序章 「曲がらない」という誇り
1944年11月24日、東京上空。
111機ものB-29スーパーフォートレスが、初めて日本本土を昼間爆撃した。高度一万メートル近くを悠然と飛ぶ銀色の巨体。当時の日本人にとって、それは「不落の要塞」に見えたはずだ。
しかし、その日、調布飛行場から次々と舞い上がった戦闘機がいた。
太い機首。短い主翼。がっしりとした胴体。零戦や隼(Ki-43)とはまるで違うシルエット。 連合軍からは「Tojo(トージョー)」と呼ばれたその機体こそ、二式単座戦闘機「鍾馗」(Ki-44)である。
飛行第47戦隊の鍾馗は、果敢にB-29編隊に突入した。40mm機関砲「ホ301」を搭載した機体もあった。体当たり攻撃すら辞さない覚悟で、巨大な爆撃機に挑んでいった。
鍾馗は「曲がらない戦闘機」と言われた。旋回性能で零戦や隼に勝てるはずがない。だが、そもそも鍾馗は「曲がること」を目指した機体ではなかった。
「上がる。追いつく。一撃で決める。」
鍾馗の設計思想はこの一点に集約される。日本陸軍が初めて本気で「迎撃」という問いに答えを出した戦闘機、それが鍾馗だ。
この記事では、鍾馗とは何者だったのかを、設計思想から実戦運用、同時代機との比較、展示情報、プラモデル、ゲームでの運用まで、すべて解説する。日本の戦闘機の歴史において、鍾馗がどのような存在だったのか。一緒に見ていこう。
第1章 3分で分かる鍾馗(Ki-44)

1-1 鍾馗の正体
制式名称:二式単座戦闘機
キ番号:Ki-44
コードネーム:Tojo(東条。当時の首相・東条英機に由来する皮肉混じりの命名)
開発:中島飛行機
初飛行:1940年(昭和15年)
制式採用:1942年(昭和17年)
主な運用期間:1942年〜1945年
生産数:約1,225機
1-2 どんな戦闘機だったのか(一言で)
「日本陸軍初の本格的迎撃戦闘機」
従来の日本機が重視した「旋回性能」を潔く捨て、「上昇力」「速度」「突進力」に振り切った設計。本土防空でB-29迎撃に活躍した。
1-3 性能のざっくり像(主力型のII型乙を基準)
最高速度:約605km/h(高度5,200m付近) 上昇力:5,000mまで約4分30秒 エンジン:中島 ハ109(空冷複列星型14気筒、約1,520馬力) 武装:12.7mm機関砲(ホ103)×4、または12.7mm×2+40mm(ホ301)×2 航続距離:約1,600〜1,700km(増槽使用時) 全長:約8.79m 全幅:約9.45m 自重:約2,106kg 全備重量:約2,764kg
1-4 鍾馗の特徴(5つのキーワード)
- 高翼面荷重:翼を小さくして速度優先。旋回より直線勝負。
- 強力なエンジン:ハ109の大馬力で上昇と加速を稼ぐ。
- 重武装対応:40mm砲の搭載可能。B-29の装甲を貫く「一撃必殺」を狙える。
- 短い主翼:高速域での運動性と急降下耐性を重視。
- 本土防空特化:長距離護衛より、地元の空を守る「邀撃(ようげき)」が本業。
1-5 強み・弱み(10秒チェック)
強み:上昇力、速度、急降下耐性、火力(40mm搭載時)、頑丈な機体構造 弱み:旋回性能、低速域での失速特性、着陸時の扱いにくさ、視界(太い機首)
1-6 3行まとめ
鍾馗は「曲がる」ことを捨てて「上がる」ことを選んだ迎撃機。 本土防空でB-29に体当たりしてでも止めようとした勇者たちの翼。 海軍の雷電(J2M)と並ぶ「日本版インターセプター」の先駆け。
第2章 なぜ「曲がらない戦闘機」が必要だったのか

2-1 日本陸軍の「軽戦」思想
1930年代から1940年代初頭にかけて、日本陸軍航空隊の主力は「軽戦闘機」だった。代表が九七式戦闘機(Ki-27)と一式戦闘機「隼」(Ki-43)である。
これらの機体に共通するのは「軽さ」と「旋回性能」への執着だ。日中戦争で中国空軍と戦い、ノモンハン事件でソ連のI-15やI-16と空戦を繰り返した経験から、「格闘戦で旋回半径が小さい方が勝つ」という教訓が刻み込まれていた。
