【ネタバレなし】映画『ペリリュー-楽園のゲルニカ-』レビュー|原作未読でも泣ける?楽しめる?終戦80年の傑作アニメを徹底解説

「原作マンガを読んでないと楽しめないのでは……?」

映画『ペリリュー-楽園のゲルニカ-』を観ようか迷っている方の多くが、こんな不安を抱えているのではないだろうか。結論から言おう。原作未読でも、戦史に詳しくなくても、この映画は胸を打つ。いや、むしろ予備知識なしで観た方が、衝撃が大きいかもしれない。

2025年12月5日に公開された本作は、終戦80年という節目に世に送り出された戦争アニメ映画だ。Filmarksでは4.2点という高スコアを記録し、公開直後から「この世界の片隅に」に並ぶ傑作との声も上がっている。

私自身、ペリリュー島の戦いについては当ブログで散々書いてきた人間だが、それでもなおこの映画には打ちのめされた。今回は、原作未読の方でも安心して映画館に足を運べるよう、ネタバレを極力避けながら本作の魅力を語っていきたい。


目次

原作を知らなくても大丈夫な3つの理由

映画単体で完結するストーリー構成

原作マンガ『ペリリュー-楽園のゲルニカ-』は全11巻。外伝を含めると相当なボリュームだ。しかし本作の脚本は、原作者の武田一義氏自身がベテラン演出家の西村ジュンジ氏と共同で執筆している。

武田氏は制作発表時に「原作のすべてを入れようとして味気ないダイジェストになることは望まない」と語っており、映画として独立した作品に仕上げることを強く意識していたことがわかる。

実際、映画を観た多くの観客から「原作未読だが十分に楽しめた」「事前知識なしで観たが胸に迫った」という声が上がっている。物語の前提となる設定や人間関係は、劇中で自然に説明されるため、置いてけぼりになる心配は無用だ。

「功績係」という仕事が物語の軸になっている

本作の主人公・田丸均は、戦死した仲間の最期を遺族に向けて書き記す「功績係」という特殊な任務を担っている。この設定は映画の序盤で丁寧に説明されるため、原作を読んでいなくても理解できる。

そして、この「功績係」という仕事が物語全体を貫く軸となっている。漫画家志望だった田丸が、仲間の死を時に「美談」として書き換えなければならない葛藤、正しいことが何かわからないまま生き延びようとする苦悩。これらは原作の知識がなくても、いや、むしろ何も知らない状態で観た方が、よりダイレクトに心に刺さるはずだ。

功績係という役割についてもっと詳しく知りたい方は、当ブログの「『ペリリュー』にも登場する「功績係」とは?戦時中の記録係の役割と実在の記録」を参照してほしい。

史実の知識は映画が教えてくれる

ペリリュー島の戦いを知らない方も多いだろう。かつては「忘れられた戦い」とも呼ばれ、2015年に上皇上皇后両陛下が慰霊訪問されるまで、その存在すら広く知られていなかった激戦地だ。

だが心配は無用だ。映画は、昭和19年9月のペリリュー島を舞台に物語を始め、なぜこの戦いが起きたのか、日本軍がどのような状況に置かれていたのかを、物語の中で自然に描いている。日本軍1万人に対し、米軍4万人以上という圧倒的な戦力差。玉砕すら禁じられ、持久戦を強いられた兵士たち。これらの情報は、観客が物語に入り込めるよう、過不足なく提示される。

もちろん、事前に史実を知っておくとより深く楽しめる。当ブログの「ペリリュー島の戦い完全ガイド|73日間の死闘と今に残る教訓」を読んでから観ると、細かな描写に込められた意味がより鮮明に見えてくるだろう。


「かわいい絵柄×地獄の戦場」という革命的表現

三頭身キャラクターだからこそ描ける残酷さ

本作を語る上で避けて通れないのが、その独特のキャラクターデザインだ。登場人物たちは三頭身のデフォルメされた姿で描かれている。一見するとコミカルで、戦争映画とは思えない絵柄だ。

