA鑑定を申請できる。2021年10月からは、厚生労働省が遺骨の検体を保管する全地域について、遺留品などの手がかりがない遺骨の鑑定も公募の対象となった。申請の窓口は厚生労働省で、鑑定料は国が全額負担するが、申請書や検体採取キット等を送る郵送料は自己負担となる。祖父の兄弟の子、つまり甥や姪でも、続柄によっては申請できる。
ただし、ここには大きな制約がある。2022年のロシアによるウクライナ侵略以降、日露関係の悪化により、ロシア国内での遺骨収集と慰霊巡拝は事実上止まっている。新しい遺骨の収集が行われなければ、照合できる遺骨も増えない。祖父の遺骨がまだシベリアの土の中にあるなら、それを収集する道は、今は閉じている。
これは、日本政府の怠慢ではない。ロシアの側が、日本人の遺骨を掘り起こす作業に協力しない状況を作っている。80年前に連れ去った人々の骨を、80年後にも返さない。抑留は、この意味で、まだ終わっていない。
段階5|資料館と民間の記録で、場所を確かめる

厚生労働省の資料で収容所の名前が分かったら、次はその場所と状況を確かめる。
東京・新宿の平和祈念展示資料館(総務省委託)は、抑留、恩給欠格者、引揚者の三つを主題にした施設で、抑留者の手記、画集、遺品を収蔵している。抑留者の証言映像もある。収容所の名前で検索すれば、同じ収容所にいた人の手記が見つかることがある。
京都・舞鶴の舞鶴引揚記念館は、抑留者の帰国港だった舞鶴に置かれた施設で、所蔵資料はユネスコの「世界の記憶」に登録されている。帰国船の記録、引揚者が持ち帰った手帳や白樺の皮の日記、そして舞鶴に上陸した人々の記録がある。祖父が舞鶴に着いたなら、その日の船と、その日の港の様子を知ることができる。
一般財団法人全国強制抑留者協会(全抑協)は、抑留者の団体として慰霊事業と記録の保存を続けており、樺太・千島やハバロフスクの慰霊碑のデータも公開している。
民間では、抑留者の遺族が作った収容所の地図サイトがあり、厚生労働省の資料に出てくる収容所名を地図上で確かめられる。ロシア語の地名は表記が揺れるため、こうした地図が役に立つ。
そして、手記である。抑留者の手記と画集は2,000冊を超える。国立国会図書館や、都道府県の図書館、平和祈念展示資料館で、収容所名や部隊名で探せば、祖父と同じ場所にいた人の記録に行き着くことがある。祖父が語らなかったことを、隣の寝床にいた人が書いている場合がある。
何が分かり、何が分からないか
| 項目 | 分かるか |
|---|---|
| 抑留の有無と期間 | 軍歴証明でほぼ分かる |
| 帰国の日付と船 | 軍歴証明と厚労省資料で分かる |
| 収容所の名前と移動 | 厚労省のロシア提供資料で分かることが多い。提供がない人もいる |
| 収容所での労働の内容 | 個人資料には通常書かれない。同じ収容所の手記から推定 |
| 死亡年月日と埋葬地 | 氏名特定済みはシベリア・モンゴル41,227人、その他1,057人(2026年7月3日)。個別の記載状況を確認 |
| 死亡時の状況 | ほとんど分からない |
| 遺骨の所在 | 収集済みならDNA鑑定で照合可能。未収集なら現在は収集できない |
| ソ連側の裁判記録(戦犯とされた人) | 一部はロシア側から提供されているが、個別の照会が必要 |
分からない理由には、資料が未提供であることに加え、記録の欠落や誤記、個人を照合するための情報不足などがある。祖父の足跡を探す作業は、80年前に祖父を連れ去った国が今も持っている情報を、少しずつ取り返す作業でもある。
判定|記録を探すことは、抑留を終わらせるための最後の作業である
三段階で判定する。
事実の判定。抑留者の記録は、本籍地の都道府県の軍歴証明、厚生労働省が保管するロシア提供の個人資料(翻訳付き)、公開されている抑留中死亡者名簿と埋葬地情報、収集済み遺骨のDNA鑑定によって、家族が調べることができる。2026年7月3日の氏名特定済み人数はシベリア・モンゴル41,227人、その他1,057人であり、推計死者数との差を未特定者数とは扱わない。
意図の判定。ソ連は抑留者から文字の記録を没収し、死者の多くを名簿なしに埋め、なお提供されていない資料があり、氏名の特定に至らない記録もある。2022年以降は遺骨収集も止まっている。記録が分からない理由の大半は、日本側ではなく、連れ去った側にある。
歴史の判定。祖父が語らなかった3年間を、ソ連側の書類と日本側の書類を突き合わせて一本の線にすることは、家族にしかできない。それは同時に、未特定の記録を一人ずつ本人や家族へ結びつけていく作業の一部でもある。抑留は、最後の一人の名前が分かるまで終わらない。記録を探す人が、それを終わらせる。
舞鶴に着いた人々の話は舞鶴の引き揚げで、遺書を仲間の記憶で持ち帰った男の話は山本幡男で書いている。特集全体はソ連の対日侵攻と日本人被害から辿ってほしい。
よくある疑問
祖父の抑留記録は誰が請求できますか
本人のほか、配偶者、子、孫などの親族が請求できる。軍歴証明は原則として終戦・戦没当時の本籍地の都道府県(陸軍。一部軍属は厚生労働省)または厚生労働省(海軍)に、ロシア提供資料の写しは厚生労働省社会・援護局援護・業務課調査資料室に申請する。続柄を示す戸籍謄本が必要になる。
収容所の名前はどこで分かりますか
軍歴証明には通常書かれていない。厚生労働省に申請するロシア提供の個人資料(身上調査票、収容所の移動記録)で分かることが多い。遺品の労働証明書に収容所名が印刷されていることもある。
名簿に祖父の名前がありません
資料が提供されていない人や、記録の欠落・情報不足で照合できない人がいる。またカナ氏名の表記が大きく揺れるため、姓と名の似た音の組み合わせで複数回検索し、埋葬地別名簿からも探すことを勧める。
遺骨はいつ返ってきますか
収集済みの遺骨との照合はDNA鑑定の申請で可能だが、2022年以降、ロシア国内での新たな遺骨収集は事実上止まっている。未収集の遺骨については、現在のところ収集の見通しが立っていない。







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