第二次世界大戦(WW2)で、実際に銃を取り、空を飛び、戦車を駆った女性兵士たちがいた。本記事ではWW2の女性兵士を「戦果・実績」「戦場での影響力」「歴史的先駆性」「後世への影響」の四軸で評価し、ランキングTOP10として徹底的に解説する。結論から言えば、頂点に立つのは確認戦果309名という記録を残したソ連の女性スナイパー、リュドミラ・パブリチェンコである。だが、彼女ひとりでこの大戦の女性兵士を語り尽くすことはできない。夜空を滑空してドイツ兵を眠らせなかった「夜の魔女」、スターリングラードの空に白い百合を描いた史上初の女性撃墜王、夫の仇を討つために私財で戦車を買った戦車兵──兵科も国籍も異なる十人を、数字と一次資料を軸に並べていく。
第二次世界大戦の女性兵士という主題は、ともすれば感傷的に語られがちだ。しかしこのサイトでは、できる限り確認戦果や公式記録に立ち返り、彼女たちが「兵士として」何を成したのかを冷静に追う。同時に、二十歳そこそこで戦死した者が少なくないという事実の重みも、見ないふりはしない。それでは始めよう。

- 1位は確認戦果309名のリュドミラ・パブリチェンコ。
- 夜の魔女、白い百合、戦友号T-34など、数字だけでなく戦場での影響力も評価する。
- ソ連偏重は趣味ではなく、女性を大規模に戦闘投入した史実そのものによる。
- 日本軍や西側諸国との違いも比較し、女性兵士という主題を感傷だけで終わらせない。
なぜ「女性兵士」のランキングが成立するのか
まず押さえておきたい前提がある。第二次世界大戦において、女性を前線の戦闘任務に大規模投入した国は、事実上ソビエト連邦だけだったという点だ。
米英をはじめ多くの連合国も女性を動員したが、その役割は工場労働、後方支援、通信、看護、あるいは機体の輸送(フェリー)が中心で、原則として敵と直接撃ち合う任務には就かせなかった。枢軸国側のドイツは、ナチスのイデオロギーが「女性は家庭へ」という思想であったため、女性の戦闘参加は終戦間際の高射砲補助などを除けば極めて限定的だった。そして我々が普段扱う大日本帝国も、女子挺身隊や従軍看護婦という形で女性を戦争に組み込みはしたものの、銃を持たせて第一線へ送ることはしなかった。日本軍がいかに兵力に窮しても女性兵士という発想を採らなかったのは、当時の社会通念を考えれば当然とも言える。この対比は、旧軍を追いかけてきた読者ほど興味深く映るはずだ。日本の指揮官たちの判断を多面的に知りたいなら、第二次世界大戦・大日本帝国軍 名将ランキングも併せて読んでほしい。
その点でソ連は異質だった。米シアトルの航空博物館(Museum of Flight)の解説によれば、終戦までにソ連軍では約50万人もの女性が戦闘的役割を含む形で従軍し、そのうち89名が最高位の「ソ連邦英雄」称号を得たとされる。独ソ戦という人類史上最大の絶滅戦争が、ソ連社会に「性別を問わず使える者は全て使う」という総力戦の論理を強いた結果である。バルバロッサ作戦で始まった独ソの死闘がどれほど苛烈だったかは、独ソ戦の全貌を解説した記事や、バルバロッサ作戦の完全ガイドを読むと背景が掴める。
つまり本ランキングが結果的にソ連の女性兵士に偏るのは、筆者の趣味ではなく、史実そのものがそうなっているからだ。その中に、英国の特殊作戦執行部(SOE)が送り込んだ西側の女性工作員を加えることで、この大戦に女性が関わった二つの極──「正規軍の戦闘員」と「敵地に潜む破壊工作員」──の両方を見ていく。
選定基準|女性スナイパーから夜間爆撃機まで、何を評価したか
- 確認戦果・出撃回数・撃墜数など、数字で追える実績。
- 敵の士気や作戦行動に与えた圧力。
- 女性撃墜王、女性戦車兵英雄などの歴史的先駆性。
- 映画化・評伝化され、後世にどれだけ記憶されたか。
