Ju87スツーカとは完全解説|逆ガル翼の”叫ぶ悪魔”はなぜ最強から失墜したのか

Ju87スツーカ(Junkers Ju 87、ユンカースJu87)とは、第二次世界大戦の前半を象徴するドイツ空軍の急降下爆撃機/地上攻撃機である。逆ガル翼と固定脚という独特のシルエット、そして急降下時に響く「ジェリコのラッパ」と呼ばれたサイレン音で、1939年〜1941年の電撃戦(Blitzkrieg)の象徴となった機体だ。総生産数は約6,000機。ポーランド侵攻・フランス戦で連合軍に恐怖を与え、バトル・オブ・ブリテンで惨敗し、東部戦線ではハンス・ウルリッヒ・ルーデルが駆って戦車519両を撃破した、栄光と失墜の両面を持つ伝説機である。

本記事では、その誕生から終戦までの運命、A〜G型までの派生の変遷、なぜバトル・オブ・ブリテンで墜とされまくったのか、そしてどのプラモキットを買えば傑作機の姿を手元で再現できるかまで、一人のモデラー兼歴史好きとして熱量100%で語り尽くす。

読み終わった頃には、あなたの脳内にはあの忌まわしくも美しい急降下サイレンが鳴り響き、机の上には1/48の逆ガル翼が必要になっているはずだ。

目次

Ju87スツーカとは何か──名前の由来と基本スペック

まず「スツーカ」という呼称から整理しよう。正式名称はJunkers Ju 87で、通称スツーカは「Sturzkampfflugzeug(シュトゥルツカンプフフルークツォイク)」というドイツ語の略称である。直訳すると「急降下戦闘機」、実質的な意味は「急降下爆撃機」だ。急降下爆撃機全般を指すドイツ空軍の一般名詞が、最終的にJu87ただ一機のあだ名として定着した点に、この機体の圧倒的な存在感が表れている。

代表的なB-2型の基本スペックは以下の通り。

項目Ju87B-2(1940年頃の主力型)
全長11.10m
全幅13.80m
全高3.77m
最大離陸重量4,340kg
動力ユンカース・ユモ211Da 液冷倒立V12(1,200馬力)
最大速度390km/h(高度4,400m)
巡航速度280km/h
実用上昇限度約8,000m
航続距離600km(爆装時)
搭乗員2名(パイロット+後席機銃手)
武装主翼7.92mm MG17機関銃×2、後席7.92mm MG15機関銃×1
最大爆弾搭載量500kg(中央)+50kg×4(主翼)
生産数全型式合計約6,000機(推計6,500機の説あり)

まず気づくのは、数字が地味なことだ。最大速度390km/hは、同時代のBf109(570km/h級)はもちろん、英スピットファイアやハリケーン(550〜580km/h)からも桁違いに遅い。航続距離600kmは同時期の日本軍の零戦(3,000km級)の5分の1である。

だが、スペック表だけを見てスツーカを評価すると本質を見誤る。この機体は「急降下爆撃による命中精度」という一点突破の設計思想で生まれたスペシャリストであり、戦術的な位置付けがまったく違う。現代で言えば、F-35ライトニングⅡとA-10サンダーボルトIIを比較するような話である。

逆ガル翼・固定脚・サイレン──スツーカを象徴する3つの異形

スツーカを一目見て「これはスツーカだ」と誰もがわかる理由は、他機にはない3つの異形にある。

逆ガル翼──主脚を短くし命中精度を上げるための設計

主翼の付け根が下がって、翼端に向かって上がっていく「逆ガル翼(Inverted Gull Wing)」。カモメの翼を上下逆さにしたような形状だ。設計者ヘルマン・ポールマンがこの翼を採用したのは、見た目のためではない。あくまで機能のためだった。

急降下爆撃機は、爆弾を胴体中央下に吊るして運ぶ必要がある。爆弾がプロペラに干渉しないためには、機体のクリアランス(地面からの距離)を確保する必要がある。しかし固定脚(後述)を長くすると重量と空気抵抗が増える。そこで考え出されたのが、主翼の付け根を下げることだった。

逆ガル翼にすることで、主脚の長さを最小限に抑えつつ、プロペラと爆弾のクリアランスを確保した。同時に、翼の付け根が下がることで、パイロットの前方視界も改善される。急降下中に目標を確実に目視できることは、精密爆撃機にとって死活的に重要だった。

