EA-6Bプラウラーとは|「空飛ぶ鶏の脚」と呼ばれた電子戦機が、48年間一度も撃墜されずにアメリカの戦争を全部支えた話──性能・任務・グラウラーとの違い・厚木との縁

EA-6Bプラウラー 記事表紙
要点

見た目は不細工で、速度は遅く、乗っている4人のうち3人は操縦しない。「空飛ぶ豚」「鶏の脚」と呼ばれた。それでも48年の運用で戦闘による損失はゼロ。一度も撃墜されなかった軍用機が、他の全部の機体を守り続けていた。この記事では、プラウラーが何をする機体で、なぜあの形になり、後継のEA-18Gグラウラーと何が違い、そして日本とどんな縁があったのかを追っていく。

目次

EA-6Bを一言で言うと

パタクセント・リバー海軍航空博物館のEA-6B。
パタクセント・リバー海軍航空博物館のEA-6B。写真:Balon Greyjoy/Wikimedia Commons/CC0
EA-6Bを一言で言うと

基本の数字を並べておく。

項目EA-6B プラウラー(ICAP III)
全長18.24m
翼幅16.15m
乗員4名(操縦士1、電子戦士官3)
エンジンプラット&ホイットニー J52-P-408 ×2
最大速度約1,050km/h(音速以下)
主要装備AN/ALQ-99妨害ポッド(最大5個)、AN/ALQ-218受信機
兵装AGM-88 HARM対レーダーミサイル
生産数170機
初飛行/配備1968年5月/1971年
退役海軍2015年、海兵隊2019年3月

音速は出ない。爆弾も基本的に積まない。それでいてF-14やF/A-18と同じ空母の飛行甲板を分け合い、しかもどの作戦でも真っ先に飛んだ。この機体の価値は、飛行性能の表には一切出てこない。

なぜイントルーダーの改造だったのか──1960年代の「電子戦は片手間」からの転換

第二次世界大戦の頃から、レーダーを電波で妨害するという発想自体はあった。ただ1960年代までのアメリカ海軍では、電子戦は古い機体に妨害装置を後付けする片手間の仕事だった。海兵隊が使っていたEF-10Bスカイナイトは朝鮮戦争時代の夜間戦闘機の流用で、これをベトナムで飛ばしていた。

1962年、海兵隊はその後継としてA-6イントルーダーを2人乗りのまま電子戦機にしたEA-6Aを選んだ。ところが1965年に配備が始まった頃には、電子戦の技術がもう先に進んでいた。妨害する周波数帯が広がり、受信・解析・妨害を同時にこなすには2人では手が足りない。そこでグラマンは機体を根本から設計し直した。胴体を1.4m延ばし、コクピットを4人乗りにして、電子戦の作業を3人の電子戦士官(ECMO)で分担する。これがEA-6Bプラウラーで、1971年に海軍へ配備が始まった。

つまりプラウラーは「電子戦を片手間にしない」と決めた最初の機体だ。最初から電子戦のために設計された戦術機はこれが初めてで、スミソニアン航空宇宙博物館もそう位置づけている。

なぜイントルーダーだったのか。答えは単純で、A-6は全天候で低空を飛べる頑丈な機体で、翼下に大量の搭載物をぶら下げられ、しかも空母で運用できた。妨害ポッドは1個あたり約450kgあり、それを5個吊るして航続距離を保つには、もともと爆弾を大量に積む前提の攻撃機の方が向いていた。

4人乗りの中で何が起きているか

プラウラーの面白さは中の仕事の分担にある。

前席左が操縦士。前席右が電子戦士官1で、航法と通信、そしてHARMミサイルの発射を担当する。後席の2人が電子戦士官2と3で、こちらが本業だ。ALQ-218の受信機で敵のレーダー波を拾い、周波数と種類を解析し、どのポッドをどの周波数で作動させるかを決めて、妨害を始める。攻撃隊が目標に向かっている間、後席の2人は敵の防空網が何をしているかをずっと聞き続けている。

コクピットの風防には金色の薄い膜が貼られている。ただの見た目ではなく、自分たちが出す強力な電波から乗員を守るためのシールドで、プラウラーを見分ける一番簡単な目印でもある。

ALQ-99ポッドの先端には小さなプロペラが付いている。飛行中の風でこれを回して発電し、ポッドの妨害装置を動かす。機体から電気をもらわなくていいから、古い機体にも積めるし、ポッド単体で完結する。この方式は後継のグラウラーにもそのまま受け継がれた。

