ノーラン監督の『オデュッセイア』が公開されてから、よく見かける疑問がある。あれはブラッド・ピットの『トロイ』の続きなのか。先に『トロイ』を観ておいたほうがいいのか。
答えは、半分イエスで半分ノーだ。
映画としては、二本はまったくの無関係である。製作会社も監督も脚本家も俳優も違うし、公開は22年離れている。続編でもリブートでもない。
ところが物語としては、きれいにつながっている。『トロイ』が描くのはトロイア戦争、『オデュッセイア』が描くのはその戦争が終わったあとの帰り道。原典でいえば、前者はホメロスの『イリアス』とその周辺、後者は同じホメロスの『オデュッセイア』が下敷きで、主人公オデュッセウスは『トロイ』にも出ている。だから『トロイ』を前日譚として観ること自体は、十分にありだ。
ただし、そのつもりで続けて観ると、少なくとも4か所で話が噛み合わなくなる。『トロイ』で死んだはずの人物が、『オデュッセイア』では生きて客をもてなしているのだ。この記事では二本の関係を、原典、時系列、作品としての違いの順に整理する。後半は『トロイ』の結末に触れるので、未見の人は注意してほしい。
先に結論
- 映画としては無関係。続編ではない
- 物語の時系列は『トロイ』が先、『オデュッセイア』が後。原典どうしが前編と後編の関係にある
- 『トロイ』は原典をかなり変えているので、前日譚として観ると矛盾が出る。矛盾を知ったうえで観るぶんには、人物の予習として役に立つ
二本の基本データ
| 項目 | トロイ | オデュッセイア |
|---|---|---|
| 公開 | 2004年 | 2026年(日本は9月11日) |
| 監督 | ウォルフガング・ペーターゼン | クリストファー・ノーラン |
| 脚本 | デヴィッド・ベニオフ | クリストファー・ノーラン |
| 製作・配給 | ワーナー・ブラザース | ユニバーサル |
| 上映時間 | 163分(後に196分のディレクターズ・カット) | 172分 |
| 下敷きの原典 | 『イリアス』と周辺の伝承 | 『オデュッセイア』 |
| 描く出来事 | ヘレネの出奔から落城まで | 落城後の10年と帰郷 |
| 主人公 | アキレウス(ブラッド・ピット) | オデュッセウス(マット・デイモン) |
| オデュッセウス役 | ショーン・ビーン | マット・デイモン |
| 神々の扱い | 画面に出さない | 女神アテナなどを俳優が演じる |
| 撮影 | 大規模セットとCGの軍勢 | 全編IMAXフィルムカメラ |
『オデュッセイア』の数字は日本の公式サイトと公開時の報道によるものだ。アメリカではR指定、日本の区分はGで公開されている。
原典の関係:ホメロスの二本立て

二本の映画の関係を理解するには、原典の関係を押さえるのが早い。
古代ギリシャには、トロイア戦争の発端から英雄たちの帰還までを語る一連の叙事詩があった。そのうち完全な形で残ったのが、ホメロスの名で伝わる『イリアス』と『オデュッセイア』の二つだけである。
| 時期 | 出来事 | 語る作品 |
|---|---|---|
| 発端 | 黄金の林檎、パリスの審判、ヘレネの連れ去り | 失われた叙事詩と後世の神話集 |
| 戦争10年目の約50日 | アキレウスの怒り、パトロクロスの死、ヘクトルの死と葬儀 | 『イリアス』 |
| その後 | アキレウスの死、武具争い、木馬、落城 | 失われた叙事詩、『アエネイス』など |
| 戦後の10年 | オデュッセウスの放浪と帰郷、求婚者の討伐 | 『オデュッセイア』 |