逆ガル翼を採用した機体は世界的にも少ない。米海軍のヴォートF4Uコルセア、日本海軍の紫電改(中翼への変形型)、ソ連のBe-12飛行艇くらいのもので、Ju87はその中でも最も象徴的存在である。紫電改も機能から逆ガル翼風に主翼を配置しているが、スツーカとは設計思想が逆(短脚化よりエンジンの前下方視界確保)だった。

固定脚──整備性と堅牢性を取り、引き込み脚を捨てた

1935年の初飛行時点で、すでに世界の主力機は引き込み脚(収納式降着装置)を採用していた。ところがスツーカは最後まで、あの巨大なスパッツ(フェアリング)付き固定脚を装備し続けた。

ポールマンの思想は一貫していた。「急降下爆撃機は単純で堅牢でなければならない」。引き込み脚の油圧機構は故障源になる。急降下から引き起こすときの高Gに耐えるには、引き込み式より固定式の方が壊れにくい。前線の野戦飛行場では整備性も重要で、脚が出ているという安心感そのものが運用上のメリットだった。

代償は明らかだった。固定脚による空気抵抗で、巡航速度は引き込み脚採用機より30〜50km/h遅くなる。それでも「遅くて落ちない」方を、ポールマンとユンカース社は選んだ。この割り切りこそ、スツーカが5年半戦線に残り続けた理由でもある。

ジェリコのラッパ──「叫ぶ悪魔」の正体

そしてスツーカを不滅の伝説にしたのが、主脚のスパッツ前方に取り付けられたプロペラ駆動式サイレン、通称「Jericho-Trompete(ジェリコのラッパ)」である。

これは直径0.7mの小型プロペラが風圧で回転し、空気を共鳴させて甲高い悲鳴のような音を発する装置だった。急降下に入るとプロペラが高速回転し、目標地点に迫るほど音量と周波数が上昇する。地上で聞く側の心理的恐怖は凄まじく、ポーランド戦・フランス戦では、スツーカの音を聞いただけで兵士も市民も逃げ惑ったと言われる。

この装置の発案は、第一次世界大戦のエース、ドイツ空軍技術総監エルンスト・ウーデットだったとされる(ヒトラー発案説もある)。赤男爵マンフレート・フォン・リヒトホーフェンの戦友であり、自身も62機撃墜のエースだったウーデットは、恐怖を武器化する発想を持っていた。

しかしジェリコのラッパは、戦略兵器としてはすぐに陳腐化する。敵兵はサイレン音に慣れ、むしろ「サイレン=スツーカが来る=爆弾投下までまだ時間がある」という警報として機能してしまった。また、サイレン装置そのものが20〜25km/hの速度低下を引き起こし、空気抵抗が純粋に有害になった。

結果、1941年頃から多くのスツーカではサイレンが撤去された。ルーデルも自著『急降下爆撃』で「スツーカにサイレンは装備されていなかった」と書いているが、これは彼が乗った東部戦線のD型以降は標準装備から外されていたことを意味する。初期B型にはしっかりサイレンが付いていた。

「叫ぶ悪魔」の伝説は、1939年から1941年までのわずか3年間の電撃戦の記憶であり、戦争中期以降のスツーカはむしろ黙々と戦車を撃ち続ける地味な攻撃機だった。この前半と後半の性格の違いが、スツーカ理解の最大のポイントである。

誕生の物語──スペイン内戦で産声を上げたスツーカ

Ju87の開発は、ナチス台頭直後の1933年に始まる。

ベルサイユ条約で軍用機保有を禁じられていたドイツは、秘密裏に航空機開発を進めていた。ユンカース社は1928年に開発した実験機Ju A 48、その軍用版Ju K 47をベースに、1935年、新型急降下爆撃機Ju87の試作初号機V1を完成させた。

興味深いことに、V1は搭載エンジンが英国製のロールス・ロイス・ケストレルV12だった。ドイツ国内のエンジン供給が追いつかなかったためで、まだナチ政権下でも敵になる前の英国からエンジンを買っていたわけだ。初飛行は1935年9月17日。しかし1936年1月、急降下試験中にテール(尾翼)のフラッター(振動)で右垂直尾翼と方向舵が破壊され、テストパイロットのヴィリー・ノイエンホーフェンと技師ハインリヒ・クレフトが墜落死する事故が発生した。