隼の完全ガイドでも詳しく触れているが、隼は極限まで軽量化された「旋回の名手」だ。蝶型戦闘フラップを瞬間的に使い、相手より早く機首を向ける。その技術は確かに素晴らしかった。
しかし、その思想には前提がある。「相手も格闘戦に付き合ってくれる」という前提だ。
2-2 現実の変化:一撃離脱と重爆撃機
太平洋戦争が始まると、日本陸軍は二つの現実に直面した。
一つ目は、連合軍戦闘機の戦術変化だ。P-40やP-38、のちにはP-51ムスタングといった重戦闘機は、日本機と格闘戦を避けた。高度優位から急降下して一撃を加え、速度を保ったまま離脱する。いわゆる「ブーム・アンド・ズーム(一撃離脱)」である。
旋回性能で勝っても、そもそも相手が回ってくれない。高度を取られ、上から殴られる。追おうとしても速度差で置いていかれる。隼は苦しんだ。
二つ目は、高高度爆撃機の登場だ。B-17やB-24、そして1944年からはB-29が日本本土を脅かすようになる。これらの巨大な爆撃機は、戦闘機との格闘戦など想定していない。高く、速く、重武装の防御火器で固め、護衛戦闘機を伴って侵入してくる。
隼が得意とする「回って当てる」戦い方では、そもそも爆撃機の高度に届かない。届いたとしても、12.7mm×2という火力では、B-29の巨体に致命傷を与えるのに時間がかかりすぎる。その間に編隊全機から防御射撃を浴びてしまう。
日本陸軍は、別の「答え」を必要としていた。
2-3 「重戦」という発想の転換
1930年代後半、日本陸軍航空本部の一部には、欧州の航空戦を観察し、「重戦闘機」の必要性を唱える声があった。
ドイツ空軍のBf109は、軽戦とは真逆の思想を持っていた。高出力エンジン、高速度、急降下性能。一撃離脱を得意とし、格闘戦には深入りしない。イギリスのスピットファイアも、バランス型でありながら速度を重視していた。
「日本にも、速度と上昇力で勝負する戦闘機が必要ではないか。」
その声に応えるかたちで、1938年(昭和13年)、陸軍は中島飛行機に「キ44」の試作を命じた。要求は明確だった。
「速度600km/h、上昇力は5,000mまで5分以内。重武装可能。航続距離は短くていい。」
旋回性能への言及は、従来の要求に比べて著しく控えめだった。これが「二式単座戦闘機」、すなわち鍾馗の出発点である。
2-4 「鍾馗」という名前の意味
鍾馗(しょうき)は、中国の道教に由来する魔除けの神だ。唐の玄宗皇帝の夢に現れ、病魔を退治したという伝説が有名で、日本でも端午の節句に鍾馗の絵を飾る風習がある。
その姿は、髭を生やし、剣を持った武人。まさに「敵を退ける守護者」のイメージだ。
本土に侵入する爆撃機という「魔物」を斬り払う存在として、「鍾馗」という命名は象徴的だった。そして、その名に恥じない活躍を、この機体は見せることになる。
第3章 設計の核心:速度と上昇力のためにすべてを賭ける
3-1 小さな翼、高い翼面荷重
鍾馗の設計で最も目を引くのは、その「小さな主翼」だ。
翼面積は約15平方メートル。隼(Ki-43)の約22平方メートルと比べると、3割以上も小さい。当然、翼面荷重(機体重量÷翼面積)は高くなる。鍾馗の翼面荷重は約180kg/平方メートル級。隼の約120kg/平方メートルと比べると、別世界の数字だ。
翼面荷重が高いと何が起きるか。低速域での揚力が足りなくなり、失速しやすくなる。つまり、格闘戦で機首を上げ続けたり、急旋回を繰り返したりすると、隼のように粘れない。
しかし、その代償として得られるものがある。「高速域での安定」と「急降下時の強さ」だ。
翼が小さいと、高速で飛んでいるときの抵抗が減る。また、急降下時に翼が受ける荷重も相対的に小さくなり、構造的な余裕が生まれる。ダイブからの引き起こしで翼がもげる心配が減るわけだ。
鍾馗は「回る」ことを諦めた。その代わり、「上がる」「追う」「突く」能力を手に入れた。
3-2 ハ109エンジン:大馬力の心臓
鍾馗の心臓部は、中島ハ109エンジンだ。空冷複列星型14気筒、離昇出力は約1,520馬力。