大事な点が二つある。ひとつは、『イリアス』は戦争のごく一部しか描いていないこと。木馬も落城もアキレウスの死も出てこず、ヘクトルの葬儀で終わる。もうひとつは、『オデュッセイア』が『イリアス』の直接の続きではなく、間に落城をはさんだ後日談だということ。木馬の話は、実は『オデュッセイア』の中の回想として語られる。このあたりはイリアスとオデュッセイアの違いを時系列で整理した記事に詳しく書いた。
つまり映画『トロイ』は、『イリアス』だけを映画化したものではない。表の上から三段ぶん、発端から落城までを163分にまとめた作品である。クレジットの表記も、ホメロスの『イリアス』に着想を得た、という控えめな言い方になっている。
時系列で並べるとこうなる

| 順番 | 出来事 | トロイ | オデュッセイア |
|---|---|---|---|
| 1 | パリスがヘレネを連れ去る | 描く | 前提として語られる |
| 2 | ギリシャ連合軍の上陸と戦争 | 描く | 描かない |
| 3 | アキレウスとヘクトルの決闘 | 山場として描く | 描かない |
| 4 | 木馬と落城 | 終盤で描く | 回想として描く |
| 5 | 英雄たちの帰国 | 描かない | 物語の出発点 |
| 6 | 10年の放浪 | 描かない | 本編 |
| 7 | イタケへの帰郷と求婚者の討伐 | 描かない | 本編の山場 |
重なっているのは4番の木馬と落城だけだ。『オデュッセイア』の公式サイトのあらすじでも、息子テレマコスがスパルタで聞かされる昔話として、木馬作戦と落城が語られることになっている。公開時の特別映像には巨大な木馬と戦火に包まれる街のセットが映っていたから、回想とはいえ相当な規模で撮られているのは間違いない。
時系列だけ見れば、『トロイ』の最後の場面からそのまま『オデュッセイア』の冒頭につながる。問題は、つながるはずの部分の中身が違うことだ。
『トロイ』を前日譚にすると噛み合わない4つの点

ここからは『トロイ』の結末に触れる。
矛盾1:メネラオスが死んでいる
『トロイ』では、ヘレネの夫であるスパルタ王メネラオスが、戦争の序盤でヘクトルに刺し殺される。パリスとの一騎打ちに勝ちかけたところで、弟をかばったヘクトルに倒されるのだ。
原典のメネラオスは最後まで生き残る。そして『オデュッセイア』では、父を探す旅に出たテレマコスをスパルタの宮殿で迎える重要な役どころである。ノーラン版の公式サイトでも、ジョン・バーンサル演じるメネラオスが、テレマコスに父の物語を聞かせる人物として紹介されている。
『トロイ』の世界線では、この場面は成立しない。
矛盾2:ヘレネがスパルタに帰っていない
『トロイ』の結末で、ヘレネは炎上する都から抜け道を通って逃げのびる。夫はすでに死んでいるので、スパルタに戻る理由もない。
原典では、落城の夜にメネラオスが彼女を取り戻し、長い回り道のすえ二人でスパルタに帰る。『オデュッセイア』第4歌で、戦争の原因になった二人が何事もなかったように並んで客をもてなす場面は、全編でも指折りの気まずさで、私の好きなところだ。ノーラン版でもルピタ・ニョンゴ演じる王妃ヘレネがメネラオスと並んで登場することが、公式のあらすじに書かれている。
矛盾3:アガメムノンがトロイアで死んでいる
『トロイ』の総大将アガメムノンは、強欲な侵略者として描かれ、落城の夜に神殿で刺されて死ぬ。悪役が報いを受けて観客がすっきりする、映画としては分かりやすい締め方だ。
原典の彼はトロイアでは死なない。勝って帰国し、その日のうちに自宅で、妻クリュタイムネストラとその愛人に殺される。この「凱旋した総大将が自宅で暗殺された」という事件は、『オデュッセイア』の全編に影を落としている。オデュッセウスが乞食に変装して用心深く帰宅するのも、夫を殺したクリュタイムネストラと夫を待ち続けたペネロペが何度も対比されるのも、この事件が前提だ。ノーラン版の公式キャストにもクリュタイムネストラの名がある。その対比についてはペネロペの記事で書いた。