しかし、この「かわいい絵柄」こそが本作の革命的な点なのだ。

実写やリアルな作画で描いたら、直視できないほどグロテスクになるシーンも、デフォルメされた絵柄だからこそ「見られる」ものになっている。そして、かわいらしいキャラクターが無惨に命を落としていく様を目にするとき、観客は逆説的により深い恐怖と悲しみを感じる。

これは「描きすぎない」演出と言い換えてもいい。ビジュアルで全てを見せるのではなく、観客に「想像させる」ことで、スクリーンに映るもの以上のリアリティを生み出している。ある観客のレビューにあった「アニメをなめていた」という言葉が、この表現手法の威力を端的に物語っている。

美しい南洋の風景とのコントラスト

ペリリュー島は、サンゴ礁の海に囲まれた美しい島だ。映画では、色鮮やかな南洋の自然が丁寧に描かれている。青い海、緑の森、そこに差し込む光。まさに「楽園」と呼ぶにふさわしい風景だ。

しかし、その楽園で日米5万人の兵士が殺し合う。美しい風景と凄惨な戦闘のコントラストが、戦争の狂気をより鮮明に浮き彫りにする。タイトルの「楽園のゲルニカ」が意味するところを、観客は映像で体感することになる。

「ゲルニカ」とは、もちろんピカソの反戦絵画だ。そして主人公・田丸が漫画家志望という設定も、このタイトルと呼応している。絵を描くことで戦場を記録し、絵によって戦争の悲惨さを伝える。本作は、まさにアニメーションという「絵」の力で戦争を描ききった作品なのだ。


「生きて虜囚の辱めを受けず」の悲劇

終戦を知らなかった2年間

本作が描くのは、昭和19年9月から始まる約2ヶ月半の激戦だけではない。物語は、終戦後も続く。

ペリリュー島の守備隊1万人のうち、最後まで生き残ったのはわずか34人。しかも彼らの多くは、終戦から約2年間、戦争が終わったことを知らずに洞窟に潜伏していた。「生きて虜囚の辱めを受けず」という戦陣訓に縛られ、投降という選択肢を持てなかった若者たち。

映画は、この「終戦を知らなかった日々」を後半で描いている。戦争が終わったと信じる者、信じたい者、信じたくない者。それぞれの思いが交錯し、やがて悲劇的な結末へと向かっていく。この後半部分は、原作を知らない観客にとって、特に衝撃的な展開となるだろう。

善悪では割り切れない人間模様

本作には、分かりやすい「悪役」は登場しない。極限状態に追い込まれた人間が、時に理不尽な行動をとることがある。平時なら「悪」としか思えない行為も、戦場という異常な環境では、生き延びるための選択だったりする。

映画は、そうした人間の複雑さを丁寧に描いている。誰もが家族を持ち、故郷を持ち、帰りたい場所があった。誰一人として、死にたくなどなかった。その当たり前の事実を、本作は三頭身のキャラクターたちを通じて、静かに、しかし力強く訴えかけてくる。


声優陣の熱演が作品を支える

板垣李光人が演じる田丸均

主人公・田丸均を演じるのは、2024年日本アカデミー賞新人俳優賞を受賞した板垣李光人だ。映画『かがみの孤城』で声優初挑戦を果たした彼は、本作でアニメーション作品への出演を重ねている。

板垣は本作の制作にあたり、実際にペリリュー島を訪問したという。そこで感じた「ここで確かに苛烈な戦いが繰り広げられ、多くの方々が命を落とされた」という実感が、彼の演技に深みを与えている。田丸の繊細な葛藤、功績係としての苦悩、それでも生きようとする意志が、板垣の声を通じて観客に伝わってくる。

中村倫也が演じる吉敷佳助

田丸の同期であり、頼れる上等兵・吉敷佳助を演じるのは中村倫也だ。映画『ミッシング』『ラストマイル』など話題作への出演が続く彼は、実写映画『アラジン』でアラジンの吹き替えを担当した経験も持つ。