ランキングの順位は、次の四つの観点を総合して決めた。一兵科の数字だけで横並びに比較できる主題ではないため、複数の物差しを併用している。
第一に「戦果・実績」。狙撃兵であれば確認戦果、戦闘機搭乗員であれば撃墜数、爆撃航空連隊であれば出撃回数と投下爆弾量、工作員であれば破壊工作や情報伝達の実効性を見る。数字が残っている者は、その数字を最大限尊重した。
第二に「戦場での影響力」。単なる撃破数を超えて、敵の士気や作戦行動にどれだけ圧力をかけたか。夜通し爆撃を続けてドイツ兵を不眠に追い込んだ部隊や、捕らえれば独軍パイロットに鉄十字章が与えられた女性飛行士は、戦果の数字以上の重みを持つ。
第三に「歴史的先駆性」。史上初の女性撃墜王、ソ連邦英雄を受けた初の女性戦車兵といった「最初の一人」は、後続への扉を開いた存在として高く評価した。
第四に「後世への影響」。映画化・書籍化され、現代に至るまで語り継がれているかどうか。歴史は記憶されて初めて歴史になる。この観点は、読者が「もっと知りたい」と感じる入口でもある。
彼女たちの生涯をより深く追いたい読者には、戦史や人物の評伝を音声で聴けるオーディオブックが向いている。通勤や模型制作の手を動かしながらでも頭に入るので、長い評伝を一冊通すのに使い勝手がよい。
なお、本記事は「女性であること」を評価軸にしているわけではない。あくまで第二次世界大戦の戦場で兵士として何を成したかを並べたものだ。純粋に狙撃という技術の極北を知りたい場合は第二次世界大戦の最強スナイパーランキングを、撃墜王全体の系譜ならWW2エースパイロットランキングを、戦車兵の撃破記録ならWW2戦車エースランキングを参照してほしい。本ランキングはそれらと意図的に切り口を分けている。
第二次世界大戦 女性兵士ランキング TOP10
ここからが本編である。第10位から順に、頂点へと上がっていく。
第10位 マリナ・ラスコバ|「ソ連のアメリア・イアハート」が開いた扉

国籍:ソ連/兵科:航空(ナビゲーター・部隊創設者)/役割:女性三個航空連隊の編成/勲章:ソ連邦英雄(戦前授与)
ランキングの口火を切るのは、自身の撃墜数や戦果ではなく「仕組みを作った」功績で選んだ人物だ。マリナ・ラスコバは独ソ戦が始まる前から長距離飛行記録で名を馳せた国民的英雄で、しばしば「ソ連のアメリア・イアハート」と呼ばれた。ソ連空軍初の女性ナビゲーターでもある。
1941年にドイツが侵攻すると、彼女のもとには全国の女性飛行士から「自分にできることはないか」という手紙が殺到した。ラスコバはその声を束ね、スターリンに直訴して女性だけの三個航空連隊を編成させる。すなわち第586戦闘航空連隊、第587爆撃航空連隊、そして後に「夜の魔女」として伝説となる第588夜間爆撃航空連隊である。この三部隊がなければ、本ランキングの上位に並ぶ女性飛行士たちのほとんどは、そもそも空に上がる機会すら得られなかった。
ラスコバ自身は前線指揮官として爆撃連隊を率いたが、1943年1月、悪天候下の移動飛行中に事故死する。組織を作り、後進に道を譲り、自らは静かに散った先駆者だ。撃墜数で測れば上位には入らない。しかし「最初に扉を開けた者」を評価する本ランキングの趣旨において、彼女を外すわけにはいかなかった。
なお、男性も含めた撃墜王の系譜の出発点を知りたいなら、ひとつ前の大戦の英雄を扱った第一次世界大戦エースパイロットランキングが好対照になる。
第9位 ヴィオレット・ザボ|ステンガンを撃ち尽くした英SOEの工作員
国籍:英国(仏英ハーフ)/兵科:特殊作戦執行部(SOE)工作員/役割:破壊工作・連絡/勲章:ジョージ十字章(死後追贈)
ここから西側の女性が登場する。ヴィオレット・ザボは1921年、英国人の父とフランス人の母のもとに生まれた。射撃の名手として知られ、英国の秘密組織・特殊作戦執行部(SOE)に採用される。