矛盾4:戦争が10年続いていない
『トロイ』の戦争は、上陸から落城まで数週間ほどの出来事に見える。登場人物は誰も年を取らない。
原典では戦争だけで10年かかっている。『オデュッセイア』の重さは、この10年に放浪の10年が足されて、合計20年家を空けたというところから来ている。出征のとき赤ん坊だった息子が20歳の青年になり、妻は20年待ち、飼い犬は老いて主人の帰りを見届けて死ぬ。数週間の戦争のあとでは、この20年が成り立たない。
おまけ:アキレウスの死に場所
矛盾というより原典との違いだが、『トロイ』のアキレウスは木馬の中に潜んで城内に入り、落城の混乱のなかでパリスに射られる。原典では、彼は木馬作戦より前に戦死している。だからこそ遺された武具をめぐって争いが起き、オデュッセウスが策略で城を落とす必要が出てくるのだ。『オデュッセイア』の冥界の場面に彼の魂が出てくることも含めて、本来の物語はアキレウスの記事にまとめた。
それでも『トロイ』が予習になる理由
ここまで読むと『トロイ』は観なくていいように思えるかもしれないが、私の意見は逆である。矛盾を知ったうえでなら、これほど手軽な予習はない。
顔と名前が一致する
『オデュッセイア』は、観客がトロイア戦争の人物をある程度知っている前提で進む物語だ。メネラオス、ヘレネ、アガメムノン、アキレウスといった名前が、説明抜きで会話に出てくる。『トロイ』を一度観ておけば、少なくとも誰が誰の兄で、誰の妻が連れ去られて、誰がいちばん強かったのかは頭に入る。文字で整理したい人にはトロイア戦争の登場人物一覧・相関図を用意してある。
| 人物 | トロイ | オデュッセイア |
|---|---|---|
| オデュッセウス | ショーン・ビーン | マット・デイモン |
| メネラオス | ブレンダン・グリーソン | ジョン・バーンサル |
| ヘレネ | ダイアン・クルーガー | ルピタ・ニョンゴ |
| アキレウス | ブラッド・ピット | 公式キャストに記載なし |
| ヘクトル | エリック・バナ | 公式キャストに記載なし |
ショーン・ビーンのオデュッセウス
『トロイ』のオデュッセウスは脇役だが、印象は強い。渋るアキレウスを口説いて戦争に連れ出し、兵士が木彫りの馬を削っているのを見て木馬を思いつき、物語の最初と最後で語り手を務める。最後の台詞は、いつか私の物語が語られるなら、私は巨人たちとともに歩いたと言ってほしい、というものだ。
22年後に、本当に彼の物語が3時間近い大作として語られることになった。続編ではないと分かっていても、この台詞のあとに『オデュッセイア』を観ると、少し感慨がある。人物像そのものはオデュッセウスとは何者かを解説した記事を見てほしい。
ヘクトルとプリアモスの場面
『トロイ』でいちばん評価が高いのは、エリック・バナのヘクトルと、ピーター・オトゥール演じる老王プリアモスが敵陣に息子の遺体を乞いに行く場面だろう。ここは原典の『イリアス』第24歌にかなり忠実で、映画全体の改変の多さを補って余りある。原典のヘクトルについてはヘクトールの記事に書いた。
作品としての違い

神々を出すか、出さないか
『トロイ』の最大の決断は、神々を画面から消したことだ。原典では神々が戦場に降りてきて槍をそらし、英雄をさらって逃がすが、映画はそれを全部やめて、人間だけの歴史劇にした。アキレウスの母テティスも、浅瀬で貝を拾う年配の女性として一度出てくるだけで、女神らしいことは何もしない。