型式の変遷──同じ機体を5回作り直した

編隊飛行するVAQ-139のEA-6B。
編隊飛行するVAQ-139のEA-6B。写真:PH2 Michael Watkins, U.S. Navy/Wikimedia Commons/Public domain

プラウラーには外見上の型式名がほとんどない。170機の機体はずっとEA-6Bのままで、変わったのは中身だ。海軍は「能力向上」を意味する呼び方で世代を分けていた。

世代時期中身
基本型1971年〜妨害できる周波数帯が限られ、ポッドの操作も手動に近い
EXCAP1973年〜周波数帯を拡張
ICAP1976年〜受信機と表示を刷新、電子戦士官の負担を軽減
ICAP II1984年〜ポッド1個で複数周波数帯を妨害可能に。HARM対レーダーミサイルを運用できるようになり、妨害だけでなく「撃つ」機体になる
ADVCAP1990年代大改修計画だったが冷戦終結で中止
ICAP III2005年〜ALQ-218受信機を搭載し、敵レーダーの位置を素早く特定できる。最終形

大事なのはICAP IIだ。ここで初めてプラウラーはHARMを撃てるようになった。それまでは敵レーダーを黙らせるだけの機体だったのが、レーダーを探知して、妨害して、その発信源に対レーダーミサイルを撃ち込んで潰す、という一連の仕事を1機でやれるようになった。プラウラーが「電子戦機」から「電子攻撃機」と呼ばれるようになるのはここからで、湾岸戦争のプラウラーはこの状態で参戦している。

ADVCAPが中止されたのは冷戦が終わったからで、その代わりに古い機体を延命し続けた結果、2000年代のプラウラーは機体寿命がぎりぎりだった。海軍が2015年、海兵隊が2019年まで引っ張ったのは、後継のグラウラーが揃うまで機体が持ちこたえたからで、これは幸運に近い。

ある夜の出撃──1991年1月、湾岸

プラウラーがどう飛んでいたかを、湾岸戦争開戦の夜を典型例として組み立ててみる。

紅海の空母から、日没後にプラウラーが2機上がる。攻撃隊のF/A-18やA-6より30分早い。目標はバグダッド西方の防空レーダー群で、イラク軍はフランス製とソ連製のレーダーを混ぜて使っている。後席の電子戦士官2人は、離陸前に情報部からもらった周波数の一覧を頭に入れているが、実際に敵が何を出してくるかは飛んでみないと分からない。

イラク領内に入ると、後席の受信機が次々に電波を拾い始める。捜索レーダー、射撃管制レーダー、SA-6の照準波。電子戦士官が種類を判定し、どのポッドをどの帯域で回すかを指示する。妨害を始めた瞬間、イラク側のレーダー画面は雪のようなノイズで埋まる。慌てたレーダー手が出力を上げれば、その発信源を受信装置が捉え、前席右のECMOがHARMを撃つ。ミサイルは電波を追って飛び、レーダーのアンテナに突っ込む。

その間に攻撃隊が通過する。プラウラーは目標上空には行かない。敵の防空圏の縁を旋回しながら、攻撃隊が出てくるまで妨害を続け、最後に一緒に帰る。この夜、プラウラーは1発の爆弾も落とさず、しかし自分がいなければ落とせなかった爆弾を大量に落とさせた。

このやり方は27年後のシリアでも本質的に同じで、変わったのは相手がレーダーからISISの無線に変わったことだけだった。

実戦──1972年の北ベトナムから2018年のシリアまで

KC-135から空中給油を受ける海兵隊のEA-6B。
KC-135から空中給油を受ける海兵隊のEA-6B。写真:U.S. Air Force photo by Senior Airman James A. Richardson Jr./Wikimedia Commons/Public domain

プラウラーの初陣は1972年、空母アメリカから北ベトナムへ出撃したVAQ-132だった。ラインバッカー作戦で北ベトナムのSA-2地対空ミサイル網を相手に妨害を始め、ここから48年、アメリカの航空作戦にはずっとこの機体がいた。

1986年のリビア空爆「エルドラド・キャニオン作戦」ではF-111と海軍攻撃隊の前でリビアの防空レーダーを潰した。1991年の湾岸戦争では、ステルス機のF-117すらプラウラーの妨害の下で飛んでいて、これは今でもあまり知られていない。F-117の記事で書いたように、あの機体は「見えない」わけではなく「見えにくい」だけで、イラクの防空網が慌てて電波を出し、それをプラウラーが妨害する、という組み合わせで初めて生き残れた。

