【ネタバレなし】映画『ペリリュー-楽園のゲルニカ-』レビュー|「絶対に観ろ」と原作ファン&ミリオタの私が叫ぶ理由

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結論から言う。今すぐ映画館に行け。

正直に告白する。

私は原作漫画『ペリリュー ―楽園のゲルニカ―』を連載開始から追いかけてきた人間だ。同時に、太平洋戦争の戦史を長年調べ続けてきたミリタリーオタクでもある。だからこそ、この映画化には期待と不安が入り混じっていた。

「あの原作を、本当に映像化できるのか?」 「あの絶望を、あの希望を、スクリーンで再現できるのか?」

2025年12月5日。終戦80年という節目に公開されたこの映画を、私は震える手でチケットを握りしめながら観た。

そして、105分後。 エンドロールが流れる中、私は座席から立ち上がれなかった。

これは現代に生きる我々が絶対見るべき映画だ。

メッセージ性などを抜きにしても、シンプルに映画としての完成度も高い。

映画.comで4.1点以上、Filmarksで平均4.2点という評価は伊達じゃない。「この世界の片隅に」と並ぶ傑作という声すら上がっている。その評価は、決して過大ではないと断言する。


「可愛い絵柄×地獄の戦場」という発明

まず、この映画を知らない人のために説明しておこう。

『ペリリュー ―楽園のゲルニカ―』は、白泉社ヤングアニマルで連載された武田一義先生の漫画が原作だ。第46回日本漫画家協会賞優秀賞を受賞し、ちばてつや、花沢健吾、重松清、有川ひろ、原泰久、里中満智子、三浦建太郎、奥浩哉といった錚々たるクリエイターから絶賛された、「戦争マンガの金字塔」である。

そして、この作品の最大の特徴が「デフォルメされた可愛らしい三頭身キャラクター」で「地獄のような戦場」を描いているという点だ。

「なんでそんな描き方をするんだ?」

そう思った人もいるだろう。私も最初はそうだった。だが、原作を読み進めるうちに理解した。これは「見せない」ことで「見せる」という高度な表現技法なのだ。

映画版でも、このコンセプトは完璧に踏襲されている。むしろ、アニメーションという媒体だからこそ、この手法の威力が最大限に発揮されていた。

可愛らしいキャラクターたちが、砲弾の雨に晒される。 隣にいた仲間が、一瞬で消える。 飢えと渇きに苦しみながら、洞窟の中で息を潜める。

グロテスクな描写をリアルに描けば、観客は「目を逸らす」ことができる。だが、この絵柄では逸らせない。可愛いからこそ、その残酷さが心に突き刺さる。想像力を強制的に働かせられる。「描きすぎない」ことで、観客自身が脳内で「最悪の光景」を補完してしまうのだ。

これは「発明」だ。戦争の悲惨さを伝える新しい方法論の発明。原作者の武田一義先生が生み出し、監督の久慈悟郎がアニメーションで完璧に昇華させた、唯一無二の表現。


ミリタリーオタクとして唸った「史実への誠実さ」

ペリリュー島の戦い

さて、ここからは戦史オタクとしての視点で語らせてもらう。

ペリリュー島の戦いは、太平洋戦争を語る上で絶対に外せない戦闘だ。なぜか。この戦いこそが、日本軍の「方針転換」が行われた最初の戦場だからだ。

それまでの日本軍は「玉砕」を美徳としていた。最後の一兵まで戦い、全滅することで「皇軍の名誉」を守るという思想だ。だが、ペリリュー島では違った。

「玉砕を禁ず。持久戦で時間を稼げ」

中川州男大佐率いる守備隊は、この命令に従い、洞窟陣地を活用した徹底的な持久戦を展開した。米軍は当初「3日で落とす」と豪語していたが、実際には2ヶ月半もの死闘を強いられた。日本軍約1万人に対し、米軍は4万人以上を投入。それでも米軍の死者は1,600人以上、負傷者を含めれば約8,000人という甚大な被害を出した。

この「持久戦ドクトリン」は、のちの硫黄島の戦いに引き継がれる。栗林忠道中将が指揮した硫黄島の戦いが、なぜあれほどまでに米軍を苦しめたのか。その原点がペリリューにある。

映画はこの史実を、決して軽く扱っていない。

米軍の圧倒的な火力。艦砲射撃と航空機による爆撃。そして上陸部隊との戦闘。洞窟陣地の中で繰り広げられる消耗戦。飢えと渇き、マラリアなどの伝染病。すべてが克明に描かれている。

特に印象的だったのは「音」だ。砲撃音、銃声、悲鳴。そしてそれが止んだ後の、不気味な静寂。劇場の音響システムで体感すると、その恐怖がより一層伝わってくる。TOHOシネマズでドルビーアトモス上映を観た人は、あの「音の暴力」に震えたはずだ。

