太平洋戦争の開戦から終戦までに、日本海軍が新しく完成させた正規空母は、大鳳、雲龍型の3隻(雲龍・天城・葛城)、そして信濃。数えてみると5隻しかない。
同じ時期、アメリカ海軍は1つの設計の大型空母を、終戦までに17隻も就役させた。それがエセックス級空母だ。最終的には24隻が完成し、太平洋の戦いでは一隻も沈まなかった。
正直、旧海軍好きとしては複雑な気持ちになる艦級である。マリアナ沖で日本の航空隊を壊滅させ、レイテ沖で武蔵と瑞鶴を沈め、坊ノ岬沖で大和を沈めた艦載機の多くは、このエセックス級から飛び立っていた。日本海軍を最終的に海の底へ送ったのは、戦艦でも潜水艦でもなく、この「量産型の大型空母」だったと言っていい。
この記事では、エセックス級がどんな空母で、なぜこれだけの数を作れたのか、どんな戦いを経て、戦後どう生まれ変わったのかを整理する。
- エセックス級は第二次世界大戦中にアメリカが量産した大型空母。32隻が発注され、24隻が完成した
- 早い艦は起工から1年あまりで就役。終戦までに17隻がそろい、日本の空母建造を数で圧倒した
- 特攻で大損害を受けた艦はあったが、戦争中に沈んだ艦は1隻もない
- 戦後はジェット機向けに改装され、朝鮮戦争・ベトナム戦争、アポロ宇宙船の回収まで、1991年まで現役で働いた
エセックス級空母とは|基本データ

写真:U.S. Navy (This image is part of an album of photographs collected by Captain Carlos W. Wieber during his command of the aircraft carrier Essex (CV-9) during 1944-1945.)/Wikimedia Commons(Public domain)
エセックス級は、アメリカ海軍が1940年代に建造した大型の航空母艦だ。1番艦エセックスが1942年12月31日に就役した。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 発注数 | 32隻(うち8隻は建造中止) |
| 完成数 | 24隻 |
| 1番艦就役 | 1942年12月31日(エセックス) |
| 基準排水量 | 約2万7,000〜3万トン |
| 全長 | 約266〜271m(艦首の形で2種類) |
| 速力 | 33ノット |
| 搭載機 | 90〜100機 |
| 乗員 | 約2,600人(建造時。戦時中はさらに増えた) |
| 最後の退役 | 1991年(レキシントン) |
途中から、艦首を延ばして対空機銃を増やした「長船体型」が作られ、こちらはタイコンデロガ級と呼び分けられることもある。
搭載機は、最初の構成で戦闘機36機、急降下爆撃機36機、雷撃機18機の合計90機。日本の翔鶴型と比べても一回り多く、しかも戦争の後半には戦闘機の割合をどんどん増やしていった。特攻機を迎え撃つためである。
エセックス級の設計の特徴|日本の空母と何が違ったのか

写真:U.S. Navy/Wikimedia Commons(Public domain)
数の話の前に、設計の中身も少し見ておきたい。日本の空母と比べると、考え方の違いがよく分かる。
開放式の格納庫
エセックス級の格納庫は、側面が大きく開く「開放式」だった。普段はシャッターで閉じているが、開ければ外の空気が通る。日本の空母の多くは、格納庫を壁で囲った「閉鎖式」だった。
これが被害を受けたときに大きな差になった。閉じた格納庫では、漏れた航空燃料の気化ガスがこもりやすい。1944年のマリアナ沖海戦で、日本の新鋭装甲空母大鳳は、潜水艦の魚雷1本で燃料タンクが傷つき、格納庫に充満した気化ガスに引火して大爆発を起こし、沈んだ。開放式の格納庫なら、ガスを外へ逃がしやすいし、爆発の力も外に抜けやすい。大鳳の最期については装甲空母大鳳の解説に書いた。
舷側エレベーターと木の飛行甲板
エセックス級は、飛行甲板の中央に2基、さらに船体の横に張り出した「舷側エレベーター」を1基持っていた。舷側エレベーターは飛行甲板の真ん中をふさがないので、飛行機の発着艦と格納庫への出し入れを同時に進めやすい。発着艦のテンポを上げるための工夫だ。