隼のハ25(約980馬力)や、初期のハ115(約1,150馬力)と比べると、圧倒的にパワフルだ。この大馬力が、小さな翼を高速で持ち上げる推進力となる。
ハ109は信頼性も比較的高く、飛燕(Ki-61)のハ40(液冷)のような冷却系トラブルに悩まされることは少なかった。空冷エンジンは整備が容易で、現場の負担が軽い。本土防空という「毎日のように飛ぶ」任務には、この信頼性が生きた。
3-3 太い機首と短い胴体
ハ109を収めるため、鍾馗の機首は太くなった。零戦や隼のような「細身の美人」ではない。むしろ「力士のような迫力」がある。
この太い機首は、正面からの視認性を上げる(敵から見つかりやすい)という欠点があるが、一方で正面面積を絞るために機首後半から胴体にかけてのラインを工夫している。
胴体は全体的に短くまとめられ、重心位置の最適化と慣性モーメントの低減を狙った。これにより、ロール(横転)性能は良好で、高速域での舵の効きも悪くなかった。
3-4 頑丈な構造:ダイブで壊れない
鍾馗は、急降下制限速度が比較的高く設定されていた。隼が高速ダイブを苦手としたのに対し、鍾馗は積極的にダイブを使う戦術が想定されていた。
これは、構造設計の段階から「一撃離脱」を前提に作られていることを意味する。上から来て、当てて、速度を保って抜ける。その軌道を何度も反復するためには、機体が「折れない」ことが絶対条件だった。
3-5 コクピットと視界
鍾馗のコクピットは、太い機首の後ろに位置する。前方視界は決して良いとは言えない。特に地上滑走時と着陸時は、機首が邪魔になって前が見にくい。
これは多くの大馬力空冷エンジン機に共通する悩みで、雷電(J2M)も同様の問題を抱えていた。
一方、上方・後方視界はそれなりに確保されており、空戦時に背後を確認する際には困らなかった。
3-6 着陸特性:「殺人機」の汚名
鍾馗は「殺人機」という不名誉なあだ名を持っている。
高い翼面荷重は、着陸速度の高さを意味する。鍾馗の着陸速度は隼より速く、滑走距離も長い。失速特性も急峻で、速度を落としすぎると突然揚力を失う。
これにより、訓練中の事故が多発した。特に、隼から転換訓練を受けたパイロットにとって、鍾馗の着陸特性は「別の乗り物」だった。低速でふわりと降りる隼の感覚で鍾馗を着陸させようとすると、失速して墜落する。
この評判が「鍾馗=扱いにくい」「鍾馗=危ない」というイメージを生んだ。しかし、それは設計の欠陥ではなく、「別の設計思想の機体には別の操縦技術が必要」という当然の話だ。
熟練すれば、鍾馗は十分に扱える機体だった。そして、その特性を理解したパイロットたちが、本土防空で獅子奮迅の活躍を見せることになる。
第4章 武装と戦い方:40mmで「一撃必殺」を狙う

4-1 武装のバリエーション
鍾馗の武装は、型式と時期によって異なる。主なパターンは以下の通りだ。
I型甲:7.7mm機銃×2+12.7mm機関砲×2 I型乙:12.7mm機関砲×4 II型甲:12.7mm機関砲×2+12.7mm機関砲×2(計4門) II型乙:12.7mm機関砲×4 II型丙:12.7mm機関砲×2+40mm機関砲(ホ301)×2
特に注目すべきは、II型丙の40mm機関砲「ホ301」だ。
4-2 40mmホ301:B-29を「一発で止める」ための選択
ホ301は、口径40mmの大口径機関砲である。もともとは航空機搭載用の無反動砲に近い設計で、炸裂弾を発射してB-29のような大型機に致命傷を与えることを狙った。
この砲の特徴は以下の通りだ。
口径:40mm 弾数:各砲10発(計20発) 初速:約245m/s(かなり低い) 射程:有効射程は約150m程度
見てわかるように、初速が非常に低い。通常の機関砲が500〜800m/s級の初速を持つのに対し、ホ301は250m/s以下。これは弾道が大きく落ちることを意味し、遠距離射撃には向かない。