中村が演じる吉敷は、田丸にとって精神的な支えとなる存在だ。二人の絆は、この極限の戦場で育まれていく。その関係性の変化を、中村は抑制の効いた演技で表現している。

上白石萌音の主題歌「奇跡のようなこと」

エンドロールで流れる主題歌「奇跡のようなこと」を歌うのは上白石萌音だ。物語の余韻を受け止め、観客の感情を昇華させる役割を担うこの曲は、映画館で聴くと涙腺を決壊させる力がある。

多くのレビューで「最後、ウルっときた」という声が上がっているが、その多くはこの主題歌が流れる瞬間を指している。映画本編の重さを受け止めた後に流れるこの曲は、観客に「観てよかった」と思わせる浄化作用を持っている。


「この世界の片隅に」との比較は妥当か

共通点:アニメだからこそ描ける戦争

本作を語る際、必ず引き合いに出されるのが片渕須直監督の『この世界の片隅に』だ。両作品には確かに共通点がある。

まず、どちらもアニメーションという表現形式を最大限に活かして戦争を描いている。実写では表現しにくい、あるいは実写だと直視できないものを、アニメという「フィルター」を通すことで描ききっている。

また、どちらも「絵を描く」主人公が登場する。『この世界の片隅に』のすずは絵を描くことが好きな女性であり、『ペリリュー』の田丸は漫画家志望だ。絵を描く能力が、絶望の中で生き延びる糧になるという設定も共通している。

相違点:視点と舞台

しかし、両作品には決定的な違いがある。『この世界の片隅に』が銃後の日常を描いたのに対し、『ペリリュー』は戦場そのものを描いている。

『この世界の片隅に』は、戦争が「日常」を侵食していく様を、すずの視点で描いた。対して『ペリリュー』は、戦場という「非日常」の極限を、兵士の視点で描く。どちらが優れているという話ではない。両作品は、戦争という巨大なテーマを、異なる角度から描いているのだ。

もし『この世界の片隅に』を観て心を動かされた経験があるなら、『ペリリュー』も必ず観るべきだ。両作品を観ることで、戦争というものの多面性がより深く理解できるはずだ。


鑑賞前に押さえておきたい基礎知識

ペリリュー島の戦いとは何だったのか

ここで、映画の舞台となったペリリュー島の戦いについて、最低限の知識を整理しておこう。映画を観る前に読んでおくと、より深く作品を理解できるはずだ。

ペリリュー島は、パラオ共和国に属する小さな島だ。1944年(昭和19年)9月15日から11月27日にかけて、この島で日米両軍が激突した。米軍の目的は、フィリピン奪還のための拠点確保。約4万人の精鋭部隊が、日本軍約1万人が守るこの島に襲いかかった。

しかし、日本軍の抵抗は米軍の予想をはるかに超えていた。従来の「バンザイ突撃」をやめ、洞窟陣地を活用した持久戦を展開。米海兵隊の死傷率は史上最高の約60%に達した。この戦術は後に硫黄島の戦いにも引き継がれ、米軍を苦しめることになる。

詳しくは当ブログの「太平洋戦争・激戦地ランキングTOP15」でも触れているが、ペリリュー島の戦いは太平洋戦争における最も過酷な戦闘の一つだった。

なぜ「忘れられた戦い」と呼ばれたのか

実は、ペリリュー島の戦いが始まる前の時点で、米軍はすでにマリアナ諸島を確保しており、そこからB-29爆撃機で日本本土を攻撃する態勢を整えていた。つまり、フィリピン奪還という当初の戦略目標は、ペリリュー島を経由しなくても達成可能になっていた。

にもかかわらず、戦いは続行された。両軍合わせて1万人以上が戦死した。戦略的には「無意味」とも言える戦いが、なぜ止められなかったのか。この問いは、戦争の狂気そのものを象徴している。

そして戦後、この戦いはほとんど語られることがなかった。「忘れられた戦い」として、長く歴史の闇に埋もれていた。2015年に上皇上皇后両陛下がペリリュー島を慰霊訪問されたことで、ようやく多くの日本人がこの戦いの存在を知ることになった。