この事故を受け、垂直尾翼は当初の双尾翼型から大型の単垂直尾翼に変更され、主翼下面には急降下ブレーキが追加された。この急降下ブレーキはスツーカのもう一つの隠れた革新で、パイロットが高Gで意識を失った(ブラックアウト)場合でも自動的に機体を水平に戻す機構を備えていた。標的に集中するあまり引き起こしを忘れて激突する「ターゲット・フィクセーション」を防ぐための命綱である。

量産初号型A-1は1937年初頭に配備され、同年スペイン内戦でコンドル軍団(Legion Condor)の一員として実戦デビューした。ゲルニカ爆撃で悪名を馳せたドイツ空軍部隊である。ここでスツーカは、戦術兵器としての有用性を初めて実証した。

1938年、より強力なユンカース・ユモ211Da(1,200馬力)を搭載したB型が登場。これが第二次世界大戦勃発時の主力となる。1939年9月1日、午前5時26分――開戦宣言のわずか11分後――3機のJu87B-1が、ポーランドのディルシャウ橋を目標に離陸した。これが第二次世界大戦における最初の出撃であり、同日、ポーランド機を撃墜した別のスツーカが大戦初の空中撃墜戦果も記録している。

スツーカの物語は、そのまま第二次世界大戦の開戦日と重なっている。

電撃戦の象徴──ポーランド・フランス・バルカンの栄光(1939〜1941)

開戦から1941年夏までの約2年間、スツーカはドイツ軍の勝利のシンボルだった。

ポーランド侵攻と空飛ぶ砲兵

1939年9月のポーランド侵攻では、ドイツ空軍は9個スツーカ飛行団(Gruppe)、計319機を投入した。連合軍の航空抵抗は微弱で、スツーカは「空飛ぶ砲兵(Fliegende Artillerie)」として戦車部隊の前方を圧し潰していった。橋・鉄道操車場・ポーランド軍陣地・装甲列車・退却路――ありとあらゆる地上目標が、500kg爆弾の着弾で破壊された。

この戦訓は、戦車部隊と密接に連携する近接航空支援(CAS)という戦術を世界に知らしめた。電撃戦の立役者であるドイツ軍名将――グデーリアン、マンシュタイン、ロンメル――の快進撃は、頭上のスツーカが支えていたのである。

フランス戦役──セダンの突破

1940年5月のフランス侵攻でも、スツーカ部隊は中核だった。特に名高いのがセダンの戦い(5月13日)で、マース川渡河点にスツーカが集中投入され、フランス軍の防御陣地を壊滅させた。StG 77だけで201回の単独出撃をこなし、ドイツ軍戦車がムーズ川を渡るための道を空から切り開いた。

ただし、フランス戦役でもスツーカは徐々に消耗していた。1940年5月12日、セダン近郊でフランス空軍のカーチスH-75戦闘機6機が、護衛のないJu87編隊12機を襲撃し、うち11機を撃墜(無損失)するという事件が起きている。フランス戦役全体で、スツーカ部隊の3分の1にあたる約120機が撃墜または損傷した。

この段階では、ドイツ空軍首脳部も「護衛があれば大丈夫」と判断し、問題を本質的に認識していなかった。しかし数か月後、英本土の空で運命が変わる。

バルカン・地中海でのさらなる戦果

1941年春、バルカン作戦とクレタ島攻略戦でもスツーカは大活躍した。特にクレタ島戦(1941年5月)では、英海軍艦艇を海上で徹底的に叩き、駆逐艦・巡洋艦多数を撃沈・損傷させた。地中海の制海権を握っていた英国にとって、艦艇が航空機1機種で次々と沈められていく事態は悪夢そのものだった。

この時期、スツーカの戦果は絶頂期にある。同盟国イタリアはB-2型を導入して「Picchiatello(ピッキアテッロ=急降下鳥)」と愛称を付け、ハンガリー・ブルガリア・ルーマニアの枢軸諸国空軍にも供与された。

バトル・オブ・ブリテンの惨敗──「最強」の終わり

しかし1940年8月、スツーカの栄光は英国海峡上空で文字通り粉砕された。

1940年7月から始まったバトル・オブ・ブリテンで、ドイツ空軍はスツーカをイギリス沿岸船団・レーダー基地・飛行場の攻撃に投入した。初期はドーバー海峡の輸送船団相手に大きな戦果を挙げていたが、RAF戦闘機軍団(Fighter Command)のスピットファイアとハリケーンは、ドイツ軍が想定していた以上に手強かった。