つまり、ホ301を当てるためには「至近距離まで寄る」必要がある。50〜150mの距離まで肉薄し、巨大な爆撃機の腹や翼根を狙って撃ち込む。
これは極めて危険な行為だ。B-29は防御機銃を多数装備しており、近づけば近づくほど反撃を受ける可能性が高まる。しかし、当たればB-29のエンジンや燃料タンクを一撃で破壊できる可能性がある。
「死ぬかもしれないが、当たれば落とせる。」
ホ301搭載型の鍾馗は、その覚悟を形にした機体だった。
4-3 12.7mm四門の標準型
ホ301を搭載しない標準型(II型乙)は、12.7mm機関砲(ホ103)を4門装備していた。
ホ103は信頼性が高く、弾道特性も素直な優秀な機関砲だ。疾風(Ki-84)にも採用されている。
12.7mm×4門は、対戦闘機戦では十分な火力だ。相手が単発戦闘機であれば、短いバーストで致命傷を与えられる。対爆撃機でも、エンジンやコクピットを狙えば効果はある。
ただし、B-29のような巨大で頑丈な機体を短時間で「落とす」には、やはり火力不足感は否めなかった。これが、ホ301という極端な選択を生んだ背景でもある。
4-4 鍾馗の戦い方:上昇→先行→一撃→離脱
鍾馗の基本戦術は、一撃離脱だ。
- 高度を稼ぐ:敵爆撃機や敵戦闘機より高い位置を先に取る。鍾馗の上昇力はこのためにある。
- 速度を作る:浅いダイブで入口速度(350〜450km/h程度)を作り、突入態勢に入る。
- 短時間射撃:接近して1〜2秒の短いバースト。当たっても当たらなくても、射撃は短く。
- 上抜け離脱:速度を保ったまま上方へ抜ける。絶対に旋回戦に持ち込まない。
- 再上昇:温度と速度を回復しながら再上昇。同じ軌道を反復。
この「上がる→落とす→抜ける」のテンポを守れるかどうかが、鍾馗乗りの生死を分けた。
4-5 格闘戦は「土俵外」
鍾馗で格闘戦を仕掛けるのは自殺行為だ。
隼やP-40と水平旋回で競り合えば、ほぼ確実に負ける。鍾馗の翼は小さく、低速域では揚力が足りない。旋回を続ければエネルギーを失い、失速に近づく。
相手が格闘戦を仕掛けてきたら、速度を保って離脱する。追ってきたら、上昇で引き離す。絶対に「付き合わない」。
この割り切りができないパイロットは、鍾馗で生き残れなかった。
第5章 開発の歴史:試作から制式採用まで

5-1 キ44の誕生(1938年〜1940年)
1938年、陸軍航空本部は中島飛行機に「キ44」の試作を指示した。設計主務は小山悌(おやま やすし)。
要求性能は当時としては野心的だった。最高速度600km/h、上昇力は5,000mまで5分以内。これを実現するために、従来の「軽戦」思想を捨て、「重戦」路線を採用することになった。
1940年(昭和15年)8月、試作1号機が初飛行。速度と上昇力は期待通りだったが、着陸特性の難しさがすぐに問題となった。
5-2 実用試験と改良(1941年〜1942年)
試作機は満州や南方戦線で実用試験を受けた。
パイロットからの評価は二分された。速度と上昇力を評価する声がある一方、「隼と違いすぎる」「着陸が怖い」という声も多かった。
陸軍内部でも、鍾馗を主力として採用するか、あくまで補助的な存在に留めるかで議論があった。結局、「隼を主力とし、鍾馗は迎撃・重戦として併用する」という方針が固まった。
1942年(昭和17年)、正式に「二式単座戦闘機」として制式採用。以降、本土防空を中心に配備が進んだ。
5-3 II型への進化
I型で指摘された問題点を改良したのがII型だ。
エンジンをハ109に強化(離昇出力約1,520馬力) 武装を12.7mm×4に統一(II型乙) 主翼の一部改良 照準器の改善
II型になって、鍾馗は本来の性能を発揮できるようになった。特にB-29迎撃が本格化する1944年以降、II型乙およびII型丙が本土防空の主力として活躍することになる。
5-4 生産と配備
鍾馗の総生産数は約1,225機。隼(約5,900機)や疾風(約3,500機)と比べると少ないが、迎撃機という特殊な役割を考えれば十分な数だ。