最初の任務は成功させたが、ノルマンディー上陸後の二度目の潜入で独軍に捕捉された。撤退の際、彼女は仲間のマキ(仏レジスタンス)を逃がすため、ステンガンを手に独軍を一人で食い止め、弾を撃ち尽くすまで応戦したと伝えられる。その後、苛烈な尋問と拷問に屈せず情報を漏らさなかったが、ラーフェンスブリュック強制収容所で銃殺された。わずか23歳だった。
戦後、彼女には民間人最高位の勇敢さに与えられるジョージ十字章が追贈された。SOEで実戦投入された女性は数十名にのぼり、その中で三名がこのジョージ十字章を受けている。正規軍の戦闘員とはまったく異なる、敵地に単身潜む工作員という戦い方の苛酷さを、彼女の最期は突きつけてくる。
破壊工作や潜入という任務系統に興味があれば、現代まで連なる精鋭部隊を扱った世界最強特殊部隊ランキングに、その源流の一端を見ることができる。
第8位 エカテリーナ・ブダノワ|史上二人目の女性撃墜王
国籍:ソ連/兵科:戦闘機搭乗員/役割:制空・自由狩猟(フリーハンター)/搭乗機:Yak-1
第8位は、史上に二人しか存在しない「女性撃墜王(エース)」のうちの一人、エカテリーナ・ブダノワである。もう一人は、後述する本ランキング第3位のリディア・リトヴァクだ。二人は親友であり、同じ部隊でYak-1を駆ってスターリングラード上空を戦った戦友同士でもあった。
ブダノワの戦果は、単独撃墜5機・共同撃墜6機と伝えられる。男性主体の戦闘航空連隊に配属され、ベテラン搭乗員に伍して敵機を墜とし続けた腕前は本物だった。だが1943年7月19日、空戦の末に撃墜され戦死する。その12日後、親友リトヴァクも同じく帰らぬ人となった。
女性で撃墜王の称号に到達した者が、大戦を通じてわずか二人。その希少性こそが、ブダノワをこの順位に位置づける理由だ。戦闘機搭乗員という職種の難易度がどれほど高いかは、現代の航空自衛隊パイロットになる方法を読むと、時代を超えて変わらない厳しさが見えてくる。
第7位 ヌール・イナーヤト・ハーン|敵地で送信を続けた孤独な無線手

国籍:英国(印米ハーフ)/兵科:SOE無線通信士/役割:パリの連絡網維持/勲章:ジョージ十字章(死後追贈)
第7位もまたSOEの工作員だ。ヌール・イナーヤト・ハーンは1914年、インド人の父とアメリカ人の母のもとモスクワで生まれ、フランスで育った。スーフィー(イスラム神秘主義)の家系に連なる、戦士とは最も遠い育ちの女性が、戦争は無線通信士へと変えた。
彼女はSOEが敵地フランスへ送り込んだ初の女性無線通信士である。ドイツの無線方向探知機が常に電波の発信源を追う中で、無線手の生存期間は数週間とも言われた。だがハーンは、所属する連絡網が崩壊し仲間が次々と捕らえられた後も、たった一人でパリの通信を維持し続けた。約3か月にわたり送信を続けた末、密告により逮捕される。
過酷な尋問でも仲間の情報を一切漏らさず、1944年9月、ダッハウ強制収容所で処刑された。彼女にも死後、ジョージ十字章が追贈されている。最も非戦闘的な出自の女性が、最も孤独で危険な任務を全うしたという落差が、戦争という現象の不条理を映し出している。
工作員や破壊工作員が背負った「二つ名」や異名の世界に興味が湧いたら、伝説の兵士の二つ名30選も読み応えがある。
第6位 ローザ・シャニナ|東プロイセンを震わせた20歳の狙撃手
国籍:ソ連/兵科:狙撃兵/役割:前線狙撃・対人制圧/確認戦果:59名
第6位は、本ランキングに登場する三人目の女性スナイパー、ローザ・シャニナである。確認戦果は59名。動く目標を一発で仕留める腕前で知られ、独軍からは「東プロイセンの見えざる恐怖」と恐れられた。
特筆すべきは、彼女が後方の安全な狙撃位置に留まることを良しとせず、危険な最前線での戦闘を志願し続けた点だ。狙撃手は本来、自らの位置を秘匿し一撃離脱を旨とする職種だが、シャニナは戦況が押すと前へ出た。その勇敢さが、結果的に彼女の命を縮めることになる。
