空母エンタープライズ(CV-6)とは|日本海軍が3度「撃沈」を発表し、赤城・加賀・飛龍を沈め、ホーネット沈没後は太平洋で「唯一の米空母」として戦い、最後に零戦の特攻で傷ついた「ビッグE」――なぜ大和と正反対の艦になれたのか

エンタープライズ(CV-6) 記事表紙
要点

だが、私は結局この艦が好きだ。理由は単純で、大和と正反対だからだ。大和は決戦を待って港にいて、一度だけ敵艦に主砲を撃って、最後は片道で沈んだ。エンタープライズは、真珠湾の朝からずっと戦場にいて、何度も被弾して、何度も修理して、戦争が終わるまで戦い続けた。日本海軍が空母を「決戦兵器」として温存している間に、米海軍は空母を「消耗しながら回す道具」として使い倒した。その使い倒され方の頂点が、この艦だ。

20個の従軍星章。米海軍の艦で最多。技術屋として、投資家として、そして今の海自が「空母」を持とうとしている時代の人間として、書く。

目次

30秒でわかるエンタープライズ(CV-6)

航行中の空母エンタープライズCV-6(1939年4月12日)
航行中の空母エンタープライズCV-6(1939年4月12日)。
資料:USN (official U.S. Navy photo 80-G-463246)/出典・利用条件(Public domain)
30秒でわかるエンタープライズ(CV-6)

真珠湾攻撃の朝、エンタープライズはウェーク島への航空機輸送の帰りで洋上にいて難を逃れ、その日から終戦までほぼ全ての主要海戦に参加した。ミッドウェーでは艦載機が赤城と加賀を沈め、飛龍の撃沈にも加わった。第二次ソロモン海戦と南太平洋海戦で被弾し、ホーネット沈没後は一時、太平洋で作戦可能な唯一の米空母になった。1945年には夜間空母として硫黄島と沖縄で戦い、5月14日、零戦の特攻で前部エレベーターを吹き飛ばされて戦線を離れ、修理中に終戦を迎えた。

戦後は1947年に退役し、保存運動は資金不足で失敗、1958年から解体された。艦名は世界初の原子力空母CVN-65(1961〜2017年)に引き継がれ、現在はフォード級の3番艦CVN-80として、CV-6の舷窓4個を組み込んで建造中だ。

先に年表を置いておく。

  • 1938年5月:就役
  • 1941年12月7日:真珠湾攻撃。洋上にあり難を逃れる。艦載機の一部が攻撃中の真珠湾上空に到着
  • 1942年2〜3月:マーシャル、ウェーク、マーカス島空襲
  • 1942年4月:ドーリットル空襲でホーネットを護衛
  • 1942年6月4日:ミッドウェー海戦。艦載機が赤城・加賀を撃沈、飛龍撃沈に参加
  • 1942年8月24日:第二次ソロモン海戦。爆弾3発被弾
  • 1942年10月26日:南太平洋海戦。爆弾2発被弾。ホーネット沈没で唯一の稼働空母に
  • 1942年11月:第三次ソロモン海戦。艦載機が比叡の撃沈に加わり、衣笠を撃沈
  • 1943年:本土で大改装
  • 1943年11月:ギルバート諸島。米空母初の夜間戦闘機運用
  • 1944年2月:トラック島空襲。米空母初の夜間レーダー爆撃
  • 1944年6月:マリアナ沖海戦
  • 1944年10月:レイテ沖海戦。小沢艦隊への攻撃
  • 1945年1月:夜間空母に指定
  • 1945年2〜3月:硫黄島。174時間連続の飛行作業
  • 1945年5月14日:沖縄沖で特攻機命中。戦線離脱
  • 1947年2月:退役
  • 1958〜60年:解体

ヨークタウン級――条約が生んだ「ちょうどいい空母」

技術屋として、まず艦の話をする。

ヨークタウン級は、ワシントン・ロンドン両条約の枠の中で、米海軍が「空母とはこういうものだ」を初めて自分で設計した艦だ。それまでの米空母は、巡洋戦艦を改造したレキシントン級と、小さすぎたレンジャーで、どちらも中途半端だった。ヨークタウン級は排水量約2万トンに、90機の搭載力、32.5ノットの速力、エレベーター3基、そして開放式の格納庫を持たせた。