「最も厳しい日」1940年8月18日

決定打となったのが、1940年8月18日、通称「ハーデスト・デイ(Hardest Day=最も厳しい日)」である。この日、StG 77を中心とするスツーカ109機が、英南岸のラドヴィック・フォード・ソーニー島飛行場とポーリング・レーダー基地を攻撃すべく出撃した。護衛は約50機のBf109。

スツーカが目標上空で急降下に入った瞬間、待ち構えていたRAFハリケーンとスピットファイアが突っ込んできた。急降下中のスツーカは時速500km近いが、引き起こした瞬間は時速300kmの鈍足となり、完全にRAF機の餌食だった。この一日だけで、スツーカは撃墜16機、損傷多数。StG 77は壊滅的打撃を受けた。

Generalquartiermeister der Luftwaffe(空軍参謀本部兵站部)の記録では、開戦から8月までの6週間のバトル・オブ・ブリテンで、スツーカは59機が完全撃破、33機が損傷した。全投入機の約20%が失われた計算である。この喪失率は、WW2エースパイロットランキング上位の連中が遊んでいた東部戦線とは次元が違う、制空権を奪われた空での末路だった。

なぜスツーカは墜とされたのか──構造的な4つの欠陥

この惨敗は偶然ではなく、必然だった。スツーカには構造的な4つの欠陥があった。

第一に、圧倒的な速度不足。Ju87Bの最大速度390km/h、爆弾搭載時は350km/h前後。スピットファイアMk.Ⅰ(570km/h)、ハリケーンMk.Ⅰ(550km/h)は、爆弾を下ろしたスツーカすら余裕で追いつき、撃ち落とせた。

第二に、護衛Bf109との速度差がありすぎた。スツーカは巡航280km/h、Bf109は巡航450km/h。護衛機はスツーカについていくために蛇行飛行を強いられ、燃料を余分に消費した。加えて、スツーカが高度4,000mから急降下を開始すると、Bf109が得意とする高高度高速機動の優位はすべて失われた。

第三に、自衛武装が弱すぎた。後席7.92mmMG15機関銃1丁では、8丁の機関銃を積んだスピットファイア/ハリケーンに対抗不能。F6FヘルキャットやP-47サンダーボルトと零戦以上の火力差がそこにはあった。

第四に、急降下後の鈍重さ。急降下引き起こし直後のスツーカは時速300km、高度わずか1,000〜1,500m。ここを敵戦闘機に襲われたら、もはや逃げ場はなかった。

この4つの欠陥は、ドイツ空軍が制空権を握っている戦場では問題にならなかった。しかし、制空権を握られた空では即座に破滅的な弱点に変わる。1940年夏、スツーカは「天候が味方するときだけ強い機体」であることが、英国上空で白日の下に晒された。

撤退の判断

1940年8月19日以降、ドイツ空軍はスツーカ部隊をバトル・オブ・ブリテンから事実上撤退させた。英空軍戦史家の分析によれば、これは単純な喪失率によるものではなく、「スツーカは敵戦闘機の反撃がある戦場では使えない」という戦術的結論に基づいた戦略的判断だった。

以後、スツーカはバルカン・地中海・北アフリカ・東部戦線という、制空権確保が比較的容易な戦場に再配置された。しかし、西欧で戦場の花形だった時代は、1940年8月18日で終わった。

東部戦線での第二の人生──ルーデルとカノーネンフォーゲルの誕生

バトル・オブ・ブリテンで失墜したスツーカだが、1941年6月22日のバルバロッサ作戦開始と同時に、東部戦線で第二の人生を開始する。

D型の登場──装甲強化と航続距離延長

1941年に量産開始されたD型(Ju87D-1)は、B型の経験を踏まえて大幅に改良された。エンジンはユンカース・ユモ211J(1,400馬力)に換装、コックピットは流線形化され、装甲板が増強された。後席武装は双連式MG81Z機関銃(連射速度2,400発/分)に強化された。爆弾搭載量は最大1,800kgに倍増し、1,400kg徹甲爆弾1発を単独で運べるようになった。

航続距離もB型の600kmから、D型では1,000kmを超えた。東部戦線の広大な作戦空間を考えれば、この航続延長は死活的だった。

G型カノーネンフォーゲル──戦車キラーへの転身

そして1943年、スツーカ最後の派生型にして最も有名なG型「Kanonenvogel(カノーネンフォーゲル=砲鳥)」が登場する。主翼下面に37mmラインメタル・ボルジッヒBK3.7機関砲2門を吊った、対戦車特化型だった。