1945年1月、終戦まであと数か月という時期に、彼女は負傷した砲兵将校を庇って被弾し戦死した。享年20。狙撃という冷徹な技術を極めながら、最期は他者を守るために散ったという生き方が、多くの人の胸を打つ。狙撃手という職種の技術的奥深さをさらに知りたいなら、使用された銃に焦点を当てた最強スナイパーライフルランキングを併読すると理解が深まる。
第5位 ナンシー・ウェイク|ゲシュタポが「白いネズミ」と呼んだ最重要指名手配
国籍:ニュージーランド/英・仏で活動/兵科:SOE工作員・レジスタンス指導者/勲章:ジョージ勲章ほか多数
西側の女性で最上位に置くのが、ナンシー・ウェイクだ。SOEの女性工作員の中でも屈指の武勲を残し、英国のジョージ勲章をはじめ複数国から勲章を授けられた、連合軍随一の女傑である。
ニュージーランドに生まれオーストラリアで育った彼女は、戦前からフランスのマルセイユでフランス人実業家の夫と暮らしていた。やがてレジスタンス活動に身を投じ、連合軍兵士の脱出を助ける中で、その神出鬼没ぶりからゲシュタポに「白いネズミ(The White Mouse)」と呼ばれ、最重要指名手配リストの筆頭に挙げられる。夫はゲシュタポに捕らえられ銃殺された。
1944年4月、彼女はパラシュートでフランスへ降下し、最終的に1,500人規模に膨れ上がったマキ部隊を指揮下に置いた。ある襲撃では、彼女自身が素手で歩哨を倒したとも伝えられる。前述のザボやハーンが「潜入し、捕らえられ、散った」工作員だとすれば、ウェイクは「潜入し、戦い、生き延びて、部隊を率いた」指揮官型の工作員だった。98歳まで生き、戦後も伝説として語り継がれた数少ない一人である。
なお、本ランキングが扱うのは個々の兵士だが、彼女たちが戦った相手である独軍側の指揮官像も知っておくと、戦場の構図が立体的になる。砂漠の狐から防御戦の名手まで揃えた第二次世界大戦ドイツ軍名将ランキングが参考になる。
番外編|空を運んだ女性たち──英ATAと米WASP、そしてスピットファイア

ここで、ランキング本編にこそ入らないが触れておくべき女性たちがいる。英国の航空輸送補助部隊(ATA)と、米国の女性空軍操縦士(WASP)だ。
彼女たちは戦闘任務には就かなかった。だが、工場で完成したばかりのスピットファイアやハリケーンといった軍用機を、最前線基地まで自ら操縦して運ぶ「フェリーパイロット」として、空のロジスティクスを支えた。スピットファイアのような高性能機を、護衛も武装もなく単独で操って飛ばす仕事は、決して安全なものではない。事故で命を落とした者も少なくなかった。本ランキングが「戦闘員としての戦果」を軸にしている以上、彼女たちを上位には置けないが、第二次世界大戦の空を女性が支えた事実は記録しておきたい。
ちなみに、彼女たちが運んだ名機スピットファイアは、模型でも屈指の人気を誇る題材だ。バトル・オブ・ブリテンを戦ったMk.Iは、楕円翼の優美なシルエットを手元で味わえる傑作キットがある。空戦史を立体で理解したい読者には、一機組んでみることを勧めたい。
スピットファイアの好敵手だった独軍機まで含めて空戦の構図を押さえたいなら、第二次世界大戦ドイツ戦闘機ランキングで、Bf109やFw190との性能差を確認しておくとよい。
第4位 マリヤ・オクチャブルスカヤ|私財で戦車を買った「戦友(ボエヴァヤ・ポドルガ)」

国籍:ソ連(ウクライナ出身)/兵科:戦車兵(操縦手・整備手)/搭乗車輌:T-34/勲章:ソ連邦英雄(死後追贈)
第4位は、第二次世界大戦の女性兵士の中でも飛び抜けて異色の経歴を持つ、マリヤ・オクチャブルスカヤだ。1905年、クリミア半島の貧しいウクライナ人家庭に十人兄弟の一人として生まれた彼女は、元は電話交換手だった。