映画館で観るべき理由

音響と映像の没入感

戦争映画は、可能な限り大きなスクリーンで観るべきだ。本作も例外ではない。

砲撃の轟音、銃声、兵士たちの叫び。これらの音響は、映画館の音響システムでこそ真価を発揮する。自宅のテレビやスマートフォンでは、この「音の迫力」を十分に体感することはできない。

また、南洋の美しい風景と戦場の凄惨さのコントラストも、大スクリーンで観てこそ際立つ。三頭身のキャラクターたちが、リアルに描かれた兵器や風景の中で動き回る様子は、映画館の大画面で観ると独特の違和感と説得力を同時に感じさせる。

「泣ける」環境としての映画館

本作は、多くの観客を泣かせている映画だ。映画館という閉じた空間で、周囲の観客と同じ感情を共有しながら観ることで、その感動はより深いものになる。

終戦80年という節目に公開された本作を、映画館で体験すること自体に意味がある。80年前、この島で何が起きたのかを、現代の技術で蘇らせた映像を、同じ時代を生きる人々と共に観る。それは、一種の「継承」の行為でもあるのだ。


鑑賞後にさらに深く知りたい方へ

原作マンガを読む

映画を観て心を動かされた方は、ぜひ原作マンガを手に取ってほしい。全11巻という長さだが、映画では描ききれなかったエピソードや、より詳細なキャラクター描写が楽しめる。

映画は原作の全体を2時間に凝縮しているため、どうしても省略されている部分がある。原作を読むことで、映画で気になったキャラクターの背景や、描かれなかった物語を知ることができる。詳しくは「原作マンガ『ペリリュー 楽園のゲルニカ』完全ガイド」を参照してほしい。

史実をさらに深く学ぶ

映画と原作で物語として体験した後は、実際の史実についても学んでみてほしい。当ブログでは「映画『ペリリュー』はどこまで史実?実際の「ペリリュー島の戦い」との違いと共通点」という記事で、作品と史実の関係を詳しく解説している。

また、ペリリュー島の戦いは、その後の硫黄島の戦いに戦術的な影響を与えた。「【完全解説】硫黄島の戦いをわかりやすく」と合わせて読むと、太平洋戦争末期の日本軍の戦い方の変遷が見えてくるだろう。

聖地巡礼という選択肢

本作を観て、実際にペリリュー島を訪れたいと思った方もいるかもしれない。パラオ共和国のペリリュー島には、今も多くの戦跡が残されている。

ペリリュー島への行き方と戦跡・慰霊スポットガイド」では、日本からペリリュー島への行き方や、主要な戦跡・慰霊碑について詳しく解説している。映画の舞台を実際に歩くことで、より深い理解と追悼の機会を得ることができるだろう。


まとめ:終戦80年に観るべき一本

映画『ペリリュー-楽園のゲルニカ-』は、原作未読でも十分に楽しめる作品だ。むしろ、何も知らない状態で観た方が、衝撃と感動は大きいかもしれない。

かわいい絵柄と残酷な戦場のギャップ、功績係という独特の設定、そして終戦を知らずに潜伏し続けた兵士たちの悲劇。これらの要素が絡み合い、観る者の心を深くえぐる作品に仕上がっている。

終戦80年という節目に、この映画が公開された意味は大きい。戦争を経験した世代が少なくなっていく中で、どのように戦争の記憶を継承していくか。本作は、アニメーションという表現形式で、その問いに一つの答えを示している。

もし少しでも興味があるなら、ぜひ映画館に足を運んでほしい。そして、観終わった後は原作マンガや史実についても学んでみてほしい。80年前、あの島で何が起きたのか。それを知ることは、現代を生きる私たちにとっても、決して無意味なことではないはずだ。


作品情報

タイトル:ペリリュー-楽園のゲルニカ- 公開日:2025年12月5日(金) 原作:武田一義「ペリリュー-楽園のゲルニカ-」(白泉社・ヤングアニマルコミックス) 監督:久慈悟郎 脚本:西村ジュンジ・武田一義 声の出演:板垣李光人、中村倫也、上白石萌音 ほか 制作:シンエイ動画 × 冨嶽 配給:東映 主題歌:「奇跡のようなこと」上白石萌音


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