ノーラン版は逆に、女神アテナ、魔女キルケ、海の女神カリュプソに名のある俳優を当てている。『オデュッセイア』は怪物と女神の島をめぐる物語なので、消してしまうと話が成り立たないという事情もあるだろう。原作とどこを変えたかは映画『オデュッセイア』と原作の違いをまとめた記事に譲る。
戦争映画か、帰還兵の映画か
ミリタリー好きの目で見ると、二本はジャンルが違う。
『トロイ』は戦争映画である。見せ場は千隻の船団、浜への強襲上陸、盾を並べた密集隊形どうしの押し合い、そして一対一の決闘だ。アキレウスが先頭の一隻で浜に乗り上げて橋頭堡を取る場面は、古代版の上陸作戦として今見ても迫力がある。装備の考証は時代がかなり混ざっていて、実際の青銅器時代の武具とは別物だが、そのあたりはトロイア戦争時代の武器と鎧を出土品から読む記事と見比べると面白い。木馬作戦の軍事的な読み解きはトロイの木馬の記事でやった。
『オデュッセイア』は、戦争が終わったあとの映画だ。勝った側の兵士が、家に帰り着けない。部下を全員失い、帰ってみれば家は他人に占拠されている。これは古代から現代まで繰り返されてきた帰還兵の物語で、その観点は映画『オデュッセイア』は実話なのかを検証した記事でも触れた。戦争映画の名作をまとめて観たい人は戦争映画ランキングの記事もどうぞ。ノーラン監督の『ダンケルク』も、考えてみれば「帰る」ことだけを描いた戦争映画だった。
撮り方
『トロイ』は2000年代前半の大作らしく、実物大のセットとCGで増やした大軍勢の組み合わせで作られている。『オデュッセイア』は、長編映画として初めて全編をIMAXフィルムカメラで撮影したことが売りで、海も木馬も実物を相手に撮ったと宣伝されている。同じ古代ギリシャを、20年の技術差と、正反対の思想で撮った二本として見比べる楽しみもある。
どの順番で観るか
三つの観方を挙げておく。
一つ目は、時系列どおりに『トロイ』から『オデュッセイア』へ。人物の予習になり、ショーン・ビーンの最後の台詞が効く。ただしこの記事の4つの矛盾は頭に入れておくこと。メネラオスが出てきた瞬間に、あれ、この人は死んだはずでは、と引っかからないために。
二つ目は、『オデュッセイア』を先に劇場で観て、あとから『トロイ』で戦争本編を補う順番。上映中の大作を優先するならこちらだ。回想で断片的に語られた戦争を、あとから一本の映画として確認できる。
三つ目は、『トロイ』を観ずに、原典のあらすじだけ押さえて『オデュッセイア』に行く方法。矛盾に悩まされないという意味では、これがいちばんすっきりする。
『トロイ』は公開から20年以上経った作品なので、配信サービスでの扱いは時期によって入れ替わる。観る前に各サービスの配信状況を確認してほしい。
そのほかの映像化
参考までに、同じ題材のおもな映像作品を挙げる。
| 作品 | 年 | 内容 |
|---|---|---|
| ユリシーズ | 1954年 | カーク・ダグラス主演。『オデュッセイア』の古典的な映画化 |
| The Odyssey(テレビ映画) | 1997年 | アーマンド・アサンテ主演。戦争から帰郷までを通しで描く |
| オー・ブラザー! | 2000年 | コーエン兄弟が『オデュッセイア』を1930年代のアメリカ南部に翻案 |
| トロイ | 2004年 | 本記事で扱った戦争編 |
| トロイ伝説:ある都市の陥落 | 2018年 | 戦争をトロイア側から描いた連続ドラマ |
マット・デイモン主演の2015年の映画『オデッセイ』は、火星に取り残された宇宙飛行士の話で、題名が似ているだけの別物だ。検索すると混ざって出てくるので念のため。
映画のあとは原典へ