飛行甲板そのものは、鋼板の上に木の板を張ったもので、装甲は格納庫の床の高さに置かれていた。甲板に爆弾が当たれば穴は開くが、修理は早い。イギリスのように飛行甲板を分厚い装甲で固めるより、搭載機の数と発着艦の速さを優先した設計だった。
対空砲とレーダー、そして「戦闘情報センター」
エセックス級は、5インチ砲12門に加えて、40mm機関砲と20mm機関砲をびっしり並べた。戦争の後半には、40mm機関砲の数をさらに増やし、特攻機に備えている。
そしてもう一つ見逃せないのが、レーダーの情報を1か所に集めて戦闘機を誘導する「戦闘情報センター(CIC)」だ。レーダーで敵の編隊を遠くから見つけ、味方の戦闘機を一番いい位置に誘導する。マリアナ沖で日本の攻撃隊が一方的に落とされたのは、ヘルキャットの性能だけでなく、この「見つけて、誘導する」仕組みが日本側よりはるかに進んでいたからでもある。
なぜこれほど作れたのか|「1つの設計を大量に」
エセックス級のすごさは、性能そのものより、作り方にある。
日本の空母は、1隻ごとに設計が違うことが多かった。赤城、加賀、蒼龍、飛龍、翔鶴、大鳳。どれも個性があり、技術的には面白いが、量産には向かない。戦争中に計画された雲龍型でさえ、完成したのは3隻にとどまった。
アメリカは逆に、1つの基本設計を決めたら、それを複数の造船所で同時に作らせた。部品をそろえ、工程を分け、同じものを繰り返し作る。最も早かった空母フランクリンは、起工から就役までおよそ13か月しかかかっていない。
同じ時期、アメリカはエセックス級のほかにも、巡洋艦の船体を流用した軽空母インディペンデンス級を9隻、さらに護衛空母を100隻以上も作っている。空母の「数」という点では、日米の差は比べることすら難しいほどだった。
日本の主な空母と並べると、差はこうなる。
| 艦級 | 基準排水量 | 搭載機 | 速力 | 完成数 |
|---|---|---|---|---|
| エセックス級(米) | 約2万7,000トン | 90〜100機 | 33ノット | 24隻 |
| 翔鶴型(日) | 約2万6,000トン | 80機前後 | 34ノット | 2隻 |
| 大鳳(日) | 約2万9,000トン | 50〜60機前後 | 33ノット | 1隻 |
| 雲龍型(日) | 約1万7,000トン | 60機前後 | 34ノット | 3隻 |
1隻ずつ見れば、翔鶴型はエセックス級とほぼ同じ大きさで、速力ではむしろ上回っている。大鳳は飛行甲板に装甲を張った、技術的には意欲的な空母だった。日本の空母が性能で大きく負けていたわけではない。ただ、一番右の「完成数」の列だけは、どうにもならない差がついている。
旧海軍好きとしては、ここがいちばん胸の痛いところだ。日本の空母は1隻ずつ丁寧に作られた職人の作品で、アメリカの空母は工業製品だった。そして、戦争は職人の作品ではなく、工業製品の数で決まった。日本がなぜ負けたのかについては太平洋戦争で日本はなぜ負けたのかで、国力の差も含めて考えている。
沈められた空母の名前が、すぐ新しい空母に
エセックス級の艦名には、少し胸が詰まるような話がある。
1942年、日本海軍はアメリカの空母を次々と沈めた。珊瑚海でレキシントン、ミッドウェーでヨークタウン、南太平洋でホーネット。ワスプも潜水艦の魚雷で沈んだ。するとアメリカは、建造中のエセックス級に、沈んだ空母と同じ名前を次々と付けていった。レキシントン、ヨークタウン、ホーネット、ワスプ。
日本が沈めたはずの空母が、すぐに一回り大きな新しい空母になって戻ってくる。名前を引き継ぐのはアメリカ海軍の伝統でもあるが、戦っていた日本側から見れば、悪夢のような話だったはずだ。
一方の日本では、大本営発表がアメリカの空母を実際よりはるかに多く「撃沈」したと発表し続けていた。沈めたはずの空母が、同じ名前で戻ってくる。その現実と発表との差は、戦争が進むほど大きくなっていった。このあたりは大本営発表とはや、ホーネットが沈んだ南太平洋海戦の記事でも書いている。
エセックス級の戦歴|日本海軍を沈めた空母たち