もし、この映画を観る前に「ペリリュー島の戦い」の歴史を予習しておきたいなら、当ブログの記事を参考にしてほしい。映画の理解度が格段に上がるはずだ。

ペリリュー島の戦い完全ガイド|73日間の死闘と今に残る教訓【わかりやすく解説】


「功績係」という視点の天才性

この映画の主人公・田丸均は「功績係」という任務を担っている。

「功績係」とは何か。

戦死した仲間の「最期の姿」を記録し、遺族に伝えるための報告書を作成する係だ。漫画家志望だった田丸は、その画才を買われてこの任務に就いた。

だが、実際の戦場で「美しい最期」などあるはずがない。砲弾で吹き飛ばされた仲間、飢えて骨と皮になった戦友、恐怖で錯乱して死んでいった者たち。その「現実」を、田丸は「美談」に仕立て上げなければならない。

「敵戦車に肉薄し、見事な戦死を遂げました」 「最期まで天皇陛下万歳と叫びながら散りました」

嘘だ。でも、その嘘を書かなければ、遺族は救われない。真実を書けば、遺族は地獄を見る。

この「嘘」と「真実」の狭間で苦悩する田丸の姿は、戦争の本質を鋭くえぐり出している。戦争とは、人を「嘘をつかなければ生きられない状況」に追い込むものなのだ。

功績係という存在については、当ブログで詳しく解説している。映画を観た後に読むと、さらに理解が深まるはずだ。

『ペリリュー』にも登場する「功績係」とは?戦時中の記録係の役割と実在の記録


板垣李光人と中村倫也、その「声」の力

声優陣について触れなければならない。

主人公・田丸均を演じた板垣李光人。そして、彼の支えとなる上等兵・吉敷佳助を演じた中村倫也。両名とも俳優であり、本職の声優ではない。

正直、発表当初は不安があった。「芸能人の話題性キャスティングではないのか」と。

だが、映画を観て、その不安は完全に払拭された。

板垣李光人の田丸は、まさに「普通の若者」だった。漫画家になりたかった。戦争なんて関係ないと思っていた。でも、時代がそれを許さなかった。その「巻き込まれた側」の悲しみと諦めと、それでも生きようとする意志が、声に滲み出ていた。

中村倫也の吉敷は、田丸とは対照的に「覚悟を決めた人間」として描かれる。だが、その覚悟の奥にある「本当は帰りたい」という想いが、時折漏れ出る。その繊細な演技に、何度も胸を打たれた。

そして特筆すべきは、主題歌を担当した上白石萌音だ。エンドロールで流れる彼女の歌声は、観客の心を完全に持っていく。涙腺が崩壊した人も多いだろう。私もその一人だ。


「終戦を知らない2年間」という地獄

映画は、1944年9月15日の米軍上陸から始まり、物語の後半では「終戦後」の描写が加わる。

ペリリュー島の戦いで生き残った日本兵の一部は、洞窟に潜伏し、終戦を知らないまま戦い続けた。1945年8月15日に戦争が終わっても、彼らは「敵の謀略だ」と信じて戦闘を続けた。

投降を呼びかける米軍。それを罠だと疑う日本兵。英字新聞を見せられても「プロパガンダだ」と信じない。

この「終戦を信じられない」という状況は、現代の私たちには想像しにくいかもしれない。だが、当時の日本軍には「本土が敗れるはずがない」「天皇陛下が降伏するはずがない」という絶対的な信仰があった。その信仰が、彼らを2年以上も洞窟に閉じ込めた。

1946年4月22日。最終的に投降したのは、わずか34名。約1万人いた守備隊の、0.34%だ。

この事実を、映画は静かに、しかし確実に突きつけてくる。「戦争は、終わっても終わらない」という真実を。


なぜ「今」この映画なのか

2025年は、終戦から80年の節目の年だ。

戦争を体験した世代は、急速に減少している。あと数年もすれば、「生の声」を聞くことはほぼ不可能になるだろう。

だからこそ、この映画が必要なのだ。

「戦争を知らない世代」に、戦争を伝えるために。 「歴史」としてではなく、「人間の物語」として伝えるために。

この映画が終戦80年の節目に公開されたのは、偶然ではない。東映とシンエイ動画、そして原作者の武田一義先生が、この時期を狙って制作を進めてきた結果だ。厚生労働省とのタイアップもあり、遺骨収集推進協会へのチャリティ上映会も行われている。愛子内親王殿下がご臨席されたことも話題になった。

これは「記憶を継承する」ための映画だ。

終戦80年という文脈については、当ブログでも詳しく解説している。

なぜ今『ペリリュー』をアニメ映画化するのか?終戦80年と”記憶をつなぐ物語”