二本の映画を観て矛盾が気になりだしたら、原典を読む頃合いである。岩波文庫の松平千秋訳で『イリアス』も『オデュッセイア』も上下二冊ずつ。『トロイ』が変えた部分、つまりメネラオスの生還、アガメムノンの最期、アキレウスの死に場所が、なぜ原典ではああなっているのかが分かると、『オデュッセイア』の人物配置の意味が一段深く見えてくる。
もともと耳で聞くための詩なので、音声との相性もいい。ギリシャ神話の入門書を移動中に流しておくだけでも、人名への抵抗はかなり減る。
現地に行くなら、トルコ北西部のチャナッカレだ。近郊に世界遺産のトロイ遺跡があり、市内の海沿いには映画『トロイ』の撮影で使われた木馬が展示されている。遺跡の入口にある観光用の木馬とは別物で、映画ファンならこちらも見ておきたい。遺跡の史実性についてはトロイア戦争は本当にあったのかを検証した記事にまとめた。
よくある質問
『オデュッセイア』は『トロイ』の続編なのか
続編ではない。製作会社、監督、俳優がすべて異なる独立した作品である。ただし下敷きの原典どうしが前後の関係にあるため、物語の時系列はつながっている。
『トロイ』を観ていなくても『オデュッセイア』は楽しめるのか
楽しめる。公式のあらすじによれば、戦争と木馬の経緯は作中の回想で語られる。人物関係だけ事前に押さえておけば十分だ。
『トロイ』にオデュッセウスは出てくるのか
出てくる。ショーン・ビーンが演じ、木馬を発案し、物語の語り手も務めている。
『トロイ』は原作に忠実なのか
大筋は『イリアス』に沿っているが、神々を登場させない、戦争を短期間にまとめる、メネラオスやアガメムノンをトロイアで死なせるなど、大きな変更が多い。
木馬はどちらの映画にも出てくるのか
出てくる。『トロイ』では終盤の見せ場として、『オデュッセイア』では回想の中で描かれる。なお原典の『イリアス』には木馬は登場しない。
マット・デイモンの『オデッセイ』とは関係があるのか
ない。2015年の『オデッセイ』は火星を舞台にしたSF映画で、題名の由来が同じ叙事詩というだけである。
つながらないから面白い
二本の映画は、同じ神話から出発して別々の道を行った。『トロイ』は神々を消し、悪役に罰を与え、戦争を数週間に縮めて、一本で完結する歴史劇にした。だから総大将はその場で死ぬし、ヘレネは逃げのびる。続きを必要としない終わり方だ。
原典はそう終わらない。勝った側が帰り道で散り散りになり、総大将は自宅で殺され、いちばんの知恵者が10年さまよう。戦争は落城で終わらず、帰り着くまでが戦争だ、というのがホメロスの見立てで、『オデュッセイア』はその後半を引き受ける物語である。
『トロイ』が切り落とした「その後」を、22年後に別の監督が別の会社で撮った。そう考えると、矛盾だらけの二本立ても悪くない。噛み合わないところを見つけるたびに、原典が何を大事にしていたのかが分かるからだ。
シリーズの全体はオデュッセイア特集のページから辿れる。
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出典・参考
- ホメロス『イリアス』上・下、『オデュッセイア』上・下(松平千秋訳、岩波文庫)
- アポロドーロス『ギリシア神話』(高津春繁訳、岩波文庫)
- 映画『トロイ』(2004年、ワーナー・ブラザース)本編
- 映画『オデュッセイア』日本公式サイト(キャスト・ストーリー、2026年9月閲覧)
- 4Gamer.net、映画ナタリーほか『オデュッセイア』公開時の報道(2026年9月)
原典・公式資料
最後まで読んでくれた読者に感謝する。二本続けて観ると5時間半を超えるので、飲み物は多めに用意しておくことを勧める。






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