この機関砲は1門あたり装弾数わずか6発(一説には12発)のタングステンカーバイド芯徹甲弾を発射する。初速毎秒850m、有効射程600m。ソ連戦車のエンジン区画上面や側面・後面の薄い装甲を貫徹するのに十分だった。T-34、KV-1、IS-2といったソ連戦車の相棒を、後上方から撃ち抜く。これがG型の任務だった。

G型の発案者は、当時の対戦車攻撃エース、ハンス・ウルリッヒ・ルーデルだった。ルーデルはG型を駆って戦車519両を撃破し、戦艦マラトを沈め、右足を切断されても義足で飛び続けるという、もはや人間の域を超えた戦果を上げる。詳細はルーデルの個別解説記事に譲るが、スツーカという機体があったからこそ、ルーデルという怪物が誕生したとも言える。

クルスクの戦い(1943年7月)は、G型の試金石だった。初日7月5日、G型が初実戦投入され、ルーデル1人が翌7月12日に1日で12両のソ連戦車を撃破した。ドイツ軍の機甲師団長フェルディナント・シェルナーは「ルーデル1人で師団1個に相当する」と評した。

総生産数6,000機──代替不在で生産継続

しかし、スツーカ全体としては、1943年以降は明確に時代遅れになっていた。1944年からはFw190F/G型がスツーカの地上攻撃任務を引き継いでいく。にもかかわらず、ドイツ空軍はスツーカの生産を1944年8月まで継続した。代替機が間に合わなかったのである。

総生産数は推定約6,000機〜6,500機。ドイツ空軍機としては中量産機だが、「電撃戦の象徴」というブランド価値は戦車換算のパンターV型4,400機、ティーガーI型1,350機を大きく上回る。ドイツの戦争プロパガンダにおいて、スツーカはパンターティーガーIIよりはるかに前の段階で、「ドイツ軍の強さ」そのものを象徴する存在になっていた。

Ju87 A/B/C/D/G型の違いを完全整理──派生型ガイド

モデラーとしてスツーカを組む前に、どの型式が何を意味するかを把握しておきたい。ここで派生型を整理する。

型式生産開始特徴エンジン最大速度備考
Ju87A-11937年量産初号型、二重座席キャノピー、ボリューミーなスパッツユモ210Da(680馬力)320km/hスペイン内戦で実戦デビュー。1939年に一線退役
Ju87B-1/B-21938-1940年ジェリコのラッパ装備、強化エンジン、スリムな脚スパッツユモ211Da(1,200馬力)390km/h電撃戦の象徴。バトル・オブ・ブリテンで大損害
Ju87C試作のみ艦上機型、折畳翼、着艦フックユモ211A空母「グラーフ・ツェッペリン」搭載予定機。空母が完成せず実戦配備なし
Ju87R1940年B-2の長距離型、主翼下燃料タンク、地中海・ノルウェー用ユモ211Da380km/h対艦攻撃で活躍
Ju87D-1〜D-81941-1944年コックピット流線形化、装甲強化、爆弾搭載量1,800kgユモ211J(1,400馬力)410km/h東部戦線主力、各種派生型あり
Ju87G-1/G-21943-1944年37mmBK3.7機関砲2門、対戦車特化、ジェリコのラッパ撤去ユモ211J375km/hルーデル機、東部戦線限定

見分けるコツ

3〜5秒で型式を見分けたいなら、以下の要素を押さえる。

A型はキャノピーが二段ドーム型で古風、エンジンカウリングが短い。B型はキャノピーが長一段型になり、主脚スパッツがスリム化される。D型はキャノピーがさらに流線形の一体感ある形状になり、ラジエーターが主翼下に移る(機首下面のあご出し型ラジエーターが消える)。G型はD型の機体に37mm機関砲ガンポッドが主翼下にゴツく吊られる、の4点で大半の判別が可能だ。

プラモを買うときは、「どの戦場のどの時期を再現したいか」で型式を選ぶ。ポーランド・フランス・バトル・オブ・ブリテンなら迷わずB型。バルバロッサ作戦以降の東部戦線・地中海・北アフリカならD型。ルーデル機や戦車狩りをやりたいならG型。空母グラーフ・ツェッペリンという「あったかもしれない歴史」が好きならC型試作機を探す、という楽しみ方もある。

迷彩塗装と撃墜マーク──モデラー向けディテールガイド

スツーカは戦場によって迷彩が大きく変わる、塗装派モデラーにとってのご馳走である。

電撃戦期(1939〜1940年)