1998年に空軍のEF-111レイヴンが退役すると、アメリカ軍全体で電子戦機はプラウラーしか残らなくなった。以後、プラウラーは「国家資産」扱いになり、空軍の乗員も海軍の飛行隊に乗り込んで一緒に飛ぶようになった。コソボ、アフガニスタン、イラクと、陸上基地からも空母からも出撃し続けた。

2000年代のイラクとアフガニスタンでは、任務の中身が変わった。敵にレーダーはない。代わりに道端の爆弾を携帯電話で起爆させてくる。プラウラーは無線の妨害でその起爆信号を止める仕事を引き受けた。防空網相手に作られた機体が、20年後にはゲリラの携帯電話を黙らせていた。海兵隊VMAQ-2の最後の派遣は2018年のカタールで、ここからシリアのISIS相手に通信妨害を続け、これがプラウラーの最後の実戦になった。

一つだけ、書いておかなければならない事故がある。1998年2月、イタリア北部のカヴァレーゼで、低空飛行中の海兵隊プラウラーがロープウェイのケーブルを切断し、ゴンドラが落ちて乗っていた20人全員が亡くなった。乗員は規定高度より大幅に低く飛んでいた。この事故はイタリアとアメリカの関係を長く傷つけ、プラウラーの歴史の中で最も重い一日として残っている。

退役──海軍は2015年、海兵隊は2019年

スミソニアンのウドバー・ハジー・センターに保存されたEA-6B。
スミソニアンのウドバー・ハジー・センターに保存されたEA-6B。写真:APK/Wikimedia Commons/CC BY 4.0
退役──海軍は2015年、海兵隊は2019年

ここで面白いのは、海兵隊がプラウラーの直接の後継機を持たなかったことだ。海兵隊はグラウラーを買わず、F-35Bの電子戦能力と、既存の機体に吊るす小型の妨害ポッド、それに海軍のグラウラー飛行隊に頼ることにした。海兵隊は1977年から2019年まで、約42年間EA-6Bを運用した。それを手放して7年経つ今、「やはり専用機が必要だったのでは」という議論がアメリカで続いている。

EA-18Gグラウラーとの違い──2人でやる仕事に変えた

後継のグラウラーはF/A-18Fスーパーホーネットの改造機で、ここが最初の違いだ。プラウラーは攻撃機ベースで遅く、グラウラーは戦闘機ベースで速い。攻撃隊と同じ速度で一緒に飛べるから、プラウラーのように「先に行って待つ」必要がない。

項目EA-6B プラウラーEA-18G グラウラー
ベース機A-6イントルーダー(攻撃機)F/A-18Fスーパーホーネット(戦闘機)
乗員4名2名
速度亜音速超音速
妨害ポッドALQ-99ALQ-99 → 次世代ジャマー(NGJ)へ更新中
自衛能力ほぼなしAIM-120空対空ミサイル、AESAレーダー
情報共有機内で完結複数機で妨害を分担、データリンクで共有
運用海軍・海兵隊海軍、オーストラリア空軍

もう一つの違いは人数だ。プラウラーは4人で電子戦をやった。グラウラーは2人でやる。それで済むのは自動化が進んだからで、受信・解析・妨害の判断を機械がかなり引き受け、しかも複数のグラウラーがデータリンクで妨害の分担を決められる。プラウラーの後席で2人の人間がやっていた仕事を、コンピュータとネットワークが引き取った。

ただ、グラウラーも万能ではない。ALQ-99ポッドは1970年代の設計で、今の防空レーダーに対しては帯域が足りない。だから次世代ジャマーへの更新が進んでいるが、これが遅れていて、プラウラーの遺産をまだ引きずっている。スーパーホーネットそのものの話はF/A-18E/Fの記事に、今世界にどんな電子戦機があるかは世界の電子戦機一覧にまとめてある。

厚木との縁──日本に40年いた電子戦機

富士山を背景に飛ぶ第5空母航空団の航空機。2007年4月。
富士山を背景に飛ぶ第5空母航空団の航空機。2007年4月。写真:Mass Communication Specialist 3rd Class Jarod Hodge, USN/Wikimedia Commons/Public domain