この開放式格納庫が、日本の空母と決定的に違う。日本の正規空母は格納庫を密閉して艦体の中に収めていたが、米空母は格納庫の側面が開いていて、換気がよく、燃料の気化ガスが溜まりにくく、爆弾が格納庫で爆発しても爆風が横に抜ける。ミッドウェーで赤城・加賀・蒼龍が格納庫の誘爆で燃え尽きたのに対し、エンタープライズが何度被弾しても沈まなかった理由の一つは、ここにある。

もう一つはレーダーだ。エンタープライズは1941年の時点でCXAM対空レーダーを積んでいて、日本の空母が電探を実用化する2年以上前から、敵機の接近を電波で知ることができた。ミッドウェーの朝、日本の機動部隊が見張員の目で米機を探していたとき、エンタープライズは画面で見ていた。

真珠湾の朝――1日遅れた帰港

真珠湾の朝――1日遅れた帰港

朝、真珠湾へ先行して飛んだSBDドーントレスの一部が、攻撃中の真珠湾上空に到着し、日本機と味方の対空砲火の両方に撃たれて数機が失われた。艦隊司令官のハルゼーは、燃える真珠湾の報告を受けて「この戦争が終わるまでに、日本語は地獄でしか話されなくなる」と言ったと伝えられる。真珠湾攻撃で日本海軍が最も沈めたかった米空母3隻は、全部港にいなかった。その一隻が、エンタープライズだった。

1942年前半――反撃の最初の刃

ドーリットル空襲当日のエンタープライズと駆逐艦ファニング(1942年4月18日)
ドーリットル空襲当日のエンタープライズと駆逐艦ファニング(1942年4月18日)。
資料:撮影者不詳/出典・利用条件(Public domain)

1942年2月、エンタープライズはマーシャル諸島の日本軍基地を空襲した。米海軍の最初の反撃だ。2月にウェーク島、3月にマーカス島、4月にはドーリットル空襲でB-25を積んだホーネットを護衛して日本本土の近くまで行った。

そして6月、ミッドウェー。

ミッドウェー――赤城と加賀を沈めた5分間

ミッドウェー――赤城と加賀を沈めた5分間
ミッドウェー――赤城と加賀を沈めた5分間

午後、残った飛龍がヨークタウンを大破させたあと、エンタープライズは自艦の機とヨークタウンから避難してきた機を合わせて攻撃隊を出し、飛龍を撃沈した。赤城、加賀、飛龍。日本海軍が真珠湾に投入した空母6隻のうち3隻を、この艦の爆撃隊が沈めた。

旧軍ファンとして、ここは書いていてつらい。だが技術屋としては、こう書かざるを得ない。南雲艦隊は兵装転換で格納庫に爆弾と魚雷と給油中の機体を並べていて、そこに急降下爆撃を受けた。エンタープライズは、そういう状態の艦を、その瞬間に叩く位置に来られた。運もある。だが偵察と暗号解読とレーダーと、燃料が切れかけても敵を探し続けた搭乗員の判断が、その運を作った。南雲忠一が愚将だったかどうかとは別に、あの日のエンタープライズは、あの日の南雲艦隊より、空母の使い方を知っていた。

ソロモン――3度「撃沈」された艦

南太平洋海戦で戦死した乗員の水葬(1942年10月27日)
南太平洋海戦で戦死した乗員の水葬(1942年10月27日)。
資料:U.S. Navy/出典・利用条件(Public domain)

ガダルカナルの半年間、エンタープライズは何度も被弾している。

8月24日の第二次ソロモン海戦で、翔鶴・瑞鶴の艦載機の爆弾3発が命中し、70名以上が戦死した。飛行甲板に穴が開き、舵が一時故障したが、1時間後には飛行作業を再開している。

10月26日の南太平洋海戦では、爆弾2発が命中して40名以上が戦死し、前部エレベーターが使えなくなった。同じ海戦でホーネットが沈んだ。この時点で、太平洋で作戦できる米空母は、損傷したエンタープライズ1隻だけになった。乗員は格納庫に「エンタープライズ対日本」と書いた板を掲げた。