1941年、ソ連軍将校だった夫イリヤが戦死する。悲報を受けた彼女が取った行動は常軌を逸していた。姉妹の分も含めた全財産を売り払い、約5万ルーブルという大金を工面して、その金で赤軍にT-34戦車を一輌寄贈すると申し出たのだ。そしてスターリン宛てに「夫の仇を討ちたい。その戦車を『戦友(ボエヴァヤ・ポドルガ)』と名付け、自分を操縦手として前線へ送ってほしい」と直訴した。クレムリンはこの申し出を承認する。
38歳でオムスク戦車学校に入校した彼女は、操縦と整備を学び、第26親衛戦車旅団に配属された。砲塔に「戦友」の文字を掲げたT-34は、当初こそ周囲から見世物扱いされたが、1943年10月の初陣でその評価は一変する。彼女は激しい砲火の中で巧みに戦車を操り、機関銃陣地や火砲を撃破した。被弾して履帯が損傷すれば、命令を無視してでも砲火の下に飛び出し、自ら修理した。整備手でもある彼女ならではの戦い方だった。
そのT-34という戦車そのものについて少し補足したい。傾斜装甲、広い履帯、ディーゼルエンジンを備えたT-34は、独軍の戦車兵を震撼させた東部戦線の主役であり、史上最大の戦車戦となったクルスクでも大量投入された傑作戦車だ。クルスクの死闘の詳細はクルスクの戦いの完全ガイドに詳しい。この名車は模型でも定番で、筆者の棚にもタミヤの1/35が並んでいるが、砲塔に「戦友」の文字を入れて塗ってみると、これが単なる量産兵器ではなく、一人の女性の復讐と祈りを乗せた器であったことが妙に重く感じられる。T-34の造形を手元で確かめたい読者には、入手しやすい良キットがある。
そのオクチャブルスカヤの戦いは、長くは続かなかった。1944年1月、ベラルーシのクルィンキ付近の戦闘で再び被弾し、彼女は履帯を修理しようと車外へ出た瞬間、砲弾の破片を頭部に受けて昏倒する。二か月の昏睡の末、同年3月15日に戦傷死した。「戦友」号はその後も乗員によって受け継がれ、車輌が破壊されるたびに新車に同じ「戦友」の名が刻まれ、最終的に独領ケーニヒスベルク方面まで進撃したという。彼女は死後、女性戦車兵として初めてソ連邦英雄の称号を授けられた。一輌の戦車に込められた執念が、これほど鮮烈に語り継がれた例を、筆者は他に知らない。
独軍戦車との対決構図をさらに知りたいなら、T-34の好敵手だったパンター戦車の完全ガイドや、最強戦車を比較したドイツ戦車ランキングを読むと、東部戦線の戦車戦が立体的に見えてくる。
第3位 リディア・リトヴァク|スターリングラードの空に咲いた「白い百合」

国籍:ソ連/兵科:戦闘機搭乗員/役割:制空・自由狩猟/搭乗機:Yak-1/勲章:ソ連邦英雄(死後追贈)
第3位は、史上初の女性撃墜王にして、女性パイロットの撃墜記録を今なお保持するリディア(リーリャ)・リトヴァクである。1921年モスクワ生まれ。父は大粛清で「人民の敵」として逮捕され消息を絶つという、決して恵まれない出自だった。
彼女は訓練連隊時代に乗機へ白い百合を描いたことから、「スターリングラードの白い百合」の異名で呼ばれるようになった。1942年9月、男性主体の第437戦闘航空連隊に配属されてわずか3日後、スターリングラード上空での3度目の出撃で、Ju 88爆撃機とBf 109戦闘機を立て続けに撃墜。女性として史上初めて敵機を空戦で墜とした瞬間だった。
その後も負傷や被撃墜を乗り越えて飛び続け、最終的に単独撃墜12機・共同撃墜3機ほどの戦果を挙げたとされる(戦果の数字は資料によって幅がある)。スターリングラード攻防戦が独ソ戦の転換点となったことはスターリングラードの戦いの解説記事に詳しいが、その死闘の空を、20代前半の女性が制空権を争って飛んでいたという事実は、何度確認しても凄まじい。