ここからは私の趣味に寄る。プラウラーは日本と縁の深い機体だ。

空母ミッドウェー、インディペンデンス、キティホーク、ジョージ・ワシントンと、横須賀を母港にした前方展開空母の航空団には、常に電子戦飛行隊VAQ-136「ガントレッツ」のプラウラーが組み込まれていて、その陸上基地は神奈川県の厚木だった。1980年代から2012年まで、厚木の上空をあの鶏の脚のような機体が飛んでいた。同じ航空団にいたF-14トムキャットと一緒に厚木の空を飛んでいた時代を覚えている人も多いはずだ。VAQ-136は2012年にグラウラーへ機種転換し、代わってVAQ-141がグラウラーで厚木に来た。航空団はその後岩国へ移った。

厚木との縁──日本に40年いた電子戦機

そして日本自身の話だ。航空自衛隊には、プラウラーやグラウラーに当たる戦術電子戦機がない。EC-1という電子戦訓練機とRC-2電子情報収集機はあるが、敵の防空網の中に入って味方の攻撃隊を守る機体は持っていない。2010年代後半にはグラウラー導入を検討したという報道もあったが、実現していない。代わりに日本が進めているのは、C-2輸送機を母機として遠くから妨害する「スタンドオフ電子戦機」で、味方の攻撃隊と一緒に敵の防空圏へ入る発想ではない。陸自は24式対空電子戦装置のような地上からの妨害を整備し始めていて、日本の電子戦は「空から突っ込む」ではなく「遠くから、あるいは地上から」の方向で組み立てられている。専守防衛の国が敵地の防空網を潰す機体を持つのは政治的に難しく、プラウラーのような機体は日本には最初から選択肢になかった。

投資家として見るプラウラー──電子戦は「機体」より「中身」で稼ぐ

プラウラーを作ったグラマンは今のノースロップ・グラマンで、あの会社が現在B-21爆撃機と電子戦システムで稼いでいるのは偶然ではない。プラウラーで48年間、アメリカ軍の電子戦のやり方そのものを握っていた会社だ。

電子戦の投資で面白いのは、機体を作る会社と中身を作る会社が別だという点にある。グラウラーの機体はボーイングだが、次世代ジャマーはレイセオンとL3ハリスが分担して作っている。機体は一度売ったら終わりだが、妨害装置は脅威が変わるたびに更新が必要で、そのたびに契約が発生する。プラウラーのALQ-99が半世紀近く改修され続けたのと同じことが、これからグラウラーの次世代ジャマーで起きる。この構造はL3ハリスの記事で書いた「電子戦専業で5大メジャーに割り込む」という話とつながっている。

日本側では、電子戦のレーダーや妨害装置を作る国内企業の一覧をこちらの記事で整理した。米国株は国内のネット証券で普通に買える時代になったが、防衛株は予算と政治で大きく動く。この記事は特定銘柄の売買を推奨するものではなく、投資判断は自分で情報を集めたうえで行ってほしい。

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まとめ──主役を一度も張らず、全部の主役を守った機体

EA-6Bプラウラーは攻撃機の改造で、遅く、不細工で、爆弾を積まず、4人のうち3人は操縦しなかった。それでも1972年から2019年まで、アメリカの航空作戦の全部に参加し、一度も撃墜されなかった。F-117が湾岸で生き残れたのも、F-14が敵地上空へ入れたのも、プラウラーが先にレーダーを黙らせていたからだ。

グラウラーとの違いは「攻撃機ベースで4人」か「戦闘機ベースで2人」か。人間がやっていた仕事を機械とネットワークが引き取った、というのが世代交代の中身だ。そして厚木に40年いたこの機体は、日本が今も持っていない種類の飛行機でもある。

空母の上で何が飛んでいるのかを一通り把握したい人は、アメリカ海軍の空母一覧と、空母の目にあたるE-2Dの記事を合わせて読んでもらえると、電子戦機が航空団の中でどの位置にいるのかが見えてくるはずだ。


出典・参考資料

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この記事を書いた人

軍研ノート編集部のアバター 軍研ノート編集部 自衛隊・兵器 / 戦史 / サバゲー

自衛隊で6年間勤務した編集長を中心に、自衛隊時代の仲間やサバゲーを通じた知人と記事を制作。経験と公開資料をもとに、装備の仕組みや歴史、その背景にある人々の工夫を掘り下げています。「かっこいい」から、その先の理解へ。編集長のプロフィール → 運営・編集方針

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