11月の第三次ソロモン海戦には、エレベーターが壊れたまま出撃した。艦載機は動けなくなっていた戦艦比叡を攻撃し、重巡衣笠を撃沈している。時雨の記事で書いた「比叡処分するな」の電報の日、比叡を上から叩いていたのは、この艦の機だった。

南太平洋海戦での被弾のあと、エンタープライズはヌメアで応急修理を受けたが、工作艦の作業員を乗せたまま、修理を完了せずに出撃している。第三次ソロモン海戦に出たとき、艦内ではまだ溶接の火花が散っていた。修理しながら戦う。日本海軍の空母が内地のドックで数か月かけて直していた時期に、この艦は前線で直していた。

日本海軍は、この時期にエンタープライズの撃沈を3度発表している。そのたびにエンタープライズは修理を終えて戦場に戻ってきた。米海軍の乗員は「灰色の幽霊」と呼んだ。日本側の戦果報告の問題はマリアナ沖海戦の記事でも書いたが、沈んでいない艦を沈んだと発表し続けた結果、日本海軍は「もういないはずの空母」に何度も襲われた。

ダメージコントロール――なぜ沈まなかったのか

技術屋として、ここが一番書きたい。

エンタープライズは、第二次ソロモンで3発、南太平洋で2発の爆弾を受けて、どちらも沈まず、どちらも数時間で飛行作業を再開した。日本の空母が同程度の被弾で沈んでいる例は、ミッドウェーの3隻のほかにもある。差は装甲ではない。ヨークタウン級の装甲は薄い。差はダメージコントロールだ。

米海軍は、被弾したあとの消火と浸水防止を、艦の設計と乗員の訓練の両方で体系化していた。開放式格納庫で爆風と煙を逃がし、消火用の海水配管を多重化し、燃料配管を被弾時に窒素で満たして気化ガスを追い出し、乗員の大半が消火と応急工作の訓練を受けていた。日本の空母は、ダメージコントロールを一部の専門の兵に任せ、消火設備の配管が一系統で、一発の爆弾で消火水が止まった例がある。

沈む艦と沈まない艦の差は、どれだけ強く造るかではなく、当たったあとにどう動くかで決まる。エンタープライズは、当たることを前提に造られ、当たることを前提に訓練されていた。日本海軍は、当たらないことを前提にしていた。日本海軍はなぜ敗れたのかの答えの一つは、この艦の格納庫の構造に書いてある。

ヨークタウン級3隻の運命

ノーフォークに停泊する姉妹艦ヨークタウンCV-5(1941年9月)
ノーフォークに停泊する姉妹艦ヨークタウンCV-5(1941年9月)。
資料:撮影者不詳/出典・利用条件(Public domain)

ヨークタウン級は3隻造られた。ヨークタウン、エンタープライズ、ホーネット。ほぼ同じ設計の3隻が、1942年に辿った運命は、空母戦争の厳しさそのものだ。

ヨークタウンは珊瑚海で被弾し、真珠湾で3日間の突貫修理を受けてミッドウェーに出撃し、飛龍の攻撃で大破して、翌日、日本の潜水艦の魚雷で沈んだ。ホーネットはドーリットル空襲のB-25を運び、ミッドウェーで雷撃隊を全滅させ、南太平洋海戦で翔鶴・瑞鶴の攻撃隊に沈められた。就役から1年と少しの命だった。エンタープライズだけが、1942年を生き延びた。

同じ設計で、同じ海域で、同じ敵と戦って、1隻だけ残った。艦の性能の差ではない。被弾の場所、被弾の数、その日の消火の運。私は時雨の記事で「幸運艦」という言葉を疑ったが、エンタープライズについても同じことを思う。この艦は幸運だったのではなく、幸運を使い切るだけの回数、戦場に出た。

1943年――夜を飛ぶ空母になる

サイパン沖に停泊するエンタープライズ(1944年)
サイパン沖に停泊するエンタープライズ(1944年)。
資料:撮影者不詳/出典・利用条件(Public domain)

1943年、エンタープライズは本土で大改装を受け、対空兵装とレーダーを一新して秋に戦場に戻った。この頃から、この艦は「夜」の空母になっていく。

11月のギルバート諸島攻略で、エンタープライズは米空母として初めて夜間戦闘機の運用を行った。日本の一式陸攻の夜間雷撃に対抗するためで、レーダーを積んだTBFアベンジャーが2機のF6Fヘルキャットを誘導して迎撃する方式だった。11月26日の夜、この編隊を率いていた撃墜王ブッチ・オヘア少佐が、混戦の中で行方不明になった。シカゴのオヘア国際空港の名前の由来になった人だ。