開戦時のB型は、上面濃緑色(RLM71)+黒緑色(RLM70)のスプリンター迷彩、下面ライトブルー(RLM65)が標準。垂直尾翼にはハーケンクロイツ(鉤十字)が白帯に黒で描かれた。部隊マーキングは機首側面に描かれたStGのエンブレムや個体コードで識別できる。

ポーランド戦・フランス戦の機体は、この典型的な「ドイツ空軍標準塗装」。プラモで組むなら、このシンプルさが実は塗装しやすく、初心者にもおすすめ。

バルカン・地中海・北アフリカ期(1941〜1943年)

地中海戦線のB-2/R型・D型は、砂漠迷彩への転換が進む。上面サンドイエロー(RLM79)、下面ライトブルー(RLM78)、機首と翼端の白帯がバルカン戦/地中海戦のマーキング。これが意外と格好良い。枢軸陣営のロンメルアフリカ軍団を空から支援したスツーカのイメージだ。

東部戦線冬季(1941年冬〜)

東部戦線のD型・G型は、冬季になると標準塗装の上から水溶性白塗料(RLM99)を吹き、剥がれた部分から下地の緑が覗くリアルな冬季迷彩になる。筆塗りでムラと剥がれを作るだけで一気に使用感が出るので、初級〜中級モデラーでも映える仕上がりにしやすい。

ルーデル機として再現したいなら、StG 2(第2急降下爆撃航空団)所属のマーキング+冬季迷彩。後席銃手ガーダーマンの名前入り胴体側面デカールを探せれば完璧だ。

撃墜/撃破マーク

尾翼側面には、パイロット個人の戦果マークが描かれることが多い。戦闘機なら撃墜した敵国旗のミニマーク、スツーカの場合は撃破した戦車シルエットのミニマークが積み重なる。ルーデル機の後期型尾翼には、500を超える戦車シルエットがびっしり並んでいた記録がある。この細部を再現するかどうかは、モデラーの意地の見せどころ。

現代に蘇るスツーカ──プラモ・書籍・VOD完全ガイド

ここまで読んできたなら、もう手が震えているはずだ。落ち着いて、最後のセクション――Ju87を手元に招き入れる方法を整理しよう。

おすすめプラモキット1:タミヤ1/48 イタレリシリーズ Ju87 B-2 爆弾搭載セット(37008)

電撃戦期のB-2型を組むならこれが鉄板。イタリア・イタレリ社製の金型を、タミヤが高品質デカールとエッチングパーツを追加して販売している。1/48で全長230mm、全幅290mmと飾り映えするサイズ。

特徴的な逆ガル翼、スパッツ付き固定脚、ユンカース・ユモ211Dエンジンもパーツ化され、カウリングを外した展示も可能。兵装は500kg爆弾と50kg爆弾4発、さらに爆弾台車と整備兵フィギュア2体が付属。ジオラマ派には最高の素材だ。

マーキングはバトル・オブ・ブリテン時の機体2種類、バルカン戦線1種類、ロシア戦線1種類、ハンガリー空軍1種類の計5種類。エッチングパーツでコックピット計器板や座席ベルトも再現できる。価格は約8,000〜9,000円(再販時によって変動)。

おすすめプラモキット2:ハセガワ1/48 Ju87B-2スツーカ(JT13)

よりコスパ重視なら、ハセガワの定番Ju87B-2。1994年発売の古参キットだが、繊細な凹モールドと組みやすさで今でも高く評価されている。2,000〜3,500円で入手可能で、ポーランド戦・フランス戦・バトル・オブ・ブリテンまでの機体を再現できる。

冬季迷彩のマスキング型紙が付属するのも嬉しい。独特のスプリンター迷彩を自分で塗る前に、一度メーカー付属の型紙を試してみる価値はある。

おすすめプラモキット3:ハセガワ1/48 Ju87G-2 スツーカ タンクバスター(JT54)

ルーデル機を組むならこれ。2,000円前後で、主翼下に37mmBK3.7機関砲2門を吊ったG-2型が組める。マーキングは東部戦線仕様で、まさにルーデルが乗っていたスタイル。

機関砲の銃口モールドはやや浅いので、ピンバイスで自分で彫り込んで深みを出してやると、ぐっと実機感が増す。冬季迷彩で仕上げれば、1943年クルスクの空を飛んだG-2の迫力が手元に蘇る。