1943年8月1日、ミウス川戦線上空での出撃中、複数の独軍戦闘機との空戦の最中に彼女のYak-1は撃墜され、消息を絶った。享年21。長く「行方不明」扱いとされたために英雄称号の授与は遅れ、遺体が確認されたのは1979年、ソ連邦英雄の称号がようやく追贈されたのは1990年のことだった。整備手だった親友の女性が、39年にわたって彼女と愛機の行方を捜し続けたという逸話も、この物語に深い余韻を残す。
女性に限らない撃墜王の頂点を知りたい読者には、352機撃墜のエーリッヒ・ハルトマンの評伝が、戦闘機エースという職種のスケール感を教えてくれる。
第2位 夜の魔女|第588夜間爆撃航空連隊が背負った伝説

国籍:ソ連/兵科:夜間爆撃航空連隊(部隊単位)/使用機:Polikarpov Po-2/総出撃:延べ2万回超
第2位は、個人ではなく一個の部隊を選んだ。独軍兵士から「夜の魔女(Nachthexen/ナハトヘクセン)」と恐れられた、第588夜間爆撃航空連隊である。第二次世界大戦の女性兵士を語るうえで、この部隊を外すことは絶対にできない。
前述のマリナ・ラスコバが編成し、エヴドキア・ベルシャンスカヤ少佐が率いたこの連隊は、搭乗員・整備員・指揮系統に至るまで全員が女性という、世界でも類を見ない部隊だった。彼女たちが与えられた機体は、1928年設計のPolikarpov Po-2複葉機。木と帆布でできた、本来は練習機・農薬散布機にすぎない旧式機で、エンジン出力はわずか100馬力。装甲も無線も落下傘も持たず、開放式の操縦席で極寒に身をさらしながら、彼女たちは夜ごと出撃した。
その戦術が凄まじい。目標に接近する際、彼女たちはエンジンを止めて滑空に入った。爆音が消え、ドイツ兵の耳に届くのは、翼の支柱を風が切る「シューッ」という音だけ。それが箒に乗った魔女が忍び寄る音に聞こえたことから、独軍は彼女たちを「夜の魔女」と呼んだ。一晩に8回から18回もの出撃を繰り返し、鉄道、燃料集積所、倉庫を叩いては基地に戻って爆弾を積み直し、また飛んだ。総出撃回数は延べ2万回を超え、投下した爆弾は数千トンから2万トン超とも見積もられている。
独軍がこの旧式複葉機をどれほど嫌悪したかは、一つの事実が物語る。米国立第二次世界大戦博物館の記録などによれば、「夜の魔女」を一機でも撃墜したドイツ軍パイロットには、自動的に鉄十字章が授与されたという。低速すぎて高速の独戦闘機が逆に捉えにくく、小型ゆえにレーダーにも映りにくいこの機体は、性能の貧弱さを逆手に取って独軍を眠らせなかった。第588連隊からは22名がソ連邦英雄に輝いている。性能で劣る兵器を、戦術と胆力で恐怖の対象に変えてみせた──兵器の優劣だけで戦争を語る危うさを、彼女たちほど鮮やかに示した例はない。
筆者は航空ショーで実際に飛ぶPo-2を見たことがあるが、あの頼りない複葉機で、武装もなしに夜間の対地攻撃へ向かったのかと思うと、背筋が寒くなった。連合軍機と独軍機が入り乱れた東部戦線全体の構図は、欧州戦線・激戦地ランキングで俯瞰できる。彼女たちが叩いた独軍が最後にどう崩れたかは、ベルリンの戦いの解説に行き着く。
第1位 リュドミラ・パブリチェンコ|確認戦果309名、独軍が「死神」と呼んだ史上最強の女性スナイパー

国籍:ソ連(ウクライナ出身)/兵科:狙撃兵/確認戦果:309名(うち敵狙撃手36名)/勲章:ソ連邦英雄
頂点に立つのは、誰がどう評価しても揺るがないだろう。リュドミラ・パブリチェンコ。確認戦果309名という、史上最も成功した女性スナイパーである。
1916年、ウクライナのベラヤ・ツェルコフに生まれた彼女は、少女時代から負けん気が強く、射撃の腕を磨いた。キエフ大学に学ぶ一学生だった彼女は、独ソ戦の勃発とともに赤軍へ志願し、狙撃兵となる。オデッサとセヴァストポリの防衛戦で、モシン・ナガン狙撃銃を手に敵兵を一人また一人と仕留めていった。確認戦果309名のうち36名は、自らも狙撃手という最も危険な相手──敵スナイパーだった。狙撃手同士の対決は、数日間身じろぎもせず相手の一瞬の隙を待つ、神経をすり減らす死の駆け引きである。彼女はある対決を三日がかりで制したと後に語っている。