1944年2月のトラック島空襲では、エンタープライズのアベンジャー隊が米空母史上初の夜間レーダー爆撃を行い、泊地の輸送船を叩いた。日本の空母が夜間に艦載機を組織的に運用することは、最後までできなかった。エンタープライズは1945年1月、正式に夜間空母に指定され、夜間航空群を積んで硫黄島と沖縄に向かう。

マリアナとレイテ――日本の空母航空隊の終わり

マリアナ沖海戦で対空戦闘中の米機動部隊。左がエンタープライズ(1944年6月19日)
マリアナ沖海戦で対空戦闘中の米機動部隊。左がエンタープライズ(1944年6月19日)。
資料:撮影者不詳/出典・利用条件(Public domain)

1944年6月のマリアナ沖海戦で、エンタープライズは第58任務部隊の一翼として、日本の機動部隊の攻撃隊を迎え撃った。米側が「マリアナの七面鳥撃ち」と呼んだ一方的な空戦で、日本の艦載機は数百機が失われた。その日、エンタープライズの飛行甲板から上がっていたF6Fヘルキャットは、1942年に赤城と加賀を沈めたSBDとは別世代の機体だった。2年で、艦載機も、搭乗員の訓練も、レーダー管制も、すべてが入れ替わっていた。日本側は、入れ替わっていなかった。

10月のレイテ沖海戦では、小沢治三郎の囮艦隊への攻撃に参加し、日本の空母4隻を沈めた攻撃隊の一部を出している。日本海軍の空母航空隊は、この海戦で事実上消滅した。エンタープライズは、その最初(ミッドウェー)と最後(エンガノ岬沖)の両方にいた。

硫黄島と沖縄――174時間、そして特攻

1945年2月の硫黄島攻略で、エンタープライズは夜間空母として、他の空母が休んでいる間も飛行作業を続けた。174時間連続。1週間以上、昼も夜も甲板に機体が上がり続けた。乗員は交代で寝て、艦は寝なかった。

3月からの沖縄戦では、特攻機の脅威が空母部隊を襲った。3月18日に爆弾が命中し、4月11日に特攻機が至近距離で墜落した。そして5月14日午前、沖縄沖で、雲の中から出てきた零戦1機がエンタープライズの前部エレベーターに突入した。爆弾はエレベーター直下で炸裂し、エレベーターの床板が空中に吹き上げられ、14名が戦死した。

搭乗者は、第二〇五航空隊の富安俊助中尉だったとされる。零戦の残骸から本人の遺品が回収され、乗員は彼を水葬した。真珠湾から3年半、日本海軍のあらゆる攻撃を生き延びた艦を最後に戦線から降ろしたのは、零戦1機と一人の中尉だった。特攻がなぜ始まったかは別の記事で書いたが、この艦の戦歴を追うと、通常攻撃ではどうしても届かなかった空母に、特攻だけが届いたという事実の重さがわかる。

エンタープライズは本土に戻り、修理中に終戦を迎えた。

ハルゼーの艦

エンタープライズを語るときに、ハルゼーを外せない。開戦時、ハルゼーはこの艦を旗艦とする空母部隊の司令官で、真珠湾の朝の「日本語は地獄でしか」の発言も、1942年前半の反撃も、この艦の艦橋から指揮した。ハルゼーは病気でミッドウェーに出られず、代わりに指揮したスプルーアンスがこの艦から赤城と加賀への攻撃隊を出した。

ハルゼーはその後、第3艦隊司令長官としてサマール沖で栗田艦隊を取り逃がす失態を演じるが、エンタープライズへの思い入れは生涯変わらず、戦後の保存運動では自ら先頭に立った。それでも艦は残らなかった。

解体――保存できなかった最も勲功のある艦

修理後の公試を行うエンタープライズ(1945年9月13日)
修理後の公試を行うエンタープライズ(1945年9月13日)。
資料:撮影者不詳/出典・利用条件(Public domain)