おすすめプラモキット4:ハセガワ1/32 Ju87G スツーカ カノーネンフォーゲル(ST25)

スケール感と迫力を最優先するなら、ハセガワ1/32。全長約350mmの巨大な逆ガル翼とスパッツ付き脚が、ショーケースで圧倒的な存在感を放つ。価格は約12,000〜15,000円と高めだが、ディテールを追い込める余地は圧倒的に広い。

37mmBK3.7機関砲のフラッシュハイダー、装弾ベルト、機関砲基部のステー――この辺を自分で加工すれば、プラモ雑誌の表紙クラスに仕上がる。

おすすめプラモキット5:エアフィックス1/72 Ju87 B-1/B-2 スツーカ(X-3087A/X7115)

「とりあえずスツーカが欲しい」という初心者には、エアフィックス1/72が最適。2,000〜5,000円で入手可能、翼幅約19cmで飾りやすく収納しやすい。ポーランド戦・フランス戦・バトル・オブ・ブリテン仕様のマーキングが楽しめる。

Bf109やHe111など同スケールのドイツ軍機と並べて飾れば、電撃戦ジオラマの出来上がりだ。

書籍──『急降下爆撃』(ハンス・ウルリッヒ・ルーデル自伝)

スツーカ乗りの視点から戦場を見たいなら、やはりルーデルの自伝『急降下爆撃』が筆頭だ。学研M文庫版(高木真太郎訳、2002年)は中古数百円から、ホビージャパン新訳完全版なら書店の棚で新刊購入できる。

ルーデルがどのようにJu87G-2を操り、T-34を後部から撃ち抜いていったか――その戦術の教科書がこの1冊に詰まっている。本人の筆致は驚くほど淡々としていて、500両以上の戦車撃破を平然と語る温度感が、逆にスツーカ乗りの凄みを伝えてくる。

VOD──映画『バトル・オブ・ブリテン』(1969)

スツーカの英本土惨敗を映像で体感するなら、英映画の名作『バトル・オブ・ブリテン』(1969)を鑑賞してほしい。U-NEXTやAmazon Primeで視聴可能。本物のHe111やスピットファイアが飛ぶラストシーンの空戦は、CG時代以前のリアル航空アクションの頂点だ。

スツーカ役は改造レプリカ機が使われているが、急降下サイレンの再現と、RAF機に狩られていく場面は圧巻。1940年夏、ドイツ空軍の「最強」が砕かれた瞬間が、そこにある。

ドキュメンタリー派なら『第二次世界大戦 カラー映像で見る東部戦線』シリーズもおすすめ。実機映像でJu87DやG型の飛行シーンが挿入され、プラモ塗装の参考資料としても一級品である。

現存するJu87──世界にわずか2機

全6,000機生産されたスツーカで、現在オリジナル機として現存しているのはわずか2機のみだ。

1機目はロンドン郊外のRAFミュージアム・ヘンドンに展示されているJu87 G-2(元D-3または D-5からの改造機)。1945年5月にドイツ領内で英軍に鹵獲された機体で、当初はグレーの迷彩だったが、1967年に映画『バトル・オブ・ブリテン』用に塗装変更された経緯を持つ。現在も展示継続中。

2機目はシカゴ科学産業博物館(Chicago Museum of Science and Industry)に展示されているJu87 R-2型で、1941年に北アフリカ戦線でイギリス軍に捕獲された機体。

もしロンドンやシカゴに行く機会があれば、必ず足を運ぶ価値がある。逆ガル翼と固定脚のあの異形のシルエットを、等身大で見られる場所は世界にこの2か所しかない。

Ju87スツーカに関するよくある疑問(FAQ)

スツーカは本当に最強だったのか?

1939〜1941年の期間、連合軍が制空権を失い、対空火力も貧弱だった戦場に限っては、スツーカは間違いなく最強の近接航空支援機だった。しかし1940年夏のバトル・オブ・ブリテンで、制空権のある敵戦闘機相手には完全に無力であることが証明された。「特定条件下では最強、制空権なしでは虐殺される」が正しい評価である。

なぜサイレン「ジェリコのラッパ」は撤去されたのか?

理由は2つ。第一に、敵兵が音に慣れてしまい、むしろ警報機能として働いてしまったため。第二に、サイレン装置そのものが20〜25km/hの速度低下を引き起こし、空気抵抗の害が上回ったため。1941年以降、東部戦線のD型以降では標準装備から外されていった。ルーデルが「スツーカにサイレンはなかった」と書いたのは、彼が乗ったD型・G型には装備されていなかったから。

スツーカの逆ガル翼は何のためか?