主な生産は中島飛行機の太田工場で行われた。本土防空の拠点である調布、松戸、小月などの飛行場に配備された戦隊が、鍾馗を主力として運用した。
第6章 戦場の鍾馗:本土防空の最前線

6-1 開戦初期:南方戦線での「違和感」
太平洋戦争開戦後、鍾馗は南方戦線にも投入された。ビルマ、マレー、蘭印(インドネシア)などで連合軍機と交戦した記録がある。
しかし、南方での鍾馗は必ずしも主役ではなかった。理由は単純で、南方戦線で求められたのは「長距離護衛」や「対地支援」であり、鍾馗の得意分野ではなかったからだ。
航続距離で劣る鍾馗は、爆撃機の護衛任務には向かない。格闘戦を避ける鍾馗は、敵戦闘機と入り乱れる混戦で主導権を取りにくい。
南方では隼や、のちに飛燕が主力となり、鍾馗は本来の「本土防空」へと役割を収束させていった。
6-2 転機:B-29の登場(1944年)
1944年(昭和19年)6月、中国成都を発進したB-29が初めて九州を爆撃した。そして同年11月、マリアナ諸島を発進したB-29が東京を初めて昼間爆撃。
ここから、鍾馗の真価が問われることになる。
B-29は高度9,000〜10,000mを巡航する。この高度に「間に合う」戦闘機は限られていた。隼では上昇力が足りない。飛燕は液冷エンジンの不調に悩まされていた。疾風はまだ配備途上。
鍾馗は、その「上がる」能力を遺憾なく発揮した。
6-3 飛行第47戦隊:調布の守護者
本土防空で特に名高いのが、調布飛行場を拠点とした飛行第47戦隊だ。
47戦隊は鍾馗II型を主力とし、首都圏上空でB-29迎撃に当たった。編隊を組んで上昇し、高度を確保してから一斉突入。一撃離脱を繰り返し、B-29編隊に食らいついた。
40mm砲「ホ301」を搭載した機体も投入された。至近距離まで肉薄し、巨大な銀翼に砲弾を叩き込む。被弾覚悟の突撃だ。
そして、弾が尽きても、あるいは機体が損傷しても諦めなかったパイロットたちは、最後の手段として「体当たり攻撃」を選んだ。
6-4 体当たり攻撃:窮余の一策
体当たり攻撃は、鍾馗乗りの「日常戦法」ではない。これは誤解されやすい点なので、はっきり言っておきたい。
体当たりは「弾が尽きた」「機体が損傷して射撃できない」「この一機を逃したら大勢の民間人が死ぬ」という極限状況での最後の選択だった。
47戦隊をはじめとする本土防空部隊のパイロットたちは、まず通常の射撃で撃墜を狙った。それが叶わないとき、彼らは自らの命を賭けて敵機にぶつかっていった。
編集部として、この行為を「美談」として消費することには躊躇がある。しかし、彼らが「何を守ろうとしていたのか」を忘れてはならない。調布から飛び立った彼らの眼下には、東京の街があった。そこには家族が、友人が、名も知らぬ多くの人々がいた。
彼らは、その人々を守るために飛んだのだ。
6-5 飛行第70戦隊と加藤建夫
加藤建夫少将(戦死時は中佐)は、「加藤隼戦闘隊」の隊長として有名だが、彼が指揮した飛行第64戦隊は隼を主力としていた。
一方、鍾馗を運用した部隊として知られるのが飛行第70戦隊だ。70戦隊は柏飛行場を拠点とし、首都圏北部の防空を担当した。
70戦隊もまた、B-29迎撃に奮闘した。一撃離脱を基本としつつ、40mm砲での攻撃、そして時には体当たりも辞さない覚悟で戦った。
6-6 夜間迎撃の試み
B-29は1945年に入ると、夜間低高度焼夷弾攻撃へと戦術を転換した。
高度を下げてくるB-29は、鍾馗にとって「届きやすい」相手ではあった。しかし、夜間戦闘には別の問題がある。敵機を見つけること自体が困難なのだ。
鍾馗は本格的な夜間戦闘機ではなく、機上レーダーも搭載していなかった。探照灯や地上誘導に頼りながらの夜間迎撃は、成功率が低かった。
夜間戦闘については、海軍の月光や陸軍の屠龍(Ki-45)のほうが適任だった。鍾馗はあくまで「昼間迎撃機」としての役割が主だったと言える。
第7章 比較:鍾馗 vs 隼 vs 飛燕 vs 疾風 vs 雷電
7-1 日本機内での立ち位置