戦後、エンタープライズは復員輸送に使われたあと、1947年2月に退役した。20個の従軍星章、大統領部隊感状、海軍部隊感状。米海軍の艦で最も多くの勲功を持つ艦だった。

保存運動が起きた。ハルゼーが先頭に立って募金を集めたが、目標額に届かず、1958年、艦はスクラップとして売却され、ニュージャージー州で1960年までに解体された。艦の鐘は海軍兵学校に置かれ、海軍がフットボールで陸軍に勝った年にだけ鳴らされる。艦尾の艦名板はニュージャージーの小さな公園にある。

私はこれを、米海軍の数少ない「やってしまった」だと思っている。大和は海底にあり、赤城も加賀も海底にある。エンタープライズは、残せたのに、残さなかった。日本で三笠が解体寸前で保存されたことと比べると、どちらの国も、勝った艦を残すのは案外難しいのだとわかる。

大和と正反対の艦

ここで、この記事の最初に書いたことに戻る。

大和は1941年12月に就役し、連合艦隊旗艦として港にいて、一度だけ敵艦に主砲を撃ち、1945年4月に片道で沈んだ。エンタープライズは1938年に就役し、真珠湾の朝から終戦まで戦場にいて、5回被弾し、5回修理し、戦争を生き延びた。

大和は、決戦で勝つために温存された。エンタープライズは、戦争に勝つために消耗された。日本海軍は最強の艦を持っていたが、最強の艦の使い方を持っていなかった。米海軍は、最強でない艦を、最も使い倒した。20個の星章は、艦の性能に与えられたのではなく、艦を出し続けた海軍に与えられたのだと思う。

CVN-65――名前を継いだ原子力空母

2代目のエンタープライズ、CVN-65は1961年に就役した世界初の原子力空母で、原子炉8基を積み、全長342メートル、就役当時は世界最大の軍艦だった。キューバ危機の海上封鎖に参加し、ベトナム戦争で出撃し、湾岸戦争後の各作戦に投入され、2012年に最後の航海を終え、2017年に除籍された。就役期間51年は、米空母として最長だ。

CV-6が「消耗されながら戦い続けた艦」だとすれば、CVN-65は「51年間使い倒された艦」で、艦名の性格は二代続けて同じだった。3代目に何が求められるかは、この二隻を見ればわかる。

投資家メモ――3代目エンタープライズが遅れている

投資家として、この艦名の「今」を書いておく。

CV-6の名は、1961年就役の世界初の原子力空母CVN-65に引き継がれ、CVN-65は2017年に退役した。3代目のCVN-80は、ジェラルド・R・フォード級の3番艦として、CV-6と同じニューポート・ニューズで建造中で、CV-6の舷窓4個が艦内に組み込まれる。

だが、この艦は遅れている。当初2028年3月の引き渡し予定が、2029年9月、2030年7月と延び、2026年5月には2031年3月と発表された。理由は資材の納入遅れとサプライチェーンの能力不足で、起工から引き渡しまで12年を超える計算になる。ニミッツが2026年に退役し、フォード級2番艦のケネディも遅れているため、米海軍の空母は一時的に10隻に減る。

建造しているのはハンティントン・インガルス(HII)で、HII株の話は別の記事で書いた。1930年代に2年で造れた空母が、今は12年かかる。米国の造船力の問題は、アメリカ海軍の空母一覧で現役艦の稼働状況を見るとよくわかる。この文脈で、日本の造船と防衛産業に米国からの発注が向かい始めているのは、防衛関連銘柄の投資ガイドで整理した通りだ。

ただし、ここに書いたのは私個人の見方で、投資を勧めるものではない。防衛関連株は政策と地政学で大きく動く。投資判断はご自身の責任で、必要なら専門家に相談してほしい。

海上自衛隊が「空母」を持つ時代に

海自ファンとして、最後にこれを書いておきたい。

海上自衛隊は今、いずも型をF-35Bの運用艦に改修していて、事実上の空母を持とうとしている。80年前、日本海軍は世界最高水準の空母機動部隊を持っていて、それを半年で失った。理由は艦の性能ではなく、艦を消耗させながら回す思想と、被弾後に動き続けるダメージコントロールと、夜間運用と、暗号と、レーダーだった。全部、エンタープライズが持っていて、赤城と加賀が持っていなかったものだ。