写真:U.S. Navy/Wikimedia Commons(Public domain)
エセックス級が本格的に戦場に出てきたのは1943年の後半からだ。ここから先の太平洋の主な海戦には、ほぼすべてエセックス級が関わっている。
トラック島空襲(1944年2月)
日本海軍の一大拠点だったトラック島を、エセックス級を中心とする空母部隊が2日間にわたって空襲した。在泊していた艦船や輸送船、地上の航空機が大きな被害を受け、トラックは拠点としての機能を失った。詳しくはトラック島空襲の解説にまとめている。
マリアナ沖海戦(1944年6月)
日本海軍が空母9隻をそろえて挑んだ、最後の本格的な空母決戦だ。対するアメリカ側の高速空母部隊は15隻。その主力がエセックス級だった。日本の攻撃隊は、エセックス級から上がったF6Fヘルキャットと艦艇の対空砲火に次々と落とされ、アメリカ側は「マリアナの七面鳥撃ち」と呼んだ。日本は大鳳、翔鶴、飛鷹を失い、空母航空隊は事実上壊滅した。マリアナ沖海戦の解説に詳しく書いた。
レイテ沖海戦(1944年10月)
シブヤン海では、エセックス級などから飛び立った艦載機が、戦艦武蔵に魚雷と爆弾を浴びせ続けて沈めた。エンガノ岬沖では、真珠湾攻撃に参加した最後の空母瑞鶴が、同じく艦載機の攻撃で沈んでいる。レイテ沖海戦の解説、戦艦武蔵、空母瑞鶴の記事もあわせて読んでほしい。
坊ノ岬沖海戦(1945年4月)
沖縄へ向かった戦艦大和を沈めたのも、エセックス級を含む空母部隊の艦載機だった。世界最大の戦艦が、ほとんど空母の飛行機だけで沈められた。戦艦の時代が終わり、空母の時代になったことを、これ以上ないほどはっきり示した戦いである。大和については戦艦大和の解説で書いている。
一隻も沈まなかった、しかし無傷ではなかった
エセックス級は、戦争中に一隻も沈まなかった。ただし、それは無傷だったという意味ではない。
1945年3月、空母フランクリンは日本本土の沖合で日本機の爆弾を受け、甲板に並んでいた艦載機の燃料と爆弾が次々に誘爆した。5月には空母バンカーヒルが、沖縄沖で特攻機2機の突入を受けて大火災を起こした。どちらも数百人の乗員が亡くなる大惨事だった。
それでも両艦は沈まず、自力でアメリカ本土まで帰り着いている。徹底した応急修理の訓練と、被害を局所にとどめる艦の作り、そして乗員の必死の消火活動があったからだ。ただ、2隻とも修理を終えたあと、再び第一線に戻ることはなかった。
特攻については特攻はなぜ始まったのかで、その背景を書いている。
戦後のエセックス級|ジェット機、ヘリ、そして宇宙へ

写真:U.S. Navy/Wikimedia Commons(Public domain)
戦争が終わっても、エセックス級の仕事は終わらなかった。むしろ、ここからが長い。
ジェット機を載せるための大改装
戦後、艦載機はプロペラ機からジェット機に変わった。ジェット機は重く、着艦の速度も速い。そこでエセックス級は、何度かの大改装を受ける。
1950年代前半には、飛行甲板を強化し、より強力なカタパルトを積む改装が行われた。いくつかの艦には蒸気カタパルトが取り付けられ、さらに着艦用の甲板を斜めにずらした「アングルド・デッキ」と、波をかぶりにくい閉じた艦首が追加された。写真で見比べると、戦時中の姿とはまるで別の艦のようだ。
攻撃空母、対潜空母、ヘリ空母へ
大型のジェット機を載せるにはやがて手狭になったが、エセックス級は役割を変えて使い続けられた。対潜哨戒機やヘリコプターを載せて潜水艦を探す「対潜空母」、海兵隊のヘリコプターを載せる「強襲揚陸艦」などだ。
朝鮮戦争には11隻、ベトナム戦争には13隻が参加している。戦時中に日本と戦った空母が、20年後にはベトナムの空へ攻撃機を送り出していた。
アポロ宇宙船を拾った空母
エセックス級の戦後の仕事で一番有名なのは、宇宙船の回収かもしれない。1969年、人類初の月面着陸を果たしたアポロ11号の宇宙飛行士を太平洋で拾い上げたのは、エセックス級の空母ホーネットだった。ホーネットは続くアポロ12号の回収も担当し、ほかにもエセックス、ヨークタウン、プリンストン、タイコンデロガが、アポロ計画の宇宙船回収に関わっている。