「この世界の片隅に」との比較

よく比較されるのが、片渕須直監督の「この世界の片隅に」だ。

両作品には共通点が多い。どちらも「可愛らしい絵柄」で「戦争の悲惨さ」を描いている。どちらも「名もなき普通の人々」を主人公にしている。どちらも「反戦」を声高に叫ばず、ただ「事実」を淡々と描くことで、観客に考えさせる手法を取っている。

だが、決定的な違いもある。

「この世界の片隅に」は「銃後」の物語だ。戦場から離れた場所で、日常を送ろうとする人々の話。一方、「ペリリュー」は「前線」の物語だ。まさに銃弾が飛び交う中で、生き延びようとする兵士たちの話。

どちらが優れているという話ではない。どちらも必要な物語だ。そして、どちらも観るべきだ。

戦争アニメ映画に興味が湧いた方は、当ブログのおすすめ記事も参考にしてほしい。

『ペリリュー 楽園のゲルニカ』の前に観ておきたい戦争アニメ映画7選


原作ファンへ:安心してくれ、最高の映画化だ

さて、原作漫画を愛してきたファンとして、正直に言おう。

この映画化は、成功だ。

もちろん、全11巻という長大な原作を105分に収めるにあたり、省略されたエピソードはある。登場キャラクターの出番が減った部分もある。原作の微細なニュアンスが変わった箇所もある。

だが、武田一義先生自身が脚本に参加しているという事実が、すべてを物語っている。原作者が「これでいい」と判断したのだ。それを信じていい。

むしろ、アニメーションになったことで「動き」と「音」が加わり、原作では表現しきれなかった部分が補完されている。特に戦闘シーンの迫力、そしてキャラクターたちの「声」による感情表現は、映画ならではの強みだ。

原作をまだ読んでいない人は、映画を観た後に読むことを強くおすすめする。逆に、原作を先に読んでから映画を観るのもいい。どちらのアプローチでも、この作品は心に刺さるはずだ。

原作マンガ『ペリリュー 楽園のゲルニカ』完全ガイド|巻数・外伝・読み方・映画との関係を徹底解説


現代に蘇るペリリュー:原作漫画を手に入れろ

ここまで読んで「映画を観たい」と思ったあなた。あるいは「映画を観て、もっと深く知りたい」と思ったあなた。

原作漫画を手に入れることを、強くおすすめする。

武田一義『ペリリュー ―楽園のゲルニカ―』は全11巻。外伝も含めて、すべてを読む価値がある。映画では描ききれなかったエピソード、キャラクターの背景、そして「その後」まで、じっくりと味わうことができる。

私自身、何度も読み返している。読むたびに新しい発見がある。そして、読むたびに涙が出る。

また、ペリリュー島の戦いについてより深く知りたい方には、以下の書籍もおすすめだ。

  • 「ペリリュー・沖縄戦記」ユージーン・スレッジ著 米海兵隊員として実際にペリリュー島で戦った著者の回想録。「地獄」を生き延びた者の視点から描かれた、壮絶な記録だ。
  • 「パラオはなぜ親日なのか」井上和彦著 ペリリュー島を含むパラオ諸島と日本の関係を紐解く一冊。なぜパラオの国旗が日本に似ているのか、その答えがここにある。


まとめ:この映画は「観なければならない」

長々と書いてきたが、最後にもう一度言わせてほしい。

この映画は「観なければならない」作品だ。

ミリタリーファンとして。原作ファンとして。そして、日本人として。

終戦から80年。戦争を体験した世代がほぼいなくなる今、「記憶を継承する」という使命を果たすために生まれた映画だ。可愛い絵柄という「入口」を用意しながら、戦争の本質を容赦なく突きつけてくる。

エンターテインメントとしても一級品だ。 歴史教材としても価値がある。 そして何より、「人間の物語」として心に刺さる。

映画館で観ることを強くおすすめする。あの音響、あの映像は、配信では味わえない。

そして映画を観た後は、原作漫画を読んでほしい。関連書籍を読んでほしい。ペリリュー島の戦いについて調べてほしい。いつか、実際にペリリュー島を訪れてほしい。

この映画が、あなたにとっての「入口」になることを願っている。

残酷な描写もあり、苦手と思う人もいるだろう。

だが、80年前、あの島で戦った1万人の日本兵たち。 そのうち生き残ったのは、わずか34人。

彼らの物語を、私たちは忘れてはならない。


映画『ペリリュー-楽園のゲルニカ-』作品情報

  • 公開日:2025年12月5日
  • 上映時間:105分
  • 監督:久慈悟郎
  • 脚本:西村ジュンジ(西村純二)、武田一義
  • 原作:武田一義『ペリリュー ―楽園のゲルニカ―』(白泉社・ヤングアニマルコミックス)
  • アニメーション制作:シンエイ動画、冨嶽
  • 配給:東映
  • 主題歌:上白石萌音

【キャスト】

  • 田丸均:板垣李光人
  • 吉敷佳助:中村倫也

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