海自の「空母」が、大和の子孫になるのか、エンタープライズの子孫になるのか。私はこの艦の戦歴を読むたびに、そのことを考えている。

模型で並べる

エンタープライズの1/700キットは国内では入手しにくいが、同型艦ヨークタウンのキットがタミヤから出ている。ヨークタウン級は3隻ともほぼ同じ外観で、塗装と艦番号を変えればエンタープライズとして仕上げられる。赤城や加賀の1/700と並べると、日本の空母より小さいこの艦が、その3隻を沈めたという事実が、大きさとして伝わる。

原子力空母CVN-65は、タミヤの1/350がある。CV-6の隣に置くと、艦名が引き継がれるということが、模型の大きさの差で見える。

艦載機なら、エンタープライズが1943年以降に積んでいたF6Fヘルキャット。1944年のマリアナ沖で日本の艦載機を薙ぎ倒した機体で、この艦の後半の戦歴を一機で代表できる。

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映像と本で深掘りする

エンタープライズを映像で見るなら、2019年の映画『ミッドウェイ』が、この艦の搭乗員ディック・ベストを主人公にしている。赤城に爆弾を落とすのが、彼だ。真珠湾の朝にエンタープライズの機が到着する場面から始まるので、この記事の流れをそのまま映像で追える。真珠湾そのものは『トラ・トラ・トラ!』が日米双方の視点で描いていて、エンタープライズが「いなかった」理由がわかる。

世界の空母と艦載機を一冊で眺めたい人は、図鑑を一冊手元に置くと、ヨークタウン級からフォード級までの系譜が絵で追える。

戦記を読む時間がなければ、オーディオブックで聴くのも手だ。私は移動中に聴くことが多い。

よくある疑問に、私なりに答えておく

日本海軍はエンタープライズを何度「撃沈」したのか

日本側の発表では、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦などで複数回「撃沈」または「大破」とされている。実際には一度も沈んでいない。米海軍の乗員はこれを知っていて、艦を「灰色の幽霊」と呼んだ。

エンタープライズが沈めた日本の艦は

ミッドウェーで赤城、加賀、飛龍(飛龍は共同)。第三次ソロモン海戦で重巡衣笠、そして比叡の撃沈に参加。ほかに輸送船、駆逐艦、潜水艦を多数。日本の正規空母3隻を沈めた米艦は、この艦だけだ。

なぜ保存されなかったのか

資金不足だった。1950年代の米国では、退役艦の保存に公的資金は出ず、募金に頼るしかなかった。同じ時期に保存された戦艦は各州が引き取ったが、空母は維持費が桁違いで、引き取り手が現れなかった。現在、米国で保存されている空母はエセックス級以降で、ヨークタウン級は3隻とも残っていない(ヨークタウンとホーネットは戦没)。

「CVN-80」はいつ就役するのか

2026年5月時点の米海軍の発表では、引き渡しが2031年3月、就役はその後になる。当初予定から3年遅れている。CV-6の舷窓4個が組み込まれることは、造船所が公表している。

エンタープライズが今の私たちに残したもの

エンタープライズは、日本海軍が沈めたかった艦であり、沈められなかった艦であり、日本の空母を最も多く沈めた艦だ。だが私がこの艦から受け取ったのは、敵艦への恨みではなく、一つの問いだ。

最強の艦を持つことと、艦を使い続けることは、どちらが強いのか。

日本海軍は前者を選んで、大和を港に置き、赤城と加賀を一度の被弾で失った。米海軍は後者を選んで、この2万トンの空母を、5回被弾させながら3年半、出し続けた。答えは、20個の星章と、海底の大和が出している。

そして今、日本は80年ぶりに空母を持とうとしている。エンタープライズを知ることは、今度はどちらを選ぶかを考えることだと、私は思っている。

基本情報の参考資料

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軍研ノート編集部のアバター 軍研ノート編集部 自衛隊・兵器 / 戦史 / サバゲー

自衛隊で6年間勤務した編集長を中心に、自衛隊時代の仲間やサバゲーを通じた知人と記事を制作。経験と公開資料をもとに、装備の仕組みや歴史、その背景にある人々の工夫を掘り下げています。「かっこいい」から、その先の理解へ。編集長のプロフィール → 運営・編集方針

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