独軍は彼女を恐れ、「リュドミラ・パブリチェンコ、こちらへ来い。チョコレートをたっぷり与え、ドイツ将校にしてやる」と拡声器で投降を呼びかけたという。それが効かないと悟ると脅迫に転じ、「捕まえたら309の破片に切り刻んでばらまいてやる」と叫んだ。彼女は、敵が自分の戦果を正確に把握していたことを、むしろ喜んだと伝えられる。
1942年6月、セヴァストポリで迫撃砲弾の破片を顔に受けて負傷すると、ソ連軍上層部は「失うには惜しすぎる資産」として彼女を最前線から退かせ、潜水艦で後送した。確認戦果はこの時点の309名で確定する。その後、彼女は米国へ親善訪問し、エレノア・ルーズベルト大統領夫人と交流して第二の戦線開設への支持を訴えた。記者から「前線で化粧はするのか」「スカートが短くないか」といった的外れな質問を浴びせられた彼女は、シカゴの群衆を前にこう言い放ったと伝わる。自分は25歳で、すでに309名のファシストを葬ってきた、と。戦場の現実を知る者の凄みが、その一言に凝縮されている。
「死神(Lady Death)」と呼ばれた彼女の生涯は、2015年に『ロシアン・スナイパー(原題 Battle for Sevastopol)』として映画化されている。彼女の射撃技術と心理戦を、映像でこそ味わってほしい一本だ。第二次世界大戦の女性兵士という主題を、数字だけでなく一人の人間の物語として体感するなら、まずこの作品から入るのを勧めたい。
なお、彼女がモシン・ナガンを手に戦ったオデッサとセヴァストポリの防衛戦は、独ソ戦という巨大な戦争のごく一部にすぎない。緒戦の死闘を描いたモスクワの戦いの解説を読むと、彼女の309名という戦果が、どれほど苛烈な戦場の上に積み上げられたものかが見えてくる。
まとめ表|第二次世界大戦 女性兵士ランキング TOP10
最後に、本ランキングを一覧で整理しておく。兵科も国籍も異なる十人だが、いずれも第二次世界大戦の戦場で確かに兵士として戦った女性たちだ。
| 順位 | 名前 | 国籍 | 兵科・役割 | 主な実績 |
|---|---|---|---|---|
| 1位 | リュドミラ・パブリチェンコ | ソ連 | 狙撃兵 | 確認戦果309名・「死神」 |
| 2位 | 夜の魔女(第588夜間爆撃航空連隊) | ソ連 | 夜間爆撃(部隊) | 延べ2万回超出撃・撃墜で独軍に鉄十字 |
| 3位 | リディア・リトヴァク | ソ連 | 戦闘機搭乗員 | 史上初の女性撃墜王・「白い百合」 |
| 4位 | マリヤ・オクチャブルスカヤ | ソ連 | 戦車兵 | 私財でT-34購入・初の女性戦車兵英雄 |
| 5位 | ナンシー・ウェイク | ニュージーランド | SOE工作員 | 「白いネズミ」・1,500名のマキ指揮 |
| 6位 | ローザ・シャニナ | ソ連 | 狙撃兵 | 確認戦果59名・「東プロイセンの恐怖」 |
| 7位 | ヌール・イナーヤト・ハーン | 英国 | SOE無線通信士 | 単身でパリの通信維持・ジョージ十字 |
| 8位 | エカテリーナ・ブダノワ | ソ連 | 戦闘機搭乗員 | 史上二人目の女性撃墜王 |
| 9位 | ヴィオレット・ザボ | 英国 | SOE工作員 | ステンガンで応戦・ジョージ十字 |
| 10位 | マリナ・ラスコバ | ソ連 | 部隊創設者 | 女性三個航空連隊を編成 |
こうして並べると、上位を占めるのはやはりソ連の女性たちである。冒頭で述べたとおり、女性を本格的に戦闘へ投入した国がソ連にほぼ限られていた以上、これは史実の必然だ。そして彼女たちの多くが、二十歳前後という若さで戦死している。戦果の数字の裏側にある、その重みも忘れずにいたい。
よくある質問
なぜソ連だけが女性を前線に投入したのか?