マリアナの空で日本の航空隊と戦った空母が、25年後には月から帰ってきた宇宙飛行士を迎えに行った。この艦級の生涯の長さと、アメリカという国の底力を象徴するような話だと思う。
1991年、最後の1隻が退役
最後まで現役だったのは、パイロットの訓練用空母として使われたレキシントンで、1991年に退役した。1番艦の就役から、およそ半世紀。第二次世界大戦の空母が、冷戦の終わりまで現役だったことになる。
いまも見に行けるエセックス級
エセックス級のうち4隻は、博物館としてアメリカ国内で保存されていて、実際に乗り込んで見学できる。
| 艦名 | 場所 | 見どころ |
|---|---|---|
| ヨークタウン(CV-10) | サウスカロライナ州チャールストン | 戦時中から戦後までの艦載機の展示 |
| イントレピッド | ニューヨーク | マンハッタンの街なか。宇宙・航空の博物館を兼ねる |
| ホーネット(CV-12) | カリフォルニア州アラメダ | アポロ11号の回収艦として有名 |
| レキシントン(CV-16) | テキサス州コーパスクリスティ | 最後に退役した艦 |
ニューヨークに行くなら、イントレピッドは街の中心から行きやすい。サンフランシスコ方面ならホーネットだ。日本の空母が1隻も残っていないことを思うと、こうして当時の艦の甲板に立てるのは本当に貴重な体験だと思う。
海外の艦艇博物館を巡る旅を計画するなら、ホテルは早めに押さえておきたい。
模型で見るエセックス級の時代
エセックス級の主力艦載機といえば、F6Fヘルキャットだ。ハセガワの1/48には、まさに空母エセックスの搭載機として仕上げられるキットがある。
戦争の後半にエセックス級から飛んだもう一つの主力が、逆ガル翼のF4Uコルセアだ。
ヘルキャットとコルセアについては、F6FヘルキャットとF4Uコルセアの記事で詳しく書いている。日米の空母と艦載機をまとめて眺めるなら、図鑑が一冊あると楽しい。
よくある質問
エセックス級空母は何隻作られた?
32隻が発注され、24隻が完成した。残りの8隻は建造が中止されている。終戦までに就役したのは17隻だ。
エセックス級は戦争で沈んだ?
一隻も沈んでいない。フランクリンやバンカーヒルのように、爆弾や特攻で大きな被害を受けた艦はあったが、どれも沈没はまぬがれた。
エセックス級と日本の空母、どちらが強かった?
1隻同士で比べれば、翔鶴型や大鳳も決して劣る空母ではなかった。決定的だったのは数と、それを支える工業力、そして搭乗員を育てて補充し続ける仕組みの差だ。
エセックス級はいつまで使われた?
最後まで残ったレキシントンが1991年に退役した。戦後はジェット機向けの改装を受け、対潜空母やヘリ空母としても使われた。
エセックス級は見学できる?
ヨークタウン、イントレピッド、ホーネット、レキシントンの4隻が、アメリカで博物館として公開されている。
まとめ|エセックス級は「数で勝つ」を体現した空母
エセックス級は、個々の性能でも優れた空母だったが、本当の強さは「同じものを大量に、速く作れた」ことにあった。日本が5隻の正規空母を完成させるあいだに、アメリカは17隻をそろえた。その艦載機が、日本海軍の空母と戦艦を次々に沈めていった。
そして戦後は、ジェット機、ヘリコプター、宇宙船の回収まで、形を変えながら半世紀近く働き続けた。日本の空母が一隻も残っていないのに、エセックス級は4隻もいまだに甲板に立てる。勝った国と負けた国の差は、そんなところにも表れている。
アメリカの空母の流れをもっと追いたい人は、空母エンタープライズの戦記を書いた空母エンタープライズ(CV-6)とはや、エセックス級をモデルにしたゲームの空母を扱った【AC8】空母エンデュランスとはもどうぞ。第二次世界大戦の空母同士の比較は第二次世界大戦の空母ランキング、現代の空母については世界最強空母ランキングにまとめている。
最後まで読んでくれてありがとう。
出典・参考資料
表紙の写真素材:
写真:U.S. Navy/Wikimedia Commons(Public domain)。背景・レイアウト・文字を編集。







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