鍾馗を正しく理解するには、同時代の日本機と比較するのが一番早い。
それぞれの「得意土俵」を整理しよう。
隼(Ki-43):低〜中高度の格闘戦、護衛任務。「横の名手」。旋回で当て時間を作る。
鍾馗(Ki-44):高度先行の邀撃。「上の槍」。上昇力と速度で先手を取り、一撃で決める。
飛燕(Ki-61):中〜高高度の一撃離脱。「縦の刃」。液冷エンジンの細い機首で急降下性能を活かす。
疾風(Ki-84):中高度の総合戦。「万能の答え」。縦横どちらもこなせるバランス型。
雷電(J2M):海軍の局地戦闘機。鍾馗と同じ「上がり勝負」の思想。太いカウルと短翼が特徴。
7-2 鍾馗 vs 隼(Ki-43)
隼は「軽さの哲学」を極めた機体。鍾馗は「重さの合理」を選んだ機体。
隼が得意なこと:低速域での旋回、長時間の格闘、護衛任務での粘り 鍾馗が得意なこと:上昇、高速域での安定、一撃離脱、重武装
両者は「併用」が前提だった。隼が護衛や制空を担い、鍾馗が邀撃を担う。役割分担が明確なら、同じ空で共存できた。
失敗パターンは、鍾馗に隼の仕事(格闘護衛)をさせること。逆もまた然り。隼に高高度迎撃をさせるのは無理がある。
7-3 鍾馗 vs 飛燕(Ki-61)
飛燕は日本で唯一の液冷エンジン戦闘機。ドイツのDB601をライセンス生産したハ40を搭載し、細い機首と急降下性能が自慢だ。
鍾馗と飛燕は、どちらも「一撃離脱」を得意とする点で似ている。しかし、アプローチが違う。
鍾馗:上昇力で先に高度を取り、上から落とす 飛燕:高速域の舵の効きを活かし、正面から太い射撃を置く
実戦では、鍾馗が「上」を押さえ、飛燕が「角度」で仕留める、という役割分担が考えられる。
ただし、飛燕はエンジンの信頼性に問題があった。可動率の差で、鍾馗のほうが「毎日飛べる」という利点があった。
7-4 鍾馗 vs 疾風(Ki-84)
疾風は、鍾馗の後継とも言える存在だ。
鍾馗の「上昇力と速度」を受け継ぎつつ、隼の「操縦の素直さ」も加味。さらに20mm砲を標準装備し、防弾・自封タンクも備えた「総合力の答え」が疾風である。
疾風が登場した1944年以降、新規配備は疾風に移行していった。鍾馗は既存の部隊で使い続けられたが、主役の座は疾風に譲ることになる。
とはいえ、鍾馗は疾風より先に前線にいた。疾風が「もっと早く来ていれば」と言われるのと同様、鍾馗も「もっと数があれば」と思わせる機体だ。
7-5 鍾馗 vs 雷電(J2M)
雷電は海軍の局地戦闘機。鍾馗と同じく「迎撃機」として設計された。
両者の共通点は多い。 ・小さな翼、高い翼面荷重 ・大馬力エンジン ・上昇力と速度優先 ・着陸が難しいという評判 ・本土防空でB-29迎撃に投入
違いは、海軍と陸軍という組織の差、そして武装の方向性だ。雷電は20mm×4を標準とし、鍾馗は12.7mm×4または40mm×2という選択をした。
海軍と陸軍がもっと協力していれば、迎撃機の開発でも効率化できたのではないか。そう思わずにはいられない。
7-6 連合軍機との比較
鍾馗と同時代の連合軍機を並べてみよう。
P-47 サンダーボルト:大馬力(2,000馬力級)の重戦闘機。急降下性能は圧倒的。 P-51 ムスタング:高速・長航続・高高度性能のバランス型。護衛任務の王者。 P-38 ライトニング:双発重戦。上昇力と高高度性能に優れる。
鍾馗がこれらと「正面から殴り合う」のは厳しい。速度でも高高度性能でも、物量でも劣る。
しかし、鍾馗は「本土上空」という限定された土俵で戦った。短距離で上がり、短時間で決着をつける。そのフィールドでは、鍾馗は十分に戦える機体だった。
第8章 展示と保存:鍾馗に会える場所
8-1 現存機の状況
鍾馗の現存機は極めて少ない。完全なオリジナル状態の機体は現存しないと言われている。
しかし、部品や残骸から復元・レストアされた機体、あるいはレプリカは存在する。
8-2 日本国内での展示
知覧特攻平和会館(鹿児島県)