急降下爆撃機として不可欠な「胴体下の爆弾とプロペラのクリアランス確保」と、「主脚の短縮化による軽量化・空気抵抗削減」を両立させるための構造解だった。副次効果として、翼付け根が下がることでパイロットの前下方視界も改善された。美学ではなく機能のための設計である。

零戦とJu87はどちらが強い?

比較軸が違いすぎる。零戦は艦上戦闘機(制空・護衛)、Ju87は陸上急降下爆撃機(地上攻撃)。空戦させれば零戦が圧勝するが、地上目標の精密爆撃ならJu87が圧勝する。任務が異なる機体を強弱比較することに意味はない。どうしても比較したいなら、WW2最強戦闘機ランキングと別枠で急降下爆撃機ランキングを作る必要がある。

Ju87Gの37mm機関砲は本当に戦車を撃破できたのか?

できた。条件付きで。タングステンカーバイド芯の徹甲弾は、ソ連戦車(T-34/KV-1/IS-2)の天板・機関区画上面・後面・側面の装甲(15〜30mm程度)を、600m以内の至近距離から貫徹可能だった。ただし前面装甲(60mm超)は正面からでは抜けない。そのためJu87G乗りは、常に後上方からエンジン区画を狙うという戦術を徹底した。WW2戦車エースランキングの地上戦車エースと並んで、空のタンクハンターとしてルーデルが別格扱いされるのはこのためである。

スツーカは何機生産されたのか?

1936年から1944年8月までに推定約6,000〜6,500機が生産された。A型50機弱、B型約700機、R型約100機、D型約3,000機、G型約200機、その他派生型で合計この数に達する。主力はD型で、全体の約半数を占める。

バトル・オブ・ブリテンでのスツーカの損失率は?

1940年7月〜8月の6週間で、投入されたスツーカの約20%にあたる59機が完全撃破、33機が損傷した。特に8月18日「ハーデスト・デイ」だけで109機出撃中21機が撃破または回収不能なほど損傷し、1日で約20%を失うという壊滅的な損失率だった。この日を境に、ドイツ空軍はスツーカを英本土空襲から撤退させた。

まとめ──「叫ぶ悪魔」から「寡黙な戦車狩人」へ

Ju87スツーカは、第二次世界大戦の前半戦を象徴し、そして中盤以降にその象徴性を失った機体である。

1935年の初飛行から、スペイン内戦での実戦デビュー、1939年9月のポーランド侵攻11分後の大戦初出撃、そしてフランス・バルカン・地中海での栄光。1940年夏のバトル・オブ・ブリテンで制空権のない空では生存できないと証明された後、東部戦線で対戦車機として第二の人生を送り、ルーデルという規格外の戦果をもたらす英雄を生み出した。1944年8月まで生産が続き、終戦直前まで戦い続けた。

逆ガル翼、固定脚、ジェリコのラッパ――この3つの異形を持つ機体が、6年半にわたって戦場の第一線にい続けた事実そのものが、スツーカの完成度を物語る。同時に、時代遅れのまま代替できなかったドイツ空軍の航空機生産行政の破綻も、ここから読み取れる。

そして今、あなたはこの栄光と失墜の両方を手元に再現できる。タミヤ1/48のB-2型で1940年パ・ド・カレー上空を、ハセガワ1/48のG-2型で1943年クルスクの冬を、エアフィックス1/72でバトル・オブ・ブリテンの海峡を飛ばしてみてほしい。『急降下爆撃』をページをめくりながら、映画『バトル・オブ・ブリテン』の急降下サイレンを耳にしながら。1937年にスペインの空で産声を上げ、1945年5月にバイエルンで静かに翼を畳んだ異形の急降下爆撃機の軌跡が、あなたの机の上で再び息を吹き返すはずだ。

スツーカ乗りの頂点ルーデルの記事と併せて読めば、この機体の輝きと陰影がより立体的に見えてくる。WW2ドイツ戦闘機ランキングで補給・制空を担ったBf109・Fw190と並べて理解すれば、ドイツ空軍の全体像も掴める。欧州戦線激戦地ランキング欧州戦線年表を併読すれば、スツーカが投入された戦場の風景も浮かび上がる。

では、よい模型ライフを。逆ガル翼の影が、あなたの机の上に落ちる日はきっと近い。

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