独ソ戦で甚大な人的損害を受け、性別を問わず兵力を動員せざるを得なかったためである。加えて、ソ連には戦前から女性が射撃や飛行を学ぶ準軍事的な土台があった。
パブリチェンコの309名という戦果は本当か?
確認戦果309名はソ連軍の公式記録に基づく数字で、複数の歴史機関でも史上最多の女性狙撃手の記録として扱われている。戦時記録なので検証の余地はあるが、傑出した狙撃手だったこと自体は揺るがない。
「夜の魔女」はなぜ恐れられたのか?
Po-2でエンジンを止めて滑空し、無音に近い接近から爆撃を繰り返したためである。低速・小型ゆえに捕捉しにくく、一晩中続く小刻みな爆撃が独軍の睡眠と士気を削った。
日本にも女性兵士はいたのか?
大日本帝国は女子挺身隊や従軍看護婦という形で女性を戦争に動員したが、銃を持たせて前線の戦闘員とする制度は採らなかった。ソ連との違いはかなり大きい。
このランキングは女性であることを評価しているのか?
評価軸は性別そのものではなく、戦果、戦場での影響力、歴史的先駆性、後世への影響である。女性が戦闘任務に就いた事例が限られるため、その希少性も歴史的意味として評価している。
参考資料
本記事では、各人物の戦果・所属・勲章・出撃記録の確認に、The National WWII Museum、Imperial War Museums、Museum of Flight、Encyclopaedia Britannica、BBC History などの公開資料を参照した。戦果数は資料により揺れがあるため、本文では広く流通する確認戦果・公的称号を優先している。
おわりに|数字の向こうにいる十人の女性たち
第二次世界大戦の女性兵士ランキングを、戦果と実績を軸に組み上げてきた。確認戦果309名の「死神」を頂点に、夜空を滑空した魔女たち、白い百合を描いた撃墜王、私財で戦車を買った戦車兵、敵地に潜んだ工作員──兵科も国籍も最期も異なる十人が並んだ。
彼女たちに共通するのは、戦果の大きさそのものよりも、「兵士としての覚悟」の純度だった。安全な後方に留まれたはずの者が前線を志願し、性能の劣る兵器で恐怖の的になり、最も非戦闘的な出自の者が最も危険な任務を選んだ。その一人ひとりの生き様を、数字の向こうに想像してみてほしい。
彼女たちの評伝をじっくり読み込みたい読者には、戦史・人物の名著を音声で聴けるオーディオブックが、長い物語を通すのに向いている。模型派なら、彼女たちが運んだスピットファイアや、オクチャブルスカヤの愛したT-34を一つ組んでみると、教科書では伝わらない実感が手に入る。星のマークでおなじみのタミヤ公式ショップなら、本記事で触れた題材の良キットが一通り揃う。
戦史の人物をさらに掘り下げたい読者には、関連するランキング記事も用意している。指揮官の光と影を扱った不遇の天才軍人ランキングや第二次世界大戦・最悪の愚将ランキング、戦争という現象の最も暗い側面を直視した人類史上最悪の戦争犯罪ランキング、そして彼女たちを戦場へ追いやった独裁者たちを扱った最も人を殺した独裁者ランキング。個別の人物では、砂漠の狐エルヴィン・ロンメルの評伝、戦車519両を撃破したハンス・ウルリッヒ・ルーデルの生涯、空戦の源流である赤男爵リヒトホーフェンあたりが、本記事と地続きで楽しめるはずだ。
そして、第二次世界大戦の女性兵士から80年を経た現代、日本でも女性自衛官が全職種で活躍する時代になった。歴史の先駆者たちが切り拓いた道の「いま」を知りたい読者は、女性自衛官のリアル完全ガイドを読んでみてほしい。戦場の様相は変わっても、軍務に就く女性たちの覚悟は、時代を超えて受け継がれている。
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