知覧には多くの日本軍機が展示されているが、鍾馗のオリジナル機体は確認されていない。ただし、関連資料や解説パネルで鍾馗について学ぶことは可能だ。他の日本機(隼、飛燕、疾風など)と合わせて見学することで、比較理解が深まる。
河口湖自動車・戦闘機博物館(山梨県)
夏季限定公開の私設博物館。日本機のコレクションが豊富で、鍾馗関連の展示がある可能性もある。訪問前に最新情報を確認することを推奨する。
各地の航空自衛隊基地・資料館 浜松広報館(エアーパーク)など、航空自衛隊の施設には太平洋戦争期の資料が展示されていることがある。鍾馗そのものはなくても、当時の航空戦の背景を学ぶには良い場所だ。
8-3 海外での展示
Planes of Fame(米国・カリフォルニア州チノ) 世界有数の飛行可能レストア機コレクションを持つ博物館。日本機の保有も多く、鍾馗関連の部品や資料がある可能性がある。訪問時は公式サイトで確認を。
National Air and Space Museum(米国・スミソニアン) ワシントンDCおよびダレス空港近くのウドバー・ハジー・センターには、多数の太平洋戦争期航空機が展示されている。鍾馗そのものは未確認だが、関連する日本機(震電など)は展示されている。
8-4 観察ポイント(もし見られたら)
鍾馗の実機やレプリカを見る機会があれば、以下の点に注目してほしい。
主翼の短さ:隼や零戦と比べて、明らかに翼が小さい。これが「高翼面荷重」の視覚的証拠。
機首の太さ:ハ109エンジンを収める大きなカウル。迫力がある。
脚の頑丈さ:高速着陸に耐えるため、脚周りはしっかりしている。
武装配置:主翼の機銃口、あるいは40mm砲の搭載位置を確認。
第9章 プラモデル&ゲームで鍾馗を楽しむ
9-1 プラモデルのおすすめキット
鍾馗は、プラモデルメーカーからもいくつかのキットが発売されている。
ハセガワ 1/48 二式単座戦闘機 鍾馗 日本の老舗メーカーによる定番キット。プロポーションが良く、組みやすい。まずはこれから始めるのがおすすめ。
ハセガワ 1/72 二式単座戦闘機 鍾馗 1/48より小さいスケールで、スペースを取らない。複数機を並べて飛行隊を再現するのにも向いている。
ファインモールド 1/48 キ44 二式単座戦闘機 鍾馗 繊細なモールドとシャープなディテールが特徴。中級者以上におすすめ。
9-2 模型制作のコツ
鍾馗らしさを出すポイントをいくつか挙げておこう。
太い機首を強調:カウルの合わせ目は丁寧に消し、面を滑らかに。機首の「塊感」を大事に。
短い翼のシルエット:翼端の処理を丁寧に。翼の「短さ」が鍾馗のアイデンティティ。
排気汚れ:カウル側面から後方へ薄く排気の汚れを入れると、「よく飛んだ機体」の雰囲気が出る。
40mm砲を選ぶなら:ホ301搭載型を再現する場合、翼下の砲身を目立たせる。これが鍾馗の「本土防空仕様」の象徴だ。
9-3 塗装バリエーション
鍾馗の塗装は、陸軍機らしいオリーブドラブ系が基本だ。
上面:濃緑色または茶褐色系 下面:灰色または銀(無塗装に近い機体もあり) 識別帯:主翼前縁の黄色帯、胴体の白帯など(部隊・時期による)
特に飛行第47戦隊の機体には、尾翼や胴体に独自のマーキングがあった。資料を参照しながら、特定の機体を再現するのも楽しい。
9-4 ゲームでの鍾馗(War Thunder等)
War Thunderをはじめとするフライトシムやアーケードゲームでも、鍾馗は登場する。
ゲームでの鍾馗の特徴: ・上昇力が高い ・最高速度は同ランク帯では優秀 ・旋回性能は劣る ・武装は12.7mm×4または40mm×2
運用のコツ: ・高度を先に取る。開幕から上昇に専念し、敵より高い位置を確保。 ・一撃離脱を徹底。ダイブで速度を乗せ、短いバーストで当てて、上抜け。 ・格闘戦に巻き込まれたら即離脱。無理に回らない。 ・40mm砲は「置き撃ち」で使う。相手の進路を予測して弾を置く。
ゲームでも、鍾馗は「上がって落とす」という実機と同じ思想で戦うのが正解だ。
第10章 よくある誤解Q&A
Q1. 鍾馗は「最弱の日本機」?
A. 違う。格闘戦では確かに隼や零戦に劣るが、迎撃機としての能力は優秀。「土俵が違う」だけだ。
Q2. 「殺人機」と呼ばれるほど欠陥機だった?
A. 着陸特性が難しかったのは事実。しかし、それは設計欠陥ではなく、高翼面荷重設計の必然。熟練すれば問題なく扱えた。
Q3. B-29を何機も撃墜した?
A. 鍾馗によるB-29撃墜の記録はある。ただし、B-29は極めて頑丈で、単機で仕留めるのは困難だった。隊全体での協力攻撃が基本。
Q4. 40mm砲は当たらない?
A. ホ301は初速が低く、遠距離では当たらない。至近距離(50〜150m)まで肉薄する必要があった。当たれば効果は絶大。
Q5. 隼より鍾馗のほうが強い?
A. 比較の軸による。格闘戦なら隼、迎撃戦なら鍾馗。「強い」の定義が違う。
Q6. 疾風が出たら鍾馗は要らなくなった?
A. 疾風は確かに総合力で優れていたが、既存の鍾馗装備部隊は終戦まで鍾馗で戦い続けた。機種転換には時間がかかる。
Q7. 体当たり攻撃は「狂気」だった?
A. 窮余の一策であり、常用戦法ではない。通常攻撃が不可能な状況での最後の選択だった。
Q8. 鍾馗は何機作られた?
A. 約1,225機。迎撃機としては十分な数だが、隼や疾風より少ない。
Q9. 現存機はある?
A. 完全なオリジナル機体はないとされる。部品や復元機、レプリカは一部存在。
Q10. 鍾馗を操縦したエースはいる?
A. 飛行第47戦隊や第70戦隊には、複数の撃墜記録を持つパイロットがいた。ただし、「エース」の定義(5機以上撃墜)を満たすかは資料による。
第11章 まとめ:鍾馗とは何だったのか
11-1 日本陸軍が出した「別解」
鍾馗は、日本陸軍が「軽戦」思想を脱却して生み出した最初の本格的重戦闘機であり、迎撃機だった。
「曲がらない」という批判は、裏を返せば「曲がることを捨てた」という設計上の決断だ。その代償として得た「上昇力」「速度」「頑丈さ」は、B-29迎撃という任務で真価を発揮した。
11-2 悔しさの残る機体
鍾馗は、もっと評価されてもいい機体だと僕は思う。
確かに、隼のような「華」はない。零戦のような「伝説」もない。しかし、本土の空を守るために毎日飛び続けた鍾馗乗りたちの献身は、決して忘れてはならない。
調布から飛び立ち、B-29に突入していった彼らは、何を見ていたのだろうか。眼下に広がる東京の街。守るべき人々。そして、巨大な銀色の敵機。
彼らは「曲がらない」戦闘機で、「逃げない」戦いを選んだ。
11-3 私たちにできること
鍾馗という機体を知り、その背景にあった設計思想と、それを操った人々の物語を学ぶこと。それが、今を生きる私たちにできる「敬意」の示し方だと思う。
もし機会があれば、プラモデルを作ってみてほしい。太い機首を組み立てながら、「この機体で本当に飛んだ人がいた」と想像してほしい。
ゲームで鍾馗を操縦するなら、上昇して、落として、抜ける。その一連の動作が、80年前の空で繰り返されていたことを思い出してほしい。
鍾馗は、日本の戦闘機史において「忘れられがちな名機」かもしれない。しかし、だからこそ、僕たちが語り継ぐ価値がある。
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おわりに
鍾馗(Ki-44)は、日本陸軍が「迎撃」という問いに正面から答えた戦闘機だった。
「曲がらない」という評判は、設計者の意図した通りの結果だ。彼らは、曲がることよりも「上がること」「追いつくこと」「一撃で決めること」を選んだ。
その選択が正しかったかどうかは、歴史が証明している。鍾馗は、本土防空の最前線でB-29と戦い続けた。40mm砲を抱えて肉薄し、時には体当たりすら辞さない覚悟で。
僕たちは、その勇気と、その悔しさを、忘れてはならない。
鍾馗という名の戦闘機が、確かにこの空を飛んでいたことを。

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